イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    氷華と甘い菓子黒兎は書類に目を通しながら、頭の片隅で考えていた。
    いかにして、この地獄の仕事ループから抜け出そうかと。

    「……あ、ここ不備があるんで、修正お願いしますね。ジェフトさん」

    「んー、はいはーい。了解だよ-」

    隣のデスクからひょいと顔を上げるのは室内でありながらサングラスをかけたままの壮年の虎獣人。
    そのジェフトに、エヴァンは訂正個所へ印をつけた資料を手渡す。

    「……あれ、これも団長の印がいる奴だ……。あとで纏めて持っていこう」

    もう数十枚になった山の標高が、また紙一枚分増えた。
    それを見て、エヴァンは一瞬だけ遠い目をして細くため息を吐く。

    「おやおや、エヴァンくん。お疲れかなー?」

    「ええ、まあ……こっち来てから休めてないんで……。ジェフトさんは一回休暇挟んだんでしたっけ?」

    「おじさんは、来て初日に休暇を貰ったよー。楽しかったなー」

    普段は見えない両目を、サングラス越しではあるが、子供のように光らせながらジェフトは目を細めた。
    エラセド君には感謝だね、とジェフトが笑うと、エヴァンも少しだけ元気が貰えた気がした。
    しかし、実際問題仕事に追われて休めていない身体は、そろそろ休息が欲しいと訴えていることに変わりはない。

    「良いですねえー。俺もそろそろ休みたいです」

    「……大丈夫だと思うよー」

    サングラスをずらし、ジェフトは閉じた瞼越しに何かを見るように少し上を向く。
    その眼に宿る魔力を感じとったエヴァンは、

    「……いや、わざわざ『見』なくても良いですよ」

    「いやー。実は昨日寝てるときに少し見えてねー。海岸の近くで、満足そうにしてるエヴァン君が見えたから」

    「おっ、それじゃあ、期待して仕事頑張っちゃいますか……」

    ジェフトの予言に、エヴァンは少しだけ肩に力を入れて、机に向かおうと座り直す。
    その時、執務室の扉がノックもなしに、勢いよく開けられた。

    「おっすー。元気してるー?」

    「……エラセドっち……やーっと休暇終わったのかな?」

    レプス=リヴァルディに着くなり姿を消していた獅子人をエヴァンは、せっかく込めた肩の力をそのまま怒りの表現に使うことになる。
    その性格が存分に反映された一目には騎士とは思えないほど装飾が施された鬣に軽薄そうに着崩されたシャツとズボン。
    仕事もせずに遊び呆けていたと、言葉にせずとも伝わる出で立ち。
    エヴァンはそんなエラセドに対し、勝手に休暇申請を作って休暇日数を消化させることで腹の虫を収めていたつもりだったが、目の当たりにするとどうしても頬がひきつってしまい、笑顔を保つことを拒否していた。

    「ははは、そんな怖い顔はなしだぜ」

    「ほほう……給料の審査、マイナス補正かけてもいいのかなあ……」

    「ちょ、それは流石に横暴っしょ!」

    「仕事してないのに貰えると思ってんのかー!!」

    「あはは、二人とも仲良しさんだねえ」

    エヴァンがペンを投げだしそうになった所でジェフトが仲裁に口を挟む。
    ジェフトののんびりした口調に毒気を抜かれたエヴァンは、大きな嘆息で肩の力を抜いて、改めてエラセドに問いかけた。

    「……で、戻ってきたってことは、何か用事?」

    「お、話が早いじゃーん。実はさー、面白い企画を思いついたから、相談に来たのよ」

    ぱちりと指を鳴らし、得意の空間魔法で小さな羊皮紙をエラセドは取り出す。
    今時、羊皮紙かとエヴァンは呟けば、魔法使いならこれっしょ、とエラセドはにやりと笑った。

    朱色の紐の封を解き、羊皮紙を広げて、エヴァンは中身を読む。

    「……ほう」

    「ど? どや? めちゃテン上げ間違いなしのありありじゃね?」

    独特な言い回しをしながら、エラセドはくるりとステップを踏んで見せる。

    「……これ、第三と第八に手回しは……聞かなくてもいいよね?」

    「モチのロンでアンサー貰ってきちゃってるぜ! あとは纏めと統率に第二の許可だけって感じ?」

    片目を瞑りながらキザっぽく、ポーズを決める。
    それをジェフトが褒めるのを横目に、エヴァンの脳内で計画の端々まで組み上がっていく。

    「……万一の事を考えて第一にも声をかけて……うん、やろう。よしやろう。やる!!」

    「よっしゃ、そう言ってくれると思ってたぜ!!」

    「おじさんもやるー」

    にやりとニヒルな笑みを浮かべ手を差し伸べるエラセドの掌に、エヴァンは自分の手を叩きつけるように振る。
    そこに遅れて、ジェフトも手を伸ばす。
    ぱんっと乾いた音が執務室に響いた。
    第二騎士団レプス=リヴァルディ臨時駐屯所の休憩室には、和やかな空気が流れてた。
    それぞれいつもの服装ではなく、どこか夏めいた海にふさわしい格好で、つかの間の休息を楽しんでいた。
    とはいえ勤務中ではあるため、そこに黒兎が駆けこんでくれば、緊張した空気が流れる。

    その緊張の糸は、エヴァンの一言でぷっつりと切れてしまうのだが。

    「……はい?」

    聞き間違いかと俺は、一度白い耳をぴこんと跳ねさせて、エヴァンに聞き直す。
    すると笑顔のまま、黒い兎はその場にいた騎士全員に対して宣言し直した。

    「『夏のスイーツ大会inレプス=リヴァルディ』を開催します!!」

    「いや、エヴァンさん何言ってるんですか……」

    ぽかんと言葉を失う面々に変わり、レンゲが代表でツッコミを入れる。
    理解できてないのが俺だけかと思ってこっそり休憩室の中を見回すが、誰もが腑に落ちない顔をしていたので安心した。

    「何じゃないです! これは騎士団としての公式開催であり、任務ですよ! 団長からのサインも貰いましたし。しぶしぶだけど」

    「……は?」

    レンゲが半信半疑の表情でエヴァンが持っていた書類に目を通し、愕然と目を開いた。

    「第一、第三、第四、第八とも合同で企画通したんで、頑張りましょうねー。はい、以上通達でしたー」

    「……いや、以上じゃないっすよ! 唐突過ぎるっすよ!?」

    アイギスの非難に、流石の第二の面々も戸惑いながら頷く。
    エヴァンは自信満々で、右手の親指を天に突き上げる。

    「だいじょーぶ、第二の仕事は第三と協力しての会場作りと明日の企画運営だけだから。ガルガン団長にはマカロンと言う名の賄賂を約束したので大丈夫!」

    全く大丈夫ではない非合法な言葉が聞こえた気がするが、それ以上に気がかりな文言を聞きつけ、声を上げるのは鉢巻をした茶熊獣人。

    「……って、おいおい、明日開催なのかよ!?」

    咄嗟の大声に対し、エヴァンはなんて事のない様子で飄々と受け流した。

    「大丈夫ですよー。ジッテさんの土魔法と第三の協力があれば余裕余裕ー」

    「あ、あのなあ……」

    「あと、協賛の騎士団からも参加者を出すことにしたので、レンゲさん頑張ってね!」

    「……は?!」

    今度は黒熊の声が重なるが、エヴァンは片目を閉じててへぺろと悪戯っぽい顔をするだけでそのまま去っていく。

    「……こりゃ大変なことになりそうですな」

    「なりそうというか、確定したというか……」

    和やかだった休憩室の空気を懐かしむように遠い目をしたイサリビに、俺はどうなることやらとぽりぽりと頭を掻いた。

    「……仕方ありません。仕事なのは確かなので……皆さん、休憩は切り上げて、各自、俺の指示通りに動いてください」

    頭を振ってレンゲは、思考を切り替えたようだった。
    とはいえ言葉には精神疲労が積もっていて重い。
    それに同調するように、誰か分からない溜息が重なった。

    「ジッテさん、至急第三の駐屯所に行って会場作りを始めてください。イサリビさんもその補助をお願いします。アウルムさんは第四に衛生管理計画の相談をお願いします。」

    「おう、了解だぜ」

    「心得た」

    「分かりました」

    茶熊と竜犬、緑竜は短く答えて休憩室を後にする。
    残った俺とアイギスに対し、レンゲは少し沈黙して思考した後、

    「アイギスさんは第一に行って警備スケジュールの調整をお願いして、フォローしてもらってください。ヒョウカさんは第八に行って、明日の材料搬入について細かいスケジュール調整と搬入ルートと量の確認をお願いします。エヴァンさんとの魔術通信回線は常に開いて、随時指示を仰いで確認することを忘れずに、お願いします」

