イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    血の夢と子守唄ごうごうと、耳元で風が渦巻いていた。
    例え耳を塞いでも、消えることのない音。

    目を閉じているはずなのに、目の前に広がる血の海。

    足元に転がる馬は、何が起きたのか全く分からないという呆けた顔で、光のない瞳で、俺を見つめていた。
    折り重なるように倒れたトカゲとピューマは焦げた臭いをさせながら、落ち窪んだ眼窩を俺に向けている。
    腕がなく、下半身と斜めに分断された犬は、恐怖と痛みで歪んだ顔。
    猪は苦しさの余り自分の喉を爪で抉って目が飛び出るほど見開いている。
    その次はイタチのはずだが、細切れになった彼は、ナイフにへばりついた右手首しか残っていない。

    「……いつものか」

    風の音しかしない空間で、俺の声が響く。
    あまりにも感情のない声に、自分で驚き、喉に手を当てようとして、その白銀の手が血で赤く染め上がっていることに気付いた。
    俺の顔が、歪む。

    この止まない風は、俺の感情そのものだ。

    怒り、悲しみ、憤り、怖れ……

    いくつもの感情が暴れまわって、俺は感情を表現するのを止めていた。
    これほどの激情を覚えたのは、いつ以来か。
    一族を離れるきっかけになった、あの時ですら、俺は死ななければいいか程度の感情で動いていた筈だ。

    なのに、今は自分をうまく制御できない。

    これではまるで、

    「ばけもの」

    ぴしり、と何かに亀裂が入った気がした。
    目線を上げれば積み重なった死体の上で、隻眼の狼が首だけを死体の頂点に乗せて、俺に向かって呟いた。
    また、俺の周りの風が強くなる。

    人を人とも思わずに殺し、人ならざる者へと変化する。
    普通ではありえない肉体、精神。

    俺は必死で耳を塞ごうとして、うずくまった。



    幼い頃、皆と違うと自覚したのはいつだったか。

    同年代の子供の誰よりも早く【精霊の耳】の力の制御を覚え、年長者からさらに『変化』を教わるのも早かった。
    精霊魔法を誰よりもうまく使え、多くの精霊と契約を交わし、芸を仕込まれた。

    初めてまぐわいを覚えたのは10の時。
    一族でも最も夜伽に長けた男女二人に徹底的に性技を仕込まれ、【精霊の耳】と共に記憶させられた俺は、すぐに客に買われた。

    同じ様に同世代の子供もいたのだが、彼らは成人するまでそういった仕事はしなかった。
    理由は、一つ。
    俺が子を為せぬからだ。
    どれほど女性に種を注いでもそれは芽吹くことはなく、どんな呪法を用いて男から種を植えられても、俺の肉体は生命を宿し、育むことが出来ない身体だった。
    子を為せぬ体質ならばと多くの女性客から求められ、そして多くの男性客からは無能と嘲(あざけ)られた。

    幼馴染達が、婚姻を結び、子を生み、幸せそうな顔を見せているのを、俺は傍で見ているしかなかった。
    初めての出産に立ちあった時、俺の中で何かが決定的に変わった。

    弱々しい赤子を手に取り上げ、ほんの一瞬だけ抱いた時、宝石のような生命の光を感じた。
    同時に、俺にはこの感情を抱くことが出来ないことに、胸が張り裂けそうになった。

    「ばけもの」

    混血姿の一族を、そう言ってはばからない辺境の民は少なくない。
    それを聞く度に、皆はいつもの事だと笑って次の土地を目指したが、俺の【耳】にはこびりついて離れない響きだった。

    目の前の死体の口から洩れる声と、【精霊の耳】に残る声が重なり、俺は牙を噛み締め、何とかいつもの感情を取り戻そうと努力した。
    けれど、一向に声は静まらず、風は吹き荒れ、俺は嗚咽を零す。

    「ユース」

    名を呼ばれ、はっと顔を上げればイェルドが立っていた。
    思わず手を伸ばそうとして、自分の血まみれの手が視界に入る。
    俺はぎょっとして、手を引っ込め、恐る恐るもう一度イェルドを見上げた。

