原液の愛は毒薬が如し「Good boy!完璧だシェーンハイト!」
「当然です」
クルーウェルの謝辞をさらりと受け流し、ヴィルは手ずから錬成したクリスタルをじっと見つめる。
「……心写しのクリスタル。手にしたものの心を読み取ってその色合いを変える魔法が込められた結晶体」
先程クルーウェルがした説明を復唱した後、ヴィルは溜め息を吐く。
「こんなものに頼ろうとするなんてアタシらしくないわね」
苦笑いを浮かべながらヴィルは昨日レオナと交わした会話を思い返した。
「──あの草食動物、何も分かってねぇぞ」
侮辱的なレオナの一言にヴィルは表情を歪める。
「確かにあの子は察しの悪いところが多々あるけど、物分かりはそこまで──」
「なら聞くが、あいつはお前に番らしい行動を求めてきたか?」
「……は?」
意図が読めないレオナの問いかけにヴィルは間の抜けた声を上げる。
「その様子じゃ一度も無いみたいだな」
「だったら何なのよ」
「一つ良いことを教えてやるよ」
組んでいた腕を解き、レオナは冷笑を浮かべる。
「首輪をつけて囲い込むだけじゃ雌は育たねぇ。その自覚が無い奴は余計に、な」
「っ──」
オンボロ寮の監督生はヴィルと恋人の関係にある。
しかしそれはヴィルが一方的に取り付けたものであり、監督生がこの関係を好意的に受け入れているかは怪しい。
本当はどう思っているのかを直接問い質す気にはなれなかったため、心写しのクリスタルを使って監督生の真意を探ろうとしたわけだが──
「──あら、ちょうど良いところで会ったわね」
その日の放課後、都合良く一人だった監督生と遭遇したヴィルはクリスタルを握り締める手の力を強める。
「どっちでも良いから手を出しなさい」
「あっはい」
言われるまま監督生が差し出した右手の上にヴィルがクリスタルを乗せた瞬間、その色が淡い紫に変化する。
「っ!」
「色が変わった……?あの、これってどういう魔法──って、ヴィル先輩?」
監督生に名を呼ばれてようやく我に返ったヴィルはクリスタルを回収し、即座に踵を返す。
「……実験に付き合わせて悪かったわね」
「え──」
足早に去っていくヴィルの背中を監督生はぽかんとした顔のまま見送った。
「はぁ……」
深く深く溜め息を吐きながらヴィルは壁にもたれかかる。
心写しのクリスタルが示した監督生の心──ヴィルに対して抱く感情は、尊敬。
恋慕では、無い。
「思った以上にキツいわね……」
突きつけられた現実の重さにヴィルは打ちひしがれる。
──監督生はヴィルに対して何も求めてこない。
何を与えても恐れおののくばかりで素直に喜ぶことは皆無に等しい。
ちょっと優しくされただけで恋心を暴走させる小娘ぐらいしか相手取ったことが無いヴィルにとって監督生は途方もなく厄介な強敵だった。
「どうしろって言うのよ……」
「お困りのようだね、毒の君」
突然横から聞こえた声に驚くでもなく、ヴィルは肩を竦める。
「……ルーク、アンタいつからいたの?」
「キミがここに駆け込んできたあたりからかな」
「つまり最初からいたってことね」
こめかみを押さえるヴィルに対し、ルークは薄く笑みを浮かべる。
「ヴィル、キミの心を乱した犯人はトリックスターくんだね?」
「……そうよ」
誤魔化すだけ無駄と判断したヴィルは素直に答える。
「あの子、アタシのことを恋愛対象として見ていないのよ。あれやこれやと世話を焼かれたら少しは靡いても良さそうなものなのに……」
「ふむ」
少し考え込んだ後、ルークは視線を空に向ける。
「これはムシュー・姫林檎から聞いた話なのだけど、トリックスターくんはキミに感謝しているそうだ」
「感謝?」
「男でも女でも無い身体だからこそ出来ることがあると教えてくれたのはキミが初めてだった、とても嬉しかったとのことだ」
「……ああ、そういうことね」
監督生が何かを達成し、それを誉めた時に見せる満面の笑み。
それが答えであり全てだと察したヴィルは一際表情を曇らせる。
「恩人の立場に甘んじるのはご不満かい?」
「……嫌よ。それじゃ満足できない」
俯かせていた顔を上げ、ヴィルは歯噛みする。
「アタシ以外の、どこの馬の骨とも分からない奴の腕に抱かれて惚けた顔をするあの子の姿なんて想像するだけで腹が立つわ」
「それはまた、凄まじい独占欲だね」
ルークの指摘にヴィルは一瞬目を見開き、直ぐ様自嘲するような笑みを浮かべる。
「……そうね。みっともないにも程が──」
「ノンノン、その激情こそがキミの本心。トリックスターくんに伝えるべきものだよ」
「え?」
「愛の狩人として──いや、一人の友人として助言しよう」
ヴィルの方に向き直り、ルークは真剣な顔をする。
