在ること「あー、あー、わかった。そのまま連れてこい。かわいそうだろう、そんな状態で家に置いてけぼりなんて……。お前だって置いてきたくないから連絡してきているんだろう?」
元々、大丈夫だろうと思っていたが、これほど呆気なく許可が出るとも思っていなくて、案外自分もパニクッていたのだとようやく気付いた。右手につないだ弟の小さな手の平が、キュッと自分の手の中で縮こまる。
「はあ、えろうすんません……。これから向かいますわ。静かにさせますんで、今日明日と勘弁してください」
「国行。オレも一緒に行っていいの?」
「せや。こんな日に学校行ったかて、なんも頭に入らへんやろ。ボーっとしてケガでもされても今日は迎えにも行けへん」
「オレ、そこまで間抜けじゃねーし」
「んじゃ、学校行くか?」
「やだ。一緒に行く」
わかった、と口にしない代わりに切ったスマホを後ろの尻ポケットに仕舞って、手持無沙汰となった左手で弟・国俊の頭を撫でた。
普段は子ども扱いを嫌がる国俊だが、今日はさすがに大人しく撫でられるがままだった。
*
昨夜、一番下の弟の蛍丸が高熱を出した。
明石国行は、帰ってから再度自宅で仕事をしていて、かろうじて起きてはいたが、すでに寝かしつけた国俊と蛍丸の部屋がなんだか騒がしいと気付いてそちらのほうへと向かう。2DKのさして広くない部屋の一つを寝室にして、子どもたちが小さいから川の字で寝ているところの襖を開けようとしたら、ちょうど勢いづいて国俊が跳び出してきた。
「国行! 蛍が変!」
「なんやて?」
蛍丸を見れば、顔は赤くなり、ゼエゼエと小さな口元から出てくる呼吸が確かにおかしい。丸々としたほっぺたも赤く、触ってみるとしっとりと汗ばんでいた。
「蛍。蛍、聞こえるか?」
「……うん」
「蛍ぅ」
「国俊。蛍の傍におれ。救急車呼んでくる」
「え、う、うん」
仕事をしているのは三人で食事をするダイニングだ。会社PCの横にあった自分のスマホを手に取る。
「もしもし! あの、子どもが、熱だしてて……」
そのあとのことは、あまり覚えていない。
置いていくことは出来ないので、パジャマだった国俊の服を着替えさせ、自分もジャージだったのをジーパンとTシャツに着替える。財布とスマホだけは、と手に持った後に、国俊の手をしっかりとつないだ。
検査をしたものの、特に大きな病気ではないとのことで、一旦入院となった。もう日付は変わってしまったが、明日というか今日再度検査をして、なにもなければ明後日には退院という流れになるという。なにかの発作ではなかったし、風邪のような一過性のものらしい。乳幼児の突発的な発熱はすでに経験していたが、二人とも小学生になってからはあまり大きなケガも病気もなかったので久しぶりの大きな病院に、仕事の疲れもあってさすがに頭が上手く回らない。
今週末には仕上げなければならない資料があるため、今日明日と休むのはつらい。在宅でできれば一番よかったのだが、資料は職場に置きっぱなしだ。どうしよう。どうすればいい。
頭を抱えていたら、自分の肩に寄りかかって寝ていた国俊が目を覚ました。
「……国行」
「まだ寝とき。五時前やで」
「なあ」
「なんや」
「オレ、今日、ここいてもいい?」
「あかん」
言うと思った。
普段は二人で一緒に学校に行って、二人で一緒に帰って来させている。学童に行かせたのは、国俊が一人で小学校に通っていた最初の二年間だけだ。なるべく一人でいる時間は作らないようにしていたので、余計に寂しいのだろう。
だからこそ、許可出来なかった。
「なんでだよ。蛍が心配じゃないのかよ」
「病院におったら、安心やろ。なにかあっても誰かおるんや」