    「了解っす!」

    アイギスと俺はすぐに首肯して、駆けだす。
    その背後で、レンゲの盛大な溜息が聞こえた気がしたが、俺達は目を合わせて首を横に振って暗黙の内に心中を察した。
    魔獣車を引いてきた魔獣達のいななきや、不気味な気配を感じながら、俺は第八の駐屯所の門を潜った。
    俺は少しざわつく毛皮を抑えながら、奥へ足を踏み込んでいく。
    しばらく進むと、開けた大きな庭に辿りつく。
    そこで大きな木の間に張られたハンモックに、目当ての気配を見つけた。

    「……お、来たかー」

    だらりと全身の力を抜いてスライムの様な状態でハンモックに揺られたレンカが、俺に声をかける。
    いつぞやの張り詰めた空気はなく、ただのんびりと間延びした返事に、俺ははあ、と溜息を吐いた。

    「いやはや、あのちんちくりんも面白いこと考えるよなー」

    「こっちは振りまわせてれて大変だけど……」

    異常に着飾った獅子人と黒兎の含み笑いを思い浮かべ、やれやれと首を横に振った。
    騎士団の問題児の中でも第九を除けばこのレンカと1、2を争うエラセドが今回関わっているのだから、内心では不安だらけだった。
    というか、なんで騎士をしているのかがそもそも疑問だったりするのだが。

    「ま、んじゃめんどいからー……さっさと仕事の話終わらせて遊ぼうぜ」

    「いや、こっちは急な仕事のせいでてんてこ舞いなんで遠慮します」

    「ちょっとくらいサボろうぜー。お固いのはそっちだけにしとけってな?」

    「暑さで頭茹ったんですか?」

    股間を指差すレンカに、俺は冷めた目で返す。
    レンカはそれにようやく触発されたのか身を起して軽やかに地面に降り立つ。

    「ゆーじゃねえの。その内、食っちまうぞ」

    「はいはい、とにかく仕事しますよ。エヴァンさんから必要な食材の概算が通信で来たんで、用意できるかどうかの確認をお願いします」

    「ふーん……?」

    どこか目に怪しい光を宿らせたレンカに、俺はあしらうようにエヴァンから教えられた数値を書き込んだメモを押し付けた。

    「……んー、植物系の素材は大抵なんとでもなるなー。この辺り、プラント系の魔物も多いからな。砂糖はトウキビで良いだろー」

    リストを確認しながら、レンカはふと、

    「ていうか、ミルクはねえぞ。こちとら畜産屋じゃねーんだぜ」

    スイーツに欠かせない材料の一つでもある生クリームの原料。
    首都ジークリアであれば、家畜舎や備蓄がいくらでもあるであろうが、このレプス=リヴァルディにそのような設備はなく、備蓄庫にあるものでは到底賄える量ではない。
    もちろん、ミルクを使わないスイーツを作ると言う手もあるのだが、はたしてそれでどこまで盛り上がるのだろうか。

    そんなレンカの心配に対して俺は少し言葉を濁しながら、

    「ああ、はい。なんか、その辺はエラセドさんが後から相談するそうです……」

    「……あー……あいつかー」

    最近はとんと大人しくなったような気もするけどなあ、と自分の事は棚上げして、レンカは口走る。
    俺はとりあえず、ここでの用は終わったと感じ、レンカに別れを告げると第二の屯所に駆け足で戻ることにした。

    走り出した時、脳内にエヴァンからの通信音が鳴り響き、俺は一旦足の速度を落す。

    「あー、こちらエヴァンです。ヒョウカ君、聞こえる?」

    「はい、通信良好です」

    「おっけ。ほんで第八からの回答はどうだったかな?」

    「はい。ミルク以外は何とか……」

    経過を伝えれば、エヴァンからうんうんと頷きと共に返事がくる。

    「まあ、予想通りだねー。そこは用意するって言ってたエラセドっちに任せよう。それじゃ、そのまま第三に行ってジッテさん達と合流してくださーい」

    「はい、了解です」

    通信が切れたことを確認して、俺はフルスロットルで足を回した。
    「んぐぐぐぐ……」

    ジッテは額に汗を浮かべ……と言うより全身から汗を吹き出しながら、土魔法を行使する。
    海岸より少し離れた砂浜と森との境。
    大きな段幕で広く囲まれた場所に、大きな土の土台を作り出していた。

    盛り上がった土の塊に対し、瓶底眼鏡をかけた猿獣人が曲がった背中を少しのばして杖を振る。

    「こんなものですかねえー」

    杖に導かれるように土台の表面がすべらかに整えられ、しっかりと硬さを持つ。

    「はあ、第三の皆のおかげで、会場作りはなんとかなりそうだぜ……急な話で迷惑だっただろ?」

    「いえいえー、こちらはこちらで、お願いを聞いて貰ったので、協力は惜しみませんよー」

    ジッテが話しかけると、眼鏡越しに笑顔を作ってのんびりと猿人は答えた。

    そんなやり取りをしている横で、赤羽根の熊鷹鳥人が羽先を振るって膨大な魔力を空間を歪める。
    すると、黒い切れ目が生まれた。

    切れ目はすぐに広がり、闇の底から転がり出るように薙刀を抱えた虎獣人が現れる。
    その後から、ふくよかな二人が裂け目をくぐり、背中に担いでいた荷袋を下ろした。

    「わっはは! いやー、則宗君の転移は楽でいいな!」

    大柄な腹を揺らしながら、黄色いくちばしを大きく開き、アヒル鳥人がばしばしと虎人の背中を叩く。
    魔力を絞り切った様子の虎人は、手にした薙刀を地面に放り出して、そのまま四肢を投げ出した。

    「ルードロップさん。笑ってないで、バッグから資材出してくださいよ」

    ふくよかな身体を水着に包んだパンダ人が窘めながら、虎人を心配そうに覗き込む。
    肩で息をする虎人は、よろよろと腕をパンダ人に伸ばした。

    「し、シオン殿……と、とりあえず我に水を……」

    慌ててシオンは、鞄から大きな竹の水筒を取り出して、それを則宗の口元に持っていく。
    蓋を開けて、中身を勢いよく飲み、ようやく則宗は落ち着いて上体を起こした。

    「ふー……やはり、我の空間転移魔術では一度で、消耗してしまうな……この世界の調停者として不甲斐ないばかりである……」

    則宗がぶつぶつと意味ありげに呟くが、誰も反応しない。
    すると、ふてくされたように地面にのの字を描き始める。
    それを見たシオンがぽんぽん、と則宗の背中を叩く。

    「はいはい、則宗さんはしばらく休んでて下さい。持ってきた資材で、僕らが設営していくんで」

    「わっはっは。こんなもん、ちょちょいのちょいだぞ」

    ルードロップの軽快な笑い声と共に、バッグから見た目の用量からは想像できない量の木材があふれ出る。
    それを猿獣人がひょいひょいと魔法で操り組上げていく。

    「ところでウルキドさん。すごい勢いで組んでますけど、設計図とか覚えてるんですか?」

    「ええ。もちろん、そんなものないですよー」

    ウルキドはなんてことのないようにシオンの言葉を否定する。
    思わずシオンの表情が凍りつく。

    「う、ウルキドさん!?」

    「いやー、私、建築学は修めてないものでして」

    にわかに俺達の間を冷たい空気が駆け抜ける。
    それに対して我関せずとマイペースに魔法を振るうウルキド。
    空気が凍る中、会場の裏側から来たイサリビの一声が破る。

    「ウルキド殿、裏から神札を張り付けて補強しましたぞ」

    「あ、どうもですー。助かりましたよー」

    イサリビの言葉に、俺やジッテ、シオンが確認をしようと舞台裏を覗き込む。
    すると、組みあげられた木材が巨大化した札によって継ぎ目なく補強されていた。

    「こんな感じで、随時補強すれば、一日くらいは何とかなると思いますー。明日は私とクロアさんで術式を維持しますんでー」

    「はい。僕達に任せてください!」

    ウルキドとクロアの強固な魔術式を見て、俺達は納得するしかなかった。

    「ではでは、とりあえず、完成ということでー」

    ものの数十分もしないで、ピンクと白をベースに青い水玉がアクセントを添えられた舞台に調理台が複数、観客席まで出来上がった。
    「へえ……甘味作り大会か。面白そうだね」

