イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    Fractions#04_不器 テラ・マクドールと知り合って間もない時、リオウは彼との接し方に悩んでいた。本当に知り合うよりも前に、テラとリオウはどこか似ていると、それとなく人に言われたことが何度かあって、どんな人なのであろうか、意気投合できるのではないかと淡く期待していたのだが、出会ってみれば、テラは由緒ある家柄のお坊ちゃんで、一方のリオウは父母の顔も名も知らない孤児だったし、リオウは彼のように礼儀作法に通じてもいなければ、学もなかった。
     一体何がどう似ていると人に思われるのか分からなかったが、唯一打ち解けて話すことが出来そうに思われたのは、幼馴染のジョウイが棒術を習っていて、今は叶わない彼との手合わせが懐かしい、ということだった。するとテラは流派の違うジョウイのことを色々聞きたがり、ここにいない人物を中継して話題も遠回りをして、ようやくリオウは言った。
    「もしよかったら一つお手合わせ願えませんか?」
     武道をやっている人となら分かりあうには試合が一番である。
     するとテラはほんの短い時間驚いたような顔をした。リオウはそれを少しわざとらしいと感じた。たぶんテラは、本音をあまり明け透けにしないように教わっている。ジョウイにもそういうところがあったが、それは貴族だからなのか、棒術のなにかがそうさせるのか、などと思った。
    「申し出を嬉しく思う、ぜひもない。」
     といってリオウを喜ばせてから「ただ、」とテラの言葉は続いた。テラと話しているとこうしたことはよくある。
    「やるからには全力で挑みたいけれども、同盟の人々の目のあるところでは憚られるよ。」
    「は?」
     一方、リオウは思ったことが心を突き抜けてくるのがすぐなのだ。
    「自分のほうが強いってこと? ……ですか?」
    「滅相もない。」
     と、テラは両手を開いて挙げて見せるが、柔和な微笑がリオウの気分を穏やかにさせてくれるわけでもなく、(――舐められているのでは?)と思いついてしまったらもうだめで、リオウはイラッとしかけただけだったのが本当にイライラしてきた。
    「じゃ、じゃあ、今度グレッグミンスターにお邪魔した時に、勝負してくださいよ。」
     リオウは負けず嫌いだった。声を荒げたりはしなかったが、顔がひきつってはいたかもしれない。
    「それはいい。楽しみにしているよ。」
     日を置いて、グレッグミンスターにテラを訪うチャンスが来た。日数を経るにつれてリオウの心に沸き立つ競争心は最高潮となった。二人はマクドール邸の中庭で手に得意の得物を携えて、中距離に立ち合った。
    「よろしくお願いします。」
    (ボコボコにしてやる。)
     リオウはやる気と勝つ気に満ち溢れていたが、
    「よろしくお願いします。」
    テラはあくまで穏やかで、静かであった。


    *


    「ありがとうございました。」
     手合わせを始めた時と同じ場所で膝を折って、テラはリオウへ平伏した。数十回地面に転がされて、再び起き上がることのもうできないリオウは、うつ伏せで尻だけ上がった体勢で、「あじゅがとうごりあした」と擦り切れた声で返した。
     胸の中は敗北感の濁った青色に染まっている。一本も取れない、これほどまでに勝てない、しかもなぜ負けるのか分からない、ないない尽くしのやぶれかぶれだった。悔しい。この瞬間だけ、リオウはテラとの五年の歳差を忘れていた。同じくらいの歳の子供に負けた気がして、いっそう悔しい、と思われた。
     リオウの、巻き込まれているというか、率いているというか、取り組んでいる戦いは、いつもすれすれとはいえ、勝利を重ねている。リオウは戦場にも出る。数千、数万の人間が一つの地平に集まって、戟剣打ち鳴らし、鎧兜を貫き合い、命を奪り合う戦場で、騎馬隊相手にも徒歩の打物で、渡り合ってきた。また読み書きを習い終わるより先に、拳闘の型の方が覚えが良かった、人生の大半の時間、武道をやってきている自負もある。
    (やわな鍛え方してきたのか、ぼくは?)