「でも、」
「国俊」
グッと、頭を寄せて赤い頭を撫でつける。
「んじゃ、今日は自分と一緒にいよ」
「家?」
「いや、会社」
「ええ? 子どもが行ってもいいのか?」
「さあなぁ。えらい人に聞いてみんとな」
そのまま、頭を自分の膝にもってきた。男の膝枕なんて固いだろうが、すこしでも横になる体勢のほうが後々楽だろうと思ったのだ。
「じゃあ、国行といっしょにいく」
「ああ」
「蛍と朝あったら、いく……」
「せやな。そうしよ」
普段はなかなか触らせてもらえない柔らかいほっぺたも、つんつんと跳ねている髪の毛も、ちょこまかと動く両足も、今日は触り放題だ。変わりに触らせてもらっている蛍がいないから、きっと国俊は譲歩してくれているのだ。
こういう時に、甘えさせられているのは、自分のほうだ、と強く感じる。
*
「おお、結構早かったな」
上司の鶴丸国永は、明るく気さくで、信用のおける男だった。
見た目は若々しいが、いくつ離れてるのだったか、自分よりは年上で、変なところで古風な言い回しや感性があるが、なにかあった時は臨機応変に対応してくれるし、既存のやり方に縛られない。そういうところはとてもありがたい。
とにかく定時に上がることを第一としている明石国行にとって、そういうことを「当たり前」のように受け止めてくれた鶴丸の存在は、この会社に勤める理由の一つでもあった。
「いえ、随分遅くなりまして……」
「いや、十分だ。今日は何時に帰宅する? チーム内には簡単に理由を伝えたから早引きしていいぞ。大体家でも出来るだろう」
「ああ、いや、あの来週の資料が終わってへんのですわ。木曜中には一期はんに渡して内容確認して修正入れたいんで」
「なら代わりを入れる。あのな、会社にお前の代わりはいるが、家でのお前の代わりはいないんだぞ」
そういいながら鶴丸は、明石の足に隠れていた国俊を見つける。
「久しぶりだな、愛染」
「今は明石だ。国俊って呼んでくれよ、間違いがないから」
「ははは、そうだな。国俊、朝飯は食ったか? おにぎりがあっちにあるけど」
「おにぎり?」
「こら、国俊。待ちぃ。あの、鶴丸はん、すんません、メシくらい自分たちの分は用意しますんで」
「バカ。お前の分もあるんだよ。俺の分を買ったついでだ。なにか飲み物いるか?」
「ジュース」
「あかん。ほれ、このカバンの中にいつもの水筒用意してるから、そっちから飲み。なくなったらペットボトルでも買うたる」
「え~」
「じゃあ、手洗いにいくぞ。ついてこい国俊。トイレの場所教えてやるから」
「はあ、すんません、自分ちょいと学校連絡してきますんでちょっとお願いしてええですか?」
「ああ。行ってこい」
正直助かった。
あのあと6時くらいに目が覚めて、夜よりもすやすやと穏やかに息をする蛍を見て、ホッと息をついた。
7時に朝食があるからと起こされた蛍はいつもの寝起きのようにポヤポヤとしていたが、ちゃんと国行を見ていた。
今日は検査があると説明をすると、国俊に比べて感情的ではないが、それでも不安げな表情を見せる。ああ、この顔を見ると離れたくない。
「俺、ひとりでも大丈夫だよ。仕事なんでしょ、国行」
健気やなぁ、と思いつつ、ああ、やはりひとりぽっちにさせてしまうことがつらい。すでに昨夜の段階で説明は受けていて、同意書にもサインをしているので、蛍丸一人でも大丈夫ですよ、と医師からは言われた。手術では立ち会いが必要だが、検査といってもそれほど大変ではないらしい。あとは養生のための検査入院だとの説明を受けていた。
「帰りにまた来るからな!」
「国俊も気を付けてね」
仲睦まじい二人だが、切々とした感情が伝わる。
