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GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    歌の続き「ほらよ」

    ぶっきらぼうにつきつけられた鞘を俺は受け取る。
    派手な意匠などないそっけない黒鋼の鞘に、なめした爬虫類系の魔物の革でできた剣帯。
    鞘から飛び出た柄も実にシンプルで、柄の先に金色の編み紐が30センチほど垂れているだけ。

    俺は新調した防具、昆虫系魔物からとれた丈夫な糸と要所に金属糸を編みこんだ貫頭衣、に身を包み、腰のベルトと剣帯を結んだ。
    幼いころからの芸の訓練で、もはや両利きと言って差し支えない俺だが、一応本来の利き手である左手で剣を扱うため、剣は右腰に吊るす。
    折角だからとズボンもイェルドが選び、ピッチリとした黒のハーフパンツと踵からふくらはぎを巻きつけて覆う防刃耐衝撃布を揃えた。

    「ふん、多少はまともになったな」

    ゆるみや締め付けに問題がないか、イェルドが何度も確かめ、納得したのか大きく頷いた。
    そして、突然俺の背中を思いっきりはたく。

    「ちょ、いてえぞ、イェルド……」

    思わずつんのめり、非難の目を向けるが、自分の仕事に満足したイェルドは満面の笑みで答えるだけだ。

    「がっはっは、悪いな。久しぶりに満足する仕事だったからな」

    「そいつは重畳だねえ……俺はまだ、胃の中が蜂蜜だらけな気がして重いんだが……」

    俺は、これら一式をイェルドの好意で無償で受け取った。
    金銭的に無償、というだけできっちりと身体で対価は払ったが。
    晩酌という名目で、極東の座敷芸やら東方各地の歌やら、旅の道中を語ったりやら、一晩中俺はイェルドに付き合った。
    イェルドはエールよりも蜂蜜酒を好み、その上つまみまでヌガーやらの甘いものばかりだったため、俺は即胸やけしたせいで飲食は遠慮して、しこたま芸を披露した。
    飲食していないのだが、ずーっと甘いものを飲み食いするイェルドを傍で見ていたせいで空気まで甘く感じていた。
    一日空いた今でもなんだか胃の奥がむかついてあまり食事も喉を通っていなかった。

    「情けない奴だな、あの程度の酒で……」

    「断固として主張するが、酒のせいじゃねえからな!」

    「がっはっは、細けえこと気にすんな。ほれ、こいつも持ってけ」

    そう言ってイェルドは二本の短刀と小さな革袋を手渡す。
    袋の中を覗けば、新品の砥石がいくつか入っていた。

    「……これは、ちゃんと金を払うからな……でも、今はツケで」

    俺は受け取って直ぐ、宣言した。
    イェルドは不機嫌そうな表情になるが、目が笑っているのが分かる。
    完全に作った表情だ。

    「なんだよ、また酒を飲もうと思ったのによ」

    「そう言うと思ったからだ! ……甘いもの以外もあるなら、行ってやってもいいけどな」

    「おう、そうこねえとな。そんときゃ、こっちもサービスしてくれんだろ?」

    にやりと強面を歪めて、イェルドは俺の腰を撫でる。
    あまりにも似合いすぎる表情に、俺は苦笑する。
    その意味を察せない程、俺は純粋ではない。

    「いいけど、俺は高えぞ。店のローン、残ってんだろ?」

    その手に絡めるように尻尾を振り、イェルドの手が下に向かおうとしたところでぺしりと右手でイェルドの手を払いのける。

    「げえ、そうだった……」

    酒の席では、俺が話すだけでなく、イェルドの身の上話も多少は聞いた。
    ごくごく普通の話だったが、定住経験のない俺からしたら、一晩を共にした相手のそういう話は何度聞いても飽きないものだった。
    その中で、この店はローンを組んで建てたという話があり、俺は内心、次来るときはちゃんと金を持ってこようと決めていた。

