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    しおり
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    しおり
    寝子可愛がり「お前さんが調子悪そうなのも珍しいな」
    誰かからそう声を掛けられることを意外に思わない程度には、自分の顔色が良くないことを自覚していた。
    「そう聞いてきたのはきみで四人目だよ、リージョン」
    微苦笑を浮かべ、ドクは声の主を振り返った。食堂の扉を潜ったドクと丁度すれ違う形で出て行こうとしていたリージョンは呵々と豪快に笑ってドクの肩を叩く。
    「たまには自分を労ったって罰は当たらんだろうさ。この際長めの休暇を取ったらどうだ?」
    「考えておくよ。先日の遠征から、どうも疲れが取れなくてね」
    任務そのものは、特別過酷だった印象はない。無論楽な仕事ではなかったがそれはいつものことだ。その程度で音を上げる程ヤワな鍛え方はしていない。
    考えたくはないが、寄る年波には勝てないということなのか。
    「……ふぅん?」
    リージョンはドクの愚痴に少し首を傾げると食堂の出入り口から脇に避け、ドクの背後に回った。
    「リージョン?」
    振り向こうとして肩を掴まれたため大人しくしておく。リージョンは肩を掴む手とは逆の手でドクの背中をトントンと数度軽く叩いた。ノックのような強さで痛くはない。
    「うん、確かにちょっと気の廻りが良くないな。こりゃたぶん……」
    独り言に近い声量で零された呟きに何事かと問い返そうとした時、ドクの目の前の扉が開き食堂に一人男が入ってきた。
    「おうエコー、丁度いいところに来たな」
    リージョンがドクの肩越しに声を掛けると、名を呼ばれたエコーは胡乱な色を隠さない視線を此方に向ける。ドクを視界に入れた途端、彼は普段余り表情を変えない目をぎょっと見開いた。
    「……何背負ってるんだ、あんた」
    「いや、これは」
    確かに背後にリージョンが居て、自分を挟んで声を掛けているから背負っているように見えるのかも知れない。事情を話そうとしたが、リージョンがそれを遮った。
    「最近不調が続いてるんだと。面倒見てやってくれないか。こういうのはお前さんの得意分野だろう」
    「断る」
    にべもなく一言で切り捨てて立ち去ろうとするエコーにリージョンがすかさず追い縋る。
    「薄情なこと言うなよ!お前さんだってドクには何度も世話になってるだろ?恩返しするチャンスだぞ」
    「言っとくが得意分野なんかじゃないし、あれは身に余る」
    「だが放っておいたらただじゃ済まんだろう」
    「……」
    眉間に皺を寄せ黙り込むエコーを見てドクは堪らず口を挟んだ。
    「私は傍から見てそんなに深刻そうに見えるのか?」
    医術を齧る端くれとして、自分の体の状態は正確に把握している筈だ。しかし彼らは自分が一刻を争う容体であるかのような様子である。
    「あんた見えないのか」
    「そんなに深刻じゃないさ」
    同時にエコーとリージョンが全く逆の発言をして少し混乱する。
    「? どっちだ?」
    ドクの前で二人は暫し無言のまま顔を見合わせ、結果根負けしたのはエコーらしかった。海よりも深く冬の夜より長い溜め息を吐き、首を縦とも横ともつかない角度で振る。
    「……後始末はあんたがやれ」
    「もちろん」
    景気付けるようにリージョンはエコーの背を勢い良く叩いた。

    日没よりも少しだけ早く、エコーはドクの部屋を訪ねてきた。
    片手に私用端末を抱えた私服姿の彼は入室するなりソファに陣取り端末を広げると事情聴取を始めた。
    いつから不調が続いているのか、具体的にどの部分がどのように悪いのか、いつも患者相手にしている問診を受ける側になるのは中々妙な気分になる。先の遠征任務を契機に調子が悪いことを伝えると、エコーは端末を睨み付けていた視線を初めて此方に向けた。
    「……任務先は?」
    抑揚の薄いエコーの声音が一段低くなったことに気付き、これがこの異変の核心なのだと悟る。ドクは若干身構えながら某諸島の名を答えた。
    「現地の感染症等ではないはずだ。任務に参加した者全員予防接種は受けているしその後の検査でも陽性者は出なかった」
    「だろうな」
    エコーは興味を失ったようにドクから目を逸らしまた端末の画面を覗き込む。操作していた指先で、皺が深くなるばかりの眉間を押さえ俯いた。
    「どこが深刻じゃないんだ、くそ……」
    「なんの話だ?そろそろ教えてくれ」
    痺れを切らしたドクが促すと、エコーは重苦しそうに口を開いた。
    「あんたには俺の指示に従ってもらう。異論はなし、例外もなしだ。俺が何について話しているのかは」
