蛇の呪いさざ波のように歓声が引いていく。
俺はあくびを一つしながら、立ちあがる。
「緊張してんのかい?」
「はは、まっさかー。いちいちんな事してたら闘士なんてやってらんねーさ」
俺の表情を見て声をかけた案内係の猫人に、俺は肩をすくめ、控室を後にした。
控室からコロシアムの舞台は一本道だ。
だから俺は、進行方向から医療スタッフに運ばれてきた担架を端に寄って避ける。
真っ赤な血に染まった胸を抑えた熊の闘士のうめき声が廊下に木霊する。
「はてさて、俺も二の舞はごめんだな」
俺が最後の鉄格子をくぐろうとした時、【耳】に軽い足音が迫ってきていることに気付く。
「まってくださーい!」
振り返れば、燕尾服に身を包んだ兎が大きな眼鏡を上下に揺らしながら走ってくる。
耳につけたイヤーピンを何度も跳ねさせながら、肩で息をする彼に、俺はとりあえず待つことにした。
「はぁ……す、すみません、えっと、あの、ユストゥスさん、ですよね? 次の試合に出場される……」
「おう、あんたは案内係のポロアって言ったっけ」
「あ、はい。一度、受付の所でお会いしただけですが……覚えていれもらえていて嬉しいです」
照れ隠しなのかシャツのカフスボタンを弄り、ポロアははにかむ。
一度名前を聞いたら忘れねえだけなんだけど、と俺はたまたま【耳】に残っていただった事を内心にしまいこむ。
ポロアはそのまま照れたまま俯いてしまうので、仕方なく俺は声をかける。
「……で、何か用だったんじゃねえの?」
「そ、そうでした!」
ポロアは思いだしたかのように顔を上げる。
遅れて長い耳がぴょんと跳ねた。
「その、あの……き、今日はモンスター討伐の試合が、組まれてたと思うんですが……」
「おう、そう聞いてるぜ。何人かの闘士とランダムで組まれて魔物と戦うんだろ?」
そのため、今コロシアムの舞台には大量の魔物の死体の臭いがした。
一試合ごとに片づけるのも面倒なため、倒した魔物の死体は舞台の外周に落とされて放置されているはずだ。
ものすごい悪臭だろうが、観客席には魔法によりそれは遮断されているため、顔を歪めるのは闘士達だけだ。
「じ、実は、ユストゥスさんと共闘するはずの闘士が、さきほど街で騒ぎを起こして騎士団に捕縛されたと通達がきまして……」
「……つまり、この試合は、俺一人ってことか?」
「そ、それは危険すぎます! ですので、すこしお待ちいただいて……別のマッチを作りますので……」
俺があっけからんと言うと、ポロアは慌てて首を横に振る。
あたふたとどこかに魔法通信を行いながら、頭を抱えていた。
「んー……それでも良いけどさ」
俺はその言葉に頷きながら、ちらりと背後を振り返る。
なかなか始まらない試合に、観客たちのざわめきが俺の【耳】に飛び込んでくる。
『おいー! 次の試合はまだかよー!』
『はやくしろー!』
血に飢えた観客達にとって、そんな事情はお構いなしだろう。
ここはそういう場所なのだから。
「……確か、この試合が今日の最後だろ。今からマッチ組むのにどのぐらい時間がかかる?」
「ええと……その……」
彼はちらりと腰の時計に視線を落とし、その後おろおろと彷徨わせる。
「闘士なんて、危険を承知でなってんだ。それに、逆境の方が盛り上がるだろ」
「そ、その……でも、命に関わります、よ……」
「百も承知だ。ていうかなあ……」
俺、魔法使うから他の連中いると本気出しにくいんだよなあ、と内心で愚痴る。
精霊魔法は精霊主体の術だ。
俺がいくら正確に相手の位置を認識していようとも、魔法の制御は精霊任せになる。
僅かな誤差であるが、混戦となれば味方に被弾しかねない程度には精度にムラがあった。
それが俺一人となれば話は別だ。
ただ火力任せになぎ倒せばいいのだから。
