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    しおり
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    しおり
    みなそこ注意書き

    ・自分設定大盛りグランくん
    ・やりたい放題(筆者が)
    透き通る水は何もかもを暴き出す力を持っているという。

    「ランスロット、そなた恋人は居るか」
    「恋人、……ですか」
    初めて聞く言葉のように、ランスロットはぎこちなくその単語を繰り返した。
    王都フェードラッヘ、その中心である王城の謁見の間、玉座に頂く国王の前で片膝を付いた体勢のまま首を傾げる。
    グランの騎空団に一時的に籍を置き、自国の更なる発展の為遊学していたランスロットは定例報告の為にフェードラッヘに戻ってきていた。
    騎空団の一員として日々忙しく空を飛び回る生活に漸く慣れて来たこと、世界には実に多様な国があり、どの国にも特有の文化と統治が根付いていると学んだこと、その他にも報告書には書き切れないたくさんの経験を得たことを国王に報告する。
    ランスロットからの生き生きとした報告を受けた国王はたっぷりと蓄えた白い髭を撫で満足そうに頷き、ランスロットを労わった。
    そして謁見の主用が終わりランスロットが謁見の間から退室しようとした時、国王は冒頭の問いを投げかけたのだった。
    「いえ、特定の相手は居りませんが……恐れながら、理由を伺っても」
    何分唐突な問い掛けであった為、戸惑いながらランスロットが問うと王は事のあらましを簡潔に述べた。
    事の発端は遡ること一年程前、隣国の姫君がフェードラッヘに外遊へ訪れた際ランスロットの姿を一目見ていたく気に入ったのだという。姫は帰国後その思いを誰にも話さず胸に秘めていたのだが、先月ついにフェードラッヘの騎士団長を務める彼と会って話がしてみたい、と自分の父親、つまりは隣国の国王へ嘆願したのだそうだ。
    そう言った理由で隣国から正式な使者がフェードラッヘに遣わされ、遊学の定例報告で国へ戻った当事者はそこで初めて自分を取り巻く事態の存在を知る事となったのだった。
    国交の更なる発展の切欠となるのならと、国王は乗り気なようである。上手く行けば国同士の結びつきがより強固なものになるだろう。
    年頃の男女が会って話す、所謂縁談のようなものだ、行く行くは結婚というのも飛躍し過ぎた話ではないだろう。隣国の姫と自国の騎士団長が婚約というニュースは最近傾きがちだった国勢をも取り戻してくれるかもしれない。
    「それは……至極光栄なお話ではありますが、その」
    「ああ、何もこの場で腹を決めよと言っている訳ではない。まだ返答までは猶予がある。無理強いはせんが、少し考えてみてはくれまいか。お前にその気があるのなら、そろそろ守るべき相手を得ても良い頃合いだろう」

    王城を後にし艇へ戻る道すがら、城下町を巡回している騎士団員らと遭遇した。団員達はランスロットとの偶然の再会を無邪気に喜び、彼が不在の間の団内の様子を丁寧に報告し騎士団長の不在が寂しいと頻りに語る。部下に素直に懐かれ悪い気はせず、ランスロットは次報告に戻った時には兵舎の方へも顔を出すことを約束した。
    「そういえば、騎士団長結婚するんですか?」
    他愛のない世間話を交わす最中、団員の一人が軽く発した言葉に思わず固まった。先程謁見の間でも似たような話をしていた為返答に窮する。
    ランスロットの反応をどう受け取ったのか、団員達は当人を置いて俄かに盛り上がり始めた。
    「いいなぁ、だってお相手隣の国のお姫さまなんでしょ?逆玉の輿ってやつですね!」
    「肖像画見たことありますけど、超美人でしたよ!」
    「しかも相手の方から猛烈なアプローチ掛けられたって!やっぱ団長はすげえなあ」
    止まらなくなりそうな団員達の会話を無理矢理遮り、ランスロットは戸惑いを隠せないまま随分尾ひれの付いた噂話の出所を問い詰めた。
    「出所って言っても、今国中この噂で持ち切りになってますよ。ご存知なかったんですか?てっきり公認なんだと」
    「初耳だ……縁談の話自体さっき国王から伺ったばかりなのに」
    外交に関わる話なのだからそうそう簡単に情報が流出するのもおかしな話だが、ここまで浸透し切っていては今更どうすることも出来ない。
    ランスロットが噂の真相を告げると団員達は大層驚いた様子だった。
    「えっ、じゃあ結婚どころか会ったこともないんですか?俺の聞いた話じゃもう随分前から交際があったなんて言われてたけど」
    「噂なんてそんなものだ、誰かが勝手に尾ひれをつけて広げて行くから誰もが無責任で手に負えない。お前達も、止めろとは言わんが迂闊な話を頭から信じるなよ」
    忠告を受け消沈した様子の団員達と別れ、ランスロットは雑踏の中王城を振り仰ぐと溜め息を吐いた。
    艇に戻れば町に出て噂を拾い聞きしたらしい何人かの団員に真偽の程を尋ねられた。本当に国中に広まっているのだと思い知らされ痛む頭を抱える。このままでは団長の耳に間違った情報が入るのも時間の問題だろう。
    「……、?」
    そこまで考えてふと疑問が頭を擡げる。
    団長がそれを知ったとして、何か実害があるのだろうか。
    何度も同じ話をするのは少々手間だが噂について尋ねられたら他の団員にしたように誤解を解けばいい。それだけのことで団長との関係に罅が入る訳でもなし、何故自分が反射的に焦燥に駆られたのかよく分からず困惑する。
    きっと縁談に気が乗らない事を周りに責められているようで居心地が悪いのだと、そう思うことにしてランスロットはその事についての思考を止めた。
    村という名前を冠した場所であった為それなりの規模の人が住んでいるのだろうと思っていた一行を出迎えたのは、痩せた土地とそこに細々と自給自足で暮らしている人々だった。
    確かに片田舎と言って差し支えない程中央都市からは離れた場所だが、集落と言って遜色のない村の様子を見るとかつては活気があったのではないかと思わせる痕跡がいくらか散見された。それは住人の人数に反してやけに多い家屋であったり、少人数で明らかに持て余している大きな村人共有の施設であったり、そういったものが過去栄えていたのであろう村の名残りを思わせた。
    村長を名乗る初老の男性が今回の依頼主である。
    シェロカルテを介し依頼内容も報酬も恙なく交渉が行われ、晴れて一行は村長の案内の下何処かうら寂しい空気の満ちた村へ訪れたのだった。
    「騎空士さま、どうかこの村をよろしくお願いします」
    村の入り口で一行を振り返った村長は自分の息子よりも幼い少年に深々と頭を下げた。
    依頼内容は大きく分けて二つ。村の護衛と魔物の討伐である。
    半月程前の大雨の日を境に、村に隣接する森の洞窟に魔物が棲みつくようになった。これまでも魔物は少数が住んでいたものの非好戦的な種類が多く気に留めていなかったのだが、山菜を取る為森に深入りし過ぎた村人や、近道代わりに森を抜けようとした旅人等を見境なく襲うようになったという。幸い死人はまだ出ていないが、放置していればいつか村にも魔物が下りてくるかもしれない。
    その不安の種を取り除いてほしいというのが村長の願いだった。
    一行は地図を借り、村周辺の護衛部隊と洞窟の調査部隊に分かれ、護衛部隊にオイゲン、調査部隊にグランをそれぞれ指揮者として据えた。
    ランスロットはグランが率いる調査部隊に加わり、洞窟のある森に分け入る。時刻は昼過ぎ、調査をして戻るだけなら日没までには十分戻ってこれる筈だ。
    依頼人からの話を聞く限り特に難しい討伐依頼ではない。魔物の巣窟となっている洞窟に向かう道中も長閑そのもので、一行の間には何処かのんびりとした空気が漂っていた。
    森の中は草木が青々と茂っており、涼しげなそよ風が吹き抜ける他に野生動物もあちこちに見かける。逆に魔物の姿はまばらで、向こうが単身の場合は近付いただけで逃げ出した。
    念の為にいつでも戦闘に入れる準備はしてきたものの、剣を抜く機会は来ないまま目的の洞窟まで辿り着く。傍から見て魔物が棲みついているようには見えないが昼間にも関わらず中は暗く、覗き込んでも中の様子は殆ど分からなかった。
    調査部隊の面子をグランは更に見張り役と戦闘要員、そして松明係に分ける。見張り役は一行が入った後の洞窟に魔物や夜盗等が入り込まないよう入り口に待機し、戦闘要員は洞窟内で貴重な光源となる松明係を守る形で取り囲み、慎重に洞窟内に足を踏み入れた。
    入った途端、光と大勢の人間の気配に驚いた洞窟蝙蝠が一斉に飛び掛かってくる。松明を守りながら顔目掛けて突進してくる蝙蝠を叩き落とし隙を見てじりじりと奥に向かって進んだ。
    中は狭く大人が二人並んで歩くと窮屈に感じる。岩や土が剥き出しの地面は意外な事に薄暗い中でも躓かずに歩ける程度に整備されていた。時折朽ちた燭台の残骸が壁や地面に散らばっており、松明の炎で照らされたそれを見てランスロットは柳眉を顰める。
    「何故人工物がある……?村長はそんなこと言っていなかった筈だが」
    グランがランスロットの視線の先を追って首を捻った。立ち止まり地面に散らばる燭台の破片を拾い上げようとすると自重で脆く崩れてしまう。ここ数年の劣化の仕方ではなかった。
    「昔ここに誰か住んでたとか?」
    「近くに村があるのにわざわざこの場所にか?」
    「だよねぇ」
    グランは土埃で汚れた手を払って進行方向に向き直る。
    「一先ず突き当たるまで進んでみよう」
    洞窟は緩やかな下り坂になっており、始めの内は石交じりの土だった壁や地面も奥に進むにつれ徐々に石の割合が増えて行き、天然の石畳に変わっていった。魔物の種類も蝙蝠や地中の木の根を食べるワーム等が主立っていた入り口付近と違い、奥に進むに連れより凶暴で肉食性の魔物の割合が増えて行った。
    そうなると戦闘はどうあっても避けられず、襲いかかってくる魔物を切り伏せ一行は最深部を目指す。
    双剣を使い狭い洞窟の中でも小回りの利くランスロットは先立って露払いを引き受け、松明を持つグランを補助しながら進んだ。
    「ん……?」
    更にいくらか下った頃、今し方倒した魔物の死骸を踏み越えた先に暗闇以外のものが見え、ランスロットとグランは同時に顔を見合わせた。
    「何に見える?」
    「外、……ううん、灯り?」
    グランの言葉通り、ランスロットにも遠目に見えるそれが灯りに思えた。松明の灯りとは種類が違う気がするが、この位置からでは遠過ぎて判然としない。
    「誰か居る、のかな」
    坂が緩やかだったとはいえ、ここに至るまでそれなりの距離を下ってきたのだ。洞窟の果てが外へ繋がっている道理はない筈だ。洞窟内には目立った脇道もなく、道を誤った可能性も低い。
    「灯りであるよりは、魔物か、外に繋がっていた方が俺としては嬉しいところだが」
    あの光の正体が人為的にもたらされた照明であるのなら、それを灯した者がそこに居る筈である。こんな魔物に溢れた洞窟の奥地に潜む人間とは、出来れば関わり合いになりたくはない。
    注意深く進み、辿り着いた洞窟の最深部は松明が不要な程明るかった。暗く圧迫感のある道中とは対称的に、地下空間とは思えない広大な空間が広がっている。天井は半球状に高く、岩と岩の隙間から木の根や蔦が無造作に垂れ伸び天然のカーテンとなりさらさらと揺れていた。更に半球の頂点付近を良く見ると大小不揃いな穴が開いていてそこから陽光が差し込んでいる。
    なるほど洞窟から見えていた光の正体はこれかとランスロットは驚きと共に納得した。帯状に注がれる陽光を真下にある地底湖の水面が反射して広場全体を明るく照らしている。
