黒虎への挑戦多くの人がテーブルの上の料理とジョッキを囲み、歓談しながら酒を酌み交わす。
肉体労働者達が汚れた仕事着のまま、闘士や騎士もそのままの姿で訪れ、大声で騒いでいる。
下町特有の雰囲気に年功序列などなく、老いも若きも関係なく、ただ今日一日の終わりを酒と料理で祝っていた。
見まわしただけでも10を超える円卓は全て客で埋まっており、俺達が座っている少人数用の長テーブルやカウンター席もほとんどが満席だった。
俺は左手に持ったフォークを口に入れ、先端に刺した肉を舌で味わう。
噛むほどに肉汁が溢れ、甘い脂と野菜のうまみが凝縮されたソースの味が混ざり合い、鼻腔を芳醇な香りが満たす。
濃厚な味わいの中に、ぴりりと香辛料が存在感を放ち、アクセントを添える。
柔らかい舌触りの内側と、強火で焼かれた肉の表面の歯ごたえ。
肉の表面に牙を刺し込めれば、また肉汁が次々と溢れてきた。
「すごく、うめえ……」
「いや俺は、お前の食べ方の上品さにびっくりだわ」
俺が両手を止めて正面を見ると、黒い狼が大きな耳を動かしながら肉を頬張る所だった。
斜に構えて座り、片肘をついて物を食らう姿は、いかにも
無法者然とした態度と仕草だ。
対して俺は、正面にきちんと座ってナイフとフォークを正しく握って、一口ずつゆっくりと食べていた。
「旅の途中とか、野営中だったら俺もあんまり気にしないけどさー。……人のいる所でちゃんとしてねえと母ちゃんに殺されるから……」
「あー、なるほどな」
ユースは納得したように頷き、ステーキをナイフも使わずに噛みちぎった。
俺の父はジークリアからはるか北東の広大な森を領地とする白狼族の族長だが、母はそれに隣接する国の騎士の娘だ。
ヒョウカ=D=スカイクレイン。
Dは北東の国で騎士の称号を持つものに与えられる名で、スカイクレインは武闘派として名門の辺境貴族だった。
「母ちゃん、ほわほわしてるのに、めちゃくちゃ厳しいからな……剣の修行の時に何度手足を叩き折られたり、斬り落されたやら……」
「……は?」
「母ちゃんの付き人が治療魔法の専門家だったから、直ぐにくっつけてたぜ!」
「……そういう問題か?」
呆れて食事を止めるユースに、それが普通だったからなあ、と呟く。
「母ちゃんは騎士として有名な一族の生まれでさ。歴代最強と呼ばれた父、俺からしたら爺ちゃんを超える才能とか言われてたって」
にこにこ柔和な笑顔を浮かべながら、花を摘むように俺や兄貴達を木刀で打ちのめす母の顔を思い出し、ぶるりと身を震わせる。
「それがなんで騎士にならずに、部族の嫁になってんだ? 政略結婚でもあるまいし」
それだけの才能があるなら、国内の有力貴族と婚姻を結ぶのが普通だろ、とユースは指摘する。
その指摘は実に正しく、母から聞かされた話では、そういう婚姻の話もかなりあったらしい。
「兄ちゃん、貴族に詳しいんだなあ」
「こちとらお偉いさま相手にも芸を披露してた吟遊詩人でね。貴族の奥方とそういうお話もベッドでするわけさ」
言い方に苦笑を滲ませるユースに、俺は眉をひそめさせた。
「……そういうこと、食事の席で言うのは品がねえーぞ、兄ちゃん」
「こいつは失礼。坊っちゃんにはまだ早かったかな?」
「坊っちゃん言うな! これでも成人してるし、父ちゃんからちゃんと手ほどきも受けてるっつーの!」
「あー白狼族は、親子兄弟でするのが伝統だっけか」
ユースが顎の毛を撫でつけながら、視線を宙に投げる。
俺は口を尖らせたまま、冷めないうちに残ったステーキをフォークで口に運んだ。
「……って話が逸れたな。そんで、なんでお前の母親は白狼族に嫁いだんだ?」
「んー、俺も母ちゃんから聞いた話だけどさー。なんか母ちゃんの家、スカイクレイン家の寄親にあたる侯爵が政変に巻き込まれたとかで、巻き添えで家が取りつぶしになったって」
俺が質問した時、母は木刀で俺の腕の骨を砕きながら、そう応えていた。
あまりの痛みと理不尽さでよく覚えている。
「……思い出したら痛くなってきた……」
「あ? 腹壊したのか?」
「ちげーよ。まあ、そんで母ちゃんは親しかった付き人一人連れて、少し離れた父ちゃんの領地に入って、嫁になったんだと」
とはいえ、突然領地外からきた奴が嫁になれるわけもなく、かなりの騒動があったと聞くが、母は笑って語らず、当時を知る年長者達に聞いても誰もが顔をひきつらせて語ってくれなかった。
父ですら脇腹を押えて、古傷が、と小さく呻いて話しにならなかった。
