典さにまとめ① 病の名を言うべからず
大典太光世が顕現したその本丸の審神者は、とても気丈だった。
痩せた手足を懸命に動かし指揮を取り、負け戦となっても涙を見せずに歯を食いしばり乾いた指先を手のひらにくっきりと痕が残るまで強く握りしめる。短刀たちの手を優しく取り、大きな刀たちの頭も臆することなく撫でては風のように笑う。
そんな女だった。
顕現したてにも関わらず、先にいたソハヤノツルキに「兄弟、早速今日から仕事だぜ」と明るく言われ、大人しくついていくと審神者の部屋の隣だった。
寝ている審神者の番だという。
「夜番か? 俺では役に立たないと思うが……」
「夜番は夜番でも、役目は兄弟にしか出来ないことだ」
なんでもここしばらく審神者の寝入りが悪い。なにか病や呪いでもあるのではないか、と加持祈祷を行ったり、様々な斬りを得意とする男士たちで見回った。怪異は特に起きていないという。
そこで大典太の出番となったのだ。
病魔を払う、それを期待してのことだった。
ここに来ても、またそれか……。
「どうせ俺はそれしか出来ない刀だよ……」
「まあまあ、そういうなって! 俺も遊びに来てやるよ!」
主が病で臥せっているというのに、すでに慣れきってしまっているのかソハヤの態度は明るかった。
大典太は真面目に看病をした。
魘されればそっと隣の部屋から見ていたのを、近くに寄り声をかけ、滲んだ汗を拭い、飛び起きた審神者に水を差し出す。
夜の間だけでなく、そのうち日中も共にするようになった。審神者の顔色は以前よりは血色も良くなったが、手足は相変わらず細い。もっと食わせるために歌仙や燭台切に相談しに行くと、困った笑顔を浮かべるようになった。そんなに状態が良くないのだろうか。自分がついていながらにして。
日中も甲斐甲斐しく世話を焼く大典太はそのうち本丸中で見られるようになった。陽が強ければ日傘を差し、定期的に水分補給を促しポケットからは塩飴が出てくる。秋田と袋買いをして半分こしているのだ。時々ソハヤがこっそり舐めているのは目を瞑ってやっている。
雨の日も風の日も、大典太は審神者を護るために盾となり彼女を外敵から覆った。
審神者は薔薇色の頬をして、大典太を見た。
それでも大典太の任が解かれることはなかった。
「まぁだ、大典太連れてんのかよ。いつまで経ってもそのガリガリ治らねえなぁ」
ある時、審神者の知人だという男がただ道で出会った世間話のついでにその彼女を詰った。思わず大典太が刀に手をかけようとしたのを彼女が止める。大典太の行動を見咎めた男が鼻で嗤う。
「そうやって側に置いて甘やかしてるから人間様に刀向けようとするんだろ」
呆れたように言う男の刀である加州清光が自分の主を嗜めようとするより早く、大典太の主の手が男の横っ面を引っ叩くのが早かった。その勢いに男が尻餅を突くほどであった。
その場にいた全員が彼女を見た。後ろから何事かと彼女の刀であるソハヤと歌仙が寄ってくる。二人は大典太の肩に手を置いて「あ〜あ」とだけ呟いた。
「無礼な者に尽くす礼儀など不要だ! 今すぐ貴様の鼻っ柱をへし折ってやるぞ!」
歌仙が彼女の腕を取る。
「主。そいつの首が欲しいなら僕がやるよ。君の手を煩わすまでもない」
「な、あ、……は!?」
「ざーんねん、主。これはアンタが悪いよ。
悪かったね。ただ話す口実が欲しかっただけ。前のアンタはそうやって気高くてうちの主と唯一話してくれてたからさ。しおらしくなったのが一時的で良かったよ」
よいしょ、といって加州が腰を抜かした主を連れて立ち去った。
彼女は、今更おろおろとして、歌仙とソハヤと大典太の顔を何度も往復する。
「もう無理だって、主。本性そっちなんだから。まあ、よく頑張ったほうじゃねえの?」
じゃ、あとはお二人で、と言ってソハヤが立ち去っていく。
「僕も、素直なままの君でいいと思うよ」
そう言って大典太の肩を叩いて行ってしまった。
取り残された大典太はひたすらに眉を下げる一方である。
それに気づいて審神者が小さな声を発した。遠くて聞こえづらい。
「……どうした?」
「呆れた? こんな、その、ヤンチャというか、強気で」
「強気というレベルか? 歌仙の真剣必殺かと思った」