    ランスロットが天井に気を取られて一歩足を踏み出した途端、ぱしゃんと水が弾ける音がして靴の中に冷たい感触が染み入ってきた。思わず小さく声を上げて下を見ると平たい岩盤の床に踝程の高さまで水が張っている。
    いくらなんでも不注意が過ぎた。不甲斐なさを覚えながら後ろを振り返りグランに忠告する。
    「一面水浸しだ。俺が見て来るから」
    そこで待っていろ、と言い終わる前にグランは躊躇いなくばしゃばしゃと広場に入ってきた。当然靴やズボンの裾が濡れる訳だがグランが気にする様子はない。
    「濡れるくらいなら平気だよ」
    松明が湿気てしまわないよう近くの渇いた岩場に立てかけ、グランはぐるりと首を巡らせた。
    「広いね、それに魔物が居ない」
    「意外だな、もっと酷い有様かと覚悟していたが」
    これ程大きな空間だというのに、魔物の姿は確認出来ず広場はただひたすらに静まり返っている。何処からか聞こえる湧水が地底湖に流れ込むささやかな音以外には何も聞こえない。
    ランスロット達の後に続いて広場に入ってきた仲間達は眩しさに目を瞬かせたり、暗闇から解放された安堵から表情を緩ませた直後足を水没させて悲鳴を上げていた。
    「じゃあ討伐はこれで終いか。何とも呆気ないというか、拍子抜けというか」
    「そうだね……」
    グランが頷いた時、戦闘中グランのフードの中に避難していたビィがひょこりと顔を出した。息苦しかったのかぷはっと大きく息を吐いてフードから這い出てくる。小さな羽を羽ばたかせてグランの肩に体重を乗せると落ち着きなく周囲を見渡した。
    「なあなあ、なんか変な感じしないか?」
    「変な感じ?」
    グランの頬にぺたりとくっ付き不安げな顔を見せるビィの言葉にグランとランスロットは顔を見合わせる。
    「うーん、分かんないや。ランスロットは?何か感じる?」
    「いや、俺も分からん……ビィ、その変な感じというのは魔物の気配か?」
    広場の何処かに魔物が潜んで機会を伺っているのかと思い問うと何とも歯切れの悪い言葉が返ってきた。
    「んん、気配はするんだけど、それが魔物みたいな、そうじゃないような……妙な気配なんだよ」
    ビィ自身、言葉で言い表しづらい感覚なのだろう。ああでもないこうでもないと首を捻っている。
    「ビィにだけ分かるっていうのも気になるね。もう少し探索を続けてみよう。その『何か』が見つかるかも」
    二人は各々で分かれて広場内を探索する事にした。
    地底湖は雨水でも流れ込んだのか土色に濁っていて水底は見渡せない。魔物の気配はないが念の為、水中から不意打ちを食らわないように用心しながら覗き込む。やはり生きた物が潜んでいる様子は感じられなかった。
    「団長、どうする。そろそろ引き上げ……何してるんだ?」
    ランスロットが湖から目を逸らし振り返った先には、広場の突き当たりの岩場にしがみ付くグランの姿があった。登ろうとしているのか岩を動かそうとしているのか、どちらにしても無理がある気がする。たまに突拍子のない事をする子供だとは思っていたが、ここ最近では群を抜いた特異さだ。
    ランスロットは湖に背を向けじゃぶじゃぶと水を爪先で掻き分けながらグランに近寄る。その気配を感じたのかグランがしがみ付くのを諦めてランスロットの方を振り返った。
    「この向こう、何かあるよ」
    「何かって?」
    「それが……」
    こちらに首を巡らせたグランが突然黙り込み表情を消した。それが余りに唐突でランスロットは思わず身構え近付く足を止める。グランは無言のまま腰に提げた剣を抜き放ち、それを大きく振り被った。
    「なん、」
    「伏せて!」
    ランスロットが水の満ちた床に身を投げると頭上すれすれをグランの投げた剣が掠める。そのまま放物線を描き湖に落ちる筈だった剣はランスロットのすぐ背後で硬い音を立てて何かに突き立った。
    事態を飲み込み切れないながらも双剣を抜き体を反転させると、触れてしまえそうな距離に突如として壁が出現していた。しかし壁だと思ったのは一瞬で、それが巨大な竜の頭部であると気付くのにそう時間は掛からなかった。湖から頭部のみを出した竜は、人を容易く丸呑み出来る程巨大な姿をしている。グランが剣を投げ牽制していなければランスロットがその運命を辿っていただろう。
    グランの剣は竜の眼窩のすぐ下に浅く突き刺さっていた。竜が煩わしそうに頭を振ると水飛沫と共に剣が抜けランスロットのすぐ傍に落ちてくる。
    「グラン!」
    剣を受け止め隣に並んだグランに投げ渡した。グランは礼代わりに小さく頷くと竜に向き直る。他の仲間達も合流し一斉に己の武器を竜に向けた。
    「なんだコイツ、」
    仲間内の何処からか戸惑いの声が上がる。それも仕方のない事だ、対峙した竜は骨だけの姿をしていたのだから。鱗も肉もなく、ぽかりと空いた眼窩からは敵意と濁った水が滴っている。ずっと息を潜め隠れていたのだろう。恐らく不用意に湖に近付いた人間を水底へ引き摺り込む為に。
    「これがビィの言ってた妙な気配…?」
    警戒の度合いを引き上げ慎重に間合いを計る。竜は咆哮の代わりに骨が軋む音を立てながら洞窟の天井一杯まで伸び上がり蛇のような体を晒した。
    「でけぇ……!こいつが親玉か?」
    愛銃の引き金に指を掛けた状態でラカムが叫ぶ。その真偽の程を知るのは眼前の竜のみであろうが、皆がそう感じているのは確かだった。
    骨竜は濁った湖の中から尻尾を持ち上げ人の密集する箇所目掛けて振り下ろしてきた。
    大振りな攻撃だった為避けるのは容易く、直撃する人間は居なかったが巨大な水柱が上がり土砂降りの雨のように全員の頭上へ降り注ぐ。
    「このっ……!」
    ラカムが飛沫を振り払い水の中に直接膝を落とすと骨竜の眉間目掛けて発砲する。洞窟内で逃げ場のない発砲音がわんわんと響き渡り、火薬の匂いが鼻を衝く。弾丸は過たず竜の眉間を捉え着弾の衝撃で竜は大きく仰け反ったが、煙が引いたそこには銃弾の痕跡すら残っていない。
    「げっ、硬ってぇ……?!」
    ダメージが通らずとも攻撃を受けたことは理解したのだろう。骨竜が身を捩って体を湖の水面に打ち付ける。破裂音に似た着水の音と共に小規模な津波が一行を襲った。
    近場の岩に掴まり何とか凌ぐが、ここへ来るまでに使用した松明と銃火器が浸水で全滅した。
    「あんの野郎、俺の銃がっ!」
    ラカムが沈黙した愛銃を抱えて悲惨な声を上げる。彼の他にも火と親和性の高い武器を持つ仲間が戦線からの離脱を余儀なくされた。
    離脱した面子を庇い、水深の読めない湖の中の竜相手に攻撃が出来る遠距離攻撃の術を持った仲間が前に出る。本格的な戦闘に突入する緊張が走り、先に骨竜が動いた。
    湖中から尻尾を持ち上げ水平に薙ぎ払う。伏せた一行のすぐ上を鋭く風を切る音が通り過ぎ、空振りに終わった尾の先端が突き当りの壁になっている岩を粉砕した。人体に当たっていたら大怪我ではすまなかっただろう。
    肝を冷やしながら立ち上がる。どうにか反撃に転じなければ、ランスロットが双剣の柄を握り締めた時骨竜が体をうねくらせながら湖中へ頭から飛び込んだ。次の攻撃へ移る初動かと咄嗟に警戒する一行が見つめる中肋の連なる胴体が頭を追って水面へ引き摺り込まれていき、最後に尾が沈んで水面を揺らしたきり、広場は耳が痛くなる程の静寂に満たされる。
    いくら待てど骨竜が再度姿を現すことはなく、一人、また一人そろそろと臨戦態勢を解いていく。
    「まさか逃げた、のか」
    今の状況を総合して判断するのなら、それが一番近いのだろう。釈然としないながらも、ランスロットも周囲に倣って双剣を鞘に戻し辺りを見渡した。骨竜が散々暴れたからか足場の水位が上がった気がする。皆毛先に至るまで全身ずぶ濡れになっており、水を吸って重さを増した服の裾を絞っていた。
    ランスロットの鎧の中に着込んだ服も例外なく水に浸り容赦なく重く冷たい。だが服を絞るには鎧を外さなければならない為早々に諦め、顔に張り付く黒髪を無造作に払い除ける。
    そこで漸く先程までランスロットの隣で皆と同じように裾を絞っていた筈の少年の姿がない事に気付き、慌てて広場を見渡した。まさか流されたか溺れたかと肝を冷やしたのも束の間、グランが一人広場の突き当たりにこちらに背を向けて立っている姿を発見し浅く溜め息を吐く。
    一行が骨竜と遭遇する直前、グランがしがみ付いていた岩があった場所だ。ドラフ族の男程の大きさのあった岩は骨竜の攻撃で無残に割れ、その向こう側に空間が広がっているのが遠目に見える。
    「何があった?」
    ランスロットが近付き声を掛けるとグランは顔だけを此方に向けて岩の向こうを指差した。グランの隣に立ち中を覗き込む。中は薄暗く良くは見えなかったが、小部屋になっていることが分かった。広場同様水が入り込んでいたらしく割れた岩の隙間から水が染み出している。
    「中に小さな建物みたいなものがあるぜ」
    グランの目線の高さでは届かない内部の様子をビィが代わりに中継する。
    「建物?」
    そう言われて改めて小部屋の奥に目を凝らすと確かに建物のような形をした人工物があるのが何とか視認出来た。それが何なのかまではこの位置から判別するのは難しい。
    「ちょっと入ってみるね」
    「あっこら!」
    遠目に眺めるだけでは好奇心を満たすことが出来なかったようで、グランが身軽な動作で割れた岩に飛びついた。するりと難なく岩の隙間を通り抜けたグランの背中が薄暗い部屋の中に吸い込まれていく。此方側よりも水位が高いのか、足音ではなくざばざばと水の中を進む音が聞こえてきた。
    「中の様子はどうだ」
    ランスロットが声を掛けると小部屋の壁に反響して少し聞き取りづらくなった声が返ってくる。
    「案外広いよ」
    「建物はどうだ、見えるか」
    「ちょっと待ってね……」
    暫しの沈黙の末、入った時同様音もなくグランが隙間から出てきた。
    ランスロットは隙間から此方側の地面に足が付かないグランを反射的に抱き上げ、水が跳ねないようゆっくり下ろす。視線を上げるときょとんとした顔と目が合ってお互いに暫し固った。
    「……ああ、すまない。別に悪気があったわけじゃ」
    数秒の空白の末ランスロットは自分が所謂余計な世話をしたのだと自覚し、流石に子ども扱いが過ぎたと謝罪する。それを聞いて漸く理解が追い付いたらしいグランがゆるりと相好を崩して首を振った。
    「ううん、助かったよ。ありがとう」
    愛想笑いでも穿つ訳でもない透明な笑みを受け、ランスロットはぎこちなく笑い返す。
    子供らしからぬ子供という印象を持っていたグランがたまに零す純真な子供の表情を見る度、ランスロットは奇妙な心地になった。
    正直というべきか愚直というべきか、彼が表情を濁らせる姿を殆ど見たことがない。何に対しても斜に構える事がなく、純度の高い感情を臆面なく露わにする。
    まだまだ子供かと油断すれば時折とんでもない切れ味の一言を発してくるのだ。
    そんなグランの性質を好ましいと思う反面、ともすれば自分の胸の奥に秘めた感情さえ容易く暴かれる気がして落ち着かない心地になってしまうのだ。
    「どうしたの?」
    何事か考え込むランスロットの様子に首を傾げるグランの頭の上でビィが同じように首を傾げている。
    外見は似つかないのに同じ表情をしていて、微笑ましくて思わず頬が緩んだ。
    「……何でもない。二人は仲が良いな」
    「なんだよ急に。そんなのあったり前だろぉ!俺達は一心同体だからな!」
    「そうそう。何せビィが本体だからね」