    「うっ……」

    俺の喉が痙攣し、全身が硬直する。
    もう一度見たイェルドの身体は血まみれで、顔は痛々しく腫れ上がり、口から血が垂れていた。

    「俺はよう、魔法が大っ嫌いなんだよ」

    言葉が、鋭く俺の心を刺し貫いた。
    心臓が早鐘を打ち、鼓動が煩い。

    あの時、俺はイェルドの前で、何をした。
    拷問され、嬲られ、消耗したイェルドの前で、俺は、

    「う、あ……」

    明滅する紫色の光が、何度もフラッシュバックする。
    鼻には焦げ付いた肉の匂いが充満し、いつのまにか、イェルドの足元にはトカゲとピューマの死体が転がっていた。

    俺が、魔法で、殺した。

    イェルドの口が音もなく動いた。
    血を零す喉から、声は出ていなかったが、その唇の動きを読んだ。

    ばけもの。

    俺は、身体をくの字に折って、胃の中身をぶちまけた。
    何も入っていないはずの胃は痙攣するだけだったが、大量の血が吐き出された。
    膝をつき、血の海に手をついて、俺は喘いだ。

    「あ……あぁ……」

    イェルドが遠退いて行く。
    暗い色の瞳で、俺を見下ろしながら。

    その時、俺の尻尾が引っ張られた。
    弱々しく俺の尻尾を抱き締める感触に、振り返ると、そこにはラルゴがいた。
    血で染まった俺の尻尾を掻き抱き、震えるラルゴ。

    俺は、もはやラルゴが血まみれになるのも構わず、抱き締めようと手を伸ばし、それは空を切った。
    ラルゴを探し、振り返ると、

    「お、にい、ちゃ……」

    宙釣りになったラルゴの口から、赤い液体がこぼれ落ちた。
    俺は、それが何なのか、分からなかった。

    違う、と無意識に呟き、否定するように首を横に振った。

    ぼとり、とラルゴの右腕が落ちる。
    俺は、それを反射的に目で追った。

    あんなに小さい手で、あんなに温かく俺に抱きついていたラルゴの手。
    必死にリュートの弦をはじいていたラルゴの手。
    父親の形見を大事に握っていた手。

    それが、冷たい血の海に、沈んだ。

    耳に響く暴風が、絶叫に変わる。

    あんなに必死で俺を呼んでいたラルゴの首に、大きな赤い、血に濡れた手が絡みついて締め付けていた。
    その手の主を見て、俺は殺意を向ける。

    「お前のせいだろ?」

    無表情な『俺』が、うずくまった俺を見下ろしていた。
    ごきりと、嫌な音が響いた。

    立ったままの『俺』は、ラルゴをまるで人形のように放り捨てる。
    思わず手を伸ばそうとして、俺は腹部に熱を感じた。

    「……『俺』を呼んだんだ。代価を貰わねえとなあ」

    歪んだ口元で、血のように赤い舌が動く。
    俺は自分の腹を見て、目の前の『俺』の手が突き刺さっていることに気付いた。
    どろりと、口から血が溢れ出た。

    「どこを貰おうかねえ……正直、肉の味なんてどこも同じだと思ってたが、食べ比べてみると案外違うもんだって最近気付いてよ」

    ぐるり、と内臓がかき混ぜられ、俺は呻く。
    全身に力が入らず、俺はぼやけた視界で、目の前の『俺』を捉えた。

    「おいおい、どうした。久しぶりに会ったんだ。もっと喜べよ『兄弟』?」

    俺は口から大量の血を吐き出しながら、震える手を伸ばす。

    「いやー、久しぶりに呼んでくれて楽しかったわー。でも雑魚だったし、次は古龍とかそのぐらいのもんとやり合いてえなあ」

    俺の手を、にやりと笑った『俺』が握りしめた。

    「この世でただ一人、俺の似姿を映す者」

    べろりと、俺の口が舐められた。
    まるで、御馳走を目の前にしたような狼だった。

    「化け物の『兄弟』は、化け物に決まってんだろ?」

    俺の目の前が、真っ赤な口腔内の粘膜でいっぱいになった。
    「……う……あ……」

    目を開いたとき、俺の目の前は満点の星空と、俺を覗きこむゴードフの顔だった。
    ぱきりと薪が爆ぜる音が聞こえ、俺は顔を横に向ける。
    俺が風でなぎ倒したせいで森の中にぽっかり出来た広場で、ゴードフが火を焚いて、俺は寝かされていた。

