花の香りとコーヒーと歩く度に俺の黒い尻尾と白銀の髪が揺れる。
今日も今日とて暇を持て余した俺は、街を自由に散策していた。
「今日はどこにいくかなー」
なんの予定も考えず、気の赴くまま俺は歩を進める。
適当に人の多そうな所で、背負ったリュートで引き語りをしても良いし、露天を冷やかし混じりに覗いても良い。
グレインの楽器店によってラルゴと遊ぶのも楽しいだろうし、陰気なイェルドの顔を拝みに行って怒鳴られるのも、ありかもしれない。
……そういやいまだにイェルドが雇ってるっていう店員に会ったことねえな
夕方にでも顔を出してみるかな、と俺は一応の予定として考えておく。
ひょいひょいと人混みの間をすり抜けるように歩きながら、俺はコロシアムから少し離れ、王城やら貴族街、それに騎士団本部に近い所までくる。
コロシアム周囲が荒くれ者や庶民的とすれば、この辺りは中流階級以上の市民向け、と言ったところか。
あのあたりの雑多さや喧騒さに比べれば、落ち着いた雰囲気が流れていた。
不揃いな石畳ではなく、きちんと整えられた白亜の石畳は昼の陽光に輝き、御者に操られた馬車が広い通りの真ん中を行きかっている。
「さて、なんとなくここまで来たが……」
周りを見て、自分の格好が随分浮いていると自覚する。
腰の直刀に、更にナイフを二本も下げ、リュートを背負ったいかにも旅の芸人でございという風体の俺に対し、周りを歩く獣人達はみな上品な洋服に身を包んでいた。
武器なんて何一つ身につけていなくても堂々と歩けるほど、このあたりの治安は良いのだろう。
騎士団のお膝元もお膝元、時折甲冑姿の騎士たちが散見された。
治安維持を通常業務とする第一騎士団や首都内での犯罪取り締まりを請け負う第七騎士団の面々だろう。
ふと渋面を浮かべる団長の黒豹の顔を思い出し、俺はうへえと溜息をつく。
話は意外と分かる人物ではあるのだが、根っこから真面目な彼を俺は少し苦手としてた。
……冗談、通じなさそうだもんな
俺は再び適当に歩き出し、そんなことを思う。
少し進めば華やかな店が連なり、様々な食べ物の香りが俺の鼻をついた。
どうやらこの辺りは食事処が軒を連ねているらしい。
もうすぐ昼時という時間もあって、多くの人で賑わっていた。
「そーいや、腹がすいたな」
俺は匂いに釣られて、通りをあっちへふらり、こっちへふらりと歩いて行く。
そこでなにやら大きな行列が出来ている店を見つける。
通りの端にあり、歓楽街との境目に立つ大きな酒場だった。
夜は大人の社交場となりそうなそこは、今の時間は若い女性や妙齢のマダム達の憩いの場となっているようで、
姦しい声が響いていた。
「良さそうだけど、並ぶのはな……」
俺は他の店を探そうと、くるりと振りかえって元来た道を戻ろうとする。
「……ん?」
その時、視界の端に小さな細い小道を見つける。
俺はなんとなくそこに歩み寄って、少し顔を覗かせた。
小道は隣の通りまでの抜け道のようになっており、道幅も狭く馬車がすれ違えないくらいだった。
両側の建物に光が遮られ、人通りもない。
薄暗いそこには独特の雰囲気が漂っていた。
俺は、その小道の入り口からほど近くに立て看板が立っていることに気付く。
興味を持った俺は、小道へと足を踏み入れ、その店の前に来る。
『喫茶エディブルフラワー』と看板の掛けられた扉は開いているが、昼時というのに客の気配はない。
「覗いてみっか」
俺はいつも通り、能天気にひょいと顔を店に突っ込んだ。
客席はがらんどうであったが床も壁も、掃除が行き届いていてとても綺麗だ。
頭上では、シーリングライトファンが回転している。
天上のライトはすこし薄暗いが、壁の要所に小さな照明がつけられ、木目が残る床や壁を照らし、落ちついた雰囲気を出していた。
その上、テーブルの上には小さな花瓶が置かれ、テーブルごとに違う種類の花が活けられている。
ふんわりと花の香りが漂い、いい気分を誘った。
「すんませーん。誰かいませんかー」
声をかけると、直ぐに奥の厨房らしき所から、花柄のエプロンをした猫の老婆が現れる。
小さな丸眼鏡が、温和な表情をさらに丸くしていた。
「おやおや、すみませんねえ」
のんびりとした声でやってきた老猫は、俺を席まで案内してくれた。
俺はカウンターでもいいと言ったのだが、一番奥のソファー席に座らされる。
俺は装備を脇に置いて、年代物だがふっかりとクッションの効いたダークレッドのソファに腰掛けた。
