キスの日(遅)大きな狼と小さな狼。
同じ毛色のせいで遠目にみれば、兄弟に見えるだろうな、と俺はラルゴと手を繋ぎ、通りを歩きながら思う。
今日はコロシアムでの試合もなく、暇だった俺は朝からグレインの楽器店へと顔を出した。
すると今日はグレインが作業に集中するからと店は閉まっており、代わりに窓から俺を見つけたラルゴが飛び出して来たのだ。
そういう事情もあり、ラルゴも暇を持て余していて、俺と散歩に出かけることになった。
グレインにも適当に夕方まで遊んで来いと許可も貰った。
「……えへへ」
「ん? なんか、いい事でもあったか?」
ご機嫌で笑うラルゴに、俺は問いかける。
何でもないです、と俺の手を握り返しながら、尻尾を振るラルゴ。
分かりやすいなあ、と俺も尻尾を振ると、またラルゴが笑う。
「あ、レイナお姉ちゃんだ」
楽器店の近所の食堂の前を通りかかると、犬人の少女、レイナが店の前を掃除している。
ラルゴが呼びかけ、手を振ると、レイナは手を止めてこちらに気付いた。
「よっ。景気はどうだい?」
「見ての通り、まだ開店前よ?」
くすりと笑いながら、レイナは掃除を再開する。
店前の通りの端にはうずたかくチリが纏められていた。
「なんだよ、なんか可笑しいか?」
「いいえ。なんか仲良し兄弟みたいだなって。または……親子?」
「待て、さすがにこんな大きな子供が、いる歳には見えねえだろ。……だろ?」
「じょーだんよ」
兄弟はまだしも親子は勘弁してくれ、と言おうと思ったが、ラルゴが嬉しそうに尻尾を振りまわしているので止めておいた。
ラルゴが喜ぶなら、まあいいかと俺はあっさり思考を切り替える。
「そういや、ゴードフのおっさんは?」
「父さんなら今日は試合だからコロシアムよ。昼前の試合だから開店準備が終わったら、アタシも応援に行くの」
「……あれ、引退したって聞いた気がしたけど」
「ここじゃ、引退してようがなんだろうが、申し込めば試合に出れるしお金ももらえるのよ。急に何か入り用になったからちょっと稼ぐ、とか言ってたわ」
「へー……どうするラルゴ。折角だし見に行くか?」
「見に行きたいです! ゴードフさんもすごく強いんですよ!」
父親を褒められて、レイナがすこし胸を張った。
俺はそれを眺め、まあまあだなあと感想を抱く。
直ぐにじと目になったレイナがぼそりと呟いた。
「父さんに言いつけるわよ」
「……おーけい、要求を聞こうじゃないか」
俺は火を見るより明らかなゴードフの反応を思い描き、苦笑して白旗を振った。
「やった! じゃあコロシアムの行きがけに、果実を目の前で絞ってくれるフレッシュジュースの店があるのよ」
「了解、好きな物奢ってやるよ」
「ふふ、気前がいい男はいいわね! じゃあ、アタシも出かける準備してくるわ。ちょっと待ってて」
頭に巻いていた布巾とエプロンを外し、掃除道具を小脇に抱え、レイナは店の中に消えていく。
「……ラルゴも、なんか欲しいものはねえのか?」
「え、僕ですか? えーと……うーんと……」
ついでにラルゴにも、と思ったが遠慮しがちなラルゴは目をぐるぐる渦巻きにしながら考え込み、唸り声まで上げる。
あまりにも真面目過ぎて、俺は笑ってしまった。
するとラルゴは不思議そうな目で、俺を見上げる。
「いや、わりいわりい」
俺は空いている方で手刀を切りながら、片膝を折ってラルゴの目線に近づく。
「なんでも、とは懐事情により言えねえけど、大抵のもんなら買ってやれるぞ?」
「えと……じゃあ、僕もレイナお姉ちゃんと同じジュースがいいです」
ラルゴは耳を倒し、恥ずかしそうにうつむいて呟いた。
「おう、分かった」
頭をぐりぐりと撫でると振り切れんばかりに尻尾が振れた。
俺も楽しくなり、撫で続けていると、
「おっまたせー。って、何やってんのあんた達」