    「っておい!本体ってなんだよ!」
    テンポの良いやり取りはそれだけ長い時間を共に過ごしてきた証なのだろう。
    自分の知る近いものを挙げるとするなら、幼馴染であるヴェインとの関係がそれに当たるだろうか。
    「そうだ、この中の事だけど。一旦戻って村長さんと相談した方がいいかもしれないね」
    グランが背後の小部屋を指差し告げる。仲間達に声を掛け洞窟を引き返す指示を出す背中を追いながら理由を尋ねた。
    「結局、中に何があったんだ?」
    「人が建てた社だよ。あそこに、神様が祀ってあったみたいだ」
    「あった、ということはもう居ないのか」
    「多分ね。社自体かなり古い感じがしたから、放置され続けて忘れられたんだと思う。魔物が棲みつくようになったのもそのせいじゃないかな」
    「人の信仰が無ければ神も死ぬか。なんというか哀れだな」
    己の加護を求める者が居なければ、神は力を揮えない。人間より遥かに優れた存在であろうに人の心を拠り所にしなければ神というものは存続し得ないのだ。
    「確かに、そうかもしれないね」
    小さく首肯したグランにまた更に会話を繋げようとした時、それまで何の問題もなく歩けていた足場を急に踏み外しランスロットは派手に転倒した。いくら水浸しで多少歩きにくいとはいえ注意して歩いていたし滑ったり凹凸に引っ掛かったりしたわけでもない。だというのに無様に転んだ。
    受け身も取れないまま、口と言わず鼻と言わず多量の水が入り込んできて咽る。折角気にならなくなってきた衣服もまたぐっしょりと濡れ、羞恥心やらやり場のない怒りやら息苦しさで混乱した。
    「だっ大丈夫っ?」
    「ぉえ、だ、いじょう……げほっ」
    「あーあー、イケメンが台無しだぜ…鼻水出てる」
    「ビィ」
    「うわっ何すんだもがっ」
    急にビィの声がくぐもって聞こえるようになり、独立した生き物のように顔に覆い被さり張り付く髪を掻き上げ明瞭になった視界の先にグランのフードの中に逆さまの状態で入れられたビィの姿があった。フードから足がはみ出てばたばたと動いている。
    ビィを逆さまに突っ込んだであろう当人はそれに全く触れず袖を引っ張り上げるとランスロットの顔を拭った。
    「あ、僕も濡れてたんだった。あんまり意味なかったね」
    「大丈夫だ、ありがとう」
    漸くいくらか冷静さを取り戻しランスロットは立ち上がって辺りを見渡した。特別転ぶ要因になるものはないように見える。
    「怪我してない?」
    「いや、水をしこたま飲んだくらいだ。無様な所を見せたな、すまない」
    仲間が既に帰還を開始していてグラン以外に目撃者が居ない事が不幸中の幸いか。
    気が済んだのかグランが自分のフードの中からビィを救出し、文句を聞き流しながら他の仲間達の背中を追って歩き出す。ランスロットもそれに続くが、人の気配の失せた広場を僅かに振り返り生き物の気配のない湖に視線を投げた。
    自分は一体何に転ばされたのだろう。
    村に戻り一先ずずぶ濡れの調査部隊を着替えさせ、グランとランスロットは調査結果を村長に報告した。
    グランの言葉に口を挟まず黙々と耳を傾けていた村長は、報告が締めくくられたのを契機にゆっくりと険しい表情を湛えた顔を持ち上げる。
    「そうでしたか……」
    「地底湖について、そしてあの社について何かご存知のことはありませんか。根源を断たなければまたあそこには魔物が棲みつきます」
    村長はグランの言葉を受け椅子からゆっくりと立ち上がった。
    「見てもらいたいものがあります」
    案内されたのは民家の中に紛れて建つ一軒の建物であった。外観はこじんまりとしており周囲の民家とそう変わらない。誰かが住んでいる形跡はないが、手入れはそれなりにされているようだった。
    村長は自宅から持ち出した鍵束の中の鍵の一つを使って玄関扉を開け、グラン達を家の中に招き入れた。
    「ここは図書館です。規模は大きくありませんが村に関することならば全て知ることが出来る筈です。ここの蔵書にならば何か手がかりがあるやもしれません」
    紙とインクの匂いがする室内には至る所に本棚が乱立し、様々な本が所狭しと並んでいる。全体的に古い家屋だが保存状態が良く綺麗に保たれていた。
    歴史書類が格納されている棚は奥まった場所にあり、天井まで届く本棚に整然と並べられた古い書物達が静かに眠っている。本の劣化を最小限に抑える為か採光用の窓は小さく、昼間にも関わらず室内は薄暗い。火を入れたランプをグランに手渡し、村長は村に関連する歴史書が収まった棚を指差した。
    「この棚が村に関連する書籍です。あなた方のお力になればいいのですが」
    「僕が見てもいいんですか?」
    驚いたグランが尋ねると村長は静かに頷いた。
    「人伝の不確かな情報よりも確実でしょう」
    躊躇の末グランがランプを受け取ると、調べ物の邪魔になると思ったのか村長は日が暮れる頃にまた来ると言い残して家を出て行った。残された二人は手分けして有用な書物がないか本棚を捜索に着手する。
    歴史書の収まる棚は輪をかけて古びた書物が多い。紙は色を変え角が削げ、印字も掠れていた。中には活版印刷が普及する前の時代の本まであり、皮紐で羊皮紙の束を綴じた表紙を開くと手書きの文字の書かれた頁が続いている。
    一先ず全体の把握を優先しようと思い、本の背表紙を流し見していたランスロットは本棚の隅に背表紙に何も書かれていない本が挟まっている事に気が付いた。前時代の紐綴じのそれを見た後だと比較的新しく感じる帳面を注意深く引き抜き表紙を返すと手書きの文字で『巫の手記』と記されている。
    グランに声を掛けようと顔を上げたが、既に違う本を開き視線を落としていた為ランスロットは窓辺の壁に寄り掛かると床に直に座り込み本を開いた。若干日に焼けて色の変わった頁には表紙同様手書きの文字が書き連ねられている。字体から受ける印象から、筆者は恐らく女性なのだと予想出来た。
    几帳面に日々の仕事や季節ごとの祭事についての仔細が記されており、あの地底湖の社と思しき描写が散見される。やはりあの朽ちた社には神が祀られていたのだ。
    事務的な内容ばかりなのに何処か優しく温かい。きっと村人たちから慕われていたのだろうと容易に想像することが出来た。
    しかし内容が進むに連れ、手記の文面に暗く沈んだものが増えてくる。
    村に流行病が蔓延、明確な治療法はなく、成す術なく村人達が死んでいく。
    村人たちを助けてくれるよう水神に祈りを捧げる、また一人犠牲者が。
    山一つ向こうの村が流行病で全滅したと伝え聞く。この村もそうなってしま
    縁起でもない事を考えるのは止めよう。私は私の出来ることをしなければ。
    いつしか内容は仕事の覚書ではなくなっていた。それは水神の加護だけを心の支えに、何とかして村人を救おうと奮闘する一人の女性の伝記であった。
    文字が書かれている最後の頁を捲る。ある日を境にぷつりと途切れた内容から一ヶ月後の日付で最後の記録が記されていた。
    とうとう私も病に侵された、長くは持たない事は自分が一番分かっている。
    私は諦めない。この命は病なんかに渡さない。ずっと考えていた、命の使い道を。
    私は水神様の御許へいく。直接会って村を助けてくれるよう嘆願するのだ。
    もしこれを読む者が居たらどうか教えて欲しい。私が居なくなった後、村がどうなったのか。私の祈りはかみさまに届いたのか。
    最後の一文字を視線でなぞり終え、後は白紙の頁が続くばかりの本を閉じランスロットは手記から顔を上げる。気付けば窓の外の景色はすっかり暗くなっており、室内も夜の気配に沈んでいた。ランスロットの目の前にはいつの間にかランプが置かれ、静かに橙色の光を灯している。
    ランプを挟んで向かい側にグランの姿があった。先程とはまた別の本を胡坐をかいた上に広げ、黙々と読み進めている。彼の白い顔をランプの灯りが深い陰影の橙色に染め、成長途上の少年らしい張りのある頬に綺麗に揃った睫毛の影が落ちていた。彼が瞬きをする度、ぱちぱちと音がしそうな程大袈裟に影が揺れ動く。
    「グラン」
    自然と囁くような声量で声を掛けた。伏し目だった瞳がくるりと動き、榛色の黒目がランスロットを捉える。解読に集中していたのだろう、大きく丸い目に感情らしい起伏は一切なく、呼んだのは自分だがランスロットはその目力の強さに思わずたじろいだ。
    グランが訝しんだ気配を感じ、気を取り直して問い掛ける。
    「……何か分かったか?」
    「ん、まだ途中だけどあの社に祀られてた神様について少しだけ書いてあるよ」
    土地に根付く伝承について書かれている本には、水神について言及がなされていた。
    水を司る神、清い水の湧く川や湖に住み穢れを浄化し触れた水を透き通らせる。透き通る水は何もかもを暴き出す力を持っているという。
    顕現の際は巨大な竜の姿となり、水の鱗と青い知性の瞳を持つ。
    グランが読み上げた一説に、ランスロットは首を捻った。
    「竜……?」
    グランとランスロットが社を見つけるきっかけを作った魔物の姿を思い出す。骨だけではあったが巨大な竜だった。
    「まさかあれが、水神とやらのなれの果てか?」
    グランも同じことを考えたのだろう。難しい顔をして読みかけていた本を閉じる。
    「果てまで行ってるなら討伐して終わりなんだろうけど、たぶんまだ神様としての意識があるんだと思う」
    「分かるのか?」
    「湖の社に近付いた時、その周りの空気が澄んでた気がしたんだ。ザンクティンゼルの森の中の空気に似てた。たぶんあれが神様が居るってことなんだと思う。だから信仰が戻れば、神様としての力も戻って大人しくなってくれるんじゃないかなぁ」
    何とも突拍子のない話ではあるが、骨竜をこの目で見ている以上頭から否定も出来ない。
    「そもそも、なんで信仰が廃れちゃったんだろう」
    「これが原因じゃないか」
    ランスロットは自分が読み終えた手記をグランに広げて見せた。
    流行病で水神を信仰する村人が急激に減少したこと、水神を祀る巫が次代に役目を継がず死亡したこと。手記の中で大きな要因と思しき出来事はこの二つだ。
    手記は巫の主観で書かれている為巫が死した後の出来事は定かではないが、何とか生き残った村人たちが瓦解寸前だった村を建て直したのだろう。その間次の巫が立てられることはなく、水神はその内生き残った人々から忘れられていった。
    信仰の消えた神は徐々に力を失い、魔物を引き寄せるようになる。洞窟内に溢れていた魔物が地底湖にだけ居なかったのは、あの場所が今の水神に残された最後の縄張りだからなのかも知れない。
    「大雨が降った日から魔物が棲みつくようになったんだよね」
    グランの言葉に、不自然な水位の地底湖と泥水のように濁った湖の色を思い出す。清い水を住処とする水神の縄張りが雨水で濁り、更に力が失われたのだ。最早淀んだ水を清める力も残っていないのだろう。
    その結果魔物の増殖を抑えられなくなり、洞窟から魔物が溢れ森に近付いた人間を襲うようになってしまった。
    「一度力を失ったら、もう戻れないのか?」
    「ううん、ちゃんと思い出させてあげれば力は戻るよ」
    「詳しいんだな」
    「母さんがそういう役目の人だったから」
    唐突にグランの口から母親の話題が出たことに驚く。父親の話はたびたび口頭に上がるが母の存在は居るのか居ないのかも分からない程出てこなかった。早くに亡くしているか、一緒に住んでいなかったのだろうと勝手な推測を立て深く突っ込むことはしなかったが、まさかこんなところで聞くことになろうとは。
