兎の陰謀「ふ、ふふふふ……」
暗い部屋の中、抑えきれない笑い声を口の端から漏らす兎。
長い耳を垂らしたシルエットが特徴のロップイヤー種のエヴァンは、自分の発想とそれを実現した魔法の才能に酔いしれていた。
「これを、これを使えば!」
描いた魔法陣が青白く発光し、エヴァンの意思に答える。
それを咎める人物は、誰もいなかった。
「……まずは、街で誰かを捕まえて……」
にやりと笑いながら、エヴァンはふらりとその姿を部屋から消した。
俺は咥えた串を上下に動かしながら、石畳を歩く。
今日も大した用もなく、俺は街を散歩して過ごそうと決めていたが、聞き覚えのある足音に、俺は立ち止った。
「よう、エヴァン。奇遇だなー」
「……ユースさん」
俺がひらひらと手を振りながら、声をかけると、エヴァンはにっこりと笑いながらこちらに小走りでやってくる。
「今日は非番なのか? 暇なら飯でも食いにいこうぜー」
「ええ……ちょうどいいですね。行きましょう」
俺はピクリと【耳】を動かして、いつもとエヴァンの口調が違うなと思うが、まあいいかと楽天的に思考を放棄して、エヴァンと連れだって歩き始める。
エヴァンは行きたい店でもあるのか、俺を先導して、少し奥まった細い路地に入っていく。
「こんな方にも店があるのか?」
「ええ、まあ……」
俺の問いにエヴァンは曖昧に答える。
俺はふーんと適当に返事をした。
「あ、ユースさん、ちょっとそこで止まって貰ってもいいですか?」
「ん? ここか?」
「ええ……では……」
そういいながら、エヴァンは素早くどこからか愛用の杖『タクト』を取り出す。
展開する魔法陣と魔力は早く、おそらく認識阻害をかけながら構築していたのだろう。
俺の周囲に展開された魔法陣はすぐに青白く発光して起動準備を終えた。
「……は?」
ぽろりと、俺の口から串が落ちる。
俺は特に攻撃的な意思も、害する構築式も発見できずただその発動を見ていたが、視界が光に一瞬覆われたあと、素っ頓狂なボーイソプラノ声を上げた。
尻尾が引っ張られる感触と、がちゃりと俺の足元で音が鳴る。
見れば、大きさが合わなくなったせいでベルトごと、剣やナイフの重みでズボンが辛うじて尻尾穴だけひっかけながら前面は全て地面に落ちていた。
中に穿いていた下着も同様だったが、ぶかぶかになったシャツが俺の身体のほとんどを覆っているおかげで、股間を露出する事態にはなっていなかった。
「成功ですー!!!」
そばで狂喜するエヴァンに声を【耳】で聞きながら、俺は縮んだ身体に対して大きすぎる耳が折れているのに気付く。
……完全に、子供の頃の俺じゃねえか
俺はそれほど驚きもせず、自分の身体を確かめ、とりあえずひっかかって邪魔なズボンとパンツを尻尾からはずし、サイズの合わないブーツから足を抜いた。
「ふぐっ」
なぜか奇怪な呻き声を上げるエヴァンを見上げ、俺は裸足でぺたぺたと歩み寄る。
身体に対して大きすぎるシャツの首元から、俺は華奢になった肩を露出させ、長すぎる袖を垂らしながら手を伸ばす。
それでエヴァンのズボンのすそを掴むと、エヴァンは鼻先を抑えながら、肩を大きく上下させていた。
「……で、何がしてえんだ、お前は」
俺は怒る気もつっこむ気も起きず、やれやれと問いかける。
エヴァンは鼻先からうっすらと血を流しながら、ぐっと拳を突き上げた。
「実は完成したのです! みんなの身体をおいしいショタ化させる、もとい若返らせる魔法が!」
「本音、もれてるもれてる」
俺ははあ、と溜息をつきながらとりあえずシャツの袖を何度もくるくると折り曲げて何とか小さな手を出す。
前側は何とかシャツの布が覆っているが、後ろは尻尾でめくれてしまい尻が丸見えだった。
どうしたものかと俺が思案するが、横でエヴァンは俺の格好をつぶさに観察しては身もだえしていた。
「……そい」
すこしイラっとした俺は風の魔法で、手の届かないエヴァンの頭を殴る。
「あいたー!」
「いや、いい加減にしろよ。説明とかいろいろあるだろ、おい」
「……はっ、ショタユースさんがあまりにもあざとい、もとい可愛いので失念していました!」