    背中から外された大剣は、利き手側に置かれ、すぐに手に取れる位置に置かれている。

    ……身体が、少し楽だ

    大量の血を失い、仮死状態になっているはずの俺の肉体が、ほとんどいつも通りの調子に戻っていることに気付く。
    いつもなら生体組織が精霊の物に置き換わるまでしばらく激痛と不調に悩まされるのだが。
    どうやら、ゴードフが治癒薬を使ってくれたらしい。
    ゴードフに目を合わせれば、いつもの俺に向けていたしかめっ面が、少しだけ柔和な表情を覗かせた。

    「……ようやく……目ぇ、覚めたみてえだな」

    俺は一度目を閉じて、首を横に振った。
    ゴードフの太い太ももが枕のせいで、凝り固まった首と肩が鈍痛を訴え、動かせば血がじんわりと通って行くのが分かった。

    「おっさんが膝枕とか、夢なんじゃねえかと思った」

    「今すぐ地面に落してやってもいいぞ」

    「あはは、最高の寝心地だからそいつは勘弁」

    うまく、笑えただろうか、と自分でも疑問に思いながら、俺はいつも通りの調子でしゃべろうと努力した。
    けれど、なんだ頬がひきつるみたいに、うまくいかない。

    「……何時間、経った?」

    「まだ、3時間も経ってねえくれぇだ」

    ゴードフは空を見上げ、星の位置で概算する。
    俺も同じ空を見上げ、同じ感覚なので、間違いはないのだろう。

    「……おっさんに殺されてるもんだと思ってたぜ」

    結構本気の殺気だったと思ったのだが、途中から血が足りなくて意識がもうろうとしていて記憶も曖昧だった。
    そこでいつも通り、【精霊の耳】から音の記憶だけを引きだす。
    例え俺が眠っていても気絶していても、魔力を封じられていたとしても、この【精霊の耳】さえ開いていれば、音は記憶されている。
    そして、自分自身のもはや羞恥を覚えるレベルの独白を思い出し、俺は左腕を顔に乗せてゴードフから顔を隠した。

    「……なんだよ」

    「なんでもねえよ。若者はセンチメンタルなんだ」

    「……ほう」

    ぐいと腕を掴まれ、無理やり顔を覗かれる。
    俺は抵抗する気力もなく、されるがまま、瞳の奥まで覗かれた。

    「……おっさん、顔ちけえよ」

    鼻先数センチまで迫った黒虎の顔。
    吐息すら交換できそうな距離に、俺は少し緊張する。

    俺はそこで、ようやくゴードフの顔がいつもと違うことに気付いた。
    夜という状況に加え、黒い毛皮のゴードフの顔はここまで近づかなければ変装していることに気付けなかったのだ。
    そもそも、個人を声と鼓動と呼吸音で識別している俺には、あまり変装は関係なかった。

    「……ちょっと顔に肉がついたか?」

    ゴードフが俺の頬を引っ張りぐいぐいと伸ばす。
    いてえいてえ、と俺は降参して放してもらう。

    「お前ぇ、俺にさっき言ってたこと覚えてるか」

    「……あー……恥ずかしいから覚えてないことにしてもいいか?」

    「かちわるぞ」

    宣言と同時に俺の頭にゴードフの手が当たる。
    握りしめられると割れる気がして、俺は、

    「はい、覚えてます」

    すぐさま訂正を入れた。
    ゴードフの手が離れていき、俺はほんの少しだけ、大きい息を吐いた。

    「……まあ、恥ずかしいのは俺も同じと言うかだな……大人げなかったというかだな……」

    なぜかバツの悪そうな顔でゴードフは頭をがしがしと掻き毟る。

    「……すまなかった」

    俺はきょとんと予想外の言葉に固まる。
    ゴードフの表情は真剣そのもので、俺を見つめる目は誠実そのものだった。
    いつもどこか真意を伏せ、何か心の底に秘めているような男が、俺の前に心をさらけ出しているのが、直感で分かった。

