アルジャンろぐ新しい〜古い順です。
簡単に内容も書いていますので、ご参考にされてください。
2ページが、今回初公開の新作です。
それではお楽しみいただけるとうれしいです〜!
* もくじ
お題:キスしながら
※新作
※スクカパロ
お題:誕生日
#アマエる右ジャン版お絵かき60分1本勝負様 参加作品
リク:お花見アルジャン
お題:机の下で手を繋ぐ
※スクカパロ
お題:温め合う
#アマエる右ジャン版お絵かき60分1本勝負様 参加作品
お題:背中に抱きつく
お題:唇に噛み付く
お題:元恋人
お題:愛する臆病者
お楽しみいただけると幸いです!
アルジャン
お題:キスしながら
※スクカパロ
――今日は、初めてのお泊りの日だった。
「ふぅっ! ほら! すごくない!? 今のシーン何回見ても滾るーっ!」
……だが、俺の予想を反して、十一時が回った今も部屋の電気は一番明るいままだし、アルミンの部屋にあるパソコンの画面からはアニメ映画の戦闘シーンが派手に流れている。
不安や期待や、そのほか諸々の感情に胸中を複雑にしていた俺がアルミンの家に到着すると、アルミンは早速と言わんばかりに今ハマってるアニメの話をし始めて、今日はそのアニメの映画を見ようと言い出した。何やら『作画』? が神がかってる? とか、『声優』? が、豪華? とか……? よくわからない呪文みたいなものを並べ立てて、あっという間にセッティングを完了していた。……始めは楽しそうに語るアルミンにつられて、俺もまあいいかなんて思っていたが……どうやら俺はこのアニメよりもよほど、アルミンに興味があったらしい。……特等席よろしく、普段アルミンが使っているパソコンデスク用のチェアに俺は座らされて、その隣に別で準備した椅子にアルミンは座り……期待したような触れ合いなんて間違っても起こりそうにないほど退屈な時間を過ごすはめになってしまった。
いくらアルミンがオタクだと言っても、付き合っている二人が互いの家に泊まるということは、つまりそれが何を意味しているかくらいわかるはずだろう。……少なくとも俺はそう思っていた。何なら俺たちは付き合い始めたばかりで、初めてのお泊りだ……こんなに色気のない時間を過ごせるとは毛の先ほど期待していなかった。
「……ジャン」
「んー?」
まだまだ終わる気配を微塵も感じさせない映像を眺めていたら、先ほどまで鼻息を荒くしていたアルミンが声を掛けてきた。どうせまたよくわからないアニメ用語を使ってオタク語りをしてくるのだろうと思い、油断して気のない返事をしてしまった。
「……面白くない……?」
控えめに尋ねられて、俺はハッと我に戻る。突いていた頬杖から顔を上げて、ようやくアルミンが俺の顔色を窺っていることに気がついた。
好きなものを共有したいと思ってくれたことは嬉しいが、正直になるなら、本当はもっとアルミンと向き合いたかったとは思う。そして俺という人間は、生憎とお世辞や社交辞令を口にするようなタイプの人間ではない。こいつもそれは承知の上のはずだ。
「いや、まあ、面白くねえこたあねえけどよお……」
激しく凹まれるのは不本意なので、一応語気には気をつけて教えてやった。
するとアルミンは慌ててキーボードに触れ、流れていた映画を止めてしまった。
「ご、ごめんね、やっぱり見るの、やめようか」
だがその目を見ていればわかる。俺がなんでこの映画に集中できないか、その本当の理由をわかっちゃいない。きっと大方、このアニメが俺の肌に合わなかった、くらいに考えているに違いない。
それでは埒が明かないので、優しい優しい俺は、隣合わせの椅子に座っているアルミンに、顔を寄せてヒントをくれてやった。
「……お前さ、なんで俺がここにいると思う?」
「え?」
「……なんで俺はここにいるでしょーか?」
ぱちくりと何度か瞬きをして、わかりやすく見当もつかないことを俺に悟らせてくれる。……そんな顔をされても、それで納得がいくはずもなく、何も言われない内は静観しておくことにした。
待つこと数十秒くらいだったか。
「……ぼ、ぼくが…………君に好きって……伝えたから……」
驚くほどの速さで顔面を真っ赤にしたアルミンが答えた。その表情はまさしく俺に告白してきたときの顔と重なり、思わず俺もどきりと胸を高鳴らせてしまう。だがここで俺まで赤面してしまうと格好がつかないので、必死に気づかないふりで通した。
それに、その見解にはマルをやれるわけがない。というより、その見解では色んな要素が抜けすぎて、反対に腹が立ってしまうほどだ。
「上等だオラ。じゃあなにか? お前は、俺が告られれば誰にでもほいほいついていくような軽薄男に見えてんのか?」
わざと不機嫌な顔をしてやった。俺の気持ちも考えろ、と言ってやるのが早かったが、それだとほぼ正解を教えることになるので、ぐっと堪えて様子を見守る。
「い、いや、そういうわけじゃないけど……その、それこそ、君がぼくを選んでくれたのだとしたら、ぼくにはアニメくらいしかない……から…………君も、アニメが好きなのかなあって……」
「……どうしてンなしょーもねー解釈しちまうんだか……」
もし俺がアルミンが思っている通りの男だったなら、俺はアルミンの家に来るとアニメが見られるから告白を受け入れたことになる。……そんなわけがあるかと言ってやりたかったが、そうするとそれも答えになってしまうので、なんとか腹の底へ飲み込んだ。
「……あのな、」
代わりにまた別のヒントをやることにした俺は、やはり称賛されていいくらいには優しい男だ。
「この家にはアニメ以外にもあるだろうが」
「……え? なに?」
「知らねえ、自分で考えろ!」
「……えー! ヒント!」
何とも情けない顔でそんな風にせがんで来るものだから、呆れてため息が出てしまった。……そもそも今までのやりとりがその〝ヒント〟だったわけで、俺はもうこれ以上は何も渡さない決意で腕を組んで見せた。
少し考えたらわかることだろうに。……俺が『アルミン目当て』でここに来ていることくらい。
「……ジャン?」
どうしてもわからないようで、そっと俺の腕に触れて尋ねられる。実のところ、アルミンのこういうそっとした、あるいは優しい触れ方が、俺は好きだった。
「……じゃあ、こうしようぜ」
「うん?」
俺はアルミンに甘いだろうか。そう思いつつも、俺もアルミンも満足できる案を閃いてしまった。……しかもそれは、ともすればアルミンにも色んなことを自覚させられるかもしれない、そんな名案だ。
「この映画が終わるまでさ……そうだな、二分だ。二分ごとにキスしようぜ」
「えっ……」
絶対にアルミンは想像していなかったであろう提案をしてやったら、案の定アルミンは全身をガタつかせて驚愕の声を上げた。
「ええ!? で、ででででっでもっ、ぼ、ぼくたちまだっ」
「ああ? 嫌なのか?」
強めに押してみる。……確かに俺たちはまだ、ちゃんと手を繋いだことがあるくらいだが……〝お泊り〟というイベントにおいて、それくらいのことは期待してもいいはずだ。……少なくとも、俺は期待してここにいる。
「……い、嫌じゃ……ないです……」
幸いなことにアルミンが先に真っ赤になって目を伏せてくれたお陰で、実は俺の中にも突沸していた蒸気を見られずに済んだ。
俺は何事もなかったように椅子から立ち上がり、
「よし、じゃあ、二分置きにキスな」
パソコンの画面をベッドのほうへ向け、部屋の電気を消した。その様子を見守っていたアルミンは特に止めに入ることなく、俺が照れ隠しでベッドに飛び乗ったのを見届けた。……もちろん、電気を消したのも、赤面していることを少しでも誤魔化すためだ。内心では脈が爆発しそうだと焦っていたほど、心臓が激しく活動していた。
「……わかったよ……」
ついに観念したようにアルミンも椅子から立ち上がり、パソコンの画面の中で止まっていた映像を再生させた。おずおずと俺が横になっていたベッドのほうへ寄ってきて、俺とは真逆にそろりと横たわった。
――当然のことながら、そのあと俺たちが映画に集中できる道理はなく、ほとんど俺の思惑通りに進んだ……いや、思惑以上か。
おしまい
アルジャン 小説
ワンドロ様お題【誕生日】
「――っわあっ!」
ごとん、と重たい音とともに、アルコールの匂いがこの場にいた四人を包み込んだ。
「おいおい、ジャン大丈夫かよ?」
「わりわり、」
「そうですよ。今日飲み過ぎじゃないですか?」
目前ではテーブルの上をじわじわと這って液体が領域を広げていく。慌てて立ち上がったサシャが獲物を追うように、台拭きをさっと手に取りこれ以上被害を広げないように努めていた。深みのある色を持っているその液体は、兵士が祝い事のときに嗜む上等な酒だ。
「いいだろー! 今日はおれのたんじょおび、なんらから!」
「わあっ、ジャン!? 危ないって!」
今し方派手に落とした酒瓶を再び掴み、弁舌を振るうように長い腕を振り上げたジャンから避けるよう、今度は隣に座っていたアルミンがその身を傾けた。
この場にいた四人とはコニー、サシャ、アルミンと、本日めでたく誕生日を迎えたジャンの四人だった。誕生日を祝いたいからとコニーたちが上官に頼み込み、特別に許可を得て、消灯後も食堂ではしゃいでいた。エレンやミカサは別件の訓練があり、参加をやむを得なく断念していた。
慌てて制止する三人の心配はどこ吹く風で、
「べはは、こんなときに飲まねえでいつ飲むんだあ?」
