継ぐ音すこぶるいい天気、とはまさにこのことだろう。
俺は窓から空を見上げて、そんな感想を抱く。
透き通るような青がどこまでも広がり、少ない白い雲が自由に泳ぐ。
太陽はこれでもかと陽気をまき散らし、部屋にこもっているにはもったいない気がした。
「……よし」
俺はベッドから立ち上がる。
負傷していた腕も脚も、穴の開いていた脇腹も全て治癒魔法で治り、その反動も収まった俺は、今日から出歩くことが担当のスタッフから許可されていた。
前日に、試合で勝った報酬も手に入れ、おかげで少し懐も温かい。
出かけなきゃ損だな、と俺はさっそく準備を始めた。
「おー、今日は市の日かー」
いつも通り広場に顔を出せば、溢れかえる人の群れ。
様々な種族が各々で露店を出したり、大道芸を見せて観覧料を取っていたり、とにかく賑やかだった。
さて、何から見ようか、と俺はきょろきょろと周りを見回す。
陶器の器を並べた店、ガラス細工が光を反射して煌めく店。
小さな砂糖菓子を並べる店や串焼きなど立って食べられる軽食を売る店等など。
俺は湧き上がる興奮に尻尾を上機嫌に揺らして、歩き回る。
時々、俺のファンだという女性やら子供にも出会い、俺は持ち前のサービス精神できざっぽく礼をして握手をしたり、小さな精霊達を見せたりした。
「ほう、なんだか賑わっておるな!」
ふと【耳】に聞こえた声に、俺は目線をそちらに向ける。
そこには巨体の獅子人の男が、真っ赤な鬣を揺らし、きょろきょろと周りを見回している。
年齢は中年と言っていいだろうか、しかしその目に宿る光は少年のように輝いていた。
「……よ、おっさん。市にくるのは初めてなのか?」
「むう? 初めてではないぞ! しかし、何度来ても店が違って面白い!」
俺はさりげなく獅子を誘導し、少し開けた休憩スペースに向かった。
獅子の服装は地味に見えて、綿ではなく絹でできていて、どうにも育ちの良さが見えている。
そんな獅子に対し、手癖の悪い連中がひそひそと悪だくみをする声が聞こえてしまった俺は、面倒に思いつつ人ごみから遠ざかるようにした。
「へえ、じゃあおっさんはここに暮らして長いのか?」
「そうだな。生まれてこのかた、ずっと王都暮らしであるな」
「そっか。俺はいままでずっと旅してきたから、どっかの街に腰を据えたのはここが初めてだな」
「ほう! お主は旅人であったか」
急に目を輝かせる獅子に、俺はすこし身を引きながら、おうと答える。
何やらいろいろ話を聞きたそうなので、俺も旅の話をしつつ市を回ることにした。
「ふーむ、お主の話は実に面白いな!」
「そいつはどーも。芸者は語りに歌、芸に床にと男も女も喜ばせて一人前ってね」
「むう、一度、お主と夜を明かしてみたいものだな!」
「おっさん積極的だねえ。ま、そんときゃ初回限定で安くしとくよ。ていうか、闘士だから副業できねんだけどな……」
今更ながら、ちゃんと契約書は読むべきだったと思わないでもない。
まあほとんど読めないのだが。
「お主、闘士でもあったのか! これはその内コロシアムにも顔を出さねば」
「おう、そんときゃ手に汗握る試合をご覧に入れましょう、ってね」
俺も獅子も名乗ってすらいないが、何故か気が合いそんな口約束も取り付けた。
そうしてぐるりと約半分ほど見て回ると、突然獅子は、急用が出来たとそそくさと人ごみにまぎれ消えてしまう。
俺は遠くから騎士団が誰かを探す声が【耳】で聞こえていたので、適当に相槌を打って獅子とはそこで別れた。
「やっぱ、どっかの貴族がお忍びで来てたんだなー」
納得しつつ、俺は気を取り直して周りを見ると、少し奇妙な店を見つける。
周りの露天とくらべ、暗い配色の幕が下ろされ、そこには楽器が並んでいる。
店主は高齢の竜人で、声を上げて客寄せをするでもなく、静かに椅子に座って、眼を閉じていた。
毛の少ない西や南の竜種ではなく、体毛の多い東や北の竜種に見える。
元々の色なのか、重ねた年数のせいなのか、真っ白な色の体毛を生やし、特に髭と髪は腰に届く程の長さだった。