すべすべとした手触りが、高級感を出していて、手入れもしっかりされているのが分かった。
「ゆっくりしていってねえ」
柔和な笑みと共に老猫は、手製のメニューを手渡して、そう言った。
俺は手元のメニューに目を落とし、とりあえずオリジナルコーヒーを頼み、用意してくれている間にじっくりと見ることにした。
「……ああ、エディブルフラワーって、食用花のことだっけ」
ふとメニューの写真に写っている料理のそばに添えられた花を見て、俺はそんな知識を思い出す。
様々な種類のコーヒーに、花を使った多様な紅茶。
食べ物は、軽食から腹に堪りそうなガッツりとしたメニューまで多く載っていた。
「はい、お待ちどうさま。オリジナルコーヒーです」
「ああ、どうも」
店の名前に合ったかわいらしい花のワンポイントが入ったカップとソーサーをお盆に載せ、老猫はにこっりと笑いながら俺の前へと静かに置いてくれた。
ふわりと立ちのぼる焙煎された豆の香りと、傍に添えられた蜂蜜の香り。
「砂糖が良ければお持ちしますよ」
俺は首を横に振り、やんわりと断る。
透き通った黄金色の蜜を少しティースプーンですくい、真っ黒なコーヒーの中へと垂らす。
スプーンを持ち上げた時に、蜜の中に覚えのある花の香りが俺の鼻をくすぐった。
「……この蜂蜜……桜……?」
「あら、お客さん。サクラを知ってるのねえ」
「ああ、東の出身でね」
聞けば、サクラの花の蜜だけをミツバチに集めさせた蜂蜜らしい。
随分と高級なものをと思うが、知り合いから市場よりも安く卸して貰っていると老猫は答えた。
俺は添えられたミルクは置いておき、カップを持ち上げて口に添える。
「……うまい」
口を通り鼻に抜ける豆の香りと苦み。
酸味がほとんど感じられず、代わりに純粋な豆の旨さがしっかりと感じられ、俺は目を見開いた。
その後に残る、ほんのりとした花の蜜の香りが、絶妙な後味を生む。
「うふふ、久しぶりに褒められて、嬉しいわあ」
俺は老猫を立たせたままは忍びなく、テーブルを挟んだソファを勧める。
老猫はお言葉に甘えてと答えながら盆を置き、ゆっくりと腰を下ろした。
「こんなお婆ちゃんで、ごめんなさいねえ。あと50若ければねえ」
「いやいや、十分に魅力的だぜ」
「あらやだ、お世辞を言われちゃったわ」
ふんわりと花の様な笑顔を浮かべる老猫に、俺も微笑を返す。
「でも、最後のお客さんが、こんなにハンサムな方で嬉しいわ」
「……最後?」
俺はコーヒーにミルクを加え、豆と花、そして新鮮な乳の香りを楽しんでいたが、老猫の言葉に眉を上げ、空になったカップをソーサーに戻した。
「ええ、このお店、閉めようと思っていてねえ。もう私も歳で……ほら、こんな有様だから……」
ぐるりと感慨深く見回しながら老猫は呟く。
「……この店はずっと一人で?」
「いいえ、主人と二人で……でも随分前に他界してしまって、その後は私一人で」
「それは……」
俺が言葉に詰まると、老猫はなんて事のないように笑顔を浮かべる。
「いいのよう、すごく幸せそうな顔で私の前で逝ってしまったの。先に行って待ってるって言ってくれたわ」
あの人と一緒でずっと幸せだったの、とのろけられてしまい、俺は苦笑した。
「じゃあ、ここは思い出の店なんだな」
「ええ……でも、こんな寂しい状態にしておくよりも、思い出に仕舞ってもいいのかもって思うようになったわ」
色あせてしまった毛色の手を擦り合わせながら、老猫はくすりと笑う。
「子供達も自立して他国で暮らしてるし、なんの当てもないけど……ここを売ったお金を教会に寄付して、孤児院で子供たちと過ごそうかと思ってるの」
「……そうか」
俺は、内心もったいないような気持が湧いてくるが、口を出すべきじゃないなと思い、それだけを口にした。
その時、すっかり空腹が限界にきていた俺の腹が鳴る。
「……おっと、これはレディの前で失礼を」
俺が大仰に頭を下げれば、老猫は口元を押さえて、声を抑えながら笑った。
「いいえ、若いんだもの。しっかり食べなきゃねえ。何か作りましょうか?」
「じゃあ……この、季節のパスタとサンドイッチと、後はワインも貰っても?」
「あら、お昼からお酒なんて……」
老猫が驚いて、口元を盆で隠す。
「せっかくの素敵な女性と出会いましたので、乾杯したくて」
俺がきざっぽく笑ってウィンクすれば、老婆はきょとんとした後、笑いながら厨房へと入って行く。