     そんなはずはない。なぜならリオウにはジョウイがいた。ジョウイがゲンカク師範の道場に通うようになって以来、二人は親友であると同時にライバルだった。互いを鏡とし、目標として、疲れれば励まし励まされ、壁にぶち当たったら共に悩み、知ったことは分かち合って、時に相手の弱みをつつき倒し、またそれを教えて、鎬を削って高めあった。停滞することだけは、相手に許さなかったし、相手が許さないと思えば、自分にも許そうと思わなかった。
     入隊して間もないユニコーン少年兵部隊の武術大会で、二人で決勝に進んだ。ハイランドでは、武術と言ったら剣術のことで、槍と弩は一段格下、その他の打物なんか、野蛮人か好事家の博物趣味のためにあるもので、誰にも顧みられない。だが、リオウとジョウイは事情が違った。ゲンカクは二人に剣を教えなかったので、軍に入ってから覚えたハイランド軍式の剣術で、決勝まで上がったが、剣はしょせん、二人にとっては「うわき相手」みたいなもので、自分たちの本領はトンファーと棒であったから、決勝戦では互いに、剣を置いた。部隊の同輩も、指揮官たちも、街の人たちも、どれくらい偉いのかよく知らない来賓の人々も、みな目を魚のように丸くして、リオウとジョウイが本当に得意な得物で本気で打ち合うのを見ていた。衆目に曝されてやるのは、少し気分が良かったと、あとで話したっけ――。結果ではなく、二人で決勝に行ったことは、リオウの誇りだ。
     この戦いが終わったら、またジョウイと組手がやれるはずだ。この思いはリオウの心の支えである。
     自分の本気と真実を遠慮無用でぶつけることができるいつの日か、弛んだ自分を晒して、ジョウイのがっかりした顔なんて見たくない。
    (拗けるな――立て!)
     リーダーとしての自分は、しょせん担がれた存在かもしれない。だが、武道家としてのリオウは、同じ道の誰しもと平等な地平に立っている。しかし軍の中では、腕比べをするのは慎め、と言われているし、同盟軍に、リーダーであるリオウをこれほど完膚なきまでに叩きのめしてくれる相手はいない。
    (これはチャンスなんだ!)
     素手の拳を、地面に突き立てた時。テラはリオウの前に立っていて、リオウの片手からもぎ取られてすっ飛んだ片方のトンファーを、拾って差し出していた。
    「泥んこだ。風呂を支度させよう。」
     リオウは顔を上げた。
    「テラさんっ――ぼくに稽古つけてください!」
     テラはぱた、た、と二度瞬きして、威勢のいい顔をしているが片膝を地面についたままのリオウを視線でひと掃きした。リオウは、弱っている様子などなかったことにするつもりで勢いよく立ち上がって、片方のトンファーをテラから受け取った。足下をしっかりとさせて立つと、テラと目の高さが揃った。
     しかしテラは、あるのかないのか分からない程度の、読めない微笑を浮かべて、
    「君に、僕から教えられるようなことは何もないよ。」
     と、あれだけリオウのしたいことを完封し、手玉にとっておいてから、のたまうので、リオウはかっと湧く血潮で胸より上が熱くなった。
    「あぁん!? なんですか、それは! 貴族のたしなみのヒミツ主義ですか、意地悪ですか!?」
     リオウはテラの襟をつかみ顔を引き寄せて凄んでいた、がテラは、噴水広場の白鳩を眺めるみたいに穏やかなままだった。
    「お腹も空いただろうね。夕食はみんなでとろう。先に風呂に入りたければ、君に合わせるよ。」
    「お風呂が先かご飯が先かなんてどっちでもいいですよ! あなたはぼくのお嫁さんですか!?」
     テラは視線を斜め上に寄せて、なにか少し考えた。自分で勢いよく言っておいて難だが、お嫁さんがこんな爬虫類みたいな女性だったらいやだ。テラはリオウに服を掴んだ手を外させて、ふいと背を翻しながら、
    「今は、君は僕のお客人だよ。」
     と言った。



     風呂でさっぱりしただけならまだしも、その上さらに空っぽになった腹に美味しい料理をたらふく詰め込まれては、さしものリオウも好戦的な気分をどこかにやってしまった。日も暮れて、グレッグミンスターの温かい夜に、月と星を仰げば、中空には不思議と、静けさが眺められない。一人でいても孤独を感じなかった。マクドール家邸宅は騒がしい夜街からは離れている、が、黒い空が水で満ちているとしたら、繁華街の喧騒の、人々の蠢きが揺らぎとなって、渾然として絶えず打ち寄せているような、賑やかさの音以外の要素が、ここにも届いているばかりか、都市を丸ごと包んでいるような感じがした。