それに、と俺は前置きして、少し苛立ちながら鉄格子の扉を蹴り開けた。
途端に観客から上がる歓声と罵声。
俺はゆっくりと歩き始めた。
『どーした! びびってでてこれねえのかー!』
『チキンやろー!』
先程から【耳】に届く罵倒の数々。
割と、腹に立つ言葉もあるので、俺は内心で目に物を見せてやろうと決めた。
「つーわけで、行くわ。心配してくれてさんきゅーな」
「き、気をつけて、ください……」
ひらひらと肩越しに手を振り、選手入場を確認した扉が、自動で退路を塞いだ。
「……さあ、おまちかね! 今日の最終試合だ!! 今入った情報だと、予定じゃ五人でやる試合だったが、急遽変更!」
実況席でどなり声を上げる、レフリー。
ここまでの試合で絶叫し続けていたせいか、はだけた上半身は盛り上がった筋肉を汗で光らせ、その拳を振り上げている。
コロシアムの名物実況者、名前は確かガッツ=カインケルとか言っていたな、と【耳】の記憶を思い出す。
ガッツは耳元に手を当て、魔法通信で事情を聞いているらしい。
一瞬険しい顔を見せるが、直ぐに表情は不敵なプロの実況者の顔へと変わった。
「たった一人で魔物退治に挑むのは、ここ最近、人気を上げつつあるルーキー闘士!」
歓声と罵声が半々くらいで響き渡る。
俺は気取って腰を折り、一部の男からのブーイングをわざと引き出した。
「今日も派手な魔法で立ち回るのか! それとも華麗な剣舞を見せるのか!! 文字通り、姿まで変幻自在! ユーーーーーーーーーーウウウウス!!」
ガッツが腕を振り抜けば、それに合わせて俺の対岸の鉄格子が開け放たれる。
突如、奥の闇から金切り声が、熱狂的な空気を切り裂いた。
俺はその鳴き声に、耳をぴくぴくと動かす。
……この、鳴き声って
その疑問の答えは、ずるりと巨体を引きずりながら姿を現したため、おのずと分かる。
「その相手は、ここより東に生息する、ブルーキングスネークだあああああああ!!」
「アオダイショウかよ……」
俺は旅の経験で出会ったことのある魔物に、すこしの懐かしさを覚えながら構えた。
「さあ、魔物は待ってくれやしねえぞっ! 生き残るのはどっちだ! 試合、開始ぃいいいいいいいいいいいいいいい!!」
ゴングが鳴り響くが、目の前の蛇の魔物にはそんなことは関係ない。
ただ、不快気味に周りを見回し、獲物を物色していた。
体長はゆうに30メートル、太さは2メートル、と言った所だろうか。
目測だが、俺の出会った中でも最大級の魔物だ。
「相手にとって、不足はねえって奴かな?」
俺がそう呟き、腰の剣の柄を握る。
吸いつくような柄の馴染み方が、俺に安心感を与える。
ブルーキングスネークの眼が、ついに俺を捉えた。
そして、獲物と認識したらしい。
細い舌を出し入れしながら、尻尾を震わせ、威嚇音を奏でる。
「……これでバッグ作ったら儲かるかな」
ふとそんな冗談を誰ともなく呟くと、ブルーキングスネークが巨体に似合わぬ速度であぎとを開き、迫る。
「……『大いなる竜を縛る祖霊よ』」
俺は微動だにせず、呪文を呟く。
真っ赤な口腔内に並ぶ鋭い牙が俺に届く前に、その巨体は地面に重力と言う強力な鎖で縫いとめられる。
ものすごい音と共に抵抗を示すが、全力の重力魔法に僅かばかりも動かすことはできない。
「……盛り上がらねえけど……あんま長引かせると良くねえんだよな、ヘビって」
東方では、蛇は呪法や邪法にも用いられるほど、力があるとされている。
元々、複数人で戦うことが前提にされていた魔物だ、遠慮はいらないだろうと俺は自分の身長以上に太い首にめがけて剣を突き立てる。
「――――シャ!!!!!!!!!」
声帯のない蛇の口から、軋むような声にならない悲鳴が聞こえる。