年齢を感じさせる痛んだ鱗は、元は新緑色だったと思われるが、今は大部分がくすんでいた。
「よっ、爺さん。儲かってるかい?」
「……そう見えるんなら、お前さんは儂よりも
耄碌しとるのう」
「ちげえねえや」
俺は笑顔で店に入ると、老竜は長く白い髭をしごきながら、快活に笑い返す。
俺は、置いてある楽器へ視線を向ける。
様々な種類が一様に棚に並べられていた。
「……年季物だな」
俺は一瞥で、全てがアンティークだと思った。
そして新品の楽器の中に、一つだけ傷だらけではあるが、大切に、そして丁寧に手入れされているリュートを見つける。
ボディや表面板に傷はあるが、フィンガーボードや弦は比較的新しいものに変えられていた。
「……って、値札ついてねえけど、これいくらなんだよ」
その楽器には値札はなく、俺は何気なく目についたリュートに手を伸ばした。
「そいつは金貨100枚じゃ」
「……ぶっほっ!?!?」
俺は一瞬固まり、思わず素手で触ろうとした手をひっこめた。
「な、なんでそんなに高いんだ? 実は隠れた名作だったりするのか、これ」
「いんや、儂が作ったものじゃよ。出来は普通位かの」
「……売る気ねえだろ、爺さん」
俺がじと目で見ると、老竜はにやりと笑った。
「おうとも、お前さんのようなガキんちょには売れんわい」
「んだとう!」
俺が笑いながら袖をまくると、老竜はかかかと大笑した。
「しかし、お前さん……どうやら多少は弾ける口のようじゃな」
「……なんでそう思うんだ?」
爺の勘じゃよ、とまるで試すような視線を向けてくる。
俺の中の芸者としてのプライドが少しうずいた。
「……けっ、俺はこれでも吟遊詩人で食ってたんだぜ。ただじゃあ聞かせられねえな」
「かっかっか! 小僧が言うよるわい。よかろう、儂が満足したら、ちったあ色付けてやるぞ?」
「そう来なくっちゃな!」
俺は契約成立だ、と老竜に手を伸ばし、握手を交わす。
ひどく不思議な手の感触だった。
俺は早速と言わんばかりに、いそいそと現在金貨100枚のリュートを手に取る。
そして、手慣れた手つきで調律を始めた。
「……ほう、思ったよりは出来そうじゃな」
「ぬかせ。仰天してぽっくり逝くなよ、爺さん?」
俺はそんな軽口を叩きながら、くるくるとペグを回し弦の張力を調節する。
そして、軽く爪弾き、音を確かめると次の弦の調節に移る。
俺の【精霊の耳】はこういった調律にも非常に便利だった。
記憶している音と聞こえた音の違いを寸分狂わず認識できるため、特別な器具を使わずとも完璧な調律を実現できた。
そのせいか、老竜は初めはただ見ているだけだったが、俺の耳の良さに気付いてからは好奇心に駆られたように俺の手元を見つめていた。
「おじーちゃーん! ご飯買ってきたよ!」
その時、店の外から大きな少年の声がした。
振り返れば、両手にたくさんの料理を抱えた黒色の狼の少年が、立っていた。
年齢は14、5歳と言ったところか。
動きやすそうな服装で、ハンチング帽を引っ掛けていた。
「あ、お客さんいたんだ、ごめんなさい……」
真面目な性格なのだろう、恥ずかしそうに耳も尻尾も垂らして、俯く狼少年。
俺が気にするなと声をかける前に、老竜が笑顔で言う。
「おう、気にするこたあないぞ。この小僧はまだ客じゃないからのう」
思わず肩の力が抜けてリュートを落とすところだった。
こんの爺、と俺が笑顔をひきつらせて唸っても、老竜は大笑いするだけだった。
「えっと、演奏されるんですか? ……僕も聞いてもいいですか?」
狼少年は持ってきた串焼きやらトーストサンドやらを老竜の前のテーブルに置き、遠慮がちに聞いてくる。
俺が首肯すれば嬉しそうに少年がはにかんだ。
俺は内心、可愛い顔するねえと和んでいたのだが、その表情を見た老竜に、
「うちの孫に手を出すなら、覚悟しとくんじゃな……」
と、何かを握りつぶすジェスチャーをされる。
想像してしまった俺は、少しだけ股間を抑え、もぞもぞと居住まいを正した。