    エコーは言葉を切って視線を部屋唯一の扉へ投げる。彼にしては珍しく、少し緊張しているようだった。
    「……来たら分かる」

    エコーの『準備』を、ドクはただ黙って眺めていた。否、呆然と表現した方が近いかも知れない。淡々と無駄なく、拠点防衛訓練の時と寸分変わらない手際の良さで準備を進めている。何をしてるのかはさっぱり分からないが。
    扉や窓は閉め切られ鍵を掛けた。窓にはしっかりカーテンが掛かり外は見えなくなっている。更に部屋の隅には小皿に盛られた塩が置かれ、テーブルには懐中電灯となんの変哲もないノートとペンが用意された。
    「ドク」
    どうやら準備を終えたらしいエコーがドクを手招きする。大人しく近寄ると部屋の中央に置かれているソファに座るよう促された。ドクが座ったのを見届けて、エコーは立ったまま腕を組んだ姿勢で言葉を続けた。
    「今日はここで夜を明かす。夜が明けるまであんたが守るべきことは三つ。声を出すな。部屋から出ようとするな。何が起きても反応するな。分かったか?」
    「もしそれを守れなかったら?」
    言うなり不機嫌そうな目に思い切り睨み付けられた。
    「あんたが患者に同じことを聞かれたら、こう思うだろ。黙って言うこと聞け馬鹿野郎」
    「……悪かったよ」
    「守れなかった時のことなんか考えたくもない。今より状態がずっと悪くなるってことだけははっきりしてる」
    エコーは口を閉じソファの隅に座るとまた端末を弄り始めた。話は終わりだということだろう。
    何だか妙なことになってしまったと思うのも何度目だろうか。
    「さっきの三つを守れるなら何をして時間を潰してもいい。何かどうしても言いたいことがあるなら筆談を使え。寝て過ごすのが一番早く時間が過ぎるぞ」
    「こんな状況で眠れる程図太くはないよ」
    そう答えるとエコーはふ、と鼻で笑った。

    何事も起こらず、ただ静かな夜が更けていった。エコーも隣で黙って端末を弄っているだけで特別何かをしようという様子はない。あんなことを言った手前だが、余りに何事もなさ過ぎて軽い眠気を覚え始めていた。
    「眠いなら寝てろ」
    欠伸を噛み殺し損ねたのを悟ったエコーに促され、ドクは躊躇しながらも抗い切れず「何かあったら起こしてくれ」と言い残して瞼を閉じた。遠征任務を終えて基地に戻ってから此方、体の不調が邪魔をしてまともに眠れていなかったという事実も手伝って、ドクはソファに座った姿勢のまま眠りに落ちていった。
    意識が浅い場所と深い場所を行ったり来たりしている。ここ数日は深夜近くになるとやけに眠りが浅くなって寝苦しかったが、今夜はそれがない。寝方を変えたからだろうか、それとも傍に人が居るからだろうか。
    夢の一部のようにあやふやな思考を半分眠っている頭の中で巡らせていると、体がかくんと舟を漕いだ。その拍子に瞼が開いてしまう。もっと中途半端で心地良い微睡みの中に身を浸していたかったが体は反射的に覚醒へ導かれドクは俯けていた頭をゆっくり持ち上げた。
    途端、口元を掌で覆われる。手を辿っていくと反対側の手の人差し指を立て口の前に当てているエコーと目が合った。ドクが頷いたのを見届けて掌は離れていく。触れていた手は意外な程体温が低かった。
    いつの間にか端末は閉じられテーブルに置かれており、代わりにエコーは手元の小型モニターを覗き込んでいた。
    『準備』の段階でエコーが部屋前の廊下にドローンを仕込んでいたのは見ていたので知っている。彼手製の光学迷彩ドローン二機は消灯され薄暗い廊下を映し出している。が、やけに映像が粗い・・
    時折不明瞭なノイズが走る上、映像そのものも色彩情報が欠如したかのように褪せている。以前訓練中に見せてもらった際はそんなことはなかった筈だ。電波が悪いか、ドローンの調子が悪いかとも推測したが、基地の敷地内で、彼手ずからメンテナンスを施されたドローンにおいてそれはあり得ないことだった。
    中継映像の不調に、エコーは訝る様子はなかった。代わりに眉間に深く皺を寄せモニターを眺めることを止める。
    顔を上げたエコーに手振りで何事かと問うと、ノートをドクの手に押し付けページの隅にペンで端的な結論を書いた。
    「もう来てる」
    何が、と問い返す前にノックの音が室内に転がり込んできた。音のした方に顔を向けるが、信じられない気持ちの方が強かった。
    つい先程、ドローンからの映像で廊下が無人であることは確認している。誰かが近寄ってきた気配も足音もしなかった。まさか、と思うドクの思考を否定するようにもう一度ノックの音が響く。何かが壁や扉にぶつかって偶発的に鳴った音ではない。確実に人が手の甲を使って扉を叩いている。
    エコーの顔を見ると彼は緩慢な瞬きを一つして見せた。驚いてはいない様子だ。彼には予期出来ていた現象なのだろう。
