氷華の騎士熱く湿った吐息を漏らし、俺は手元のカップを一旦テーブルに戻す。
たっぷりのミルクを入れたコーヒーと真っ白な生クリームのケーキ。
ケーキの上には真っ赤で瑞々しいイチゴがきらりと光っていた。
「あーむ……んー、やっぱりここのケーキは最高の一言……厳選されたミルクを使ったクリームとふわっふわのスポンジ生地に旬のフルーツがシンプルながら王道のハーモニーを奏で……」
「いや、そういうのいいから……用件はなんなのさ?」
俺はぽりぽりと頬の毛を掻きながら、目の前で心底楽しそうにケーキを頬張る黒兎に呆れ混じりで呟く。
午前中、コロシアムでの試合を終え、日銭を稼いだ俺は街をぶらついていた。
そんな俺の元へ、突然現れたのがこのエヴァン・ポートだ。
仕事の合間の僅かな休憩時間で仮眠よりも糖分補給を優先してケーキを食べに来た、と言っていたがわざわざ俺を探して連れ立った理由をまだ聞いていなかった。
「えー、せっかくの美味しいケーキなんだから、味わいたいじゃない~」
「……まあ、美味しいけどさ」
「あはは、うそうそ。ヒョウカ君を探してたのは、ちょっと耳寄りな情報を聞いたから教えてあげようと思ってさ!」
えへんと大した厚みのない胸を張る兎を、俺は期待半分不安半分で見つめた。
その頼りない体格に反し、第二騎士団団長補佐という肩書を持つ彼が魔術師として高い技能を持つのは俺の目にも分かっているが、最近のエヴァンの噂はショタ化だの節操なしだのと悪い噂ばかりだった。
「あ、そんな目で見ないで、夜勤明けで辛いのにもっと悲しくなっちゃう」
俺はまたカップのコーヒーを飲み、口を挟むのを止めて続きを待った。
エヴァンはこほん、と咳払いを一つ挟み、
「実は、あと一か月ほど先だった騎士登用試験が臨時で開かれることになったのです!」
自慢げな顔で言い放つエヴァンを見ながら、俺はフォークをケーキに突き刺した。
そのまま一口大に分け、口へと運ぶ。
「……なんでまた急に? そういう内部情報って外に出していいものなの?」
「いや、まあ公式発表もされてるからね! 実は第六と第八の団長が退任されて新しい団長が就任することになったのだよー」
既に食べ切ったエヴァンは、何故か羨ましそうに俺の手元のケーキを見つめる。
その視線をフォークで牽制しながら、俺は疑問を口にした。
「新しい団長が来るのと、騎士の募集が臨時で行われるのは関係あんの?」
「うん、この国の騎士団は各団毎に主とした業務が違ってるんだけど……例えば
第二は緊急時の作戦指揮や統制、平時は解析業務なんかを担当してるんだけど……あ、このモンブラン追加で」
それでも未練たらしく見つめ続けたエヴァンは、我慢の限界を超えたのか新しいケーキを注文する。
「で、えっと、その団の方針っていうのは団長が決めることが出来て、新しい団長に変わった時に団の方針が変わることがあるんだ」
「へー」
最後の一欠片を口に放り込み、俺はクリームの甘さをコーヒーで流した。
なんで豆の香ばしい苦味はこんなに落ち着くのに、野菜からするあの生々しい苦味はあんなにまずいのか、とふと考えて内心で嘆息した。
「……ヒョウカ君って、ときどきすっごい大人びた顔するよね。かわいいのに」
「褒めてるのか馬鹿にしてるのかどっちなんだよ!」
「あはは、怒った顔は可愛い可愛い」
「……話しが逸れてるから、続きしゃべってよ」
「はいはい。えっと、それで、団の方針が変わるとなると、そこに所属してた人達とは合わなくなることもあるんだよね。あとは前任の団長を慕ってた人とかはそのまま辞めちゃうこともあるし……だから人員の再編成が行われて、新規募集も臨時で行われるんだよ」