    「い、や……ゴードフが謝る必要はない、と思うんだが……?」

    俺は記憶の混乱もありつつ、しどろもどろに答えるがきっとこれはゴードフの求める答えではないことは察せられる。
    かといって、俺はどう答えたらいいのか、皆目見当もつかなかった。

    「俺は……お前のことを勘違いしていた」

    ゴードフの言葉を受け、俺は静かに続きを待つことにした。
    俺の聞く態度に、ゴードフは一度咳払いをする。

    「……お前ぇに嫉妬してたんだ」

    「……はい?」

    遮るつもりはなかったが、思わず素っ頓狂な返事が出る。

    この、伝説の冒険者であるゴードフが、俺みたいな木端者に嫉妬?
    俺が疑問符を浮かべ、何度も瞬きをしている間も、ゴードフはぽつりぽつりと語り始める。

    「親もいねえ、兄弟もいねえ……名前すら、なかった。生まれて持ってたのは、この身体だけだ」

    そんなゴードフの言葉に対して、俺が言い放った言葉を思い出し、後悔を覚えた。
    あんな状況とは言え、俺はゴードフの最も繊細な部分を土足で踏み荒らしていたことに気付く。

    今すぐ謝るべきか、それともゴードフの話が終わってからの方がいいのか。
    俺が勝手に百面相していると、ゴードフががしがしと俺の頭を撫で始める。

    俺は慌てて制止をかけるが、止まる気配はない。
    払いのけたかったが、なんとも気まずくて、仕方なく俺はそのまま撫でられ続ける。
    なんとか自制をかけたかったが、どうしても尻尾と耳だけはぱたぱたと嬉しそうに動き回ってしまう。

    気恥ずかしさと気持ちよさに、俺は目を閉じてゴードフの言葉だけに耳を傾けた。

    「なんの才能もなかった俺が、血のにじむ努力でやっと一人前だと思った時には、こんな歳でな」

    「……才能がないわけじゃ、ないだろ?」

    流石にゴードフの実力でそれは言いすぎだと、俺は思わないでもない。
    しかし、ゴードフは首を横に振った。

    「お前みたいな祝福も才能も、俺にはねぇ。……少なくとも、お前くらいの歳じゃ、俺はそこらにいる冒険者と変わらねえ……ただの運の良いだけの男だった」

    祝福、と言われ、俺は自分が生まれた時の事を思い出す。
    【精霊の耳】の記録は、引きだしたり制御するために時間がかかるが、記録自体は生まれてからずっと行われている。

    母の安堵、父の歓声、兄の興味深そうな声、姉のはしゃぐ声。
    そして、族長の祝福の唄。

    俺は、きっと望まれて生まれてきた、と実感できる。
    けれど、この感覚を、ゴードフは持っていないのだろう。

    今の俺が、この身体のことを呪いのように思っていたとしても、ゴードフには思える物がなにもない。
    その気持ちを、俺は察することが出来ず、あんなことを言ってしまった。
    申し訳なさと、いかに自分がゴードフに酷なことをしたのかを思い知らされて、俺は耳を倒し、尻尾から力を抜いた。