    「吾輩も食べたいぞ!」

    海の家、『踊る黒鮫亭』の厨房の奥で休憩していた青い竜人が、先程騎士団員によって渡された資料に目を通しながら呟く。
    すると、どこから現れたのか、燃えるように赤い鬣をまとめ上げた壮年の獅子獣人が大声を上げた。
    それに対しさして驚きもしないまま、竜人は平坦な口調で答える。

    「はいはい、言うと思ったよ。ていうか、自分の立場は分かってるよね?」

    念のための確認に毛一本ほどの期待を竜人が込めると、獅子人はいつも通りの自身に溢れた顔でその分厚い胸板を大きく膨らませる。

    「うむ、理解しておるぞ。こっそり忍びこんでいけばよいのだな!」

    「違うよ、あんぽんたん」

    もはや諦めすら湧かない感情に、即答のツッコミが口から飛び出した。

    「あんぽんたん……」

    「君が出るとなれば、警備の数を根本から見直さないといけないだろ」

    一応は自身が守護する国の顔である獅子人なのだが、その言葉には尊敬がこれっぽっちも含まれていない。
    それを今更気にするような繊細さを持っていないことは、竜人には分かっていた。

    「……分かっておる。ヴィクトルは相変わらず口が悪いな」

    「悪くさせてるのは、一体、どこのアホかな?」

    「ぬぐっ」

    ヴィクトルの一言に獅子人は尻尾を硬直させた後、しおしおと床に落とした。
    言い返す気力を失った獅子がしょんぼりしていると、休憩室に大きな黒い鮫人が顔をのぞかせる

    「おう、レオストルムの旦那も来てたのか。ちょうど昼時だし、なんか食ってくかい?」

    「む、ルガルの飯か! なら、一品お勧めを頼むぞ!」

    ルガルの声を聞いたレオストルムは先程までの落ち込みはどこへやら、明るい表情に目を少年のように光らせて白い牙を見せた。
    それを見ていたヴィクトルがふと、何かを思いついたように、その太い尻尾を一振りする。

    「そうだ。良い案が思いついた」

    ヴィクトルの明るい声に、ルガルとレオストルムはそろって疑問符を浮かべて顔を見合わせた。

    「僕だって、夏だしはっちゃけたい気持ちはあるよ」

    含みのある言い方で、ヴィクトルは笑顔を浮かべた。
    「さあ、出来ましたよ」

    いつも巻いていた赤いバンダナを外し、斜めに片目を覆うように被った海賊帽の下から優しげな瞳をのぞかせた白熊人が、両手に抱えた大皿を机に置く。
    肩から掛けたジャケットのみの上半身は、毛皮の下の筋肉がくっきりと浮き上がるほど引き締まっていた。
    その逞しい胸板を見つめていた少しふくよかな腹をした白熊は、毛皮の頬を赤く染めてすこし耳を動かした。

    「おや、マノマ君、そんなに私を見つめて、何かついていますか?」

    「い、いえ……その、ハンクさんがカッコよくて」

    料理を置き、やっと空いた右手の指先で海賊帽を少し持ち上げ、視界を広げながらハンクが尋ねる。
    その右目には眼帯まで巻かれており、普段の優しい雰囲気とは真逆の野生的な雄の魅力が引き出されていた。
    マノマははにかんで、照れくさそうに自分の指先を揉みながら、返答する。
    その言葉にハンクも眼を細めながら口角を上げた。

    「マノマ君の水着姿も、私はとても似合っていて好きですよ」

    「あ、ありがとうございます」

    二人で悩んだ末に買った空色のラインと光沢のある萌黄色のスイムパンツを見て、ハンクが微笑めばマノマの表情も喜色に染まる。
    それに合わせて着た空色の縁取りと胸元に二本だけ走ったストライプがシンプルなタンクトップが、マノマの白い毛皮にとても似合っていた。

    「ええ、やっぱりマノマ君には青い色が合いますから」

    「ハンクさんに言われると、すごくうれしいです……!」

    互いに笑顔を向けあって、しばらく見つめ合う。
    そんな二人の空間に、

    「こんにちはー!」

    ひょこりと黒い兎が顔を出す。
    少し驚いたマノマは眼を見開き、ハンクも少しだけぱちくりと瞬きをした。

    「おや、エヴァンさんじゃないですか。お昼休憩ですか?」

    「いえ、まだ勤務中です。ところでハンクさんハンクさん。ちょいとお耳をお借りしても良いですか?」

    「ええ、いいですよ」

    ハンクはエヴァンの身長に合わせるようにその巨体をかがめて耳を寄せる。
    エヴァンはそっと手を寄せて、海賊帽からひょっこりとのぞいている耳にそっと耳打ちした。

    「……ははあ、なるほど……良いですよ。私でよければお手伝いしましょう」

    「さっすが! じゃあ、明日の朝、お待ちしてますねー!」

    用件を済ませると、エヴァンはまさしく兎のように跳ねるように店を飛び出して行った。
    それをハンクは微笑んで見送り、マノマは状況が飲み込めずに首を傾げる。

    「えっと……ハンクさん、何かあったんですか?」

    「いえ、悪いことじゃないですよ。……そうですね。明日は楽しいことになると思いますよ」

    少し言葉に含みを持たせながら、ハンクは意味深なウィンクをマノマに投げつけた。




    海の朝はさわやかな潮風と共に訪れる。
    朝日が東の海から昇り、海岸線を光で染め上げた。

    それと同時に、海岸に仁王立ちした兎の影が伸びる。

    「ふ、ふふふ、実に良いスイーツ日和ですね……」

    「どんな日和なんですか、それ」

    無言で後ろからやってきたレンゲが、エヴァンのベルトを持ち上げて引っ張る。
    ぶらんとぶら下がりながら、エヴァンはふふんと得意げな表情を浮かべた。

    「まあまあ、それはもうすぐ分かりますってー。レンゲさんも、頑張ってくださいね?」

    「……はあ……まあ、やるからには頑張りますけど」

    不本意そうではあるが真面目な顔で、レンゲは少しだけ真剣な声で答えた。
    「さーーーー、お集まりの皆様! まもなく、『夏のスイーツ大会inレプス=リヴァルディ』を開催するぜー!!」

    手元に展開した魔法陣により、エラセドの声が拡張され、海の波音を掻き消す。
    一日で開設されたピンクと白のステージは、階段状に4段になっており最下段は観客が座るためのベンチが等間隔に並べられている。
    中段部分の2段は調理台が置かれ、下は3つ、上は2つ並んでいる。
    そして最上段にはエラセドが陣取り、声を張り上げていた。

    「今日の実況は俺様、エラセドだぜー! そしてアシスタントにはジェフトさんだぜー!」

    「いえーい、おじさん頑張るー」

    サングラスをかけたジェフトが腕を大きく会場に向かって振る。

    「今回は海のスイーツ大会ということで、このレプス=リヴァルディをテーマにしたスイーツを作って、審査員に評価してもらうという、至極簡単なルールだ!!」

    エラセドが魔法で上空に映像を投射して、観客に見えるようにルール説明をかわいらしいイラストを交えながら進めていく。
    観客席に集まった大勢は軽く首を上に持ち上げる。

    「なんつっても今回は優勝者には、第三騎士団がこの夏のために作った特別な手持ち花火一式が手に入るぜ―。あとは、おまけでデスクラーケンの刺し身一年分」

    付け足された報酬に対し、観客からブーイングが巻き起こる。
    どう考えても、今年大量発生した魔物の死体の処分を押し付ける気だと分かっているからだ。

    その中、観客席の前列の端の方に座っていた黒い虎と黒い狼がサングラス越しに視線を交わす。

    「……にしても、いやに凝ってやがんなあ」

    「なんか、エヴァンが割と本気で頑張ってたみたいだからなあ」

    黒虎はの格好は緑のアロハと短パン。
    その顔つきは厳つく、少し緩んではいるが筋肉を纏った上半身から発せられる圧力は、普通の人は近寄りがたい雰囲気を出している。
    対する狼の方は珍しい大きな耳を時々、左右に動かしながら整った顔に軽薄そうな笑みを浮かべた。

    「おい、ユース、冷たい飲み物買って来いよ。ラルゴが茹っちまう」

    ユースに向かって、虎とは逆に座った大柄な熊が横柄な態度でユースの肩をつつく。
    熊とユースの間に座った小さな黒い子狼、ラルゴがあわわと焦ったようにユースの顔を見上げた。
    ユースは肩をすくめてラルゴの頭を撫でる。

