大地の鳥は フォルテにとっては、トライドラは久々だった。
最後に来たのはそう、一年前のことだったろうか。その時にしたって、友人に会うためにちょっと立ち寄っただけだし、人目を避けていたこともあって、慌しくて街の空気を満喫するどころではなかった。
だからこうやって街の中心街をゆっくりと歩くのは、懐かしいと云ってよいぐらい久しぶりのことなのである。
(実に5年ぶり…か。俺が「指名手配」されてから、トライドラの街中には足踏み入れてなかったもんな)
フォルテは辺りを見まわした。ゼラムやファナンには劣るものの、賑やかな商店街だ。道の両脇から威勢のいいかけ声が飛び、ずらっと並んだ店先には色彩豊かな商品の数々が所狭しと置かれている。
変わんねえな、とフォルテは思う。
自分が過ごした少年時代の頃と、ちっとも変わらない。もしかすると、この風景の中であの頃と違うのは自分だけなんじゃないか、という錯覚にさえ陥る。
――正確には自分の肩書き、か。
フォルテは、この5年のうちに全国指名手配犯になった。
罪状は脱獄…もとい、家出である。フォルテにとっては、この2つに大した違いはなかったが。
普通、思春期の少年が家出をしたからといって指名手配がかけられることはない。
だが、フォルテは普通ではなかった。
フォルテはそれはもう大層やんごとない家の跡取り息子であり、彼の出奔は天下にとっての一大事だったのである。フォルテをしょっぴくこと、それはこの国にとって、凶悪な脱獄犯を連れ戻すことよりもなお重要なのであった。
(いや、でもそれにしちゃあ手配薄くねえか。一応おたずね者にとっちゃ、ここは敵地だろうが。俺のこと、捕まえる気あんのかよ。――それとも、もー諦めたのか親父のヤツ)
フォルテは心の中でひとりごちて、商店街の垂れ幕を見ながら不服そうに鼻を鳴らした。まるで捕まりたかったかのようである。
(別に捕まりたい訳じゃあないんだけどよー……。何つーかこう、まあ別にいいんだけどさ)
*
間違いなく、フォルテは指名手配犯ではあった。
どこに行っても追われる身。家出した直後は相当に厳しい追及で、旅先の街で兵士と追いかけっこをしたり、待ちぶせから逃れるために宿の窓から飛び降りたりというのはしょっちゅうのことだった。
だが、今は。
一応、捜索は継続中のようではある。相変わらず追っ手とかち合うこともある。
しかし何というか、相手方から当初の「何が何でもつかまえてやる」という気迫が感じられないのだ。数自体もめっきり少なくなった。
はて、5年も経って流石に探索の手を緩めたのだろうか。
フォルテは、何の障害もない旅の中で首をかしげはじめた。
そして追っ手が途絶えて3ヶ月経ったある日、こうも考えた。
今なら、特に警戒の厳しそうだった都市に行くのも随分楽になってるんじゃないか、と。例えば実家のあるゼラム、そして騎士たちの街であり第二の故郷でもあるトライドラ――。
ちょいと、行ってやろうか。フォルテの胸はうずいた。今まで逃げてばかりいたが、もうそんなことはやめてこっちから堂々と乗りこんでやろうか。
(つまりは、反撃開始ってやつだ)
実のところ反撃でも何でもないのだが、その考えはフォルテの気に入った。すぐさま実行に移すことにした。
そこで早速ゼラムへ――とも思ったが流石にいきなり本丸に攻め込むのは危険だろうということで、準備体操というか様子見として、まずはトライドラの中心街を訪れてみることにしたのである。
フォルテは一路三砦都市を目指し、街道を飛ぶように歩いた。
「せっかく自由を得るために家を出たんだ。なのに、いつまでもこそこそしてるなんてのは我慢ならねえ。
まだ危険が残ってるかもしれない。だがチャンスがあるのならば俺は恐れずに行ってやるさ。
自分のしたいことをして、行きたいところに行く。それが気まぐれまかせ風まかせが信条の、自由人の真の姿じゃねえか……」
とまあフォルテは自分の中で敵地に乗りこむ理由をそうつけていたが、実を云うとかまわれなくなったのがちと寂しくなったのである。
追われる有名人の心は複雑なのであった。
フォルテは最初随分と緊張してトライドラの門をくぐった。
何たって警察機構の中心地だ。用心はいくらしてもしすぎることはない。
