夜光虫と凪唄白光が海面に反射して目を刺す。
それをサングラスで遮りながら、俺は薄く目を開いた。
砂浜に刺したパラソルが作る影の下、広げた布に寝ころんでいた上体を起こし、【耳】に聞こえた呼び声の方を見やる。
「ユース兄ちゃんー!」
へいへい、と俺は横で暑さに伸びたイェルドに肩をすくめてから、熱い砂を足裏に感じながら波打ち際まで向かった。
波に踏み込めば、思った以上に冷たい温度に尻尾が一度大きく跳ねる。
その様子を見ていたラルゴが、浮き輪に掴まりながら高く笑い声を上げた。
「んで、大声で呼んで、どうしたんだ?」
「えっと、その……もうちょっと、沖の方に行ってみたいんですけど……」
浮き輪を使っているものの、まだラルゴは足のつかない深さまで一人で行くのは怖いらしい。
湖や、川にすら行ったことがなければそれも当然か、と俺は納得し、ラルゴがはまっている半透明でマリンブルーの浮き輪をゆっくりと押し出す。
「わ、わ……! あ、足が、つきません!!」
「ほれ、もっと沖まで行くぞー」
ラルゴは怖さ半分、浮いている感覚の不思議さ半分と言った顔で周りをきょろきょろしたり足元を覗き込んだり、俺の顔を見上げたりと忙しそうだった。
俺の胸まで海面がくれば、浮き上がったラルゴの顔も近づく。
喜び一色になったラルゴの表情が間近に見えて、俺も破顔した。
「すごいです!」
なにが、とは表現できないらしいラルゴは、ただただ足と尻尾をばたつかせて、目を輝かせた。
俺はふと悪戯を思いつき、にやりと口角を上げる。
「よっ」
「……ふえ?」
俺はラルゴの浮き輪から手を離す。
支えを失ったラルゴはぷかぷかと波に揺られて流され始めた。
「に、兄ちゃん……!」
「ほれほれー」
「うわっぷ!」
俺は両手ですくった水をばしゃりとラルゴの顔にかける。
咄嗟に手で顔を庇おうとしたラルゴだったが、手を離すと浮き輪から落ちそうになることに気付いて、慌てて掴み直す。
その結果、もろに顔に海水を浴びて、顔を振って水を飛ばしていた。
しかし運悪く大きな波が来て、ラルゴの身体が浮き輪ごと傾き、
「わぷ」
小さな悲鳴と共にひっくり返る。
流石にまずいと俺は肺に空気を溜めてから潜り、目を閉じて手足をばたつかせているラルゴを担ぎあげた。
「……大丈夫か?」
けほけほと飲み込んだ海水を吐きながら、ラルゴは俺の首に抱きついたまま小さく頷く。
俺は少し悪戯したことを後悔しながら、ぽんぽんと背中を叩いた。
咳が落ち着いた所で俺は浮き輪を探して、尻尾で引っ掛ける。
折角の海で怖い思いをさせてしまい、俺はどうしたものかと思案して、ふと思いついた事を口にする。
「なあ、ラルゴ。俺にしっかり掴まってろよ。一緒に潜ってみようぜ」
「は、はい……」
ゆっくりとしゃがみ、せーので互いに大きく息を吸い込むと、ラルゴを抱えたまま一気にしゃがみこむ。
ラルゴはしっかりと目をつむっていたが、俺がちょいちょいと目元をくすぐると、ようやく目を開く。
そして、驚いたように目を丸くするラルゴ。
俺は水を魔法で操って、ラルゴと自分の目の周囲だけ浸透圧を変え、沁みることのないように配慮する。
そして、ゆっくりと周りを見回した。
透き通った青の世界。
人々が多く見える海岸側、ほとんど人の見えない沖側。
水面は陽光にきらめき宝石がちりばめられているようだった。
俺はラルゴの様子を見ながら、一度海面に顔を上げる。
「……どうだった?」
「ぷはっ、すごい綺麗でした!」
まだ肺活量の少ないラルゴは肩で息をしているが、それ以上に今見た光景が感動したらしい。
すっかり恐怖も忘れたようで俺は内心でほっとする。
折角だと、俺はもっと沖まで見に行こうと、ラルゴを片手に抱えながら足を運ぶ。
ラルゴは俺の肩にしっかりと掴まりながら、楽しそうに深くなる海の底の色を眺めている。
このビーチはかなり遠浅ではあるが、それでもここまで沖に来ればそれなりに深く、波も高い。
とはいえ風と水の精霊に守られた俺の周りは穏やかで、難なくラルゴを抱えたまま立ち泳ぎが出来る。
「わあ……海岸があんなに遠くに……」
「結構、泳いだからな」
それでも水平線ははるか遠く、ラルゴはじっと遠くを見つめたり空を見上げたり、辺りを見回して海岸際とは違う景色を楽しんでいた。
とそこで、俺の【耳】に声が届く。
「おーい」
耳を動かして右手を見れば、人のいない沖の上に、ポツリと浮かんだ小型のボート。
俺はラルゴと顔を見合わせた後、興味を引かれてそちらに向かって泳いでいく。
「わー、よかった。このまま誰にも気づかれずに流されちゃうかと思ったよー」
ボートに乗っていたのはのんびりとした雰囲気の虎獣人。
アロハシャツを着込み、サングラスの隙間から覗く、深い青色の瞳が特徴的だった。
「とりあえず、乗って乗ってー」
ボートの中央から身体を端に寄せる虎人。
俺はラルゴの身体を押し上げ、先に乗せた後、自分は勢いをつけて一息に乗り込む。
ボートがぐらりと揺れるが、何とか三人乗っても転覆することはなかった。
しかし、手漕ぎボートは二人用に作られており、俺は仕方なくラルゴを膝に乗せ、抱きかかえる。
少し恥ずかしそうにしていたが、尻尾は俺の腹を撫でまわしていたので、気にすることは止めた。
対する虎人は変わらずのんびりと微笑したままだった。
「いやー、兄弟仲がいいみたいだねえ。おじさんも抱きしめたいなー」
「いや、兄弟じゃねえし、抱きついていいわけねえだろ」
開口一言目の最後にセクハラ宣言を言い放つ虎人に、俺は呆れてつっこむ。
「あらら、兄弟じゃないのかあ。でも仲良しさんだねー。羨ましいなあ」
「へいへい、どうも。……んで、おっさんはなんでオールのない手漕ぎ船なんかに乗ってんだ?」
どうにも話が進みそうにないと感じた俺は、こちらから質問する方向に変えた。
「いやー、ちょーっとお昼寝してたらオールがどっかいっちゃてねー、帰れなくてどうしようかなーってなってたんだー」
「少しは危機感持てよ!?」
しゃれになっていない状況にも関わらず、なぜか目の前の虎人はあははと軽い笑いで済ませてしまう。
「だから、君を呼んだんだよー。助けて―って」
「あっそう……」
どうにもペースに巻き込まれそうになってしまう。
諦めて、俺はひょいと指を振った。
尻尾から飛び出した精霊が、俺の指に合わせて海流を操り、ボートを海岸へと押し流し始めた。
「おー、すごいすごーい」
ラルゴと一緒にはしゃぐ虎人を半眼で見ながら、徐々に近づいてくる海岸を見つめていた。