    「メンテとかはコロシアムの鍛冶師でもいいが、調整とかあったら俺んとこ持ってこいよ」

    「へいへーい、こいつは大事にするぜ」

    「アホか。大事にするのは自分だ。剣なんざ、いくらでも代わりがある」

    「……含蓄の籠ったセリフだな。歳の功ってやつ?」

    イェルドは鼻息を荒くすると、ガキには分からんわ、とにやりと口元を歪める。

    「まあ、大切に扱わなかったらぶっ飛ばすがな」

    「めっちゃ理不尽!」

    俺の非難に、イェルドはまた豪快に笑った。





    イェルドの店を後にした俺は、今日の予定を思案する。
    今日は1vs1ではなく多vs多がメインで、少ない1vs1の試合ももう出場者は決まっているとのことで、俺がコロシアムですることはない。
    イェルドの好意によってなくなっていた筈の路銀も多少残り、この大きな首都を見て回るのもありかと、俺はなんの当てもなく歩き始めた。

    「今日は城を近くで見てみるかなー」

    正直、今の格好は奇抜すぎるというわけでもないが、普通でもない。
    目立つのは好きだが、俺的には目立ち方にポリシーがあった。
    好奇の目にさらされるのは、正直、望んだ目立ち方ではないが、イェルド曰く、戦う服なんだからしばらくは身につけて慣れておけとの言。
    特に革製品はなじむのにしばらくかかるとのこと。
    理屈も理由もぐうの音も出ない程の正論なため、俺は大人しく従うことにした。

    「……ん?」

    雑踏の中、意図的に能力を少し制限していた【耳】にかすかな歌声が届いた。
    ふつふつと好奇心が湧き上がってきた俺はくるりと方向を変え、足早に向かって行った。

    人ごみを掻き分け、通りを進むと、急に頭上が大きくひらけた。

    視界の両端からずっと主張するようにそびえていた建物が消え、青く澄んだ空が広がっている。
    きょろきょろと見回せば、どうやら広場に出たようだった。
    途端に、聞こえていた歌が【耳】を澄まさないでも聞こえる距離になっていた。

    「おお……」

    俺は声の主を見て、感嘆の声を上げた。
    広場の奥に設営された壇上では、獅子獣人の女性が楽団の前に立ち、堂々とした歌を披露していた。

    俺が少しよそ見をしていたので、右から歩いてくる人影に気付かなかった。
    寸前で足音に気付いた俺が止まると、相手も同じ様にはっとして立ち止った。

    「すまん、ちとよそ見してた」

    「い、いいえ、こちらこそすみません」

    背は俺の胸辺りまでくらいだろうか。
    長い耳を垂らしたロップワイヤー種と思われる黒い兎の青年は、礼儀正しく腰を折って頭を下げた。

    「では、おれ、急ぐので、ってうわー!」

    彼は立ち去ろうとするが、その小さい身体が災いしたのか、人の流れにさらわれていってしまう。

    「……ま、大丈夫か」

    格好からして王都に居住する、少し上流階級の人間だろうと当たりをつける。
    【耳】の記憶を呼び起こし、彼の足音が聞こえてきた方向を確認すると、王城や上流階級が暮らすエリアからやって来ていたのが分かった。

    きっと王都には慣れているだろう、俺は楽観的に考え、目線をステージ上に戻した。
    【精霊の耳】の力を使って、広場にいる人々の会話を拾い集める。

    そうして得た情報から、彼女たちがこのジークリアで今人気を伸ばしている若手の歌楽団らしい。
    特に、ガルラと名乗る歌い手の彼女が人気らしい。

    俺はその女性とは思えないほどの力強い声と様々な楽器が織りなす多重奏に、聞き入った。
    旅をする一座ではあんな大荷物になる楽器を持ち運ぶことはできない。
    出来たとしてもアクシデントや強盗がでたら直ぐに諦めざるを得ない。
    メンテナンスの手間を考えると、あれほどの楽器を同時に演奏できるのは、都市お抱えのか豪商が囲う楽団くらいなものだ。

    俺も旅の途中に後学のためとして、オーケストラや演奏会などに足を運んだことはあったが、今目の前にある音楽はそこで聞いた物とは根本的に違う。
    前衛的というか、トラディショナルやクラシックという言葉を殴りつける様な演奏だった。

    彼女が手に持つ小さな棒の先端には、きらりと陽光を反射して光るクリスタル。
    それに込められた魔法で、この広場中に彼女の歌が響き渡っているのだろう。

    「こんな音楽もあるのか……すっげえな」

    うずうすと俺は尻尾を振り、耳を何度も動かす。
    そうしているうちに、曲が終わり、彼女は次の曲までの間を繋ぐようにしゃべり始めた。

    「みなさん、今日も日中にも関わらず足を運んでくださり、ありがとうございます! 今日は次の曲が最後ですが、楽しんでいってください!」

    透き通るような、鈴の音色の様な声に、俺は彼女の声はきっと歌の祖霊に愛されているだろうなと予想した。
    けれど、その声をうまく歌に出来ているのは彼女の努力の賜物だろう。