フードを目深にかぶり、俯き加減になりながら、全身を神経にして市場通りを歩く。行き交う人たちと肩と視線をぶつけ合いながら、頭の中では兵士がやってきた時のシミュレーションを怠らなかった。
……だが、いくら経っても強面の兵士から肩をつかまれることもなく。
フードからのぞいた目が誰かと合っても、警備所の前を顔を上げて通りすぎても。小雨を前に傘をさすかたたむか迷う人のようにフードを脱いだり被ったりを繰りかえしても、挙句人ごみの中を立ちどまってキョロキョロして挙動不審行為をしたって、誰も何も云わなかった。
フォルテは、とうとうすっきりフードを脱いだ。
(何だよー、緊張してた俺が馬鹿みたいじゃねえか)
肩透かしもいいところである。何が警察機構の中心だ。
あー損した、暑かった、とフォルテは蒸れた頭をぐしゃぐしゃかきまわすと、道に立っている警備兵をギロッと睨みつけた。
(もっとよー、お前らも気合い入れろよな、気合い)
本当に、追われる人間の心は複雑なのであった。
スリル満点敵城視察の旅がただの観光旅行になってしまい、理不尽な怒りにかられていたフォルテだったが、とりあえず気を取り直して懐かしいトライドラの町を楽しむことにした。立ち直りの早さには自信と定評のあるフォルテである。
さっきは「変わらねえなあ……」とつぶやいた街並みだったが、よく見るとちょくちょくと細かいところが変わっていることに気づく。
花屋の看板ねーちゃんが看板にーちゃんに変わって客層が丸ごと違っているし、鳥屋がつぶれて焼き鳥屋になっている。ズラリとあった武器屋と防具屋も淘汰の風を受けたのか、数軒が何気なく薬屋になっていたりもする。
フォルテは元・防具屋でゲドックーの葉を何枚か買い足すと、振り返った道の向こう側に懐かしい看板を見つけて「あれっ」と云った。
(あー、マリーおばさんのパン屋だ。まだあったんだなあ)
フォルテは弾むようにパン屋のドアを開けた。
剣術道場に通っていた時、フォルテがよく買い食いをした店である。小太りでくりくりとした丸い目の、マリーおばさんと呼ばれていた女主人が焼き上げたパンは、安くてうまくて大きくて、道場の生徒には人気が高かった。
フォルテも剣術修行が終わった後に訪れてたくさんパンを買い込んでは、「夕飯食べられなくなっちゃいますよ」と、年下の友人に叱られていたものだった。
「いらっしゃいませえ!」
「……あれ?」
くぐったドアにかけられた声の主は、マリーおばさんではなかった。
「こんちは。あれ、ここマリーおばさんいなかったっけか」
思わずフォルテが呟くと、店員の少女は目をくりくりさせて云った。
「あー、おかあさんなら腰痛めて引っ込んでますよ。今はあたしがお店番」
「そっか……。お大事にって伝えといてくれや」
うーん、マリーおばさんも年か。
やっぱ変わったなあ、と思わず寂しくなるフォルテだった。
とりあえず、何個かパンを選ぶ。気のせいかちょっぴりサイズも小さくなっててフォルテは悲しくなったが、耳に入ってきた2人組みの先客の会話に、おや、と顔を上げた。
「――だってよ。随分若いよな」
「大丈夫なのかい。戦場じゃ何をおいてもまず経験、だろ。知識や剣の腕があったってなあ」
「ま、リゴールさまのお決めになったことだし、間違いはなかろうが…しかし何せ最前線のことだからな」
「ローウェンは昔から歴戦の勇者が――」
パンを受け取った2人組みは、そのままドアから出て行った。
「ありがとうございましたあ!」
元気な声が、2人の背を見送るフォルテの後ろから飛んでくる。
その声にハッとしたフォルテは、クロワッサンを入れたかごを片手にキョロキョロと店の中を見まわしはじめた。目をしばたたかせる店員の前で、フォルテはしばしうろうろすると、目当てのものを隅の棚に見つけて破顔した。
そして「それ」を手にとり、パン籠と一緒に少女の前にドンと置くと、
「ねえちゃん、これとこれは別々に頼むな。で、こっちは一応贈りものだから、それらしく包んでくれっかな」
(うーん。さすがはローウェン)
きびきびとコーヒーを煎れ、鮮やかな敬礼をして退室していった兵士を見送りながら、フォルテは妙な感心をした。
追憶の旅を急遽切りあげてトライドラを後にしたフォルテは、その足でここローウェン砦へと向かった。通りかかった行商の馬車に運良く乗せてもらい、お陰でさして時間もかからず砦の門のまえに立つことができた。