「何って、スキンシップだが?」
「見ようによっては児童誘拐の現場ね」
「誰が誘拐するか!」
いやラルゴは確かに顔立ちもいいし大人しいからうってつけだな、と一瞬そんな思考がよぎったが、もしそんな奴がいたら俺がぶっ殺すと真顔になった。
「……なんか、父さんと同じ顔してるわよ、あんた」
「……四十過ぎのおっさんと同じは勘弁してくれ」
「じょーだんよ」
「だんだん笑えない冗談になってるが!?」
そんなやり取りもラルゴが声を上げて笑うので、俺もレイナもつられて笑う。
「さて、そんじゃとっととコロシアムに行くか」
俺とレイナはラルゴを挟むように歩き始める。
足取りは軽いが、ラルゴの歩幅に合わせてゆっくりと俺達はコロシアムに向かった。
途中で買ったフレッシュジュースの容器を片手に、俺達は観戦席へと移動する。
レイナはベリー、ラルゴはチョコバナナ、俺は少しだけアルコールの入ったレモンスカッシュカクテル。
二人とも満足気にストローに口をつけているので、俺も内心でよかったと呟く。
俺達は階段を上り、すり鉢状になったコロシアムの北東側の上段席に座る。
いつも通りコロシアムは盛況で、少し出遅れた俺達はあまり見やすい席とは言い難かったが、魔法により各方向に拡大投射される映像で試合自体はよく見ることが出来た。
「観客席は初めて来たが……結構たのしいなこれ」
「そりゃそうよ。この国の目玉だもの。あ、次が父さんの出番よ」
「楽しみですー!」
俺の左隣、レイナの右隣でラルゴがぶんぶんと尻尾を振る。
レイナも犬人であるせいか、シルエット的には三人兄弟みたいになっている気がしなくもない。
長男はつれえな、とどさくさにまぎれてレイナにちょっかいを掛けようとした男を、そっと風の魔法で吹き飛ばした。
周りの熱狂でレイナは気付いた素振りはないため、俺は目線をすり鉢の底、闘技舞台へと戻した。
『さあさあさあ、本日の次の試合は、なんと帰ってきたあのゴードフが登場だ! みんなも、あのくそつまんねえ試合を覚えてるだろ!?』
マイク越しのあんまりなガッツの叫び声に、俺は苦笑した。
聞けば、闘士時代のゴードフは実力は上位だが、人気はそれほどでもなかったらしい。
ルールの範囲内であるが、格上相手には手段を選ばずに勝利をかすめ取り、格下相手には容赦なく一瞬で勝負を決めていたせいで、観客からの不評が多かった。
そこらへんは俺とは真反対だなあ、と俺は鉄格子をくぐって現れたゴードフを見て思考する。
「父さん、頑張ってー!」
レイナが声援を送れば、聞こえるはずもないのに気配で気付いたのか、ゴードフがこちらを見る。
最初はレイナを見てにやりと笑っていたのだが、俺に気付くと目を見開いてわなわなと震えていた。
……あっちゃあ、こりゃまた勘違いされたな
俺がやれやれと肩をすくめると、挑発と受け取ったのかゴードフが怒り散らして怒声を上げようとするが、マイク越しのガッツの声には流石に勝てない。
『対する相手は、こちらも異色の術師! 召喚術を使う稀有な獅子人、ラカーズ!!!!』
濃紺のローブ包まれた小柄な獅子人が赤茶けた鬣を揺らしながら舞台へと現れた。
体格よりも随分と大きいローブは背中側で引きづり、身長以外の体格は全く分からない。
ゴードフはそれでも無視して俺に何か言っているようだったが、ガッツはそれを無視してゴングを鳴らす槌を手に取った。
『ごちゃごちゃ言うなら勝負で決めな! ゴードフvsラカーズ!! 試合開始だああああああああああ!!!!!!』
カーンと小気味のいいゴングがコロシアムに鳴り響き、同時に会場中から歓声が上がる。
ゴードフはそれでも俺をちらりと睨むが、流石に目の前に視線を戻した。
その僅かな時間に、ラカーズは呪文を詠唱していた。
「『出で参れ、柔雄(じゅうゆう)』」
