正義という悪徳
あれがバーフバリを殺してしまう前に、あれを、息子を殺してくれ
他の誰にも頼めぬ。頼む、バーフバリが友と呼んだ勇者クマラ・ヴァルマよ
先王の兄ビッジャラデーヴァの先導で王族専用の隠し通路を進む。彼の手駒の兵士らがクマラの合流を冷ややかに迎えたのは、人など到底殺せそうにない人柄だと聞いているせいだろう。
一番後ろを長躯を屈めてついてゆくクマラは考える。
戴冠式に招かれ、宴席の末席でちらと目と耳にしただけだが、ビッジャラデーヴァ殿下はバーフバリのことをよく思っていないはず。
ビッジャラデーヴァ殿下が息子のバラーラデーヴァ様、現国王を溺愛しているのは明らか。
バーフが国王の座に就いたのをよしとせず暗殺する企みであれば納得がゆくが、そうではない。
愛息は既に王冠を戴き、追放された先王の子など処分を推奨しさえすれこそ、愛息を殺めてまで守ってやる必要などどこにもないはずだ。
なれば、これは、罠だ。
私を使うことでバーフを陥れるためか。
まさか本当に愛息を殺め自らが王冠を、と言う可能性もゼロではない。
照りつける強い陽光の中、金襴をまとって戴冠した美しいひとを思い出す。あんなに暑かったのに、寒気で身震いするほど恐ろしかった。あのひとの、かかえた、孤独が、大きくて。
孤独の原因はなんだろうと、バーフにそっと水を向け聞き出せば、幼き頃より父君の呪詛と呪縛に囚われていたと言う。
本来優しい性格なのだ。だが、私に話しかければ私がかの殿下に悪し様に言われてな。それを厭うたバラーはいつしか距離を取るようになった。私を突き放す態度を取るようになった。そうすることで、私も自分も守ったのだと思う。…優しい兄なのだ。
遠くを懐かしむ目をしたバーフの横顔には、悔恨が滲んでいた。
私はそうして守ってもらったのに、私はバラーを守ってやれなかった。父親の叶わぬ野望だけを押しつけられ、いつしか自分の望みだと錯覚しはじめたことに気づいていたのに、それを指摘できるほど大人ではなく、大人になる頃には機会は失われていたのだ。
クマラ、バラーを誤解しないでやってくれ。強く、賢く、美しい、私の自慢の兄だ。
そうか。
クマラは気づく。
元凶は、ビッジャラデーヴァ殿下だ。
隠し通路は暖炉に通じていた。王の寝室。音もなく開く扉から香油の豊かな香りが流れてくる。
子殺しの茶番は続いている。
寝台の上、絹布を剥がせばもちろん誰もいない。
雄叫びをあげて同行した兵を倒してゆく。
向かった更にその先に佇む、ビッジャラデーヴァを盾にし、その首すじに刃を当てているその人こそ、現国王。
マヒシュマティの獅子王。
バラーラデーヴァ。
茶番はここまでだと、クマラは理解する。躊躇するフリをして一瞬動きを止めたのち、手にしたバーフの宝剣で、ビッジャラデーヴァの首を、斬った。
偽の企てとはいえ子殺しを提案した彼に容赦は要らず。
この美しいひとに父殺しの罪を犯させるのは憚られ。
ならば。
ならば私が手を汚そう。
小国の傍系ひとり、どうとでもなる。祖国にそれほど大きな迷惑はかかるまい。
「…は、」
こぼれんばかりに見開かれた瞳のまま、バラーラデーヴァはなんとなく父の体を支えていた両腕を離して広げる。鈍い音で倒れる父に目もくれず、クマラを見た。
怒りに任せて私も斬られるだろうなとクマラは思ったが、耳に届いたのはバラーラデーヴァの哄笑だった。
「はははははは!は、ははは!貴様!弱小国の腰抜けと思うていたが、なかなかどうして!」
身をのけぞらせ思う様笑うと、国王はクマラに恐ろしいほど美しい笑みを見せた。
「──よくやった。褒めてやろう」
「あなたを、解放したかった……」
「理由は好きにつけよ。一切を不問に付す」
褒美は好きに取らせよう。子殺しを企んだ悪鬼のような父から国王を守った勇者として盛大な宴を開いても良い。
「では、…では」
あなたのおそばに。
「──赦す」