    「社を建て直して、巫の人を選んで管理してもらわなきゃね」
    「あの骨竜がそう簡単に許してくれるだろうか」
    敵意を剥き出しにした骨竜の姿を思い出し苦い気持ちになる。恐らく人も魔物もいっしょくたに見えているのだろう。そんな中で社を建て直すことは至難の事に思えた。
    「あはは…そうだね、建てるにしても安全は確保しないと」
    二人揃って眉間に皺を寄せて黙り込んだところで玄関口から声がした。どうやら村長が約束通り迎えに来たらしい。
    グランは身軽に立ち上がると本棚に本を戻して書斎の扉を開ける。ランスロットもそれに倣い、本棚に手記をそっと押し込んだ。
    「……、」
    筆者の女性の気持ちは痛い程分かる。守るべき人々が己の力不足で手の指の隙間から零れていく絶望と苦痛は耐えがたいものだっただろう。それでも彼女は最後まで折れなかった。最早狂気的ですらある強い執着にも似た使命感は、ランスロットにも覚えがある。
    だからだろうか、彼女の願いを叶えたいとそう思った。
    「ランスロット?」
    部屋の外からなかなか書斎から出てこないランスロットを呼ぶ声がする。はっと我に返るとランスロットは踵を返し足早にグランの元へ向かった。

    書斎の本で得た情報とこの目で見たものとを併せて立てられた仮説を聞き、村長は驚いた表情を見せた。半ば仕方のないことだったとはいえ、それまで村を守ってくれていた神を知らずの内に蔑ろにしてしまっていたことを悔やみ、社の再建と新たな巫の選出に全面的に賛成する。
    村側からの同意も得て、本格的に目下の悩みは骨竜の存在だけとなった。元は神だったとはいえ、あの様子では言葉が通じるとは思わない方が良いだろう。かといって余り手荒な真似もしたくない。
    どうしたものかと難しい顔をして黙り込んだグランとランスロットの様子を見て、村長は今日はもう休むよう提案した。
    確かに時刻は既に夜も半ば、色々と議論している内に月が昇り周囲は深夜の静けさで満ちている。
    騎空団が大所帯である為夜警の団員以外は艇で休息を取らせている。ランスロットらも戻ろうとしたが夜も遅いことを理由に夜警の団員らと同じく宿屋の部屋を融通してもらった。わざわざ断る理由もなかった為ありがたく厚意に甘えて揺れないベッドの上で糊の効いたシーツに包まれ目を閉じる。
    ベッドに体を横たえるまで意識が逸れていたから自覚していなかったがそれなりに疲れていたようで、ランスロットは目を閉じた途端に沈み込む睡魔に首根を掴まれ暗闇の深い場所へと意識を落としていった。
    水の音が聞こえる。
    鼓膜を圧迫する水圧と全身を包む冷たいような温かいような水の感触。背中にはごつごつとした岩の床が当たっている。どうやら自分は水底に体を横たえているらしい。
    瞼は閉じられている筈だが周囲の様子が伺えた。黒い岩の続く地面と酷く透明度の高い水が、頭上から差し込む柔らかな光を反射させてゆらゆらと輝いている。
    何とも美しい光景だ、周囲は自分が水中に居ることを忘れてしまいそうな程澄んでおり、息苦しさも感じなかった。
    ふと遠くから声が聞こえてくることに気付く。水中で反響する声は男のものとも女のものとも取れず、遠くで近くで同じことを繰り返していた。
    「……で……おいで、あの……に、ここに……」
    全ては聞き取れない、言葉の意味も分からない。だがランスロットはそれを聞く内、そうしなければという意識に駆られた。こんな場所に沈んでいる場合ではない、行動を起こさねば。
    覚束ない体に力を込めて、ランスロットは水中でもがいた。水を掻き分け、声の聞こえる水面を目指す。
    「つ……おいで……、……」

    唐突に夢から放り出され、ランスロットは掛け布を跳ね除けて飛び起きた。暫く事態が飲み込めずじっと薄暗い室内の様子を眺めていたが、徐々に寝惚けていた思考が追い付いてくる。
    どうやら夢を見ていたのだと、そしてその夢から突然閉め出されたのだと自覚して無意識に詰めていた息をゆっくりと吐き出した。夢の内容ははっきりと覚えている。恐ろしいものではなかった筈だ、だが心臓は常時よりも少し早めに胸の奥で脈打っていた。
    正確な時刻は分からないが窓の外の景色は未だ夜に沈んでいる。月の位置と冷えた空気からもう少しで夜が明ける気配を感じた。
    喉の渇きを覚えベッドサイドの小机に備え付けられていた水差しを手繰り寄せる。その拍子に隣にあるベッドがもぬけの殻になっていることに気付き改めて室内を見渡した。シングルサイズのベッドが二つ置かれた二人部屋に、ランスロット以外の人間の姿はない。
    シーツが捲られ使用者が抜け出した痕跡のある隣のベッドの枕元には丸めたシーツを寝床にしてビィが健やかな寝息を立てている。確かに就寝の挨拶を交わして眠った時、グランはそこにいた筈だ。
    何処へ行ってしまったのだろうと反射的にベッドから降り外に向かう為に扉へ手を掛けるが、途中で思い直して引き返した。
    グランは無知でも非力でもない。夜魔物の跋扈する森へ態々入ることはしないだろうし、止まれぬ理由があってしたとしても自分で自分の身位は守れるだろう。
    ランスロットはベッドの端に腰掛け水差しを手に取ると水差しと対になっている硝子製の杯に水を注いで飲み干す。それを三度繰り返したところで水差しの中の水がなくなった。空になった杯の底を睨み付け、暫し黙考する。
    思い過ごしであると断じたかったが、自分の喉の渇きが異常であることを認めざるを得なかった。いくら飲んでも枯れ井戸に杯の水を傾けている心地になる。
    迷った末、結局再度寝入ることも出来ずランスロットは空の水差しを片手に部屋を出た。他の宿泊客はまだ眠っている時間の為、部屋を出て廊下を渡る一連の動作を慎重に行う。
    ロビーにはうっすらとだが壁掛けのランタンに光が灯っていた。足元が漸く見える程度の橙色の小さな火が、ガラスの器の中で踊っている。
    広いロビー内を動く者はランスロットのみで、耳を澄ませても物音一つしない。自分の瞬きの音すら聞こえてきそうだった。
    ランスロットはロビーを通り抜けて無人の食堂に足を踏み入れる。厨房の水瓶から水を水差しに移し入れ、その場で杯に注いで煽った。
    潤されたことによる安堵は一瞬だけで、すぐ飢餓に似た渇きが呼び起こされる。掌の中で杯を回しながら異常の心当たりを脳内で探すが、特にこれと言って引き金になるようなことは思い当たらなかった。
    「……、…」
    遠くで人の話し声がした気がして顔を杯から上げる。耳を澄ませると再度声がして、内容は聞き取れないが会話らしいテンポで声の応酬が行われているのが分かった。
    水差しをその場に置いてランスロットは声の出所を手繰って食堂から顔を出す。いくらか声が明瞭になるかと思ったが然程でもなく、どうやら声の主が居るのは屋内ではないと気付いた。
    こんな深夜に一体誰が何をしているのだろう。好奇心半分、警戒半分で宿屋の正面扉に手を掛ける。自分が出られるだけの隙間を作り、そっと宿屋から抜け出した。
    外に出ると頭上には三分の一程が欠けた月、星も雲に紛れて輝いているのが見える。もう一度聴覚を尖らせると輪郭の明瞭になった声が聞こえてきて自分の憶測が正しかったことを確信し、ランスロットは声の聞こえる方へそろそろと歩き出す。
    声の出所を辿る内、宿屋の周りを半周して建物の裏側に出た。村の至る所に夜警が立てた篝火があり、深夜であっても村の内側はある程度見通せる明るさが保たれ少ないながらも常に人の気配がある。篝火の一つが宿屋の裏手にもあり、その傍らに見覚えのある人物が二人こちらに背を向けて立っていた。
    「あれ、ランスロット。どうしたの?」
    近付いてきたランスロットに気付き、振り返ったグランが意外そうな声を上げる。それに釣られてもう片方の人物もランスロットを認識して緩く手を上げた。
    「グラン、こんな所に居たのか。目が覚めた時隣に居なかったから驚いた。パーシヴァルは夜番か?」
    「ああ」
    「心配させちゃったかな。ごめん。僕あんまり眠れないから夜って暇なんだ」
    「眠れない……不眠症か?」
    「あはは、いや病気とかじゃないんだけどさ」
    苦笑交じりに説明を受け、ランスロットはグランが睡眠や食事が殆ど不要の体質であることを知る。
    星晶獣と縁を結ぶ少女、ルリアと命を分け合っている為に生命維持に必要な器官の一部がルリアの方に依存しているらしい。
    「詳しい事はよく知らないけど、まあ不便はしてないよ。夜の見張りとか率先して出来るしね」
    「そんなんで、体は大丈夫なのか?」
    「案外何ともないよ。一回死んで生き返ったとは思えないくらい健康体」
    グランが自分の胸の辺りを軽く叩いて見せ、ふと笑みを零す。何処か遠くを見るような表情にランスロットは首を傾げた。
    「前にも同じような事聞かれたなぁと思ってさ」
    「そりゃそうだろう。眠らない、食べないなんて言われたら誰だって心配する」
    大真面目な顔でランスロットが答えると、グランは照れ臭そうに笑みを深めて小さく礼を述べる。
    「パーシヴァルはグランの体質を前から知ってたのか?」
    我関せずという顔をして余所を向いていたパーシヴァルに話を振ると、視線だけをちらりとこちらに向け何かを思い出す素振りを見せた。
    「ああ、いつだったか……今のように夜の見張りに立っていた時コイツが寄ってきてな。その時に聞いた」
    「暇そうにしてたから、話し相手になってあげたんだ」
    「逆だ、逆。貴様が暇だから話し相手になれと言って寄ってきたんだろう」
    「あれ、そうだったかな」
    程良いテンポで繰り出される会話を微笑ましく聞いていると、ふとグランが鼻先をすんと鳴らしてランスロットを振り返る。
    「水の匂いがする」
    「水?」
    「ランスロット、お風呂入った?」
    「いや、宿に入ってすぐにシャワーは浴びたが、それきりだ」
    汗臭いなら分からなくもないが、水の匂いとはどういうことだろうか。自分で嗅いでもグランの言う匂いの正体が分からずランスロットは首を傾げる。
    徐にグランがランスロットに近寄ってきて躊躇なく抱き着いてきた。呆気に取られる大人二人を余所に、ランスロットの丁度胸辺りに顔を埋めて目を閉じている。
    「グ、グラン?」
    突然の事で動揺が隠せず声が上擦った。引き剥がすのも気が引けて助けを求めるようにパーシヴァルを見ると、何かを言いたそうな顔をした赤髪の男は黙したまま口元を引き結んだ。表情からくみ取れるのは諦念――諦めろそいつはそういう奴だ――という経験則の感情のみだった。
    「グラン、どうした。眠いのか?」
    恐る恐る旋毛辺りに手を置いてぎこちなく掻き混ぜてみる。ランスロットに大人しく撫でられているグランがどうやら匂いを嗅いでいると気付いた時、体温の上昇と共に羞恥が湧きあがってきてグランを引き剥がそうと細い肩に手を掛けた。
    「待て何でまた嗅ぐんだ」
    「ちょっと気になって……」
    軽く引いても剥がれてくれず暫く子犬宜しくふんふんと匂いを嗅いでいたグランが漸く満足したのかぐり、と抱き着いたまま顔を上げ、ランスロットの顔を覗き込んできた。
    「湖で沐浴した時の匂いと似てる気がする。昼間たくさん濡れたからかな」
    確かに鎧から下の服から全て濡れたがそれはその場に居た全員がそうだった筈だ。グランも服を絞れば滴る程濡れていたと記憶しているし、ランスロットにだけ匂いが残っているのも不自然な話だろう。
    「なんだろうね?不思議」
    「不思議なのは結構だが、そろそろ放してくれないか…」
    心臓の近くに顔があるのは落ち着かない。
