切れ味最高 異世界調停機構本部、正面玄関前。
残業を終え、一日の勤めを終えたエルストは、入口を出たところで立ち止まった。
すでにあたりは、どっぷりと暗い。月が高くのぼっているのは、よく働いた証だ。
エルストは両手をひろげ、夜気を肺いっぱい吸いこんだ。肩をすぼめ、深く深く吐き出す。
「エルストさん!」
首をまわして肩こりをほぐしていたエルストは、背後からかけられた声に振りむいた。
声の主を確認すると、顔は自然とほころぶ。
「ああ、フォルス君。こんばんは」
「こんばんは、お疲れさまです。いま、帰りですか」
息せき切って隣に駆けてきた後輩は、キラキラした視線をエルストに向けてきた。ちぎれんばかりに振られる尻尾が見えるようで、思わずその頭を撫でそうになる。
「ああ。たまっていた書類仕事をしていたらこんな時間になってしまってね」
ふたりは連れだって、異世界調停機構の長い階段をおりていった。
「君も残業かい? フォルス君」
「一度カゲロウと一緒に退庁したんですが、上に呼ばれて僕だけ戻ってきたんです」
次世代エースと目されるこの後輩は、同僚調停召喚師からの支持が高いのはもちろん異世界調停機構幹部の覚えもめでたく、何かにつけて引っ張りだこになっていると聞く。
同郷の後輩の活躍が我が事のように嬉しいエルストは、目を細めた。
「そうか。相変わらず頑張っているみたいだな、フォルス君」
「いえ……」
一瞬はにかんだ後輩であったが、エルストの瞳を真っ直ぐに見つめると、言葉を続けた。
「でも、エルストさんと久しぶりに会えたから、この時間に異世界調停機構に来られて良かったです。最近エルストさん忙しそうで、顔を合わせる機会もなかったから」
言って顔を赤らめ、目を伏せる後輩に、エルストの心はむずむずとした。
もともと、調子の良さには定評があるエルストである。可愛がっている後輩にこんなことを言われて、先輩心がくすぐられない訳がなかった。
段を下りきったところでエルストは、よし、と気合の声をあげた。
「どうだい、フォルス君。せっかくだから、一杯やっていくか」
言ってグラスをかたむける仕草をしてみせると、赤毛の後輩は、ぱあっと顔を輝かせて大きく頷いた。
「はいっ!」
***
「へへっ、そうかい。ソウケンとカリスのケンカにも、困ったもんだな」
「でも、あれで2人とも仲が良いんですよ。この間なんかも―――」
街灯が照らす夜道を談笑して進みながら、ふと思いついて、エルストはポケットに手をあてた。
(待てよ……)
おそるおそる手を差し入れ、財布をまさぐる。札入れの部分に指をねじこみ、「社会人としてあるべきもの」を探索する。
さあ、っと顔色が青くなった。
「どうしたんですか、エルストさん」
「ん? いや―――」
急に黙りこんだ自分を心配して顔をのぞきこんできた後輩に、エルストはあわててポケットから手をぬきとり、さわやかな笑顔をつくってみせた。
「なんでもないよ、フォルス君」
***
飲み屋に到着。
とりあえずビール!
を頼むと、エルストはそそくさとトイレに駆けこんだ。
あたりを慎重に見まわす。使用中個室はひとつ、中で吐いているらしき客がいるようだがどうせ酔っぱらいだ、この際放っておいていいだろう。
エルストは懐から蒼い石をとりだし、うやうやしく掲げた。
「困ったときは響友に頼る! なんせ苦難を分かちあう間柄なんだしな」
目を閉じて詠唱を開始する。
「新しき英知の技と、千眼の導きによりて急いでいるので以下省略―――来い、俺の相棒!」
空中に蒼色の光が浮かびあがり、ひときわ眩さが増したと思うと、光は硬質なフォルムを形づくっていった。召喚師は、その様を息をつめて見守る。
「……」
ほわほわと蛍光をまとわせながらトイレに神々しく登場した機械兵器は、緑の目でじっと召喚師を見つめていたが、やがて声をひびかせた。
「―――金デスカ」
「第一声がそれかよ」
エルストは憤慨した。
「出てきて早々失礼な響友だな、俺がいつも金に困っているみたいじゃねえか。しかし今回に限ってはお前の言う通りだガウディィィ! 頼むこのとおり! 金貸してくれ」
「嫌デス」
ぷいーん、とガウディは空中でそっぽを向いた。
「なぜだっ」
「貴方ニ金ヲ貸シテ、戻ッテキタ試シガアリマセン」