「そこまで言う?!」
思わず見上げた大典太の顔は穏やかだった。
知っていた。最初から、病でないことくらい。
彼女が自分以外といる時には朗らかな、屈託のない笑顔を浮かべるこたも、ソハヤとコソコソ内緒話をしては赤い顔をすることも、初期刀の歌仙には甘えるように飛びついたりもすることを。
だけど、大典太の前では、いつもいつも、薔薇色の頰は鮮やかで、瞳は丸く大きくなり、艶やかに彩られた口はキュッと結ばれていた。
痺れるような張りのある声。あんな声に鼓舞されたらどんな病魔もいなくなるだろう。
「なあ、アンタの病は、一体なんなんだ?」
俺を見る時だけに現れる、その口を留め頰を染めさせ、瞳を潤ませるその言動の正体を、どうか、教えてくれ。
雨雨降れ降れ
本当にちょっとのつもりだったのだ。
切手が足りなくて、ついでにテープのりと、そういえばもう朱肉がスカスカだから補充インクも、なんてギリギリの財布の中身に合わせてそれぞれ少しずつ買って、今すぐ必要なのは切手だけだったのに手に持つとそれなりに重みのあるビニール袋を下げていざ帰還と思ったらほんの二十分もしない買い物の間に天候が崩れたどころではなかった。ここは山か? 変わりやすいなんてレベルではない。
いや、確かに最初から曇ってはいたけれど。
まさか、目の前が見えないほどの土砂降りなんて。
本丸に迎えを求める連絡を送ったが、まだ既読がつかない。今一番忙しい時間だもんな〜、歌仙に一人で買い物に来たと知られたらそれこそ大変だな〜〜。
でも本当にほんの少しのつもりだったのだ。本当だから、どうか歌仙怒らないで聞いてほしい。
ため息をついて、どこかでお茶でもして待とうか、と思ったが手持ちがあまりに貧相だ。やはり社会人たる者、もう少しまともに現金を持っているべきだと痛感した。
「全く、なにをしているんだ」
邪魔にならない様、ギリギリ濡れない軒下にしゃがんで雨に打たれるコンクリートを無心で見つめていたら、黒い革靴が目に入った。長い足元の裾はびしょ濡れで、顔を上げても上げても見えなくて、立ち上がって顔を見上げて、ようやく大典太と目線が合った。
ほんの少しだけ上下している肩。吐息は少しだけ荒くて、しかし表情はいつも通り陰気である。
本丸全体で自由に使えるビニール傘は、人間の平均身長の者たちが使えば普通だが、長物や著しく背の高い男士が使うと、傘ですらつんつるてんで、膝下がほとんど濡れていて傘としての役割を果たせているのか疑問である。立派な体躯の両肩も背中の濡れていた。
「大典太、わざわざ来てくれたの?」
「……勝手にいなくなるからだろう」
そう言ってもう片方の腕に持っていた彼女の傘を差し出す。白地に鮮やかな赤と黄色の花が咲き乱れているお気に入りのものだ。だが、それを受け取らなかった。
「一緒に帰ろ」
「は?」
「ほら、詰めて詰めて」
「詰めるまでもないだろう、俺一人で満員だぞ!」
「は? なにその言い方、かわいい」
「聞いているのか、主」
「だって」
「別の傘にしたら、顔も声も見えないし聞こえないじゃない」
今だって、大典太の声は低く、雨音にかき消されている。傘があったら表情も見えない。一緒に並んでいても、それでは一人と同じだ。
そんな寂しいことってない。
ね。そう言って下から大典太を見上げる。バタバタとすごい音を立てて落ちていく雨音の中でもはっきり大典太が呆れたため息をついた。
「……今回、だけだぞ」
「やった!」
その腕に飛びつくようにして傘に入る。入りきらないので肩を抱かれてギョッとした。下から見上げた顔は悪い笑顔だ。
「これくらい、詰めないとな」
「わ、悪い顔〜〜」
こちらがその顔を好きだと分かっていての狼藉か? そうだろうなぁ。
真っ直ぐに顔が見られなくなって、大典太が喉の奥で笑う音が腕から振動として響いてくる。
「顔を見たいんじゃなかったのか」
「その顔やめてください」
「断る」
それでも当然別の傘を差すことをどちらも考えつかなかった。
結局大典太の持つビニール傘では二人ともびしょびしょに濡れて歌仙に怒られたのだが、次からはもう少し大きな傘を用意してくれるらしい。それじゃあゴルフのキャディーさんじゃんと笑ったが、初期刀も主相手にはずいぶん甘ったるいらしい。