    「……これで終わりなのかあ」

    次が最後の曲と分かり、俺は少し肩を落とした。
    周囲の人々も同じ気持ちなのだろう、同様に落ち込む者、もっと聞きたいと声援を送る者、反応は様々だが、一様にみな彼女の歌を聞きたがっていた。
    そう思わせるほど、彼女たちの歌と演奏は心を揺さぶる。

    思わず飛び出して俺も歌いと思わせるほどのものだった。
    実行に移す気はさらさらないが。


    楽団が次の曲の準備を終え、広場に刹那の静寂が訪れる。
    声援どころか、みな息を呑んで始まるのを待っていた。

    静寂を破ったのは一定のリズムで少しずつ大きくなるドラムの音。
    それに気付いた時にはベースの旋律が土台を作り、リュートではなくギターの軽やかな演奏を支える。
    ドラムがリズムをリードし、ベースが支え、ギターが華やかに踊る。
    その旋律を破るように彼女の歌が突き抜けた。
    魔法の効果も相まって、腹の奥の方にまで響く彼女の歌に、この場のほとんどが魅了されていく。

    俺もその一人で、無意識に【耳】を使って聞き入ってしまう。

    だからだろう、いつもだったら気付ける僅かな悪意の音に、気付くことはできなかった。

    膨れ上がった静かな悪意は、唐突に爆発する。
    サビを歌い上げ、間奏に入った瞬間の事だった。

    耳をつんざく破裂音。
    たちどころに広場は明るい音楽ではなく、悲鳴で埋め尽くされた。

    「何だ!?」

    【耳】にも届いたその音に、俺は驚愕の声を上げた。
    事態を把握するため、俺は一時的に【精霊の耳】の能力を全開にする。

    悲鳴、怒号、困惑。
    観客達の声を全て聞き分け、処理しながら、俺はぎりりと牙を噛み締める。
    自分の心臓の音すら大音量で聞こえ、ノイズになる。

    こめかみがひくつき、脳が雑巾のように絞られている錯覚を覚えた。

    【耳】からもたらされる音の情報は、精度が高い上に膨大だ。
    いつもは無意識領域で情報を遮断して処理しているそれを意識下に置き、リアルタイムで全て精査するのは、脳への負担が尋常ではなかった。
    バチバチの眼の前で火花が散るような幻覚を感じながら、

    『ガルラを殺せ!』

    一瞬だけ聞こえた悪意の声。
    俺は反射的に顔を上げ、【耳】への意識の経路を、強制的に絶つ。
    急激な負担の消失に、俺の耳奥では残響のような耳鳴りが響いていたが、声の方角を睨み、長い吐息を吐きだす。
    そして、大きく息を吸った。

    「『大いなる竜を縛る祖霊よ』!」

    尻尾からぽんと飛び出した濃紺の色の球体の姿をした精霊が、ぐにゃりとその形を立方体へと変える。
    俺は尻尾を大きく振ると全力で飛び上がった。

    俺の跳躍力は大したことはないが、その頂点でぐいと身体が上方へと引っ張られる。
    その先にあるのは先程の立方体の精霊。

    俺はそれに手を伸ばすと、ぴたりと空中で身体が固定された。

    重力を司る精霊は無口なまま、次の指示を待っている。

    「……あそこか」

    突然の事態に、誰も俺が空中にいることに気付いていないようで、観客は慌てて広場の出口を目指して殺到していた。
    波が引くように観客がいなくなると、ステージ周辺に残っているのは楽団メンバーとガルラ、最初の爆発で怪我をした十数人の観客、黒いローブを被った獣人の三人だった。