    部屋の外で人の気配がする。何人かは分からない。一人や二人ではないことは確かだった。口が乾いている。果たしてこれは現実なのだろうか。
    暫くするとノックは止んで、再び静寂が訪れた。眠気は跡形もなく吹き飛び、ドクはゆっくりと慎重にソファの背凭れに背を押し付け体から力を抜こうとする。
    次の瞬間、ドンドンと先程より強く扉を殴打され体が跳ねそうになった。人の気配もよりはっきりと感じ取れる。よくよく聞くと人の話し声のようなものも聞こえたがくぐもっていて何と言っているのかまでは分からない。
    しかし外に居る気配らがドク達の居る室内の様子を伺い、どうにかして中に入ってこようとしていることだけは分かった。
    息つく暇もなく今度は背面に当たる窓に何かがぶつかった。分厚い遮光カーテンの向こう側で何かが蠢く気配がする。ぺたぺたと音がするのは掌で窓ガラスを触っているのだろうか。
    時折窓枠を開けようとして縁がガタガタと音を立てるが、ガラスを割ってまでは入ってこようとしない。
    部屋のすぐ傍を複数の足音が通り過ぎていく。壁の向こうは隣室になっており今は誰も使っていない筈にも関わらず、足音は壁も部屋もないもののように慌ただしく走り抜け、或いはゆっくりと壁一枚向こう側を歩いて行く。敵の伏兵に自陣を取り囲まれた時の焦燥から冷や汗が滲み、じとりと背筋を濡らす。背凭れに寄りかかる気も起きなかった。
    いつしか気配は遠のき、また静寂が戻る。だが扉の外の『奴ら』が諦めたとは到底思えず、ドクは息を殺したまま扉を見つめていた。
    時刻は漸く深夜帯に差し掛かろうとしている。リミットである夜明けが恐ろしく遠く感じた。
    隣に座る男にちらと視線をやるが、彼は扉でも窓でもなく、部屋の隅に置いた盛り塩をじっと見つめていた。
    まんじりともせず酷くゆっくり時間が過ぎて行く。普段なら遠くから聞こえてくる人の生活音も今日は何も聞こえない。正真正銘、自分とエコーの息遣いしか聞こえてくる音はなかった。
    アレは一体何なのだろう。人でないことだけは分かるが、それだけだ。ゴーストやモンスターの類なのか、だとしたら何故エコーは『奴ら』の対処法を知っているのか。
    人ならざる存在が、何故自分を狙うのだろう。
    傍らに座って石のように動かない男に問えば答えは返ってくるかも知れないが、少なくとも今その問答をするのは利口なことではないらしい。
    こつん、とまた扉を叩く音がする。しかし今回はそれだけではなかった。
    「よう、調子はどうだ?」
    扉の向こうから聞き覚えのある声がする。少ししゃがれた楽観的な男の声。ドクが答えずにいるとリージョンの声はそのまま続けた。
    「一晩部屋に缶詰ってのも息が詰まるだろ。あいつらももう諦めたようだしちょっと息抜きしないか」
    困惑を隠せず滲ませた顔をエコーに向ける。無音で眉間に皺を寄せた彼は渋い表情のまま首を横に振った。
    奴ら人を騙るのか。
    それも自分が知っている相手の声を真似て、外へ出そうと唆している。ある種動物的とも言えたこれまでのアプローチと異なり、完全な悪意で以ってこちらに揺さぶりを掛けてくる行動にぞっと怖気が立った。
    「……なあ、聞こえてるか?居るんだろ?分かってるぞ」
    リージョンの声が一段低くなる。否、低くなった訳でなく、解けた・・・
    声帯が人のものからそうでないものへ。同僚によく似ていた声は声とすら認識出来ない濁音に取って代わった。
    「開ケろ、出てこイ、逃がさンぞ」
    頭の中に耳障りな音がわんわんと鳴り響く。余りの非現実的な状況に気が遠くなりそうだった。いっそのこと、気を失ってしまえた方が良かったのかもしれない。しかしこの現状にエコーを一人置き去りにする気にはなれず、ドクはソファの肘置きに爪を立てて何とか意識を保った。
    エコーは瞼を強く閉じ、両手の指同士を合わせて口の中で何事か呟いている。漏れ聞こえてくる言葉はドクには預かり知らない言語で、呪文のように聞こえた。先程と比べて明らかに顔色が悪い。力を込めて白くなっている指先も細かく震えている。
    いつも何処か俯瞰的で物事を一歩引いて見ている傾向のあるエコーのそんな姿を見るのは初めてのことだった。只事でない様子のエコーに心配の言葉をかけることも禁じられていて出来ない。
    今の自分に出来ることはただ黙してこの状況に耐えることのみで、それが歯痒かった。
    どれ程時間が過ぎたのだろう。一晩中緊張状態が続いたドクの心身は疲弊し朦朧とし始めた。普段の任務なら二日三日不眠不休だろうがさして行動に支障は出ないが、今回の出来事は全てが余りに常軌を逸し過ぎている。慣れない状況に一晩置かれ、ドクは失神時に近い眠気を覚え始めていた。
    エコーは言葉を唱えることを止め、ただ静かに目を閉じている。眠っている訳ではないのは周囲を取り巻く張り詰めた空気から容易に察せた。
    カーテンのせいで窓の向こうの空がどれだけ白んでいるかも分からない。絶えず鳴り響き続けていたノックや足音も今は途絶え、外は不気味な程静まり返っていた。