ジャンはまた気前よく全身を使って笑い声を上げた。
指揮官を任命されてからというもの、根を詰めすぎていたせいか、はたまた年齢の問題か、最近はあまり目にする光景ではなくなっていたが、元来ジャンという人間は愉快で痛快な人物ではあったのだ。
だが、こうなってはそんなことを言っている場合でもない。ジャンの横からひょこりと顔を出したアルミンが、手際よくジャンが握っていた酒瓶を取り上げた。
「あーもう、はいはい、でもそろそろ終わりにするよ」
「そうですね」
「ぼく、部屋までジャンに付き添ってくるよ」
一番にアルミンが立ち上がり、無理矢理にジャンを引き上げて立つように促す。自分たちがもっと幼い時分に眺めていた酔っぱらいのおじさんたちとなんら変わらない場面がそこにはあり、
「らいじょおぶ、らっつうの!」
覚束ない足取りで渋々とジャンは立ち上がる。
「でもフラフラだよ? 危ないよ」
「だいたい、お前やコニーじゃ、おれが倒れても助けらんねえらろ?」
「わあ、ひでえぞ! 俺はチビだけど力はあるんだからな!」
既にジャンを歩かせ始めているというのに、コニーは元気よくジャンに抗議しながら立ち上がる。コニー自身もその顔をすっかりと赤らめているので、この状況がよくわかっていないのかもしれない。
加えてサシャもその様子を楽しそうに見ているだけで、
「はいはい、もうそういうのはいいから! 行くよジャン」
アルミンは使命かのようにしゃっきりと身体を保ち、ジャンの背中を押して二人を引き離していく。食堂をあとにする直前、アルミンだけがふり返り、
「じゃ、ごめんね、戻ったら片づけ手伝うから」
その場に残した二人に手を振って合図をした。
「わっかりました! では片づけ始めておきますね!」
「なんかあったら叫べよー」
「叫ばないよっ」
ジャンが突出して飲んではいたものの、他の三人もそれに付き合ってある程度は酒を飲んでいた。だからあとの二人も結局は上機嫌のまま、アルミンやジャンを見送った。
廊下を順調に進んでいった二人は、やんやと言葉の応酬を続けながら、次に兵舎の廊下へ踏み込む。壁にもたれかかるジャンと、その危うげな足取りをはらはらした心地で見守るアルミンは、既に消灯された兵舎の中でやんわりと光る鉱物の灯りを頼りに進んでいく。
「だいたいアルミンはっ、んな心配すんなって!」
「でも滑舌だって危ういし、時々足元も覚束ないじゃないか……いくら誕生日だからって飲み過ぎだよ」
「ったくお前は俺のかあちゃんかよ!」
甲高くジャンは声を上げる。既に大部屋の扉が並ぶ廊下を抜けていたこともあり、特に注意するでもなく、
「心配してるって意味ではそうかもね!」
対抗してアルミンも声を張った。
「ぐふッ、なんだそりゃ! がはは!」
景気よく笑って流されたことに少し納得のいかない気持ちもあったが、今はそんなことにいちいち反応しているときでもない。一歩一歩と確実にジャンが進むのを確認しながら誘導してやる。
指揮官となっていたジャンは二階の個室を使っており、二人はそこを目指していく。
「……もうっ明日二日酔いで潰れてても看病してあげないからね!」
階段を上りきったところで、一番手前の扉が目に入った。幸いなことに、その部屋こそが二人が目指しているジャンの部屋だった。
「ほら、部屋に着いたよ」
扉を開けて、背中を支えるように部屋の中へ案内する。壁を伝いながら歩いていただけのことはあり、伝う壁がなくなった今、ジャンはよりふらふらと左右に揺れながら進んでいく。やはり相当に酔っているではないか、とアルミンは内心だけで呆れてしまった。
ベッドまで数歩とは言え、見ていられなくなったアルミンはジャンの脇に入り支えてやることにした。
「おっと、悪いな」
「そう思うなら少しは自制してくれよ。大丈夫?」
話している間にベッドにたどり着き、そのままアルミンの力を借りながら、
「よいっしょっと」
そこへ横たわった。
しっかりと横になれたかと確認するためアルミンが改めてジャンの顔を覗き込むと、先ほどまでの勢いはどこへやら、何かばつが悪そうに外方を向いている。
「……あれ、ジャン? 急に大人しくなったね?」
とりあえずベッドに横になった様子に問題はなさそうだと身体を立てたが、
「なあ、アルミン」
今までとはまったく人が違ったような声が聞こえ、それとともに、そっとその手に触れられた。
「どうしたの急に」
「今日は悪かったな」
何かを思い詰めているらしいことはなんとなくその表情から読み取れたが、謝罪に対して思い当たる節が一つもなく、「え、なにが?」と瞳を覗き込みながら身体を屈めた。その瞳は酒に熱を上げられて、いくつもの淡い光を反射していた。
「その、誕生日なのに二人で過ごせなかったろ」
意外な言葉がその口から飛び出し、
「……え? そんなこと気にしてたの?」
他意はこれっぽっちもなくアルミンは返事をしていた。それに対してジャンは「……まあな」と小声で応えてから、申し訳なさそうに瞳を伏せた。
確かに今日という日を恋人としてゆっくり祝えなかったという事実はあるが、アルミンの中で大切なのはそんなことではない。大切だったのは、いつ生を全うしてしまうかわからないこの世界で、ジャンを祝いたいと思ってくれる仲間がいること、ジャンがその仲間たちとかけがえのない時間を過ごせたこと、それらが本当に意味のあることだ。
「あはは、ジャンは気にしいだな」
だからこそ、ジャンが気にしていることはまったく頭にはなく、極めつけに、先ほどまでの傍若無人さは一体どこへ姿を消してしまったのか、ジャンのその変わりようが面白くて、思わず声を上げて笑ってしまった。
「ぼくは君が君の誕生日を楽しんでくれたことが一番嬉しいよ」
ベットの淵に腰を下ろして、益々広がった身長差のせいで普段はあまり触れられないジャンの頭を撫でてやった。
「……そうか」
「うん、もちろんだよ」
そうやって笑いかけてやる。ジャンが気にしてくれたことも当然アルミンとしては、とても愛おしい事実ではあったのだが。
……だったのだが。
「――というか、俺がもっと、二人の時間を作りたかったってのも……あるけど、よ……」
ぼそぼそとジャンが口を尖らせながら視線を外した。その仕草はどこか拗ねているようにも見えて、
「……あ、ごめん、そういうことっ」
アルミンの中ですぐに合点がいった。今の返事として百点満点だったのは『ぼくも二人で過ごしたかったよ』という言葉だったらしい。
「謝んなよっなんか変な感じになんだろ!」
そう言ってジャンは顔を隠してしまうから、そんないじらしいことを言ったのが余計に際立ち、アルミンの中でドクリと血液が沸騰したように感じてしまった。目の前に横たわっているこの大好きなひとに、もっともっと好きを伝えたくて堪らなくなる。
「……もう、そんな可愛いこと言ってると襲っちゃうからね……」
独りごちるようにアルミンがこぼすと、
「……じゃあ、襲えよ」
どこからともなく、そんな返事が届いた。
突沸した気持ちと必死に格闘していたのは、アルミンだけが知っていたことだ。
そんな可愛いことをいってアルミンを欲してくれるジャンを目の前にして、その格闘は困難を極めた。明日はジャンは非番だったろうか。こんなに酒が回っているのに、いつも通り円滑にことを進められるだろうか。……いや、ここは、当初の予定通り、明日のためにもジャンをゆっくり休ませるのが先決だ。……しばらくの沈黙のあと、アルミンはそう決心していた。
「……お、襲わないよ。君、ぐでんぐでんでしょ」
決死の思いで断りを入れたというのに、
「……本当は襲いたいくせに、」
なんと珍しいことか、ジャンからそんな追い討ちがやってくる。
未だに拗ねたような口ぶりだということはアルミンは気づいていて、
「はあ、」
大きく嘆息を吐いたあと、すっと音もなくさらにその身を屈めた。
勢いよくジャンの酒でふやけた唇に食みつき、強いアルコールの味がするその口内へ舌を押し込む。ジャンもぼんやりとした意識でそれを歓迎してくれていた。
「ん、ふ……ぅ、」
いつもよりも少し温かい二人の唾液は混ざり、そうしてアルミンがゆっくりと離れるときに、名残惜しそうに細く糸を引いた。
「……そうに決まってるじゃないか。……大好きだよジャン、だからこそさ、今日はもう無理せず休みなよ」
どんなに酔っていてもしっかりと目が合うように、至近距離のままアルミンはジャンの瞳と視線を繋いで言った。
にこりと吐息でもわかるように笑むと、
「……じゃあさ、俺が寝つくまでここにいるってのは?」
起き上がるアルミンの手をまた掴みながら、ジャンは軽く要望を出した。だが、そのことすらアルミンにとっては予想外だった。普段のジャンは、特に最近のジャンは、こんな風に聞き分けのない子どものような、甘えたがりなことは言わない。
「……君、ほんとどうしたの。普段そんなこと言わないのに」
だから珍しいという軽い気持ちで尋ねただけだった。
ジャンはしばらく思い悩んだあと、
「…………誕生日だから」
本当に静かに、小さな声で、そうアルミンに教えてやった。すぐにその腕で顔を隠してしまい、ジャン自身、こんな風に慣れないことをするのは恥ずかしいことなのだと気づいた。
それでもその羞恥に耐えてまで、本日誕生日のジャンは、彼自身の『欲しいもの』を伝えているというわけだ。