ラカーズが差し出した腕の先に魔法陣が生まれ、そこから大きな塊が這い出てくる。
透き通った青い塊は光を瑞々しく反射していた。
「……スライム?」
変なもんを召喚するな、と俺は顔に渋面を張り付けた。
スライムは冒険者や旅人にとっては厄介極まりないモンスターだ。
その多様な生態と適応能力の高さから来る生息域の広さ、そして動きを止めたら全くの無音になる。
枝の裏や岩の影、死角に潜み、気配を殺す。
そして獲物が油断した瞬間に飛びかかり、目を潰し、口と鼻を塞ぎにかかるのだ。
しかし正面切って戦うならばこれほど弱い魔物もいない。
なぜこんな試合に呼び出したのか、ラカーズの意図を読むことは俺にはまだ出来なかった。
「……舐めてんのかごらああああああ」
怒りに震えながらも、ゴードフの動きに迷いもブレも微塵もない。
左手の手甲の輝かせながら、右手の剣でスライムに【熱波】を放つ。
高温にさらされたスライムは表面から水分を蒸気として飛ばし、動きを止めた。
そのまま左手のストレートがラカーズの顔面に埋まるかと思われた時、ゴードフは何かに気付き、慌てて身を翻した。
「……流石だな。こんな子供だましには引っかからないか」
ゴードフが踏み出そうとした一歩。
その地面がぐにゃりと形状を変えた。
いつの間にそこにいたのか、茶色のスライムがその姿を晒す。
そして、【熱波】を受けたスライムの方も、何事もなかったかの様にその身を震わせていた。
「……変異種か」
俺とゴードフの呟きは同時だった。
ゴードフは距離を取って次の手を考えているようだったが、ラカーズの最初の一手は終わっていなかった。
音もなく、背後の地面が隆起する。
ゴードフは歴戦の勘のみで、それに気付き、間一髪スライムの触手から逃れた。
気付けば、舞台上はスライムに埋め尽くされんばかりになっていた。
「どっかに母体がいて、増殖し続けてるな」
俺と同じ結論に達したゴードフは左手を地面に叩きつけ、揺らす。
衝撃でスライムが跳ね、宙に浮いた所をゴードフは全力の火炎魔法で焼き払った。
母体はおそらく地下に潜んでいるのだろうと俺も予想したが、まさかこんな力技で引きはがし、分体を一掃するとは、と感心した。
「そんな、ばかな」
流石に予想外だったラカーズが驚愕に顔を歪める。
慌てて防御魔法を展開するが、出力が低い。
ゴードフはお構いなしに障壁ごと左手の小手で殴りつけた。
「【輝け!シルバリオン!】」
ガラスが割れる様な音と共に、ラカーズの魔法は砕け、ゴードフの拳が鳩尾に突き刺さった。
衝撃に身体をくの字に折り、ラカーズは意識を消失させる。
『勝負あったあああああああああああああああああ!!!!! 勝者は、ゴードフだあああああ!!!!!!!!!』
ガッツの勝利宣言に、なぜかゴードフは不満げな顔をする。
ガッツもそれに対して不審な顔をするが、次のゴードフの発言に口元をにやりと曲げた。
「おいこら、ユース!!!!!!! てめえ、降りてこい!!!!!! 今日という今日は、てめえをぶっ飛ばす!!!!!!!!!」
「……は?」
魔剣を抜き、ぶんと切っ先を俺にぴたりと合わせる。
ゆらりとゴードフの感情に高ぶった火蜥蜴型の精霊がゴードフの怒声に合わせて火を噴くのが俺には見える。
俺が横を見れば、ラルゴはゴードフの怒り顔に怯えて震え、レイナは顔を手で覆って、あとでぶん殴ると小さく呟いていた。
俺は少しの思案のあと、ラルゴの頭をくしゃりと撫でた。
ラルゴの緊張がそれで解けるのが分かる。
そっと額にキスをすると、俺は席を立ちあがる。
俺はガッツに対して軽く手を上げた。
『おおっと、これはどうしたことだ!!』
ガッツは俺の意図を汲み、マイクを握る。
それを確認してから、
「ちょっと、行ってくるわ」