    その時、扉を外からノックする音が聞こえ、ドクは俯けかけていた顔をぱっと持ち上げそちらを振り返った。
    「待て待て、俺だ。約束の時間になったから開けるぞ」
    聞き覚えのある声がそう言って外側から解錠される音がする。思わずソファから腰を浮かしかけた中途半端な姿勢のまま、呆気無く扉を開けて室内に入ってきたリージョンの姿を認め、ドクは無意識に詰めていた息を吐き出した。
    「おはようさん、二人共無事で何より」
    ひらりと気楽に片手を上げる男に答えるより先に、それまで何が起ころうが不動を貫いていたエコーが突然立ち上がり一目散にバスルームへ駆け込んだ。
    何事かとエコーの背中を見送るドクに「もう喋っていいぞ」と一声掛け、リージョンはのんびりとエコーの後を追う。
    エコーは便器の前で体を折り、嘔吐していた。激しく咳き込んでは胃を空にする勢いで吐瀉している。リージョンはそんなエコーの背中を擦ってやっていた。
    「よく頑張ったなあ、お疲れさん」
    嗚咽の合間合間に日本語で罵倒らしき言葉をこぼしながら、エコーは背中を撫でるリージョンの手を振り払う。リージョンは特に気にした様子もなくエコーから離れるとドクを呼び寄せた。
    手振りで問い掛けようとして、もう喋っていいのだと思い出した。酷く乾いた唇を舌で湿して、一晩振りに声を出す。
    「エコーは大丈夫なのか?」
    ドクの問いにリージョンは軽い口調で答える。
    「障りに触れて体内に溜まった穢れを吐き出してるだけだ。気が済むまで吐いたら治まる」
    ドクにはリージョンの言っていることの半分も理解出来なかったが、エコーが深刻な状態でないということだけは信じて良さそうだったため、僅かに肩から力を抜いた。
    「お前さんこそ、調子はどうだ?」
    問われて初めて、自分の体に原因不明の不調が綺麗さっぱりなくなっていることに気が付いた。妙な緊張状態を保ったまま一晩徹夜した疲労は確かにあるが、それでもここ数日の気怠い重さが消えている。
    答えるまでもなく、ドクの表情で言いたいことは察したらしいリージョンは鷹揚に笑って頷いた。
    「それならいいさ。エコーが体を張った価値があった」
    ドクは一晩腹の中に溜め込んだ山程ある疑問を矢継ぎ早に並べ立てた。
    「リージョン、昨夜のアレを、きみも知っているのか?アレは何だったんだ?アレは何故私のところにきたんだ?」
    「うん、まあ当然の疑問だな。一から話すと長くなるんだが……」
    その時のっそりとバスルームからエコーが出てきた。明らかに憔悴しているが、ソファに座っていた時よりも顔に血色が戻っている。
    「エコー!大丈夫か?」
    「……大丈夫なように見えるか?」
    駆け寄り支えようと手を差し伸べるドクをエコーは手振りのみで押し止めた。
    「俺は寝る。何か聞きたいことがあるならそいつに聞け」
    まるで両足に重りでも付いているかのように、エコーは気怠げに部屋を出て行った。取り残されたドクの肩をリージョンは気安く叩いた。
    「食欲はあるか?朝飯でも食いながら話そう」

    まだ朝も早い時間帯だからか利用者の疎らな食堂の隅の席を陣取り、寝不足の胃でも受け付ける軽い朝食を突付きながら、リージョンは雑談でもするような口調で口火を切った。
    「オカルトは信じるたちか?」
    普段余り会話に登らない話題であった為、ドクは二度瞬きをした後リージョンがした問いに付いて考えた。
    「あまり……自分自身そういったものは見えたことがないし、そっち方面に明るい知人も居ないから、よく分からない、と言った方が正しいかな」
    学生時代は級友とそんな話もした気がするが、信憑性の薄い与太話が殆どだったし、ドクはどちらかと言えばそれらの現象に対し科学的根拠を見つける楽しみ方をしていた口だ。
    「そうか。だとしたら今回の件は驚いたろう。よく言いつけを守れたな」
    「あれ以上あの部屋に閉じ込もっていたらどうだったか分からないけどね」
    理解の範疇を超えた現象に終始喉元を掴まれている心地だった。あれ以上あの部屋に留まることを強いられていたら我慢出来なかっただろう。
    「薄々察してはいるだろうが、お前さんを一晩中狙ってたアレのせいで、お前さんは体調を崩していた。霊障というんだが、これはいくら外側から原因を探してもそれらしいものは見つからない。だが放っておくと日に日に症状は悪化していき、じわじわと弱っていくんだ」
    「……あのまま放置していたら、命に関わっていた可能性があるということかい?」
    「そうだな。特に今回のは力が強そうだった。アレらの強さとは即ち悪意だ。抱えた恨みや憎しみが強ければ強い程、及ぼす影響は大きくなるし、人を死に追いやることだって容易い」