俺のじと目をごまかすように笑ったエヴァンは、運ばれてきたモンブランに視線を移しながら、説明を続ける。
「今回第八は今までと方針が変わらないけど、第六は変わるらしいからねー。……ああ、栗の甘みが……さいこー!」
「ふうん……ま、理由は納得したけど、肝心の試験はいつなのさ?」
「明日だよー。申し込みは今日までだけどー」
「……なんでそういうことは先に言わねえの!?」
俺は呆れ半分焦り半分で叫んで椅子を蹴り飛ばすように立ち上がると、急いで店から飛び出した。
エヴァンから聞いた話では各騎士団の詰め所で受け付けはしているらしい。
ここからなら一番近いのは第二騎士団だった。
俺は猛烈な速度で石畳の通りを駆け抜け、俺は建物に飛び込んだ。
幸いにも受付の終了時間はまだ先の様で、入り口から入ってすぐの所に白熊と黒熊がその巨体を並べて座っていた。
俺は溜息一つで呼吸を整え、机に置かれたペンをとって用紙に必要事項を記入する。
申込者は俺以外に既になく、受付に座っていた白熊と黒熊は二人で対応してくれたが、どちらも真面目なのか実に丁寧な対応だった。
「……はいっす。記入漏れとかないっすね。これで申し込みは完了っす」
真面目そうな表情で書きこまれた内容を確認した白熊は、頷きながら割符を差し出す。
「これ、明日の試験の時必要なんで、なくさないように持ってきてくださいっす」
その他注意事項も説明され、俺は忘れないように記憶していった。
「明日は実技試験も行われるから、そのつもりの準備も忘れないでください」
「了解! あんがとな、熊の兄ちゃん達!」
俺は安心から、ほっと肩の力を抜いて笑みを浮かべた。
ぺこりと会釈をしてから意気揚々と騎士団の詰め所を後にした。
「レンゲさん……今の子、めっちゃいい子でしたね。あんな後輩が入ってくれたらいいっすね」
小さく白熊が零すと、隣の黒熊がちらりと目を隣に向けた。
「うん……まあ、真面目そうな子でしたけど。ただ……」
「ただ?」
「……エヴァンさんが、ちょっかいかけそうだなって」
「ああー……」
白熊は頭痛を抑えるように頭を抱えた。
魔力も魔術も一流で解析、作戦立案、広域伝達魔法による指揮も担当できる優秀な騎士の顔を思い出し、その裏の性格を思い描いて深くため息を吐いた。
二人の想像の中で、黒い兎は新人の少年に対し、言葉巧みに近寄っては過剰すぎるスキンシップを図ったり、果ては魔法の実験と称してあられのない姿にしたりとやりたい放題だった。
熊二人が互いにげんなりした顔で見合うと、深く嘆息する。
「失礼な!」
「って、うわ! エヴァンさん、いたんすか!?」
突然二人の背後に溶け出るように黒兎が姿を現す。
周囲に漂う魔法の残滓から、二人は隠蔽魔術でこっそり回り込んだことを察する。
「既に、もう手はつけてますよ! あの子はかなりかわいい、もとい優秀です! だから僕が推薦したんですし」
「……厄介事にはしないで下さいよ。また始末書を書かされますよ?」
「始末書なんてなんのその。ところでアイギス君はショタ化に興味ある? あるよね? なくてもいいよね?」
「何一つ良くないっす!! 自分に何するつもりっすか!?」
「ちぇー、ちょっとくらいいいじゃんかー。アイギス君のけちけち。身長縮めー」
「邪念増し増しの呪いかけないでください?! あと、セクハラっすよ!?」
わざとふてくされて見せながら、腹をつついたり撫でたりするエヴァンと焦って憤るアイギス。
その両方を、達観した様子で黒熊は眺めていた。
今日一番の盛大な溜息を吐きながら。