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    【約束の日】世界は終わらない 1999年。世の中は不気味な恐怖を抑圧しながら、昨日の続きを編んでいた。社会に満ちていたのは、理性的な恐怖ではない。大昔の預言者が、1999年の7月に世界が滅ぶと記したというのを、テレビや雑誌がこぞって取り上げたために、恐怖は人々の心という土壌を得た。
    暦が進むにつれ、その時へ一歩一歩近づいているという漠然とした不安を、たくさんの人が持った。朝起きて、電車に揺られて、仕事をして、帰って寝る、その繰り返しの間にも、自分の生活と同時並行して、終わりに向かって秒針が刻まれている、という感覚。もとが非科学的な予言なので、真に受けて本当に恐怖する人は、現代社会に居場所がなかっただろう。ほとんどの人は、そんなことあるわけがない、と思い、実は「未来が不確かであること」は真実であるが、それからは目を逸らして、理性的に生きていた。
     普通の人々にとって、1999年の7月は何も起こらずにただ過ぎた。
    1999年が終わるまでは、暦法が違って七の月とは別の月のことなのかもしれないと騒いでいた人も、次第に予言が本当にならなかった現実に馴染んでいった。
     1999年を何事もなく生き延びた人々は、単に予言がうそだったことに安堵したり、「あの熱狂は何だったのか」と、肩透かしを食らった思いをしたり、ちょっとでも怯えた自分を恥じたりした。だが、その時現実にはならなかったものの、心の底から「世界が急に滅ぶはずがない」と信じることができていた人は、実はいなかっただろう。人々は眠りにつく前に、卒然とした恐怖に襲われる夜があっただろう。「もしかしたら、寝ている間に世界が滅んで、明日の朝、自分が目覚めることはもうかもしれない。」
    実際、世界は場合によっては急に滅ぶのだから。
     6歳の相良葵(そうら・あおい)が辰巳記念病院の小児科病棟で目を覚ました時、1999年の七の月は終わっていた。彼は「事故」に遭ってほとんど1ヶ月意識を取り戻さなかった。彼が昏睡している間に両親は火葬され、それぞれの実家に引き取られて納骨が済んでいた。葵は親戚の養子になる手続きを経て苗字が「相良」に変わっていた。診察で医師に「そうら あおい君ですね。」とフルネームで呼ばれると、その都度「ちがう」と思いながら「はい」と言った。
     彼は悲しむことができなかった。両親の死、について、周りの人が葵に理解を急かさず、葵とあえてそのことを話さないでいてくれたことで、葵はそれを自分のこととして考える前に、6歳で両親を失うことの一般的な意味はどんなものであろうか、と考えていた。
     それはたぶん悲しいことだ。両親は子ども(葵のことだ)を世界で一番愛してくれていた。もう大きく深くたくさん葵を愛してくれる人はいなくなってしまったのだ。でも、両親は葵を愛していただろうか?
     はっとして冷たく恐怖する。両親というものを知っているのに葵は自分の両親がどんな人であったか覚えていなかった。そのことを人に話すと、事故の後遺症かもしれないとのことだった。思い出すのが辛すぎることを、心は、自分を守るため、記憶を封じ込める力があるのだという。
     なら、葵は葵のことも封じ込めてしまったみたいだ。親戚の様子をよく見ていると、事故に遭う前の自分は、もっとおしゃべりな子供だったらしい。葵はまだたったの6歳で、小さかった頃なんてついこの間のはずなのに、思い出せることはほんの少しだ。家に住んで居た記憶はあるがどんな家かは覚えていない。父母が存在したのは確かだが、顔が思い出せない。毎日ぼうっとして、何か聞かれたら答えて、食事が出たら食べて、起きていても寝ているみたいに過ごして、やがて夜の中の本当の夜が来る。
     葵は眠っていてもその時間には自然と目を覚ましてしまう。まるでそれが朝みたいに、頭が冴えて、何かを探しているような気がして、駆られて、彼は院内を彷徨った。
     時計の針が深夜0時を指す時、それは訪れる。「影時間」という名前を誰かがつけていることを葵が知るのは十年先で、この頃は夜の中にもう一つの夜がある、としか認識していなかった。
     葵は、事故の前にも夜がこんなだったか考えるが、やはり思い出せない。同じ病室の子供たちが、黒い小さな棺になって、彼らのベッドの上に立ち上がっている。病室を出ると、深夜でもおかしなことがないか巡回してくれている、看護師が柩になっている(つまり、おかしなことは起きている)。ただ静かで、電気が全て消えているのに、空気が光っているように緑色に明るい。最初は血の水溜まりのようなものをピチャリと踏んでしまい、嫌な気持ちになったが、足元に気をつけて歩けばいいだけの話だ。
     葵はその時間に、自分以外の人と会ったことがない。世界の当たり前が止まってしまっている時間にものの場所を動かしたり、落書きをしたり、色々試したが、大抵のことは、普通の夜に戻った時に元通りになっている。「ないことになる時間」なのだ。
     つまり、暇だ。葵は不可逆的な変化――器物の損壊などを試みる発想はなかった。他の人たちと同じように眠れたらいいのに、と何度思ったかしれないが、どうしても目が覚めてしまう。「夜中に目が覚めてしまう」と医師に相談したところ、様子を見にきてくれたらしい看護師の棺と思しきものがベッドのすぐそばにそそり立っていて驚いた。翌日、「昨日はよく寝てたみたいだね」と言われた。
     仕方のないことらしかった。それもこれも事故のせいかもしれないと考えることに慣れていた。葵は影時間に目を覚まし、終わるまで眠れない。たぶんそういうものなのだ。
     病院の談話室にアップライトピアノがあった。葵は鍵盤蓋を開けて、一つの音を薬指で弾いた。その音は鍵盤に指をつけている間伸びて、ゆっくり減衰して消える。本当の夜がまた沈黙へ還る。
     椅子を自分の高さにして、葵はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」を奏ではじめた。事故の後自分の持ち物に楽譜が入っていて、それを辿ることができる自分に気づいたのだ。渾々と音が湧き出るようなアルペジオを、ペダルをふんだんに使って響きを残し、この息を止めたような夜に、「呼吸」が存在するように……。葵は影時間をピアノを弾いて過ごした。
     アコースティックな楽器から出る音は、自然に消えていく。だから、この異常な夜の中にも生まれることができる。そういうわけで、葵は音楽が好きだ。事故の前から好きではあったのだろうが。


    2010年1月31日。世界は滅ぼうとしていた。1999年の夏に、人々は世界の終わりを色々に空想したが、起きたことはもっとずっと恐ろしかった。影時間に象徴化出来ずにシャドウとなってしまった人は彼らの起源との完全な合一を目指してタルタロスをへと殺到した。葵は戦うことに必死だったのだが、ニュクスの核と向かい合って、「死」とは、いろんな定義ができるが、自分が自分でなくなることかもしれないと思った。ようは、1999年の7月に、葵は死んだのだ。港区に戻ってから出会った人々の声が心に届いてくる。自分を自分でいさせてくれるものは、「生きさせて」くれるものは、誰かと繋がったこの心なのだ。

     3月5日。だから、ある意味では、葵は死ぬわけではない。そう言うつもりで笑った。
    goban_a Link Message Mute
    2023/03/05 0:00:00

    【約束の日】世界は終わらない

    きたろさん(鳴き声)
    #ペルソナ3  #P3 #約束の日  #約束の日2023 #キタロー

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