そして自分がそばにいることが、ジャンにとっての誕生日祝いになると言われることは、なんとも心地のいいことだった。本当に襲ってしまいたくなるような好きで身体がいっぱいになりながら、やはりジャンのことを考えてそれを抑える。
「……そう。わかったよ。お休みジャン」
それだけを伝えて、ジャンの手を握り返した。体温がいつもより高いのは、あながち酒のせいだけではないのかもしれない。
「おう、また明日な、アルミン」
「うん、また明日」
そう静かに交わして、この部屋の中から音が少しずつ消えていく。この愛しいひとがまた来年も誕生日を迎えられるよう、アルミンは深くで願っていた。
おしまい
お花見アルジャン
ある晴れた日の、朝のこと。
昨晩、音という音を吸い込むように降りしきっていた雨もからりと上がり、空は一面の水色で覆われていた。本日は非番であるジャンは贅沢にも先ほど目覚め、日光を浴びるようにして窓の外を見渡していた。光が差すと輝いて応える瑞々しい自然が、兵舎の裏には広がっている。
「――ジャン、」
後ろからすっかりと目を覚ました声が呼び、
「おう、アルミン」
ジャン自身も振り返って目を合わせた。
大部屋で寝食をともにしている仲間たちは既に訓練や当番に出ており、広い部屋を背景に一人だけが立っている。先ほど目覚めたジャンとは違い、既に一仕事終えたような達成感溢れる眼差しで立っていたのはアルミンだ。着替えも済み、肩には大きな鞄をかけている。……訓練でも使う、大きなバックパックだ。
できすぎていると思うくらい、運良く本日は久々にアルミンと非番が重なった日でもあった。そのため、そのバックパックを背負った姿はジャンにいささか不安を抱かせる。
「今日の非番、どこに行くか決めてなかったよね?」
「おう」
「じゃあさ、連れて行きたいところがあるんだ。いいかな?」
アルミンの笑顔は安心するほど、いつも通りの、小さな悪巧みをしているときの笑顔だった。
「……お前、そりゃ、少し前から企んでた顔だな」
その悪巧みに乗ってやると仕草で伝えて、アルミンと張り合う。驚いた顔を見せたのはつかの間、アルミンはまた元の笑みを取り戻していた。
「……えへへ、実はね。張り切って準備なんかもしちゃったんだ」
そしてちらりと見せてきたのが、彼が背負っているバックパックだ。思い出させられたせいで、ジャンの抱いていた不安が再び顔を覗かせた。まったく訓練でもあるまいし、こんな大荷物を持ってどこへ行くのかと訝しむことは当然のことだ。
「んだよその荷物。なにが入ってんだ?」
「ひーみーつ!」
元気よく伝えられたあと、少々興奮しているのだろう、乱暴ともとれる手つきでジャンの手首を掴み、さあ早く着替えて、と支度を促した。……それほどまでに、アルミンが今日のこの計画を楽しみにしていたということだ。
非番が重なったと知り、こうやって一人で何かを企んでいたのかと思うと、図らずしもつられて笑みが溢れてしまいそうになる。
「……上等だ。楽しませてくれんだろうな」
「もちろんだとも!」
はっきりと言葉を返したときの眼差しは、確信があるときの爛々と輝くようなものだった。
「――おいアルミン、」
それから、促されるままに運動しやすい私服に着替えて、アルミンとジャンは兵舎の裏口から大自然の中に足を踏み入れていた。どうもこうも行き先を問おうにも、アルミンは「いいからいいから」の一点張りで、兵舎の裏の林を抜けたあとも、小高い丘を登り始めてしまった。
「おいって。お前大丈夫か」
「う、うん。大丈夫……おかしいな……こ、こんなはずじゃ……ごめん、」
だが、先に体力が尽きたのは、この行き先を計画したアルミン本人だった。
緩やかと表していいのか疑わしいが、アルミン曰く『緩やか』な傾斜に手をつき、肩を大きく使って空気のやり取りをしている。その背中にはずっとジャンの気を引いていたバックパックが背負われており、何度それを貸せと伝えても、アルミンは断固としてこれを譲らなかった。……その始末がこれだ。
「自分の体力の目測誤ってんなら世話ねえよな」
「……ご、ごめんて……、」
寒暖の差が激しい季節、今日も昨日よりは幾分か暖かい。そのせいかアルミンは汗をかき、少し顔色もよくないように見える。それがアルミンでなくともこんな状態の仲間をジャンが放っておけるはずもなく、ガツガツと柔らかい地面に凹みを入れながら、
「……お前それ、持ってやるって。絶対それのせいだろ!」
「ええ、いいって! ぼくだって兵士なんだからこれくらい……わっと、」
今度こそ有無を言わさずにそのバックパックを取り上げてやった。案の定思っていたよりもずっしりと重みが感じられる。
「兵士なら兵士らしく、自分の役割を弁えろ。お前は身体張るほうの兵士じゃねえだろ」
それを勢いに任せて背負ってしまおうとしたところ、
「というか、うわ、」
不意な遠心力で身体が傾いてしまった。慌てて体勢を立て直して、それをそのまま受け止めるようにして自身の胸の前に構えた。
「これまじで重てえじゃねえか。なにが入って、」
「わあーっ! 見ちゃだめえーっ!」
体力が底をついているはずのアルミンが突如として大声を上げる。感触として中身は何かがたくさん入ってるわけでもなさそうだが、重たいものがいくつか入っているのだろうとはわかった。そしてその重たいものを、アルミンは然るべきときまで披露する気はないらしい。そんなに必死な顔をして、とジャンは神妙な心持ちになってしまった。
「わ、わあったよ。見ねえよ。ったく騒がしいやつだな」
仕方なく今度こそそれをしっかりと背負い、
「ほら、とりあえず行くぜ」
ジャンはまた、アルミンが目指そうとした丘の上に目標を定めて登り始めた。アルミンもあとをついて歩き始めたことは、ちゃんと目の端で確認しており、
「……ああ、情けない」
そう零した青ざめた顔も逃さず捉えていた。
今日も今日とて普段の訓練くらいは歩いたかもしれないが、
「はいはい、そう思うならもっと体力つけろよー」
そうは言っても、己の体力の無さをアルミンが嘆くというのは、訓練兵時代からの名物とでもいうのか、よく見かける光景だったので軽く流してやった。「わかってるよおっ!」と慣れた叫びも聞こえてきていたが……ジャンの好奇心は既に目前に迫った丘の頂上に移ってしまっていた。
林を抜けたと言ってもまだ草木は生い茂り、元気よくこの道の難易度を上げてくれている。そんな自然に囲まれた場所で少し高い丘を上っているのだから、登りきったときにはそれなりの景色が見えているはずだと期待をしたのだ。
そうして、一歩、また一歩と、まだ少し柔らかい地面を踏みしめて進む。確かに感じる賑やかな気配に誘われて、足取りはどんどん軽くなっているように思えた。
そしてついに頂上を懐く青空が、両手を広げて歓迎してくれた。
そこに登りきったとき、ジャンは不意に足を止めてしまった。期待通り、そこに広がっていたのは単なる林の景色ではなかった。向かいの丘の山肌一面に、色とりどりの花が咲き乱れていたのだ。なんという花だろう、木々にもそれらは咲いており、満開の笑顔を見せているようだった。昨晩降った雨のせいか、一斉に咲き乱れる様はどこでも見られるようなものではない。それだけは確信を持つことができる。
「おお、アルミン! すげえぞ、早く来いよ!」
「えっ、なになに」
興奮のままに振り返り、なんとかついてきていたアルミンに手を伸ばしてやった。それがしっかりと掴まれると、何も考えずにその手を引き上げる。ただただ早く共有したかったこの絶景を、一秒でも早くその瞳に映させたかった。
「見てみろ。春だ。春が来てる!」
「わあっ! こんなに咲いてたんだ! すごい! すごいね!」
まるで飛び出しそうなほどに興奮して、登るために掴んだジャンの手を握り直していた。
「あはは、お前はしゃぎすぎだろ」
「だって、下見に来たときはこんなに……あ、」
ふと目が合ったのは、お互いこれからアルミンが失言をしてしまうとわかっていたからだろうか。しまった、という顔をされたので、余計にその言葉が気になった。
「下見? お前、ここに下見にきたのか? 連れてきたかったところってここ?」
「……う、うん、そうだよ。バレちゃった」
普段どおりに振る舞えばいいものの、少し照れたように告げるアルミンを見て、ジャンもなんとなくその目を見ていることができなくなった。そして目に飛び込んできたのは、また、色とりどりの花たちだ。
「……また、なんで花なんか」
「あ、うん。実はね、ミカサから聞いた話なんだけど、お母さんのほうの家族が春になって花が咲くと、みんなでお弁当を持って眺めてたんだって。ずっと昔から一族が大事にしていた行事らしくてさ。それが『お花見』って言うんだけど、それでぼくら毎年、三人でこの時期になると花を見に出ていたんだ」
それは彼にとってとても大事な思い出なのだろう。アルミンが一つ一つの言葉をいかに大切に紡いだかを目の当たりにしてから、唐突に胸中が窮屈に感じた。この情動にどんな名前があるのか、ジャンにはよくわからない。
「……そうだったのか。全然気づかなかった」
ただそれだけを伝えると、きゅっと手のひらに力が加わる。
「うん。だからね、今年は君と」
そういえば手を繋いでいたのかと今更ながらに気づく。ふと打ち見すると目が合って、アルミンは静かに笑った。
「……そ、そうか」