    「へーへー、買いに行かせてもらいますよ。何かご希望は?」

    「俺は酒が良い」

    「そんじゃ、俺も酒がいいさねー」

    「俺は地酒が飲みてえ」

    ユースがラルゴに尋ねると子狼が答えるより早く、熊とその更に隣に座った赤毛の狼、赤い鬣の獅子が順番に答える。
    それに対し、ユースはピクリとこめかみを震わせた。

    「イェルド、キジュウ、武士……てめえらは、ちったあ自重しろ」

    「ぼ、僕はジュースが良いです」

    「俺は果実酒で」

    「……おい、おっさんらは金払えよ」

    ユースが口を尖らせると、イェルド、キジュウ、武士の三人は明後日の方向に顔を向けて口笛を吹き始め、黒虎はやれやれと首を振った。

    「おらよ、これでなんか買って来い」

    ぴんと指先で弾かれた銀貨を、ユースは器用に指先でつまむ。

    「……相変わらず、ゴードフのおっさんは太っ腹だねえ」

    「おう、とっとと行って来いや。もうすぐ始まっちまうぞ」

    ゴードフに急かされ、ユースは渋々席から立ち上がり、ふわりと魔法で空に飛び上がっていった。
    「うむ、出番が待ち遠しいな!」

    「はいはい、急かさないでもう少し大人しくしてなよ」

    舞台裏で手を組んで仁王立ちする獅子人に後ろから竜人が、窘める。
    それを緊張気味に眺める他の面々に対して、すぐそばの俺はいまいちぴんと来ておらず、じいっと獅子の顔を見つめていた。

    「ん? どうしたのだ、少年?」

    「いえ……王様、なんでそんなマスクしてんのかなって」

    レオストルムの格好は夏らしいハーフパンツにシャツをはだけさせたラフな物だったが、その顔をマズルから上を蔽うようにして被せられた白いマスクが異彩を放っていた。
    マスクと言うよりはバンダナの様で、目元を覆って後頭部で結ばれていた。

    「む……これは、ヴィクトルがつけろと言うのでな……」

    すこし不満そうにレオストルムは後ろのヴィクトルをちら見する。
    やれやれと首を振るヴィクトルに変わり、会場の土台を魔法で補強していたウルキドが代わりに答えた。

    「あれはですねー、第三騎士団が作った認識阻害の魔術が込められた呪布なんですよ。事実を知る者やよほど幻惑系の魔法に耐性のあるものじゃないと見破れないようになってます」

    「まあ、超特急で間に合わせた物なので、効果時間は半日も持たない位ですけどね」

    えへんと胸をはるウルキドに、後からクロアが苦笑交じりに説明を付け足す。

    「まあ、一応こんなアホでも国王だからね。これだけ不特定多数が集まるところに出るなら、最低限の処置ってことさ」

    公然と国王をアホ呼ばわりするヴィクトルに周囲は苦笑する。
    対するレオストルムはそれほど気にせず、そわそわと会場の方を舞台袖の隙間から覗こうとしていた。

    「ふふ、少し緊張しますね」

    「……その割に、ハンクは落ち着いてんな、相変わらず」

    そんなレオストルムを微笑みながら見つめるハンクと黒鮫。
    ハンクは海賊スタイルのまま、ルガルも海の家のエプロンをしたまま椅子に座っていた。
    ハンクの隣にはマノマが少しそわそわしながらハンクの横顔を見つめている。
    それに気付いたハンクは、優しげな眼をマノマに向けた。

    「えっと、ハンクさん、頑張ってください……!」

    「はい、頑張ります。マノマ君は観客席から見ててくださいね」

    そんな甘々な雰囲気に、周囲からは生ぬるい視線が注がれるが沸騰しそうな熱さの二人には全く届きはしなかった。

    「はいはーい。それではそろそろ審査員の皆さんも舞台に出ていただきまーす! 準備はよろしいですかー?」

    そうそうたるたる面々が揃っている中、緊張感を感じさせない黒兎の声が響く。
    いつものパーカーではなく、いつの間に用意したのか海用の海水パンツに青いパーカーを羽織ったエヴァンが隠しきれない喜色を顔に張り付けていた。



    「さあさあ、ルール説明も終わったところで、出演者の紹介だぜー!」

    エラセドは気取った様子でステップを踏んで実況席の椅子を蹴飛ばして立ち上がる。

    「第一騎士団からは、警備任務の合間を縫って洛陽が出場だー!」

    エラセドが大きく腕を振れば舞台の端から白煙が吹き出る。
    その中から、やや緊張気味に白い兎が現れた。
    筋骨隆々に鍛えられた身体に対して、このような大舞台には慣れていないらしい。

    それでも、会場の前列の方に知り合いの獅子人を見つけて、少しだけ表情がほぐれたことに気付くものはほとんどいなかった。

    「続いて我らが第二騎士団から、古参騎士のレンゲだー! 長い一人身生活の腕前見せろー!」

    「余計な一言が多いですよ、エラセドさん」

    続いて現れたのはいつもの服の上から赤いエプロンをかけたレンゲだ。
    表情はいつも通りで、少しだけうんざりしたように眉を歪めていた。

    「はいはい、んじゃさくさく行くぞー! 第四からはクレセント=スノウフレア、第八からは料理の鬼才にして奇才のレンカ=ハチツカ」

    舞台左右の端から白煙が上がり、底から白熊と白犬が現れる。
    クレスは柔和な笑みをしており、人を食ったような笑みを浮かべるレンカとは対照的だった。

    「甘いもの作りなら、自身ありますね」

    ふんわりとした毛を潮風で撫でつけられながらクレスは、ぐっと拳を握る。
    レンカは飄々とした態度のまま、だらりと調理台にもたれかかっていた。

    「んで、最後は闘士から参加、隻腕の剣士、幸光だー!」

    最後に登場するのは鮮やかな橙色の毛並みを持った犬人の侍。
    片手片目を失った出で立ちに対して楽しそうな笑顔だった。
    何故か帯刀したままなのは、誰もが疑問に思っていたが、幸光はそんな視線に気付く様子はなかった。

    「ふふふ、儂の『くっきんぐてく』を存分に見せるんじゃよ」

    不敵な笑みで調理台の前に立つ幸光。
    これで五つの調理台に選手が集ったことになる。

    「んじゃ、最後に審査員の登場だー!」

    興が乗ってきたエラセドが今度は拳を突き上げる。
    そして再び噴き上がる白煙。

    「元第三騎士団団長、今はジークリアのコロシアムに出張シェフ。ハンク・T・ボーンズ! お次は元第一騎士団団長、今は海の家のオーナーでメインシェフのルガル=スクアッロ! そして今回の大会の企画責任者のエヴァン=ポート!」

    大柄な二人の影に隠れたエヴァンがなんとか自己主張するためにぴょんぴょんと跳ねる。
    その様子に、会場が一時笑いに包まれた。

    「はいはい、怒らないで席につけよー。そして騎士団長、ヴィクトル=サーザムセラフ! 最後は、えー……謎の、ライオン仮面……?」

    「がはは! ライオン仮面とは吾輩である!」

    「うるさいから早く黙って座りなよ……」

    「ヴィクトル、流石に吾輩もそろそろ傷つきそうなのだが……」

    「そんな軟な性格じゃないでしょ」

    ヴィクトルに急かされ、レオストルム改め謎のライオン仮面はとほほと呟きながら指定された席に腰かける。
    認識阻害の魔術は正常に発動しているが、勘のいい者のほとんどはその中身に気がついて呆れた溜息をこぼしていた。

    「あー、よし。これで舞台は整ったぜ!! 後は、それぞれ全力でスイーツ作りをするだけだー!」

    気を取り直したエラセドの言葉と共に、ジェフトがよいしょと大きな銅鑼の前に立つ。

    「そんじゃ、調理開始ー!」

    それを確認したエラセドの宣言と共に、銅鑼が重低音を響かせる。
    観客の歓声も合わさり、会場が大きく揺れた。
    「ほいほい、調理が完了するまでの時間、適当に選手へ突撃実況とかするぜ」