イェルドに鍛えてもらった剣は、角度さえ気をつければ俺ですらブルーキングスネークの鱗を簡単に貫くことが出来た。
そのまま一気に縦に振り切る。
びちゃり、と大量の赤黒い血が溢れた。
熟れ過ぎたラズベリーの様な色をした血潮が、生臭いにおいをまき散らす。
俺の剣では一度に半分の首を落とすのが精一杯だ。
俺は反対側に回り、とどめを刺そうと回り込む。
ブルーキングスネークの正面を通った時、透明な鱗に覆われたその瞳と眼が合った。
「……っ!?」
俺は思わず背筋に走った悪寒に身震いした。
その瞳にあるのは殺意でも恐怖でも、あるいは無念さですらない。
魔物にそんな機能がないのか感情などあるはずもなく、ただ黒い瞳が俺を見ていた。
その無機質すぎる視線に気を取られ、俺は周囲に起きた変化に気付かなかった。
ぐちゃり、と粘着質な音が【耳】に届く。
俺ははっとして周りを見回すと、今までの試合で死んだはずの魔物の死体が起き上っていた。
「……こいつは……『蛇の呪い』」
死臭が強くなる。俺は顔をしかめて、袖を力任せに引きちぎり、鼻と口を覆う。
足元で紫色の瘴気が、漂い始めていた。
ブルーキングスネークは、自身の零した血を媒介に、最後の置き土産として呪いを残していった。
もはや出血だけで命が尽きる前に、目の前にいる俺に、死をもたらすために。
呪いで仮初の命と、飢餓の感覚のみを与えられた魔物の死体は魔法により守られている観客ではなく、まさにテーブルに乗った御馳走のような俺に視線を集める。
やれやれと表情で上辺だけの余裕を見せ、、俺は冷や汗を零した。
「こんなこと出来るの、本当に古い時代の古代種だけだろうに。先祖帰りかなんかの変異種だった、ってところか?」
【精霊の耳】を使って、一族代々引き継ぎ続けた膨大な過去の記憶。
伝説とされる古代種の生態も、口伝で俺達の中に残っていた。
あるいは、と俺は周囲の音に意識を集中しながら思考を加速させていく。
……誰かが悪意を持ってこの状況を作ったか、だな
急な闘士の欠場、ルーキーの俺が何故か最終試合に組まれたマッチング。
全ての偶然の結果として、こんな窮地になっている、とは到底考えられなかった。
「ま、今はこれをどう切り抜けるかって所よなー」
コロシアムは試合中、観客席から一切の妨害が出来ないように、あるいは試合の余波で観客に被害が出ないように防壁魔法が厳重にかけられている。
それでも、この光景はあまりにも凄惨な、そして生理的嫌悪感を心の奥底に刻みつける光景だろう。
安全だと分かっていても、観客から悲鳴が伝染していくのは止められない。
ガッツの怒号が実況ではなく、観客の混乱を落ちつけるためのものへと変わろうとしていた。
「ま、いつも通り、生き足掻いていきますかねえ」
握った柄から感じられる剣の重みは、まだ諦めるには早過ぎると言っている。
俺は、ここからが本番だとばかりに大仰に剣を構え、吼えた。
腹の奥から、胸腔の全てを使って響かせた大声量の俺の声は、会場中に届く。
「さあさあ、お立会いのお客人! これよりお見せするは、かなしい蛇の物語! 死してなお残した呪いの物語!」
蘇った魔物達は、そんな声にはお構いなしに舞台へと登り始める。
しかし、俺もお構いなしで、朗々と喉から言葉を響かせていく。
観客の悲鳴が、風の魔法に乗った俺の言葉を聞き、静寂へと変わる。
動いている死体は【耳】で数えれば五体。
前から三体、後ろから二体の気配。
正面にいるのは、巨大なイノシシ・ワイルドボア、大量の触手の塊の様な食肉植物・イビルプラント、巨大な鎌を持った昆虫・スカルクロウ。
背後に構えるのは、角から放電する一角リザード、岩の肌を持ち鋭い前歯を持つネズミ・ロックラット。
どれも一流冒険者が複数人で対処するのが定石の超Aランクの魔物ばかりだ。