    ステージ下に立つ獣人達は深くフードを被り、人相は知れない。
    しかし、その下に渦巻く魔力の高まりを俺は感じた。

    俺は両者の間を目指して、精霊に指示を出す。
    同時に【精霊の耳】から、いくつかの魔法の知識を引きだしておく。

    「『拒絶、断絶、隔絶。これよりは不可侵領域なり』」

    初歩的、かつ効果はシンプル。
    故に強力な空間隔絶による防御を展開しながら、俺は壇上のガルラに向かって放たれた魔法を受け止める。

    「……っ!」

    しかし、火力が違い過ぎた。
    俺が展開した防御壁は精々が俺自身と一人分の余裕があるだけ。
    正面から来る炎の塊に俺は、苦い思いをかみしめながら踏ん張るが、逸れた魔法が横目に楽団のメンバーに着弾しそうになるのを見た。
    その瞬間、虚空から滲むように、先程見た黒い兎の青年が青い杖を構えて現れた。

    そして、彼が杖を振るえば青白い障壁が現れ、いともたやすく魔法を打ち消した。
    俺よりも格段上の防御魔法に俺は感嘆を覚えて、舌を巻いた。

    おそらく気配遮断の魔法でステージ上に潜み、状況を見守っていたようだ。

    ガルラは突然現れた俺と黒兎に驚きながらも、それ以上に爆風で怪我をしたメンバーの心配で注意がそちらへ逸れている。
    俺は小声で、離れてろと告げると、彼女は一度目を伏せ、頷いて下がっていく。

    「なんだお前は……警備のやつらには金で黙らせたはずだが……?」

    底冷えする声は、俺の背筋にひやりとナイフの刃を押し付ける様な響きだった。
    フードの奥から見えないはずの眼光が、俺と黒兎を射抜く。
    思わず、口が凍りつきそうになるが、黒兎の青年の心臓の音が早鐘を打つのが【耳】に届く。
    俺は、彼の姿をかばうように身体をずらし、努めて明るい声を張り上げた。

    「なに、名乗るでもない程度の者さ。折角聞き入ってた演奏が邪魔されたんで、抗議しようかと」

    俺は全てを遮断する防御壁、こちらからの攻撃も、それどころか視界や音、空気すらすら遮ってしまう欠陥品の魔法、を解く。
    そして、聞こえてきた疑問の声に、芝居がかった仕草で答える。

    出来るだけ相手の神経を逆なでして、注目を俺に引きつけたかったが、どうやらうまく行ったらしい。
    目深にかぶったフードの奥から覗くマズルが、怒りに歪むのが見えた。

    かかったかかったと俺は内心の恐怖心を強がりでごまかす。
    どうみても、相手はゴロツキではなく雇われの傭兵のようだ。
    戦闘のプロ相手に、闘士になったばかりの俺がどこまで太刀打ちできるか、正直分の悪い賭けだった。
    後ろの、おそらく術師であろう黒兎の彼を戦力に入れても、勝敗の天秤ははたしてどの程度傾くのか。

    「……やばかったら、後ろの連中連れて逃げてくれよ」

    だから俺は、何者かは分からない黒兎の青年に小さく呟く。
    彼の返答を聞く前に、フードの殺気が膨れ上がった。

    「そうか……なら悪いが、貴様も死んでもらおう」

    静かに怒りを言葉ににじませ、黒フードの獣人達は一斉に魔法を放つ構えに変わる。
    それより数瞬はやく、俺はさっさと奥の手を晒すことにした。
    余裕なしの全力でないと、この状況は生き残れないと勘が叫んでいたからだ。

    白銀の髪をまとめる、飾り紐を引き抜きながら、俺は『祖霊』の姿に変わる。

    その変化を見たフードの動きが一瞬ためらいで止まる。
    その一瞬で十分だった。

    「『殺生陣』!」

    高速で回転する魔法陣の多重展開。
    それを結ぶ結界が発動すると、男たちは流石に驚愕をあらわにした。
    しかし、場馴れした傭兵なのだろう、直ぐに鋭い詠唱と共に魔法を放つが、