    困り果てたランスロットに請われてやっと現在の体勢を思い出したらしく、グランはきょとんとした顔でランスロットを解放した。
    「ごめん、怒った?」
    グランの問いに力なく首を振る。やたらと他人との距離が近い時があると思ってはいたがまさか自分がその標的になるとは。
    小さな頭や自分と比べても一回り程違いのある腕に触れてみると本当にただの子供だと感じる。彼の周囲の大人たちが何かにつけて彼に構うのは、そういうギャップからくる危うさを心配してのことなのだろうか。
    事実ランスロットも少しばかり不安に思った。こんな細腕で剣を振るうのかと、その光景を実際目の当たりにし、剣を握り敵を薙ぎ払う姿に頼もしさを感じていたにも関わらずだ。
    「案外細いんだな」
    「これでも鍛えてるんだけど、なかなか筋肉つかないんだ……。ランスロットは着痩せするんだねぇ。抱き着いた時意外に硬くてびっくりした」
    「さすがに、騎士団長がぷよぷよじゃ示しが付かんだろう」
    「でも、ヴェインの胸はこう、もっと柔らかかったし分厚かった」
    「貴様あの駄犬にも手を出しているのか」
    「人聞き悪いな!ただの挨拶だよ、勢い余って顔ぶつけちゃったけど」
    ランスロットの脳裏に何となく、喜色満面の笑みを浮かべたヴェインがグランを力任せに抱き寄せ腕の中で潰しそうになっている光景が思い浮かんだ。剛腕は彼の長所だが感情に引き摺られる余り制御出来なくなるところは玉に傷だ。
    「ランスロット、そろそろあいつに力加減というものを躾けたらどうだ」
    「考えておこう」
    三人で雑談に興じている内、いつの間にか東側の空がうっすらと白み始めている。ランスロットは欠伸を噛み殺した拍子にそれに気付き、大きく伸びをした。
    「ん、もう夜が明けるな」
    「あれ、もうそんな時間か。気付かなかったなぁ」
    「最後まで俺に仕事をさせなかったな貴様」
    「はは。怒られる時は三人セットだから大丈夫だよー」
    「俺も共犯か?」
    「怒られている時点でアウトだ馬鹿者」
    夜番と昼番が交替するから邪魔になるとパーシヴァルに追い払われ、ランスロットはグランを伴って薄青色に染まる夜明け直前の村を見渡した。気の早い野鳥が細い声で鳴く声が聞こえる。
    「いい天気だ。今日も一日晴れるだろうな」
    「気持ちのいい朝だね。最近はずっと船の上で寝起きしてたから、こうして地上でゆっくり過ごすのも久し振りだなぁ」
    再度ランスロットが欠伸を喉の奥で噛み殺す。それに気付きグランが少々慌てた様子で宿屋へ足先を向けた。
    「あぁそうだよね、ランスロット眠いよね。今からでも少し休んだら?昨日遅かったし、疲れ取れてないでしょ?」
    「いや平気だ。騎士団に居る時は二徹三徹はザラだったからな……」
    「それって良くない習慣だよね……」
    宿屋の扉を開けてグランを中へ促す。屋内も少しは明るくなりつつあり、ランプの橙と窓から差し込む薄青が混ざって早朝独特の空気を作り出していた。
    「ちゃんと最低限は寝たし大丈夫だ。昨日の話もまだ決着が付いていないしな」
    「その事なんだけど。さっきパーシヴァルと相談してたんだ。社を安全に素早く建てるにはどうしたらいいか」
    社を安全に建てる際の手段として、パーシヴァルが提示した外で作成したものを一旦分解し、洞窟内に運搬して再度組み直すという案にはランスロットも賛同した。だがその際どうしても避けて通れないのが骨竜との戦闘であり、社を建て終わるまでどうにかして大人しくさせておかなければならない。
    出来る事なら手荒な事はしたくない(仮に手荒にしたとして曲がりなりにも神である骨竜が人間の攻撃で損なわれることはないのだろうが)。穏便に済むのならお互いそれに越したことはない。
    ランスロットは食堂に水差しが置きっ放しであることを思い出し、グランをロビーに待たせ食堂の完成した料理を置くカウンターにぽつんと置き去りになっていた水差しを掴むとロビーへ取って返した。
    自分たちの部屋に戻り備え付けられたソファに腰掛け、水差しから杯に水を注いで夜通し喋り倒して渇いた喉を潤す。忘れかけていた渇きがまたランスロットの喉を掴み、グランに悟られない程度に眉を顰めた。
    水を少しずつ消費していきながら暫くぽつりぽつりと言葉を交わしていると、ベッドからもぞりとビィが起き出してきた。
    「ふわ……ふたりとも、もう起きてたのか。はやおきだなぁ」
    「あ、起こしちゃったか。ごめんビィ、まだ早いから寝てていいよ」
    「んん、いやオイラも起きる…ふあぁ」
    目を瞬かせ、飛ぶことも忘れたのかぺたぺたと地面を歩いて来ようとするビィをグランが迎えに行きそっと抱き上げる。背中をトントンと一定のリズムで叩いていると程なくしてまた寝息が聞こえてきた。
    「まるで手のかかる弟か赤ん坊みたいだな」
    グランの腕の中で安心しきった顔をしているビィを眺め、声を潜めてランスロットが零すとグランは静かに首を横に振って見せた。
    「ビィは僕の兄さんで頼りになる相棒だよ」
    グランの記憶にある限りグランとビィは常に一緒だったと聞く。当時から現在にかけてビィに成長の兆しはなく、ビィの正確な年齢はグランもビィ本人も知らないらしい。
    人語を解する竜の子供。余りに当たり前に受け入れられていたから麻痺しかけていたが、何とも不可思議な生き物だ。
    竜の子を膝に乗せ背を撫でているグランの姿を眺める内、ランスロットの脳裏に手書きの文字が過ぎる。
    「……そうだ、巫の手記に何か手掛かりはないだろうか。神とは生来気まぐれだ。天気一つで機嫌を損ねることもあるだろう。何か、水神の機嫌を取る方法があるんじゃないだろうか」
    昨日は重要そうな部分だけを拾い読みしていたが、きちんと読めば何気ない日常を綴る中に重要な手掛かりが書かれているかもしれない。
    「そうだね、何か糸口が見つかるかも」
    太陽が昇るのを待ち、二人は再度村の図書館に入れて貰い件の手記を手に取った。几帳面な執筆者は小さな出来事についても詳細を書き残しており、水神を機嫌を鎮める為の儀式についても文中で言及されていた。
    巫によれば、大雨の日、逆に日照りが続いた日、巫以外の人間が社に近付いた時水神は酷く機嫌を損ねて荒ぶるらしい。そうなると村周辺の川が氾濫したり山の地面を水が浸食して土砂崩れが起きたりと大きな災害に繋がってしまう為巫は神に唄を捧げる。
    遥か昔、人と神が同じ世界に住み言葉を交わせていた時代から受け継がれてきた唄。今の時代の人間に理解できる言語ではなく、巫自身もその唄がどんな意味を含むものなのかは知らないようだ。
    しかしその調べは水神の守る湖のように透き通り水神を宥めてくれる。
    その唄の楽譜も本棚の中から見つかった。読み取れない古代文字で書かれた上に現代の文字で読み仮名が振ってある。
    漸く見つけた確かな手掛かりに、二人はどちらともなく顔を見合わせ深く頷き合った。
    グランの艇には音楽を生業とする者、歌が得意な者、音を武器に戦う者、その他音楽に関わる団員が幾らか居る。彼らに楽譜を見せ、水神の前で歌って欲しいと依頼した。
    それぞれ音楽と切っても切れない縁で繋がっている者達だ、太古の音楽の片鱗を前に嬉々として応じてくれた。
    残るは社の建設と運搬、再組立ての依頼である。村長は村の中央に位置する広場を開放し、社作成の作業場とした。
    村の樵と力自慢の団員が協力して切り倒した樹木を木材に変え、知識のある者が大工に交ざって社の造形を設計する。手先の器用な者が無骨だった社に装飾を施し整えた。
    いつの間にか広場は溢れんばかりの人と活気で満ちており、早々に手伝うことすらなくなったグランとランスロットは現在丸太の上に腰掛けてぼんやりとその光景を眺めている。
    「忙しくなるかと思ったけど、やることなくなっちゃったね」
    じっとしていることが苦手なのだろう、ランスロットの隣でグランがそわそわと手伝えることがないか様子を伺っている。それで先程うろちょろされたら邪魔だからじっとしてろと団員に怒られた(いつの間にか全体の指揮権は村の大工からその団員に移っていた)のだが、まるで聞いていない。
    隙あらば何処か人手の足りなさそうな所へ走り出そうと身構えているグランの膝を叩き、ランスロットは小さなバスケットを差し出した。
    中には素朴な色合いのサンドイッチとサラダが詰め込まれている。パンは焼き立てのものだろう、バスケットの蓋を開けるとふわりと何とも香ばしい匂いが鼻孔を擽った。
    「村の人からの差し入れだ。上の者が率先して休憩しないと、下の者が休み辛くなる。サボるのも仕事の内だぞ団長」
    「ランスロットが言っても説得力ないなぁ」
    笑いながらグランはサンドイッチを手に取った。慣れた手つきで半分に割り、片方をランスロットに差し出す。
    「俺にか?」
    「あ、ごめん。いつもルリアにあげてるから癖でつい……」
    ルリアは今力も知識もないが野菜の皮むき位なら出来ると言って、作業をしている人員への炊き出しの手伝いをしに行っている(カタリナも同行を申し出たようだが、カタリナの料理の破壊力を知っている団員に出禁を食らっていた)。
    「じゃあ貰おうか」
    所在なさげにサンドイッチを持った手が揺れて引っ込みかけたのでランスロットは手先からサンドイッチを奪い、形が崩れてしまわないようそっと持ち直す。
    半分のサンドイッチはあっという間に二人の胃の中に消えた。
    「ごちそうさまでした。後でお礼言わなきゃね」
    満足そうに溜め息を吐くグランに、バスケットから次のサンドイッチを掴み出しながら視線を投げる。
    「本当にあれだけで足りるのか?」
    「うん、十分だよ」
    素直に頷く表情に遠慮や嘘の気配はない。
    極端に少ない睡眠時間と食事量は見ていて心配になるが、今までそのスタンスで健康的に過ごせているのだから、ルリアとグランが行動を共にしている限り問題はないのだろう。
    最後の一欠けを口の中に放り込んで指先についたパンくずを舌先で舐め取り、漸く人心地ついた腹を撫で息を吐く。
    「ごちそうさまでした」
    ランスロットは水筒を取り出し少し温くなった半分程に減った中身を煽った。
    「そんなに喉が渇くの?」
    それを傍から眺めていたグランから不思議そうに指摘され、ランスロットはぎくりと口を噤んだ。
    グランの疑問も仕方のないことだろう。無意識での行動も含め、ランスロットは朝から今までに掛けて異様な頻度で水を飲んでいた。水筒もいちいち水分補給をしに行くのが手間だからと借りたものだ。
    飲み込んだ水は腹に溜まることなく何処かへ消えてしまい、故に飲んだ実感が薄くまたすぐに喉の渇きを覚えてしまう。飲めば飲む程喉が渇くという完全な悪循環だった。
    「……もしかして何か隠してる?」
    咄嗟に言い淀んだランスロットの表情から良くないものを察したのか、グランが笑みを消し重ねて問う。答えるまで逃がして貰えない雰囲気を察し、ランスロットは降参代わりに両手を緩く持ち上げた。
    大したことじゃない、と前置きをして異様な喉の渇きの事について告白する。
    グランは難しい顔をして暫く何事か思案に沈んでいたが、やがて訝しげな表情を隠しもせずランスロットを見上げて口を開いた。
    「水神の呪いでも貰った?」
    「かもしれない。心当たりなんて骨竜の湖くらいしかないしな」
    「僕は平気だったのに」
    何故態々社のすぐ傍まで近付いたグランではなく、彼だったのか。他に仲間が大勢いる中で、骨竜が最初に呑み込もうと狙ったのもランスロットだった。
