名前のないもの (shall we dance?) きっかけは、ささいな戯れ。
原始の村の、原始的な祭りの中で湧いて出た、原初の娯楽の話だった。
「……歌、って概念はあったんだよね?」
「うん。百物語にあったんだよ。でも、リリアンみたいなすごいのは、聞いたことなかったんだよ。だから、びっくりしちゃったんだよ」
宴は佳境に差し掛かり、メンタリストの盛り上げも必要なくなった場の中央から抜けて、いくつかの車座の全体を見渡せる位置に陣取ると、樹上の羽京ちゃんが目で合図をしてきた。「異常ないよ、お疲れ」を正しく汲み取ってにこりと笑顔を返し、手近な岩に座る。ふうっと息をつくと、喧騒の名残が耳の奥にわんわんと渦巻いて音の記憶が脳を充たした。
この感じ、いいよなあ、と思う。生きている人間が活動する音だ。今は眠る司ちゃんに起こされてさ。こんなモヤシがたった1人、完全に野生動物のオヤツじゃん俺、なんて思いながら原野を駆けてさ。夜になれば樹によじ登って眠った。ろくに眠れなかったし、ぶっちゃけ泣いたし。帝国を出る時に司ちゃんに持たされたカッチカチの干し肉の固くてまずくて泣けること。この世界を余裕で生きてる連中はちょっとどうかしてると思ったよね。……ま、慣れちゃったけど。
慣れたとはいえ相変わらずドイヒーな生活ではあるけれど、こういう時にふと「人のつくる社会」に戻れた実感が湧いて、なんだかとても愛おしくなる。山積みになった現実の問題からいっときだけでも目を離して、皆が揃って笑顔になる瞬間が俺は大好きで、そのための努力はこれからも惜しむつもりはない。
……こうやってみんながワイワイと楽しそうにしている時間があるってことが、あさぎりゲンの仕事の成果ってわけだ。
達成感が溢れる。とても嬉しい。断りきれずに飲んだ少しの酒がふわふわと脳を揺らすのも心地よい。
そんなふうにして祭りの空気を楽しんでいると、小柄な少女が転がるように近寄って、俺のとなりにちょこんと座った。
「あらあら、こんな夜中に子供が起きてちゃダメだよ」
「外が賑やかで起きちゃったんだよ、大人ばっかり楽しそうで、ズルいんだよ」
「あはは、そうね〜、メンゴ〜」
ぷう、と素直に拗ねて、スイカちゃんは軽く俺を睨んできた。いつも誰かに尽くしたい健気な少女は、最近ようやく子供らしいやっかみを見せるようになっている。反抗期かしら。お兄さん嬉しいような寂しいような。
「ゲンは今、歌ってたんだよ?」
「えっ、そう? ジーマーで?」
「うん、嬉しそうに、ふんふーんって、鼻で」
「あら〜そりゃ無意識だね、恥っず〜」
そういえば、歌という概念は、残っていたのか。
「村にも歌はあるんだよ、船を漕ぐ時とか、縄を結う時とかにみんなで歌うと、ちょっとだけ疲れにくくなるんだよ」
「うんうん、そうね、最初の歌ってそういうのだったんだよ。正しく伝わってたんだね、さすがだわ」
「でも、千空とゲンが教えてくれたのは、なんか、全然違うんだよ。村のみんなもびっくりしてたんだよ」
「そうね~。社会が豊かになるとね、娯楽も多彩で高度になるの。信じらんないかもしんないけど、3700年前はああいうエンタメがそこいらじゅうにあってね。むしろ多すぎて、みんな当たり前みたいに見てたし、無視したり捨てたりもしてた」
「歌ってることが仕事なんだよ? あんなにスゴイのに無視されるんだよ!?」
「そう、仕事だから、あれが上手くないとご飯が食べられなくなっちゃうから、リリアンちゃんの歌はあんなにゴイスーだってワケ。俺のマジックとメンタリズムも、そういうものだったのよ」
「……ゲンは、寂しくないんだよ?」
「ん? 何が?」
「だって、この世界じゃ、ゲンの仕事のすごさを分かる人がほとんどいないんだよ……」
「……あぁ」
つくづく優しい子だなと思う。人の役に立ちたい想いがまっすぐすぎて、大人の割り切りにまで寄り添ってくれる。俺はそういうのは大丈夫なんだよ、と伝えたくてポンと頭をなぜ、立ち上がった。
「?」
「ふふふ、舞台はなくなっても、俺の技術は残ってるからね〜」
そのまま、スイカちゃんの前に片膝をついて手をのべると、少女は戸惑いながら俺の手にちいさな手のひらを重ねた。そのまま軽く引っ張るとバランスを崩す。「っわあ!」と飛び込んできた小さな体躯の重心をずらし、手を高く上げさせると、スイカちゃんはクルクルとスピンした。
「わわわわっ!」