「堪忍や。必ず来るから、大人しゅう待っとってや」
二人をひとまとめに抱きしめた。
それから自宅に帰って揃ってシャワーを浴びて、広げっぱなしだったPCと支給されているポケットWi-Fiをカバンに突っ込み、適当なシャツとスラックスで出発した。いつもは当然電車通勤だが、今日は国俊がいる。あんな満員電車で潰されるのはかわいそうだし、夕飯は蛍と一緒に取りたい。蛍の荷物も持っていきたいので、車で出た。
鶴丸の言う通りなのだ。朝飯を買う気持ちの余裕はなかった。そこまで見越してくれたのだろうことがありがたい。水分だけは取らせなければと、いつも二人に持たせている水筒を二本用意してしまったのは、いつも通りの癖のおかげだ。
学校に連絡を終えて席に戻ると、国俊が足をブラブラとして手持無沙汰を全面に押し出しながら待っていた。
「遅い」
「もう食ったんか?」
「国行、どれ食う?」
「あんなぁ、いくつ食うたん? ちゃんとお礼言うたか?」
「言ったよ!」
いくつか転がっているおにぎりを見定めていると「明石くん」と穏やかな声がかかる。
「光忠はん」
「なんかご家族がご病気だったんだって? 鶴さんから聞いたよ。手伝えることがあったら言って? 僕、急ぎのタスクは今そこまでないから」
「ああ、気ぃ使わせてすんません」
「あ、君が国俊くんだね。初めまして。明石くんの同期の燭台切光忠って言います。君もなにか困ったことがあったら僕にも声かけてね」
「あ、こんにちは。はじめまして」
比較的誰にでも億面なく声をかける国俊にしては大人しい声にすこしだけ笑ってしまった。
「安心せい。怖い人やないで」
「え、僕怖いかな! あ、そうだよね!」
「こ、こわくなんてねえよ!」
座席自体はフリアド制なのでどこでもいいのだが、なんだかんだで形骸化しつつあるのと、結局はチームでまとまってしまうため、いつものように光忠が国行の前に座る。これが定位置なのだ。
チームのメンバーは国行が定時に帰ることを理解している。違う部署の奴には「定時帰り」の「やる気のない奴」と思われていることもわかっているが、一番大事なのは仕事ではない。なによりも、まっすぐに帰るのは小さい弟たちがいるからだ。
それを知っているのはチームメンバーくらいなので、子どもを連れてきた国行を見る好奇の目は、会社に入ってからチラチラと感じている。目の前に光忠が座ってくれたことで、ようやく少し目線が逸らされている。こういう気配りが出来る男であるところは、正直尊敬しているとも言ってよかった。
最初は時間給で遅れて来た分だけに昨夜からのメールやチャットの内容の確認をして、それから昨夜の続きの資料の作成。そのあと、週明けのプレゼン資料作成、と予定を立てる。隣に座らせた国俊には学校のドリルを持って来させたが、手が全然動いていない。集中できないのも当然だろうと放っておいたが、次第にゴツンと音を立ててテーブルに頭をぶつけることが増えた。目の前の光忠が笑いをこらえきれていない。それもわかる。
「国俊」
はあ、とため息をついて肩をゆする。そりゃあ、昨日の夜中に起きて、それから病院行って自分の肩と膝によっかかってうつらうつらとしただけなのだから眠いだろうと思う。だが、そんな様子じゃ、こっちも向かいも落ち着かない。
「寝るなら、椅子並べたるから、横になり」
「眠たくない」
「あほ。めちゃくちゃうつらうつらしてるやんか」
「へいき」
声まで眠そうだ。思わず笑いそうになる。
よっこいしょ、と国俊を抱き上げる。反発もしてこない。コアラの親子のように前に抱え込んで、自分の椅子に座りなおした。あったかくて自分も眠くなりそうだ、と思いながら「昼になったら起こすからな」と声をかけると「むにゃむにゃ」とした返事が返ってきた。