俺は不敵に笑うと、ぴょんと身体強化魔法で数十メートルを跳躍し、風の魔法でコロシアムの舞台へと降り立つ。
コロシアムの観客席に施された結界は何物も通さないが、試合に対して悪意がなく、レフリーの許可があった物は通過することができる。
『ここでサプライズ!! ゴードフに挑発されたユースが飛び入り参戦だああああああ!!!』
「よ、おっさん。相変わらず血の気が多いねえ」
「てめえ……なんで、レイナと……」
「ああ、まあ、成り行きで」
といつも通りはぐらかそうとして、俺はせっかくなら派手にしようかと、一計を思いついた。
「……まあ、デートって奴?」
ぶちり、とはっきりと何かが切れる音がした。
おー、怒髪天ってこういうことなんだなあ、と俺は冷静に見つめている。
それでもゴードフは、一応コロシアムのルールに乗っ取り、ガッツの合図を待っていた。
『試合が早く終わっちまって、時間も余ってんだ! おめえら、会場盛り上げねえと承知しねえからな!! 試合、開始ぃっ!!!!!』
「うおおおおおおおおおおおらあああああああ!!」
ゴングの音と同時、ゴードフが地面を割る勢いで踏み込む。
剣先に揺らめく炎を見ながら、俺も同時にかけたままだった強化魔法で踏み切る。
刹那の交錯で俺達はすれ違い、反転。
衝撃波が土ぼこりをまき散らすが、それを突き破ってまた接敵する。
「【熱波】!」
「『草原を走る祖霊よ』!」
高熱を風で絶ち、ゴードフの剣閃に自分の剣を合わせる。
どうせ力では勝てないと踏んでいる俺は、その力を利用して、受け流し、剣先を自在に変化させる。
それを器用に剣の根元で捌き、ゴードフの左手の小手が輝きを増した。
「【輝け!シルバリオン】!」
「『大いなる竜を縛る祖霊よ』!」
衝撃波を伴う拳を、俺は重力波で相殺する。
手数で押されまいと、俺は腰からナイフを抜き、右手で器用に回すと逆手に握り直す。
「せいっ」
舞うようにナイフと剣を振るいながら、要所で風の魔法でゴードフをけん制し、隙を埋める。
ここまでやってやっと互角かよ、と俺は冷や汗を流した。
ゴードフは変わらず顔を怒りでしかめているが、俺は【耳】で何度か魔法玉を使っていることに気付いていた。
ほんっとに抜け目ねえな、と俺は警戒しながら全力で剣を打ち込む。
「おらあ!」
大振りな剣の一撃を紙一重で逸らしながら、俺もナイフを突き出す。
小手でナイフを弾き、突きこむゴードフ。
俺はそれを風の魔法で押さえつけ、また距離を取った。
『両者!! 譲らない!!! ゴードフの剛剣を、華麗に魔法を織り交ぜ捌くユース! しかし、余裕はなさそうだっ!』
「てめえ、あの姿にならねえのは舐めてんのか……?」
「あれは別に魔法が使いやすくなるだけなんでね。そもそも、そんな隙をくれねえじゃん」
俺は苦笑して返答しつつ、次の魔法を構築していく。
いくら俺が精霊魔法に長じていても、使えるのは同時に三種類。
身体強化を含めたら、二種類の魔法が限度だった。
しかし、ゴードフが使うのはあくまで魔法ではなく魔道具。
魔力さえあれば同時にいくつだって使うことが出来る。
といってもゴードフの手は二本なわけで、こちらも現実的には制限がかかっていて、互いに拮抗している状態だった。
あとは剣の技量だが、これは明らかにゴードフが俺を超越している。
この瞬間まで耐えられたのは、かなり運がいい方だと俺は思った。
たぶん、本気ではないんだろうなと剣を打ち合わせていくうちに気付いていたが、その意図は読めない。
……おっさんこそ、俺を舐めてんじゃねえの
俺は一つ策を思いつき、再び剣戟を打ち合わせにかかる。
左手の剣と右手のナイフ。
右手の大剣と左手の拳。
ゴードフと俺は互いに異なる武器を扱いながら、立ち位置を変え、踏みこみをかえ、縦横無尽に立ちまわる。