    ひょいと最上段から飛び降り、調理台でお菓子作りに励む選手達に近寄るエラセド。

    「さっきも説明したけど、この調理台の周りには第三騎士団の面々による強力な時間延長結界が施されてるから、結界内と外で時間の流れが違うんだぜ」

    自分の周りに結界の効果を中和する術式を描きながら、エラセドが一番近い洛陽の元に向かう。
    洛陽は料理に慣れているのか手際よく果物を同じ大きさに切りそろえていた。

    「おっすー。調子はDoよ?」

    「え……?」

    エラセドの独特な言い回しに洛陽は困惑の表情を浮かべる。
    少しして、料理の進み具合を尋ねられたと気付き、

    「あ、えっと、順調だと、思います」

    「おー、いいねいいね、マジパネェ」

    「ぱねえ……?」

    「ちなみに、洛っちは何作る予定じゃん?」

    「えーと、僕、普通に自炊はしてるんですけど、お菓子って作ったことなかったんで……フルーツゼリーなら出来るかなって」

    「おー良いじゃん良いじゃん、テンアゲじゃん」

    「てんあげ……?」

    「そうそう、テンアゲしてこうぜ!」

    始終エラセドの言い回しに振りまわされた洛陽は、うーんと真面目な顔で首を捻るが、考えてもテンアゲから想像したのは油で揚げた料理だけだった。
    そんな洛陽を置き去りに、エラセドは隣の調理台でテキパキと洛陽よりもさらに慣れた手つきでボールを泡立てている黒熊に向かう。
    ミルクから乳脂肪のみを魔術で分離させた生クリームに、クリームチーズやヨーグルトを加えて混ぜ込んでいた。

    「うぇーい、お次はレンゲっちー!」

    「……ああ、エラセドさん。こっちは順調ですよ」

    しっかりとまとまった生地を焼き型に敷かれたクッキーの上に流し込む。

    「相っ変わらずのカチンコチンの真面目ちゃんだねしー。バリバリやる気のマジパネじゃね」

    「ええ、まあ。趣味でお菓子作ることもあるので、割と楽しんでますよ」

    「そかそかー、そりゃ優勝も狙っちゃう感じアリアリじゃん?」

    「いえ、そこまではないです」

    「そんでそんで、レンゲっちは何作ってるん?」

    「まあ、簡単なチーズケーキですね。夏の暑い中でも食べやすいさっぱりしたものがいいかなと」

    あらかじめ暖めていた魔動オーブンに焼き型を押し込み、レンゲはふうと一息ついた。

    「うおー、割と本格的でおしゃれさんじゃん」

    「まあ、後は焼くだけなんで、これから上にかけるソースも作ります」

    「かー、こりゃお嫁さんにしたい男ナンバーワンになっちゃうんじゃね?」

    「それ、矛盾してませんか?」

    「細かいこと気にしちゃ、マジナエじゃん。オーラカにテンアゲしようぜ」

    「はいはい」

    エラセドのペースをものともせずマイペースを貫くレンゲに、流石のエラセドもこれ以上茶化すのは諦め、次の調理台に向かうことにした。
    中上段から中下段に移る。

    「次は第四のクレスっちー。チョーシはどんなもんかい?」

    周囲に魔力を振りまいている白熊に後ろから声をかけると、くるりとわざわざクレスは手を止めて振りかえって会釈をする。

    「あ、エラセドさん。こんにちわ」

    「ほいよー、いやークレスっちは他のメンツと違って優しいから、俺っちハッピでアゲアゲしちゃうわー」

    「あはは、何言ってるかよく分かんないですけど、喜んでもらえて良かったです」

    笑顔のままクレスは指先で魔法を操る。
    すると、魔力に包まれた小麦粉がくるりと宙に浮いてその形を変え、輪状になった。
    そして、あっという間にドーナツが焼き上がり、皿の上にぽんと綺麗に並んでいく。

    「おーうクレスっちはクッキングマジック使いかー」

    「そんな大層なものじゃないですけどね。ドーナツが好きなのでこれだけは使えるんですよー」

    「ま、今回は魔術を禁止してないし、ガンガンうまいドーナツ作っちゃっていきまっしょい、うぇーい!」

    「頑張ります! うぇーい!」

    ノリノリのクレスがエラセドの口調を真似て、はにかむ。
    ふんわりとした雰囲気に和んだ空気が流れるが、エラセドがその隣の調理台に向けた時、雰囲気が一変するのを感じた。

    「……うわお……こりゃ、マジパネーション……」

    大抵のことには動揺しない自身のあるエラセドだが、隻腕の侍が放つ張り詰めた空気と、出来上がりつつある菓子の精巧さには感嘆の声を上げた。

    幸光は持参したらしい白玉粉を使ってぎゅうひを作り、餡子と混ぜて練り切りを作っていた。
    それを鮮やか過ぎる太刀筋で見事な美術品の様に、魚やイルカなどの動物の形へと変えていく。

    「おや、エラセド殿。儂に何か用かのう?」

    「い、いやあ……すげえよ、マジ。マジパネーションすぎてエモいわ」

    「ははは。えもい、とはよくわからぬが、拙作を褒められるとこそばゆいのう」

    あくまで謙遜の色を顔に表す幸光だが、その片手に持った太刀が緩むことはなく、更に数種類の精巧な練り切りが生まれる。

    「一応聞いちゃうけど、これで完成?」

    「いやいや、儂が作るのは錦玉羹きんぎょくかんでな。これをあとで寒天で固めて仕上げるのじゃよ」

    「はー……マジかよ……こりゃ芸術点が天凸しちまうぜ……」

    「せっかくなのじゃ、ワノクニの菓子を皆に食してもらいたくてのう」

    片腕というハンデをものともしない幸光に、空恐ろしさを感じながらエラセドは最後に残った調理台に視線を移した。
    そして、

    「……うげ」

    エラセドの呻きと共に、会場からもどよめきが起こる。
    会場にアップで投影される映像はエラセドの正面を移しているのだが、それが最後の調理台の上、レンカの手もとが移ったせいだった。

    そこに広がっているのは、混沌と言うのも生ぬるい闇のごった煮。
    なぜなら、

    「んでっケーキ作るのにイカの足があるんだおめー!?」

    綺麗に円形に焼きあげられたスポンジケーキには丁寧にホイップクリームが塗られている。
    そこまでなら何ともないのだが、何故か白いクリームの上からはイカスミで作られたどす黒いソースがかけられ、まるでフルーツを盛り付ける調子でいくつもの足が突き立っていた。

    「いやー、うまいと思ってよー」

    「頭どうかしてんじゃねーのか……?」

    見るもおぞましい物体を目の前に平然と、ぬぷっと奇妙な音を立てながらデスクラーケンの足を横から差し込むレンカに流石のエラセドも動揺を隠しきれなかった。

    「いやー、ぜってーうまいって」

    何故か自信満々なレンカをエラセドはこれ以上追及できず、これ以上観客にこの異次元の産物を見せないように実況席に戻ることを決めた。

    「えー、最後見てはいけない物を見たきがしないでもないが、気を取り直してここまでの調理風景を見てジェフ爺、コメントあるかい?」

    「そうだねー、みんな美味しそうなもの作ってたねー」

    「あれれー、ジェフ爺また目が見えなくなったのかー?」

    意味深に笑うジェフトに、エラセドがおどけて茶化す。

    「ふふふ、ちゃんと見えてたよー」

    「そかそか。そんじゃ審査員の面々にもコメントを貰うぞー!」

    エラセドが審査員席に向かうが、そこも最後の映像のショックで少し雰囲気が落ちていた。

    「あー、まあ、うん。だいたい美味そうなもんが作られてたよな、ハンク?」

    「え、ええ……私はレンゲ君とクレス君のお菓子が気になりますね」

    ハンクとルガルは視線を偏らせ、意図的にレンカの方を見ないように努めていた。

    「うん、美味しいものが出来るとイイデスネー」

    次にエヴァンを見れば、どうしてやろうかと表情で語っている。

    「あー、うん……僕は洛陽君のゼリーが食べたいな。ミカンも入ってたし」

    ヴィクトルもコメントしにくそうに口調を濁す。
    それに対し、なぜかレオストル、謎のライオン仮面は嬉しそうに、

    「吾輩はあのイカケーキが食ってみたいぞ!」

    「……アホなの?」

    思わずヴィクトルが呟くが、レオストルは気にした様子はない。
    それよりも子供の様に輝く視線をレンカの調理台に送っていた。

    「一体どんな味がするのか楽しみだぞ!」

    怖いもの知らずという単語が全員の脳裏に浮かぶ中、間もなく調理時間終了の銅鑼が鳴る時間だった。
    「はい終了終了!!」

    ジェフトが銅鑼を鳴らすと同時に調理場を包んでいた結界が消える。
    時間の流れが元に戻り、出来上がった菓子を手に選手が最上段へと集まった。

    「ふふふ、ここでギミックオープン!」

    エラセドが魔法陣をステップで刻めば会場が一瞬揺れて、その後変形する。
    階段状だった会場は段差が逆転、扇型の山状だったものが同型のすり鉢状に変わった。

    「さあさあ、ここからは実食タイムだぜー!」

    「じゃあ……僕からですね」

    順番に並んだ洛陽がガラスの容器に山なりに固められたゼリーを五人の審査員の前に置く。
    ふるりと風に身を震わせる透明なゼラチンは果汁が混ざって少し色づいており海の陽光をきらきらと反射させて輝いていた。

