君を世界に知らしめる こちとら既に健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助けて真心を尽くしてきたし、何ならもうその命ある限りってのにも辿り着いてんのよ、ええ殺された後に石化してそれからおかげさまで生きかえってそして今があるので、言うならば死が二人を分かとうとも俺らは共にあったわけです。
精神的なものはすべて君に捧げきっているつもりだから、今更それを他の誰かに改めて渡すことは無いし、出来ない。君だってそれを分かってると思ってた、俺は分かってくれているだけで良かったからケジメとして改めて関係性に名前つけるなんてこともしなかった。これからもするつもりなかった。
「だから今ねえ、すこぶる驚いてる、俺、ジーマーで」
机の上に坐すは、お役所らしいテンプレートの薄い紙一枚。書類の名前は婚姻届。記入は半分済んでいる。
「えっ、要る? コレ」
「要る」
「……ジーマーで?」
「要る」
「へえー……ええと、……どしたん? 千空ちゃん」
机の向かい側に座る千空ちゃんは、終始不機嫌そうな顔である。そもそも俺んとこにやって来て書類を机に置き、一言『書け』ときたもんだ。照れ臭いのを隠して不機嫌に見える、とかではなく、本当に不機嫌な顔で迫るのが婚姻って……流石に君のことが心配になる、ジーマーでどうした?
「こんなもん無くってもいい、ってテメーが思ってんのは知ってる。俺も同意見だ。余程に俺がテメーに不義理かまして蔑ろにでもして見限られねえ限り、テメーが選ぶのは俺だと自負してる」
「うん、そうだねぇ。俺もそこは一緒。千空ちゃんが他の人間に目を奪われない限り俺を手放さないと思ってるし、あの極限状態で出会ってずっと居続けている俺以上にインパクトある人間はそう居るわけないから千空ちゃんは俺を手放さないと自負してるよ」
「認識に齟齬なくておありがてえ話だわ。で、だ。何で互いにわかりきってんのに、わざわざこんなモンを用意したかっつーとだな」
「うん」
「……テメーがあっちこっち行く先々でガセの熱愛報道されまくってるからだよ……ッ!」
心底苛立たしそうに千空ちゃんが吐き出す。あー……それについてはジーマーでメンゴ。何せ俺は他人の懐に入り友好関係を築き、信頼を勝ちとることが今現在の仕事みたいなもんである。千空ちゃんたちのような天然物とは違う、養殖物の人たらしだ。誰とでも距離が近いし、仲良くなった先でプライベートでの食事に呼ばれるなんてこともザラにある。
ちなみについ先日にも熱愛報道をされている。お相手は復興後のアメリカでめきめき頭角を現している物流関係の女性実業家のお姉さま。尤も内実は司ちゃんを得る為の足掛かりとして俺にモーションかけてきただけなんだけど。単なるファンで会ってみたいとかならいざ知らず、ネームバリュー利用込みで司ちゃんが欲しいなんていう人にこの俺が司ちゃんを紹介するとでも? のらりくらり躱しまくって最終的には龍水ちゃんに押し付けました。ああいうタイプは龍水ちゃんみたいな人にガツガツした向上心すらも肯定されて骨抜きにされて仕事に励んでもらおうと思って。龍水ちゃんなら上手くやることでしょう。
まあ、そんな感じで俺は利用価値が高いので売名含めしょっちゅう熱愛報道とかされているわけだ。俺自身も利用するときはあるし、スキャンダル報道は下世話な娯楽のひとつだ。どうあっても無くなることはない。目に余るときは抗議もするが、基本は聞かれたら事実ではないと否定するに留めて大げさには文句をつけずにいる。
「なぁ~にが『恋多き外交官』だ、ばかばかしい」
「毎度よくネタ膨らませるもんだよね~」
感心して相槌を打ったらジロリと睨まれた。
「俺は」
「うん」
「いい加減、テメーの挙動をおもしろおかしく騒ぎ立てる奴らに我慢がならねえ」
「うん……、うん?」
「んだよ」
「……怒ってんの? 千空ちゃんが?」
聖人君子ではないと言いながら怒るくらいなら別のことにエネルギーを使うような千空ちゃんが? 怒ってんの? 俺のことで?