    「さあ、神の考えることだ。人には到底理解出来ない理由なんだろう」
    いくら考えても恐らく納得のいく答え等出ない。神とは、自然とはそんなものだ。多くの場合それらは人に味方するが、突然何の前触れもなく理不尽な仕打ちで人々を苛む。
    今回はその標的として目に留まったのが偶然ランスロットであったというだけの話だ。
    もしこの水の呪いが水神のもたらしたものならば、本当に飢え渇いているのは水神そのものだ。人々の信仰が戻れば、そんな苦しみも終わる。その時こそがランスロットを蝕む呪いの終わりの時でもあるのだろう。
    社建設の作業は何度か休憩を挟みながらも日が暮れるまで続いた。人手があったからか一日で社は完成形にかなり近付いており、明日中には完全なものになるだろう。
    完全に夜になると社作成用の木材が転がる広場で村人も団員も入り混じった宴会が開かれ、疲弊した心身を慰撫していた。
    ランスロットは喧騒から離れ、村の裏手のすぐそばを通る小川の岸辺に立っていた。小川の水面に篝火が反射してちらちらと光って見える。辺りに人の気配はなく、小川を流れる水流の音を聞きながら大きめな岩の上に腰かけ靴を脱ぎ脇に揃えて置いた。
    素足に直に伝わる岩肌の感触は思ったよりもつるつるしていて、ランスロットは慎重に穏やかに流れる水の中へ爪先を付けた。
    ちゃぷ、とささやかな音を立て足の指先に染み入る水の冷たさを感じつつそのまま力を抜くと、踝の上辺りまで水中に沈んだ。
    水に触れていると不思議と何処か安堵する心地になる。錯覚かもしれないが喉の渇きも楽になるようだ。
    肩の力を抜き、ランスロットはごろりと横になった。ベッドにしては少し寝心地が悪いが、星空の天井を眺めることが出来るのは悪くない。川のせせらぎと遠くから漏れ聞こえる楽しげな話し声が混ざり合って鼓膜を穏やかに刺激した。
    ふと背後でじゃり、と河原の石を踏みしめる音が聞こえ半身を起こす。よもや魔物ではあるまいと振り返った先に、ぽつんと立つグランの姿があった。
    「危ないよ」
    「足を着けているだけだ。泳ぎはしないさ」
    肩を竦めて答えるとグランはランスロットの隣に寄ってきて腰を下ろす。ランスロットは再度寝転がり、倒れるついでにグランのフードの端を掴んで道連れにした。
    小さく声を上げて倒れ込んできたグランが岩に頭をぶつけないよう腕を枕代わりにして受け止める。僅かな衝撃と共に倒れてきたグランが何か言いたそうな顔をした。
    「はは、そんな顔しないでくれ。少し話を聞いてほしかったんだ」
    「話くらい聞くから、もっと普通に誘ってくれる?」
    グランの頭の下敷きにした腕の、比較的自由な指先で榛色の毛先を撫でる。くすぐったいのかグランは子犬のように身を捩らせて喉の奥で笑った。
    触れた場所から滲む感情には名前があるような気がしたが、ランスロットは深く考えないようにした。それを知った所で何の意味もない。
    「グランにしてみたらまたか、と思うかもしれないがちょっとした愚痴みたいなものだ。聞き流してくれていい」
    グランから星空に視線を移して何から話すべきか記憶を整理する。子供に話すべきではない事かもしれない、そうは思ったが気付けばランスロットは突然持ち掛けられた縁談についての事柄を打ち明けていた。
    自分自身気の進まないまま、周囲では噂話が独り歩きしてしまっていること、断ってしまえば国王の厚意や相手国の姫君の気持ちを無碍にしてしまうのではないかという懸念、そんな「しこり」が喉の奥に引っ掛かりどうしても取れない事。
    思ったままを言葉に乗せていた為取り留めのない話だっただろう。だが話していく内ランスロットの心は不思議とすっきりしていた。まだ答えは出せていないがそれでも誰かに話すという行為はそれだけで精神を楽にするのだと気付く。
    「話したら随分楽になった。ありがとう」
    ランスロットが話をそう締めくくると、それまで最低限の相槌しかしていなかったグランが少し考えるような間の後ごろりと寝返りを打ってランスロットの顔を覗き込んできた。
    「僕はまだ、縁談とか婚約とかよく分からないけど……ランスロットがしたいと思うようにしたらいいんじゃないかな。だって自分のことでしょ?それを周りの人が勝手に決めちゃうのはおかしいと思う。きっと王様も、そんなことで怒ったりしないよ。縁談の話だって、ランスロットの為を思ってのことなんでしょ?それなら、ちゃんと話せば分かってくれるよ」
    彼なりにランスロットの話を受けて考えた末出した結論なのだろう。きちんと伝わっただろうかと不安げな顔をしているグランの頭をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
    「ああ、……そうだな。あんたの、グランの言う通りだ。勇気を貰えたよ」
    ランスロットがそう告げるとグランはあからさまにほっとして表情を綻ばせた。その緩んだ表情を見て、ランスロットの胸中に何かがすとんと落ちてくる。
    「(あ、だめだ)」
    それに気付いてはいけない。以前廃坑道の奥で迫られた選択を迷って以来、厳重に蓋をした筈だ。
    あの時尊敬するジークフリートの、彼に向ける視線を見た。孤独に慣れた男の目が、子供が母に向けるそれと似た色になる瞬間を。それでいてその色は隠しきれない欲で歪んでいた。
    今自分は、あの男と同じ目をしているのではないか。
    いつの間にか蓋は簡単に外れ、見ない振りをし続けていた感情が溢れんばかりの勢いで暴れ出す。
    その途端、結婚に対して気が乗らない理由と、好き勝手に跋扈する噂話を人伝に聞いて欲しくなかった理由を理解した。全て彼の為だ、彼の中の自分の位置を動かしたくなかったからだ。
    グランの隣に立っていたい。自分の隣にグランが居て欲しい。戦友として、仲間として、否もうそんな建前は意味を成さない。
    彼から自分に注がれる執着が欲しい。彼が差し伸べる手は自分にだけ向けられていればいい。大切な筈の仲間を差し置き、半身と呼んで過言ではない少女よりも近い位置に行きたい。
    どうしてこんな子供にここまで心を明け渡してしまったのだろう。
    その自覚を前に、ランスロットはグランに上手く笑い返せたか自信はない。だが不審には思われなかったようで、会話はそれ以降も滞りなく続いた。
    「まあ、王様とお話する前に、呪いを解かなきゃね」
    川の水面で魚が跳ねたのかぱしゃんと小さな音がする。
    「もし呪いが解けなくても、僕が呪いを解く方法一緒に探すから」
    グランが生真面目な顔で決意表明をするものだから、ランスロットは呆気に取られてつい笑ってしまった。
    「ははっ、それは何より頼もしいことだ。ありがとう、あんたが一緒ならこんなに心強い事はない」
    口に出したのは本音の一部でもあった。グランが自分と共に在るというのなら、それ以上の事はない。
    ただその旅路が永遠のものでないことが惜しいと、ランスロットがそれを告げることはなかったが。
    その夜ランスロットは再び夢を見た。正体の分からない声に急かされながら水を掻く夢。重く自由の利かない体は泳ぐことを止めようとするが必死にもがいた。薄い膜を突き破るように水面へ顔を出すと、あれ程響き渡っていた声がぴたりと鳴りを潜める。
    ランスロットは大きな湖の中に居た。社のある地底湖に似ていたが、周囲は乳白色の霧に包まれここが何処なのか判然としない。
    それでも僅かに目が慣れてくると、湖の畔にぽつんと人が立っているのが見えた。ランスロットはその人影に向かって鏡のような水面を腕で掻き分け泳ぎ出す。
    正確な距離は分からないが随分と泳いだ末に漸く判別の付くようになった人影の顔は間違いようもなくグランのものだった。いつもの服装のまま、ランスロットには気付かず湖の畔で立ちつくし空を見上げている。
    グランの視線の先を辿って顔を上げると、白い空を黒く塗り潰す影が近付いてきているのが見えた。黒い竜の姿をした影が距離を詰めると巨大過ぎて視界に全て収まりきらない。翼の羽ばたきで水面をも激しく揺らしてグランの目の前に降り立った影は、自分の足元に立つ小さな存在に視線を落とした。
    黒く大きく禍々しく、そして同時に圧倒的な畏怖を覚える。神と対峙した気分にさせた。その目に射竦められれば指先一つも動かせまいと思うような、人には及ばない超越した存在を前にし、グランは徐にその両腕を黒竜に向かって広げて見せた。
    黒竜は首をぐぅと屈めて待ち構えているグランの腕の中に顔を埋めて目を細める。彼が目一杯腕を広げても抱擁できるのは竜のほんの鼻先だけだったが、黒竜は安心し切った表情で少年に身を寄せている。言葉はなくとも竜と少年の間に強い絆が伺えた。
    その光景に圧倒されていると沖の方からランスロットを呼び戻すようにあの声が聞こえてくる。水中で聞いた時よりもはっきりし始めた声の出所を探して振り返った拍子に、ランスロットは宿屋のベッドの上で目が覚めた。
    またか、と渇きを訴える喉を潤してやる為にベッド脇の水差しに伸ばした手に見慣れないものが付いていて思わず手を引っ込める。寝間着の袖を手首が露わになるまで引っ張り、下に隠れていたものを間近に観察するとそれが魚の鱗のようなものであると分かった。
    軽く擦っても取れず、皮膚と鱗の隙間に爪を入れて力を込めると痛みが走る。皮膚に直接生えていると認めざるを得なかった。混乱していた時丁度グランが部屋に戻ってきた為慌てて袖を伸ばして鱗を隠した。よく眠れたかと問うグランと何事もなく挨拶を交わしながら、内心で自分がこの先どうなっていくのか不安が過ぎる。
    呪いの進行が更に進んだ時、果たして自分は人の姿を保てているだろうか。
    着込んだ鎧の上から鱗があった場所を摩り、ランスロットは完成間近の社のある広場へグランと共に向かった。
    広場には既にいくらか人が集まっており作業を始めていた。人の身長程の大きさの小振りな神の住処は真新しくも厳かな外観で佇み万遍なく朝日を浴びている。
    「この分なら、昼には完成しそうだな」
    順調に進んでいる作業を眺めていると、グランが地図を片手にランスロットを呼んだ。
    他にもいくらか手の空いた団員を伴い、グランは地図の一点を指差した。
    「ここにちょっと用事があるんだ」
    示されたのは見る限り森のど真ん中で、他にこれと言って何があると言う訳でもない場所である。何人かが首を捻ったがグランは実際に見れば分かると告げ先導の為に背を向け歩き出した。
    暫くは人が一人漸く通れる小道を歩いていたが次第に獣道になり、いつの間にか道なき道を草木を掻き分け進んでいる。
    実際に到着したそこは小さな川の畔だった。折り重なった岩から水が染み出し、それが小さな流れとなって川を作っている。
    「ここが来たかった場所か?」
    「そう」
    グランは地図を睨み付けながら慎重に岩場を歩き回り、やがて一つの大岩の前に立ち止まると岩肌をぺたぺたと叩いた。
    「この岩を壊そうと思うんだ」
    「壊す?なんでまた」
    「ここ、あの湖の裏側なんだ。本当ならここに水の通り道があって、地底湖から溢れた水がこの川に流れ込むんだけど……土砂崩れでもあったのかな、この岩が水をせき止めて流れを止めちゃってるみたいだ」
    指差され、ランスロットは改めて勢いの弱い川を眺めてみる。言われてみれば確かに、以前はもっと水位が高かったのだと思わせる名残りが散見された。
    「湖の水が淀んでたのはたぶん泥や雨水が入り込んできてもこっちに流せないからだ。だからこれを退かせば少しは水が綺麗に戻るんじゃないかと思って」
    団員達は協力して大岩の撤去に取りかかった。岩に罅を入れ、いくつかの大きな塊に割り、更に砕いたり上手い事転がしてその場から岩を取り除いていく。