「光忠はん」
「なに?」
「ちょっと、写メ撮って」
「ん?」
「コイツ、もう最近は全然かまってくれへんかったんや。こんなべったりくっついて寝るなんて久しぶりやで。かわええやろ。撮って」
「いや、うん、かわいいけど」
そういって近づいて写真を撮ってくれるだけ、光忠は優しいと思う。
「あとで、蛍にも見せてやらな。なにしてたって必ず聞くからな」
「そっか」
ついでに、同じ部署内の女性陣が何人か国俊目当てに写真を撮りに来た。かわいいと思われるのはやぶさかではないので、珍しく愛想笑いを返してしまった。
「国俊。なにが食いたい? なんでも好きなもの言っていいぞ!」
「鶴丸はん。あんまり甘やかさんでくれます?」
「ハンバーグ!」
「国俊! 図に乗るんやないで! ここら辺のランチ高いんやぞ!」
「だからお前の分も奢ってやるって」
「そういう問題やあらへん」
昼になったので国俊を起こすと、鶴丸がランチに誘ってきた。一度蛍のところに戻ってもよかったのだが、それだと休憩時間がほとんどなくなってしまう。自分はいいのだが、疲れている国俊には少しキツイ行程だろうと思い、やめた。
鶴丸が連れていってくれたのは国行も度々行く喫茶店だ。喫茶店にしては珍しくきちんと分煙スペースが分けられていたので、喫煙の心配がない。ご所望のハンバーグとエビフライが乗ったセットを頼んで、せがまれて写真を撮った。
「あとで蛍に自慢しよう」
「堪忍せえや。蛍連れてまた来なあかんやないか」
「楽しそうでいいな」
「じゃあ、鶴さんも一緒に行こうぜ!」
すっかり懐いてしまったようで、笑顔でハンバーグにかぶりつこうとする。
「野菜も食うんやで」
「わかってるよー」
「お前はそれだけで足りるのか?」
「似たようなもんやないですか」
鶴丸も国行も身体の線が細い。光忠などは元からがっちりした体形をしているので、並ぶとより細さが目立つ、と昔なじみらしい鶴丸が愚痴るのをよく聞いた。鶴丸はBLTサンド、国行はエビピラフにそれぞれセットのサラダと食後のコーヒー付きだ。
米さえ食えばなんとかなると思っているので、別段問題はない。朝飯も、鶴丸からもらったおにぎりだったが、おそらく鶴丸はご飯党である国行のためにおにぎりを用意してくれたのだろう。
ビジネス街なので子どもの客は珍しいのか、店主からアイスのオマケをもらって国俊はご機嫌だった。
「あー、蛍にも食べさせたかったなー」
二言目にはそれを言うから、こっちまで鼻の奥がツンとする。
「いちいちそういうこと言うなや。わかっとる」
「うん」
「午後はちゃんと勉強するんやで」
「え~」
「午前中は寝とったやろ。夜蛍んとこ行ったらなんて言うん? 今日一日、なんもしてまへんでしたって言うか? ちゃんと胸張れるようにしとき。心配しはっとっても、ちゃんとやることやる」
「はぁい」
「お兄ちゃんだなぁ」
「鶴丸はんも、うるさいですよ」
「おお~、こわ」
戻ってからの国俊は、静かだった。
*
「ほんじゃ、すんまへんけど、今日はこの辺で上がらせてもらいます」
「え、この時間車混んでない?」
「しゃあないやろ。これ以降のがもっと遅うなりますわ。蛍と一緒に夕飯食おうなって約束しとんですわ」
「うん」
「じゃあ、国俊くん、またね」
「おう! また明日な!」
「国俊~。友達やないんやぞ……」
「似たようなもんだよ。気を付けていけよ」
「「はあ~い」」
間延びした返事は、確かに兄弟らしかった。
「国俊! 国行!」
「蛍! 元気になったか?」