    「だから、俺はお前ぇに嫉妬してた。で、お前くらい恵まれてる奴が、なんであの熊を守れなかったのか、理解できてなかった」

    俺は、イェルドの事を思い出し、心臓を針金でがんじがらめにされるような錯覚を覚えた。
    鼓動の度に、胸が痛む。

    「俺以上に才能もあるやつが、なんてヘマしてやがるんだって、思った。そんで、てめえの甘さを、なんでこいつらにぶつけてやがるんだってな」

    俺の耳と尻尾の動きを察したのか、ゴードフの手は優しく俺の頭を梳く。

    「考えてみりゃ、当たり前だよなぁ……お前ぇ、今までこんなでけぇことに巻き込まれたこと、ねえだろ」

    「……おう」

    「それで後手に後手を重ねた結果、この様ってことか」

    ゴードフの推測は、ほとんど真実を射ている。
    俺はいままで、旅をしてきて、自分と他人の間に線引きしていた。
    多少ごたごたに巻き込まれることはあっても、逃げてしまえば済む程度の事ばかりだった。

    しかし、一族から離れ、一人になった俺は、きっとどこか心の奥でさみしさを覚えていたのだろう。
    だから、目についた人を全力で助けたりして、それで笑顔を向けられるのが、堪らなく嬉しかった。

    いくら俺が剣を折っても不機嫌そうに結局は許してくれるイェルドと、俺の背を父のように追いかけてくるラルゴは、その中でも大きな存在になっていた。

    浮かれた俺は、それがなくなる可能性を失念していた。
    いや、考えないようにしていた。
    俺は、イェルドの優しさとラルゴの尊敬に、甘え切っていた。

    最悪に近い形で大切な物を失いかけて、ようやくそれを思い出し、俺は焦っていたんだろう。
    手加減もできず、感情の制御もままならず、精霊の本能……無邪気な子供の残酷さのまま、力を解放してしまった。

    ゴードフの言うとおり、その結果がこの様だ。

    「あー、いや、責めてるわけじゃねえ。もう終わっちまった事にぐだぐだ言うのは性に合わねえからな……」

    苦笑するゴードフに、俺は首を横に振った。
    過去は変えられないが、それでも全くを忘れていいわけじゃない。

    「……俺が、もっと……何かできてたら良かったんだな」

    もともと、旅人という性質上、大切なものは持たない主義だ。
    そもそも俺は、自分が誰かを大切に思えるようになるとは思っていなかった。

    化け物である俺が、獣人との関係に執着するのはあまりにも滑稽なことだと、自分で言い聞かせて今までは過ごして来ていた。
    それなのに、ここに定住してからというものの、大切な物が……大切な友人が、増えすぎてしまった。
    何かを切り捨てるのは得意な俺だが、何かを守るのはとことんへたくそだった。
    嫌われないよう、いや、嫌われてもいいように、適度な距離を保ち、おどけて誤魔化しているつもりだった。

    今思い返せば、それこそ滑稽な事をしていたと思う。
    あれだけ依存しておいて、天邪鬼のように距離を置こうとするのは、あまりにも子供の所業だ。

    自ら距離を置いておいて、本当は近づきたいなんて、どれほど愚かな化け物なのだろう。

    「あー……恥ずかしさで、死にてぇ……」

    俺はまたぐちゃぐちゃになった感情の整理がつかずに、投げやりに呟いた。
    それを聞いて、ゴードフが拳を俺の頭に当てる。
    痛みはないが、衝撃だけが俺の視界を少し揺らした。

    「勝手に終わらせんな。お前ぇ、まだやることあるんじゃねえのか」

    ふと、ラルゴの顔が思い浮かんだ。
    必ず戻ってくると約束していた。

    「あー、わりいおっさん。俺、野暮用を思い出したわ……」

    俺は、すっかり軽くなった身を起こし、風を纏う。
    風が背中を押し、俺は僅かな力だけで身体のバランスを取る。

    黒い毛は再び白銀へと変わり、俺は背中の白と黒の翼をそれぞれ広げた。
    地面に寝転がっていたせいで固まっていた関節を伸ばし、四肢と尻尾、翼の先端まで血を送る。