    最初の内は岩同士の隙間から滲む程度だったものが、作業が進むに連れ勢いを増していき最後の大きな塊を退かした途端どっと勢いよく濁った水が殺到した。
    今まで滞っていた分を取り戻さんばかりの水量は暫くすると緩やかになっていき、水質は濁ってはいるものの穏やかな川の流れが戻った。
    「これで少しはましになればいいけど」
    グラン達が村に戻るといの一番に社が完成したと報告が入った。洞窟を抜けることを考えていくつかのパーツに分解出来るよう設計され、任意の場所で再組立ての可能な構造だが端から見た限りでは一般的な社と殆ど変らない。
    次いで唄を任せていた団員達からも一応形にはなったと告げられた。未知の言語故に修得は困難だったようだが持ち前の知識欲が勝ったようだ。
    必要なものは全て揃った。後は完成したものを地底湖へ運び込むだけだ。
    雲一つなく午後の日差しが枝葉の間を縫って降り注ぐ時間帯に、長い一つの行列を作りグラン達は洞窟を目指す。
    露払い要員としてグランとランスロットを含めた戦闘員が前に、その後ろに骨竜を鎮める歌唱部隊、最後尾には分解した社を担いだ建立部隊が続いている。
    森の中に魔物は殆ど出現せず、異様な行進を警戒してか野生動物たちも姿を見せない。
    洞窟内にも魔物は殆ど残っていなかった。昨日の討伐で殆どが逃げ出したのだろう。僅かとなった魔物を危なげなく斬り伏せて行き、ランスロットは再び地底湖へ足を踏み入れた。
    地底湖のある広場は一目見て大きく変わっていた。まず足場に溜まっていた水が捌けており小さな水溜まりは残っているものの湖全体の水位が下がってきている。湖の湛える水もまだ水底までは見通せないがそれでもかつての神聖さを思い出しつつあるようだ。
    湖から目を離さず社の方へ足を向ける。広場の中程まで進んだ時、音もなく水面が持ち上がり水の膜を突き破って白い骨の竜が飛び出してきた。
    「歌唱部隊、用意して!」
    グランの合図に歌唱部隊が骨竜の前に展開し静かに息を吸い込む。
    水神を鎮める唄に楽器は使わない。人間の声のみで奏でられる音楽は果たして骨竜に届くのかどうか。
    ―――……。
    ランスロットらには理解できない言語が繊細に紡がれる。適当な音の羅列のようにも聞こえるが、歌い始めてすぐに骨竜の様子が変わった。何か迷うような素振りを見せ、眼前で忘れ去られた唄を歌う人の姿をじっと見つめる。
    「効果はあるようだな」
    信じられない気持ちで呟き、ランスロットは入り口付近で待機していた社の運搬部隊を手招いた。
    社の前を塞ぐ岩も恐らく後から崩れてきたものだ。その場の面子で何とか岩を脇に転がし、古びた社の交換作業に入る。
    唄を遮らないように音を極力立てず、古い社の残骸を運び出した。長い間水に浸かっていたのだろう、木材の腐食した社は動かしただけで脆く崩れる。社に手を出されたことに骨竜も気付いたのだろうが、歌唱部隊の傍から離れられずにその場をうろついていた。
    狭い内部の壁に松明を固定して光源を確保し、新しい社を運び入れ組み立てる。運搬が終わった者から順に広場から退避させ、いつ骨竜が暴れ出してもおかしくない空間でランスロットとグランは固唾を呑んで全員が社の竪穴から出て来るまで待った。
    時間にして僅か数分、だがランスロットらには随分長く感じられた緊張状態の末、漸く社の設置が終わり全員の退避も完了する。
    「歌唱止め!全員退避!」
    指示を受け唄が止む。その瞬間、何処か夢見心地だった骨竜ががくんと頭を擡げた。眼前に立つ人間を外敵と見なし、長い尾を振り上げ襲いかかる。
    硬い岩盤の表面が割れる程の衝撃で尻尾が叩き付けられパラパラと天井から小さな石や埃が落ちてきた。
    「グラン、先に行け!」
    ランスロットは腰の双剣を抜き放ち切っ先を骨竜へ据え、仲間の退避を庇っていたグランを入り口の方へ押し込もうとする。ランスロット一人で残ろうとしている事に気付きグランも腰の剣に手を掛け首を振った。
    「ランスロットも一緒に!」
    二人を狙った横薙ぎの攻撃が広場唯一の出入り口の上部に直撃する。元より経年劣化の進んでいたアーチ状の入口は崩れ、大小様々な岩が脱出口の殆どを埋め尽くしてしまった。
    「……!」
    二人を逃がさない為にやったのかただの偶然かは不明だが逃げ場を失い、たった二人で正面から骨竜と対峙することを余儀なくされる。
    音のない雄叫びを上げながら槍のように突き出された尾を避け上に飛び乗ると、靴底に骨特有の硬い感触が伝わってきた。
    骨格の上を駆け上がり、噛み付こうと近付いてきた顔目掛けて渾身の力で剣を振り下ろす。しかし表面に切っ先は刺さらず甲高い音と共に弾かれ、剣を握っていたランスロットの腕がじんと痺れて感覚を無くした。
    「ぐ……っ!」
    頭部に取りついたランスロットを骨竜は首を大きく振って払い落そうとする。落とされる前に自ら飛び、水面から覗いている骨竜の胴体を足場にして何とか広場の地面に降り立った。
    「ランスロット!」
    腰から剣を抜いた状態で駆けつけたグランがランスロットの隣に並ぶ。逃げろと言ったのに、という問答をしている余裕はない。
    「……ッ」
    グラン、と名を呼んだ筈だった。しかし実際に口から漏れたのは掠れた呼気だけで、次いで空気を吸い込んだ瞬間喉を焼け付くような痛みが襲う。
    「うああ゛…ッ!」
    燃え盛る炎を丸呑みしたのかと錯覚する程の激痛に立っていられず膝を付いた。傍らに近付いてきてランスロットを呼ぶグランの声が酷く遠く感じる。
    何故痛むのかが分からない、だが痛みはそんなことは構わず息をするたび無慈悲に喉を焼いた。
    痛みに引き裂かれる頭の中に直接声が響く。夢の中で聞いた抗いがたいあの声だ。近く遠く、女のような男のような声でランスロットに語りかけてくる。
    「あの子をここに、連れておいで、ここにあの子を、大事な大事なあの子をここに」
    夢の中よりも声は明瞭に語りかけてきた。そしてその声の主が眼前で荒れ狂う骨竜であることを本能的に理解する。何度も繰り返される言葉の意味は分からない。だが声を聞くと体は勝手に従順になろうとし、地面に爪を立てて耐えた。
    奥歯を噛んで萎える膝を叱咤し立ち上がろうとした時、横合いからの強い衝撃と共に視界が横転する。
    骨竜が振り回した尾を避ける為にグランがランスロットに抱き着いて倒したのだと気付いた時既にランスロットは湖の中に背中から落ちていた。
    骨竜が暴れたからかそもそもそういうものだったのか、水面は穏やかに見えた湖の中は複雑な水流が折り重なっていた。陸地が瞬く間に遠のき全ての景色が濁った水に飲み込まれ何も見えなくなる。それでもせめて今腕の中に居るグランだけは手放すまいと小さな体に腕を回し力を込めると、それに応えるように胴に回った腕がぎゅっと抱き返してきた。
    濁流と言って遜色ない勢いで水底へと押し流されていく感覚だけが伝わってきて溺死を覚悟したが、翻弄される意識の中あることに気付く。
    「(痛くない……?)」
    喉の痛みが嘘のように消えていた。あの痛みは錯覚だったのかと疑いたくなる程何の名残りも感じない。水に触れていれば緩和される所を見ると喉を焼く痛みも水竜からの呪いの類だったのだろう。
    どれ程下降を続けていたのか、いつしか水流の勢いが弱まり水底に足を付けて立つことが可能な程流れの停滞する場所に行き着いた。辺りは相変わらず濁って見通すことは出来ないが何とか間近のグランの顔位は視認できる。
    グランは苦しそうに眉根を寄せていた。ここまでくるのにどの位時間が掛かったかは不明だが大人と子供では肺活量も変わってくるだろう。ランスロットはグランの頬を両手で包んで上を向かせ、口を合わせて肺の中の空気を分け与えた。そんなことをされるとは思っていなかったのか音もなく体が強張る。
    貴重な酸素を外へ漏らしてしまわないようぴったりと唇同士を重ね合わせ、自分の中にいくらか残った空気を明け渡した。
    信じられないと目を見開いている顔が見える。ランスロットはグランに微笑んで見せ視界が悪い中でも周囲に何か無いかと辺りを見渡した。
    真上に泳いでも濁流に巻き込まれまともに浮上することは叶わないだろう。何か浮上の手助けになるようなもの、せめて壁に行き当たればそれを頼りに出来るのかも知れないが、自分が何処を向いているのかも分からない中適当に歩き回るのも危険だ。かといって悠長に悩んでいられる猶予もない。
    その時ランスロットの視界に何かが掠めた。光のようにも見えたがこんな場所まで届く光などありはしないだろう。それ自体が光を発しでもしていない限り。
    他に寄る辺もなくランスロットはグランを促してその光に向かって泳ぐことに決めた。ゆったりとした水の流れを頬に感じ、まるでランスロットたちをそこへ誘うような優しい流れに導かれ、それに触れられる距離にまで近付く。
    光っていると思っていたそれはただの透明な硝子玉だった。硝子玉が反射して発光して見えただけで、最初から光って等いなかった(まあここには反射する光源もないが、考えても無駄な事なのだろう)。
    大きさは掌に丁度収まる程、ごつごつとした岩床の上に無造作に放り出されていたが罅一つ入ることなく完璧な球体と透明度を保っている。それがただの石ではない事は、ランスロットも薄々理解していた。
    傍らに膝を付きランスロットは躊躇なく透明な石を拾おうと手を伸ばす。もう片方の腕をグランが引いて制止したが、止まろうと意識が働くより少し先に指先が石に触れた。
    触れた瞬間、指先から何かが怒涛の勢いでランスロットの中に入ってきて容易く体の主導権を奪った。手には石を握っていたがまるで自由が利かず、神の逆鱗にでも触れたかと考えた直後思考も体から弾き出されてしまった。

    次に目を開けた時、ランスロットは夢の中の美しい湖に仰向けの状態で浮いていた。乳白色の世界は空も大地もなく続き、それを横たわったままただぼんやりと眺めていると水の鱗を纏った竜が音もなく近付いてきた。湖底で見つけた石に似て美しい鱗は光を屈折させ宝石の如く輝き、こちらを見下ろす二つの目は燃えるような青を湛えている。
    水竜は寝転がるランスロットを上から覗き込み、徐にその口を大きく開いた。
    ああこれから自分はこの美しい竜に食われるのだろうなと恐怖や焦りの一つもなく理解する。
    食われてしまえばきっと跡形も残らない。魂すら故郷に還ることも叶わない。だが仕方がないのだ、抗う術等何処にもないのだから。
    現実味のない諦観から目を伏せようとした時、水竜とランスロットの上に大きな影が差しかかった。はっと目を開くと探すまでもなくその影の正体が目の前に降り立つ。
    巨大な飛沫を立ち上げながら湖に飛び込んできたのは、禍々しくも神々しい黒竜であった。反射的に湖の畔にグランの姿を探すが人影は見えない。
    突然現れた黒竜に水竜が威嚇の声を上げたが、黒竜は水竜を敵と見なしてはいなかった。牙を剥き出し水竜の喉笛に勢いよく食らい付き、断末魔ごとへし折ろうと振り回す。美しい水の鱗がガラスのような音を立てて割れ、水竜が甲高く吠えた。
    水竜の喉笛が食い千切られる直前、黒竜の肩付近から小さな影が現れ黒竜の暴走を止めた。身の程を知らない者に喧嘩を売られ怒る黒竜を優しく宥め、命を奪うべきではないと説き伏せる。
    遠目でも分かる、その横顔はランスロットの良く知る少年のものだった。
    やがて少年の説得を聞き入れた黒竜は動きを止めて水竜から牙を抜く。水竜は噛まれた個所を庇う素振りを見せながらふらふらと湖に体を沈めた。敵意や戦意は完全に萎え、黒竜に対し畏れの籠った視線を投げている。