「いざ!」
俺は剣をくるりと回して投げる。
「いざ! ご覧あれ! これが、俺の、本気の演奏だ。耳かっぽじってよおく聞きやがれ!」
後ろ手に髪の飾り紐を解き、引き抜く。
そして、落ちてきた剣を掴み、俺は魔力を解放した。
黒い髪が、白銀へと変わる。
「『草原を駆ける祖霊よ』!」
俺は視界の端で光の粒子を捉えながら、一歩、風に足を乗せて加速する。
描く軌跡は、いつか見た隻腕の剣士の斬撃。
風を纏った剣先は、正面で突進体勢に入っていたワイルドボアの鼻先に叩きこまれる。
分厚い皮膚を破り、刃が肉に食らいつく。
「内から、爆ぜろっ!」
剣を伝い、魔力が膨張する。
局所に集中させた風の刃が、傷口から体内に入り込み、臓器や組織を容赦なくズタズタに切り裂いていく。
身体中の穴と言う穴から血を噴き出したワイルドボアの首を、俺は返す刃で斬り落とす。
もともと死体の状態では首が落ちていたため、俺の剣でもたやすく叩き切れた。
一息吐く間もなく、【耳】に届く風斬り音。
俺は咄嗟にワイルドボアの分厚い身体の影に隠れ、盾にする。
コンマ秒遅れて、ワイルドボアの身体が大きく揺れる。
どすどすと分厚い体幹に、何かが突き刺さる音がした。
顔を上げれば、無数のイビルプラントの触手が突き刺さっている。
更には、横からスカルクロウが鎌を構えるのが見えた。
「『結晶を象る祖霊よ』!」
俺は氷の精霊を呼びだす。
青白く輝く猫の様な精霊が、小さく前足を伸ばす。
その冷気を受けた昆虫と食肉植物の動きが鈍る。
俺は、きらきらと空気中の水分が氷点下まで急激に冷やされて結晶化する間を、白銀の毛に光を反射させながら駆け抜ける。
昆虫と植物の魔物の弱点は冷気だと、【精霊の耳】に記憶していた。
「よっ!」
軽い掛け声とともに、剣を振るう。
冷気で動きが取れないスカルクロウの鎌の根元、節の間に刃が入り込めば、あっさりと内部の線維は千切れ、凍った地面に鎌が刺さる。
もう片方も斬り落とし、俺は横腹に蹴りを叩きこんで距離を取る。
―――キィィィィィッ!!
【精霊の耳】に、ガラス板に爪を立てる様な不快音が届く。
動きを止めたスカルクロウとイビルプラント越しの俺に向かって、赤い雷撃が閃いた。
「『数多を支える祖霊よ』!」
それに一瞬遅れて俺は自分の前にだけ土の壁を出現させる。
しかし、強力な電撃は壁を破り、凍った地面をものともせず、俺の全身に電流が流れ込む。
「ぐっ……」
咄嗟に飛びのいて衝撃は最小限にとどめるが、手足にしびれが残った。
四肢の先や、頭部の毛の先が焦げて、青白く燐光を煌めかせる。
雷撃をもろに受けたスカルクロウとイビルプラントは体内に含んでいた水分を全て蒸気変えて、数刻前と同じ骸へと戻った。
ちらりと音がした方を見れば、一角リザードが再充電を開始している。
「……もう、一匹は……?」
ロックマウスの姿が見当たらない。
『上だ! ユース!』
叩きつける様な大音量の怒号。
マイクを握りつぶさん勢いで腕の筋肉を盛り上げた、ガッツの声。
俺は勘に任せ、魔法を放つ。
「『草原を走る祖霊よ』、『大いなる竜を縛る祖霊よ』!」
自分の身体が風で加速しながら、真横に『落ちる』。
ねじ曲がった重力に身を任せて、自分がいた場所を見れば、ロックマウスが丸まって岩の塊になって降ってくる。
大きな陥没をステージに刻みながら、ロックラットは甲高く鳴き声を上げた。
強烈な雷撃の音で、飛び上がる音を聞き逃していたらしい。
舌打ちしながら、【耳】にまた一角リザードの雷撃の予備動作音が響く。
「そう、何度も……同じ手を食うかっての」
俺の手に宿る雷の精霊を、『祖霊』の力で無理やり、隷属させる。
すると白銀の毛並みが紫がかった色へと光り方を変える。