     平和は、少し騒がしい。
     リオウは虫の鳴く中庭に、灯りと床几を出してもらって座り、冷茶の急須と椀を傍ら、手慰みに特に用のないうちわを、扇いだりやめたりしながら、今日のことを考えていた。
     同時に、テラを待ってもいる。
     夕食の席でも、リオウはテラに武術指南を求めてみたのだが、テラはちょうどそこに生えている柳の枝葉のように、ひらひら、かわすばかりで、やれ「ゲンカク師範の直弟子を相手に」とか「ルカ・ブライトを一騎討ちで討ち果たしたほどの君に」とか言って、自分が教えられることなど無い、と、これは根を張ったように、譲らないのだった。
     しかしリオウのほうでも引く気は全くない。リオウはリオウで、テラにすでに狙いを定めている。これまで、ジョウイというライバルがあって、切磋琢磨してきたのが育ち方だったリオウは、ジョウイと道の別れている今、そういう相手が空席のままでは、強さを求める心の火を燃やせないのだった。本気でぶつかれる相手がずっと欲しかったこと、これまでの自分が不完全燃焼だったことも、テラに思い知らされたのだ。責任をとってもらうつもりでいる。この夜も、客の身分を利用して、主人であるテラに寝るまでの話相手を半ば強要したのであった。どうせ向こうはリオウの要求を適当に受け流すことができると、たかを括っているに違いない。リオウが諦めさえしなければいいのだ。諦めないのは得意である。
     居館のほうから提灯の灯が、彷徨い出てきた。張り出した屋根庇の下の闇から出てくると、風呂を済まして涼衣(すずぎ)に替えたテラの姿が月明かりにはっきりと見えた。足首を覆わない突っかけを履いて、烏の濡れ羽そのものとなった髪に、手ぬぐいをいい加減に乗せていた。
    「良い夜だね。」
     夜の良し悪しは、リオウにはまだ分からない。二人は並んで床几についた。
     何故なのだろう、とリオウは思う。たぶん、向こうには、テラに何とかうんと言わせようとしているリオウの心胆など、見え透いている。うんという気もないのだろうが、そのわりに、交渉の場に釣り出されてはくれる。
     遊ばれているのかもしれない。
    「あなたから学ぶことがたくさんあるはずだって思うんです。」
    「ふうん?」
     テラはそのようには信じていない、という相槌。
    「リーダーとしてのあり方? みたいなこととか……個人的に強くもなりたいですし。」
     リオウは自分の手のひらを見つめてそれを握ったり開いたりした。新たな局面を迎えるたびに、戦いは苛烈さを増していく。力が足りなければ、また誰かを失うだろう。リオウは、あてがわれた部屋に置いてある荷物袋の姿を思い描く。その奥底にあって背負うと背中に当たる、火打ち石の硬さとともに。
     自分の無力のせいで誰かを喪うのは、もうごめんだ。
    「ルカ・ブライトにだって。ぼくの力で勝ったんじゃない。もう矢が体に何本も刺さってる相手に、とどめを刺しただけだ。」
     暁暗に瞬いた蛍火を目掛けて、無数の弓の弦打ちが鳴る。夜明けは迫っていたとはいえ、闇の中のこと。作戦が始まってからその時まで、リオウはルカの姿さえ見なかった。分かったのは、東の山麓が曙光に輝き出すにつれ、隣に立つシュウが、焦りを押さえつけるように眉をしかめていたこと。夜が明ければ蛍は光るのをやめていただろう。策は不成となり、同盟兵が隠伏して周囲を取り囲んでいるのがルカと白狼軍の余党に見られたことだろう。あとは、どうなったことかわからない瀬戸際だった。だが暗闇に蛍は舞った。篝火が一斉に灯され、突然明るくなった一円の中心に、佇立する大きな姿。
     猪や熊には、毛皮が分厚くて矢が肉まで通らないものがいるそうだ。ルカは狼のような男だったから、その鎧の上に何本もの矢は突き立っていても、ともすれば、身震いすれば振り落ちてしまう程度のものに見えた。実際、全身にみなぎる精神の力、リオウを押し潰さんばかりの底知れぬ殺意、憎悪、嗜虐心、嘲弄、などなど……は、瀕死の重傷を負った人間のものでは到底なかった。
