酩酊 爆風と煙が押し寄せる一瞬に、シャムロックは地を蹴った。そのまま回転して大岩の影に転がりこむ。
背をむけて岩にピタリとはりつくと、また爆音が聞こえた。
次の瞬間黄土色の煙が、さあっと音をたてて岩の上、横を通っていく。シャムロックは、むむっと鼻を手で覆う。荒い呼吸がふさがれ、肺が酸素を欲しがって益々苦しがる。
黄色い筋を残して煙が去った後、ようやくシャムロックは手をのけて、力いっぱい息を吸った。目をつむり、肩で呼吸する。
はあ、とやっと落ち着いたシャムロックは、ふと隣に気配を感じて心臓を跳ね上がらせた。慌てて顔を向けると、そこには赤毛の仲間―――先日までの敵がいた。つい先程までの自分と同じように、肩で息をしている。
目が合った。赤毛の男はつい、と口の端だけを上げてみせた。胸は未だ上下していたが、もう余裕はできたようだ。
シャムロックも小さく会釈で答えてみせて、改めて足を伸ばして座り直し、岩に寄りかかった。
―――喉がいがらっぽい。少し煙を吸ったか。
喉に手をあてさすっていると、横から何か差しだされた。水筒だ。シャムロックは無言でやはり小さく会釈をしてみせて、受けとった。
蓋はもう開いている。そのままガブリと口をつけて、一口含んだ。甘い。
ただの水の筈だ、と確かめつつその一口を喉に流す。ぬるいそれは、喉を通る時何故か、かっと熱く感じた。
シャムロックは水筒を男に返した。ありがとうございます、と小さく云うと、男もはじめて口を開き、いや、と云った。
男は水筒に蓋をしようとしたが思い直して、自分も水を飲んだ。
一息ついた男に、
「残りは」
と聞くと、彼は、
「召喚師含めて八」
と答えた後、ふぅーっ、と長い息を吐いた。
何となく男の考えていることが空気を通して伝わってきた気がして、シャムロックはかすかに笑みながら、云った。
「こんな風に戦場を駆けまわるのって、久しぶりな気がしませんか」
同じ軍に長年いた戦友のようなことを云って、自分でも奇異に感じる。
相手も一瞬驚いたような顔をしてこちらを見たが、すぐに笑みを浮かべた。
「ああ。それも徒歩で、な」
馬なしで、剣ひとつで自ら下級兵の如く走りまわる。そんなことは兵を率いる立場になってからは久しくなかったことだ。
騎士、それも上部にいた人間同士でなくては分からない、してはならない会話に、妙に打ち解けた気分になる。
―――ああ、そういえば。戦場で馬に乗っていないのは騎士として恥ずべきこと、と念を押した教師。彼の顔はどんなだったろう。
この際どうでもよい疑問がふと頭によぎる。記憶の回路を探る。だが、確か頭は禿げ上がっていた、ということぐらいしか思い出せなかった。
まあいいか。顔を忘れたとて、不義理を怒られることは、もう、ない。
きぃぃ、と耳障りな音が響いた。何度も聞いた、しかし何度たっても聞きなれない音。召喚術だ。
空間に無理やり穴をあけ、異界のものを引っ張りこむという。自分はよくわからないが、あれは何だかよくないな、ということを見るたび思う。何に悪いのかと問われると、漠然としすぎているが多分「世界に」としか答えようがないだろう。
空に青白い光が浮かんだ。あれがまさに世界の穴だ。瞬く間にその光はバチバチと音をたてて強烈なエネルギーの塊となり、戦場を不吉に照らした。
頬を肩を病的な青白い光に照らされながら、シャムロックは、あれに当たったら死ぬのだろうな、とそんなことを思った。
光が動いた。直後、地面をけずる電撃音が遠くに響く。今度は煙は巻き起こらなかったが、代わりに断末魔が空気をつんざいた。聞きなれない声だ。
―――今のは「仲間」の召喚術だったのだ。よかった、死んだのは「敵」だ。
「さて、そろそろ」
そう云って腰を上げる自分を、男が腕を上げて制した。
「いや、貴殿は傷を負っているだろう。俺が先に」
「いえ、貴方も上腕を負傷しているでしょう」
「こんなものは傷のうちに入らん」
「私とて」
「死にたいか、シャムロック」
ふいに言葉の刃を突きつけられてハッとする。未だ付き合いは浅く、普段は決して互いに踏み込まない仲である彼の、こんな言葉はひどく鮮やかだ。ここが戦場という特異な場であるからかもしれないが、何故か嬉しく感じる。いやむしろ、愉しい。
「いいえ。私はまだ死なない。だが、ここで死んでも未練はないだろう」
言葉の遊びだ。言葉の内容は真剣そのものなのだが、これをこの男にぶつけることが、どこか賭けじみた遊戯に思える。失望と共感、どちらを得るか、もしくは何も得ないか。
男は頷いた。
「そうか。俺は逆だ。俺はいつ死んでもいいと思っている。だが、こんなところで死ぬのは御免だ。未練が残る」
「そうですか」
シャムロックは鷹揚に頷いた。
端からみれば恐らく、戦友が熱く生について語り合っているようであるに違いないだろう。二人が実は笑いをこらえていることなど、誰も予想だにするまい。
「ならば、生きたい貴殿に俺は命を預けよう。そして貴殿はこの場を切り抜けたい俺に命を預ける。どうだ、これならば二人生きて戻れるぞ」
その男は、なおも真顔でそんなことを云う。こちらも負けじと強い視線を送ると、男は真っ直ぐ受け止め、更に云った。
「どうだシャムロック。俺とともに生きぬか」
―――血に酔っているのだ、この男は……。
そう思ったシャムロックも、自分が酔っていることに気づいた。少なくとも、男の言葉に意味ありげな微笑みを返すぐらいには。
次の間に、きぃぃ、と耳障りな音が響いて二人はその場を飛びのいた。
鈍い音とともに岩が飛び散る。
シャムロックは、考えるより前に剣を抜いた。そして一直線に駆け出す。こちらに手をかかげて立っている1人の召喚師に向かって。
ふと横を見ると、同じように走り出した男が、赤毛をふわりと風になびかせこちらを向いた。
顎を僅かにひき、男は目だけで云った、「またあとで」と。
シャムロックは笑い、そして前に向きなおって剣を握りしめた。
*
本拠地に、帰還。
―――生きて夕食にありつく二人は、先に語った会話のことなど、きれいさっぱり忘れてしまっているのだった。