そんなこんなで日は暮れる 一陣の風が、猛烈な勢いで街の中心地を走っていた。
鳩を飛びたたせ、ご婦人のスカートを翻しながら突き進むその風は、ひとりの男に向かって突進していく。
その男は、一枚の紙を片手に、背を丸めて立っていた。情けなく眉を落としてうろうろ辺りを見渡していた横顔は、ふりむいた途端びっくりとした表情になった。
風はその一歩手前で急停止した。砂埃の中から、金髪の少年の姿が現れる。
「見つけたぞシャムロック……」
「イオス!」
男は、少年の姿を認めると嬉しそうに叫んだ。
「ああ、イオス、イオス! 良かった、会えて……」
「おまえはぁっ」
小さい体を抱きしめようと駆け寄ったシャムロックは、相手からひびいてきた地を這う声に、両手を広げたまま三歩後ずさった。
「なにが良かっただ! いま何時だと思う。でもって待ち合わせをしたのは何時だ、言ってみろ!」
「い、一時間半前です」
顔を赤くしたイオスの後ろから、時計台の鐘がボーンと鳴った。
「今まで、何やってたんだ」
「申し訳ありません。実は、迷って……」
「地図は」
ぴりぴりと詰問する。
シャムロックが方向音痴だということは、ずっと前に聞いていた。だから、こんな風に迷い子ならぬ迷い団長にならぬよう、イオスは彼にあらかじめ地図を渡しておいたのだ。わかりやすいように、赤ペンでたくさんの目印もつけてやった。
だというのにこの男ときたら、大きな体をしょんぼり小さくして、
「ああ、それがひどいんだよ。かわいい猫が歩いていたので撫でようと思って近づいたら、手を引っかかれて」
「……」
「びっくりして取り落とした地図が風にさらわれて、見事に川に落ちてしまってね。必死に拾いあげたはいいけど、水に濡れたせいで肝心の目的地マークが消えてしまっていたんだよ」
「……お前は馬鹿か」
「あ、イオス。いまネスティさんみたいだったね―――あいたっ」
20センチの差をジャンプで埋めて、イオスは相手の頭をゲンコツで殴った。
「聞くまでもなかったな。馬鹿にトンマもつけてやる。まあいい、今は争っている場合じゃない。はやくルヴァイドさまを見つけないと……」
宿のご飯に間に合わない。イオスにとっては重大な問題だった。
「え、ルヴァイドもいないんですか」
時計台を振りかえりながらああ、とうなずくイオスの眉間には、しわがよっていた。
「待ち合わせ場所の宿には僕しか来なかったんだ。時間には厳しい方だから、うっかり遅れるということはないと思う。だから、おそらく……」
「迷ってしまったのかな。この街はやたらと複雑だからね。道を間違えたのかもしれない」
シャムロックのつぶやきを聞きながら、イオスは肩を落とした。
ルヴァイドに地図を渡さなかったのが、かえすがえすも悔やまれる。口頭で大丈夫だと言い張る上司に、結局したがってしまったのだ。
(こんなことなら、見知らぬ街で自由行動の時間などとるのではなかった……)
騎士団設立を目前にひかえ、多忙を極める上司たちのために用意した、ささやかな余暇だったのだ。
3人そろって出かけた先で少しずつあいた空白の時間を、イオスは必死にかき集めて半日の時間にした。正直スケジュールは厳しくなったが、それでふたりが少しでも楽しんでくれるならば、と思ったのである。そんないわば親心ならぬ部下心に、とんだ返礼をされたものだ。
空腹も手伝って、胃がきりきりする思いをイオスは味わっていた。
(お偉方との会食とかではないからまだ良いけどな、いや良くない、今晩の宿は確か美味い食事で有名なところだったはずだ)
8時で終わりのバイキングである。
頼んでおけば食事はとっておいてくれるだろうが、掴み放題詰め放題のうまみは全くない。何より、夕食のためにお昼ご飯を抜いていたイオスの胃袋が、満足できるはずがないのだ。
「―――とにかく。僕はルヴァイドさまを探しに行く。お前は先に行っていろ」
「えっ、ひとりでですか」
「宿はここから近いから、いくらなんでも大丈夫だろう。
いいか、よく聞けよ。この道を2つ目の角で右、次に大きな赤い看板のレストランで左、そのまま真っ直ぐに進んだ先の坂を上って、つきあたりを―――」
「え、えええ!?」
メモメモメモとシャムロックが体中の服を触っているうちに、既にイオスは走りだしていた。
「ああっ、イオスー!」
「いいか、さっさと行ってろよ」
シャムロックの叫びむなしく、イオスはふたたび風になって消えていった。
*
「こちらにいらっしゃいましたか……」
両膝に手をついてぜいぜいと肩で息をするイオスの前で、黒い服をまとった長身の男は涼しい顔で頷いた。
「うむ。イオスか」
「迷ってしまわれたのですか。この街は道が複雑ですから」
「迷う……いや、違うな。俺は目的地を探していたのだ」
なるほど、とかすむ目をしばたたかせながら、イオスは弱々しく頷いた。
「そ、そうですか。いえ、ここからは僕がご案内いたします」
「ああ。よろしく頼む」
よろめきながら歩きだしたイオスは、大人しく半歩うしろをついてくる上司をふりかえって尋ねた。
「随分お歩きになったんですか」
「そうだな。街を2回りはしたか」
「ふたまわり!」
「迷宮では、片手を壁から離さぬように歩けばいつかは出口にたどり着く……という話を以前聞いたことがあったのでな」
「へぇ、ってまさかルヴァイドさま、それをこの広い街の中で実践なさってたんですか?」
「ふむ」
そういわれれば、ルヴァイドの手は指先が5本、真っ黒になっている。
思いきり脱力するイオスのうしろで、ルヴァイドは自分の手のひらを眺めながらしみじみと呟いた。
「そうか、なかなか着かなかったのはやはり広さの問題か……」
「そういう問題というか何というか―――い、いえ、何でもありません。とにかく宿に急ぎましょう。シャムロックが先に着いて待っている筈です」
「―――で、何でいないんだあの男はっ!」
宿の入り口で叫ぶイオス。
「いないか」
イオスは怒りをなんとか抑え、くるりと振り向いてルヴァイドに向きなおった。
「……ルヴァイドさま。申し訳ありませんがここで待っていて下さいますか。もう一度あのバカ団長を探してきます」
「ああ。ご苦労だなイオス」
*
「海だ!」
その頃のシャムロックは、ざぱーんと砕ける波を前に、目をまるくして立ちつくしていた。
「どうして町の真ん中に海が……あの、すいません、そこの方。少々お聞きしたいのですが、この近くにこういう名前の宿は……。ない。そうですか。ありがとうございました。―――あ、イカン涙が」
*
イオスは汗だくになって宿のまえに辿りついた。壁に手をついて息をする。
「はあ、はあ……ルヴァイドさま、シャムロックの奴どこにもいませ……って、ルヴァイドさま?」
ひらいた宿の入り口のなかを覗きこむと、店番が困ったように首をふっている。
青くなったイオスは、道をふりかえって叫んだ。
「ルヴァイド様ーッ! どこにいらっしゃいますかルヴァイドさまーッ!」
ああーもうあのふたりはぁーっ、と思わず壁に頭突きをしてしまうイオスだった。
そしてその頃ルヴァイドさまはというと。
「探索を手伝おうと思って追ってきたが……迷ったか」
イオスが。
ぼそりと付け加えると、ふっと笑い、見知らぬ街並みの向こうに落ちていく大きな太陽を眺めるのだった。