狐六方 空模様こそ嫁入りと言われて、葉隠れの空は青いというのに飴のようにぱらぱら、木立ちを樋に雨水は宙を歩いて、漫ろ歩いて、いつか地に落ちる。
きつねの幼姫の足下へ、彼女を娶る婿君とつないだ手の上にも。
「あ 」
幼くして夫婦になった二人で揃って森を歩くのは、彼らの眷属と地神へのお披露目のためで、ふいに立ち止まった花嫁の後ろには長々続く従者の行列があり、つんのめったりぶつかるものあり、傘やら幟やら賑々と揺れた。
「冷たい…」
ぱっと離れたつなぎ手を覆う銀の毛並みに雫。若君は悪戯ものを掃ってやり、もとのように手をつなぎなおして、行列はふたたび賑々と、進み始めた。
先頭をゆく露払いが妙なものを見たのはその後である。一人が花嫁に常侍る老女に耳打ちをして、行列の通り道の傍に家があることを告げた。
人の入らない山である上、通り道が選ばれている。急に現れたのでもなければ、間違ったとて人家にぶつかる事などあろうはずもない。
齢経て誰より物を知る嫗狐は、眉間の真ん中に皺を集めてしばらく思い、行列をこのまま進めるように言い渡した。
りん、しゃん。囃し手の持つ鳴り物の音が木々に吸い込まれていく。少しく地が開けて、露払いの言い通り山家が覗ける。塀囲い、門の類の無いあばら家、突然な破れ縁。白茶けて侘しい障子の放たれた、粗末な室。
「ばば、人?」
幼姫は僅か青ざめて、良人につないだ手の握りを強く。彼女の恐れを知った彼は、同様少なからず緊張しながらも、気をつけて穏やかに手を握り返した。
老婆は破れ縁の向こうに睨みを効かせて、行列を目前にする人が坐す形のあるのを確かめる。
「人ですが、ご安心なさい。眠っています。恐れず、進まれよ」
山家の前に差し掛かり、人がいた。きっちり此方に膝を揃えて、その膝の上に両手を揃えて。
彩多い青乱の衣、彼らの仲間内に見えるような毛色の天窓、解かれてかかる目元に紅、固く瞑じている。
「きれいな人」
「仙ちゃん?」
幼い姫は横目で少し窺うつもりで人の姿に目を留められていた。花婿は驚き、初めて声を上げる。
「人が死と呼ぶものは我々にはありませねど、終わりはあります。三宝の上に剣があるのが見えますか」
老婆は花嫁に諭す如く、姫は眼差しを導かれて、人の膝前に据わる三宝と、横たわる剣を見た。
「我等の由縁、我等の今様、我等の道行きを知れば、以ってあの男は我等を終わらせる事ができるのです。剣の使い手はただのつまらぬ人間から現れます。
―― あまり、見なさいますな。」
途端、眠る人は美しいけれど恐ろしいものに見えて、息を潜めて目を外す。
「――こわい」
「――大丈夫」
瞬きの度に、幼い姫の目蓋の裏には青の綾が踊っていた。人が目を覚まさないのが不思議だった。
「無闇に恐れるものでもありませぬ。ああした者がなくば、人の念に結ばれたが最後、我等は我等でなくなってしまいますゆえ。
それに、恐らく、あの者は使い手にただ今なったところでしょう。姫様にお知りいただくべく何方かが召し寄せたものかと。この地で人の子が目を覚ます事は叶いますまい」
「襲ってきたって、返り討ちにしてあげる。」
婆が頼もしいことと笑う。姫の恐れは晴れて、はにかみながら、神意によって夢に捕らわれている人を二たび見やると、男は眠ったまま、畳に指をついて身を低く伏した。若君が声を立てて笑い、姫は微かに憐憫を誘われて、ゆっくり身を起こした男は――
青い目の灰めいた影から幼姫の眼を穿ち、
「あっ」
きりと細め、
(どうぞ ご贔屓に。)
若君が咄嗟に立ちふさがり、男の眼を姫の前から隠した。
「……、
姫様、ご挨拶を。
あのものと我等は、これから長の時をすれ違い続けます。それは幸いな事なのですよ。」
幼い狐の夫婦がそろって男に目礼すると、男は再度礼を返し、またもとのように眼を瞑った。
ぱち、ぱち、雨の雫が破れ縁を打つ音が鳴り続いた。(了)