病を癒す椅子
「主! なんで起きてるんだい! 横になっていたんじゃないのか?」
「歌仙! いや、これはその……」
「全くもう、仕事人間なんだから! 明日やればいいことを先にやる必要はないんだよ。休息をちゃんと取れない者は正しい将とは言えないよ。僕たちには疲労が溜まったら休ませるだろう」
「だって、みんなのは見えるんだもん!」
「見えないからこそ休めと言っているんだ!」
初期刀との言い争いはヒートアップしていく。
しかし、当然ながら歌仙のほうに理がある。今朝から顔色が悪く倦怠感があるという話をしていたため、急ぎのものも無いし、用心して体調を休めるという話に落ち着いていたはずなのに、しっかり身体を起こして通常通り業務していたからだ。
審神者の言い分としては毎日コツコツとやることが重要なのであって、休むと落ち着かない。業務が出来ないほどではない、というのだが、顔色は悪化しているし、明らかに疲れが溜まっている。
ここ最近はイベント続きで修行後の男士たちが優先的にレベリングを行っていた。そこにきてシステムの改修など業務が一部中断せざるを得ない事情もあり、ほんの少し普段よりも遅れているのは事実だが、審神者の事務仕事を手伝う男士たちからも「主は休んだほうがいい」「あんなに根詰めてやるもんじゃない」「あせっていては実のなるものも実らない」など散々な評価であったし、満場一致で休暇とさせられたのだ。
「全く! 聞き分けのない子だね!
ほら、大典太光世! いるんだろう、出ておいで!」
パンパンと手を叩いてすごい迫力で呼びつける。その音に様子を後方で見守っていた男士たちがコソコソと顔を出す中、大典太も部屋に一歩を踏み入れた。
「主、休息は大事だぞ」
「ほら、病避けの刀を付けるから休みなさい。大典太、しっかり休息させてくれ」
「ああ。承知した」
「は?」
サッと、後ろに控えていた前田と平野が折り畳み式のリラックスチェアと薄いブランケットを持ってきた。
どっかりと大典太が椅子に座ると、両腕を広げる。
まさか
「来い」
「嫌です」
「大典太さん、温かいので寝心地いいですよ」
「短刀の意見は今聞いていませんね! そりゃそうでしょうよ!」
ほらほら、主君、主様、とやいのやいのと短刀に手を引かれて押し込まれるように大典太の膝に乗る。
「なにこれ苦行?」
「違う。休息だ」
「しっかり休ませておくれよ。絶対に逃すな」
「歌仙、怖い」
また後でおやつお待ちしますね、なんてニコニコと前平に手を振られて振り返していたら、お腹にぐるっと手が回る。
「うわーー!」
ビクッと大典太が驚いたのが身体の震えでわかった。
「急に大声を出すな……」
「急に掴んでくるからでしょ?! 近すぎる! 休息にならん!」
抜け出そうともがくが、ガッチリと掴まれた腕は微塵も動かない。ゼーハーと肩で息をして、疲れたところに、更に追い討ちをかけるようにチェアにそのまま大典太ごと沈み込んだ。
前田たちが言っていた通り、人の身体の上なのに安定感がありすぎる。お腹に回されて組まれた手のひらは拘束のようでその実身体を温める湯たんぽのよう。背中にいる大典太は、ピクリとも動かずに彼女の動向をじっと見守っているようだった。
繊細な、鳥のように。
右手が、そっと審神者の目元を押さえた。視界が遮られ暗くなる。なにも見えないのに、先程のような焦りはない。目元もまた適度な冷たさと重さで気持ちがいい。眠りを誘発されている。
「眠っていろ」
「でも、やること色々あるのに……」
「何を、焦っている」
「焦ってない」
「焦っている。急いては事を仕損じる」
「……うん」
審神者の気持ちは、きっと刀にはわからない。刀の気持ちが審神者にはわからないように。
それでも、審神者がついに観念したように、全身の力を抜いた。こわばっていた力が抜けて寄りかかっている力も増す。この程度の重さ、彼女が背負う、人間の抱く悩み苦しみ悲しみに比べたらどれほど軽いものだろう。
そう思えばこそ、なにも分からずとも、そばに置いてくれる許しをありがたく思う。
ただ隣にいて、支える柱であればいいと願って。