    『変化』を見てゴードフは眉をひそめたが、俺の顔を確認して盛大な溜息をついた。

    「それ、また寿命を縮めてるんじゃねえだろうなあ?」

    「あー、平気平気。さっきみたいに無制限に『祖霊』の力を引き出してねえから」

    とはいえ、この状態でも自在に風を操れる。
    今思えば、本当にあれはやりすぎだったと俺は自省した。

    のんびりと空に浮かびながら身体をほぐす俺を見て、ゴードフが口を曲げる。

    「あのなあ、俺はお前を騎士団へ連れてかなきゃいけねえんだぞ」

    「……あー、そういやそうだったなあ」

    すっかり一人でジークリアに戻ろうと思っていた俺は、ゴードフがここにいる本来の目的を思い出した。
    それなら、と俺は指をぱちりと弾く。

    「……!」

    ゴードフの身体が風に包まれ、優に2メートルはある巨体が宙に浮く。
    ついでに焚火も風で散らし、俺はゆっくりと、それでいて確実に馬車とは比べ物にならない速度で飛翔した。
    「あ、やべえ、めっちゃ緊張してきた」

    俺はグレインの楽器店に戻ると、急にそわそわと落ちつきを失う。
    なかなか足を踏み出せない俺を見て、ゴードフが呆れたように溜息を吐いた。

    「……ほんと、お前ぇは俺の予想以上にガキだったんだな……」

    「勝手に失望するのは、悲しいからやめろ! もとい、やめてください」

    思わずツッコミ、丁寧に言いなおす。
    ゴードフはやれやれと首を振りながら、俺の背中を無理やり押す。
    ぎやーと俺は適当な悲鳴を上げながら、とくに抵抗せず、グレインの店の戸をくぐった。

    部屋に入った瞬間、俺の腰に衝撃が走る。
    俺は翼を畳み、その小さな狼の肩に、手を置こうとして一瞬躊躇った。
    まごつく俺を、後ろからゴードフに押す。
    俺は反射的にラルゴを抱き上げて、押し倒さないようにした。

    「ちょっ……おっさん!?」

    「さっさと入れよ、俺が通れねえだろうが」

    「お、おい、押すな!」

    ぐいぐいと押されるまま、俺はラルゴを抱き上げた状態でゴードフに文句を言う。

    「……あー……」

    ぎゅっとラルゴは俺の胸に顔を埋め、尻尾を振り続ける。
    俺はもう開き直って、そっと右手をラルゴの頭に乗せようとして、やはり、ぴたりと止めてしまう。
    それを見たゴードフは、我慢の限界なのか俺の頭をはたいた。

    「でっ!?」

    勢いよく俺はラルゴの顔に自分の顔を突っ込んでしまう。
    激突は避けられたが、鼻先同士が軽く掠めた。

    「んの……ゴードフっ!」

    「童貞じゃあるめえし、さっさと抱いてやれよ」

    「デリカシーねえのか、おっさん!?」

    ラルゴは鼻先を抑えて固まり、俺の腕の中で俯いてしまう。
    どうにでもなれと俺も思いながら、ラルゴの頭を撫でた。
    指先に伝わる柔らかい毛の感触に、俺は自分の感情が落ちついていくのが自覚できた。

    「おかえりなさい」

    ラルゴは精一杯の笑顔で、俺を見上げる。
    まだ、心のどこかで、俺なんかがという気持ちはある。
    けれど、今この瞬間は、この笑顔は俺のものだ。

    「ただいま、ラルゴ」

    すこし強くラルゴを抱き締め、俺は頬をラルゴの横顔に擦りつけた。
    温かいラルゴの体温が、ゆっくりと俺を解かしていく。
    ラルゴもぎゅっと俺の首に手を回し、尻尾を大きく振りながら何度か俺の首に鼻を埋めた後、かくりとスイッチが切れたように眠ってしまった。

