恋人試用期間ルナは顔から表情が消えていくのを自覚した。
今度の土曜に都合つく面子だけでいいから飲もうと誘われて、やってきたのはソーンのアパートメント。そこで彼女が目にしたものは。
「ハイ、ルナ久しぶり。相変わらず美人だ」
「お前のが美人」
「悪ィな、こんなだから動けねーんだ。適当に座って」
「いい声」
邪魔したね、とその場で踵を返すべきだったのに。
「あんたら付き合ってんの」
どうしてそんなことを聞いてしまったのか。
ソーンを後ろからがっつりと抱えて、短い髪に頬擦りやらキスやらをしまくっているのはスマイリーだ。くそ、顔がいいのが顔のいいのを抱えてる絵面が眼福じゃないのと思わされるのが悔しい。顔がいい。
「そう」
ルナには目もくれず肯定するスマイリーと、
「試用期間だよ」
あっさりした態度のソーン。
ルナは言われた通り適当に椅子を引っ張っていい位置に据えるとどっかりと腰を下ろす。
「意外」
「スマイリーだろ? こんなくっついてくるタイプには見えなかったんだけどな」
それは確かにそうだ。甘いマスクだがきっちり主導権を握るタイプだと思っていたから。
「あんたもだよ」
ソーンだって俺のソファですが何か?みたいにスマイリーに体重を預けてくつろいでいる。手元のノートパソコンに添えられた手指は忙しなく動いているが。
「ソーン」
「ダメだ」
スマイリーが何事かをねだったらしいが、ソーンはにべもない。
「ソーーン」
「今ここで作業を中断すると、今度はロサンゼルスが止まるぜ?」
飲み会に誘っておいて何してんだこいつ。イカれてる。ルナは勝手に冷蔵庫からコーラを取り出して一口あおる。
「お前はその片棒をかついだことになーる」
うぅ、とうめいて引き下がらざるを得ないスマイリーはソーンのうなじに額を押し付けて、ほら大人しくしてるぞとアピールしているようだ。
「そうだ、あんたたちどっちかヒマ作れる? 来月の下旬なんだけど、気になるイベントあってさ。それが野郎同伴指定なんだ」
「ああ、い」
「ダメだ。ソーンは貸さない」
ソーンが機嫌良く了承をしかけたところに被せるようにスマイリーが呻いた。
「ソーンは俺の恋人だから貸さない」
「俺は試用期間のカレシ貸しちゃう。スマイリー行ってこい」
「ソーン、ひどくないか」
「こんなんでゴネられたら面倒で仕方ない。俺はいつでも解消していいんだぜ?」
「ソーン!」
まさかロスやクリスマスに頼む訳にも行かないと思っていたが、これはこれでめんどくさいなとルナは分かりやすく顔に出して思った。
「で、マジでさ。どっちか行けそう?」
貸す貸さないの応酬はもはや犬も食わないなんとやらにしか見えないルナが、腕組みをして仁王立ちする。
「俺」
ソーンが親指で自分を指す。
「あたしがエスコート役じゃん? お嬢さん」
「は。ドレスでも着てくか?」
こんな軽口が叩ける気やすさはありがたい。スマイリーと言えば、大事な恋人を貸すのだから、その分までくっついていようとでも思ったのか、ますますソーンを抱きしめて離れようとしなかった。
やってきたイベントは得るものも多く、ソーンは同伴者として、控えめに評しても完璧だった。
お礼代わりに一杯奢るとルナの申し出にでは遠慮なくと笑うソーン。腕っぷしだけで集められたのが縁とは言え、いい出会いになったのは確かだ。
バーのカウンターでグラスを傾けながらの雑談の中、次もこう言った機会と必要性があれば頼みたいと謝意と共に率直に伝えれば、一杯奢りでいつでもオーケーと軽いものだ。
「スマイリーはどう説得するの」
「はぁ? いつまで一緒にいるか分からねーからそん時いたら考える」
「本当に試用期間?」
そうだよ、と言った横顔に一瞬翳を見たルナが口を開く前にソーンが言葉を続ける。
「俺がダメになる前に別れるのさ」
「暴力…振るうようには見えないけど」
「ちっがう違う、まーったくの逆」
「じゃあ」
「愛されすぎなんだよ」
ハグもキスもセックスも溢れんばかりの愛情が込められて、ぐずぐずに溶かされそう。こんな上等な愛情は俺にはもったいない。もっと、ちゃんと受け止めて与え返せる誰かに注ぐべきだ。イカれたハッカーの俺じゃなくてね。
「……酔って口が滑った」
「言わないから安心しな」
「ああ」
「ソーーーン!」
帰れば見えない尻尾をちぎれんばかりに振る大型犬もといスマイリーが出迎える。
「ルナから予定時間のメール来たんだ。水飲む?」
「飲む。飲むから少し力緩めろ元マリーン。死ぬ」
「っ、悪ィ帰ってきたのが嬉しくて」
人懐こい笑顔に、少しだけヒネた笑みを返して、ソーンはさっさとシャワーを浴びに行く。
いつ別れを切り出そうかなと考えながら。
終