    「魔法を、無効化する結界だと……っ」

    俺は出来るだけ余裕の表情を浮かべる努力をする。
    実際には余裕なんて皆無だった。
    なぜならこの『殺生陣』の大きな弱点があるからだ。

    ……これ使うと俺も大した魔法使えないのよなー

    内心冷や冷や物だったが、相手がそれに気付くより先に、俺は陣の中へ勢いよく突っ込む。
    その勢いのまま、左手で腰の剣を引き抜きざまに中央のフードに一閃。

    「ぐうっ!」

    咄嗟に回避行動に移るが、一息遅く、俺の剣がかすめ、ローブを切り裂く。
    膝で勢いを吸収しつつ、『強化魔法』を集中的に掛けた右腕を振りぬく。
    右背後から迫っていたもう一人のフードが放つ蹴りを、右腕で受け、勢いを一部相殺しながら、逆らわずに身を投げる。
    その時反射的にローブの端を掴んで引きずってやろうとしたが、簡単に破れてしまい、フードをはぎ取って終わる。

    背後から鳴り響く鋭い風切り音を【耳】で捕え、俺は振り向かずに鞘を右手で背後に回して、冷やりとしながら受け止める。
    次は正面、左、右と襲いかかる剣を、かわし続けるが、俺の運が続いたのはそこまでだった。
    三人の波状攻撃に、俺は息を切らし、剣に意識を割き過ぎたせいで、視界外から振り抜かれた蹴りをもろに受けてしまう。

    地面にたたきつけられそうになり、咄嗟に柄の紐を咥え、両手で受け身を取る。
    そして『強化魔法』を腕にかけ、膨らんだ筋力で身体を宙に投げ飛ばした。
    地面と俺の間の空間を、三人のフードが繰り出した斬撃が通り過ぎる。
    空中で器用に体勢を整えて、俺は自分の失策を悟った。

    『殺生陣』発動中の俺は精霊魔法が使えない上、限られた自分自身の魔力での子供だましのような強化魔法くらいしか使えない。
    風を起こす魔法も重力を操る魔法も、何一つ使えない。

    無防備に宙を舞う俺を、生粋の殺し屋である傭兵が、見逃すはずはなかった。

    最初の発動で、『殺生陣』は壁に当てなければ魔法は使えることに気付いたのだろう、やぶれたフードから虎の顔を覗かせた男は、確信に満ちた表情で叫んだ。

    「『焼け』死ね!」

    恐ろしく短い呪文は、高い習熟と練度の証。
    いったいこれで何人を殺したのか、と意味のない疑問が浮かび、自分が冷静でないと気付くが、遅い。

    迫る火球に、俺は喉の奥から苦いものが込みあがるのを感じた。
    その瞬間に、電光のようにイェルドの言葉がひらめいた。

    大事にするのは、自分。

    俺は全力で左腕に『強化魔法』を施す。
    そして、柄の紐をつかむと、勢いよく回した。
    瞬間、剣が紐を中心に高速で回転し、俺は反動で逆に回転する。

    火が爆ぜた。

    「……あっつ!」

    俺は白銀の毛がかすかに青白く燃えるのを見ながら、受け身もそこそこに地面に叩きつけられる。
    そのまま転がると、焦げた臭いを残して体毛に着いた火は消えた。
    同時に吐き気に襲われ、胸をかきむしりそうになる。

    一瞬遅れて、石畳を叩く金属音。
    音源を見れば、燃え尽きた紐と高温で熱せられ、真っ赤に焼けた刀身をあらわにした剣が突き立っていた。

    俺の意識が乱れたせいか、『殺生陣』は解除され、薄紫色の空間は消え失せ、青い空が見下ろしていた。

    「ちっ、しぶといな」

    仕留め損なった虎は、指示を出し、背後の二人を本来の目標であったガルラの方に向かわせた。
    炙り焼きにされた俺は、震えながら顔を上げる。

    指示を受けた二人は俺に構わず、ステージに向かう。
    そこで、俺は倒れていた観客たちが、消えていることに気付いた。
    壇上を見れば黒兎の青年が、肩で息をしているのが見えた。

    濃厚な魔力の残滓。

    どうやら彼は相当な術師なのだろう。
    俺が稼いだ時間であの人数の負傷者を戦闘圏外へと逃がしていたようだ。
    それには、フード達の目的である歌い手のガルラも含まれていた。