反面、年配の女性たちは楽しそうに笑うのだが、肝心の部分は教えてもらえず、俺の中でも疑問のままだった。
母ちゃんのことだから白狼族の戦士全員叩きのめしたんだろうな、と俺は当たりをつけているが。
「お前の出自は分かったけど、結局、お前はなんでまたこんな所まで来たんだ? ゴダイから、騎士になりたかったみたいなことは聞いたけどよ」
「んー、母ちゃんから騎士についていろいろ聞いて、かっこいいなーって思ってさー! でも、なんでテストが一か月以上も先なんだよ!」
俺は憤慨しながらも、ゆっくりとコップをテーブルに置く。
ユースは音を立てながらジョッキを空にして、テーブルの端に寄せていた。
「そりゃ、有事でもないしなあ。戦争もしてないこの国の騎士団の募集なんかそんなもんだろ」
むしろ、頻繁に募集してる方だ、とユースは言って追加の飲み物を配膳していた犬人の女性に声をかけていた。
顔見知りなのか、女性はユースと軽口を言い合うと、厨房に引っ込んでいった。
「そもそも、この国の騎士は他の国の兵士と変わらねえぞ。貴族階級でもないし、土地を治めてるわけでもねえからな。そりゃ例外もいるだろうけど、大半の騎士は一兵卒と同じだ」
「んー、なんだろなー。俺は誰かのために戦うってのにあこがれてるって言うか……それで騎士かなって!」
「……あんな闘い方してて説得力ねえな」
「それを言われるとつらいぜ」
てへへ、と頭を掻くと、目の前の黒狼は嘆息した。
コロシアムで見せた闘い方は、どう考えても騎士と言うより野生の獣そのものだった。
「ま、気長に待てばいいんじゃねえの? コロシアムに顔出して勝てば金ももらえるしな」
「……兄ちゃんに負けたからもらえなかったけどな……」
じとーと見れば、ユースは目を逸らす。
「だから、奢ってやってんだろが」
「おう! 流石だぜ!」
ころりと態度を変えれば、びしりと指を眉間に突き付けられた。
「調子よすぎ」
「えー」
俺が不満気に口を尖らすと、ちょうど両手にジョッキを抱えたさっきの犬人の女性がやってきた。
手に持った内の一つを置きながら、彼女は俺の顔を少しじっと見つめた。
俺は首をかしげるが、ふと顔をユースに向けると、
「こうやって見ると、ユースはいつも違う年下を連れてる様に見えるわね」
「おい、レイナ。まるで俺が年下をとっかえひっかえしてるみたいに言うな」
「えー、でもラルゴに、黒兎の人に、今度はこの子でしょー。節操無いわよ?」
「ほっとけ。そもそもそんなんじゃねえから」
さっさと酒配ってこい、とユースが手で追い払うとべーとレイナと呼ばれていた犬人は舌を出して、大勢で賑わっているテーブルの方へ行ってしまう。
「あれ、もしかして俺は子供扱いされてた?」
「気付くの遅えし、面倒だから騒ぐなよ」
「……それこそ子供扱いされてるみてえで、ムカつくんだけど」
へいへい、と適当に煙に撒くユースを俺は剣呑に睨むが、どこ吹く風と言う様にジョッキを煽る。
半分ほど飲んでから、ユースはぽつりとつぶやく。
「ていうか、レイナの奴、エヴァンがいくら低身長だからってラルゴとこいつと同じ扱いするのはどうなんだ……?」
「誰その人?」
「ん? あー、知り合いの騎士で、ちびっこい……」
ユースがそこまで言った時、ばたん、と扉が大きな音を立てた。
あまりの勢いに蝶番がイカれそうな扉の悲鳴。
そして、店の視線が扉を開けた黒い兎と大きな黒い虎に集まる。
「誰がチビですかーーー!!」
勢いよく突撃しそうになる黒兎を黒虎が、心底呆れた様子で押しとどめている。
ユースは耳を動かすだけで見ようともせず、そのまま肩越しに親指で兎の方を指さし、
「……あれがエヴァン」
それだけ言った。
全力で頬を膨らませてユースを睨みつけているエヴァンと大柄な黒虎を、テーブルの対面に迎え、俺はユースの隣に座り直す。
「なんですか、みんなしてチビチビと……」
「わるいわるい」
「……本当に悪いって思ってますか……?」
「おう、思ってる思ってる。また今度デートするから、な?」
そっと指を口元に寄せて笑うと、なぜかエヴァンは目を泳がせて顔を伏せる。
「おい、ユース。いちゃついてねえで紹介しろよ。困ってんだろ」
俺が首をかしげていると、大きな黒虎が大きく嘆息しながら飲んでいたジョッキをテーブルに叩きつける。
ユースは投げやりに頷きながら、
「へいへい。こっちの兎がエヴァンで、でかい虎のおっさんがゴードフ。エヴァンは騎士で、おっさんは……一応、闘士か?」