手を離すと、慣性に従って(慣性……で良いんだっけ? まあいいや)もう一回転してからストンと止まった。いや体幹ゴイスーね。とはいえ基本的に回転運動には慣れているはずの少女も慣れない動きには驚くらしく、マスクの上からでもわかるほど目を白黒させて戸惑っている。
「はい、これがダンス♪ 踊りね〜」
身を引いて軽く淑女に対する礼をすると、スイカちゃんはぴょんぴょん跳ねながら全身で喜んだ。
「す、すごいんだよ!」
可愛いなー、とつい頬がゆるむ。いつのまにか樹から降りて酒壺を持っていた羽京ちゃんが「芸能人ってダンスも嗜むんだねえ」と感嘆した。
「羽京は、できないんだよ?」
「あはは、無理無理、できないよ。こういうのができそうなのは……ゲンや龍水、あと南ちゃんくらいかな? 社交界の人たちの嗜みだったからね。僕みたいなむさくるしい実務労働者には遠い世界だったよ」
からからと笑う羽京ちゃんの声に呼ばれて、今度はほろほろに酩酊した南ちゃんが寄ってくる。
「ちょっと〜メディアなんて泥仕事よぅ? 社交界にいたら『海自のジャニーズ独占インタビュー』なんてクソ仕事振られないんだからね〜」
「うっは 羽京ちゃんそんな仕事うけてたの!?」
いや、たしかにどういうつながりで海自の潜水艦乗りなんかと知己になるのかなとは思ってたんだけどさ。
「いやあ、あれは僕も困ったんだってば」
「ホントよ! 機密事項多すぎてなんにも話さないしさあ! あのクソ企画あたしの立案じゃないんだからね! あたしはもっとニッキーちゃんとか司さんとかを追いたかったのにさぁ!」
「おっ、南ちゃん今夜は絡み酒ねえ。ヨーくん呼んで来る?」
確か南ちゃんのこと好きだったみたいだし……という思惑は、苦笑いの羽京ちゃんに遮られた。
「陽はさっき潰れてたよ」
「そっか〜〜〜」
じゃあ、ちょっと乱暴だけど寝てもらっちゃおうかな〜。と、南ちゃんの手を取る。
「えっなぁに?」
「ゆうて、踊れるっしょ?」
「ハァ!?」
「うっわ酒くさ! はいお顔はアッチ!」
南ちゃんの顔をぐんと反対側に向けて脇から背に右手を添えると、女性的な稜線を描く背筋がピンと伸びる。俺の肩越しに南ちゃんの左手がまわって、右手は俺の左手にゆるく重なり、天を向いた。
「……知ってんじゃん」意図的に低い声で囁いてみると、
「……ナメんじゃないわよ」挑むような声が返ってきた。さすが記者さん、プライド高いね。
「俺、仕事デキる人好きよ〜……はい、プロムナード!」
息を合わせて動く。触れも離れもしない距離ですいすいと流れる脚の送りに、スイカちゃんと羽京ちゃんが目を丸くするのが分かった。
「はいターン」
俺の僅かな動きに、南ちゃんが機敏に反応する。一瞬の静止、展開。踏み込む脚がぐっと逞しい。
「スイブル」
重心を同じ方向に動かせば、脚は流れるようにステップを踏んだ。
「クローズね」
さらに数歩ステップして、今度こそ停止。同時にピタリと止まった。……気持ちいいじゃん。
ふぅ、と一息つくと、いつの間にか集まっていたギャラリーから、感嘆の声が上がった。
「……上出来〜♪」
「やるじゃないの。……ヴッ」
不敵に睨みつけて来た南ちゃんの顔色が一瞬で蒼白になり、そのままくったりと全身が弛緩する。あっバイヤー、俺の腕力じゃ南ちゃんの体重、支えらんない。……と焦ったところで、全てを察した羽京ちゃんが崩れ落ちる身体を素早く抱きとめてくれた。
「……うゥ〜〜〜……」
「あーあ、完全に目ぇ回しちゃって。ちょっと意地が悪いんじゃないのかい、ゲン?」
「あは、メンゴ〜」
咎めるような目に苦笑いを返していると、かたわらのスイカちゃんは何が起きたのかを理解できない様子で唖然としていた。大人の駆け引きを見せるのはちょっと早かったかな、とちょっと照れくさくなって周囲を見ると、スイカちゃんどころかほとんどのメンツが、似たりよったりのポカンとした顔を見せていた。
「……あれま……」
ほんのり頬を染めた子までいる。えっバイヤー。みんなこんなにピュアだったの? もしかして俺、よからぬ詮索されちゃう感じ?
あちゃあ、と戸惑っていると、羽京ちゃんは帽子をかぶり直しながら、わざとらしく「あーあ」とぼやいた。
「ありゃ〜〜〜……羽京ちゃん〜あと頼んで良い〜?」
「ひとつ貸しね」
南ちゃんのことは羽京ちゃん……つまりは事態を正しく理解している数少ない大人に助けてもらう事にして、さてどうしようかと見回す。すると、ひときわ華やかな雰囲気の我らが村長も、ギャラリーに混じってこっちを見ていた。
驚いたような、どこか拗ねたような、何か気に入らないような。……へえ、そういう顔しちゃうんだ?
