魔法嫌いの剣ブーツの踵で石畳に足音を軽快に刻む。
大勢が行きかう大通りを歩きながら、俺はある店を目指して歩いていた。
目抜き通りから一本折れ、並走する少し熱気のこもった通りに顔を出す。
ここは鍛冶屋や彫金師など、金属加工や細工師の工房が連なっている通りだった。
表通りの武具店とは違い、どこか暗い印象のある場所だが、奥から感じられる熱気に、真剣さが滲んでいる気がした。
「えーっと……もう少し向こうか」
俺は表通りと比べて、一気に人通りが少なくなった通りを進む。
通りは雑然とした印象で、店の前には鉄くずやら古びた工具やらが無造作に落ちていたり、開け放たれた扉の向こうから、時折怒号や槌の音色が聞こえてきた。
どうにも常人を寄せ付けない職人気質の空気がそこにはあった。
とはいえ、それを気にするほど繊細な精神など俺は持ち合わせていないし、どちらかと言えば俺はこういった雰囲気が好きだった。
自分の技に自信と畏敬を持ったプロの雰囲気と、言うのだろうか。
そういうものには、子供のころから慣れていた。
時折、素材を卸しにきた商人らしき人とすれ違うと、なぜか驚いた顔と共に会釈される。
どうやら、昨日の試合の事はそこそこ広がっていたらしい。
良い意味でも悪い意味でも、有名人ってわけだ。
「……悪い気はしねえけど、多少は自重した方がいいって言われちまったしなあ」
昨晩、飲み明かした白髪の狼の言葉を思い出しながら、ついでにと教えられたのは、防具を買えということだった。
今まで、本気の対人戦闘など数えるぐらいしか経験のなかった俺は、基本は魔法で距離を取って戦っていた。
ある程度の自己強化魔法や【精霊の耳】による聴力で、近接でも避けることは出来るため、直接ダメージを受ける機会がほぼなかった。
それゆえに、自分があまりにも脆いことに気付いていなかった。
闘士を続けていくなら、まずは防具で怪我をしないようにしろ、というのが狼の弁だ。
武器はなくても魔法で戦えるのなら、長い目で見て必要なのはそっちだろう、と。
「っと、やべえ、行きすぎるところだった。……ここか」
俺の残り少ない路銀でも良いのが揃うだろうと、狼に勧められた店だ。
どこか厳格な空気が感じられる石造りの壁に、無愛想な扉がとってつけたかのように張り付いている。
手入れや補修する気がないのか、風雨で所々壁の塗装がはげ落ちていた。
看板を探すが見当たらず、もしかして今日は休みなのかと首をひねった。
「……ま、とりあえず覗けるなら覗いてみるか」
いつもの楽観的な思考で、俺はそっと扉の取手に手をかけた。
「すんませーん……」
一応声をかけてはいるが、人の気配は感じない。
【耳】を澄ませても、生物の鼓動は感じられなかった。
「いねえのかな……にしては鍵かかってねえし」
俺は疑問符を浮かべながら、教えてもらった店がここかどうか、通りに顔を出して場所を確認するが、どうも間違ってはいないようだった。
「お邪魔しちゃうぜー」
免罪符のように一言告げてから、俺は扉の奥へと足を踏み出した。
通り沿いに窓は見当たらなかったが、天井に採光用の窓があるらしく、意外と店内は暗くなかった。
建物は二階建てで、通り沿いは店舗用になっていて二階まで吹き抜けになっており、その天井の窓から昼近くになった陽光が漏れこんで店内を照らしていた。
入って正面奥にカウンターがあり、その奥の壁で店舗部分と、居住用の部屋および鍛冶場が仕切られているようだった。
店中はがらんどうとしており、棚が通りと直交する方向に並んでいたが、武器や防具はほとんど置いてなかった。
しかし、長い時間そうだったわけではないらしい。
棚に埃はなく、まるで一度に大量に出荷したため補充が追いついていないようなありさまだ。
「ああ、そういや、なんか数カ月前だかに、でっかい戦があったって聞いたな」
もし、ここの主人がそうした有事の際に商品を提供したなら、こうした状況も理解できる。
街にも被害が大きく出たらしいが、正直なところあまり都市生活などしていなかった旅人の俺からみたら、どこが被害を受けて、その後復興しているのかは分からなかった。
そもそも、人々の表情からそんな大災害があった悲愴さが見られないから、というのもある。
「あー、せっかく来たけど……この様子じゃ売ってもらえそうにないかもなあ……」