「ぜあああああああああああ!」
俺の体勢が僅かに揺れた瞬間、ゴードフの剣が上段から振り下ろされる。
俺は半呼吸遅れて身をずらし、毛を数本切られながら、回避するが、無理な動きに完全に俺の上体が泳いだ。
重心がブレ、ゴードフの拳に対応できない。
……ここだ
俺はさらに無理やり身体を捻って拳を肘で受け、飛び退きながら衝撃を逃がす。
殺しきれなかった威力が、俺の骨を軋ませたが、
「……ぐっ」
ゴードフも、これ以上の追撃はしてこなかった。
その左腕には、切り傷から血がにじんでいた。
「てめえ……曲芸師かよ……」
「猿真似だけどな、言葉通りの」
俺は“尻尾”で握った二本目のナイフをちらつかせた。
骨格の都合で狼種では出来ない動きだが、混血であり大きく長く、そして器用な尻尾を持つ俺なら不可能ではなかった。
「本当は肩狙う気だったんだけど、咄嗟に避けるとか、尋常じゃねえな本当に」
不可能でないとは言え、実戦で初めて試したため、狙いが甘かった。
ゴードフはその超反応でかろうじて致命的なダメージを回避していた。
「……おもしれえ……」
好戦的な笑みを浮かべ始めるゴードフに、俺も不敵に微笑み返す。
同じ奇襲は使えないと思い、尻尾のナイフは戻す。
呼吸を整え、俺とゴードフが同時に駆けだした瞬間。
「なっ」
「うげっ」
地面から半透明な触手が伸びた。
俺もゴードフも互いを最優先で意識していたため、地面の奥に潜む気配に全く注意を払えなかった。
俺達は仲良く足をからめ捕られ、地面から引き剥がされ。宙釣りにされる。
『おおっと!!! これはどういうことだ!!! まさか!?』
「スライム、まだいたのかよ!?」
咄嗟に魔法で触手を切ろうとするが、その瞬間に触手が動き、狙いがぶれる。
ゴードフも同じ様で、大剣を振るって切ろうとするが複数の触手により動きが封じられている。
そしてスライムは、俺とゴードフをぶつけ合うように触手を振るい、
俺達をまとめて縛り上げ、スライムの塊で包み込んだ。
俺とゴードフは向かい合わせでスライムに包まれ、拘束されてしまった。
その上で魔法で脱出しようと試みるが、
「……あー、割とまずいなこれ」
「こいつ、魔力を……」
ゴードフも同じことをしようとして、このスライムの厄介さに気付いた。
触れている部分の魔力が阻害され、魔法が十分に発動出来ない。
「こんの……!」
ゴードフが力任せに暴れるが、空中と言う踏ん張れない状態ではいくらなんでも分が悪かった。
それ以上に、密着していて、なおかつスライムでべたべたの状態の俺は堪ったものじゃない。
「おい、おっさん! 身体をこすりつけんな!」
「ああ?! おめえの方こそどこ触ってやがる!」
「危ねえから手で押さえてんだよ! こんな状態で大剣振りまわそうとすんな!」
「うるせえ、こんなもん、とっととぶっ倒しておめえと決着付けねえといけねえだろうが!」
「だーーーこら! 変なとこ触んな!」
などと互いに足を引っ張り合っているうちに、スライムは俺達の装備を奪って行く。
俺の剣もナイフも地面に捨てられ、ゴードフが握りしめていた大剣もついには放り捨てられる。
小手は残っているものの、魔力が流せず能力は発動しない。
いろいろと問題のある状態に、俺は仕方なく最後の手段に出る。
「おい、ゴードフ。俺の髪をまとめてる紐を解け、でもってあんたの精霊をちょいと借りる」
ゴードフの魔剣に宿る精霊はかなりの上位等級の精霊だ。
俺が『祖霊』の姿となりそれと仮契約でも結べば、魔力がなくとも炎の魔法が使える。
「……ちっ、背に腹は代えられねえ」
ゴードフは首を伸ばし、何とか俺の髪に噛みつく。
「いってえ!! 髪ごと引っ張るんじゃねえよ!?」
うるせえともごもご言いながら、ゴードフは紐を引っ張っていく。
「っ……!
