遠景 空が青く晴れ渡る、穏やかな午後。
白い石畳に沿って、豪著な造りの邸宅が整然と立ち並ぶゼラムの高級住宅街は、昼時の下町の賑わいとは無縁とばかりの凛とした静寂に包まれている。
その街並みの中にひっそりと佇む一軒の建物――上品なクリーム色と緑を基調としたその家の一室で、2人の男が、やはり静かな時間を過ごしていた。
「好きなんだな」
何の前触れもなくかけられた声に、シャムロックは些か驚いて振り返った。
「……え?」
「それ」
相手の視線が自分の手の中に向けられているのに気づくと、シャムロックは、はにかんだ笑みを浮かべて頷いた。
「はい。石の中に生き物が見えるのが、不思議で……」
囁きのようなその言葉は、窓から差し込む光に溶けていく。
陽の匂いを伝える風が、音もなく真っ白なレースカーテンを揺らした。
シャムロックは、サモナイト石を眺めるのが好きだった。
召喚という儀式によって、異界とリィンバウムとを結びつける為の媒体となるその石は、覗き込むと誓約を交わした召喚獣の姿を映し出す。
垣間見える、彼らと彼らの住む世界。小さく切り取られた、異世界の情景。
窓の外の見慣れぬ景色を見つめるようなその行為の、シャムロックは虜だった。
自室で休んでいる時など、時折思い出したようにサモナイト石を取り出しては、飽きもせず眺めている。
特にメイトルパの石が気に入りで、それを知っているフォルテはよくシャムロックに自分の身につけている石を貸してやったりもしていた。
その度に、シャムロックは照れたように笑い、だが子供のように目を輝かしてそれに見入るのだった。
フォルテは、そんな彼の横顔を眺めるのが好きだった。
今日も、シャムロックは石を見ている。
目の高さに緑の石を掲げ、じっと覗き込んでは時折顔に笑みを浮かべている。
その様子を、椅子の背もたれに顎を乗せて座りながらフォルテは眺めていた。
が、ふと何かを思いついたように立ち上がる。フォルテは部屋の隅に無造作に置いてあった自分の荷物入れを手に取ると、ゴソゴソとかき回し始めた。
「シャムロック」
名を呼ばれて顔を上げると同時に、目の前に何かを握った手を差し出される。シャムロックが怪訝そうに相手の顔を見返すと、
「お前、こんなのも好きなんじゃないか?」
「え」
そう云って閉じていた掌が開かれた。
そこに乗っているのは黄色く透き通った、爪の大きさ位の塊。
中央に、黒い点が見える。良く見ると、それは小さな虫のようであった。
「あ……琥珀、ですね」
「そ」
驚いた様子の声にどこか得意気な顔をして頷くと、フォルテはそれをシャムロックの手に乗せた。
その石は、2・3日前にフォルテが町をぶらぶらしていた時、何となしに入った小さな雑貨屋で見つけたものだった。
埃っぽく薄暗い店の中、骨董品だかガラクタだか分からない物が雑然と置いてある棚の上で、それは金色の光沢を放っていた。
琥珀と言っても随分と小さいものだったが、蜂蜜色の不思議な煌きに、そして何よりその光の中の孤高の住人に、フォルテは惹きつけられたのだった。
早速熱心に見入っている横顔を見ながら、フォルテは静かに語りだした。
「俺さ、俺もこういうの好きだったんだけど。ダメなんだよな。どうしても、見てるうちに中の物に触りたくなって」
シャムロックが顔を上げると、優しげに細められた金色の瞳とかち合う。
その視線はどこか遠く、懐かしい過去の映像を辿っているようであった。
「ガキの頃、一度家庭教師が琥珀を持ってきたことがあったんだ。それよかもうちょっとでかかったがな。同じように、中に黒い虫ッけらが入ってて」
ニカっと笑って続ける。
「律儀に生えてる細かい足とか見てると、どうしても直に触りたくなってさ。で、教師のいなくなった隙に、我慢できなくなって割ってみた訳だ」
「割る」
「ああ。っつうか、削る、だったかな。あれはむしろ」
と云うと、氷をアイスピックで打ち砕くような仕草をした。
「小さいナイフでこう、な。夢中になって削ったさ。もう少し、もう少しって。……でも気づいてみると、虫は周りの部分と一緒に白い削りカスになってて」
肩を竦めて溜息を吐く。
「結局、琥珀は台無し。後でしこたま教師に叱られたぜ」
その話をじっと聞いていたシャムロックは、クスリと笑った。
「貴方らしいですね」
「なんだよ俺らしいって」
ムっと顔を顰めるフォルテに、シャムロックは少しまつ毛を伏せて、云った。
「いえ。……私だったら、中の物に触りたいだなんて思いもつかないだろうから」
「……そうか?」
「ええ。私は多分、ずっと眺めているままです。手の届かないまま、触れることなんて考えもせずに」
手に持った小さな琥珀を日に透かしてみる。
煌きの中で独り佇む、気高い住人。
届かない幾万年の過去。
過ぎ去った記憶―――。
シャムロックは、そっと親指でいとおしむように撫でて、呟いた。
「ああ、綺麗だ」
金色に染まった視界の片隅で、琥珀と同じ色の瞳が静かに瞬いたのを感じた。