    「……お前さんを待って、ずっと気張っとったからのう」

    グレインがそっと俺の姿に目を細めながら、手を伸ばす。
    つるりとした質感の龍の翼の被膜を触り、ほう、と溜息をついた。

    「……おまえさん、『祖霊の守人』の一族じゃったんじゃな」

    聞こえてきた言葉に、俺は尻尾を伸ばし、緊張する。

    「爺さん、知って、たのか……」

    「儂も龍の端くれ、それなりに長生きじゃからのう。ジークリアには旅人も多いし、噂くらいは知っとるさ」

    本当に実在しているとは思ってなかったがの、とグレインは俺をラルゴとまとめて抱き締める。

    「……詳しいことは、知らんがの。それでも、お前さんが無事に帰ってきてくれて、儂も嬉しいんじゃよ」

    じわり、と俺の眼の奥が熱くなった。
    ぐっと俺は喉を鳴らし、少しだけ、グレインの肩に頭を預けた。
    けれどその体温をしっかり味わう前に、もう一人、合わなければいけない人物がいる。

    「……爺さん、ラルゴをベットまで頼むよ。俺、まだ野暮用が残ってるからさ」

    「……そうじゃな」

    腕の子狼をグレインに渡し、そっとその額に口づけた。
    小さな子狼の寝顔を見た俺は、一度深呼吸をして、覚悟を決めた。
    くしゃりと俺の頭を後ろからゴードフの手が乗る。
    俺はちらりとゴードフの顔を見れば、ふいと顔を逸らされた。
    どうやら表情を見られたくないらしい。

    「……ほれ、行って来いよ。俺は騎士団に報告に行って来る」

    「……さんきゅな」

    照れてはにかむ俺を横目で見て、ゴードフは鼻の頭を掻いていた。



    階段を上がり切り、俺は耳を澄ませる。
    【耳】は今は意識して封印している。
    時刻は深夜で家の外から聞こえる音はほとんどない。
    階下でグレインとゴードフが何か喋っていたが、それももう聞こえない。

    どくりと、自分の鼓動だけが大きく聞こえた。

    「……はー……」

    つい数秒前に決めた覚悟が、恐怖で揺らぎ始める。
    『祖霊』が見せた悪趣味な夢を思い出し、俺は眉をしかめる。

    イェルドが眠っているはずの部屋の前まできて、俺はゆっくりとドアノブに手を伸ばす。
    しかし、それは空を切り、ガチャリと俺の心が決まらぬままに扉が開いてしまった。

    「あ……」

    大きなローブに身を包んだ熊人が俺を見返して、驚いた顔をしている。
    身につけた徽章が、彼も騎士団の一員であることを示していた。

    「えっと……あなたは、ユースさんですか?」

    「お、おう……」

    長い髪を後ろで纏め、柔和な微笑みを浮かべる彼は、俺の名を知っていた。
    そして、扉を開いたせいでイェルドの大きな鼾が、俺の耳にも届いた。

    「僕は第四騎士団所属の治癒術師です。クレセント=スノウフレア……みんなからはクレスと呼ばれていますので、ユースさんもそう呼んでください」

    第四騎士団は治療と後方支援が専門の騎士団だったはず。
    エヴァンが状況を読んだのか、誰かの指示か、治癒専門の術師をここに送ってくれたようだ。

    「イェルドは無事……だよな?」

    俺も拙いとは言え、治癒術を多少でも使える。
    さっきは応急処置で命に別条はないと思って、飛び出してしまったが、今思えば正しい判断だった自信がない。
    おずおずと俺が聞けば、クレスは大きく胸を張った。

    「もちろんです。応急処置もされていましたし、僕の魔法でしっかりと治療させてもらいましたよ……本人は、魔法はいやだと拒否されていましたが……」

    容易に想像できる姿に、俺とクレスは苦笑する。
    しかし、クレスは表情を引き締めると、人差し指を一本立てた。

    「ですが、僕の魔法は強力な治癒の力を持つ代わりに、記憶の消失を伴います」

    「……なに?」

    一瞬、俺はイェルドが全ての記憶を失ってしまう想像をして、無意識のうちに周囲の空気を風でざわめかせてしまった。

    「あ、ちょ、落ちついてください! もちろん重度の記憶障害などは起きません! 傷を受ける前の状態……今回ですと、拷問される前の状態に戻るだけです」

    「わ、わりぃ……けど、もったいぶって言うもんだからよう」

    俺は大きく嘆息しながらクレスを見るが、クレスもちょっと深刻になりすぎでした、と頭を掻いていた。

    「じゃあ、イェルドは今回の事は全部忘れてるってことか」

    「……ええ、ほとんどは、そうだと思います。けれど、僕の術の忘却は副作用であって、意図した作用ではないので、どの程度の記憶の消去になるかは覚醒してからでないと分からないですね……」