実は中に入れてもらうまでにはひと悶着あったのだが、こうやって日が暮れる前には応接室に到着したのだから、フォルテ的には万事OKでる。
フォルテはカップを片手に部屋に視線をめぐらせた。広い。そして空気が厳かだ。黙っていても、背筋がピンとのびる。
調度品も、控えめだがどれも品のよいものばかりだ。そこでフォルテは再びウーン、と唸った。
あわただしい軍靴の音が聞こえてきたと思った途端、ドアが開いて見知った顔があらわれた。
「フォルテさま!」
白い鎧をまとった青年が、薄茶の髪を揺らして声を上げた。
余程急いできたのだろうか。頬が僅かに上気している。
フォルテは飲みかけのコーヒーを置いてソファから立ち上がると、片手をひょい、と上げた。
「よう、シャムロック。久々だな。元気だったか」
「お久しぶりです……驚きました、貴方がいらっしゃったと聞いた時には」
「悪いな、突然。たまたま近くに来たんで寄ってみたんだがよ」
「いえ。――お会いできて嬉しいです」
そう云うと、青年は本当に嬉しそうに微笑んだ。
フォルテもなんだか嬉しくなって、少しだけ照れたように人差し指で頬をかいた。
シャムロック――トライドラ騎士にして、フォルテの親友。
フォルテがローウェン砦を訪ねた理由だった。
ソファに身を沈めて一息つくと、フォルテは思い出したように傍らに置いていた細長い包みを手にとった。無造作に、向かいに座った友人に差し出す。
「あ、これ。プレゼント」
シャムロックは手を伸べてそれを受けとりながら、きょとんとした表情でフォルテを見返した。
「出世祝いさ。ここの守備隊長になったんだろ、お前」
「は、はい。え、どうしてそれを」
シャムロックが守備隊長に就任したのはごくごく最近のことだ。
彼が異例の若さでその任についたことが話題になったこともあり、さすがにトライドラ国内では知れ渡っていることではあるが、他都市にうわさが広まるには早すぎる。
フォルテが砦に来る前から既にこのことを知っていたということに、シャムロックは驚いた。
フォルテは、びっくりした様子の友の顔に満足そうに笑うと、
「ふふーん。冒険者たるもの、ありとあらゆる情報を把握してるもんなんだぜ」
と云ってウィンクしてみせた。シャムロックも思わず頬をゆるめる。
「ありがとうございます。あけて、いいですか?」
「もちろん」
シャムロックの指が包みをといていく。口を細い麻縄でしばった少々野暮ったい包装紙の中からは、茶色い瓶が出てきた。
「あ……」
その瓶には、手がきと思われる絵の描かれたラベルが貼ってある。目をくりくりさせた真っ赤なリンゴが、ラベルのまん中で大きく笑っていた。
「これ、マリーおばさんのリンゴジュース……」
「色気ないもんですまんな。俺は贈り物は女なら花束、男なら酒って決めてるんだが――お前、下戸だしなあ」
フォルテの笑い声を聞きながら、シャムロックは手のひらで瓶を包んだ。口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
…それは2人がトライドラで共に過ごしていたころ、フォルテの晩酌につきあうシャムロックがいつも飲んでいたものだった。
酒の飲めないシャムロックにフォルテが「こいつはウィスキーだぜ。と思ったら少しは雰囲気でんだろ」とうそぶいて贈って以来、シャムロックの気に入りになっていたジュースなのである。
マリーおばさんのお店で、かごいっぱいにパンを積み上げるフォルテを横目に苦笑しながら、シャムロックがリンゴマークの茶色い瓶を買う。
それは懐かしいあの頃の、ひとつの日常風景だった。
「おめでとう、シャムロック。……がんばったな」
シャムロックは顔を隠すように伏せて、小さな声で「ありがとうございます」と云った。
「ところで、さ」
リンゴジュースのはいったグラスを傾けながら、フォルテが切り出した。
「俺のこと、誰も知らねえんだな」
え、と顔を上げるシャムロックに、フォルテは何となく云いづらそうに視線を外した。
「いや、だから……俺の実家のこととか、家出したこととか」
ローウェン砦にたどり着いたフォルテは、フードをかぶり、「とある名もなき自由人」と名乗って友への取り次ぎを頼んだが、案の定門番にひどくあやしまれた。