「侮辱については正当に怒れ、っつったのはテメーだろうが」
トン、と千空ちゃんの指が机を叩く。音に視線を向ければ、目に入る『婚姻届』の三文字。
「テメーは、外交官として国が抱える研究者としての俺には口出ししようと思えば出来る。でも俺は、テメーのことに口出しが出来ねえ。口出しする理由として主張できる権利がねえからだ」
トン、トン、トン、と。千空ちゃんは机を叩く。三文字を主張するかのように。
「だが、これがあれば配偶者として正当に『馬鹿にしてんじゃねえ』と抗議ができる。あと単純にワンチャン狙ってテメーにコナかける奴らへも牽制できるし、俺にすり寄ってくる奴らへも言いやすくなる」
「ああ、言われてんのね。やっぱり」
「常々『あさぎりゲンより唆る人間になってから出直せ』っつってんのに冗談としかとらねえんだよな、あいつら」
「待って、そんなこと言ってんの!?」
「言ってる」
光栄だけどね!? 流石にそれは恥ずかしいというか、千空ちゃんって俺には直接ほめ言葉を言わない癖にゴイスー俺のこと買ってるって周囲に言って憚らないよね……言ってよ、直に! そしたらいくらでも君が見たがる『珍しく恥ずかしげに狼狽えるあさぎりゲン』が見られますけど!?
いかん、ちょっと脳内思考が脱線しかけた。つまり千空ちゃんは、俺の為にわざわざ分かりやすい形の関係として配偶者になろうとしてる、ってこと?
「権利を寄越せ、ってのが俺の主張だが。何よりも、俺のモンをどこの馬の骨とも知らねえ女のモンになるって頻繁に目にすんのが事実じゃなかろうと毎回新鮮にムカつく」
「そっか~……そうなのかぁ……」
へえ~……と相槌を打ちながらも、俺の手はソッコーで書類に記入を進めていく。そうか、毎回そんなに嫌だったんだ。そうか、そうなんだ。考えたら、自分の作ったものには名前しっかり書くタイプだもんね、そうか、そうか。
「書けたよ、千空ちゃん」
「ん」
「記者会見とかするの?」
「今までテメーのガセネタゴシップ載せなかったメディアにだけ結婚報告の書面を送る」
「うっわぁ、送られなかったメディアから囲まれそ~」
「知るか、そいつらの報道倫理と俺の主張が相容れねーんだから選ばれないのは道理だろうが」
「まあ、それもそっかあ。ところでさぁ、千空ちゃん」
「あ゛?」
「プロポーズの言葉は何でしたか? って聞かれたら、どう答えたら良~い?」
籍を入れたい理由は聞いた、君の気持ちはしっかり知った。でも俺、このままだと『抗議する為の権利を寄越せ』と言われました~って話すことになるのよね。別にはぐらかして適当な嘘を言えばいいだけなんだけど、どうせならプロポーズの言葉がほしい。
きょと、と目を瞬かせたあと、千空ちゃんは五秒程考え込んだ。それから、ペンを持ったままだった俺の手を上から握り、まっすぐ見据えて。
「世界にテメーのパートナーは誰なのか知らしめたい。結婚してくれ」
繰り返すようだが、俺は君が分かってくれているだけで良かった。対外的に俺と君が同性パートナーであることで万が一にでも不利益を被るくらいならば分かりやすい関係性なんていらなかった。ただ君の親愛なる隣人の顔をして立っていられたらそれでよかった。誰が割り込もうと新しい関係が増えるだけで、俺たちの距離が変わる事など無いと知っていたから。
けれど、千空ちゃん、君は、誰も割りこむなと言ってくれるのか、向後も変わることないと互いに分かりきっている関係なのに、明確に知らしめて俺に手を出すなと主張してくれるのか。
いいのか、俺も知らしめて、君の隣は俺のモノだと、俺の隣は君しか居ないと、言い触れても、いいのか。
「……、は、い」
どうやら俺は今の今まで混乱していたらしい。じわりじわりと実感が伴ってきた。単なる手段とかそういうんじゃなくって、本当に千空ちゃんは、俺との婚姻を望んでいる。
「……ヤバい、うれしい」
こんなに今更のことなのに。身近な皆に伝えたって、今更? って言われるだろうってわかってるようなことなのに。
なんだ、俺。自覚なかったけど、君のこと名実共に欲しかったんじゃん。
呆然と呟いた俺の声を聞いて、千空ちゃんが目を瞠る。それから、滅多に見せてくれない優しい顔で
「こんな事ならもっと早く言やぁ良かったな」
と笑うもんだから、俺は涙も我慢できずに立ち上がり、机越しに彼の頭をかき抱いた。