「分かった、じゃあ貸さなくていい。くれ! 絶対返さないから」
エルストは、蒼い機体にかじりついた。
「なあー頼むよガウディ、後輩との飲みなんだ。おごらない訳にはいかないし、ましてや俺がおごられるっていう選択肢はないんだ。先輩としての誇りがかかってるんだよおお」
「人トシテノ誇リハナクシタミタイデスネ……」
「このあいだ仲間うちで、『名もなき世界』の子供向け漫画の話がでたんだ。あっちの世界じゃ、困ってる人間の頼みで青いロボットが腹から何でも物を取り出すっていう心温まるストーリーがあるらしい。お前もちょうど青いことだし、黙って腹巻きから万札出してくれよ、なっ?」
「ソンナ夢ノナイ子供向ケ漫画ガアッテタマリマスカッ!」
肩をぐらぐらと揺さぶる手をパシリと振り払い、青いロボットは言い放った。
冷たい光を放つ眼鏡を、人差し指で押し上げる。
「ソモソモ、デスネ。金ガナイナラナイデ、飲ミ会ヲ中止スレバ解決スル話デショウガ。何カ理由デモツケテ」
エルストは信じられない、といったふうに両手を広げた。
「もう手遅れなんだよ! ここ飲み屋のトイレだぞ!? さっきビールも頼んじまった。分かるだろ、もう後戻りはできないんだよおぉ。しかもよく聞けよガウディ、連れはあのフォルス君だ。異世界調停機構の次世代ホープ。同郷の可愛い後輩。そしてなおかつ、弟の親友でもある、あのフォルス君だ!」
「弟君ノ友達ノタメニモ、ココハ引ケナイ―――デスカ」
「そうだ、例のそれでアレだ」
「馬鹿ジャナイデスカ」
「ガウディッ……!」
全然サポートしてくれそうにない響友の様子にショックを受け、エルストはよろめいた。
ガウディの両肩を手でわしづかみ、涙目で顔をのぞきこむ。
「天下の異世界調停機構本部で、複数の調停召喚師チームを監督している管理職召喚師がさ……飲み屋のトイレで! たった数千バームの飲み代を貸してくれ、と響友に泣いて頼んでんだ。ちょっとは粋に思ってくれてもいいんじゃないのか……」
「『粋』デハナイデスヨネ、ドウ考エテモ。『哀レ』デハアリマスガ」
「おお」
エルストは感極まったように、両手を組み合わせた。
「俺を哀れに思ってくれるか相棒! だったら」
「デスガ、貸ス金ガナインデスヨネ。残念ナガラ」
「え?」
両手を合わせたまま目を丸くしているエルストの前で、ガウディは気まずそうに、頬の部分を人差し指でかいた。
「イエ……。先日、チョット用事ガアッテ、鍛冶屋ニ行ッタンデスヨ。ソウシタラ工房ニハ、イツモノ親父サンデハナク、新シクせいう゛ぁーるニ赴任スルコトニナッタトカイウ青髪ノ少年鍛冶師ガイマシテネ。アノ店、代替ワリシタンデスッテネ」
「ああ、なんでもトルクっていう……」
「エエ、エエ、ソノ方デス、とるくサンデス。―――ソノとるくサンニ、あーむニ刃物ヲ仕込ムコトヲオ勧メサレタノデス。りーちガ長イノデ、戦闘ノ際絶対ニ役立ツト言ワレマシテ。私モ最初ハ迷ッテイタノデスガ、りにゅーあるおーぷん特別価格、500ばーむデ仕込ンデヤルト言ワレタノデ、オ願イシタンデスヨネ。ソウシタラバコレガ中々ドウシテ、具合ガ良クテ」
「……イヤな予感しかしないが一応聞いておくか。それで?」
「デ、ソノ少年鍛冶師ニ、コノ仕込ミ刀ヲ更ニ強化スルコトヲオ勧メサレタノデス。残念ナガラ、強化ニツイテハ平常価格ノ割引ナシ、トイウコトダッタノデスガ、金ヲ払ウ価値ハアルト説明サレタノデ、マア結論カライウトオ願イシタ訳デス」
「……」
「アノ強化トイウノハ、ハマリマスネー。強化ヲスルタビニ、ちゃきーん! ちゃきーん! ト強クナッテイクノガ嬉シクテ、ツイツイ連続デオ願イシテシマイ」
テヘ、と右手を頭部に置いて、ガウディは言った。
「気ガツケバ有リ金全部、ナクナッテイマ」
「響命石ー響命石ー聞こえますかどうぞ。今すぐこのアホを送還してください」
「誰ガあほデス!? 誰ガ!!」
召喚師と響友、ふたり同時に掴みかかって揉み合った。
髪を引っぱられ、ぜいぜいと息を荒げながらエルストは叫んだ。
「ばっかやろう、あのトルクっていうガキは油断してると有り金巻き上げてくるって評判の鍛冶師だろうがあ! 何が仕込み刀だ、拳でぶん殴るだけの怪力兵器にゃ必要ねえだろ、機械のくせにしっかりぼったくられやがって!」