    リージョンの声を騙って外へ出るよう唆してきた存在を思い出す。ただよく分からないものが外に居る、と思うよりも、悪意と知性を持ったものが自分を執念深く付け狙っていると思う方が余程肝が冷えた。
    「……アレは何故私狙った?人ではないものに殺される程の恨みを買った覚えはない」
    「アレは生きた人間の常識とは違う動機で動いてる。我々にしてみれば取るに足らないものだったとしても、奴らにはそうではないかもしれないというだけの話だ」
    「アレは、この世からもう消滅したのか?」
    「いいや、あそこまで強く残ってるものだと本職じゃないエコー一人で祓うのは無理だ。俺もそっちは専門外だから力になってやれないし。元の場所に戻るよう誘導するのが精一杯だろう」
    「じゃあ、まだこの世に居るのか……」
    「そうだな。今回はお前さんを足掛かりにここまで来たが、良くない縁はエコーが切ったから心配は要らんだろう」
    「消えてない、ということは、その、今後も私のような被害者は出続けるということなのか……?」
    ドクの躊躇いがちな問いに、リージョンは手にしていたカトラリーを置いて首を振った。
    「それだな。お前さんのそういう、利他的な部分がアレを呼び寄せたんだ。……任地で墓や慰霊碑を見なかったか?」
    「え?あ、ああ……確かに記念碑の近くを通ったよ。現地のガイドに簡単な説明をしてもらったから覚えてる。だがそれだけだ。一度しか通っていないし今の今までそれのことはすっかり忘れてた」
    先の大戦でこの離島に派遣されたが、本国からの支援が切れ、孤立してしまった兵士らの為に建てられた碑だと現地のガイドに聞いた。比較するのも馬鹿らしくなる程の戦力差、枯渇する一方の弾薬や兵糧、四面楚歌という言葉が生ぬるく感じる状況下で、それでも最後の一人まで降伏せず、結果小さな島の浜辺は一面赤く染まった。それを言い伝える歌が島には残っているという。
    「一度だろうが、百度だろうが、アレには関係のないことさ。アレは最早無差別に生者を憎んでる。お前さん、慰霊碑に祈っただろう。それも同情に近い形で」
    普段穏やかな光を灯す暗い色合いの瞳がドクの胸中を浚うように細められ、後ろめたいこともない筈なのにぎくりとする。
    「……否定はしない。母国から見放され、ただ敵軍から蹂躙される他ない状態で最後の一人まで戦った兵士たちの冥福を祈った。だがそれが?誰だってし得ることだ。現に、他の仲間もそうしていた」
    「同情は良くない。向こうに付け入る隙を与えるようなもんだ。目に見えないものがそこに居ることを認めるっていうことは、向こうからもこっちが見えるということだ。大概の奴はこっちに気付いても何もしてこないが、そうでない奴も居る。……今回のがどちらだったかなんて言うまでもないだろう。アレはこちらに心を傾けるお前さんを同じ場所に引きずり込もうとする」
    「……引きずり込まれたらどうなる?死ぬのか?」
    「さあ?ただ、死ぬより悲惨なことになるのは確かだ」
    その言い回しをドクはどこかで聞いた気がした。
    「しばらくは、もし深夜に誰か訪ねてきても扉は開けるな。残滓のようなものだから、お前さんが扉を開けないと強く思っている限り入れはせん」
    「……そういうものなのか」
    「今回のはな」
    水を一口飲んで、リージョンは続けた。
    「無法に見えて、その実アレらは多くのルールに縛られて存在を維持している。裏を返せば対処の仕方を間違えさえしなければ抜け道はあるということだ。だからこそそのルールを破らせようと外から揺さぶるんだ。あらゆる手段を使ってな。アレらに人の世の道徳も倫理も関係ない。目的を果たす為なら何でもするぞ」
    自分が生唾を飲む音がやけに耳につく。初めは半信半疑で聞いていたが、リージョンの淡々とした講義のような語り口はどこか妙な説得力があった。

    朝食を終え、エコーの部屋を訪ねる。ノックをしても返答はなかったが、リージョンは気にした風もなく当然のように懐から鍵を取り出して扉を開けた。
    「なぜエコーの部屋の鍵を?」
    今朝は予め自分の部屋の鍵を渡していたためリージョンが入ってこれたことに驚きはなかったが、エコーの部屋の鍵まで持っているとは。
    「後始末を任されたからな」
    「後始末?もう終わったんじゃ……」
    リージョンは呆気なく開いた扉の先へ一歩踏み入ってからドクの方を振り返る。室内は薄暗く、リージョンの顔も陰ってよく見えなくなった。
    「お前さんはどうする?」
    「どう、とは?」
    「入ってくるか?」
    わざわざ問われる意味が分からず戸惑いながらもドクは迷いなく頷く。別れる間際の憔悴した様子のエコーが気がかりだった。このまま部屋に戻って寝直す気にはとてもなれない。
    「そうかそうか」
