ある日の中庭中庭に面した縁側で耕治が手仕事をしている昼下がりに、ふらりと姿を現したのは、イチゴの箱を小脇に抱えた新次だった。おう、と小さく手を挙げて挨拶する新次に、耕治もおう、と応じて、縁側に広げていた道具を片付けて新次が座る場所をあける。
これ、亜哉子さんの教室の子たちにも食べさしてやって、と新次が差し出したイチゴの箱を耕治が礼を言って受け取り、新次の顔を見た。
「聞いたが?」
と新次が口を開き、耕治も聞いた、と頷く。
「みーちゃんと亮がなぁ」
新次が目を細めて中庭を見やる。その目線の先には、幼かった頃の永浦姉妹と亮、それに他の幼馴染たちの姿が映っているのだろう。新次が見ているそれは耕治にも見えるもので、耕治も目じりにしわを寄せた。
「まだ大学終わってないのに、なんて未知は言ってたけどな」
「亮も来年30だしな、まぁ、ころあいなんだろ」
「あの亮と、ウヂのモネもか。あいつらが30になるんだもんなぁ。俺らも年取るわけだ」
「勝手に老け込んでんじゃねぇよ」
新次が笑って耕治の背中をどやしつけて、うるせえな、そう言う流れだったろうがよ、と耕治が新次を小突く。
「んで、二人モメてんだって?」
耕治の言葉に、んだってな、と新次が応じる。
「俺は最初に亮から聞いた時に、それでモメんのが、って思っちまってよ。美波と結婚するときに俺が横山になるかなんて、考えもしなかったからよ。んで、あぁ、俺が古りぃんだな、って」
「俺も亜哉子がそうしたいがなんて、聞ぎもしなかったな。まぁ、亜哉子がむこうの家から距離置きたいってのもあったけど」
「モネちゃんは、普通に先生の方の『菅波』にしたんだろ?」
新次の問いに、耕治がそれがな、と笑う。
「もう何が普通かって話でよ。最初、光太朗君が、自分が『永浦』にするって言い張ったんだってよ」
「なんでまた」
「アイツはとにかくモネ大事だからよ。モネがもともと持ってたものを、自分が理由で一つでも欠けさせるようなことをしたくないんだよ。光太朗君らしいっちゃらしいが」
「まぁまぁ重ぇな」
「だいぶな」
耕治がにやりと笑って続ける。
「でも、モネはモネで、光太朗君のことが大事で、自分が理由で光太朗君の仕事に支障をきたすようなことはしたくないんだよ」
「似たもの同士だ」
「な。んで、モネがこう言い張ったんだと。『先生はもう菅波光太朗で論文を国内外に出してるから、戸籍名を変えるデメリットが大きい。気象予報士は旧姓をビジネスネームで使うケースが多いから問題ない』 って。光太朗君も理屈の人間だからよ、モネにより正しい方はどっちだって迫られて、そんでやっと折れたんだと」
すげえなぁ、と新次が笑い、それでか、と気づいた顔になる。
「亮も、みーちゃんは『永浦未知』で論文出してもう研究者として活動してるんだから、って」
「モネから聞いたんだろな。未知は、『及川』がいい、って言ってるんだろ」
「だってな」
新次のうれしそうとも寂しそうともつかない表情を、耕治が見守る。
「お前はどう思ってるんだ?」
「俺は、こんな親父だからよ、何も口挟めねぇよ。二人が納得すればそれでいい、って思っでる」
耕治が黙って新次の顔を見ていると、新次がふっと笑って中庭から空を仰いだ。
「んでよ、美波ならなんていうかな、って考えんだ」
「うん」
「んでな、美波はみーちゃんが義理の娘になるのがうれしくて、言われるまでそれに気づかないんだよ」
「ちげぇねぇ」
「そんで、みーちゃんが義理の娘になるならどっちでもいい、亮、アンタが折れなさい、って言うんだ」
な?と笑う新次に、だな、と耕治も笑う。
「それに、モネちゃんが『菅波』になって、みーちゃんが『及川』になったら、『永浦』残んないだろ」
新次の言葉に、耕治が何言ってやがる、と肩をすくめる。
「娘二人の時点でその可能性は織り込み済みだし、そんでもどっちに婿とれなんて育ててきてねぇんだ。そんなこと言ったら、二人が『永浦』選んだら、『及川』も同じだろうがよ」
亮は一人息子なんだからよ、という耕治に、新次が首を振る。
「亮は、船の名前がカンバンみたいなもんだ。その亮が『及川』にこだわらねぇなら、『及川』は俺がでぇじに、美波の思い出と一緒に抱えて生きて、そんでいつか美波に会えりゃ、それでいい」
そうか、と耕治はつぶやいて、新次の言葉を受け止めた。
「あれだな、二人の苗字で新しく作れたらいいのにな」
新次が冗談めかして続けるので、耕治も笑ってそれにのる。
「『及浦』か『永川』ってか?」
「言いにくいな」
「言いにくいな」
ひとしきり笑って、新次と耕治はそろって空を仰ぐ。
「ま、だから、ほんとによ、どっちでもいいんだ。二人が納得して幸せなら」
「だな」
ひとひらの雲が流れて行ったころあいに、作業場の方からにぎやかな声が聞こえてきて、数名の小学生が姿を見せた。口々に言う、こんにちはー!と挨拶の声が、中庭に元気に響く。
「あ!イチゴのおじさんだ!」
その中の一人が新次の姿をみて声を上げ、他の子どもたちもそれに続く。
「いつもイチゴありがとうございます」
元気に言う男の子に、新次が笑って、おう、と応える。
「今日も持ってきたから、後で先生に食べさしてもらいな」
新次が言うと、子供たちはやったー!と歓声を上げて教室にしている部屋に向かう。その姿を耕治と新次がほほえましく見ていると、ひとりの女の子が振り返って新次に駆け寄ってきた。
「私、大きくなったらイチゴ農家になって、おんなじぐらいおいしいイチゴ作ります!」
笑顔でそう言ったあと、だから勉強頑張りまーす!と他の子どもたちの後を追っていく。
耕治が新次の顔を覗き込むと、新次はあっけにとられつつ、じわじわと喜びをかみしめる顔をしている。
耕治がにやりと背中をどやすと、新次も笑ってうるせぇ、と耕治の肩をたたき、二人はしばし、縁側で笑いあっているのであった。