    「えっと、フルーツゼリーです」

    ごくごく普通のお菓子だが、細かくフルーツが飾り切りされており、余った果肉で作られた果汁ソースも香りを立ててシンプルではあるが、とても綺麗にまとまっていた。
    審査員の五人はそれぞれスプーンを片手に、ゼリーを一匙分持ち上げ、パクリと頬張った。

    「お、ちょうどいい柔らかさに、冷たいゼリーが美味いな」

    「ええ、夏に食べるには涼しくて良いですね。甘い果実ではなくやや酸味の強い果物を使っているので後味もべたつきがないです」

    「んー、最高……」

    ルガルとハンクは料理人らしくコメントを呟き、エヴァンはひたすら頬を緩ませる。
    ヴィクトルは勢いよくオレンジ色のゼリーを食べ、残り少ないそれを少しだけ名残惜しそうにスプーンですくっていた。
    レオストルムは、既に食べ終えて満足そうに笑っている。

    「これはなかなかの評価だぜ。次はレンゲっちのケーキだ!」

    次にテーブルに乗せられたのは切り分けられたチーズケーキだった。
    少し凍らせたチーズケーキは見た目よりもしっかりとした印象を与えている。

    「仕上げにソースかけますね」

    そう行ってレンゲは二つの瓶を手に、粘度のある黄金色の蜜と紫色のソースをかける。

    「人肌の蜂蜜と、出来たてのブルーベリーソースです。これで丁度いいくらいにケーキが溶けると思います」

    レンゲの言う通り、先走ったレオストルムが嬉々としてケーキにフォークをつきたてようとして思ったより硬くて悲しそうな顔をしていたが、レンゲが温かいソースと蜂蜜をかけたことで表面から少しずつケーキが蕩け、柔らかくなっていた。

    「ん、こりゃうめえ。なかなか本格的なチーズケーキじゃねえか。ビスケットを少し粗めに砕いて敷いてるのが、逆に良い食いごたえを出してんな」

    「これは控えめな甘さのケーキと甘い蜂蜜と酸味の強いソースが絶妙ですね……マノマ君にも食べさせてあげたいです」

    「あー、至高……」

    「うんうん、これは美味しいね」

    「お代わり!」

    ルガルとハンク以外はただの感想になっていて、レオストルムに至ってはレンゲから二切れ目を貰っていた。

    「これも高評価だー、次はクレスっちのドーナツで、えー、タイトルがある? なになに、……『夏の陣』?」

    エラセドの困惑の声と共にどんと審査員の前に置かれたのは、これでもかと積み上げられたドーナツの立体造形物と言うべきものだった。

    「どうですか! 美味しいですよ!」

    自慢げにクレスは胸を張るが、このドーナツピラミッドはどこから食せば良いのかぱっと見では見当もつかなかった。

    「……まあ、てっぺんから食えば崩れねえだろ」

    「そうですね……あ、エヴァン君、取ってあげましょうか?」

    「ぐ、ぐぬぬぬぬ……ありがとうございます……」

    椅子から立ち上がり、一番上に太陽のように黄金色に輝く焼き立てのドーナツにルガルとハンクは手を伸ばし、ハンクは届かないであろうエヴァンのために上からいくつかを皿の端に置いた。
    エヴァンは複雑そうな顔をしながら、大人しくパクリとドーナツに齧りつく。

    その横でヴィクトルも同じ様に上から取っているが、レオストルムは何が見えているのか適当に塔の中段からドーナツを引き抜いては、口放り込んいく。

    「……相変わらず謎技能ばかり高いんだね、君……」

    「がっはっは。そう褒めずとも良いぞヴィクトル!」

    「呆れてるんだよ……」

    あっという間にドーナツの塔を骨抜きにしていくレオストルム。
    それに全員が一旦呆れた視線を向けた後、ドーナツの味に言及していく。

    「うん、うまい。が、もうちょい味にバリエーションが欲しいところかな」

    「私は果物が練り込まれたドーナツが好きですね」

    「あー、極幸」

    「甘すぎないから飽きがこないね」

    「お代わりだ!」

    「少しは自重しろよ。アホなの?」

    今度も完食してお代わりを求めるレオストルムに呆れたヴィクトルの毒舌が刺さる。
    このままでは無限に食べかねないと思ったエラセドは、次の幸光を呼んだ。

    「まだまだ次の作品がくるぜー!」

    「うむ、儂が作ったのは、錦玉羹きんぎょくかんじゃ!」

    幸光が竹でできた器に乗せたのは、青く半透明に輝く美しい立方体。
    ゼラチンではなく、ワノクニの寒天を用いて固められたそれはゼリーよりもしっかりと固められており、多少の揺れにはびくともしない。
    その鮮やかなマリンブルーの寒天の中には精巧に作られたイルカや南国の美しい魚をかたどった練り切り。

    あまりにお菓子とはかけ離れた美しさに、会場からも感嘆の声が上がった。

    「こいつは……たまげたぜ」

    「うーん……お菓子に見えないくらい綺麗ですね」

    「あー、語彙力なくなるー」

    「ワノクニのお菓子だね。いやーここまでの物は珍しいなあ」

    「ん……? なんで皆食べないのだ? こんなに美味いのだぞ?」

    他の四人が見た目に視線を奪われている間、レオストルムは豪快にそれを咀嚼していた。

    「うむ! 見た目は冷たいのかと思ったが、ちょっとひんやりしているだけなのだな! だが味はしっかりと甘いが、後味は柔らかいのだな!」

    まだ誰も口をつけていなかったからか、嬉々として味の感想を述べるレオストルムに、他の四人も少し呆れつつ、切れ込みをフォークで入れて食べ始める。
    見た目に劣らず、味もしっかりとしており、誰もが口々に好評を述べた。

    「よーし……これで終わり、ってことにしてえけど。あと一つ残ってんだよなあ……」

    「おいおいー、俺のも皆食ってくれよー」

    レンカがいつもの調子でにやりと笑みを浮かべる。
    その手に持った皿の上を見て、会場中に衝撃が走った。

    「……おいおい、まじかよ」

    「これは、その……」

    筆舌に尽くしがたいとはこのことだと、ルガルとハンクの表情が語っていた。
    エヴァンは無言で震え、ぴくぴくとこめかみを震わせていて、ヴィクトルはやれやれと頭を抱えていた。
    唯一食い入るように見つめているのはレオストルムだけだ。

    「ほい、レンカ様特製デスクラーケンのイカスミシオカラケーキだぜ!」

    どん、とテーブルの中央にいたエヴァンの前に黒と白のツートンカラーの物体がそびえたった。
    生クリームの甘い香りに混ざる磯の強い香り。
    何よりそのケーキからいくつもイカの足が生えているというビジュアルのインパクトに、会場の雰囲気は凍りついていた。

    「んでー、ラストにこのデスクラーケンの体液を煮詰めたソースをかけて……」

    「……か」

    「ん? なんか言ったか、ちんちくりん?」

    顔を伏せ、プルプルと肩を震わせるエヴァンに、レンカは首を傾げた。

    「……んなもん、くえるかーー!!」

    我慢の限界がきたのかエヴァンは目の前の皿を持ち上げると、レンカの顔面に叩きつけた。
    ぐちゃぬぷと謎の怪音が鳴り響き、白と黒が周囲に飛び散る。

    その瞬間、会場の中心で急激に膨れ上がる圧力に、会場にいた数人が反応した。

    「……へ?」

    それに少し遅れてエヴァンが、気の抜けた声を上げる。
    視線の先、耳障りな甲高い音が響く。

    空間にピシリとひび割れが生じたかと思うと、中から不定形の白い粘液が空間の裂け目から垂れ落ちてくる。

    「……エヴァンさん、エラセドさん、結界!」

    「……っ!」

    レンゲが叫び、エヴァンとエラセドが即座に封印結界を展開する。
    半透明な青いベールと障壁が二重になって周囲に広がっていった。
    ヴィクトルはレオストルを庇い、そこにゴードフが現れて三人が離脱する。
    ついでに、デスクラーケンの体液をもろに浴びたレンカも後方に引きずられていく。