「ほう……」
俺は試すようにエヴァンに向かってすこしシャツをめくる。
裸足の足からふとももがゆっくりと露出していき、その根元まで差し掛かったところで、俺は、
「……エヴァン、変態」
「ぐはうっ!」
俺がぽつりと言えば、エヴァンは身を逸らしてショックを受ける。
がっくりと膝を地面につけるエヴァンを尻目に、俺は自分で魔法の解析を行った。
……うわー、無駄に緻密で精巧な魔術式だ
エヴァンの魔術技能の高さが端まで詰め込まれた魔法なのは分かったが、発動する効果が、効果である。
無駄というか、ただただ性欲に忠実なだけの術であった。
肉体、精神の記憶から過去の姿を読み取って、それを現在に呼び戻している。
厳密な時間遡行でもなく、肉体の組織が若返っているのでもなく、現在の組織で擬似的に過去の姿を再現しているらしい。
質量保存とかいろいろなツッコミはエヴァンの濃密な魔力で圧縮されているが、術式に込められた魔力が尽きれば元の大きさに戻るだろうと予想できた。
とりあえず、効果時間はそれほど長くなさそうだと結論付けた俺は、ひとまずこの姿でいることにして、現況に目を向ける。
「おい、エヴァン……この魔法、他の連中にもかけるつもりか?」
「ぎくーっ!?」
「声に出てる、声に出てる」
焦りすぎて自分で擬音を発するエヴァンに、俺は頭を横に振った。
「だと思ったぜ……俺も同行する。嫌な予感がするし」
「……流石、ユースさんです! あと、だっこしても良いですか」
「何が流石なのか分からんし、そんな性格だっけ、お前……」
俺は肩をがっくりと落とし、好きにすればいいと投げやりに返した。
その後、好き放題に俺の身体を鼻息荒くエヴァンは撫でまわしていた。
「と言うわけでレンゲさん! 大変ですー!」
ばん、と勢いよく騎士団の一室の扉を開けて、エヴァンが声を上げる。
俺は短くなった歩幅で必死について行きながら、遅れてその部屋に入った。
「……何が、と言うわけなのか全く分からないんだが……」
そこには大柄な熊がデスクの書類と向き合っていた。
エヴァンの言葉に困惑したレンゲは、眉をハの字に曲げる。
「……理由はともかく、大変な事態なのは察して欲しい」
何故か笑顔で緊急報告するエヴァンに、レンゲは頭を片手で掻いたが、俺に気付いて椅子から立ち上がった。
随分と距離の開いたレンゲの顔をなんとか見上げながら、俺は溜息混じりに呟く。
レンゲは俺の格好を見て、しばらく無言で首を傾げた後、
「……もしかして、ユースさん……?」
「おう、全然見えねえだろうけど、俺だ」
上は大きすぎてダボダボになってしまったシャツの袖をぐるぐるに巻き、何とか手を出した状態。
下はベルトを細工して、限界まで絞って何とか吊るして、シャツと同様に裾を何重にも巻いて裸足の足先を出している。
ブーツはどうしようもないので剣を釣っていた所に吊るし、代わりに腰にあると地面を引っ掻いてしまう剣は鞘ごと紐でくくって背負っていた。
正直、あまりにも犯罪的な格好だが、剣の束と毛色を見て俺だとレンゲは認識してくれたようだった。
「な、なんで子供の姿に?」
「うーむ、話せば短くなるのだが……」
「短いんですか」
「うん。こいつのせい」
俺がエヴァンを指差した時には、エヴァンはタクトを構えて術式を完成させていた。
「……と、言うわけで!」
理不尽に性癖に忠実になったエヴァンは、魔力を行使する。
またも光が生まれて、消えた時には、そこに大きな熊はいなくなっていた。
「……はぁ!?」
低かったレンゲの声は一気に少年の物に変わり、目立っていた額の傷も消えていた。
驚愕に少年特有の大きな目を丸くしながら、レンゲは自分の身体を確認している。
俺は、生ぬるい視線をエヴァンに送ると、当の術師はぐっとガッツポーズを決めていた。
「お、思った通り……レンゲさんも! いいですね!」
なにがだよ、と俺はツッコミを入れたが、脱力して声には出さない。
レンゲは床に落ちたズボンを恥ずかしげに引き上げ股間を隠しながら怒鳴る。
「え、え、エヴァン!!! な、何するんだ!!?」