    それに気付いたフード達は、黒兎の青年を詰問するだろう。
    断れば殺されてフード達は逃げ、教えても殺されてフード達はガルラを追うか逃げるか……

    どちらにしろ、このままでは彼の生存確率はあまりにも低すぎる。

    なぜ逃げなかったのか、と疑問が浮かぶのとその答えに辿りつくのはほぼ同時だった。

    「俺が、いるからか」

    この状況下であっても、彼の魔法を操る技術に狂いは生じないらしい。
    正確に俺の真下に展開された魔法陣には強い治癒の力が感じられた。

    そして傲慢な程の、痛みを忌避する意思を感じた。
    【耳】に届く彼の鼓動と息遣いは委縮しきっているように聞こえるが、意思の強さだけは折れずに感じられる。

    「……俺も、少し熱くなっちゃいそうだわー」

    彼の魔法に込められた意思に感化されたのか、俺の胸に火が灯る。
    そもそも、だ。

    「得意でもない接近戦にしたのは、怪我人が近くにいたからだしな」

    俺は、全力で風の精霊に呼びかけ、跳ね起きる。
    火傷もうち身も、何一つないのは、彼の治癒魔法の技術の高さだろう。
    それどころか防御の加護やらなんやらのオプション付きと来た。

    「こりゃ、はっちゃけすぎちまいそうだなっ!」

    風になびく銀髪と二本の銀尾。
    金の眼の瞳孔を細くし、獲物を睨みつける。

    急に復活した俺に、虎の顔が驚愕に染まる。
    どうやら彼の魔法は相当高度な物らしく、発動するまでの間、認識阻害までかけていたらしい。

    「第二ラウンドだぜ!」

    先日はそう言って負けたことが脳裏をよぎるが、直ぐに忘れる。
    俺の意思に釣られ、精霊達も激しく発光を繰り返す。

    その様子に危機感を抱いた虎は、差し向けた二人に合図して呪文を詠唱する。

    「させっか!」

    その呪文の完成の前を狙って、雷電を迸らせる。
    しかし、雷光の奔流が消えた後に残ったのは若干焦げた三人の獣人、ではなく何もない広場の石畳だった。
    「……空間転移たあ……やーらしい奥の手だこと……」

    むなしく呟いた俺は、大きく嘆息して肩の力を抜いた。
    ぐいと身体を伸ばし、地面に刺さった剣を引き抜く。
    すっかり冷めているが、鞘にしまうと引っ掛かりを覚えた。
    どうやら曲がってしまったらしい。

    イェルドの不機嫌そうな顔が目に浮かび、俺はげんなりと尻尾を落とした。

    それは置いといて、と気持ちを入れ替えて、ステージの上で座り込んだ黒兎の青年に声をかける。

    「おーい、怪我ねえかー?」

    「……し」

    「……し?」

    ぷるぷると垂れた長い耳をつかみ、彼はかすれるように呟く。
    どうにもこちらの存在に気をやる余裕がないように見えた。

    そして、俺が続きを待っていると、大きく息を吸い、

    「死ぬかと思いましたーーーー!」

    想定外に大音量の悲鳴を真正面から浴びて、俺は思わず身をのけ反らせた。
    震えながら涙目になる彼に、俺は苦笑しながら、話しかける。

    「大丈夫大丈夫、死んでないから死んでないから」

    「死んでたら叫べませんよ!」

    「おう、じゃあ生きてる生きてる。生きてればおっけーおっけー」

    俺の投げやりな言葉に、彼はようやく俺の顔を見る。
    澄んだ青空の様な力強い光を放つ大きな瞳で、俺を非難気味に睨む。

    「ていうか、なんでこんな危ないことしたんですか、ユストゥス・エマ・フロランタン・ガザドシュさん!」

    「……俺、いつ名乗ったっけ?」

    はあ、と深くため息をついてから、黒兎の青年は立ちあがる。
    種族柄か、それとも個人の差なのか、彼の頭は俺の胸辺りにまでしか届かなかった。
    そのため仕方なく見上げながら、背筋を正した。

    「おれの名前は、エヴァン=ポートです。これでも、この国の騎士として登用されています。……直接戦闘は苦手ですが……見過ごせなかったので」

    エヴァンは途中で声を小さくするが、【耳】の良い俺にはまるっと聞こえている。
    が、まあ聞かなかったことにするのが大人かな、と思い、代わりに質問を返す。

    「俺、騎士団に厄介になるようなこと、したっけか?」

    犯罪には手を染めていないし、今や闘士の身分もあるので一応ではあるが身元保証もされている。
    と、身元保証というところまで考えて、ふと気付く。

    「あ、もしかして、この姿が理由か」

    「そうですよう! 経緯はコロシアム受付担当から報告が上がってきているので承知しています。だから身分詐称にはあたらないですけど! 未確認の種族であるあなた自身から、事情聴取もといお話をしたいと……ってこれは内緒だったー!!」