散々もめて、帰れ、通せの押し問答が続いた挙句「貴様牢にぶちこまれたいのか」と凄まれて、いかんともしがたい状況に陥っていたフォルテを救ったのは、たまたま通りかかった剣術道場時代の知り合いの騎士だった。
フードをしていたにも関わらずまんまと見破られたことにフォルテは少々憮然としたが、どうやら自分を捕まえる気もないらしいその騎士に、これはチャンスとシャムロックへの取り次ぎを頼んだのである。
そうして砦の廊下を、その知り合いと並んで歩いていた時のことだった。
彼はフォルテをチラリと見ると、「お前そんなナリしてるってことは、やっぱり落ちぶれたんだなあ。修行時代、騒動おこしてばかりいたからだぞ」と笑いやがったのだ。
剣術道場にいた時分、フォルテはトライドラでは身分を隠していた。この、シャムロックを除いて。
フォルテの高い地位を知って、よからぬことを考える者たちが寄ってくるのを避けるためだ。
だが出奔後は、捜索のために自分の身分は明かされているかもしれないとフォルテは思っていたのだが。
いや、身分は伏せられているとしても、さすがにトライドラに捜索の手が伸びていない訳はないと思っていた。
しかし現実にはトライドラのほとんどの者が、フォルテが追われているということすら知らないようだ。そうとしか考えられない。あの、まるで「ざる」な街の警備網、さっきの騎士の言葉……。
「ええ、そうです。貴方の身分を知っているのは、今でもごく一部の人間だけです。貴方の行方を捜している時も、無用の混乱を避けるために身分は伏せられていました。
捜索自体も似顔絵をばらまくなどといった大々的ことはせず、将来貴方が玉座にのぼられる時のことを考えて、秘密裏に行われ……」
「玉座」という言葉にフォルテはみるみる不機嫌になった。シャムロックは、アッと失言に気づいて口をつぐんだ。
「……まー、そうだよな。確かに騎士たちが陛下のご尊顔を拝したてまつった時に、『お前はいつぞやの指名手配犯!』――なんてなったらマズイもんなあ。体面傷つくよなあ」
「フォ、フォルテさま……」
「なるほど。最近になって手を緩めたのも、そんな大人しい捜索じゃ埒が空かないから諦めたってわけか」
フォルテは、自嘲気味に口の端を上げた。
シャムロックの顔が曇る。
「親が子供を諦めるのに5年……まあ、長かったのか短かったのか」
「フォルテさま! そのようなことをおっしゃらないで下さい。お父上も、心のうちでは葛藤なさっているに違いありません」
「どうだか」
シャムロックの顔が、悲しげに歪んでいく。
フォルテは、たちまち後悔した。
別に、親に諦められたからってそれ程傷ついている訳じゃない。自分ももう思春期の坊やじゃないし、諦められるだけのことはした。5年。長かったと思う。
ただちょっと、ほんのちょっと後ろめたさが寂しさに変わっただけだ。捨ててきた親の近くをウロウロしてみただけ、寂しい気持ちを理不尽な苛立ちに紛らしただけ、それだけだった。駄々をこねる子供のようなことを云って、友を困らせるつもりはなかった。
……シャムロックがあんまりにも昔と同じに笑うから、甘えてしまったのかもしれない。
(イケてねえよな、俺。イケてねえと思ってんのに素直に謝れないのも、さらにイケてねえ)
グラスに残ったリンゴジュースを一気にあおりながら、フォルテは甘さと苦さをかみしめた。
それにしても、とフォルテは目の前の友の顔を見る。なんて情けないツラだろう。部下にこんな顔見せてやしないだろうな、とフォルテは余計なお世話と知りつつも、少し不安になった。
そもそも、シャムロックが部下を叱咤しているところが思い浮かばない。フォルテの心の内にあるこの友の顔は、笑うか困るか悲しむか、の3通りである。
本当に、どうしてこいつがローウェンの長だと思ったのだろう。
パン屋で自分が聞いたのは、新しい守備隊長が若い、ということだけだった。だが、何故かそれがシャムロックのことであろうと、フォルテはあの時確信して疑わなかった。
シャムロックがローウェン砦に配置されていたことは知っていた。去年トライドラを訪れたときに、運良く本国に戻っていたシャムロックと再会して聞いていたのだ。