「しねえよ!」
「ふん、どうせ吟遊詩人なんて言っても、一番得意なのは夜寝る時、男に抱かれて上げる喘ぎ声とかそんなんじゃろうに」
「孫がいる前で、そういうこと言うのは教育的にどうなの!?」
俺が焦ってツッコミを入れるが、当の少年は何のことかわからない様子で首をかしげていた。
「……まあ、いいや」
俺は自分の爪の状態を確認し、最近整えてなかったなあと思いながら、邪魔にならないように引っ込める。
そして、指先の肉球で弦を弾いた。
振動した弦が空気を震わせ、表面板に空いた幾何学模様のロゼッタを通って、中空のボディ内で共鳴する。
見た目には細かい傷が多くあるものの、楽器としての要所要所はきちんと手入れや補修がされており、味のある音が奏でられた。
「それでは、一曲のお付き合いを」
俺は椅子に腰かけた老竜と狼少年に向かって深く腰を折って礼をする。
そして立ち演奏用のストラップを肩にかけ、リュートをぶら下げると、俺は軽やかに弦を弾いた。
左の指で弦をフィンガーボードに押し付け、次々と音の高さを自在に変化させ、右手で音のリズムを決めていく。
ギターよりも弦が多いため、俺はせわしなく右手の位置を変えながら、正確に弦を弾いた。
そして、俺は口を開く。
初めは語るように歌い出し、徐々にメロディを奏でる。
俺は目を閉じ、曲に込められた物語を描く。
登場人物の感情、仕草までを再現しようと、俺は力を込めて演奏し、歌い上げた。
曲は、僅か数分で終わりを告げた。
目を開けば、きらきらと目を輝かせた少年と、呆然とした老竜がいた。
「……お前さん、『天竜のさえずり』の持ち主じゃったのか……」
「なんだそりゃ。俺の一族じゃ『祖霊の寵愛』なんて呼ばれてはいたけどよ」
おそらくは、同じものを意味しているだろうと予想しながら、俺は告げる。
『天使の歌声』等々、生まれながらの美声に対する呼び名は古今東西様々だった。
「で、どうよ? 売ってくれる気になったかい?」
「……そうさな……50枚にまけてやるか」
「まだ、くっそ高えよ!? 王都の貴族街で家が買えるわ!」
結局、俺に譲る気はないらしい。
俺は諦めて弦を緩めてから、棚に戻した。
「お兄さん、歌、すごくお上手ですね!」
狼少年は俺に近づくと、尊敬の眼差しで見上げる。
きらきらと大きく開いた翡翠の目を光らせる少年に、俺はまんざらでもなく尻尾を振って、頬を爪で掻いた。
「まあ、な。それほどでもあるな!」
「僕、お兄さんの事、一度コロシアムで見たことあります! すごくカッコよくて、楽器も弾けて、歌まで上手で、すごいです!」
お、おう、とここまでの絶賛を受け、俺は柄にもなく照れる。
見た目が黒い狼同士、まるで歳の離れた兄弟のようにも見えるかもしれない。
「あの、お名前、ユースさん、ですよね。僕、ラルゴって言います」
「おう、よろしくな。さん付けなんて堅苦しい。呼び捨てでいいぜ」
「じゃ、じゃあ……ユース、お兄ちゃん……」
呼び捨てに抵抗があるのか、恥ずかしそうに付け加える。
不覚にも、俺の胸が高鳴った。
「……ふんっ、ふんっ」
何故か老竜が握力を鍛え始めたので、俺はげんなりと表情を変え、じと目を老竜に向ける。
「こんの爺……」
俺の悪口に、にやりと笑うだけなので、俺もこれ以上は言いよれない。
そんなやり取りをしていると、少年は何かを思い出したように尻尾をピンと立てた。
「あ、僕、友達と待ち合わせしてるんでした!」
急にそわそわし始める小さな尻尾を見て、俺は苦笑した。
「別に行ってくればいいだろ。俺に気を使ってどうすんだ」
少年は嬉しそうに笑って、ぺこりとお辞儀をすると入ってきた時以上のスピードで、露天から離れて行った。
「……いい子だな」
「当然じゃ。儂の孫じゃからな。儂に似て、素直じゃろう」
「どの口が言うんだ、どの口が!」
「はて、この串焼きは絶品じゃのう」
「話逸らすな!」
俺は裏手で空を切り、ワノクニ風のツッコミをかます。