    我が意を得たり、とばかりにエヴァンは話し始めるが、軽快に話し過ぎたようで急にあたふたし始める。
    そして、時々挙動不審にきょろきょろと眼を動かしていた。

    それより、と俺は閑話休題を挟む。

    「目の前の事、片づけた方がいいんじゃないか?」

    「……そうだったー!! い、一般市民の皆さんの治療と安全確保とあなたへの支援で頭がいっぱいで……」

    「そうそれ。……ま、あいつらの追跡は坊主が今やってんだろう?」

    「……え、なぜそれを?」

    「魔法の気配と、時々眼をあらぬ方向に向けてるだろ。まるで見えない何かを探すみたいな動き」

    図星を指されて、またもあわわと困り顔を浮かべるエヴァンに、これじゃ俺がいじめてるみたいじゃないか、と頭を掻いた。

    「その様子なら、犯人追跡やら捕縛は騎士団に任せてもいいんだろ? それなら、俺は……おっさんにこってり絞られてこねえとなあ……」

    嫌なことを思い出し、俺は気を重くした。
    大事にすると宣言した当日に、やっべ曲げちゃった、なんて軽く言った日には俺が槌で叩かれる羽目になりそうだった。
    けれど、俺の命を守ってくれた大切な相棒だ。
    直ぐに元に戻してやりたい。

    「あ、わ、待って、ください! その、えっと……」

    俺がさっさとこの場から立ち去ろうとすると、慌ててエヴァンが追いかけてくる。

    「あ、あな……あなたの身体をもっと見せてください!!!!」

    「……は?」

    突然の発言に、俺は否応なく足を止める。
    振りかえると、今日一番に慌てたエヴァンがいた。

    「って、ちがーーーーう! そ、そういう意味じゃなくてですね! いや、そういう意味でもあるような……じゃなくて!」

    「え、なに、新手のセクハラ的な?」

    「ちがいますよーーーー」

    混乱のあまり、杖を振りまわす。
    地味に危ないので、俺は少し距離を取るのだが、エヴァンはどんどん詰め寄ってくる。

    「あいてっ」

    ついに、すこんと俺の脳天に杖が当たるが、相当軽いものらしく大した痛みもなかった。

    それを見て、エヴァンはやっと落ち着き、ただでさえ垂れている大きな耳を重そうに揺らした。

    「す、すみません……そ、その、あなたみたいな種族を、文献でも見たことがなかった物で、その、あの」

    おそらく俺の個人的な情報を引き出すのをためらっているのだろう。
    それでも知識欲にあふれた青い瞳は、ちらちらと俺の狼にしては長い【耳】や二股の尻尾を追いかけている。
    やれやれと俺は肩をすくめた。

    「流石に外で裸になるのは勘弁な。代わりにちょっと歩くから、目的の店に着くまで、話くらいならいいぜ」

    「ほ、ほんとですか!」

    俺の答えに、エヴァンは飛び上がるほどの勢いで顔を上げる。
    俺は、どうにもこういう期待の眼で見られるのに弱い。

    イェルドの店に向かう足取りも少しだけ軽くなりそうだった。

    「……なあエヴァン、途中でお茶にしないか」

    軽い足取りで、俺は軽食屋に入ってなんとかイェルドにある時間を伸ばそうと画策した。
    エヴァンも話をしたがってたし仕方ないよな! と内心で言い分けをしながら。



    「ユースさん……あれは仕方のないことでしたし、なんでしたら騎士団の経費で修理代出しますよう……」

    「いや、そんなことしたら……もっとひどく不機嫌になるから、たぶん」

    近づくたびに、俺の足取りが重くなるのを察したエヴァンが、おずおずと提案してくれる。
    しかし、その提案に乗れば、年下に金を出させるとは何事だーと怒りながら俺はぶん殴られるだろう。
    まだ会って数日の関係だが、いささか度を過ぎた頑固でいて筋を通す性格のイェルドなら間違いなくそう反応すると俺は確信していた。