    「……そっか、ありがとうな」

    俺は深く頭を下げて、礼をいうと、クレスは慌てて手をばたつかせた。

    「と、当然のことですから。あとは目が覚めるまで十分な休息するだけで大丈夫だと思います」

    それじゃあ、とクレスは長い髪を揺らして部屋から退出する。
    俺はそれを見送って、扉を閉めた。

    ゆっくりと振り返ると、明かりに照らされたベッドの上で、大柄な熊が包帯でぐるぐるのまま大きな口を開けて、鼾を掻いていた。
    俺は照明を消し、そっとベッドの傍の椅子に腰かける。
    先程まではクレスが座っていたのだろう、ほんの少しぬくもりが残っているのが分かった。
    俺は、音もなく風を操って、カーテンを開ける。
    この窓から出た時は中天にあった月が、右側半分が欠けたまま大分傾いているのが見えた。

    月と星明かりが真っ暗になった部屋に差し込み、窓際のベットの上に降り注ぐ。

    先程と変わらず、大きな腹を上下させながら、イェルドは大口を開けていた。
    俺は口の中を覗き、欠けていた牙が治っているのに気付き、本当に元通りになったんだなとほっと胸をなでおろした。
    俺は、ほんの少しだけ悩んだあと、そっとイェルドの頬に唇をかすめるように当てた。
    こそばゆいのか、イェルドは一度だけ寝返りを打った。

    「……ん?」

    ベッド脇のサイドテーブルに紙片とペンが置かれているのに気付く。
    俺は何気なく持ち上げて見て、それを読もうとして、

    「……よ、読めねえ……」

    どうもイェルドが治療前に書いたらしい。
    が、負傷したイェルドが痛みに耐えながら描いたせいか、線ががたがたで、ただでさえ文字の読解が苦手な俺は、目が回りそうだった。

    「えー……と……」

    それでもなんとか目を皿のようにして、判読を試みる。

    「ぶ……と……す?」

    一文字ずつゆっくりと読み進める。
    つっかえつっかえ、読むが結局俺に分かったのは、『ぶっとばす』という物騒な単語だけだった。

    「……あー……このままだと俺、ぼこぼこにされるなあ」

    俺は起きた時のイェルドの反応を予想して、少し苦笑した。
    間違いなく、ぶっ飛ばす対象は俺だろう。
    そして、ぶっ飛ばしてくれるということは、俺と顔を合わせる意思があると言うことだ。

    ……なら、俺は今夜、ここにいても良いってことだよな?

    大きな腹で持ち上げられたシーツからはみ出た手を、俺はそっと握った。
    いつも通り、ごつごつと肉刺まめで硬くなったイェルドの掌を感じながら、俺は手の甲に額を当てた。

    どうか、無事に目を覚ましますようにと、ただ祈った。
    小さく子守唄を呟きながら、歌声に安眠の願いを込めて。
    忠犬 Link Message Mute
    2018/08/11 8:52:19

    血の夢と子守唄

    トラストルさん(https://twitter.com/Trustol)主催、ファンタズマコロッセウムの交流小説です。

    夢っていいよね。

    イェルドさん(https://twitter.com/hua_moa0
    ゴードフさん(https://twitter.com/nobu01251
    クレスさん(https://twitter.com/magatsuhinokami)お借りしてます。

    https://galleria.emotionflow.com/57962/457994.htmlの続き
    #ファンタズマコロッセウム #ファンコロ #ケモノ #獣人

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品