    「ぼくの力じゃない。」
     そのルカを、リオウは幾度も顔をぶん殴って、死に至らしめた。甲冑のせいで他に殴る場所がなかったのだ。聞いた話では、ルカのように自分の体にぴったり合う鎧を誂えるのは、ちょっとした貴族ではできないくらいお金がかかるらしい。宮殿を建てるくらいだというのだから、ルカは一人が堅固な要塞のようなものだった。一騎打ちのさなかに、腕や腹や胸も打ってみないではなかったが、堪えた様子がなかったのは、今思い出しても心胆が寒くなる。
     だから顔を殴るしかなかった。一度は剣を奪って、首を撃ち飛ばしてやるチャンスがあったが、ルカは首に半ば食いついた剣を手のひらで掴み止め、リオウから奪い返したのだ。血が吹き出してリオウの顔と胸にかかった。トンファーも強く握らなければ手の中でぬるけた。それからまた殴って、殴って、ようやく斃れたルカの亡骸は、見るも無惨な姿だった。
    「“よろいどおし”って知ってるかい。」
    「へっ?」
     記憶へ心を差し伸べたリオウの一拍の沈黙に、テラの言葉は不意打ちのようだった。
    「刃渡りがこれくらいの刀の一種なんだが。」
     テラは両手の人差し指を、肩幅よりも狭いくらい離して立てた。
    「刀身が厚くて貫通力がある。鎧を貫けるから鎧通しというんだ。あると便利だよ。」
     ああなるほど、鎧の相手には、それで脇腹など突けばよかったのだなとリオウの思考は今に追いついた。テラの言いは、助言ではあったが。
    「それって暗器ですよね。」
     テラは無音で首肯する。
    「一騎打ちで暗器とか、人聞きが悪いのはちょっと……。」
    「良い心がけだね。」
     せっかくの勧めを「卑怯だから」と断ったようなものだった。なのに、テラは気を悪くした様子もなく、リオウはだんだん悪かった気がしてきて、わざとに声音を明るく作ってみた。
    「戦争してたときテラさんは使ってたんですか?」
    「うん、クワンダ将軍と戦った時から、戦場では七本くらい持っていたよ。」
    「へー。」
     リオウは解放戦争に詳しくないので、クワンダ・ロスマンとの戦いがテラの率いる解放軍の旗上げの戦で、つまり最初からであることは知らない。
     人相の判別もつかないほどに顔が変形したルカの亡骸は、シュウによれば、ハイランド側との申し合わせによって、その場所に放置された。砦にほど近い木立の中に、敵国の大将軍の屍を残して、軍は引き上げた。夜明けとともに、狂皇ルカ・ブライトをリオウが討ったという知らせが城下にもたらされ、華々しき凱旋となった。大衆の歓呼の喚きを通り抜けるなり、疲れからか、リオウは倒れて、昼夜もなく眠った。
     目が覚めてからその場所に行ってみた。シュウが止めないので予想はしていたが、一夜の死戦は既に過去へと片付けられていた。ルカの亡骸がなかったのはもちろん、樹木にはルカを外した矢が穿った傷だけがあり、篝火の置かれていた場所の周りに、黒い燃えさしが点々と落ちて、ルカが一度は手に取ったはずの木彫りのお守りは、地面を探しても見つけられなかった。
     ユニコーン少年兵団の仲間、リューべの村やトトの村の人々、ピリカの家族、ポールと傭兵隊の砦の人々、ミューズの市民、サウスウィンドゥやグリンヒルの代表者たち、そしてリオウの指揮下で戦場に散った人びと、全ての仇を取ったあとの、いやに静かなそれが、自分たちが渇望してきたらしい、勝利の姿だった。
     歓声は同盟領じゅうから聞こえた。ルカの死を喜ぶ人々の言葉と表情に輝きがあった。だがそれは、建物の中に入れば風に当たらないのと同じように、あることは分かっても、リオウの肌に触れてこないように感ぜられた。
    「……ぼくは喜ぶべきなのに。」
    「たくさんの人の力添えがあったからこそ成しえたことなのだと、思うことはできなそうかい。」
    「……分かってますよ。そのことは。」
     敵の陣営内で起きた裏切りを、絆の力と言えるのならば、だが。罠を張った。三倍する兵力を投じて、遅滞戦術を取り、接近を拒絶して、遠当てに当てたら退いて。それが戦争なのだと言われればそうだ。だがやるせない。