    薄闇の中リージョンが笑った気配がする。手招きされて、ドクは部屋の中へ足を踏み入れた。消灯され、窓にはカーテンが降りた状態でもうっすらと室内の様子は見て取れる。部屋の隅の無個性なシングルベッドの上でこんもりと膨らんでいるシーツの塊にリージョンが歩み寄り声を掛けた。
    「エコー」
    リージョンの言葉でシーツの塊が解け、中から青い顔が覗く。間近に居るリージョンと、少し離れた位置から様子を伺っているドクを認め、億劫そうに瞬きをした。
    「……なんであんたまで居るんだ、ドク」
    声に覇気がない。まるで重度の病人のような有り様にドクは衝撃を受けた。
    「お前さんが心配なんだと」
    「余計な世話だ……」
    ベッドの上で仰向けに体を横たえたエコーはつい先程ドクの部屋で別れた時から明らかに容態が悪化している。ドクは表情を険しくさせた。
    「で、どの辺だ?」
    「……腹、へそより少し上」
    エコーの言葉を受けリージョンはエコーの首筋に指を当て、脈を測るような素振りを見せた後、触れる位置を下げていき腹の辺りを指先で軽く突いて何かを探っている。昨日食堂で自分に対しても同じようにしていたことを思い出す。
    「それは、何をしているんだ?」
    「気の廻りが滞っているところを探してる」
    「気……?」
    「ああ、ここか。ちと痛むぞ」
    エコーが浅く頷いたのを見届けて、リージョンは静かに吸った呼気を鋭く吐き出すと同時にエコーの腹の鳩尾より少し下の辺りを掌底で強かに突いた。
    「が……ッ!」
    「リージョン!?」
    まさか病床の人間を殴るとは思わず信じられない気持ちで体を丸めて咳き込むエコーの肩をさする男の顔を見る。
    「手荒だが、泥で道が塞がっちまったらまずそれを退けなきゃならんだろ」
    「だからって……」
    自分で体を起こすことすらままならない相手に対してよく躊躇も遠慮もなく出来たものだと呆気に取られる他ない。
    「どうだ、まだ苦しいか?」
    「いや、大分いい。……助かった」
    「そうかい、そりゃ何よりだ。寝れそうなら寝るといい。見ててやるから」
    エコーは細く長く息を吐き、ふっと体の力を抜いたかと思うと落ちるように寝入ってしまった。
    「……気を失ったのか?」
    「体力も気力も限界だったんだろう。今回は相当無理をしたみたいだ」
    寝息も零さず眠る窶れた男の顔をリージョンはそっと指の甲で撫でる。触れ方が同僚の域を越えている気がして、ドクは声を潜めて問いを投げた。
    「その、二人はどういう関係なんだ?」
    ドクの問いにリージョンはきょとんとした後無邪気にすら見える顔付きで笑った。
    「はは、お前さんが想像してるような関係じゃないのは確かだ。特別言葉にするような間柄でもないんだがなぁ」
    「だが、話を聞く限り、こんなことは初めてじゃないんだろう」
    「ああ、違う違う。誤魔化そうとしてるわけじゃない。そうだな……あえて言うなら利害の一致だ」
    リージョンはふと笑みを収め、視線をドクから脇へ逸した。どこでもない場所を見つめ、自分の中の記憶を遡っているらしかった。
    「エコーがドローンにこだわる理由を知っているか」
    唐突な話題転換に戸惑いつつ首を横に振る。エコーはそもそも自分のことを余り話したがらない。特別親しいとも言えない間柄の自分では直接聞いたとしても答えてはもらえないだろう。
    「カメラ越しなら余計なものが見えない・・・・からだそうだ」
    「……見えない?」
    「肉眼だと咄嗟に生きてるものとそうでないものの見分けが付かないことがよくあるらしい。『自分の目よりカメラの方が余程信用できる』と言っていたよ」
    「そんなにはっきりと見えるものなのか」
    「ここまで見える奴は滅多に居らんな。エコーは特別そういう感度が高いせいで、こうして良くないものに障ると気の廻りが狂って体調を崩すんだ。一年くらい前、今回程じゃあないが、エコーが厄介なのに目を付けられたことがあってな。見かねて手を貸したのがきっかけだ」
    生来エコーはあの手の「人ならざるもの」が日常的に見え、かつ引き寄せ易い体質であるらしい。当人が望むと望まざるとに関わらず寄ってくるのだという。
    エコーの霊媒体質をリージョンは「陰の気が強い」と表現した。
    「逆に俺は、陽の気が強過ぎるみたいでな。その手の奴らからは嫌われてる」
    リージョンはエコーとは真逆の性質を持っている。「人ならざるもの」は気配程度しか感知出来ず、向こうがリージョンの陽の気質を忌避し避けるのだと述べた。その効果は自分自身のみに限らず、傍にいる人間にも有効な話であり、エコーに近寄ろうとするそれらをたびたび追い払ってやっているらしい。
    「そういうものが見えない分、生き物の気の流れなんかを視るのには苦労しないが」
    「さっきも言っていたが、その気というのは?」