    それを見届けた黒竜は空気を痛い程震わせる咆哮を残し巨大な翼を羽ばたかせた。純度の高い力の奔流を前にランスロットは言葉もなく圧倒される他ない。
    飛び去って行く黒竜と唯一無二の伴侶のように寄り添う少年の姿を見たのを最後に、ランスロットの意識は水底に沈んで消えた。
    遠くから声が聞こえる。今にも泣き出しそうな子供の声だ。
    そこまでは分かるが思考が淀み、聞こえてくる声を上手く答えに結び付けられない。
    どれ程意識の浅い所と深い所を行き来していただろうか、時間の経過と共に意識が徐々に取り戻され、子供の声も近くなってくる。
    「ランスロット、お願いだから起きて、ランスロット……」
    体が酷く重くて感覚が鈍い。自分は今どうなってしまっているのか、天地の境界すら覚束なかった。
    投げ掛けられる声の合間に口に柔らかな感触が押し付けられ、空気が吹き込まれているを感じる。長らく水に浸され停滞していた脳が酸素を得たことにより正常な思考を再開させ始めた。最初に自由の利かなかった指先が僅かに動き、喉の奥で掠れた声が漏れる。肩を揺さぶられる感触に後押しされる形で、体の中に僅かに残されていた気力を使い瞼を押し上げた。
    暗闇に慣れていた目が光に慣れるまで暫く掛かったが、柔らかな木漏れ日と今にも泣きだしそうな顔をした少年が視界に映りランスロットは弱々しく少年の名を呼んだ。
    「ぐら、ン…」
    「ランスロット…!良かった、もう目を覚まさないかと」
    グランはランスロットがふらふらと持ち上げた手を強く握り締め、自分の頬に押し当てた。触れた頬が濡れている。泣いていたのだろうかと思ったが、グランは頬だけでなく全身がびしょ濡れの状態だった。
    傍らにランスロットの鎧が外された状態で積み重なっているのが見える。今纏っているのは布の服だけで、自分も芯まで濡れていた。
    「俺は、いったい……ここは」
    まだ脳の眠っている部分が多く事態が飲み込めない。介助してもらいながら体を起こす中、自分が何かを握っている事に気付いた。
    眼前に持ってきて掌を開くとそこには透明な丸い石が収まっており、よく見ると完全に透明なのではなく中でキラキラと何かが輝いて見える。穢れのない水をそのまま球体にしたような石を暫く眺め、ランスロットは状況の説明を求めてグランに視線を移した。
    「今朝、石を退かした場所覚えてる?湖の底から流れに沿って泳いだらそこから外に出れたんだ」
    そう言われて改めて周囲を見渡すと、確かに一度来たことのある場所だった。二人は小川のせせらぐ川岸に座っており、皆で協力して退かした岩の残骸も残っている。一際勢いよく水の溢れ出すその場所から自分達は出てきたのだという。
    「今ビィに仲間を呼びに行ってもらってるから、もう少し休んでていいよ」
    未だに反応の鈍いランスロットをグランは自分の膝を叩いて呼び、横たえさせた。グランの膝に頭を乗せ下からグランを見上げていると、ぽつりと無意識の中で見た光景を思い出す。
    「夢を……見ていた、気がする。あんたが出てきた」
    「夢?どんな?」
    「……竜に食われる夢」
    手の中で石を弄びながら答えるとグランが黙り込んだ。眉間に皺を寄せ深刻な顔をする為、ランスロットは気楽に肩を竦めて見せる。
    「ああ食われる、そう思った時黒い竜と一緒に、あんたが来た。俺を助けたわけじゃないんだろうけど、そのおかげで俺は食われずに済んだ」
    何の気なしに眼前に翳した手の、袖の下を覗き込むと今朝見た時よりも範囲の広がった鱗が見え何も言わずに手を下ろす。
    「そっか、良かった」
    ほっと息を吐くグランの様子が大袈裟に見え、彼の額に張り付いた髪を払ってやりながら笑った。
    「ただの夢だ、変な話を聞かせて悪かったな」
    「そんなことない。もしも夢の湖で竜に食べられてたら、現実でも助からなかったかもしれない。自覚はないかもしれないけど、一回呼吸が止まったんだよ」
    だからあんなに取り乱していたのかと、意識があやふやな時唇に感じた感触を思い出しながら納得する。夢の中でも現実でも、自分はグランに助けてもらってばかりだ。
    漸く意識がはっきりし始め、恐る恐る体を起こす。水を飲んだのか少しえずく心地はするが大きな変調は感じられなかった。
    自分の体の調子を見るランスロットをはらはらしながら見守るグランを振り返り、ランスロットは深く頭を下げる。
    「ありがとう、グラン。あんたは俺の恩人だ」
    謝礼を述べられたグランは途端に酷く恐縮し、ランスロットの頭を上げさせようと慌て始めた。
    「いやそんな、僕も必死でよく覚えてないし、それに助かったのも運が良かったってのもあるから、僕は感謝されるようなことは何も……」
    ランスロットは顔を持ち上げると、眉尻を下げたグランの額に自分のそれを弱めにぶつけた。そのままの距離で榛色の丸い瞳を覗き込み囁く。
    「そんなに畏まらないでくれ。別にあんたをこの先崇拝するって言ってるわけじゃないんだ。感謝くらいしてもいいだろ?」
    わざと軽い口調で言うとグランは黙り込み、躊躇の末渋々といった様子で頷いた。
    「大きな借りが出来たな。いつか必ず返す」
    いつか彼が自分に助力を望む時が来たならば、必ずその呼び掛けに全身全霊を持って応えようと心の内で決めた。
    それを口に出してしまえば目の前の少年はまた恐縮してしまうだろうから。
    呼吸が止まった際に応急処置の為グランが外した鎧を再び身に付けながら暫く待っていると遠くから複数の気配が近付いてくることに気付いた。グランも同様らしく、二人は同時に顔を持ち上げ気配のする方向へ視線を向ける。
    「…ーぃ、おーい、グラン!大丈夫かぁ!」
    聞き慣れた少し舌足らずな幼い声と共に赤い小さな竜が茂みの中から飛び出してきて、グランに飛び付いてきた。その後からぞろぞろと団員達が駆けつけ、口々に安堵や心配の言葉を二人に掛ける。
    「二人とも、無事で良かったです……!岩を退かして広場に戻っても二人とも居なくて、どうしようって…」
    ルリアは目の縁一杯に涙を溜めてまくし立てた後やはり我慢出来ずにぼろぼろと涙を零し始めた。グランがか細く震える華奢な肩を叩いて慰めると、ルリアは自分も濡れてしまうのも構わずグランの首元にしがみ付いてすんすんと泣いた。
    「団長、これからどうする。あの竜はもう手が付けられん。近付いただけで暴れ出すし、唄ももう効かない。最善の策とは言えんが、一旦時間を空けた方が良くはないか」
    カタリナが消耗した様子で呟く。グランとランスロットを捜索する際に骨竜と一戦交えたのだろう。どんな攻撃も文字通り歯が立たない骨竜を相手にしながら見つからない失せ人を探すのは相当大変な事だったに違いない。
    「いや……もう一度行ってみるよ」
    「はっ…!?グラン、正気か?次も助かる保障なんかないんだぞ」
    グランの発言にカタリナは驚きを露わにし隣で話を聞いていたランスロットに視線を投げた。グランと同じ経験をしたランスロットならば、その無謀さを説いてくれると思ったのだろう。
    ランスロットはグランの言わんとしていることが分かっていた。故に手の中にある滑らかな石の感触を確かめグランの意見に同意を示す。
    「俺も行こう」
    カタリナが信じられないものを見る目をグランとランスロットの間で往復させる。
    どうやら本気で言っていると認めたカタリナは二人に念を押した。
    「本当に行くのか」
    「うん。ちょっと、やり残したことが出来たからね」

    骨竜は余程派手に暴れたのだろう。洞窟内にところどころ崩れている個所があった。通れない程ではないが今後も使用していくのなら整備が必要だろう。
    広場の出入り口には荒く瓦礫を退けた痕跡があった。人が一人漸く通れる体の瓦礫の壁を更に崩して抉じ開ける。
    広場には戦闘の痕跡があちこちに残っていた。今は骨竜の姿はないが、足を踏み入れればまた出てくるのだろう。
    「俺一人で行ってくる。ここで待っててくれ」
    後に続こうとしたグランを手で制し、ランスロットは単身瓦礫を乗り越え広場に再三足を踏み入れた。剥き出しの岩盤に足音だけが高く響く。注意深く湖を見つめ、骨竜の出現に備えていたが水面は沈黙を保ったままだ。背後を振り返るといつでも飛び出せる状態のグランが固唾を呑んで見守っている。
    ランスロットは慎重に広場を突っ切り、新設したばかりの社の前に立った。社の中央の小さな扉になっている部分に手を掛けた時、何処からか視線を感じたが気付かない振りをして引き開ける。
    中は空っぽだ。古い方もそうだった。否、空になってしまったのだろう。
    ランスロットは懐から透明な丸い石を取り出し社の中にそっと納めた。手を放すや否や石は内側から光を放つと見る見るうちに形を変え、やがて美しい水の結晶を生み出す。それらは一つの意思を持って宙を舞い、社の前に立っていたランスロットの胸を貫いた。
    「ッ!」
    反射的に体を強張らせたがいつまで経っても痛みが来ない。貫かれた筈の場所を摩るが鎧に傷一つ付いていなかった。自分の体を擦り抜けて行ったのだと気付きランスロットが振り返った先にはいつの間にか湖から姿を現した骨竜の姿があった。骨竜の出現を受け、グラン達がランスロットに駆け寄ってきているのが見える。
    水の結晶が竜の体表に張り付き瞬く間に鱗を形成していく中、竜は大きく身を躍らせると湖の縁をぐるりと一周回った。
    変化はすぐさまランスロット達の目の前で起こり、瞬く間に湖の水が変質していく。竜が、正確には竜の鱗が触れた部分から順に淀みが消えていき、竜が次にランスロット達の眼前に姿を現した時剥き出しだった骨は水で形成された鱗に覆われ、空洞だった眼窩には透明度の高い青色の目が戻っていた。
    叡智を湛えた瞳が湖を満たす水の水質のように優しくランスロット達を見下ろす。
    神に力が戻ったのだ。
    水竜は一度吠えた後ささやかに湖面を揺らして水面下へと姿を消した。暫くの沈黙の末、終わったのだと澄み切った湖を眺めて全員が知る。
    「……終わったか」
    ランスロットはそっと鎧の下の素肌を覗き込み、手の甲に広がっていた鱗が無くなっている事を確認し溜め息を吐いた。
    社の方を振り返るといつの間にか扉は閉ざされている。その奥に何かが光っているように見えたが、ランスロットはその正体を確かめようとは思わなかった。
    事態の収束を確認し、グランが団員達に撤退の指示を出す。各々が警戒を解き仲間達と労い合いながら帰還していく中、ランスロットは暫くその場から動かず美しさと静寂を取り戻した湖を眺めていた。
    水竜はランスロットに連れてこいと言っていた、夢うつつにそれだけは覚えている。あの子とはあの石のことだったのだろうか。そう考えると納得のいくような、何処か腑に落ちないような、奇妙な心地がした。
    きっとそれは、ランスロットには「大事なあの子」と言われて思い浮かぶ人物が既に居るからなのだろう。全ての真相が明らかにならないまでも、ランスロットはそう思うことにした。
    「ランスロット?」
    中々戻ろうとしないランスロットの背中にグランが声を掛ける。取り止めのない思考を、湖から視線を逸らすことで断ち切りランスロットは自分を呼ぶ声に応えた。
    「ああ、今行く」
    亮佑 Link Message Mute
    2022/08/14 17:17:21

    みなそこ

    pixivからの移設です。
    #グラブル #ラングラ

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