    「戦場には正道も邪道もないが、君は正々堂々と戦いたかったんだね。」
     鎧通しを使いたくない、と言ったリオウの性情が、テラには筋が通ってみえている。
     リオウも、多分、そうなのだろうと思った。
    「一人じゃ勝てなかっただろうけど。でも、だからこそ、ぼくは強くなりたい。でないと、いつかまた――。」
     リオウはいつしか膝の上に肘をついて、両手を組んで握っていた。首を回して、背筋の伸びたテラの顔を隣から見上げた。テラはほんの少し目を細めただけだ。
    「あなたが必要なんです。」
     こうした場合、返答が是であれ非であれ、対話の中で感情が往還したなら、返辞の前には相応の沈黙が払われるものだ。それは、リオウの心をまずは受け取った、という受領のあかしのようなものだ。だが今、テラはそうした時間を挟まず、間髪入れずに即答したと思っていただきたい。
    「君に僕は必要ないよ。」
     沈黙は、その後に降りた。


    *


    「僕が必要だと思うのは僕の勝手でしょうが!」
    「君はそんなふうに思うかもしれないが、事実はそうじゃないんだ。」
     リオウはすでに立ち上がっていて、腕をぶん回した挙句に両手で髪を掴んで「ムギイイイ!」と言葉にならない苛立ちを表現した。テラに出会ってこの方、頼んでも聞いてもらえなかった事例一つを石一つにして積んでいたら、そろそろ膝の高さになっているだろう。おかしい。気持ちが全然通じない。話に聞くトランの英雄は、困っている人を決して見過ごさない熱い人情の持ち主のはずなのに。
    (……暗器も使うし。)
     イメージと実態が離れているような気がする。これも、テラに言わせれば、リオウが思っていることと、事実は違う、というのに過ぎないのかもしれない。
    「人に教えられるほどの腕じゃないんだ、本当に。それに、特に教えたり育てたりする能力にかけては、僕は生まれつき不具なんだ。鉢植え一つ育てられない。」
     鉢植えを枯らすテラの様子はリオウの想像力の中に容易に描かれたが。
    「……乗らないですよ。はぐらかさないでください。」
    「事実だよ。グレミオたちに聞いてみたまえ。僕の戦い方が知りたいならカイ師匠に聞いたが早い……首都におられるから。……そもそも人に指南なんてしたら、僕は師匠に殺されてしまうよ。」
     リオウは口をへの字に結んだ。まあ確かに、武術師範についた弟子であるからには、師範代として認められない限り、弟子を取ることは許されない。リオウはテラの弟子になりたいわけではなかったが、テラの側からすれば、同門でもないリオウにみだりに技を明かすのもまた、法度である。
     テラの師匠のカイ師範はグレッグミンスターで国軍の武術指南の地位にある。弟子入りすれば、テラは兄弟子となり、教えも存分に分かち合えるだろうが、リオウの立場としても、自由になる時間について考えても、あまり現実的でない。
    「僕にこだわる必要はあるまい。都市同盟にも、大陸に名の聞こえた武術家は大勢いる――。」
     リオウは聞いていなかった。
    「テラさんが師範代になったらワンチャンあります?」
    「犬がなんだって?」
     ワンちゃんではないが、少し時間を置いてテラはリオウの言うところを飲み込んだようだった。
    「師匠はお認めにならないだろう。さっきも言った僕の欠点をよくご存知だ。」
    「だろうって、師範代になれるか聞いてみたことないんですか?」
    「ない。」
     そのあとのテラの言葉は、不用意に漏れた頭の中の考えのようであったが、リオウは聞き逃さなかった。
    「目指してみようかな、師匠がご存命の間に……?」
    「そうしましょう!!!!!!」
     リオウはテラの両手をまとめて握り、テラを引っ張って立たせた。
    「死ぬ前に師範代にしてくれなんて、不敬なこと、言い出しにくいでしょうから、ぼくからお願いしてみますよ!」
    「……まずいことを聞かれたな。僕としたことが。」
    「明日早速、お城のカイ師範を訪ねることにしましょう!」
    「君は必要ないよ、リオウ。僕の動機に不敬の部分は確かにあるが、自分の意思は自分で伝えられる。」