そして、精霊が悲鳴を上げた。
「……ごめんな」
俺にだけ聞こえる精霊の声は苦しそうで、けれど俺の右手に身を任せている。
ありがとう、と内心で呟く。
「ここで、死ぬのはごめんこうむるぜ!」
俺は剣の柄を左手で握り締める。
雷の精霊の力を取りこみ、俺の眼には現実の映像の上にもう一つの視界が重なる。
いくつもの力場が、地図の等高線のように立体的に『視え』た。
雷の精霊の力場感知能力とその操作能力を得た俺は、その力で磁場と電場を精密に操っていく。
再び一角リザードの雷光が、赤く輝く。
しかしその雷撃は、俺が作った力場の網にかかる。
魔力を練りこみ作り上げた電磁ネットは雷電を捉え、着弾地点をねじ曲げた。
雷撃は大きく弧を描き、ロックラットに直撃する。
しかし、分厚い岩と砂の皮膚を持つロックラットにはあまり効果がなさそうだった。
雷撃が外された一角リザードは、帯電して高まった体温を冷ますため、蒸気を全身の排熱孔から噴出させた。
「っつあー! しんどいな畜生!」
右手から精霊が離れていく。
消耗したのか淡く明滅する小さな虎の精霊を、俺は二本の尻尾で包むように受け止めて、休ませた。
愚痴もそこそこ、俺は呼吸を整える間もないまま、またも空中から突撃してくるロックマウスを全力で走って避ける。
強化魔法を使い、大きく跳躍して、割れ飛ぶ地面の破片をかわす。
「くっそう……そろそろ精霊達も限界だっての……」
精霊達からの魔力供給が弱まっているのを感じながら、俺は残り二匹になった魔物を睨む。
仕方ねえ、と走りながら魔力を練る。
「『揺れ進む祖霊よ』!」
発光する蝶の姿の光の精霊を宿し、俺が叫ぶ。
すると俺の目の前にもう一人、俺が現れる。
光の虚像を生む、光の魔法だ。
虚像はゆうに10体を超え、全てが全く同じ姿を取る。
それを見た、一角リザードとロックマウスの動きが止まる。
ワイルドボアの様な嗅覚も、スカルクロウやイビルプラントの様な熱源感知能力もない、視覚と聴覚に頼る二匹にはどれが本物で虚像なのか区別はつかないだろう。
「『草原を走る祖霊よ』」
緑に輝く翼の生えた馬、風の精霊が俺に推進力を授けてくれる。
虚像に向かって闇雲に牙と尻尾を振るうロックラットに、俺は肉薄した。
「『低きに満ちる祖霊よ』!」
俺は皮膚の隙間に剣を突き刺す。
そして、その剣を媒介に、ロックラットの固い外皮の内側へと大量の水を流し込んだ。
固い皮膚の間を縫い、水は皮膚の内側、細かい土の粒を全て纏め、泥へと変化する。
大量の水分を含み、急激に増した体重で、ロックラットの動きが鈍る。
そして、
「予想、通り!」
俺は全力でその場を離脱する。
直後、一角リザードの雷撃が、水に濡れたロックラットを容赦なく感電させる。
通常なら絶縁体となっていた皮膚も、内側までびしょぬれになっていれば、関係なく電撃が神経を焼くだろう。
「あと……一匹!」
精霊達の疲労の色が濃い。
俺は精霊達を尻尾で交代に休ませながら、最後に残った一角リザードに剣を向ける。
「『拒絶、断絶、隔絶。これより先は不可侵領域なり』!」
今日、四度目の雷の奔流。
それを、俺は空間隔絶の防壁で防ぐ。
一瞬視界が黒い壁で塗りつぶされるが、直ぐに解除して俺は、走る。
もう、精霊魔法は数回程度しか使えない。
俺は全力の強化魔法のみで、一角リザードまでの50m程の距離を数秒で埋める。
「……っ」
鋭い角の一撃を間一髪で風の魔法で逸らす。
牙、爪、尻尾の一閃。
どれもが帯電しており、まともに当たれば致死級の一撃。
剣で受けても流れ込む電流でダメージを受けるため、俺は攻撃の全てを勘と強化魔法で高まった身体能力で捌き続ける。
一角リザードはまとわりつく俺に、業を煮やし、大きく距離を取って再充電を開始した。