また名前がわからない心の動きに戸惑いながら、改めてその丘からの景色を見渡した。今日、アルミンとここに来られたことは、自身にとっても大切な思い出になるのだろう。花の開花も、互いの時間も、うまい具合に重なった奇跡のような思い出だ。
「……ちょうど非番も重なったしな」
感慨深く思いながら、そう噛み締めようとしたとき、
「……ええ、ぼくがお願いしたんだよ?」
「……は?」
何の情緒もなく、アルミンはさらりとそんなことを言ってのけてしまった。驚きのあまり、アルミンが握っていた手を振り払って身体を向けてしまったほどだ。……つい今しがた『奇跡』とかなんとか考えてしまった自分は一体なんなんだと恥ずかしくなる。
「待て、お前っ、」
「だって、お願いでもしないとなかなか非番重ならないし……!」
上官たちに向かって『ジャンと同じ日に休みをください』と申し入れたアルミンを想像するにしても、それを了承した上官たちを想像するにしても、どこを切り取ってもただただ羞恥を煽る想像しかできない。頭を抱えかけたジャンだったが、それに至る前に、隣で力説していた瞳が隠れたのがわかった。
「ジャンと、こういうのしてみたかった、からさ」
……確かに、同じ兵団に所属しているため、年がら年中ともに時間を過ごせてはいるが、こういった特別なことは何一つ経験がなかった。アルミンがそれを欲したとしても、何らおかしなことはない。むしろ、ジャンにとってもくすぐったいほどに嬉しい『悪巧み』だった。
「……ね?」
伏せていた瞳がちらりと覗き、いたずらっぽく笑う。それは向かいにも笑顔を誘っているのだとすぐにわかる。
もうアルミンがどうやって非番を重ねたかなんてどうでもよくなっていて、彼のそんな想いを無碍にしたくないと気を取り直した。一人で照れまくっている自分に終止符を打つべく、ジャンは改めてアルミンに尋ねた。
「……で、このあとどうすんだよ」
「うん、好きなところで持ってきたピクニックシート広げる! そして飲む! 食べる!」
先ほどまで削減され続けた体力が少し回復していたのか、楽しそうに拳を作って訴えた。そこまではしゃいでいるのだ、そういえばジャン自身の背中には、何が入っているか知れないバックパックが背負われていたのだと思い出した。
「おお! さっき言ってた『弁当』だな! あとは酒か? それでこいつがこんなに重かったんだろ!?」
「そうなんだ! 張り切って準備しすぎちゃったよ」
アルミンの笑顔が弾けたその瞬間、陽の光が強くなったように感じた。そういえば太陽は少しずつ高度を上げていて、先ほどよりも気温は上がっているようだ。日の当たるところは上着はいらないほど暖かそうで、絶好のピクニック日和とも言える。
こんな長閑な非番の日にゆっくり休むことよりも、ジャンとこうやって出かけるために準備をすることを選んだというのだ。
「……お前なあ、早くから何かバタバタしてると思ったら……訓練で疲れてるくせに」
「だって、君と楽しみたかったんだもん」
そんなアルミンのことを思うと、ジャンの中で言葉にならない想いは簡単に溢れ出してくる。……この情動の名前はなんとなくわかってはいたが、今それを言ってもいいのかわからずにこらえてしまった。
二人して沈黙して、音もなく風に揺らぐ花の波を眺めている。
「……ね、好きだよ」
こらえていたはずの想いが、言葉になっていた。……ジャンではなく、アルミンのほうからだ。
「…………なんで今」
「君が喜んでくれるから……」
ふふ、と吐息に混ぜるように笑んだアルミンから目を逸さずにはいられず、ぶっきらぼうに「……決めつけんなよ」とだけぼやいた。……ただ、これだけ身体の中は熱くなっていたので、さすがのジャンも多少赤面していることは自覚していた。だからだろう、アルミンは「あはは、ごめん」と楽しそうに声を踊らせるだけだった。
ああもう、とその熱気を払うように、ジャンは大きな一歩を踏み出していく。
「んじゃ、とりあえず座るところ探すぞ!」
「う、うん! 選び放題だね! ジャンはどんなお花が好き?」
問われて振り返ると、ちょうどアルミンの金色の髪が太陽の光を通して輝いて見える。よもや眩しさで目を細めてしまいそうだが、それはどう表現しても綺麗で純粋な色だった。
「花は詳しくねえ! ……でも、紫の花の近くがいい」
その色によく合うのは紫色だとジャンは知っていたので、仕返しとばかりにそう返していた。
「紫……かあ。あの辺かな」
「――お前の色が映えそうだ」
わかってなかったようなので、わざわざ口説くように格好をつけて言ってやると、
「ええ、や、やめてよお」
狙い通り、アルミンの頬は面白いほどあっという間に赤く染まっていく。自身の中に拵えている熱気に狼狽えている様子に、ジャンは非常に満足した。
「そ、そういうことはぼくが言おうと思ってたのにっ!」
「へへ、遅えんだよっ」
始めにアルミンが追いかけ始めて、それを見たジャンも駆け出していく。目指していたのは紫色の花の群だろうか。兵役を忘れられる今日だからこそ、二人は子どものようにそれを楽しんだ。
おしまい
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こちらはツイッターの相互さんに書かせていただいたお誕生日のお祝いでした( ´ ▽ ` )
改めまして、お誕生日おめでとうございました♡
アルジャン
お題【机の下で手を繋ぐ】
※スクカパロです
アルミンは探していた刈り上げの後ろ頭をようやく見つけた。あの洋服の着こなしも、使っている鞄のセンスも、紛うことなく、探していたジャンだ。
どうやら昼休みの終わり、一人でトイレから出てきたところのようで、手洗い場にジャンはいた。アルミンの足取りはいっそう軽くなり、一直線に彼のもとに向かう。
「ジャーンっ」
「アルミンか」
肩を叩いて注目を攫えば、ジャンは手を拭きながら何やらそわそわと周りを見回していた。その仕草に疑問は抱いたものの、
「ね、今日のヨーロッパ史の授業さ、同じだったよね? 一緒に座ろうよ」
ジャンを探していたそもそもの理由をさらりと告げた。
ジャパニーズアニメが大好きなオタク趣味のアルミンと、自身をかっこよく見せるために悪ガキを演じているジャン。二人はこのほど、あれやこれやと山ほどの経緯を経て、恋人として歩み始めたばかりだった。
「あー、わり。ヨーロッパ史はダチと受けるから、アルミンはほか当たってくれ」
「……ええ」
……ばかりだった、はずなのだが。なんということだ、とアルミンは悲しみに打ちひしがれた。恋人になったばかりだというのに、ジャンは友人を優先するという。互いに想いを確かめ合って始めた交際のはずが、実は一人で舞い上がっていたのかと落胆する気持ちは否めなかった。
その残酷な言葉に何を返そうか考えている間にも、ジャンはすすすと廊下を歩き始めてしまった。
後を追おうと身体を傾けたところで彼はまた振り返り、
「あと、学校ではあんま話しかけんなって」
またすぐに正面を向いて、歩みを再開した。
「……わかったよ。ほんとに君は気にしぃだね」
「わりぃな」
それからは一度もアルミンに顔を見せることなく、ジャンは生徒たちの波の中へ、すいすいと紛れていった。
初めは苦手だったジャンのことをどうしてか好きになってしまい、交際まで始めたというのにこの様だ。アルミンは一気に目先が真っ暗になったような気持ちになった。
ただ、一つだけ。アルミンには気づいたことがある。実は振り返り様に見えたピアスいっぱいの耳は、耳たぶの隅まで真っ赤になっていたこと。だが、それ故に謎でもある……そんな風に顔を赤らめてくれるのなら、授業を一緒に受けてくれてもいいではないか……と思ったが、先日見たアニメのもどかしいワンシーンを思い出して諦めることにした。
世の中には自分の恋人のことを友だちや家族に知られたくない人もいる。ただそれだけのことだ。……もちろんアルミンは自分が見るからに下層階級のオタクである事実も認知している。……むしろ、オタクである事実は自分としては誇るべきだと思っている。問題は、それが『下層階級』だということだ。
見てくれを気にするジャンにとっては、隣にいて欲しくないステータスの人間に当たるのかもしれない。……ならば何故交際を了承してくれたのか。ジャンの人柄はわかっているつもりだが、万が一騙されて冷やかされているだけなのだとしたら、それは悲しいことだ。
アルミンは途方に暮れながら魂が抜けたように過ごし、件のヨーロッパ史の教室にたどり着く。
教室の中を見渡すとまばらに生徒はいたが、まだジャン本人は到着していないようだった。深く考えずに手近にある長机の内、一番後ろの席に着席し、頭をいっぱいにしていたジャンのことを引き続き考えてはため息をこぼしていた。
学校で話しかけてはダメということは、放課後以降でないとジャンとおしゃべりができないということになる。もっともっとジャンと共にいたくて、ジャンと言葉を交わしたくて交際を始めたというのに……あんまりな仕打ちではないのか。アルミンは自分とジャンの温度差を感じて、机に突っ伏して嘆いた。
「――」
と、そこへ、ジャンの話し声を捉えて顔を上げる。視線の先にある扉から、ジャンが友人二人と一緒に、まさしく今、この教室に踏み込んでいた。