だが、それだけだ。砦に配置された若い騎士などは、他にいくらでもいるはずだ。こいつじゃなくても。
シャムロックは、いつも騎士の在り方について考えていた男だった。他の騎士が、何の苦もなく乗り越える壁に、一々つまずいている男だった。
人を傷つける意味。主の命にしたがう理由。誓いの重さ、騎士道とは、騎士とは。
全てに悩んで、全てに自分なりの答えを出さねば一歩も動けない。
フォルテは苦しむシャムロックの後姿を見ながら、こいつは騎士にはなれないかもしれない、と思ったことが何度もある。そして今でも、この男は騎士には向いていない、と思っている。
怒りよりかなしみ、敵意より祈りが似合う。誰よりも、誰よりも優しい男だった。
ふと気づくと、シャムロックが心配そうにこちらをうかがっている。
フォルテが実家のことで悩んでいるとでも思っているのだろうか。
それは見当違いだぜ、シャムロック。
フォルテは、視線を合わせて微笑んでやる。するとシャムロックは、安心したように小さく笑みをこぼした。
「お前は、変わらないな」
「そう、ですか?」
「ああ」
ちっとも変わってやしない。
生真面目な声や、人の良さそうな顔。困ったような微笑み。心配性なところも。
(……お前は変わらず俺のことを心配してくれるな。実を云うと、安心するんだ)
恥ずかしくて口に出すことなんてできないが。フォルテは勝手に照れて、リンゴジュースを自分のグラスにとくとくと注いだ。
そんなフォルテを見つめていたのか、シャムロックはひとり言のように静かに云った。
「貴方は、お変わりになられましたね」
「そうか?」
「ええ、……とてもよいお顔になられました」
シャムロックはそう云うと、いつものように笑顔を浮かべた。
でも、その笑顔がひどく寂しそうに見えるのは何故なのだろう――。
「もう少し、ゆっくりしていかれるといいのに……何なら、一晩お泊りに」
「いんや、遠慮しとくわ。お前隊長になったばかりで忙しいだろう。邪魔できないさ」
フォルテは並んで歩くシャムロックの肩を、ぽんとたたいた。
シャムロックは残念そうに眉を下げる。その顔の向こう側に、敬礼する兵士たちの姿が見えた。
皆、一様に敬意の念をにじませている。自分たちの若い長に、心からの誇りを抱いているのが見てとれた。
ああ、そうか。フォルテは急に得心した。
何故、シャムロックが騎士の長についたのか。そして何故、自分がそれを確信したのか。その理由に、フォルテはたどりついた。
こいつは、愛されているのだ。
もちろんそれだけじゃないだろう。知識も剣技も戦術も、将として高い水準だと認められたのには違いないと思う。
だがそれよりも、将器――というのだろうか。兵に愛され、信頼される器。その信頼を包み込む器。それがきっと、こいつにはあるのだ。
それを見抜いたリゴールの慧眼、ということなのだろう。
苦悩の分だけ蓄積されたものが一つひとつ積み上げられ、大きく安定した何かを形づくっている。
たぶん、それは大地のように揺るがない。変わらない。人の足を強く、しかし優しく抱擁する。
生き物はみな、大地を愛する。触れ、歩き、根をつけて愛する。
大空の住人である鳥でさえ、時折は降り立って安息するのだろう。
門のところまできて、シャムロックが立ちどまった。目を射る太陽の光が眩しそうだ。
フォルテは、その太陽を背負うようにして「じゃ、行くわ」と云った。
「――お気をつけて」
「ああ、またな。がんばれよ、シャムロック」
シャムロックは、目を細めてうなずいた。
フォルテはニッと笑うと、そのまま背を向け、陽の光に向かって歩き出した。
また来るよ。
鳥が大地に降り立つように。
皆が変わっても、皆が俺を忘れても、俺は構やしない。お前さえそこにいてくれれば、いい。
こんな願いは、わがままだろうか。
名もない放浪に疲れたらお前のところに戻ってきたいだなんて、都合が良すぎるだろうか?
「フォルテさま」
心の中の問いかけに答えるように、シャムロックが叫んだ。
フォルテは顔だけで振り返る。
「また、いつでもいらしてくださいね。――お帰りになるのを、ずっとお待ちしておりますから」
フォルテは何も云わず微笑むと、そのまま前を向いた。
ただ、右手を高く高く上げて。
そして再び、フォルテは飛び立った。