「それを、待ってた!」
俺の身体が、強化魔法と風魔法、重力魔法の三重の後押しで、信じられない加速を得る。
この瞬間、俺は銀の弾丸となった。
身体がバラバラになりそうな衝撃に俺は耐え、左手の剣を角の近く、ぱっくりと開き、高温の蒸気を放っている排熱孔へと差し込んだ。
一角リザードの鱗に触れた俺の毛と肌が、焦げ付いて嫌な匂いを立てる。
吐き気を、意志の力でねじ伏せ、俺は絶叫した。
「んの……終わりだああっ!! 『全てを灰に帰す祖霊よ』っ!!」
剣を握りしめた手が、一角リザードの電流で痺れる。
しかし、柄の感触だけは、はっきりと感じられた。
俺が放った炎の魔法は、排熱孔から逆流し、一角リザードの体内を焼きつくす。
排熱孔が塞がれ、超高温となった一角リザードは血液を沸騰させ、再び絶命に至る。
「……はぁ……っ……はっ……くっそ……しんど……」
俺は痺れとやけどで感覚のなくなった腕を引き、剣を抜いた。
抜けた所で握力が力尽き、剣を地面に落とす。
それを拾おうと俺が右手を伸ばし、かがみこんで握った時、【耳】に空気の抜ける様な、擦れる音。
「……っ!!?」
俺は全身に残った魔力と気力をかき集め、右足だけに強力に強化魔法をかけ、右足の腱と筋肉が断裂するのも厭わず、地面を割る勢いで蹴り飛ばした。
激痛に顔を歪めながら、右足の負傷を無視して振り向く。
俺が数瞬前までいた地面にブルーキングスネークの太い尻尾が叩きつけられていた。
ずっとステージ上に死体が転がっていた筈だと、俺が視線を走らせれば、そこに確かに死体がいまだ横たわっている。
「……ちげえ……抜け殻か……」
良く見れば、横たわっているのは透き通った抜け殻で、時間をかけて自身の傷を癒していたらしい。
そして、脱皮によって傷跡すらなくなった状態で、俺の前で死の訪れを告げようとしていた。
俺は乾いた笑いを浮かべながら、かすかに残った力で剣の柄を握った。
「あー……こりゃ、しんどいわ」
ブルーキングスネークはゆっくりと俺に近づき、大きく口を広げた。
恐怖か、それとも狂ってしまったのか、俺は痛みを忘れ、笑い声を上げた。
俺の視界が、真っ赤な粘膜で覆われる。
その瞬間、俺は右手の剣で力任せに、ブルーキングスネークの上顎を貫いた。
同時に、牙が俺の腹に食い込む。
びしゃりと頭から血を被り、俺はこみあがってきた血を口から零した。
俺は構わず、本当に最後の魔力を振り絞った。
「『五行転化、力は流転。陰陽の理に従い、我が意を為せ』」
呪いは必ず術者と対象がいる。
そして、必ず呪法には返し方というものが存在した。
「『千変万化』!」
俺の術は力の流れを操る術。
呪いの力を循環させ、呪いを肥大化させていく。
『ギイイイイイイイイ!』
ブルーキングスネークはその力に耐えきれず、絶叫する。
強大になりすぎた呪いは、術者へと跳ね返る。
自らの呪いで生きながらに死に、死にながら生きる苦痛を味わいながら、ぼろぼろと身体が砕けていく。
そして、ついには土へと帰っていった。
「……人を呪わば穴二つ、ってな……」
俺は、本当に精魂尽き果て、膝を折った。
腹から血が流れるのを見ながら、気を失った。
「……んがっ」
自分の鼾が案外大きくて、俺は眼を覚ます。
俺は何度か瞬きをして、むくりと上体を起こした。
「痛っ……結構まだ痛えなあ……」
俺の身体は散々なことになっていた。
左腕の火傷と電気傷、右脚の腱および筋断裂、そして右脇腹に空いた噛み傷。
その他軽傷多数といったところか、と自分の状態を分析する。
そして、周りを見回して、コロシアムの医務室だと分かった。
「結局、なんだったんだろーなー」
俺はぼやきながら、扉の方を見つめた。
意図的に、外に立つ誰かへ聞こえる様な声で。