鼻息が耳にかかり、俺は思わず身体を震わせる。
やっとのことで紐が解けた。
俺は痛みと羞恥で、涙目になりながらゴードフを睨む。
「『偉大なる炎の祖。万象を灰に変え、無を生みだす覇者よ。我、祖霊の姿を宿し、汝との契約を望むものなり』」
黒い毛を白銀へと変え、俺は精霊の言葉でゴードフに寄り添った火蜥蜴に語りかける。
「『我が身に、一時、その御力を貸し給え』」
「『しっかたねえな』」
しぶしぶと言った様子で、火蜥蜴は俺の肩へと移る。
そして、その姿が溶け込んだ時、俺の白銀の毛は燃えるように赤々と光り始めた。
「『全てを灰塵と化せ』!」
俺とゴードフと包んでいたスライムが一瞬で蒸発する。
すさまじい熱量のはずだが、一切ゴードフを傷つけることはない。
触手を辿るように炎は走り、地面の中にいたはずの本体も、全て焼き払った。
舞台の上は灼熱と大量のスライムが蒸発して出来た蒸気の地獄と化した。
「っとと」
空中から不自然な状態で投げだされた俺達は、それでも難なく地面に足をつけた。
―――パリン
「いやー、何とかなったなあ」
何かが割れる音がして振り返りながら、俺は契約を解除する。
火蜥蜴はふんと火の粉を吐き出して、ゴードフの剣へと戻っていった。
ふとゴードフを見ると、割れた小瓶を見て固まっていた。
「ゴードフ?」
俺が近寄った瞬間、脳を揺らすほどの刺激臭が鼻をついた。
咄嗟に風の魔法で空気を散らすが、すこし遅かった。
どくり、と鼓動が大きく鳴り響く。
どうやら落ちた薬瓶に入っていたのは、強力な気つけ薬らしい。
昏睡した者を呼び起こすためのものだが、健常な者なそれを嗅げば、
「う、お……」
俺の【耳】がいつも以上に過敏に音を拾う。
制御しようとするがうまくできない。
まるで留め金が壊れたかのように、とめどなく音が流れ込んでくる。
ゴードフの様子を伺えば、もろにその薬を浴びて、目が血走っていた。
鼓動どころか、局所に流れる血流の音さえも聞こえる。
俺が音の奔流に押しつぶされ、膝を折ると、ゴードフが俺を抱えようと手を伸ばした。
しかし、地面に残ったスライムの残骸に足を滑らせる。
「うおっ」
俺はスライムの粘液だらけの地面に押し倒され、ゴードフは俺の上に覆いかぶさる。
互いに目の前に来た顔を見つめ、気まずい空気が流れた。
数センチの距離に互いの鼻先が存在する。
敏感になった感覚は互いの呼吸すら感じ合わせていた。
周りは、いまだ蒸気が立ち込めていて、観客たちからは見えていないだろうが、あと数秒もすれば風で晴れていくだろう。
「……勝負は、今度にするか」
「……おう」
薬のせいで意図せず高ぶった身体を重ねてしまい、俺達は目を逸らして離れる。
俺は、ゴードフに噛みつかれた頭をさすりながら、足早に舞台を後にした。
張り詰めた股間を隠し、どうやってラルゴの所に戻るかを必死に考えながら。