病院では走るな! と言ったはずだが、我慢しきれなかった国俊の足の速さにさすがに追いつけない。
一足あとに室内に入ると、六人部屋だが、四つのベッドは空いていて、先に食事を終えた先客はベッドの上のカーテンを仕切っていた。蛍丸はもう食事を終えてしまったので、二人分のコンビニ弁当を広げる。
「あ、あかん。自分、先生んとこ行ってくるわ。ついでに飲みもんも。蛍もいるか?」
「いる」
「先食っていい?」
「ええよ。他の人もおるんやから、静かにな」
「「はあい」」
その返事を後ろに来た道を戻っていく。
病院で夜を過ごすのは得意ではない。いや、得意な人などいるのかもわからないが。
国行の母は、未婚のうちに国行を生んだ。
気が付いたら父はいなかったので詳しいことはいまだによく知らない。姉弟のような母子だった。小学生の頃は祖母と祖父が助けてくれたが、中学に上がる頃には、母と二人だった。
金が稼げるような年になったら、自力で稼ぐようになって家にはあまり戻らなくなったので詳細は知らなかったが、国俊を身ごもった後に男が病気で死んだと知らされた。よほど男運がないのだろう。だが、生まれてきた年の離れた弟は確かにかわいかった。きっと悪い男ではなかっただろうと思った。
もう男には飽きただろうと思ったのに、母は性懲りもなくまた子を身ごもった。
だが、今度は初めて父親となる男と出会った。悪い男ではなかった。二人も子どもがいて、更には自分なんて大きな子どもまでいるのに、相手の男は国行のことを子ども扱いしなかった。初めて母の幸せそうな顔を見た気がした。
生まれてきた子は、「蛍丸」と相手の男が名付けた。
種違いの国俊がいじめられる気配もない。自分はもう成人する。それなら、ここを出て独りで暮らそうと思った。母と相手の男がようやく籍を入れるというので、反対する理由もなかった。自分だけが、母の旧姓、祖母と祖父の名を残した。
蛍丸は、少し大人しくて見た目は自分に似ていないけれど、中身は自分に似ていた。
逆に、国俊はとてもうるさくて元気いっぱいで、どこも似ていないようでいて、ふとした瞬間に見せる表情は確かに兄弟だった。
自分の子のように、かわいかった。
だが、ある日留守番を頼まれて三人で過ごしていたら、自宅に警官が来た。
「明石、国行さんですね」
「はあ、さいですが……」
日帰りのドライブのはずだった。藤が咲いているからと出かけただけだったのに、もう二度と両親は帰ってこなかった。
あの日の病院には背中に蛍を乗せて、右手に国俊と手を繋いでいた。
実際に遺体を見るまでは信じられないと思って、しかし、車もカバンも、手の形も、初めて母がもらった結婚指輪も、全部、国行の記憶のとおりで、それが別人であることがあり得なかった。
まだ働き始めたばかりで、この子らをどうしようと一瞬思ったけれど、手放す考えは一度も浮かばなかった。
蛍丸が何事もなくてよかった。
今日一日、国俊が近くにいてよかった。あの暖かさがなかったら、こんな冷たい廊下も歩けなかっただろう。
明日の夕方には退院してよいとのことだったので、明日は半休を使うことにした。
早く三人の家に帰りたかった。
国俊がいなかったら、仕事にも行かずにずっと病院にいただろう。
だが、それではせっかく築き上げてきた仕事上の信頼は失うだけだ。自分のやるべきことを、やるべきときにやること。自分に必要なことはそれだけなのに、それすらわからなくなってしまいそうだった。
国俊がいてよかった。彼が甘えてくれるから、自分はようやく立っていられる。
蛍丸が見つめてくれるから、嘘をつくことも、見栄を張ることもなく、素のままで二人と一緒にいられる。
どちらか片方でも失うことなんて出来ない。