好きになってしまったその人に釘づけになることに理由は必要ではなく、そのワルイ横顔が友人と談笑している姿にまで見惚れてしまう。かっこいいのにかわいい……不思議な人だと、目が離せなくなった。そのままジャンが自分の隣の席に着いてくれればいいのに、と願いながら目で追った。……するとその足取りは少しずつこちらに歩んできているではないか。アルミンは尚更目が離せなくなる。どく、どく、と心臓が縮まるような緊張感が身体を掌握し、まるで硬直状態になってしまったほどだ。
そしてどかりと、ジャンは腰を下ろした。……そこはアルミンが願った、隣の席だった。あんまりにも存在感がなかったから偶然にそこを選んだのか? いやいや、そんなわけはない。確信を持って言えることだが、ジャンは間違いなく、選んでアルミンの隣に着席したのだ。
さっきまで温度差云々と打ちひしがれていたはずのアルミンは、今度は耐えられず組んだ腕の中に顔を隠した。ジャンが隣に座ってくれた、それがこんなにも嬉しかった。
特に話しかけられたわけでも、目配せをもらったわけでもないのはわかっている。けれど舞い上がってしまったのだ。ちゃんとジャンはアルミンのことを意識していたのだと、それがわかったから。
そうやって喜びに浸っていると教室に教師が入ってきて、生徒たちはみんな、慌てて着席したり、背を伸ばしたり、前を向いたりと姿勢を正した。もちろんアルミンも例外ではない。
一旦机の下に手を戻すと、そこで何かに手が当たった。人肌の温もりと、適度な厚みを持つそれは、すぐにジャンの指先だとわかった。それが手繰るようにアルミンの手を這い、少し震えているような感覚を抱かせながらも、しっかりと手のひらを合わせて繋がりを作ってくれた。
まるで静電気でも走ったかのようにバチリと熱を発し始め、動揺してジャンの横顔を見てしまった。……そこには一糸も乱れることなく前を向き続けている眼差しがあり、まるでアルミンなど意識の範疇にないようだ。
……しかし、また気づいてしまった。
先ほどまでは治っていた耳の先までの赤みが、じわじわとそこに広がりつつあったのだ。……ピアスを揺らしながら、悪ぶっているくせに真面目にノートをとっている。当然ながら、アルミンはこのかわいい人にまた、惚けてしまった。
机の下でしっかりと繋いでくれた手。これがジャンの、精一杯の愛情表現なのだ。自分ばかりがジャンのことを意識していたのだと悲しんでいたが、ジャンはしっかりとジャンのやり方で示してくれる。アルミンはまた新しいジャンの一面を知ってしまい、いっそうこのかわいらしい彼に夢中になってしまった。
おしまい
アルジャン
ワンドロ様お題【温め合う】
雲一つない星空の下、ぼくは見張り台の上で縮こまっていた。日が暮れて時間が経つにつれて、気温の低下も止まるところを知らず、ぼくはもう少し着込んで出て来ればよかったと後悔しているところだった。
今は訳あってみんなで身を隠しているところで、数日前から交代で昼夜の見張りをこなしている。ちなみにぼくが夜の見張りをするのは初めてだ。もちろん気合を入れて臨みはしたけど、こんなに寒ければ来る眠気も来ない。
思わず溢した嘆息も、白んで見えるので余計に寒く感じていた。
と、そこで、背後からさくさくと草むらを踏み潰す音が耳に入る。ぼくは見張り番の自意識からか、急いでその音が聞こえたほうへ振り返った。
自分より後ろから聞こえていたのだから敵の侵入ではないことは頭ではわかっていたものの、そのシルエットを確認するまでは気が抜けなかった。
「――よお」
「やあ、ジャン。今日は冷えるね」
そのシルエットはジャンのものだった。暖かそうな冬用の防寒マントを纏って、先ほどから引き連れているさくさくとした足音で迫ってくる。
「まったくだ。こんな中、よくそんな薄着で見張りなんてやってんな」
見張り台の下から頭ひとつだけ抜けているジャンが、そのまま登るための簡易はしごまで身体を回し、
「だって、日中はこんなに寒くなかったんだもん……」
目で追っている間に、いそいそと隣に腰を下ろしていた。……ぼくが座っていたのでジャンも腰を落とさないと目立ってしまう。だから座ったのかと思いきや、ジャンはマントの前ボタンを外し、腕を広げて見せた。
「おらよ、入れよ。お前のために持ってきたんだぜ」
温かそうだし、気のつくジャンのことだからもしかしたらと思ったけれど、本当にそのもしかしたらだった。
ただの温かいマントではなくて、ジャンの体温で既に温められているマント。
「えへへ、お邪魔しまーす」
「おう」
こんなに着心地だけでなく、心地までよいマントはそうそうない。……と、浮かれていたら、ジャンはそのままマントの一端をぼくの肩にかけ、もう一端を自分で引っ張り包まっていた。
「あれ、まだここにいてくれるの?」
肩にかけてくれた一端を引っ張りながら、ジャンの横顔に見入ってしまった。
「少しだけな。話し相手になってやるよ。退屈だろ」
「まあそうだけど、見張りだからね」
星空の下で輪郭がぼんやりと見える程度ではあるけど、しっかりとしたジャン特有の面長な線を持っている。当たり前だけど、なんとなくそれが嬉しくて、思わずそれとなく肩を寄せてしまった。なんでだろうか、まったく関係もないのに、ジャンのことが好きだなあと、一人強く実感していた。
肩から伝わる温もりだけでなく、ぼくのことを思ってマントを持ってきてくれたその心の温かさにも、深く身体は満たされていた。たったこれだけのことで、今晩見張り番になれたことを幸運だったように思えてしまう。
……そうだ、ぼくは見張り番だった。そう思い出して、ゆっくりと外界に向けて視線を上げた。いつの間にか、マントを握りしめるジャンの手元を見ていたようだった。
「……それにしても懐かしいよね。訓練兵時代を思い出すよ」
なんでもいいからジャンの存在をもっと感じていたくて、何の意味もない雑談を切り出す。
「ああ、あの欠伸が出る状況で緊張感保ち続けるやつだろ?」
「そうそう」
「俺も昨日見張り当番のときそれ思い出してたぜ。いつ何が起こるかはわからねえけどよ。それにしても大変だよなあ、この作業」
「そうだよね」
けれど雑談はすぐさま消え入ってしまった。そもそもこの状況に会話は不釣り合いな気もするけど、ここにジャンを留めたい意図もあったのかもしれない。
「……あっち側の見張りはコニーだっけか」
今度はジャンがそう話題を提示してくれた。
「うん、そうだよ」
「あいつ寝てねえだろうな」
二人でコニーがいるほうの見張り台を向いてみるけど、距離だけでなく、暗さも手伝ってよくわからなかった。コニーもぼくのこと、同じように心配しているだろうか。
「……はは、どうかな。ぼくよりしっかりはしてると思うけど」
体力についてはぼくなんかより相当に頼りになるから、こういうのも得意そうだ。けれどジャンはそうは思っていなかったようで、
「けどバカだからなあ。帰りに突いて帰ってやるか」
笑みを含めて語り、ぼくもつられて「よろしく頼むよ」と笑っていた。
そうやって二度目の会話の終わりが訪れる。今度はどちらから切り出すのか、何を切り出すのか、お互い少し手探りのような空気になっていた。
それもそうだ。お互い考えていることは、きっと今作戦の成功だ。話題も自ずとそういう類のものに傾いてしまう。……けれど、できれば単なる雑談だけに留めて、そんな野暮ったい話はしたくない。そう、もっと夢が見たいなと思ったときに、ぼくの前に広がったのは、想像の中で煌めく、夜の海原の姿だった。
「……ジャン」
「あんだよ」
「ぼくたちさ、『海』に辿り着けるかな」
ぼくもエレンも、いつかはたどり着いてやるという気概でいるけども、それでもたまに、その道のりは果てがなく、そして弱々しく霞んで見える。
「……うーん、どうだろうな……俺は楽観主義者じゃねえからな……」
「……そうだよね」
だから、強がりばかりを言わないジャンの言葉も、心地よく感じてしまうときがある。……こんな風に思ってしまうときがあっても許されるんだと……優しい気持ちになれる……救われる。
そして、だからこそ、
「でも見たいなあって気持ちはさ、一つ進む度に強くなってるんだ」
絶対にみんなと、何よりこの人と、海を見たいと強く決意が固まるのだ。
「それはね、一緒に見られたらいいなって人が増えたからだとも、思う」
「……おう」
ジャンはぼくが誰のことを指しているのかすぐに察したようで、マントの端で少しだけ口元を隠していた。その仕草がなんとなくかわいくて、やっぱり好きだなあと肩の温もりを意識していた。
「…………生き残ろうね。ぼくたちは。そして、弔った仲間たちの分、しっかり海をこの目に焼きつけるんだ」
夢がどんどん膨らんでいくのを感じながら、ぼくはまた星空と空想の海原の境を見ていた。
隣から微かに笑う気配が漏れてきて、
「……はは、何日海を見続けねえといけねえかな」
ジャンはぼくをからかったつもりのようで、楽しそうにぼくを温めていた肩が揺れた。けど、ぼくは真面目に夢を見ている。
「ぼくは何日だって見ていられるさ。きっと素敵なものだから」
そう宣言してやった。ジャンは笑うのをやめて、小声で「そうだな」と認めてくれた。少し重心がこちらに寄った気がして、思わず顔を隠してしまった。
自分がやるときは軽い気持ちでできるのに、こんなに照れ臭くて、くすぐったくて……温かいものだったんだなあと知った。
「……じゃ、そろそろ俺は戻るな。見張りがんばれよ」