    「まあ、半分は自業自得だし、謝るっきゃねえなあ……」

    なんか傭兵達と戦うより気が重いんだが? と自問しながら、俺は立て看板の出ているイェルドの店の扉をくぐった。

    「ん? ユースじゃねえか。なんだよ、忘れもんか?」

    「よ、よう、イェルド。実はだな……」

    いつも通りの無愛想な顔。
    そのはずなのだが、なぜか俺の腰の剣に目をやったとたん、ぎらりと目つきが変わった。
    燃え尽きた紐に、微妙に逸れた柄の向き。
    作り手のイェルドが見れば、一瞬で見抜けるだろう。

    俺の後ろでエヴァンが小さく悲鳴を上げて、少し離れるのが分かった。

    「……おい、なんだそりゃあ」

    「あー、いやー、まあいろいろあってだな……うん、すまん。魔法で焼かれて、剣が曲がっちまった」

    ぶちりと何かが切れる音がした気がする。
    あ、もしかして魔法って言わねえほうがよかったか?と思うが、後の祭り。
    身の毛もよだつとはこのことだ、と俺は文字通り、身をもって知った。

    店の棚が震えて、立てられた武具ががたりと音を立てるほどの怒号。

    「なにやっとんじゃあーーっ!!!」

    「お、落ちつけイェルド! た、頼むからそのメイスと斧を置け!」

    「完成した剣を、一日持たずに曲げる何ざ、お前が初めてだっ!!!」

    「だあーーー、悪かったって!!」
    「いっつつ……イェルドのおっさんめ……おもっきりたん瘤になったぞ……」

    「ま、まあまあ、修理してくれるって言ってたじゃないですかあ」

    エヴァンが魔法で治そうとするが、俺は遠慮しておいた。
    魔法で治したなんてイェルドに知れたら、それこそ身長が半分くらいになるまで拳骨を落とされそうだった。
    いや、たん瘤が伸びるからプラスになるのか? などと無意味なことに思考を飛ばす。

    「二日の晩酌の約束と引き換えだけどな……いや呼ばれるのは芸者冥利に尽きるけどよう……」

    一晩中愚痴を言われるのかと思うと頭が痛い。
    たんこぶも痛いが。

    「まあまあ……あ、あとさっき騎士団から魔法通信があって、昼間の犯人捕まったそうですよ」

    俺は少し顔を上げて耳を傾けると、エヴァンはえーとと思い出す仕草をしながら答えた。

    「なんでも、あの楽団が出てくるまで人気だった、他の楽団の差し金だったみたいですね」

    しかも、あのガルラって人の元恋人だったとか、とエヴァンが付け加える。

    「愛憎渦巻くサスペンスに巻き込まれた結果が、たん瘤とはなあ……」

    「で、でもユースさんがいなかったら危なかったかもしれませんですし……でもなんで助けようと思ったんですか?」

    エヴァンの慰めの言葉が、傷に染みる。
    俺はたん瘤に乗って遊んでいた精霊を落とし、尻尾で受け止める。
    そして頭をさすりながら、黙りこむ。

    「昔の……自分みたいだったから」

    「え?」

    「……俺も昔、吟遊詩人になったばっかの時があったんだよ。当然だけどな。あの生き生きした表情見てて、それを思い出したんだよ」

    言ってから、恥ずかしくなり、俺は口元を曲げる。
    エヴァンの視線から表情を隠すように顔をそむけた。

    「だから、あんな感じで歌が途切れるのは、嫌だったっつうか……」

    そこまでいって、俺は言葉を切る。

    「……この話はやめ」

    「えー! もっと聞きたいですよ! おれ、精霊魔法って言うのもすごい気になってますし!」

    「やめ。なしったらなーし」

    俺は耳を塞ぐフリをしながら走り始める。

    「わー、待ってくださいよう!」

    俺は紐で纏めた銀髪をなびかせながら、少しだけ【耳】に残っていた歌を口ずさんだ。
    次は、最後まで聞きたいと思いながら。
    忠犬 Link Message Mute
    2018/08/11 8:14:06

    歌の続き

    物は大切にしましょう。
    https://galleria.emotionflow.com/57962/457979.htmlの続きになってます。
    イェルドさん(https://twitter.com/hua_moa0
    エヴァンさん(https://twitter.com/Cait_Sith_king
    お借りしました。ありがとうございます。
    #ファンタズマコロッセウム #ファンコロ #ケモノ #獣人

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