変わらない寂しさ 高校生の時はそんなことあまり感じなかったのに、「大学デビュー」とでも言うのか、多くの同級生たちが次々と恋人を作っては「恋バナ」に日々花を咲かせていた。
自分も散々親友相手に恋バナをしていたのに、いざ人の話になると気後れしてしまうことがいまだに多い。自分よりもずっとずっと先を行っている友人たちのなんと多いことか。同い年とはとても思えないほどに。
「で、ヒメノの彼氏って年上でしょ?」
「年上っていいよね〜」
「包容力もあって、お金もあるし、経験もあるし」
言外に自分の彼氏の話をしろ、と言われていることに気がついたのは、次の瞬間、一拍間が開いたからだった。
「あ、私の話?」
「そうよ!」
「まあ、うん、うちは、包容力はあるっちゃあるけど、お金はないし、恋愛経験も微塵もないし」
話しているうちに自然と乾いた笑いが出てきてしまった。
そういう世間一般の「年上」の概念とはかけ離れている自分の恋人。曖昧な笑みは、彼の良さを損なうものではないことはよくわかっている。そうではないところに憧れ、好意を持ったのだから、そんなことはどうでもいいことだった。
しかし、こうして人に話すとなると、また別の話でもあるのだけれど。
*
「なんだよ、その話」
エージが素振りをしながら途切れ途切れに話してくれたヒメノの話は、ヒメノの恋人である明神冬悟の顔をふてくさせるに十分だった。
「聞いてねーの?」
「そんなの聞かされるこっちの身にもなれよ。聞きたくねーっつーの」
年の割には子どもっぽい仕草で、自分より一回り以上(見た目が)年下相手のエージの顔からプンと視線を逸らす。
それを見た少年は狙い通りとニヤニヤしているばかりだ。明神を鼻で笑うと、コツンと折れたバットの先を支えに明神に向き直る。
「バカ。続きがあんだよ、この話」
「ふうん?」
*
ヒメノの回答を聞いた友人たちは一同にポカンとした。
事情を知っている親友だけは皆にわからないよう嘆息をついたのだが、ヒメノは気付かない。
しかし、ヒメノはキュっと口元を一瞬引き締めると微笑んだ。
きっと、この瞬間の彼女を見た誰もが見惚れるくらいの儚さと健気さと、自信がある笑顔で。
「いつでも側にいてくれる時間だけはあるから、それが一番かな」
ずっとずっと独りだった少女が、選んだ相手はそういう相手だった。
自分の生い立ちも、相手の生い立ちも気にならない。お互いに必要としているところに生い立ちなんて関係ないから。
彼と出会ってから、彼女は、本当に綺麗になった。
エージも、素直にそう思う。
ただ、幸せになってほしい、と。
*
時間だけはあるから、というヒメノの言葉は、エージから間接的に聞かされただけでも相当の破壊力だったようだ。
みるみるうちに普段は元から白い上に、白髪が映えてさらに白くなり、その上よく血を流しすぎていつも白い明神の顔が、暗い公園のぼんやりとした灯りの中でも、明らかに赤く染まっていくのがわかった。
「お! 赤くなったな!」
「うるさい! 大人をからかうなよ!」
明神がバットを捕らえようとして腕を伸ばすと、予測していたらしいエージは軽やかにそれを避ける。しばらく追いかけっこをしていたが、少年のほうがふと時計を見上げた。
「そろそろ帰ってくる時間じゃねーの?」
「ああ、駅行こうぜ」
「オレはいいよ」
「なんでだよ」
「二人で帰って来いよ」
「ガキのくせにマセてんな」
そういうと、大きな男の手は懐かしい記憶のように少年の金色の頭を撫でた。さっきまで自分と同じように追いかけっこをして、笑い声をたてていたのに、すぐに大人みたいに自分を見下ろす。それは決してイヤな感じではなくて。
「あのな、お前もガクも、間違えてるけど」
「はあ?」
「ひめのんは、誰のものでもねーぞ」
「あの子は、あの子のものだ。
誰に遠慮する必要なんてないんだよ。
お前らが遠慮して、あの子を寂しがらせてどうするんだ。
俺たちは家族だろ?」
グリグリと次第に撫でる手のひらは抑えつけるように力が込められてきた。自然と下を向いてしまう。自分の小さな野球のユニフォームのままの足下が見えた。ただの、子どもの小さな足が。
見えなくても、家族のように、明神もヒメノも雪乃も振る舞ってくれる。十味のじいさんも。
変わらなくてもいいんだ、と言われているようで、変わってしまう寂しさに打ちのめされていたのは自分だったのだと、ようやくエージは思い至った。
その結果、彼女を寂しがらせてしまっては、本末転倒だ。それは、本当に、悔しいけれど、こいつのいう通りだ。こういう時は、いっつもそうだ。明神の言う通りだ。
「うん」
ただ、小さく、それだけを答えると、明神はようやく頭を解放してくれたのだった。
*
待ってるだけは、寂しかった。
自分だって仲間なのに、と思わなかったわけではない。
本当に二人の関係が変わってしまったことは、嬉しいことだったけど、二人の時間は自分たち霊とは違って進んでいく。
自分たちとは違う時間を歩んでいる。
それを直視することが怖かったのかもしれない。
自分に残された時間も、いつまで持つかわからないのだから。
「エージくんも来てくれたの?」
久しぶりに出迎えたエージに、ヒメノは全く、なんの意図もなく、いつも通りに喜んでくれた。それが「当たり前」であることが嬉しかった。
「時間が余ってるモン同士で来てやったぜ」
「え、ちょ、まさか、それ明神さんに話したの?」
「さーて、どうだかな」
「ちょっと! エージくん! 内緒って言ったでしょ!」
三人で帰る。
そういう時、明神はいつも一歩下がって二人を見守りながら帰る。
時々振り返ると、明神は穏やかな笑みを浮かべている。
これが正解なんだと、ようやくわかった。
「ただいま!」
ヒメノと転がり込むようにうたかた荘に着くと、雪乃が出迎える足音が響いた。