早口でジャンが別れを告げている間に、せっせとぼくにマントのもう一端を渡して自分はそこから這い出てしまった。寒そうだけど、すぐに宿舎の中に戻るからいいってことなんだと思う。
「あと風邪引くなよ。ただでさえ体力ねえんだから」
続け様に〝母ちゃん〟みたいな小言を言われて、こういうところも大好きだなと笑えてしまった。
「あはは、気をつけるよ。ジャンも、ゆっくり休んでね」
「おう、じゃまた明日」
「はあい、お休み」
見張り台の上に残されたぼくは、ジャンが置いていってくれた温もりに抱かれて、見張りを続けた。ぼくが渡した温もりも、宿舎に戻るまでジャンを守ってくれているといいなと願いながら。
ジャンが隣に座ってからずっとマントの下で握り合っていたこの手のひら。そこから温もりを逃さぬよう、ぼくはそれをしばらく大事に抱きしめていた。
おしまい
アルジャン
お題【背中に抱きつく】
毎日こなしているルーティンの途中、もうすぐ忙しなかった今日も終わると気を抜いていたジャンは、自室で入浴の準備をしていた。夕食を終えていない面々はまだ食堂でそれらを平らげているところで、おそらくアルミンもまだしばらくかかるのだろうと片手間に思い出した。
特に難題にはなり得ない入浴の準備を終えたところで、もう少しかかると思っていたアルミンの足音が聞こえた。同期の足音はだいたい聞き分けられるようになっていたのでアルミンだとわかっただけだ。そう自分に言い訳をしている間にも、足音は何やら急いで廊下を渡ってきているようだ。それがジャンの部屋の前に迫るにつれて、思わず気持ちがふわりと舞い上がっていく。
来たか、と声をかけようとした、まさにその瞬間だった。
「ジャーーンーー! お疲れさまあ〜!」
ガチャリと派手に音を響かせてアルミンが部屋に飛び込んできた。かと思えば、まさしくそのアルミンは一切の迷いもなく、まっすぐにジャンの背中に抱きついていた。まるで小猿のようにしっかりと腹に腕を回されて、ついには自分の背中に向かって挨拶をした背後の人影を、その目で捉えることを諦めざるを得なくなった。
「おーい、俺はこっちだぜー?」
呆れて声をかければ、
「ええ?」
軽快な笑い声が返ってくる。
そのあともすりすりと目の前の背中に顔を拭いつけているアルミンに、ジャンはただただ呆然とするばかりだった。
「……お前、大丈夫か。よほど疲れてんな?」
もちろん自分の恋人であるアルミンは、いつもこんな幼稚なことをしているわけではない。特に百四期生の中でも精神的には大人びているほうで、普段はもっとちゃんとした会話が成り立つはずの相手だ。
だからこそ、ジャンはアルミンが疲労のせいでこんな風に振る舞っているのではと考えた。……ただ、そう考えたところでアルミンはジャンの身体をぎゅうぎゅうと抱きしめることをやめず、
「そんなことないよ〜。ぼくなんてまだまだだ。ああ〜でもいいな……ここに住みたい……」
などと、まるで寝言と聞き間違うほどのことをぼやいている。これではジャンが嘆息を吐いても仕方のないことだ。
「お前なあ、ついにイカれちまったか? わけわかんねえぞ」
「だってぼくはジャンが好きだし、ジャンの匂いも好きだし、ジャンの身体の線も好きだし、ジャンの温もりも好きなんだ。ぼくにとってこれ以上のご褒美はないよ」
一つ一つをしっかりと堪能しながら言うものだから、おかしな照れ方をしてしまった。
「……こじらせてんなあ……」
「えへへ」
呆れのような、惚気のような、とにかく、なんとも言えない照れ臭さだ。
「こうしてるだけでぼくは幸せだよ、ジャン」
さらに追い討ちをかけるように優しげな声で告げられる。今の状態のアルミンが言うのだから、まったくもって嘘はないのだろうが、ジャンからしてみればアルミンの顔すら見えない、落ち着きのない体勢だ。……疲れているのなら、労いのキスくらいしてやってもいいのにと思っても、この体勢では何もジャンからは行動が起こせない。
ジャンの身体を閉じ込めている腕を見て、少し心許なくなってしまったのはどうしてだろうか。
「……それじゃ、キスの一つもできねえけどな」
深い考えは特になく、ただなんとなく呟いただけだった。だと言うのに、その言葉一つでアルミンの腕がいとも簡単に外れていった。そしてどちらが早いか、すっと横から顔が出てきて、
「……え? キス、してくれるの? お疲れさまのキス?」
そうやってさながら幼い子どもが菓子をねだるような顔つきをした。先ほどまで背中から抱きしめられていたかと思うと、今度は都合よくそうおねだり……それらの仕草は、なんとなくジャンの癪に障る。
「べっ、別に誰も今とか言ってねえだろっ!」
「いーやっ、今の口ぶりは今って意味だったよ! ぼくキスしてくれなきゃここから離れないからねっ!」
そしてその顔は再びジャンの背中側に戻り、腹の周りを囲んでいた腕も戻ってきていた。また一から出直しか、と肩に入っていた力が一気に逃げていく。
「……おーい、趣旨変わってんぞ〜」
そう声をかけても、アルミンから返事はない。よくよく聞けば、スンスンと匂いを嗅いでる音はしているから、
「匂い嗅いでるし……」
なす術なくそう呟いた。
だが、やはり見当をつけた通り、先ほど顔を覗かせたアルミンは目の周りを窪ませ、相当に疲れを溜め込んでいるような顔をしていた。昨日会ったときも疲れているなとは思ったが、今日は昨日の比ではない。
アルミンはある意味で兵団に酷使されている。兵の戦闘力を保つための訓練には参加させられているし、その裏では巨人化についての研究にも足を運んでいる。さらに参謀としての会議や検討会の出席……考えただけで背筋が凍りそうだ。
こんな風になってしまうのも仕方がないのかもしれない。……そう思い至ったところで、ジャンは、キスくらいで元気になるなら安いものかと、ようやく決心がついた。
「……よし!」
だからそう告げようと思ったのに、
「あれ? もういいのかよ」
先に気合を入れ直したのはアルミンのほうだった。
「うん、ごめんねジャン、わがまま言って。でももう回復したから大丈夫だよ。ありがとう」
明らかに声色もしっかりとして、いつもの芯の通ったアルミンに戻っていた。振り返って向き合っても、やはりその眼差しは意地を張るようにぎらぎらと瞬いている。
……とは言え、目の周りの窪みなんて気合を入れ直したところで消えるものでもないし、疲労の色を帯びた表情はそのままだった。
すぐに無理をしているだけだとジャンは見破る。先ほどのような甘えたは困るが、甘えたいと思っているのを隠されることは、それ以上になんとなく不本意だと知った。
そんなに疲れているのなら、自分にだけは本心を晒してほしい。そう思うことは、恋人として当たり前のはずだ。
「あのな、いい子ぶんなよ。キスくらいくれてやるっつの」
そう宣言してやってから、アルミンの前髪を持ち上げて、晒された面積の広い額に軽くキスをくれてやった。髭が当たって痛かっただろうかとアルミンを見てみたが、
「……あ、ありがとう……」
まるで信じられないものでも見るように、ジャンを見返していた。
「どういたしまして」
笑ってやっても、アルミンは茫然自失のまま戻ってこない。そんな熱烈な眼差しで見られていると、意識しないようにしていた羞恥が込み上げてきて敵わない。
「な、なに保けてんだよ。ほら、風呂行くぜ」
だからわざとアルミンの肩を強めに叩いてやり、ジャンはさっさと入浴道具を持ち上げた。
部屋の扉を開けてまた視線で誘ってやると、アルミンもようやく我に戻り、そして機嫌のよさそうな笑みを浮かべてジャンを追った。
「うん、行く行くー! ね、今のまたやって」
「その内な」
確実にこの部屋に入る前と後では身の軽さが違っていたアルミンだ。ジャンもそれを見て、満足げな笑みを浮かべていた。
扉は閉まり、二人の楽しそうな声はしばらく廊下に響いていた。
おしまい
アルジャン
お題【唇に噛み付く】
「――でも珍しいよな」
隣で歩くジャンが、ふと思い出したようにそう声をかけてきた。
「買い出しが俺たちだけってのも」
ぼくの片手にはメモ書き、二人それぞれに大きな鞄が装備されて……ジャンの言った通り、ぼくらは兵団の買い出しを珍しく二人で任されていた。
あれから何度も新兵を迎え入れて、ぼくたちはあっという間に歴戦をくぐり抜けた先輩扱い、こうして買い物に出ること自体が減っていた。それをジャンは珍しがっているらしいけど、どうやらこの分だとジャンはこれが仕組まれた『二人きり』だということに気づいていないらしい。……呑気だなと、人が賑わう長閑な商店街を眺めていた。
「何言ってんのさ。気を遣われたんでしょ。ジャンは誕生日も近いし」
「……はあ!? 気ってなんだよ気って!?」
この反応はまさしく、気づいていなかったようだ。ジャンは頭も勘もいいけど、根はいいやつよろしく、たまに素直に周りの思惑に嵌ってくれることもあるので、それはたまに心配になる。
「そのままでしょ、ぼくたちのこと気づいてる人もいるってこと」
何なけなしにそう伝えて、ぼくはリストにあった芋屋を見つけてそちらに足を向けようとした。
そしたら隣を歩いていたジャンがいきなり、
「ま、まじかあ〜!?」
ぼくの肩を引っ張って注意を引いた。お陰でよろけてしまいそのついでに顔を確認すると、目を大きく見開いていて、あっという間に顔面は羞恥の色に染まっていった。