    「平たく言えば自然物や生き物の体の中に流れるエネルギーみたいなもんだ。生きてるものなら量は違えど皆持ってるし、無意識のうちに大地や食いもんなんかから気をもらって生きてる。よく分からないなら、目には見えない血液と思えばいい。エコーはそれに過敏というか、周囲から影響を受けやすいというか、穢れに障ると気が上手く廻らなくなるから、ああやって気が通る道を確保してやらないといけない」
    分かったような分からないような気分でリージョンの話を聞いていた。これまで自分が触れてきた医学とは全く別の次元の話である。
    「俄には信じ難い話だ」
    「だろうなあ。東洋でも殊更旧い思想のうちの一つだ。本当の意味で扱える奴なんて世界に何人居るのやら」
    「きみは違うのか」
    「俺のレベルじゃあ、心得があると胸も張れんよ。元々あったら何かと便利そうだと思ったから少し齧っただけで、その道を極めるつもりもなかったからな」
    リージョンは語り終えると徐ろにベッドから腰を上げた。
    「この部屋何もないな。水と軽い飯くらい用意しといてやるか。食堂で何かもらってくるから、その間エコーのこと見ていてくれるか」
    「ああもちろん」
    「助かる。ああ、鍵は持って行くし開けなくていいからな」
    リージョンが部屋を出ていき、途端に室内は身動ぎするのも気を使う程静まり返った。用心深くエコーが横たわるベッドに近付き様子を伺うと、微かに寝息が聞こえてきて彼がきちんと呼吸をしているのだと分かる。余程深く寝入っているのか特に気配を殺すことなくドクが近付いても起きる気配はない。
    そっとシーツの端をめくり、力なく投げ出されている手首から脈を取る。気とやらが滞っていた影響なのか、伝わってくる一定のリズムを刻む感触は成人男性の平均よりも弱く遅い。指先はドクのそれより冷えていたが、少しずつ体温は上がってきている様子ではあったためそっと安堵から溜め息を吐いた。
    この半日、余りに訳の分からないことばかりが起き過ぎた。エコーの体温と脈が健常時のそれに戻り、十分な休息を経た彼が目を覚ます頃には、この非日常も終わりを告げるのだろうか。
    何もない部屋で出来ることというのも然程多くはなく、ドクは自身の知見からエコーの容態を一から丁寧に確認していった。力の入っていない手をシーツの下へ戻し今度はシーツの上からエコーの鳩尾辺りを探る。当然だが触ってみても気の存在は感じ取れない。ただそこに皮膚と骨と、それらに包まれた血肉があって、弱々しくはあるが正しく機能しているのだろうという程度しか分からなかった。
    思考に沈むドクの耳に控えめなノックの音が届き、はっと顔を上げた。出口のない思考を中断し出入り口を振り返ると、もう一度同じ音が扉の向こうから聞こえてくる。
    「すまん、俺だ。両手が塞がってるから開けてくれないか」
    聞き慣れた声に知らず体に入っていた力を抜いてベッドから立ち上がり、部屋唯一の扉へ歩み寄る。暫くは何でもない筈のノックの音にも過敏に反応してしまいそうだと苦笑しながら扉に伸ばした手を、背後から突然掴まれた。
    同時に口を塞がれ驚きから漏れた声はくぐもった音になる。
    「……開けるなと言った筈だ」
    低く掠れた声が耳元で聞こえる。声の主はドクを扉の前から引き摺って距離を取らせてから漸く解放した。
    「……エコー、起きて大丈夫なのか」
    「なわけないだろ」
    どのタイミングで目を覚ましたのか、相変わらず顔色は青いままエコーはドクではなく扉を睨みつけている。
    扉の向こうの気配は暫く黙っていたが、こちらに扉を開ける気がないことを察するとはっきり舌打ちをして遠ざかって行った。身動ぎも出来ないまま気配を辿っていたが、隣でエコーの体が傾いだため慌てて崩折れる背中を支えた。
    「エコー!」
    「あいつ……リージョンは?」
    「水を取りに行ってまだ戻っていない」
    朦朧としているエコーをベッドに寝かせる。一瞬の出来事だったように思えたが、エコーは背にじっとりと冷や汗をかいていた。
    「さっきのは、昨夜のアレなのか?もう諦めたんじゃなかったのか」
    憔悴したエコーに喋らせるのも気が引けたが、黙っている不安感が勝り独り言に近い大きさで呟くと、気怠そうに閉じられていた瞼が薄く開いた。
    「今のは、あんたを狙ってきたわけじゃない……」
    「じゃあどうして……」
    言いかけてはっとする。この部屋に自分を狙ってきたのではないのなら、残る選択肢は自ずと一人だけだ。
    「アレは何故きみを狙う?きみはアレと直接関わりはない筈だ」
    「……かもな」
    それ以上話すのが億劫なのか、エコーは目を閉じて黙り込む。数分もしない内に寝息が聞こえてきた。
    程なくしてリージョンが戻ってきた。外側から開いた扉に一瞬ぎくりとするが、水と軽食を抱えたリージョンの姿を認めほっと肩から力を抜く。
    「すまんすまん、待たせたな。俺が居ない間変わりはなかったか?」