それで、いたずら心がわいた。
姿勢を正し、真っ直ぐに視線を合わせる。ばちん、と音が聞こえそうな勢いで、千空ちゃんが目を見開いた。俺がニヤリと笑って袖にしまった手を抜き、そうっと指を向けると、千空ちゃんは少し怯んだようだった。
挑発するように、笑みを深めてみる。賢い少年は少しだけイラついたように歯を噛み、すぐに片口を釣り上げて、挑み返すように笑った。……上がった口角の、唇の端が少しめくれるところ、なんつーかイイよな。
千空ちゃんは立ち上がると、ゆっくり、しかしまっすぐ俺に近付いた。誰も話せず、何となく息を呑むような雰囲気の中で、虫の鳴き声と葉擦れの音だけが響く。
俺の差し出した手のひらに、千空ちゃんが手を置く。そうっと身を寄せて、耳元で柔らかく囁きかけた。
「……shall we dance?」
千空ちゃんが、息を呑む気配がした。
近すぎて、顔は見えない。
肩越しに左腕を通すと、千空ちゃんの右腕はこわごわと背に回った。他方のてのひらを重ねようとしたら、千空ちゃんの左手は俺の右の……色の抜けた長い髪に触れた。
(はいっ!?)
違う違う違う違う、髪違うって!? 手だよ手、何見てたんだよこの童貞!?
とはいえこの空気を壊すのは、プロの矜持が許さない。俺は千空ちゃんの左手に、触れるか触れないかの距離で右手を添えた。南ちゃんと披露したタンゴよりも、何となく近くて、なんとなく……
(……恥ずかしいな)
ギクシャクした動きに、かえって緊張する。だから遊び慣れてない子って苦手なんだよなあ。なんか、俺がワルいことしてるみたいじゃん?
俺はぞわぞわする背徳感から目を背けて、そうっと呼びかけた。
「千空ちゃんダンス知らないよね? タンゴはむずいから、ワルツね。背は伸ばして、でも体の力は抜いて。そう大丈夫。……はい、ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー、……」
千空ちゃんの脚は素直に動いた。でも正直、筋は悪い。ボックスステップでここまでぎくしゃくする子も珍しい。……というか。
(こっち側でリードすんの難しいなあ〜)
ええい、と身体を入れ替える。千空ちゃんは一種驚いた様子を見せ、すぐ素直に従った。
「ワン、ツー、スリー、はい、ターン」
ゆっくりターンしながら、軽く添えた手をすいっと持ち上げて、潜るように回った。俺のほうが長身だからどうにも格好はつかないが、まあ悪くない。
「そう、じょーず、もいっちょ、ターン」
もう一回転。潜りながら目を合わせると、赤い眼がまんまるになっている。なかなか愉快な光景だね。
ボックスとターンを組み合わせて、狭いスペースをくるくる歩く。ちょっと良い感じになってきたかな。そろそろ仕上げにしようか。
「シャッセね」
「あ゛?」
返事を待たずにぐんと重心を後ろに倒すと、千空ちゃんが小さく「うおっ」と漏らした。そのまま重心を戻した勢いで、ステップを踏みながら前進させて……
「はい、トトトン……んあっ!?」
「ッあ゛!?」
千空ちゃんがバランスを崩して転倒する。べちゃん、と地味な音とともに顔から地面に突っ込んだ。え、何で?
「……イテェ……」
「……千空ちゃん、それマジ?」
足がもつれて転んだのだとは思う。思うのだけれど、このステップのどこで足がもつれるのかがサッパリ分かんない。あまりの酷さに倒語を忘れると、千空ちゃんは泥だらけの顔を上げながら「……ジーマーだ、クソッ」と毒付いた。うわマジかー。
「……ねえ、千空がひどいんだよ、それともゲンがすごいんだよ?」
こわごわとスイカちゃんが聞いてくる。南ちゃんのタンゴの迫力と、千空ちゃんのガチガチのワルツの落差にギャラリーが戸惑っているのがわかる。それにしても、これは……
「……いや、まあ、俺もちょーっとは得意なほうだけどぉ……」
「……俺は、特別酷いほうだな……」
「……難しいんだよ……」
千空ちゃんが立ち上がるのを手伝うと、何となく息を呑むように、静まり返っていた場の緊張感が、少しだけゆるんだ。気付けば村全体に、宴の終わり特有の、虚脱したような雰囲気が漂っている。
結びの余興としては悪くなかったのかもしんないね。
「……そろそろ、お開きかなあ?」
衆目に向き合い、気取ったお辞儀をすると、何処からともなく拍手が起きた。舞台もスポットライトもない世界の拍手はとても暖かい。なんかこういうの、良いなあとつい思ってしまう。
「……なんか、恥ずいね」
苦笑しながら思ったままに言うと、隣の少年はふんっと鼻を鳴らした後に
「……もっと派手で小っ恥ずかしい舞台作ってやるよ、バァカ」
と言い、言ってから自分の発言に照れて、むうっとむくれて見せた。