きっと彼女もまた、そうなのだろう。百柱もの神を統べる者としての矜持を保つために必要な頑張りを、たまには解く宿木として、大典太を選んでくれたのなら。
目が見えないと、色々なことを考えてしまうようで結局ウトウトしそうになると口を開けてしまった。
「ねえ、大典太、暇じゃない?」
「暇じゃない。ソハヤが勧めてくれた動画を観ている。字幕だから音もなくていい」
「待った。何観てんの? 天下五剣が」
「ゲーム実況だ」
「わーお」
「TRPG実況もよく観る」
「嘘でしょ」
「TRPGは数珠丸が強い」
「わかる。やったことないけど。
って、違ーう! どういうこと?! 数珠丸さん、TRPGすんの?!」
「するぞ。天下五剣で」
「なにそれ観たい」
「ふふ。嘘だ」
そっと手が外された。
上から見下ろしている大典太は、笑っていた。それは、目を細めて、柔らかい瞳で。戦では強く鋭く光る紅色は、今は優しい夕焼けのような灯りだった。
審神者の顔面が急に熱くなる。
「ちょっと! 顔見ないでよ! 恥ずかしいじゃん!」
「いいだろう」
「面白くないよ、私の顔なんて……」
「なんでだ。面白かったぞ」
「ほら! そうやって!」
「それに」
「アンタをこうして独り占めしているからな」
顔の近くで、降って来る声音がそういうと、審神者は気を失っていた。
*
歌仙と前田、平野がおやつの準備をして、審神者の部屋に向かっていたら、何かが倒れ落ちる大きな振動音が響いた。
「主っ! 大丈夫か!」
「主君!」
「大典太さん?!」
三人が慌てて部屋に飛び込むと、審神者を抱えたまま、真横に倒れ込んだリラックスチェアと大典太がいた。
「……すまん。落ちた」
「お怪我はございませんか?」
「ないです」
返事をしながら、歌仙に手を引かれて審神者が立ち上がる。その肩が震えていた。
「主?」
「あっは、あははは!
え、大典太が落ちたの? それとも私?」
ケラケラと笑う彼女の顔色は薔薇色で、瞳は笑顔のせいで半円を描いている。生来の、快活さが、戻ってきたような笑い方だった。ごめんね、重たくなかった? 重くない、というやりとりにようやく歌仙が息を吐いた。
「その様子なら大丈夫そうだね。
平野、前田。予定通りおやつにしようか」
「「はい!」」
「わーい! 歌仙たちも一緒でしょ?」
「もちろん、ご相伴に預からせて頂こう」
照れ臭そうに笑う大典太を前田と平野が支えた。
審神者が笑うのならば、道化にでもなろうという刀がいたことを知っているのは、密やかな関係性の刀たちだけだった。
濡れない工夫
「どうしたんだ」
仕事終わりに顔を出すのを日課としている大典太が審神者の執務室に声をかけると上の空の返事が返ってきた。不躾とは思ったが認識しているようなので障子を開ける。
執務室の審神者用PCチェアーに身体を預けながら腕を組んで口をへの字に結びながら「う〜〜ん」と唸っていた。
それを尻目に勝手に簡易キッチンで湯を沸かし、いつのかわからない茶葉が入れっぱなしだった急須にぞんざいに湯を注いだ。よく来る男士の湯呑みは私物が置いてある。大典太のは審神者が気に入って揃いで買った美濃焼きの色違いの湯呑みだ。ついでに審神者のデスクにあったマグカップのコーヒーは捨てて流しに置き、淹れ直した緑茶を置いた。
「で、どうした」
「いや、長いな! 放置されてるのかと思ったわ!」
「いつもなら勝手に話し出すだろう……」
そう返すと本人も納得した様子だった。その姿勢には疑問を持ってほしい。
審神者の前にはこれみよがしに置いてある箱。顎で指されたので「行儀が悪い」と注意することは怠らずにその箱の中身を開けた。
中には細い革紐が幾重にも交差したサンダルだ。踵は控えめだがヒールがあり、キラキラとした光る足がつけられている。夜道でも光って安全そうだな、という感想だったが、そろそろ審神者の怒りのポイントを掴みかけてきた大典太は己の感想をすぐに言わないようにしていた。その怒りは小さく可愛らしいと思うので言ってもいいのだが、こうした時間を止められるまででもない。
「女物の草履か」
「サンダルね。もう何年もサンダル欲しいな〜って言ってたんだけど、なかなか気にいるものがなくて。先週たまたま歌仙と一緒に覗いた店で気に入ったから買ったんだけどさ」
