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    Valhöll 赤くなる。
     視界が正常に戻ると、闇の中で佇立する大きな影、白い甲冑は、目立った。こんな格好でよく夜襲などしようと思うものだ。手に握られた長大な、華美な装飾の剣は先端三分の一が赤く濡れ、血を滴らせている。
     リオウの血だ。深く裂かれた傷が紋章の力で瞬く間に塞がっていく。リオウは立った。がしゃり、鉄靴が土を踏む音。あの血は他の誰かのものではない。幼い子供や女性、領民を守ろうとした為政者、無辜の市民、リオウやジョウイに親切にしてくれた人たち、その誰の血でもないことに、奇妙に安堵する。
     何度目になるか、打ち掛かっていく。強い、重い、一撃を受けて膝が横に折れそうになる。力の向きを下へ流して、片方のトンファーに長剣を食いつかせたまま、力に従って沈む。踏みしめた分を反対のトンファーにこめて脇腹を殴る。鎧の厚さ、鎖帷子のしなやかさ、その重みをものともしない体躯、ルカ・ブライトの生命力に打撃を加えるには、リオウの拳はまだ遠かった。
     腹に木の幹を突っ込まれるような蹴りで反吐を吐きながら吹っ飛ばされる。今度は、視界は白かった。

     東の山道へ逃げろ、と別々の声が叫びあっている。夜襲。そう、あの時も夜襲だった。事態が飲み込めずに地面に膝をついたリオウは、東だ、東へ逃げろ、という声が狼の遠吠えのようにあちらからもこちらからもする闇の中で、どうしてかはわからないが、地面に刺さった矢に、視線が吸い寄せられていた。地面に――だろうか。ユニコーン少年兵団の、同輩の亡骸に刺さっていたのではなかったか。亡骸だったろうか。彼はまだ生きていて、呻いていたのではなかったか。
     どうして。かあちゃん。なにが。……。それが彼らの最期の言葉ではなかったか。
     矢は、一様に同じ方向へ傾いていた。宿営地は山の中で起伏が多いので、まっすぐに射てもそうそう当たらない。斜め上に向けて放たれたたくさんの矢が、放物線を描いて降り注いだのだ。その矢羽はみな、東へ向かって傾いでいた。東。その意味を、リオウはすぐには理解しなかった。ジョウイが冷静でなかったら、他の誰もと同じように、山道を塞いだ兵に叩き切られていただろう。

     ルカ・ブライトに突き刺さったままの矢は馬鹿げた装飾のようだった。その鏃は肉に届いているのか、リオウにはわからない。だが、出血している場所は他にもあった。剣を水平方向に殴り、小手も殴り、出血箇所の傷を殴った。これまでの試みとは違って柔らかく、熟した桃のように潰れる肉の感触。ルカ・ブライトの歯軋りが聞こえた。

    「あいつの得物は……不利だろ。ルカ・ブライトは、殴ってもそうそう死なないぜ。」
     いつもの酒場ではなく兵舎の一隅で、フリックとビクトールは武器を点検しながら話していた。
    「だが、トドメはリオウに刺させるってぇのを軍師さんが譲らねえ。リオウだって、自分で決着をつけたいだろうよ。」
     政治や私情を持ち込む余裕のあるような戦いではない、という考えを、フリックは長いため息に混ぜて殺した。
    「てめえの心配をした方がいいと俺は思うがね。作戦じゃあ、一番元気なルカ・ブライトにぶつかる予定だろ?」
     フリックは集められた武具の中からマンゴーシュを取って、左手で繰ってみせた。短い刺突剣の根本に小さな盾がついている。
    「まあ、やるだけやるさ。」

     その刺突剣が、ルカ・ブライトの関節部分、甲冑で覆われていない、剣を振り切った脇に深々と埋まった。鎖帷子を内側に着込んでいるが、貫通力は通るのが伝わる。
     開戦早々、転移魔法の使い手であるビッキーに、手下を文字通りどこかへ「消し飛ばされた」ために頭に血が登って、か弱い女魔法使いを最初の標的としたこと、そのために立ち塞がるフリックを目にしながら見てはいなかったこと。
    「傲ったな。」
     マンゴーシュを捻ってから引き抜き、左手で血振りをしながらルカの逆袈裟を右の片手剣で軽くいなす。ルカの巨大な両手剣と真っ向から打ち合わない。
     ルカは、熱さを感じた。発源に手を這わすと、いきなり指が肉の中に潜り込む。指よりも深い刺された箇所を、調べるように自らの手で抉る。
     これほどの深い傷を負うのは、生涯に初めてだった。身を焦がすような殺意は、同盟軍を竦ませるほどだったが、剣士一人がそれを微風として立っている。
     ルカの記憶の中では弓兵隊を率いていたはずの男である。闇夜の斬り合いにも慣れていると見えて、底光りする両の目は、中心を過たずルカ・ブライトを見据えていた。