    「現場にいる全騎士団員に緊急通達! 警戒レベルA! 一般人の保護を最優先!」

    レンゲの号令にエヴァンの魔法通信が周囲の騎士に繋がれ、全員に緊張が走った。
    裂け目が現れたすぐ調理台の近く、幸光は現れた白い粘液を訝しげに見つめる。

    「ふむ、で、これは何なのかのう?」

    幸光がなんの躊躇いもなく白い粘液を刀で一閃すると、斬った部分がどろりとした粘液性が失われて、さらりと液性が変わって床に落ちる。
    それが小さな水たまりになる瞬間。

    「んっ!?」

    落ちたと思った白い液体が、少し震えたと思った刹那、鋭い触手となって幸光の顔面に突き刺さろう加速する。

    「む」

    それを観客席から走り込んできた茶色の熊が鎖を巻きつけた大剣で、弾き飛ばす。
    弾かれた白い小液体は大本になった白いスライムに戻って行った。

    「……カーム殿。なんじゃ、観客席で見ておったのか」

    「……お前が何か優勝を狙うとか言うから、一応な」

    「ふむ……とりあえず、こやつを何とかせねば大会の進行できまいて」

    会場を侵食し始めた白いスライムに向かって、二人は刃を合わせて向けた。




    「あーなんか厄介なことになってんなー」

    ユースは【耳】に違和感に覚えた瞬間、ラルゴとイェルドの避難をキジュウに任せ、すり鉢の底、会場の舞台に向かって飛び降りた。
    近くにいた武士も同じく違和感を感じ取ったのか、ブレのない動きで駆けこむ。
    その瞬間、不快なガラスの破砕音が【耳】に届いた。

    「……なんじゃこりゃ」

    空間に出来た裂け目からこぼれ落ちるように白い粘液が滴り、巨大なスライムが現れる。
    だんだんとその質量が増すのを感じ、少しだけ、ユースはサングラスの奥で目をきつめに細めた。




    「武士君?!」

    「大丈夫か、洛?」

    横目で白い粘液の塊を睨みながら、武士は洛陽の隣に並び立つ。
    緊張に固まっていた洛陽の表情が少しだけ柔らかくなり、肩の力が抜けた。

    「なんなんだ、これ?」

    「僕にもわからないけど……騎士団の魔法通信で、通達が回ってきたよ。……武士君は一般人なんだから結界の外に出て、避難しないと」

    「けっ、ダチが目の前で戦ってんのに逃げれっかよ」

    死角から伸びてきたスライムの触手を抜き放った白刃で薙ぎ払いながら、武士は垂れてきた前髪を片手で掻きあげる。
    その隙を斬りおとされてなおうごめくスライムが、鋭い一撃で狙う。

    しかし、その一撃は寸での所で洛陽の矢に射抜かれて止まった。

    「お、悪ぃ。助かった」

    「助かった、じゃないよ……やるなら気を引き締めようね」

    「ん、りょーかい」

    楽しそうに笑う武士に対して、洛陽も呆れたように笑みを浮かべた。
    「ジッテさん、土魔法で会場の土台を強化して崩れないように! アイギスさん、イサリビさん、第三と協力して結界の強度を上げてください!」

    通信越しに団員の声が返ってくる。
    レンゲは上になった観客席を駆け上り、高い視界を確保して全体を見渡す。
    観客席と審査員がいた場所のちょうど真ん中に現れた裂け目、底から現れた白い正体不明のスライムはゆっくりと、しかし確実にその質量を増やしていく。
    そして、周囲のものに対して鋭い触手を伸ばして貫いているのが見えた。
    その速度はそれほど早くないものの、その威力は貫かれた調理台が物語っている。
    咄嗟にエヴァンとエラセドに飛ばした指示によりその触手は観客には届いていなかったが、結界の内側をがりがりとなぞる音が、観客の悲鳴を連鎖させていた。

    「……結界内に残った騎士で、白色スライムを抑えます。結界外の騎士は民間人の迅速な避難を最優先で」

    エヴァンの索敵、エラセドの解析魔法の結果を通信で受け取りながら、レンゲは状況判断を下していく。

    「レンゲ君、僕らはどうしますか?」

    エヴァンの通信越しに、ハンクの声が聞こえる。
    レンゲは逡巡を一瞬した後、大きく頭を振った。

    「……引退された方の手を煩わせるほど、今の騎士団だって柔じゃないですよ。後方に下がってゆっくり見物してて下さい」

    「頼もしい言葉が聞けて、うれしいですね」

    強化魔法を施した視覚が、笑顔のハンクを捉える。
    いつの間にかその傍にはマノマが駆け寄っていた。
    そのまま結界の外へ出ていくハンクとマノマ、ルガルを見送り、レンゲは結界内に残った面々を確認した。
    残っている騎士は洛陽、クレス、レンゲと結界が張られる直前に舞台裏から駆けこんできたヒョウカの四名。
    巻き込まれたり、自ら結界に飛び込んできた騎士以外の者は、幸光、カーム、ユース、武士。
    騎士ではないものの、それぞれ実力派のつわものであることは、レンゲも承知していた。
    ハンクに宣言した所ではあるが、彼らも戦力に数えながら、次の作戦を考える。

    「エヴァンさん、解析出来ましたか?」

    「んーあー……その必要はないっちゅーか……ばりばり俺が知ってるっちゅーか」

    エヴァンに問いかけたレンゲに対し、含みのある口調で言い淀むエラセドが返答する。
    レンゲは少しだけ語気を強めた。

    「エラセドさん、今すぐ吐かないと割と本気で殴りますよ」

    結界の外で術式を展開しているエラセドを睨みつけると、ぎくりと肩を揺らして降参と言うように両手を上げた。

    「いやー、デッドリーチョコスライムっていたっしょ。あれ、意図的に変異させて他の食材にならないかなーって第三とか第八で研究してたんですよ」

    「それがなんでここに?」

    「えー……ジークリアの研究区域で厳重に保管してた仮称、デッドリーミルクスライムをですね。無理やり空間魔法で繋いで一部分だけを持ってきて培養したんすよ」

    無茶苦茶なことを言い出すエラセドに、レンゲは頭痛を覚え始めた。

    「元々、ミルクスライムの試作を使ってみようって第三とかと計画してて、折角だから大々的に消費できるこの大会をエヴァっちにそそのかしました。てへぺろ」

    「……動機は分かりました。なぜそれがここに出現を?」

    「ここの生育環境が合い過ぎてて、過剰に増殖して、亜空間の結界を物理的に壊して出てきちゃった☆」

    精一杯の可愛さを込めたエラセドの言葉に、周囲から殺意交じりの視線が飛ぶ。
    流石のエラセドも、それには罰が悪そうに頭を掻いた。

    「状況把握しました。エラセドさんの処分は後回しにして……このミルクスライムを何とかしないといけませんね」

    「あ、弁明というかアドバイスというか、こいつは元のチョコスライムみたいに硬くない代わりに再生能が異常に高いから、再生できないように蒸発させるか、ある程度細かく切らないと減らせないぜ」

    「実に面倒ですね」

    頭痛を追い出すように頭を振って、レンゲはエプロン姿のまま拳に愛用の鉤爪を装着した。

    「このままだと、この結界も破壊される恐れがあるので、ここにいる騎士と闘士で協力してなるべく削ります」

    レンゲは覚悟を決め、全身を身体強化ライズすると全力でスライムに向かって飛びかかった。
    ひらりと頬を毛一本程の距離で白い触手が通り過ぎる。
    幸光はその刹那に三度斬撃を放ち、即座に離脱した。

    「グラビティゾーン!」

    背後から入れ替わるようにカームの魔法が発動する。
    幸光が削ぎ落としたスライムを重力魔法で地面に縛り付け、大剣で叩き潰した。
    カームの背に別のスライムが迫るが、それは幸光の刀が断ち切る。