    「じゃあ、また明日! おやすみなさい!」
     流れをつかめば、離さないのがリオウの特質であった。テラが必要ないと思ったところで、リオウがカイを訪ねてしまうのが事実、と、リオウはやり返したように思って、にやけながら寝床について、あっという間に寝た。次の日。
    「カイ先生! テラさんから指導を受けたいのでテラさんのこと師範代にしてください!」
    「なんじゃとこのダボガキがぁっ!!!!!!」
     リオウは謎の技をかけられて縦に六回転しながら横に十回転して、最速で土下座するためについてきたテラの横をすっ飛び、教場の壁に激突してめり込んだ。風圧で前髪の跳ねたところが揺れて止まった頃に、テラは道着の裾を膝下に畳み込んで正座して、師に正対し、教場の床に額ずいた。
    「申し訳ありませんでした。」
     トランの軍兵が大勢呆気に取られながら見ている前であった。

     教練が終わってカイの体が空いたところへすかさず、リオウは再度の具申に入った。自己紹介から始めた――武道家としての自分のだ。師範はゲンカクで彼の養子でもあること、ゲンカクが世を去ってからは姉と道場を守っていたこと、同門の幼馴染と技を磨き合ってきたが今はそれが叶わないこと、テラの腕に惚れ込んだことなど語ったあとに、新都市同盟軍を率いている立場柄、トランで公職にあるカイに師事できないこと、立場が何になろうが武の鍛錬を続けたく思っていることなどを、腕立て伏せを申しつけられたテラの背中の上で上がったり下がったりしつつふんぞり返るカイに聞かせた。カイはキセルで煙草を吸っていて、大きく吸い込んだ煙を鼻から噴きながら長いため息とした。
    「そんなわけで、テラさんにぜひ稽古つけてもらいたいんです。でもテラさんは師匠が許さないとダメだって」
    「ほう。……ぼん、わしが許せば稽古つけてやるぞと、そう小僧に言ったか。」
     カイは尻の下のテラを覗き込んだ。テラはカイを重石に乗せたまま腕立て伏せを続けているが、話しかけられると息が乱れて負担が大きそうであった。
    「二百二十一、二百二十二、言いませんでした、二百二十三、リオウは特に、僕の言うことは、二百二十六、少々都合よく覚え違うのです。」
    「テラさんは師範代になりたいって言ってました。」
    「ほう? どうだ、ぼん。」
    「言っておりません。……いずれは、目指すのもいいかもしれない、と申しました。二百三十三……」
    「ふん……。ガキ猿、馬鹿弟子は貴様のいうのは偽りだとよ。」
     リオウは膨れっ面をした。言を返したのはテラだった。
    「師匠、リオウは嘘をついたわけではないのです……二百四十、彼はものの捉え方が前向きなので、どんなことも、頭の中で実際よりも進展、しているのです。それを嘘とは……」
    「やかましい。」
     カイはキセルの先でテラの頭をポケっと殴った。
    「言うことあるか、ボケナス。」
     リオウは水を向けられて、正座したまま憤然と腕を組んだ。
    「言うも何も。先生からお許しがもらえるかどうか、答えてもらってないです。てゆーか、師匠になってもらうことも考えたけど、やっぱり、あなたよりテラさんがいい。それに、テラさんが師範代になりたいのは本心だと思います。」
     リオウが言い募るにつれてカイは顔がにやにやとしだし、テラは腕立てをしながら悲しくて途方に暮れた。
    「まったく、近頃のガキっちゅうもんは。」
     カイは煙管をくわえて考えごとをはじめ、テラは刑の執行を待つ囚人のように黙って腕立て伏せを続けていた。やがて、カイが重たく声をこぼした。
    「……『退屈』か、テラよ。」
     瞬間、空気が微細な雷を持ったように、リオウの肌をぴりっと痺れさせた。自分が感覚したのは一体なんだったか、リオウは最初分からなかった。
    「……少し、」
     答えた、腕立て伏せをしながら頬に汗を滑らすテラの、いつもの端正な礼容に覆い隠される寸前の、飢えてぎらついたような横顔は、別の何か恐ろしいものをリオウに想起させた。
     カイ老師はテラの背中からやおら立ち上がって、「そこに直れ」とテラに命じた。テラは言われるまま腕立て伏せをやめて、リオウの隣に正座した。