一旦出直すか、闘士を専門にしているコロシアム専属の鍛冶師にでも聞いてみるか、と思案していると、俺の【耳】に僅かな音が届いた。
どうやら、家主は二階にいたらしい。
ゆっくりとした足音が階段を軋ませながら近づいてくる。
俺は特に何をするでもなく、足音の主がやってくるのを待っていた。
「……んあ?」
カウンターの奥、一枚の壁に仕切られた廊下から顔を出したのは、顔面にいくつもの傷を負った大きな熊獣人だった。
やや寝呆けまなこで、数秒俺の顔を見つめる。
そして、はっとしたように目を見開き、その大きな口を開いた。
「な、なにしてやがんだっ!!」
大股に近寄りながらまなじりを釣り上げた怒りの形相は、子供がみたら恐怖で泣き出すほどだろう。
肩をいからせ、握りしめた拳と腕の力瘤が、見た目に違わない圧力を生んでいる。
「あー、勝手に入ったのは謝る。すんません」
「……言いてえことは、それだけかぁ?」
170以上ある俺が見上げるほどの巨体で俺に覆いかぶさるように仁王立ち、腹の底に響くような低音で唸る熊。
しかし、俺はその圧力をどこふく風とばかりに受け流しながら、指を一本立てた。
「一つだけ言っても構わないか?」
「ああん?」
「……客前で、裸なのはどうかなって思うんだが」
おそらく寝起きそのままだったのだろう、盛り上がった肩から張りだした腹まで、まるっと全てを晒した姿。
しかし熊は動じることなく、ふんと鼻息荒く少し離れると、壁に掛けてあった分厚い耐熱性のエプロンを首からかけて、俺に向き直った。
「なんだ、客だったのか」
怒りは引っ込んだらしいが、むすりとした顔には頑固さがにじんでおり、三白眼気味な目はそうでなくても睨んでいるような印象を与えていた。
とりあえずは嫌疑は晴れたらしいと俺は肩をすくめて、頭を下げた。
「見ての通り、なにも盗んでないし荒らしてもないぜ? ……まあ、看板も出てないのに鍵が開いてるからって勝手に入ったのは、悪かった」
「……ふん、昨日は飲みすぎたせいで鍵掛け忘れてたな……寝すぎて店開けそびれたこっちにも、非がないわけじゃねえ」
少し目元も揉みながら、熊は首をごきりと鳴らす。
「……ん? お前、もしかして、昨日試合に出てた闘士か。キジュウとやり合ってた」
「あー、それそれ。なんだ、おっちゃんも見てたのかよ」
俺が肯定すると、途端に熊の顔が、再び険しく変わる。
「魔法使いが、なんだって俺の店にくるんだ?」
俺は内心、事前に聞いた通りだなあ、と熊の『魔法嫌い』っぷりに苦笑する。
理由までは聞いていないが、変に詮索することでもないか、と俺はひとまず事情を説明することにした。
「俺は闘士になりたてでさ、防具もなーんもなくてね。紹介もあったし、せっかくだから街の観光がてらここの店に来たってわけ」
「……ふん、魔法使いは魔法で防御するから必要ないだろ。大抵のやつはそう言って冷やかしにくるんだ」
あっちゃあ、こりゃ重度の魔法嫌いだねえ、と俺は内心で苦笑する。
少しだけ思案して、俺は一度尻尾を大きく振った。
すると、尻尾にいつも隠れている精霊達が俺の肩や頭の上にぴょこんと乗っかった。
そして、普段は視認できない精霊達が、誰でも見えるように、少しだけ魔力を渡して顕現してもらう。
「……んな!!」
急に現れた精霊達を見て、熊は思いっきり身体をのけ反らせ、慌ててカウンターの裏に身を隠した。
「いやいや、全然危なくないから」
「嘘つけ! どうせ爆発とかするんだろ!」
頑なに拒絶する熊の店主に、俺は頭を掻こうとして今は精霊達が乗っていることを思い出して、腕を中途半端なところで止めた。
行く当てをなくした右手をひらひらと振って、俺は肩に乗っていた青く発光している小さな鳥の姿をした精霊を、掌に呼ぶ。
「あー……こいつらは一般に精霊って、呼ばれてる存在でな。俺の一族では『隣人』なんて呼んでる」
そして、僅かな魔力を渡すと、水の精霊はくるくると回って、小さな水の輪っかとなる。
「俺が使う魔法は、この精霊達の力を借りるもんでね。自然現象の延長しかできないのさ」
ふわりと水の輪が浮き上がり、いろいろな形に変化する。
剣や槍、盾や小手。
店の中に並んだ武具達の形を映しては真似をする。
その様子をうかがっていた店主は、怖がっている割に興味はあるのか、少しずつ元の場所まで戻ってきた。