「うおー、怒ったレンゲさんも尊い……」
「あ、こいつだめだ。もうだめだ。早くなんとかしねえと」
俺は遠い目で呟く。
レンゲの怒気を明後日の方向に受け流し、エヴァンは少年となったレンゲを抱きよせて頬擦りをしていた。
レンゲはズボンがずれるのを抑えるのに必死で、片手で何とか脱出しようとするが流石に少年の姿では、エヴァンにすら敵わないらしい。
「はな、はなせー!! ず、ずれる! やめろー!」
「可愛いのう、可愛いのう」
「いい加減に……!」
レンゲがついに我慢の限界なのか身体強化魔法を使用する。
が、流石はエヴァンと言った所かそれに気付くと即座に解放して、高らかに笑いながら部屋を飛び出して行った。
「……ユースさん、どうしましょう……」
「……まあ、一応、時間で元に戻るっぽいけどな……」
心底困った顔をする少年レンゲに、流石に俺も同情して、ぽんと肩に手を置いて慰めた。
と、そこで俺はあることに気付いた。
折れていた【耳】に力を入れて立てると、ぴくぴくと動かして周囲の音を探る。
のしのし、と重い足音が部屋に近づき、扉がノックされる。
レンゲは急に慌て始め、俺に視線を投げるが、俺もどうすることも出来ずに黙って肩をすくめるしかなかった。
「レンゲはいるか? 少し、仕事を頼みたいの……だが……?」
ノックの後、少し待ってから扉が開く。
レンゲはとりあえずずり落ちそうになるズボンを持ち上げて、ドアから入ってきた竜を見つめた。
竜は筋骨隆々でその逞しい上半身を肩当てとマントのみで晒し、頭頂から尻尾の先までふさふさと毛を生やしていた。
頭に生える二本の角と厳格な顔つきだが、不思議と威圧感を覚えないのは、彼が持つ落ちついた雰囲気のせいだろう。
竜はその三白眼を大きく開いて、俺とレンゲを見て固まる。
尻尾がゆっくりと振られ、びたんと床を打った。
「君たちは……ここで何をしているんだ?」
低く落ちついた声音で竜が尋ねる。
どうも戸惑ってはいるが、騎士団に入り込んだ子供だと思っているらしい。
「あの、えっと、団長……」
「へ、団長?」
レンゲが途切れ途切れに説明しようとして、俺は思わぬ呼び名に話の腰を折ってしまった。
「まさか、レンゲ、なのか……!?」
膝を折ってしゃがんだ竜は大きな手を優しくレンゲの肩に置き、まじまじとその顔を覗き込んだ。
あまりの事に驚愕で口が開きっぱなしになっている。
レンゲは少し恥ずかしそうにもじもじしていて、
「その、ガルガン団長……ふ、服がずれてしまうので……」
「んお! す、すまん!」
大きすぎるシャツから肩を露出させたレンゲの姿に、ガルガンは謝りながら手を放す。
落ちついたガルガンは少し離れて、もう一度じっくりとレンゲの姿を眺める。
俺はその目に魔力が宿るのが分かった。
「……ふむ、この術式の構築のくせは……エヴァンか」
大きくため息と共に肩から力を抜き、頭を抱えるガルガン。
頭を抱えたいのは俺もレンゲモ同じだった。
「いつもは優秀なのに、ストレスが堪りすぎると暴走するのは直っとらんな……」
「どうしましょう団長……」
レンゲはようやくベルトを調節してズボンがずれるのを防げるようになり、ほっとして、直ぐに困ったように眉を曲げた。
「ふむ……そちらの君は……ユストゥス君、だな?」
「おう。というかここでうだうだしててもしょうがないぜ? たぶん、あいつ、またどっかで同じことしてる」
俺達は同時に嬉々として知り合いを若返らせて悦に浸るエヴァンの姿を幻視して、頭痛を覚えたように頭を抱えた。
「……しゃーねえな」
俺は【精霊の耳】の力を解放する。
あのエヴァンの高揚した笑い声と鼓動を聞き分け、俺は慎重に全身に魔力を巡らせた。
身体が小さくて、いつもと勝手が違うが、どうやらうまく『変化』はできた様だった。
「ふむ……これが……」
ガルガンはその様子を竜の目で眺め、俺に竜の血が入っていることにも気付いただろうが、口にすることはなかった。
俺は身体に比べてかなり長い尻尾から風の精霊を呼ぶ。
新緑色の天馬が俺の小さな掌でいななく。
「『草原を走る祖霊よ。彼の者の元へ運べ』」