「……まあ、そうだな」
含みのある言い方だが、俺はそれを聞いて納得した。
「へー、おっちゃん強そうだもんなー。エヴァンの兄ちゃんは、術師って感じだけど」
俺が何気なく言うと、ゴードフの目が少し鋭く光った。
「ほう……なんでそう思うんだ、坊主?」
「坊主じゃねえ! 俺は、ヒョウカ。ヒョウカ=D=スカイクレインだ!! おっさん足音も歩幅も全部意識して動かしてたじゃん。足だけじゃなくて、全身一瞬たりとも気を抜いてねえっていうか」
「……根拠はそんだけか?」
「後は勘! 絶対、おっちゃんは強い!」
俺が笑いながら言えば、ゴードフは抑えきれないように吹き出した。
厳つい虎が大声で笑うのはそれだけで、迫力がある。
実に自然体で笑いながら、やはり俺はどこか気が抜けない印象を拭えなかった。
「おう、面白いな。そんで、ジークリアには闘士になりにきたのか?」
「んー、本当は騎士になりにきたんだけどさー……テストを受け損なって……」
「お、ヒョウカ君は騎士志望なの! じゃあ僕は先輩になっちゃうなー。次のテストはまだ先だけどー」
ユースへの怒りがようやくおさまったエヴァンが、嬉しそうに声を上げる。
かんぱーいと一人でジョッキを持ち上げて、俺のグラスに軽くぶつけてくる。
「先輩面するなら、少しは落ち着きを持てねえのか……?」
一気にジョッキを空けるエヴァンを横目に、ゴードフも一気にエールを流し込み、近くを通った店員に追加を注文した。
その時、視線が一瞬逸れたので、俺がそれを辿ると、さっきユースと軽口を言っていた犬の女性に向けられている。
俺がテーブルに視線を戻すと、エヴァンが口を尖らせてゴードフに文句を言っていた。
「むうー。ゴードフさんだって、いつもあの方と一緒のときはふざけてるじゃいですかー?」
「だ、旦那とは、その、事情が別だろうがよ!」
「えー、不公平だなあー」
にやにやと笑うエヴァンの視線から逃れるように、太い尻尾を揺らし、運ばれて来たばかりのジョッキを一気に煽った。
にぎやかだなあ、と俺がのんびりグラスの果実ジュースを傾けていると、黒兎は何かを思いついたようにぽんと手を鳴らす。
「あ、じゃあゴードフさん、ヒョウカ君とコロシアムで戦ってあげたらどうですか?」
まるで名案だと言わんばかりにエヴァンが胸を張る。
虚をつかれた他の三人が疑問符を浮かべるのを見ながら、自信満々の様子でエヴァンは指を立てて、説明し始めた。
「騎士団に入るには、テストを受けるのが普通ですけど、こっちからスカウトっていう事もあるんですよー。明日はほら、騎士団の視察がコロシアムであるじゃないですかー。その時に、ヒョウカ君の実力が認められたら、もしかしたら入団出来るかもしれませんよう?」
「そんなうまく行くかねえ……?」
ユースが半信半疑で呟くが、俺は目を輝かせてゴードフを見る。
ゴードフは目を逸らして横のエヴァンを半眼で睨みながら、
「おい、エヴァン。あんま適当なこと言って期待だけさせるなよ。そんな前例ほとんどねえだろうが」
「まあそうですけどー。でも、どうせテストまで時間あるんですしー、いいじゃないですかー」
「お前は何もしねえから良いだろうけどなあ。そもそも俺に闘うメリットがねえだろうが」
ピンと立てていた耳と尻尾をしおらせ、俺は肩を落とした。
「……おっちゃん、闘ってくれないのか……」
「あー、ゴードフさんが泣かせたー」
「泣かせてねーよ! お前も嘘泣きは止めろ!」
「ちぇー」
俺は舌打ちしながら、いたずらっぽく笑った。
「まあまあ、おっさん。一回くらい闘ってやれよ。今は暇なんだろ?」
「……誰かさんのせいで最近ずっと忙しかったからなあ」
「そいつは気の毒に。俺はいつものんびり過ごしてるけどな?」
ユースは片目を閉じて微笑みながら肩をすくめるが、対するゴードフの顔は苦み走っていた。
「まあ、流石にあんなことがあったから、あの方も出歩けませんでしたからねえ。ゴードフさんも寂しかったんですねえ」
「ちげえよ!」
エヴァンが口を滑らせると、ゴードフがほんの少しだけ動揺した。
俺はどうにも『あの方』が誰なのか分からず、首を傾げる。
ユースに聞いてみるも、黙って首を横に振って、教えてはくれなかった。
「で、今は暇なおっさんは、ヒョウカの挑戦を受けてやらねえのか?」
「……ったく……そこまで言うなら、しかたねえ」
その言葉を聞いて、俺は満面の笑みで頭を下げた。