歌の続き「ほらよ」
ぶっきらぼうにつきつけられた鞘を俺は受け取る。
派手な意匠などないそっけない黒鋼の鞘に、なめした爬虫類系の魔物の革でできた剣帯。
鞘から飛び出た柄も実にシンプルで、柄の先に金色の編み紐が30センチほど垂れているだけ。
俺は新調した防具、昆虫系魔物からとれた丈夫な糸と要所に金属糸を編みこんだ貫頭衣、に身を包み、腰のベルトと剣帯を結んだ。
幼いころからの芸の訓練で、もはや両利きと言って差し支えない俺だが、一応本来の利き手である左手で剣を扱うため、剣は右腰に吊るす。
折角だからとズボンもイェルドが選び、ピッチリとした黒のハーフパンツと踵からふくらはぎを巻きつけて覆う防刃耐衝撃布を揃えた。
「ふん、多少はまともになったな」
ゆるみや締め付けに問題がないか、イェルドが何度も確かめ、納得したのか大きく頷いた。
そして、突然俺の背中を思いっきりはたく。
「ちょ、いてえぞ、イェルド……」
思わずつんのめり、非難の目を向けるが、自分の仕事に満足したイェルドは満面の笑みで答えるだけだ。
「がっはっは、悪いな。久しぶりに満足する仕事だったからな」
「そいつは重畳だねえ……俺はまだ、胃の中が蜂蜜だらけな気がして重いんだが……」
俺は、これら一式をイェルドの好意で無償で受け取った。
金銭的に無償、というだけできっちりと身体で対価は払ったが。
晩酌という名目で、極東の座敷芸やら東方各地の歌やら、旅の道中を語ったりやら、一晩中俺はイェルドに付き合った。
イェルドはエールよりも蜂蜜酒を好み、その上つまみまでヌガーやらの甘いものばかりだったため、俺は即胸やけしたせいで飲食は遠慮して、しこたま芸を披露した。
飲食していないのだが、ずーっと甘いものを飲み食いするイェルドを傍で見ていたせいで空気まで甘く感じていた。
一日空いた今でもなんだか胃の奥がむかついてあまり食事も喉を通っていなかった。
「情けない奴だな、あの程度の酒で……」
「断固として主張するが、酒のせいじゃねえからな!」
「がっはっは、細けえこと気にすんな。ほれ、こいつも持ってけ」
そう言ってイェルドは二本の短刀と小さな革袋を手渡す。
袋の中を覗けば、新品の砥石がいくつか入っていた。
「……これは、ちゃんと金を払うからな……でも、今はツケで」
俺は受け取って直ぐ、宣言した。
イェルドは不機嫌そうな表情になるが、目が笑っているのが分かる。
完全に作った表情だ。
「なんだよ、また酒を飲もうと思ったのによ」
「そう言うと思ったからだ! ……甘いもの以外もあるなら、行ってやってもいいけどな」
「おう、そうこねえとな。そんときゃ、こっちもサービスしてくれんだろ?」
にやりと強面を歪めて、イェルドは俺の腰を撫でる。
あまりにも似合いすぎる表情に、俺は苦笑する。
その意味を察せない程、俺は純粋ではない。
「いいけど、俺は高えぞ。店のローン、残ってんだろ?」
その手に絡めるように尻尾を振り、イェルドの手が下に向かおうとしたところでぺしりと右手でイェルドの手を払いのける。
「げえ、そうだった……」
酒の席では、俺が話すだけでなく、イェルドの身の上話も多少は聞いた。
ごくごく普通の話だったが、定住経験のない俺からしたら、一晩を共にした相手のそういう話は何度聞いても飽きないものだった。
その中で、この店はローンを組んで建てたという話があり、俺は内心、次来るときはちゃんと金を持ってこようと決めていた。
「メンテとかはコロシアムの鍛冶師でもいいが、調整とかあったら俺んとこ持ってこいよ」
「へいへーい、こいつは大事にするぜ」
「アホか。大事にするのは自分だ。剣なんざ、いくらでも代わりがある」
「……含蓄の籠ったセリフだな。歳の功ってやつ?」
イェルドは鼻息を荒くすると、ガキには分からんわ、とにやりと口元を歪める。
「まあ、大切に扱わなかったらぶっ飛ばすがな」
「めっちゃ理不尽!」
俺の非難に、イェルドはまた豪快に笑った。
イェルドの店を後にした俺は、今日の予定を思案する。
今日は1vs1ではなく多vs多がメインで、少ない1vs1の試合ももう出場者は決まっているとのことで、俺がコロシアムですることはない。