俺の魔力を受け取った精霊は、俺の望みを叶えるべく、一陣の風へと変じる。
風の加護を得た俺達は窓から飛び出した。
「ふふーん、ふふふーん」
鼻歌交じりに街を歩き、エヴァンは足取り軽く、目についた人物を追いかけていた。
「ゴードフさーん」
「お、エヴァンか。なんだ、なんか用かよ」
背中の大剣が目立つ大柄な黒虎が、呼び声に振り返る。
エヴァンはなんとか追いつくと、そっと手招きをしてゴードフの顔を下げてもらう。
そっと近付いた耳に手を当てて小声で告げる。
「えーと、この辺だと話しづらいんで……」
「……分かった」
エヴァンがそう言えば、ゴードフはエヴァンの上司であるガルガンからの頼みだと勘違いしたのだろう直ぐに大通りから脇道に入っていく。
内心、ガッツポーズをしながらエヴァンはしめしめと内心で笑った。
しかし、とゴードフは抜け目のない男であることは先刻も承知のエヴァンは、自分の全魔法技術を込めて精密に、術式を組んでいく。
魔力を使わず、足音と呼吸音、何気ない手振りと足振りだけを起点にして空間に図式を描いて行く。
「……この辺なら大丈夫だな。で、用って何だ?」
ゴードフは自身の気配察知で周囲に誰もいないことを確認してからエヴァンを振りかえるが、瞬間、その顔が驚愕に染まる。
下地に一瞬で魔力を通したエヴァンの魔法はゴードフでも驚く速度で組み上がる。
ゴードフが全身に魔力を込めてレジストする一瞬早く、そしてそれを上回る強力な魔力でエヴァンの魔法は発動した。
「な、なにしやがっ……はあ?」
「ふ、ふふふふふ……」
まばゆい光に目を保護するため逆手で目を覆ったゴードフが、非難を上げるがその声の高さに気の抜けた表情を浮かべる。
がしゃりと背負った大剣が地面に叩きつけられる。
大柄だった身体は随分と縮み、エヴァンの顔が少し上に見える。
着ていた服は完全に脱げて、地面に撒き散らされていた。
「うおお!?」
辛うじて引っ掛かっていたシャツを手繰り寄せ、ゴードフは身体の前面を隠した。
混乱に状況が把握できていないゴードフに対し、エヴァンは奇妙な笑顔でふらふらと近寄っていく。
「かっわいい!!」
「てめえ! エヴァン、やめろー!!?」
ちっちゃいーなどとゴードフの悲鳴に構わずエヴァンは好き放題触りまくる。
頭を撫でられ、腹をさすられ、頬ずりされる。
あまりに予想外な事でゴードフもすぐに実力行使に出るという手段を思いつけずにいた。
「あははー、こうしてみんなを小さくして行けば……おれが、一番背の高いということに……ふふふふ……」
「そんな……くだらねえこと考えてたのか……」
やっとエヴァンの目的が聞こえ、俺は溜息混じりに幻影を解いた。
急に目の前に現れた俺とレンゲ、ガルガンを見て、エヴァンの表情が固まる。
ものすごい勢いでエヴァンの毛皮が汗で湿っていくのが分かった。
「呆れて、物が言えません」
俺とレンゲはもはやジト目でエヴァンを睨む。
「……エヴァン」
「ひゃひ!?」
ガルガンが腕組みをしながら声をかければ、エヴァンは先程までの喜びようはどこへ行ったのか冷や汗を吹き出しながら裏返った声で返事をする。
力の抜けたエヴァンの腕からゴードフは何とか抜け出し、俺とレンゲを見て、何かを察したように大きなため息を吐いた。
レンゲとガルガンがエヴァンを問い詰めていく間、俺とゴードフは少し離れた所で座り込んだ。
「……おっさん、意外と昔はちびっこかったんだな」
することもなく、俺はとりあえず視界に入ってきたゴードフの容姿を見て、感想を述べる。
ゴードフは疲れた表情で口の端を曲げた。
「うっせえ、おめえこそ、耳でかすぎて折れてるじゃねえか」
「かわいいだろ」
指で耳の先をつまんで、俺は肩をすくめた。
「お前ぇの場合は悪魔的って言うんだ」
「この世のものとは思えない可愛さってことだろ」
「口の減らねえガキが」
「今はあんたもガキだけどな」
俺達は、投げやりに罵り合いながら、エヴァンが正座させられているのを眺めた。
その後、たっぷり絞られたエヴァンは俺達の魔法を解き、明日からたっぷりの仕事を与えられることになった。