「……どうやら、体調は悪くないようだな」
引き戸となっている病室の扉をあけ、入ってきたのは俺と同じ黒い毛皮の豹の男。
年齢は中年くらいだろうかと思うが、その体躯は鍛え上げられており、きっちりとした白い儀礼服の上からでも分かった。
「えーと……どちらさんだっけ?」
「名乗り遅れたな。俺の名はシューヴァ=アイントロンズ。この国の第一騎士団をまとめている者だ」
「……げ、お偉いさんかよ」
思わず条件反射で心の声が漏れてしまう。
慌てて、苦笑いで取り繕うが後の祭りだ。
「別に、君を取り調べに来たわけでも、拘束しにきたわけでもない。ただ礼と謝罪を」
「……は、はあ……?」
この国の騎士団団長がわざわざ来るような事をした覚えはさらさらないのだが、と俺は困惑気味に、とりあえず曖昧な返事をした。
しかし、この男は生真面目が服を着ているような性格らしい。
ぴんと延びた背筋のまま、彼は一度、騎士団様式の敬礼をした。
「……今回の魔物の暴走は、コロシアムとの共同調査の結果、意図的に引き起こされた物だという結果になった」
「あー、やっぱそうかー」
俺が、闘いながら感じていた事を、どうやら眠っている間に調査してくれたらしい。
この短時間で結果がでるとは、よほど諜報機関も優秀なのだろう。
「……君も、予想していたのか?」
「んや、確信はねえけどよ。なんとなく、悪意を感じたなーってだけで……」
「うむ、では詳しい説明は、後ほど資料等で纏めるとして……結論としては、君が以前、街中で暗殺事件を阻止したため、メンツのつぶれた暗殺ギルドが報復に走った、と言う話だ」
「うわー、俺、愛されちゃってるー」
げんなりと俺は軽口を叩くが、シューヴァは表情を崩さない。
なんだか相性が悪いなあ、と俺はふざけるのをやめて、続きを促すことにした。
「全ては偶然を装っていたが……試合の組み合わせ、観客の扇動、出場闘士の暴走、全て裏で手引きされていたことが分かった」
「ずーいぶん回りくどいやり方だこと……」
陰湿過ぎて俺は、耳を倒して辟易した。
「君が時間を稼いでくれたからな」
「……俺が?」
「もし君が直ぐにやられてしまっていたなら、魔物の死体を詳しく調べる前に、敵の手によって証拠が隠蔽されていた怖れがあった」
決定的な証拠は、蛇の死体に魔術的な細工が施されていたことだという。
もし俺が数秒も持たず倒されていたら、騎士団が到着する前に、その証拠は秘匿されてしまっていただろう。
そうすれば、限りなくクロに近いだけで、特定までは至らなかったとシェーヴァは告げた。
「……君は、元々旅人だったそうだな」
シューヴァは最後に、と前置きして語り始めた。
「この国は、長い歴史と強い力を持つ。それゆえ他国からの干渉も水面下で行われているんだ。今回の事件も途中で尻尾をつかみ損ねたが、どこかの国の差し金だった可能性がある」
あんまり聞きたくない内容だと俺は顔をしかめるが、シューヴァは意に介さない。
「数ヶ月前の大きな戦いで、流石のこの国にもダメージがあってな。好機とみた他国も多くてな」
「ちょいまて、一介の闘士でしかも実力も大してねえ俺に言うないような事じゃねえだろ」
耳を塞ごうが、俺の【耳】は全て記憶してしまう。
「そうかもしれないが、君は今回ターゲットにされたんだ。次がないと思っているのか?」
「……うへえ」
俺は顔をしかめて、尻尾を力なく垂らした。
「……安心してくれ。我々もただ税金で偉そうにしているわけではない。二度目は、させない」
強い決意の言葉と、俺の健闘を讃え、シューヴァは病室を後にした。
「……めんどい、ねむい」
俺は傷の痛みを思い出し、考えるのを止めた。
「……剣、無事だったしいいや」
俺の気がかりは、そこだけだった。