    「これは、なかなかに骨が折れる作業じゃな」

    「文句いう暇あるなら手と足を動かせ」

    「珍しくやる気じゃのう、カーム殿」

    「騎士団からたっぷり金が貰えそうだからな」

    「……ぶれないのう……」

    呆れた表情の幸光だが、その剣閃はこの場の誰よりも鋭いままだった。



    「洛!」

    「うん」

    舞踊をするように武士と、その隙を埋めるように矢を放つ洛陽。
    息の合った二人の呼吸はスライムのスライムに囲まれつつある中でも、一定以上の距離を寄せ付けていなかった。

    「っかー、にしても乳臭ぇな!」

    「仕方ないよ。だって乳で出来たスライムなんだから……」

    「足元もなんかスライムなのか乳なのかでべとべとで滑るし、嫌になるぜ」

    愚痴をこぼしつつも、武士の足さばきに乱れはない。
    むしろ、その滑りを利用していつもよりも滑らかな位だ。

    「あー、にしても洛の作ったゼリー食いたかったな」

    「そう? じゃあ今度御馳走しようか?」

    「まじかよ、楽しみにしとくわ」



    「……破っ」

    虎杖丸で切り払い、即座にウパシトゥムチュプの冷気で氷結させる。
    凍ったスライムは二度と本体に戻らないことは確認済みだった。
    しかし、それを繰り返してなお、スライムの総量は減っているようには見えなかった。

    「っ、レンゲさん! このままでいいんですか?!」

    「……よく、ないですね!」

    目の前のスライムを相手にしながら、レンゲは強化した感覚で戦場全体を把握している。
    そのため、僅かに隙が多く、それを俺はカバーする。

    うまく立ち回れているものの、これでは削れる量は微々たるもので、日が暮れても終わらなさそうだった。

    「……弱点は火、だとエラセドさんは言っていましたが……」

    レンゲは苦渋に表情を歪めながら、傍に寄ったったスライムの触手を一蹴する。
    飛び散ったスライムに、空から紅蓮の炎が降り注いで蒸発させた。

    「ユースさん、もっと強い火の魔法ってないですか!?」

    レンゲが空を仰ぎ、宙に浮いた白銀の狼に問いかけた。
    『変化』したユースはいつも通り余裕の笑顔のまま、肩をすくめる。

    「無茶言うなって……俺は風の精霊とは相性がいいけど、火はそんなでもねえんだぜ」

    「……なら、核を突くしかないですね」

    瞬間、レンゲの肩が膨れ上がり、咆哮と共に拳を突き出す。
    全身を使って放たれた拳圧はスライムの本体の表面を穿ち、凹ませた。
    そして、その中心部にうっすらと赤い輝きを放つ塊が垣間見える。

    「……なるほど、今のが核、ね」

    「あそこに炎を届かせることができれば、簡単に自壊するとエラセドさんは言っています」

    「……つっても距離がある。今見た再生速度だと、届く前に塞がって、表面を蒸発させて終わり……もしくは水蒸気爆発が起こって、結界の中の俺達自体がまずいことになるぞ」

    「そうですね……なんとか、他の全員で一斉に攻撃をして、切り開きたいところですが……っ!」

    圧倒的な火力を持つユースを最も脅威と判断したスライムが、ほとんど全てのスライムをユースに向けて放つ。
    それを涼しい顔で無数の風で吹き飛ばすものの、飛び散ったスライムはすぐさま元のスライムの元に戻る。

    「さっきからこれの繰り返しできりがねえな……」

    流石のユースも突破孔が思いつかないのか、表情を陰らせた。

    「それでも、何とかしないと、いけませんね」

    同じく眉をひそめるレンゲに対し、俺もかける言葉が思いつかず、苛立ちまぎれに刀を振るった。
    そのとき、結界の外のすぐそばに、二人の人影が見える。
    その片方の大きさに、俺は少しの間絶句した。

    「ほほー。良いことを聞いたさね」

    「……」

    するりと結界を自慢の呪札で上書きして入ってきた赤髪の狼人。
    その後を続いて入ってきたのは見上げるほど大きな獅子獣人の男だった。

    「おい、キジュウ。わざわざ戻ってくるって事は、手伝う気があるんだよなあ?!」

    入ってきたはいいものの、だまったままの獅子人と今更準備運動を始めるキジュウにユースが声を荒げた。

    「そう怒るない。助っ人連れてきてやったんだからよ。熊の旦那よう、ようはあのスライムのどてっ腹に孔を開ければいいんだろう?」

    キジュウはレンゲに確認しながら、後ろに立った巨人とも言える獅子人の、同じく他の誰も振ることが出来ないような巨剣に自身の札を張り付ける。

    「……ええ、そうです。核を露出させて、それを破壊出来れば、勝てます」

    「だとよう、シオピロスの旦那。ここは、あんたの出番さね」

    獅子人は無言で頷き、ゆっくりと剣を構えた。
    あまりにも巨大なそれが動くだけで、かなりの風を生む。
    俺は一瞬だけ、止まった剣先を見つめ、自分も刀の柄を握り直した。

    「……っ」

    シオピロスの口から、僅かに呼気が漏れる。
    大柄な体格が生み出す一歩は俺の五歩にも等しい。

    その巨剣が空を轟音と共に裂き、スライムの身体に叩きつけられた。
    同時に、キジュウが呪札を起動させ、剣を爆風で後押しする。

    「……力技にも、程があんだろ!」

    暴風とも言える巨鉄の一閃により、スライムの身体は大きく穿たれ、核がほとんど露出していた。
    俺はすぐにスライムの中に飛び込むようにして、ウパシトゥムチュプを叩きつける。

    すぐに再生しようとしていたスライムの表面を凍らせ、その速度を鈍らせた。

    「ユース兄!」

    「『全てを灰に帰す祖霊よ』!」

    俺の掛け声と同時に、ユースの手から轟炎が放たれ、むき出しとなった核を打ち抜いた。
    一瞬、スライムの身体に赤い魔力の波が走る。
    そして、それが拡散した後、スライムは全てただの白い液体となって床に大きな水たまりを作った。
    「……と、ここまでが、今回の事件の詳細です」

    俺は少し緊張気味に手元の資料と自分の記憶を交えて、話し終える。
    ちらりと視線を上げると、いつも以上に竜人の顔は仏頂面になっていた。
    もしや自分の話し方がまずかったかと俺が、そわそわと尻尾をはたかせていると、

    「……君のせいではない……うむ、私が別件でいない間、むしろよく働いてくれていると思うぞ……」

    どうやら呆れ果てて、表情を変えるのすら億劫になっていただけらしい。
    そんなガルガンの様子に俺はほっと内心で胸を撫で下ろす。

    「被害もなく、対応に当たった騎士にも協力した闘士にも怪我はなかった。不慮の事故で、この結果は幸いと言えるだろう」

    が、しかし、とガルガンは頭を抱えた。

    「国王も楽しんでおられたと聞いてはいるが……もしも何かあれば……ぐぬぬ」

    結局の所、ジークランドの最高権力、レオストルムから直々に、被害がないのだから強く怒らないように、と通達状が来ているのだから、ガルガンとしてもこれ以上は言えないのだろう。
    内心がどうかは置いておいて。

    「……はあ」

    特大の溜息をつく竜人の肩は、まだまだいつもの角度には戻りそうになかった。
    忠犬 Link Message Mute
    2018/08/24 3:15:34

    氷華と甘い菓子

    トラストルさん(https://twitter.com/Trustol)主催、ファンタズマコロッセウムの交流小説です。

    長かったのと、いっぱいお借りしました。

    ルガルさんヴィクトル騎士長レオストル国王(@Trustol)イェルドさん(@hua_moa0)幸光さんアイギスさん則宗さん(@Hagane_kemo)キジュウさん(@rojistecks)エヴァンさん(@Cait_Sith_king)ゴードフさん(@nobu01251)レンゲさん(@dai66ot)ガルガンさん(@hachidairyuo)カームさん(@K_gutless)アウルムさん(@Seitaro15014)レンカさん(@masiki_siro)吼音ブシさんイサリビさん(@Thuna_bushi)ジェフトさん(@owatana0)エラセドさん(@nacl_siog)洛陽さん(@toji_kun)ジッテさん(@Raihi_sw)マノマさんルードロップさん(@shintatokoro)シオンさん(@yaki_atsuage)ウルキドさん(@kamiya_shippo)クロアさん(@juki0102)クレセントさん(@magatsuhinokami)ハンクさん(@tontonwatoson)シオピロスさん(@bull_ca_ni_ro)お借りしてます。
    #ファンコロ #ファンタズマコロッセウム #ケモノ #獣人

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品