「ほう」
歌仙は初期刀で、審神者の格好にそこそこ口を出す。仕事中はキッチリしたいタイプなので二人の意見は噛み合うが、こういった装飾品を兼ねるものについてはなかなか意見が噛み合わない。
華やかなものを好む歌仙と、己の見目に合わせて地味だが長く使えるものが欲しい審神者。時には細川刀を呼び寄せて意見交換会をするほどだ。それが楽しいようなのであまり気にしていないが、これは審神者が普段身につけるには少し華やかに分があるようだった。
「言わなくてもわかるわよ。私にしては派手だっていうんでしょ」
「言っていない」
「目がそう言ってる」
ちょっとふてくされたような口元だが、茶を飲むと少し落ち着いたらしく、それ、と大典太が持つと途端に小さく見えるサンダルを指さした。足の甲に当たる部分にガラスの石がついている。深い藍は華やかな紐の交錯の印象に対して落ち着きを見せる。
「あなたの髪の色みたいだなって思って。普通、そういうのって赤とか黄色とか、明るい色だから」
な〜んて、と言ってから照れ臭くなったらしい彼女がこれを履いているのは見たことがない。
「履かないのか」
そう言われたら、これを履いている彼女が見たい。己の色と近いものを身に付けたいと、どれだけそばにいようと他人同士、物と人のことわりを変えられない我々を
彼女はまた物で繋ぎ止めようとするその健気さに目眩がしそうだった。
「だって、雨なんだもん」
呆れた言葉に口が勝手に空いた。
「なんだそれは」
「雨の日に新しい靴下ろしたくないでしょ!」
「だが、履きたいのだろう?」
「そりゃそうだけど……」
「まさか、それでずっとふてくされてたのか?」
昨日もその前も、審神者の機嫌は悪くはないのだが、どこか投げやりな様子だった。今ならわかる。毎日の天候に左右されていたのか。
「履けばいい」
「はあ?」
審神者の椅子をくるりと回すと大典太がその前にかしずいた。審神者の足を己の膝に乗せて、靴下をポイと脱がす。
「ぎゃあ! 大典太?!」
「散歩に行く。これを履け」
「やだってば!」
「濡れなければ、いいのだろう?」
そういって至近距離でサンダルを履かせながらあまりに近い距離で視線が合って審神者が目を逸らした。強引ながら、その手つきは前田と一緒に小鳥を撫でる時と変わらない力加減である。
「……その留め具がこっちに来るのよ」
「?」
「んも〜、ワガママ」
結局最後に折れるのは審神者のほうだった。
*
「なにやってんだ? 兄弟」
縁側からソハヤが声をかけてくる。手には大量のタオル類を持っているのでリネン室に行くのだろう。
「見ればわかるだろう。散歩だ」
「誰の」
「主の」
その回答にソハヤが笑った。
「また押し負けたのか、主〜〜」
「うっさい! 恥ずかしいから見ないでよ!」
「わかってて見てんだろうが。兄弟、主を落とすなよ」
「まさか」
そんなこと想像もしていなかったというように少し驚いた顔をしている大典太光世の表情がよく見えた。
右腕に審神者を抱えて、左腕で傘を差して、大典太自身はいつも通りの内番着にあのサンダルなので足元はビシャビシャだ。
審神者は傘は自分で持つと言ったのだが、落ちると良くないから腕を回せと言われてそれもそうかと思って彼の肩に腕を回している。
下ろしたての靴、呼べるかは不明だが、サンダルは履き心地が良かった。歩いてないからわからないけど、満足だった。
履かせてくれた大典太が満足気に「似合っている」と言ってくれたから。
だから、もう散歩なんてしなくても良かったのに、大典太はがんとして譲らなかったのだ。先ほどから中庭周辺を回っているだけではあるのだが誰かしらに声をかけられては微笑まれて居た堪れない。
「晴れたら一緒に散歩でもしようと思ってたのよ。本当に。なにもあなたまでこんな濡れる必要ないのに」
「構わない」
「ったく、傲慢」
「結構だ」
だが、大典太の機嫌は良い。
審神者を抱き上げながら散歩をする権利は、彼にしか許されてないのだと、本丸中に喧伝出来るのだから。
後日、大きな刀たちが同様に申し出てきたが、つい祢々切丸だけには許可してしまったので大典太の機嫌を損ねたのを挽回するのはまた別の話である。