     引いたトンファーは血に濡れている。ルカは脇の下、横腹、内腿に刺し傷を負っていた。おそらく、何も手を下さなくても血を流しすぎてやがて死ぬだろう、との考えが過ぎる。だがリオウはそうする気持ちにならなかった。一発でも多く拳を叩き込むことを欲していた。誰かのかわりに――言葉の代わりに、殴ることしか考えなかった。
     口の端から頬を裂いて突きが通り抜ける。腕の内側に入った剣が横に軌道を変え、咄嗟に右のトンファーを離して腕を引く。ルカの目がぎらっと嗤った。首を叩き落とすと目が言っている。リオウは常に身に帯びているナイフを腰から抜き、逆手に持って受けた。鋼と鋼の撃ち合う凄まじい音、手首がどうにかなりそうな重さ。
     天山の峠にジョウイと再会を約した時にもこのナイフを使った。ただ、鋸刃をいくつか細工しており、受けた剣を噛んだら離さないようにしている。

     これが剣と剣の戦いか、と疑われるほど激しい打ち合いの音が絶え間なくする。
    「野蛮な戦いしかできんのか、貴様。」
     片手で振り回されている、両手剣であるはずの星辰剣は、ルカ・ブライトの意外に型を外れない剣技と己れの遣われ様を比べて、慨嘆した。
    「へっへ、折れてくれるなよ!!!」
     ビクトールはある球技の振り方で星辰剣をルカの剣に叩きつけた。ガァン! と凄まじい音がする。
    「フン。人の子の鍛えた刃ごとき、我にカスリ傷一つ負わせられぬわ。」
     体躯も膂力も、おおよそルカと比肩する相手。剣の技量などと言えるものは備えないが、無法な体術と組み合わせて動きが読めない。
     その上、殺気を感じないのが奇妙ではあった。撃ち合う剣が無数の火花を散らす。

     リオウのナイフに造られた櫛刃がルカの剣を挟んだまま滑る。それはある部分で止まる。――引っかかる。
     夜の紋章の化身との撃ち合いで、ルカの剣は刃毀れしていた。リオウはナイフに左の手もつけて全身の力を込めて地面に押し込む。それと同時に、体の捻りで剣を真上に、
    「――だっ!!!!」
     蹴り上げた。
     硬く、鋭く――しかし、軽い音。ルカの剣の半分から先が、宙に舞う。
     一瞬間の虚。
     ナイフも捨て、無手となったリオウがルカの小手から半ばで折れた剣を奪う。刃物か、鈍器か、分からないそれを、身体で振って――首に。
     叩き込む。
     吹き出す血が、顔を汚す。だが、剣が進まない。ルカは、自分の首を喰い進もうとする剣を手で掴んで止めていた。片腕の力でだった。この首は取れない。剣は奪い返されるより、放り捨てると決めた刹那に腹を強か殴られ、地面に転がる。
     ごふ、とリオウは吐血した。どろどろと血が口から落ちてくる。吐きながら、明滅する視界にルカを探す。まだ立っている。首の傷を手で触り、自分の血に染まった手を握り、開いている。
     起きざまに、トンファーを拾う。熱くて、寒い。あと一撃がお互いの命脈と知れた。
    (あと一撃しか殴れないなら。)
     ルカ・ブライトが死ぬ前に、十分な報いを与えられたかどうか。否、十分、ということは、この男にはないのだ。構える。
     もしリオウが勝てなくても、死んでも、ルカ・ブライトはここで死ぬ。あのホタルを閉じ込めた木彫りのお守りは、ジョウイのものだ。ジョウイもこの場に一矢を報いに来たのだ。
     駆けるだけの力を紋章がリオウに与えた。ルカ・ブライトのすることは、見え透いている。
     首。リオウは刃を潜り、胸に渾身の右、顎を左、側頭を右で、殴り倒した。

     全ての音が遠い。ルカは倒れたらしい。

    ――この俺を殺し、何を思う!!!!!!!

     何も思わない。だが、満足はしている。
     助けられ、お膳立てされてやっと五分だったとはいえ、
     他の誰かではなく己の手でとどめをさせた。

    ……まだ何かを言っている。いい加減に、くたばったらどうなのか。

    「聞けリオウ!!!
    貴様らは千人で俺を殺したが、
    俺は一人で、その何倍も、
    貴様らの同胞を殺した!!!!」

     ぶつっ、と、何かが切れる音を、フリックやビクトールが聞いた。リオウが奥歯を噛み締めると顎が壊れそうになった。胸の業火が溶岩となって溢れ出す。

    「おまえは…………くそだ!!!!!!!
    何が、『一人でやった』だ!!!!!
    じゃあ、この人たちは何だ!!!!!!!」

     リオウは、ルカを取り囲んで斃れたハイランド兵の骸を強く蹴った。死地と分かっていながらルカを庇って死んでいった、夥しい兵たち。

    「いっつもいっつも、おまえらの数が多いからこっちは大変だったんだ!!!
    さっき、おまえ、なんで自分が負けるのかぼくに聞いたよな!?!?
    そんなだから、負けるんだ!!!!!!!!!!」

     リオウの見たことのない怒気に、そこにいた全員が凍りついたようになっていた。

    「おまえは、味方のことも人だって思ったことがないんだ!!!!!
    だからそんな思い違いができるんだ!!! マヌケ!!!!!!!」

     リオウは肩で息をしていた。
     ルカ・ブライトは、何か見つけたように、求めていた答えが明らかになる瞬間を待っていたように、呆け、
     己で己を、祝福した。
    goban_a Link Message Mute
    2025/05/10 0:36:14

    Valhöll

    ルカ・ブライト戦
    もりしおさんへ。

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