そして俺の数歩手前で止まると、透き通った水が僅かな光をきらきらと反射しながら形を変える様子を、まじまじと見つめる。
「普通の魔法使いが使うような、力場による防御魔法とか便利な回復魔法は、精霊達には使えない。すなわち精霊魔法では出来ないってことさ」
精霊魔法で出来ないだけ、なんだけどな、と内心で付け加える。
実際のところ、【精霊の耳】に様々な魔法の知識があるため、使えないわけではない。
が、今それを伝える必要性を感じないため、黙っておく。
【精霊の耳】にある知識は、俺の頭の中の記憶とは違い、引き出すという作業が必要になる。
わずかな時間であるが、闘いの中でその時間は、あまりにも大きい。
何度も使ってその魔法を習熟すれば、俺の頭の中の記憶に変わっていくが、大抵の事は精霊魔法でなんとかできる。
だからよっぽどの事がない限り、俺は精霊魔法しか使わないと決めていた。
「防御が出来ない魔法使いなら、防具が必要だろ?」
俺は指を鳴らし、浮いていた水球を消す。
するとそれを見ていた熊が、一瞬驚き、そして数秒の沈黙の後、
「……なあ、今のもう一回見たい」
「……えーと……話、聞いてたか?」
俺は呆れて聞き返すが、強面だったはずの顔はいつの間にかどこか愛嬌を感じる表情に変わり、近くでみると意外と円らな目で見つめられる。
その視線に根負けして、俺はそのまましばらく、熊の店長が満足するまで精霊魔法を披露し続けた。
「なんじゃ、面白い奴だな!! がっはっは!」
「お褒めにあずかり光栄至極、ってな。ま、芸を披露するのは嫌いじゃないぜ。闘士じゃなかったら、金とるところだけどな」
「こんなに面白いなら、金払ってもいいくらいだ! お前、名前はなんつったっけか?」
「ユース、でよろしく頼む。あんたの名前を聞いても?」
「俺はイェルドだ」
そういってイェルドは大きな掌を差し出してくる。
意外と表情は豊かなんだなあと、思いながら手を伸ばし、がっしりと握手を交わした。
イェルドの手は固く、鉄と汗の臭いがした。
「おう、そういや、お前さん。武具を買いにきたんだったなあ」
握手のあと、思いだしたかのようにイェルドは、ぽんと掌を叩いた。
ようやく本題に戻ったと俺は安堵する。
「そう、どんなのがあるか、教えてくれないか? そのへんの目利きはとんと素人でね」
「そうだな……そういやお前、試合の時、剣を持ってなかったか?」
「ああ、あれは使うかもってんで貸出しの所にあったやつを借りたんだ。剣術ってほどじゃないが、扱いは出来るんでね」
「ほほう……」
「あ、いや、今日は防具を……」
しかし俺の言葉を無視して、しげしげとイェルドは俺の身体を眺める。
真剣そのものの表情に、俺は仕方なく黙って待つことにした。
爪先から耳の先までじっくりと見た後で、イェルドはぺたぺたと俺の身体を触って確認する。
そして、一度店の奥に引っ込み、直ぐに戻ってきた。
その手には、むき出しの刃と無愛想な柄の剣が握られていた。
「こいつはおととい完成した新作だが……持ってみろ」
ずいと突き出された柄を、俺は反射的に掴む。
装飾の施されていない柄尻に、なめした革が巻いて握りを作り、何の印もない鍔へと続いていた。
磨かれていない刃からは、この剣の表情は一切うかがい知れなかった。
しかし、手に伝わる重さと剣の真っ直ぐさ。
片手で握りやすい重心と振りやすい長さ。
実用性一辺倒に考えられた剣は、まるで不器用な作り手を映しているようで、そして芸一辺倒の俺にも似ているなと思うと、不思議としっくりときた。
俺は一度周囲を見回して、振りまわしても問題ないと確認してから、小さく息を吐いた。
「……しっ!」
俺は正眼に構えた剣を、斜めに切り払う様に振るう。
流れるように回転し、中段への回し蹴り、そして真一文字の切り払い。
低い体勢から切り上げを二回、X字に交差するように。
振り切った剣を背中側で手から離すと、振りまわした勢いで俺の左肩越しから柄が飛び出す。
それを今度は左手でつかみ、くるりと手元で回転させる。
「……んー……ちと重いかなあ」
演武の型のほんの一部を終え、俺が感想を述べると、なぜかイェルドの目がきらきらと光っていることに気付く。
あ、これはあれだな、と俺は既視感を覚えた。
「わあったよ、もっと見たいんだろ!」
俺も期待されれば、答えずにはいられない性分だ。
とことんまでやってやるぜ、とさっそく型に入った。