イェルドの好意によってなくなっていた筈の路銀も多少残り、この大きな首都を見て回るのもありかと、俺はなんの当てもなく歩き始めた。
「今日は城を近くで見てみるかなー」
正直、今の格好は奇抜すぎるというわけでもないが、普通でもない。
目立つのは好きだが、俺的には目立ち方にポリシーがあった。
好奇の目にさらされるのは、正直、望んだ目立ち方ではないが、イェルド曰く、戦う服なんだからしばらくは身につけて慣れておけとの言。
特に革製品はなじむのにしばらくかかるとのこと。
理屈も理由もぐうの音も出ない程の正論なため、俺は大人しく従うことにした。
「……ん?」
雑踏の中、意図的に能力を少し制限していた【耳】にかすかな歌声が届いた。
ふつふつと好奇心が湧き上がってきた俺はくるりと方向を変え、足早に向かって行った。
人ごみを掻き分け、通りを進むと、急に頭上が大きくひらけた。
視界の両端からずっと主張するようにそびえていた建物が消え、青く澄んだ空が広がっている。
きょろきょろと見回せば、どうやら広場に出たようだった。
途端に、聞こえていた歌が【耳】を澄まさないでも聞こえる距離になっていた。
「おお……」
俺は声の主を見て、感嘆の声を上げた。
広場の奥に設営された壇上では、獅子獣人の女性が楽団の前に立ち、堂々とした歌を披露していた。
俺が少しよそ見をしていたので、右から歩いてくる人影に気付かなかった。
寸前で足音に気付いた俺が止まると、相手も同じ様にはっとして立ち止った。
「すまん、ちとよそ見してた」
「い、いいえ、こちらこそすみません」
背は俺の胸辺りまでくらいだろうか。
長い耳を垂らしたロップワイヤー種と思われる黒い兎の青年は、礼儀正しく腰を折って頭を下げた。
「では、おれ、急ぐので、ってうわー!」
彼は立ち去ろうとするが、その小さい身体が災いしたのか、人の流れにさらわれていってしまう。
「……ま、大丈夫か」
格好からして王都に居住する、少し上流階級の人間だろうと当たりをつける。
【耳】の記憶を呼び起こし、彼の足音が聞こえてきた方向を確認すると、王城や上流階級が暮らすエリアからやって来ていたのが分かった。
きっと王都には慣れているだろう、俺は楽観的に考え、目線をステージ上に戻した。
【精霊の耳】の力を使って、広場にいる人々の会話を拾い集める。
そうして得た情報から、彼女たちがこのジークリアで今人気を伸ばしている若手の歌楽団らしい。
特に、ガルラと名乗る歌い手の彼女が人気らしい。
俺はその女性とは思えないほどの力強い声と様々な楽器が織りなす多重奏に、聞き入った。
旅をする一座ではあんな大荷物になる楽器を持ち運ぶことはできない。
出来たとしてもアクシデントや強盗がでたら直ぐに諦めざるを得ない。
メンテナンスの手間を考えると、あれほどの楽器を同時に演奏できるのは、都市お抱えのか豪商が囲う楽団くらいなものだ。
俺も旅の途中に後学のためとして、オーケストラや演奏会などに足を運んだことはあったが、今目の前にある音楽はそこで聞いた物とは根本的に違う。
前衛的というか、トラディショナルやクラシックという言葉を殴りつける様な演奏だった。
彼女が手に持つ小さな棒の先端には、きらりと陽光を反射して光るクリスタル。
それに込められた魔法で、この広場中に彼女の歌が響き渡っているのだろう。
「こんな音楽もあるのか……すっげえな」
うずうすと俺は尻尾を振り、耳を何度も動かす。
そうしているうちに、曲が終わり、彼女は次の曲までの間を繋ぐようにしゃべり始めた。
「みなさん、今日も日中にも関わらず足を運んでくださり、ありがとうございます! 今日は次の曲が最後ですが、楽しんでいってください!」
透き通るような、鈴の音色の様な声に、俺は彼女の声はきっと歌の祖霊に愛されているだろうなと予想した。
けれど、その声をうまく歌に出来ているのは彼女の努力の賜物だろう。
「……これで終わりなのかあ」
次が最後の曲と分かり、俺は少し肩を落とした。
周囲の人々も同じ気持ちなのだろう、同様に落ち込む者、もっと聞きたいと声援を送る者、反応は様々だが、一様にみな彼女の歌を聞きたがっていた。
そう思わせるほど、彼女たちの歌と演奏は心を揺さぶる。
思わず飛び出して俺も歌いと思わせるほどのものだった。
実行に移す気はさらさらないが。