「……あら? ジャン、顔真っ赤だよ」
「だって、そんなの、くっっそ恥ずかしいだろ……!?」
「ええ、そうかな。ぼくはありがたいなって思ったけど」
その大きく見開かれた目は、まるでぼくに正気かとでも問いた気だった。普段の目つきがあまりよくない分、目を見開いているのは少し可愛げがあって嫌いではない。
「ンなの、だって、俺そんなこと気づきもせずにルンルンで出てきちまったしよお……」
かろうじて声のトーンが収まったのだと思っていたら、どうやらそうではなくて、本人は自分の言っていることに照れているだけのよう。
それもそうだ、ぼくだって聞き流しはしない。
「……『ルンルン』?」
不意に身体を寄せてしまい、周りに気づかれないようにさりげなくまた距離を取った。二人して道の真ん中で歩みを止めてしまっていて、
「ああ、そうだよ。わりいか。お前と二人で街に出るなんざ、早々あるこっちゃねえだろ」
照れながらもしっかりとそれ言い上げてくれたジャンに、釘づけになっていた。
ジャンの……こういうところなんだ、ぼくが弱いのは。身体の底からくすぐるような痺れが湧いて、それは血液を介してぼくのなかを埋め尽くように循環していく。
見た目はお世辞にも可愛いとは言えないはずなのに、どうしてこんなにこの人をかわいいと思ってしまうのだろう。……いつも不思議に思う。
「……ねえ、ジャン」
「……あんだ」
ぼくは身体を寄せて耳打ちをする影で、その使い込まれた手を握った。
「どこか物陰に隠れて、キスしようよ」
無声音に乗って、ぼくの抱いた熱がジャンに届く。
「……は、はあ!? だっ、誰がンな破廉恥な真似……っ!」
「……ふふ、本当はやってみたいくせに」
すっかりぼくの〝恋人の顔〟になったジャンを見て、からかうように文句を垂れた。本当に本人が嫌ならこれ以上は無理強いするつもりはなかったんだけど、
「ふっざけんな! 俺はお前じゃねえよ!」
その表情はどうもそんな風には見えない。
「あら? ジャンはぼくがそうしたいって気づいてたんだ? じゃあいいよね? 恋人のお願いだもの」
だからぼくが一肌脱ぐことにしたのも、意地っ張りなジャンのためでもあるわけだ。
店が並ぶその向こうに、家々の繋がりの境目を見つける。ぼくはそこに向かって歩き始めていて、
「おいおい、待て、待てよ」
「ほらほら、こっち」
ジャンも別にそれを止めようとはしなかった。
「別に公衆の面前でしようってわけじゃないんだよ? こういうのちょっと憧れない? 人目を盗んで、軽くキスするの」
とどのつまり、ぼくらは二人でこの非日常に浮かれていたのだ。片手にはにんじん、芋、小麦粉などの所帯じみたメモ書きと、それらを持ち帰るための大きな鞄。
立体起動装置でもなければ、大砲や鉄砲でもない。単なる家庭持ちの一般人になったような、そんな長閑な錯覚を楽しみたかった。
「ね、ジャン?」
ジャンと二人、建物の間に落ちる深めの影に入って、静かに手を握り直した。ひょっとしたら誰かが見ているかもしれないこの道端で、ぼくはジャンを真っ直ぐに見つめる。
未だに意地を張っているジャンは、あくまで目を逸らそうとしてはいるものの、やはり顔の赤みはまだ引いていなかった。キスの間に見せる色のついた眼差しが、ぼくを試すように一瞥する。
「……ねえ、あんまり言いたくないけど、顔を下げててもぼくには意味ないよ。ぼくのほうが背は低いんだから。下からキスできる」
有言実行か、己の言ったことの証明か、ゆっくりとジャンの唇にぼくのを近づけた。
最後にこうしたのは今朝だというのに、慣れない場所で吐息を混ぜているせいか、それは新鮮さを帯びてぼくたちを誘惑する。
「……ばか」
ようやくジャンから許可が下りて、
「えへへ、いただきまあす」
さらに二人を物陰に入れ込むように、身体を寄せて、唇を重ねた。
触れるときは音もない柔らかな唇が、離れるときには微かに余韻を残す。どこにもないはずなのに、甘い香りを嗅いでいるような、そんなぼんやりとした幸福感を味わう。
一回では到底足りず、ジャンを抱き込むようにまた身体に触れる。ジャンの腕もぼくを捉え、あっという間にぼくたちは、また唇を重ねていた。
「……んっ、」
「ジャン……ッ」
数歩進めば晴天の下に、人々が行き交う通りに出てしまうこの場所で、ぼくとジャンは思い切りの非日常に舌舐めずりをしているようなものだった。こんな幸福なスリルもあるのかと胸が熱くなり――、
「……いっで!? っジャン!?」
唐突に下唇に走った鋭い痛みに、思わず声を上げてしまった。明らかに犯人であるジャンを見上げれば、それこそ舌を舐めずるような妖しげな顔つきで、
「へへ、仕返し。甘く見んなよ」
ぼくを挑発するように笑った。
なんてことだ。その様子があまりにも蠱惑的で、ぼくは耐えられずに目眩がした。なんでここは宿舎ではないのかと、頭の片隅で嘆いてしまったほどだ。
「……ああもう……君って人は……!」
そんなぼくなんか置き去りにして、一人でさっさと喧騒に紛れていくジャンを、ぼくは慌てて追いかける。やいのやいのと先ほどの『仕返し』の公平性について議論を始めた。
だけど本心ではそんなことどうでもよかった。早く用事を済ませて自室に戻りたい……そう思っていたのはぼくだけじゃなかったなんて、知るよしもなかったけど。
おしまい
アルジャン
お題【元恋人】
月が窓から明かりを垂らし込んでいた。俺は既に微睡みの深くに入り込んでいたが、アルミンのやつは珍しくおセンチなのか、しばらく俺の隣でその明かりを見ていた。
「あのさ、ジャン」
さっきまで、この色はいい色だよねとかなんとかほざいていたアルミンが、
「ジャンって、ぼくの前にお付き合いしてた人とかいる……?」
「…………あ?」
声のトーンを変えることなく話題だけをすげ替えた。微睡みに落ちかけていた俺はまるで釣り上げられた魚のように、ぱっと呼吸を思い出した。
「なんだそりゃ。俺は訓練兵時代から片時も離れずお前らと一緒だったろうが」
感覚が通った手のひらから新鮮な柔らかさを感じて、恥ずかしげもなく手を繋いでいたことまで思い出してしまった。……だが振り払うほどにはまだ、覚醒はしていない。
「そんなの、いるわけねえだろ」
「……だって、わからないじゃない? 誰にだって秘密はあるし、公表してなかっただけってことも」
「お前なあ、」
自分でも不意に噛みついてしまった。少しずつ興奮し始めたアルミンのせいで、俺の意識もどんどん冴えていき、
「お前には俺がそんな器用でしちめんどくせえやつに見えんのか?」
とうとう並んで寝転がるこいつと繋いでいた手まで照れ臭くなった。
「……ま、まあ、君の性格上、隠してお付き合いとかは……ないか」
「そうだろ」
振り解いたことはどうでもいいのか、特になにも言及されることなく、アルミンは天井を眺めるばかりだった。
その態度がなんとなく俺の居心地を悪くさせるものだから、
「ましてやだな、今ならともかく、あのころ俺たちみんなガキだぜ? 俺たちの本番は、これからってこった。へへ」
そうやって軽口を叩いやったのに、それに対しても腑抜けた声で、静かに「……そうだね」と相槌をよこすくらいだった。
そうだった。こいつは今日、月を眺めてしまうくらいにはおセンチだったのだと思い出した。
こんな世界に生きてるからには、誰だって……俺だって、納得のいかない日くらいある。そういうときに茶々を入れる相手もいるが、俺にとってアルミンはその一人ではなかった。
ばっと乱暴にアルミンの手を握ったのは、それが理由だ。
「……あーもーめんどくせえな! ンだよ、なに気にしてンだよ!」
俺が渾身の親身を披露してやったのに、アルミンは「ええ? あはは」と気の抜けた笑い方をしたかと思えば、くすくすと揺らしながら肩を寄せてきやがった。
「ううん、何も気にしてないよ。ジャンはちゃんと幸せになれそうだなって。うれしいよ」
俺が捕まえたはずのアルミンの手のひらも、いつの間にか俺が捕まえられている。
「……そういう他人事みたいな言い方はしないでほしいんですけど?」
「あはは、ごめん」
割と本気で傷ついていた俺の気も知らないで、また軽く流されてしまった。
「……笑い事じゃねえっつうの」
なんで俺が傷ついたかなんて、こいつは一生理解できないことはわかっている。俺とこいつとでは、決定的な違いがあるからだ。……そしてその違いがときどき、俺とアルミンを深く〝切り離そうとしている〟ような気がして……仕方のないことだとわかっているのに、とても苛つくときがある。
「……あれ、ごめん。本当に落ち込んじゃったの? ねえ、ごめんってば」
しばらくなにをいう気にもなれなくて、だんまりしていたら往生際の悪いアルミンは繋いでいた俺の手を揺さぶってくる。苛ついてだんまりしている俺もかなりのものだが、
「ねえ、ジャンー?」
こいつの仕草もかなり幼稚だ。
「……さっさと寝ろ」
その幼稚から卒業するため、その一言だけをようやく吐き捨てて、俺はアルミンに背を向けた。当然、握られていた手のひらもすうすうと薄寒くなる。
「……うん。あのね、これだけは言わせてよ」
顔も見えないアルミンが、俺の後ろでぼそぼそと独りごちり始めた。
「ぼくはいつまでも君の恋人であり続けることは……――君を幸せには、できないから……」