厨房の老猫は上機嫌な様子で、鼻歌を歌いながら、調理を始めた。
パスタとワインのマリアージュを楽しんだ俺が店を出ると、入れ替わるようにスーツを着た犬の男が喫茶店にやってきた。
「なんだよ、俺が最後じゃなくなっちまうじゃねえか」
俺は少し面白くなかったので、足を店の方に戻す。
一体全体、どこのどいつだと【耳】を澄ませると、思わぬ会話が聞こえてきた。
「……ではこちらが契約書になります。店の証文の変更手続きが終わり次第、お伝えしますのでそれまでに退去の準備をお願いしますよ。おおよそ一週間くらいですので」
「はい、分かりましたわ」
男が出てくる足音がしたので、俺は魔法を使って店の屋根の上に隠れる。
眼下で喫茶店の扉がからんとベルを鳴らし、すれ違った男が出てきた。
男はそのまま歓楽街の方向へ向かって歩いて行く。
「ふーん……銀行員かなんかかねえ」
俺はそういうごちゃごちゃした利権関係には疎いため、何となく気になって後をつけてみることにした。
どうせ暇だしな、と内心で呟きながら。
男はそういうことには素人なのだろう。
特に俺は尾行に気付かれることなく、男が入って行った建物を確認する。
「……カジノ、ねえ」
一旦通り過ぎ、俺は少し離れたの娼館の壁に寄り掛かって呟く。
今、尾行した男が入って行った建物はいわゆる賭博場だった。
つまり、あの店を買ったのはこの賭博場のオーナーと言うことになるのだろう。
はてさて、と俺は悩みこむ。
なんともきな臭い状態にはなったものの特に何か事件があったわけでもない。
老猫によれば既に店の売却金のうちの一部が渡されており、さっき【耳】で聞いた金額も妥当な値段だ。
正当な手段を踏んでいて、老猫も不満がないのであれば、俺が口を挟む余地はないな、と俺は思考を打ち切った。
聞き覚えある足音が、聞こえてきたからだ。
「……あれ? ユースさん」
「よ、エヴァン」
「なんていうか……珍しいところで会いましたね」
エヴァンは周りの歓楽街を見回して、首をかしげる。
「そ、俺、これから娼館で働くことにしたから」
「え……えええええ!!」
「嘘だ」
「ちょ、なんですか! もう!」
簡単に引っ掛かるエヴァンをからかい俺は、口端を持ち上げて笑う。
エヴァンが怒り半分、呆れ半分で肩をいからせたり落としたりしていると、隣の黒い熊がすこし困ったように佇んでいた。
大柄で、額に大きな傷があるのが特徴的だった。
「そんで……あんたもエヴァンと同じ騎士なのか?」
「あ、はい。レンゲ=レインフォードと言います。あなたがユースさん、ですか」
「おうよ、俺が噂のユースでございってな」
おどけて見せるが、はぁと生返事をするだけなので、俺は苦笑しながら騎士団って真面目な奴が多いんだなあと零す。
「いや、当たり前ですから。みんな真面目じゃなきゃ騎士団なんてやっていけませんから」
やれやれ、とエヴァンは首を横に振る。
例外もいるにはいますが、とエヴァンの言葉を俺はしっかりと【耳】に記憶した。
「それで、なんでこんな高級娼館やら高級ホテルが並ぶ歓楽街に、ユースさんがいるんですか?」
そもそも店はまだ開く時間じゃないですよ、と言うエヴァンに、俺はどうしたもんかと頬を掻いた。
「まあ、別にたまたま通りかかっただけなんだが……」
と続けようとして、俺は大きな怒鳴り声が【耳】に届き、反射的に駆けだした。
遅れて扉が力任せに開けられる音と、人が地面にたたきつけられる音。
それを聞いて、エヴァンとレンゲも、遅れて俺の後に続く。
「たく、しつこい鼠だな。何度来ても、金がねえなら諦めな!」
腹部を抑え、息も絶え絶えと言った様子のグレーの鼠が通りの真ん中でうずくまっている。
鼠を投げ捨てた大柄な牛は、唾を吐き捨て、扉を閉めた。
俺はちらりとそれが先程通り過ぎた賭博場であることを確認して、鼠に声をかける。
「よう、坊主。なんだ、カジノで
素寒貧にでもなったか?」
その小さな体躯を俺は引っ張り上げ、服の土を払ってやる。
しかし、意識を失っていて、反応はない。
駆けつけたエヴァンは何事かと目を開いていたが、直ぐに呪文を詠唱して鼠の怪我を癒す。
レンゲの方は建物を睨み、今にも突入しかねない雰囲気だった。
「待て待て、落ちつけ。とりあえずこっちの話を聞こうぜ」
俺とエヴァンが宥め、レンゲも落ちついたのかこくりと頷いた。
「とりあえず、どこか落ちつける場所へ……騎士団の本部が近いですし、そちらに行きましょう」