「此度において愛の稀釈は悪手だ。恋の炎を燃え移らせたいのであれば情熱的に、そして暴虐的に原液のままの愛をぶつけたまえ」
「──簡単に言ってくれるわね」
「簡単なことさ。キミが私人としての顔をトリックスターくんに見せられれば、ね」
──翌日。
「取り込み中……かな?」
他の生徒と話し込んでるヴィルを遠目に見ながら監督生はぽつりと呟く。
「あの様子じゃ当分話し終わりそうに無いんだゾ」
「急ぎの用じゃないし出直そっか」
「そうするんだゾ」
会話に区切りを付け、監督生とグリムは踵を返した。
「こ、ここまで間が悪いことってある……?」
結局その日はヴィルに一度も話しかけられないまま夜を迎えてしまったことに監督生は困惑する。
「とりあえずメールを送って──」
「メールで済むなら最初からそうすれば良かったのに、何でわざわざ直接聞きに行こうとしたんだゾ?」
「……そういえば何でだろう?」
グリムの指摘に監督生は不思議そうな顔をする。
「オマエなぁ……」
「どうしたのグリム?」
「何でもねーんだゾ」
素っ気なく言ってグリムは欠伸をした。
「送信、っと」
散々悩んで書き上げたメールを送り終え、監督生は安堵の息を吐く。
「……返信は早くても明日の昼くらいかな」
そう呟いて監督生が手放そうとしたスマホから突如無機質な電子音が鳴り響く。
「え、誰──ってヴィル先輩!?」
監督生が慌てて通話のアイコンをスワイプするとスマホの画面にヴィルの顔が映し出される。
「ど、どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも、メールを送ってきたのはアンタでしょうが」
「それは確かにそうなんですけど、わざわざ電話で折り返さなくても──」
「声を聞きたかったのよ。今日は一度も会ってないでしょ?」
「な、何か今日は間が悪くてですね……」
「……明日は時間を作るから話の続きはその時にしましょう」
「あっはい、おやすみなさい」
「おやすみ」
通話が切れて真っ暗になった画面をぼんやりと眺めながら監督生はふっと笑みを浮かべる。
「……あれ?」
その笑みが無意識のものであることに監督生は首を傾げた。
「一番注意するべきなのはアイスローズの花弁を入れるタイミングよ」
「念のため聞いておきたいんですけど、入れるタイミングを間違えるとどうなるんですか?」
「大釜の中身は爆発するしクルーウェル先生にこっぴどく叱られるわね」
「つまり大惨事になるってことじゃないですか」
「そうよ、だから細心の注意を払いなさい」
「分かりました」
教わった内容をノートに記入し終えた監督生はペンを置き、肩を軽く回す。
「……休憩ついでに一つ聞いても良いかしら」
「はい何ですか?」
「アンタは──」
一瞬口ごもった後、ヴィルは言葉を続ける。
「アタシのことをどう思っているの?」
「どう、って……」
突拍子の無い質問に監督生は戸惑いながらも回答する。
「一言で表すなら恩人……ですかね?」
「っ!」
予想の範疇を出ない監督生の言葉にヴィルは表情を歪める。
「色々お世話になってますし、何より──って、ヴィル先輩?」
「……アタシは、アンタの全てが欲しい」
「え、」
「身も心も、感情の一つでさえも独占したい」
「あの、」
「──恩人扱いは嫌なのよ」
戸惑う監督生の腕を掴み、ヴィルは凄む。
「アタシを恋人として見なさい」
それは心からの言葉。
剥き出しの感情。
──猛毒の原液とも呼ぶべき苛烈な愛。
「……どうすれば、恋人として見ていることになりますか?」
その猛毒を真正面から浴びせられた筈の監督生が投げ返したのは一つの問い。
「キス……じゃダメですよね」
「そうね。その程度じゃ懐柔されてあげないわ」
「うーん……それじゃあ……」
真剣に悩む監督生の姿にヴィルは微笑を浮かべる。
「……あの、見当違いなことを言ってたらすみません。ヴィル先輩はその……寂しかったんですか?」
「は、」
「自分は昨日、寂しかったです。学校で何度見かけても他の誰かと話してて、声をかけ辛くて……だから電話がかかってきた時、凄く嬉しかったんです。気づいたのは今朝だったんですけどね」
顔を綻ばせる監督生に対し、ヴィルは眉間に皺を寄せる。
「何でアンタはそう、当たらずとも遠からずのところを掠めていくのかしらね……」
「え?」
きょとんとする監督生の唇を奪い、ヴィルは溜め息を吐く。
「寂しくなったら寂しいってハッキリ言いなさい。声をかけづらい状況なら飛びつきなさい。アタシが求めているのはそういうことよ」
「えっと……遠慮するなってことですか?」
「アンタは基本的に遠慮しすぎだってことを自覚しなさい」
「ぜ、善処します……」
何とも頼りない監督生の意気込みにヴィルは吹き出した。