嫌な予感がして、急いで目を瞑った。だが俺はよほど気が動転していたらしい。聞きたくなければ、耳を塞がなければいけないというのに。
「ぼくがいなくなったあとは、迷わず幸せになれる人と出会ってほしいなって。そう、思ってるよ」
……ほら、またこれだ。またこの『違い』が、俺たちを〝切り離そう〟としている。こういう話は、本当のところ、聞きたくもなかった。置いていかれることを突きつけられるようで……いつも、本当は聞きたくなかった。
「――けど、君にとって特別な人であり続けたいって、わがままな気持ちも……あるから」
この言葉に意識が傾く。
「……君がぼくの次の人で幸せになってくれたら、ぼくは君の『たった一人の元恋人』になれるかなあって。そんなことを、考えてたんだ」
……珍しくアルミンが見せた執着は、どこからともなく感情を湧き立たせた。迸るような熱情が喉元まで上ってきていて、もうそれを俺の中に押し込めるのに精一杯だ。
「……あれ、ジャン? 寝ちゃったの? うそ?」
ひたすらに押さえていたら、都合のいい勘違いが転がり出してきた。そうだ、そのまま寝てくれと願ったのは、この得体の知れない感情をどう吐露すべきか、今の俺にはまだわからなかったからだ。
「ねえ、うそでしょ?」
様子を見ていたら、
「……もうっ。君らしいねっ! お休み」
少し荒々しく耳の近くにキスをされて、ベットの隣がばふりと大きく揺れた。……これでアルミンは寝てくれるはずだ。
もしかしたら俺はいつか……いや、俺が、いつか。こいつの言った『たった一人の元恋人』に救われる日が来るのかも知れない。来るか来ないかなんて俺にはわからないし、わかりたくもないが。
アルミンが本当は俺に執着していること。そんな簡単なことが知れただけで、こんな満たされた気持ちになるなんて……そんな愚痴なら、いくらでも聞いてやりたい。最後まで、醜く執着し合いたい。そう思えた夜だった。
おしまい
アルジャン
お題【愛する臆病者】
「ねえ、ジャンっ」
バタンッと乱暴に扉が閉じられた。ぼくは驚いて肩が跳ね上がり、目の前のベッドに顔を突っ伏して不貞腐れるジャンがいつの間にか転がっているのを見つけた。
大きな音を発した扉はジャンの自室の扉で、ぼくたちは『シガンシナ区最終奪還作戦』後の初めての報告会を終えたところだった。
会の終了から明らかにジャンの様子がおかしいことに気づき、すぐにぼくに対してだけ乱暴に振る舞っているのがわかった。だからぼくはジャンの自室まで追いかけて来たわけだけど、訪ねてきたぼくを追い返さずに部屋に招き入れたかと思えば、乱暴に扉を閉めるわ、ぼくの顔も見らずに不貞腐れるわで、ぼくはいよいよジャンの真意がわからなくなってしまった。
不意に大きなため息が漏れたとしても、ここは聞き流してほしいところだ。
「……ジャンってば、なにをイライラしてるのさ」
「うるっせえ」
とぼとぼと頼りない足取りで歩み寄りはすれど、それ以上近づくことはできなかった。ジャンがなにに対して腹を立てているのかわからないけど、ぼくもぼくなりに堪える作戦だったからだ。
……いや、真意がわからないというのは嘘、かもしれない。
「…………もしかして、今回のこと?」
「……さあな」
ためらいの後に放たれた言葉で確信を得る。やはりだ。今回ぼくは、自分の命を投げ打つつもりで作戦に臨んだ。結果として一命を取り留め、そして巨人の力を身につけるに至った。……エルヴィン団長の代わりに生き永らえたことに責任を感じていたぼくの隣で、そうか、ジャンは、ぼくが『命を投げ打ったこと』に、腹を立てていたのだ。
それがわかると、それまで近づき難かったジャンへのもう一歩を踏み出すことができた。ぼくの『死を覚悟したこと』を咎めてくれたことはどこか嬉しく感じるところもある。だけど、それでもやはり、ぼくはあのときそれが最善だと思ったのだ。その『選択』を理解してもらえないのは哀しくもあった。……ぼくにも、譲れない覚悟くらいはある、いや、兵士ならば、ジャンにだってあるはずのものだ。
断固として顔を見せようとしないジャンの隣に腰を下ろして、覗いている頬へやさしく手を伸ばしてみる。
「……ごめんって……」
さらりと触れても反応はなく、それをいいことにぼくは続けた。
「でも、ああするほかなかったんだ……」
結局謝ったところで、自分の信念を曲げるつもりはなかった。
「君もわかるだろ。時には命を賭してでも、」
「お前はいつもそうだろっ!」
突然の怒声にまた肩が跳ね上がり、知らずのうちに俯いていた顔を上げた。ぱちりと噛み合ったところから、ぼくを咎めるジャンの鋭い眼差しが瞬いているのを見つける。
「以前の遠征のときも、俺が気を失ったとき、真っ先に馬から降りたらしいじゃねえか!」
「で、でもっ」
「でもじゃねえよ!」
ぼくが思っていた以上にご乱心のようで、また跳ねた声につられて口を瞑る。
「それに今回はなんだ!? 率先して丸焦げになりやがって……! 俺がどれだけ……どれだけ……ッ!」
言葉が詰まったらしく、顔を酷く歪めたあと、慌ててまた隠してしまった。けれど邪魔をする髪の毛があるわけでもない。その横顔はぼくにずっと晒されていて、そして、その瞳はジャンの切実さを訴えようとしていた。
「お前が死んじまったら…………俺はどうしたらいいんだよ……もう、誰にも気なんか、許せなくなっちまうだろ……」
声が震えている。ここまで言われないと気づかないぼくは、なんて鈍感だったのだろう。……ジャンが恐れているものがようやくちゃんと飲み込めたように思った。そのまま顔をまた枕に突っ込んだジャンの脳裏にチラついていたのは、おそらく既に腐り始めていた友人の亡骸だったのだろう。
「……心配させて、ごめん……」
確かにジャンにとってみればぼくは、軽率だったかもしれない。……けれど、わかってほしい気持ちも、拭いきれるものではなかった。あの場を制するためなら、ぼくの命など小さな犠牲でしかないと、ぼくはそう信じていた。……できることなら、それは正しかったと、今でも信じていたい。
この気持ちのすれ違いがひたすらに悲しくて、胸が潰れたように痛む。
しばらく沈黙に晒されていたこの空間で、先ほどまで不貞腐れて横になっていたジャンが、のそのそと起き上がり始めた。ぼくにはそれを追えるほどの気力はまだなくて、ただ静かに布ずれの音に耳を傾けていた。
「お前は確かに勇敢かもしれねえ……」
俯いたまま隣に座るジャンとぼくとの間には、久しく見るほどの距離が隔てていた。ジャンの心境をこれっぽちも隠すことなく物語るその距離から、ぼくは咄嗟に目を離すことしかできなかった。
「だけど、もう少し臆病になってくれてもいいぜ。もっとちゃんと、生きられる道を、模索してくれよ……っ」
今にも崩れそうな身体を支えようと、ジャンは頭を抱えてうずくまる。……当然、さきほど沈黙するしかなかったぼくには、依然として、なにかこの場でかけてやれるような言葉は浮かばなかった。
なんと言ったところで、ぼくはぼくの選択をジャンに認めてほしい気持ちを隠せる自信はなかったし、けれど同時に、ジャンが抱いた恐れをぼく自身も経験したことがあったから、痛いほどよくわかった。何かを返すのが正解なのか、今のぼくには到底答えの出ない問いだ。
「俺が臆病すぎんだよ……ンなこたあ誰かさんに言われなくたってわかってんだよ……仕方ねえだろ……もう信頼した人を亡くすのは、嫌なんだよ……」
沈黙ととって代えるように、ジャンの嘆きが部屋を埋める。恐れに沈んでしまいそうなほど、ジャンはその身を重く感じているようだった。
ぼくもわかる。信頼していた人を亡くしてしまう切なさや虚無感を。……けれど。
頭を抱えるジャンの姿をしっかりと目に入れる。
ぼくがあのとき下した選択は、『だからこそ』だったことは、伝えてもいいだろうか。
……好奇心がそうさせるように、ぼくは衝動のままにジャンの手を自分の手で覆った。冷え切った手を包んで、すぐ隣にいるジャンに心の中を見せてあげたいと思った。
「……ジャン、ごめんって。好きだよ。だから、わがままだけど、ぼくの気持ちも考えてほしい……ジャンならわかるだろ?」
そう。もうこれ以上大切なものをなくしたくないから……大切な人にも、大切なものをなくさないでほしいから、自らの命を賭したのだ。
覆っていたジャンの拳に少しだけ力が入り、シーツにできていた皺を増やした。
「……わかるから、悔しいんだろが。苦しいんだろが……」
絞り出したような声色を聞いただけで、ぼくは早くも安堵した。ジャンはきっと、始めからわかってくれていたのだ、ぼくの覚悟を。……けれど、その上で、隠さずに臆病な自分に従ってぼくを咎めてくれたのだろう。……それがいつか、ぼくの身を救うかもしれないと、信じて。
「うん。……うん。ごめんね」
ジャンに肩をぶつけて寄り添った。気づけばぼくの体温が、握り締めたジャンの拳にも移っている。
互いに逆の立場でも、同じことを言い合っていたのかもしれない。結局はぼくも臆病で、ジャンも臆病で、だからこそ、勇敢になれるんだと思う。……このひとを、こんなに愛しく思うんだと思う。
どうしても乗り越えないといけない離別はきっとこれからも襲ってくる。その度に傷ついて臆病になっていくのだとしても、どうか、愛しい人を『愛しい』と感じることをやめてしまわぬような、そんな勇敢さは持っていられますように……ぼくはそう祈るように目蓋を下ろしていた。
おしまい