    「リオウ。おまえの目から見て、テラはお前よりどれくらい使える。」
     ガキでも猿でもナスでもなく名前を呼ばれたことに驚いたのは、隠しおおせたリオウだった。テラと打ち合った感想はさほど難しくなく言葉に出てきた。
    「てっぺんが雲で見えないくらいです。」
     カイは嬉しそうににやりとした。
    「テラ。リオウはどこが弱いか言ってみろ。」
     テラは怪しむような顔をした。
    「リオウ殿は弱くありません、師匠。」
     リオウは思わず口を挟んだ。
    「まーた、そういうの良いですから。」
    「こやつはお前から一本も取れなんだぞ。」
     前と横から追求されてテラはむ、とうなった。
    「しかし、僕にはリオウになんの不足があるのか、これといって見当も付きません。」
    「それよ。他人の弱さに興味がないんじゃ、きさまは。ゆえに試練を与える。」
     カイは煙の細くなったキセルのはしをテラに差し向け、興がるようににらまえた。テラは困惑の名残はいったん押しのけて居ずまいを正す。
    「このリオウを鍛えて、お前から一本取るまで育てよ。それができたなら、以後師範代を名乗ることをゆるす。」
     声こそ上げないもののテラが驚いているのがリオウには分かった。驚きはリオウにもあった。なんと、テラは師から直々に、リオウに稽古をつけろと言われたのだ。それはリオウの望んだそのまんまではないか。
    しかし、テラはリオウにわざと負ければ明日にも師範代になれてしまう。そういうことをするだろうかとリオウは考えた。
    「しかし、師匠」テラの声には苦さがにじんでいた。「僕は人を育てる器ではありません。ご存知であると――」
    「おんどれと自分を比べて勝手に絶望していった連中のことなぞ、忘れてやるのが情けというものよ。」
     テラは眉を顰めたまま密かに息をついた。
    「平凡なものは多い。だが己の平凡さを許せないのは弱いやつだけじゃ。」
     リオウは師弟の間で交わされる会話をほとんど意味がわからないまま聞いていた。なので急にカイが「こやつは、」とリオウを親指で指したのでびっくりした。
    「弱くないと、そう言ったな。テラ。」
     テラは少しく目を瞠って、横顔を引き締めた。
    「あのー。」
     リオウは口を挟まずにはいられなくなった。
    「えっと……こう言っちゃ失礼ですけど、テラさんがぼくにわざと負けたら、明日とかにでも師範代になっちゃえません?」
    「そんなことはしないよ。」
     即座に答えたのはテラで、カイは何も言うことがないように煙管をくわえてにやついていた。「リオウ、」テラは膝は師に向けたまま、リオウの方へ上体を捻った。声と向けられる視線に引っ張られるようにリオウはいつの間にかテラの両目を見つめていた。暗い穴がぽかりと二つ空いている、何かの間違いのような目だ。
    「君の忙しいことは承知しているが……師匠からの挑戦、ともに受けてくれないか。」
     目差しと声にはリオウの知らない厳粛さがあった。これに、反応したのはほとんど自分の意思ではなかった。心臓がばちりと鞭が入ったように高鳴ったし、体の内側が真ん中に向かって縮むほどの衝撃力で、口までぽかんと開いた。そのリオウの様子を見てから、テラはほほ笑んで、返事はもう聞いたみたいに右手を差し出すのだ。赤月帝国じゅうの戦争に役立つ才覚の持ち主を根こそぎ籠絡したのがこの右手、それに真っ直ぐな眼差しだった。リオウの気持ちは握手を飛び越えて、テラの肘を自分の肘で取った。
    goban_a Link Message Mute
    2021/12/01 13:53:45

    Fractions#04_不器

    2軸Wリ なんかぼちとにすが組み手するのお約束みたいだから自分もやりたく思った
    にす…リオウ
    ぼ…テラ

    読者様アンケートhttps://forms.gle/nJorVF2R4az56Bny7
    自作解説みたいなやつ(恥) https://privatter.net/p/8223664

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品