かつて見た漫才という演目で片方が頓珍漢な事を言ってボケて、それに対して鋭くどついてツッコミを入れながらも相方を傷つけない手法として編み出された伝統芸らしい。
「……あの子、あんたの血縁じゃねえだろ。両親は?」
少し立ち入りすぎかとも思ったが、俺はあの子が純狼種なのに祖父が純竜種と言うのは、納得がいかなかった。
別に言わなくてもいいけどよ、と付け加え、俺は肩をすくめた。
「……死んだよ。あの子と、そのリュートを残してな」
「……は?」
俺は思わず、今まで握っていたリュートに目を向ける。
「なんで……んな大事な物、売り物に出してんだよ」
「……儂は
弦楽器製作者でな、作ることはできても、弾く方はさっぱりなんじゃよ」
大きなため息と共に、老竜は少し肩を落とす。
今までの老獪な雰囲気から、一気に老けこんだように感じた。
「あの子、ラルゴの父は演奏家で母は歌手じゃった。……あの子が小さい頃に、事故でなくなってしまっての」
じっとリュートを眺めながら、老竜はぽつりぽつりと語る。
「遠くから家族だけでここに移り住んだあの子には、親しい知り合いが父親に楽器を提供しとった、儂しかおらなんだ」
「それで、あんたがあの子を……」
少し、気まずい雰囲気の沈黙が流れる。
首を突っ込み過ぎたか、と俺が後悔しかけた時、
「そうじゃ、だから……手を出すなら容赦なく潰すぞい」
そう言って沈黙を破り、老竜はぐっと節だらけの手を強く握る。
うっと俺は股間を抑える。
「何をだよ! 出さねえよ! ジェスチャー止めろ!」
「なんじゃと!! 儂の孫が可愛くないと言うんか!?」
「言ってねえよ!? あんた、めんどくさい性格だなあ、畜生!」
先程までの暗い雰囲気など微塵もないように老竜は語り、俺も意図を察して遠慮なく大声で怒鳴り返す。
過去に辛いことがあろうとも、さっきの少年の性格や態度を見れば、彼が今少なくとも不幸せでないことは、俺にも分かった。
赤の他人の俺が、これ以上少年を憐れむことは、彼の笑顔を庇護してきた老竜と、今笑顔で生きる少年に対してひどく無礼な気がした。
「おーけい。あのリュートを売りたくない理由が分かった。けど、なんでそんな大事なものを露天に出してるんだよ」
俺は少し老竜と打ち解けた気がして、少し近寄り、テーブルの対面に置かれた小さな折りたたみ椅子に腰かけた。
ふん、と鼻息をたてながら、老竜は一旦串焼きを食べ、飲み込んだ。
「さっきも言ったろうが。儂は弾くことはできん。店に飾っておいても、リュートは死んだままになっちまう」
けど、とそこで一度言葉を切った。
「……こうして露天に出してみれば、お前さんみたいな風変りな奴が来るかもしれんと思ったんじゃ」
「さりげなく俺の悪口を言うの、やめません?」
「はて、このトーストサンドもうまいのう」
「話そらすなって言ってんだろが!」
既視感を覚えながら、俺は脱力した。
意図せず、俺は少年の父親の形見で演奏してしまったわけだが、彼の表情を見れば悲しみなど微塵もなかった。
「結果オーライだけど、下手したら俺、大変なことしてたぞ……」
「うむ、もしもそのリュートに傷でもつけたら、賠償金踏んだふって奴隷にしてどっかに売り飛ばそうかと思とったぞ」
「物騒過ぎません!? あの子の教育に悪いから止めような?!」
あっけからんと言い放つ言葉に、俺はもはや神経をすり減らしてつっこむ。
僅かな間に全力のツッコミを何度もしたせいで、俺は肩で息をしていた。
「はぁっ……あんたの店、教えてくれよ。今度、普通のリュートでも見に行くからよ」
「通いつめても、孫はやらんぞ?」
「だからっ、なんでっ、そうなるっ!?」
完全に弄ばれていると知りつつ、俺は内心では心地よさを感じ、思わず吹き出してしまった。
釣られて老竜も大笑する。
「好きな時に遊びに来るといい。……旅の話でも、あの子に聞かせてやってくれ」
「おう、任せろ!」
俺が立ちあがろうとした時、【耳】に怒声が響いた。
「……喧嘩か?」
俺は首をかしげながら、老竜に別れの挨拶もそこそこに、店を飛び出した。