頭の羽をむんずと掴まれたガウディが反論した。
「ボッタクリばーデ、有リ金全部巻キ上ゲラレタ貴方ニ言ワレタクナイデスネ!」
「ちがう! 俺はぼったくられたんじゃない。夢に対して、ちょっと世間の相場より多く金を支払っただけなんだ」
「ソレガマサシク『ぼったくり』ト言ウノデショウガ」
「なんだとこのポンコツ野郎!」
「だめ人間ッ」
さらなる罵声を発しようと口をひらきかけたそのとき、トイレの個室から、ごそりと音が聞こえた。エルストが勢いよく振り向く。
「何者だ!」
「飲み屋のトイレで痴話喧嘩しておいて、何者だ、もないと思うんだけど」
流水音にまぎれて、くぐもった声がひびいた。
ふたりの視線の先で、ドアノブの「使用中」赤色表示がカチンと青に変わった。ゆっくりと扉がひらく。
そこには、げっそりとやつれた様子の弟の姿があった。
「ギフト! どうしてお前が」
「職場の飲み会で来てるんだよ……。気持ち悪くなって吐いていたら、外から聞き覚えのある声がしてさ」
弟は兄の目の前をよろよろと横切り、洗面台に辿りつくと、震える手を丹念に洗いだした。
「なんだか『深刻』そうな話だったから、出るに出られなくなったんだよね。聞いているうちに、オレも余計、気持ちが弱っちゃったしさ……」
「……」
「……」
なんとなく無言になってしまう、エルスト&ガウディコンビである。
白いハンカチで手をきれいに拭きおわった弟は、長い髪の合間から、うつろな視線を兄に向けた。
「というか兄さん。フォルスと一緒に飲みに来たんだろう。そろそろビールが届いて、泡が消えるころじゃないの。あまりあいつを困らせるなよな」
「あ、ああ。わかってる」
トイレの出口に足を向けかけ、エルストはふと動きを止めた。
頭をかきながら、気まずそうにつぶやく。
「あのさギフト、ちょっと頼みが―――」
「ん?」
「えーと。―――いや。やっぱり何でもない」
ガウディが、エルストを肘で小突いた。うるせえ、と言い返す。
「あっそ」
ギフトは、鏡で自分の顔色を確認し、それから兄へと振り向いた。
「あ、そうだ。兄さん、これ。届け物」
ぽん、と何かを放られ、あわてて受け取ってみると、それは黒い革の長財布だった。
エルストは首をかしげる。
「これ、お前の財布……」
「いや、兄さんの財布だろ? この間、オレの家に置いていっただろう。といっても、オレ今酔っぱらってるから、よく分からないけど―――さて、具合悪いからもう帰るよ。フォルスによろしく。兄さんも、あまり飲みすぎないでね」
「おいギフト」
茫然としていたエルストは、背を丸めて出口にむかう弟の姿を見て、我に返った。遠ざかる背中にむかって叫ぶ。
「ありがとう! ……たすかった。あとで借りは返す。お前も、気をつけて帰れよ」
弟は振りかえらず、ひらひらと手をふって、扉のむこうに消えていった。
エルストは、手のなかの財布を眺めた。中をひらく。
いっぱいあった。兄としてちょっと色々省みてしまうほどに、ザクザクであった。
エルストは感動しきって、トイレの蛍光灯を見上げた。
「あー……持つべきものは出来のいい弟だなあ……」
「……」
「今日は久しぶりに感動しちまった。うちの弟が、あんなに格好良い男に成長していたとはなあ。やっぱりこの俺の教育の成果、ってやつだよな。わはは」
「……」
「えーと、これで懸念していた問題は解決、と。―――あ、ガウディ君まだいたの。ご苦労だったな。もう帰っていいぞ」
「……」
「あれ、ガウディ君? 気のせいか目が赤いみたいなんだけど……」
ガウディは、右のアームを無言でかまえた。ジャキンと金属音がトイレにひびく。
「ま、まて、その腕から飛びだした物騒なヤツは何なんだガウディ。なんか無駄にキレキレな感じなんだが―――えっ、何でにじり寄ってくるの。相棒おい、ちょ、早まるな―――」
***
「遅いなあエルストさん。もうビールの泡消えちゃったよ。―――ん?」
テーブルに頬杖をつき、頬をふくらませていたフォルスは、ふと顔をあげて廊下の奥に視線をむけた。
「いま、トイレから男の人の悲鳴が聞こえたような……気のせいかな」
憧れの先輩がまさに今、響友から最新武器のお披露目を受けているなどとは夢にも思わないフォルスは、ビールを一口先に飲んで、唇をぺろりと舐めたのであった。