    「一度訪ねてきた」
    リージョンは特別驚かなかった。相槌を打ちながらベッド脇のチェストの上に水を置き、エコーの額に掌を当てる。
    「扉を開けなかったんなら上出来だ」
    「いや……エコーに止められなかったら騙されていた」
    「そうか」
    ドクの懺悔を聞き責めるでもなく朗らかに笑うリージョンの普段と何ら変わらない空気は無条件にドクを安堵させた。
    ベッドの端に腰掛け、眠るエコーの顔にかかった前髪をそっと避けるリージョンの指先を眺めながら、ドクは胸中に残っていた疑問を吐き出した。
    「さっき聞きそびれたんだが、リージョン、きみの利点は何だ?」
    「うん?」
    「きみとエコーの関係のことを、はじめに利害の一致だと言っただろう。エコーがきみの傍にいることで利があるのは分かった。だが逆は?きみがエコーと関わることで何か利益が発生するのか?」
    「ああそういうことか。そうだな、確かに目に見える利はないかもしれん」
    リージョンは顎先に手を当てて思案する素振りを見せた。
    「陽と陰の話はもうしたな?陰陽ってのは対極にある。だが無関係という意味じゃない。陽が在るから陰が存在し、陰が在るからこそ陽は意味を成す。切り離すことは出来ないし、互いに惹かれる定めにある」
    「……それは、」
    「惹かれるという言葉の解釈についてはお前さんに任せるよ。俺とこの子はそういう意味で相性が良い。でなきゃ少し齧ったような生兵法で他人の気を動かしたりなんかできるもんか。ここまで容易に干渉してしまえる程波長の合う相手なんてそうそう居るもんじゃない」
    リージョンは静かに笑みを深めて見せた。普段の鷹揚で、誰に対しても隔たりなく親しむ彼とは違うように思えて、ドクは無意識に身構える。じっとリージョンの顔を観察してみても、違和感の正体は分からなかった。だが確実に彼の顔の向こうに何かが蟠っている。
    「……リージョン、きみはエコーをどうするつもりなんだ?」
    「どうもしないさ、少なくとも今はな」
    「必要があれば事を起こすと?」
    「ああ、ドク。お前さん、何か良くないことを想像しているな?俺がこの子を手籠にすると?或いは、体ごと何処かに監禁して自由を奪うとでも?」
    ドクが沈黙で返答すると、リージョンは笑みは崩さないまま肩を竦めた。
    「俺はこの子が嫌がることはしない。誓ってもいい」
    「だが、きみのその執着をエコーが望むとは思えない」
    「おかしなことを言う。俺はこの子が困っているのを助けてるだけだ。無論この子が望まないのなら手は出さん。……まあ、『望まずに居られるなら』の話だがな」
    リージョンは自分の膝に頬杖を付きながら目を狡猾な蛇のように細めて笑う。扉の向こうに気配を感じた時に似た悪寒が、ぞっとドクの背筋を舐めた。
    「無償の奉仕は麻薬と遜色ない。それに慣れてしまえば今のままでは足りなくなるものさ。知る前の生活には戻れん、そうだろう?」
    「何を……」
    「この子はいずれ俺無しでは生きて行けなくなる」
    完全に言葉を失ったドクにリージョンは心底愉快そうに告げた。
    「俺の利は何かと聞いたなドク?――それ・・が答えだ」
    その時エコーが小さく呻いて身動ぎした。緩く顔を振った後うっすらと白い瞼が開く。表情はぼんやりしたままで、半分眠ったままなのだと分かった。
    「ああすまんな、起こしたか?」
    そう声を掛けるリージョンの声は柔らかい。だがドクには最早その優しい声音こそが恐ろしかった。
    「……リージョン」
    「大丈夫だ、何も異変はない。眠っていていい、俺がついてる」
    「……、…」
    リージョンの掌がエコーの両目を覆う。エコーから抵抗はなく、暫くするとまた穏やかな寝息が聞こえ始めた。
    「お前さんには礼を言わにゃならんなぁ、ドク」
    あどけなさすら感じるエコーの無防備な寝顔を眺めながらリージョンは呟く。
    「ありがとうよ、これでまた目的に近付くことができた」
    彼の言う目的が何なのかは聞くまでもないだろう。
    薄暗闇の中、此方を振り返る男の口元が弧を描いているのが見える。そこに居るのは間違いなく見慣れた同僚の筈なのに、得体の知れないものと対峙しているような錯覚がドクの心臓を冷やしていった。
    その感覚を上手く言葉には言い表せない。男の傍らで何も知らず眠るエコーを現状から掬い出すことは、自分には出来ないのだということだけがこの場で唯一明確なことだった。
    亮佑 Link Message Mute
    2022/11/12 13:16:46

    寝子可愛がり

    pixivからの移設です
    #R6S #リジョエコ

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