震える指でお茶と水のペットボトルを購入して、一つだけ、ファンタオレンジを買った。
「じゃあ、明日、また迎えにくるからな」
「うん」
「一人でこわないか」
「へいき。俺、つよいもん」
「そっか」
三人でぎゅっと固めるように抱きしめ合った。
本当に暖かい。混ざりあっているように。
「明日、なに食べたい。別に熱下がったし腹もおかしゅうないいうて我慢せんでええて言うてはったよ」
「スパゲッティ!」
「オムライス!」
「よし、じゃあ、両方作ったろ」
「本当!」
「すごい!」
もう帰らなくてはいけない。国俊と今日はゆっくり風呂に入って、明日の準備をして二人だけで寝るのだ。
いつも三人で寝ているあの部屋で。
「ばいばい」
先ほど着替えた蛍丸の着替えを持って、扉を閉めた。
ゆっくりと、国俊が手を握ってくる。
「帰ろうぜ、国行」
「せやな」
ゆっくりとした足取りで、自分のすこしだけ前を歩いて、手を引くように、小さな背中が先を行く。
いつか、この背中たちにも追い抜かされて、置いていかれてしまうのだろう。
また、自分だけが、置いて行かれてしまうのだろうか。
「帰ったら、風呂入ろうぜ」
「うん」
「一緒にだぞ。背中流してやるよ」
「ははは、ありがたいなぁ」
「蛍、元気そうでよかったな」
「ああ」
「だからさ、国行」
「大丈夫だって!」
車の前まで、誘導してくれて、自分がロックを外すと慣れた仕草で助手席に座る。いつもは国俊と蛍丸で後ろの席に座るけれど、二人だけの時は必ず助手席だ。助手なんてしてくれへんのにな、と憎まれ口をたたくと、二人とも同じように頬を膨らませて背中を叩く。
「せやな」
「大丈夫。帰ろう、国行。明日はまた三人で」
「おう」
ハンドルを握って、顔を上げられなかった。
小さな手の平が、背中を撫でる。昔は自分の掌の半分にも満たなかったのに。おむつだって自分が替えてやっていたのに、いつの間に、二人とも、こんなにしっかりしてしまったんだろう。
いつ、自分が必要なくなってしまうだろう。二人の小ささに付け込んでいるのは自分のほうだ。こんな優しい子に、いつの間に育ったのだろうか。
「めがね、外せよ」
そういって両手でそうっと外される。顔を見られるわけにはいかなくて、国俊をぎゅっと抱きしめた。
「オレたちが大きくなったら、楽させてやるからな」
「おう」
「蛍は強いから、大丈夫。オレだって病気になんて負けないぜ。国行は心配性だな」
「知っとる」
「でも、まだ、オレたち小さいから、国行、頼むよ。そばにいてくれよな」
「当たり前やろ」
「嫌やって言われたかて、離れてなんてやらんからな」
へへへ、と笑った国俊の両手が、国行の両頬を掴んだ。
「泣き虫」
「泣いてへんわ」
「大人も泣くんだな」
「中身はガキのまんまやからな」
そっと眼鏡を返された。はーっと深く息をつく。
「帰るか」
「おう」
帰りにスーパーに寄って明日の夕食の材料を買っていこう。パスタはまだストックがあったはずだが、ミートソースの材料があった自信がない。オムライスも、久しぶりにきちんとチキンライスから作ってやろう。野菜はなににしようか。安ければブロッコリーをゆでるくらいでいいのだが。ポテサラを一緒に出してやったら、チョロイこいつらはなんでも一緒に食べてくれる。
苦しい夜を越えるのは、もうあの日以降一人じゃない。
明日を待つのも、孤独じゃないのだ。
明日は、いつも二人で入らせている風呂に三人で入って、先に寝かせているけど久しぶりに三人でくっついて寝よう。
そのためだけに、生きるだけの価値がある。
二人がいてくれる。
それだけで、明石国行は、今日も明日も、生きたいと願うのだ。