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    #2. ゴールデンタイムラバー 時計技師の仕事は、高い技能と集中力を要する。もちろん両者を併せ持つことそのものは常識以前の要件で、いかなる環境でもそれをコントロールするのがプロってやつだ。
     したがってジョエル・ギアは、自身のコンセントレーションルーチンをこの上なく愛し、尊重している。

     集中力を乱すものは悪だ。たとえば作業中に声を掛けてくる同僚、時計のポテンシャルを無視した要望、技術の値切り、そして女。それらを排して時計に向き合う瞬間と、その結果ジョエルの手の中で息を吹き返したプロダクトが刻む時間の価値は、黄金に等しい。
     時計は男の嗜みだ。そして、俺の生み出した黄金の時間が紳士の規律を守る。なんて誇らしく、愛おしい仕事だろう。

     その日は久しぶりにサロンに出勤した。オーバーホールしたプレジデントモデルの引き渡しがあったからだ。
     外商や遣いが取りにくるならバイトの店員に任しときゃいいが、社にとっても上客にあたる紳士が直接取りに来るっていう。担当した時計は古いものだったがしっかりと使い込まれ、ただ標本みたいに閉じ込められてたモノとは違う摩耗があった。
     楽しい仕事だったし、最高の腕をふるえたと思う。紳士も満足そうに受け取ってくれたし、とても気分が良かったので久々にサロンのデモンストレーションコーナーにも座ってやった。サロンの一角が街路に向かって開放されたガラス張りになっていて、通行人が職人のワザを鑑賞できるのだ。
     ……ああいう、普段しないことをしちまったのが悪かったかな、と。
     見知らぬ細っこいアジア人と一緒に薄暗い倉庫で後ろ手に縛られながら、ジョエルは小さくため息をついた。

    ◇◇◇◇

     背後からコイツに声を掛けられたのは、気分良く仕事を終えてクルマに向かっている最中だった。

     ――失礼、マエストロ。アンタの目から見て俺のワザ、どうかな?

     新手のナンパか? クソ男。俺にゃオトコ遊びの趣味はねえよ。
     振り返ると同時に口から出るはずだった悪罵が、視界を占める花にかき消えた。ここいらじゃ見かけない、白くて小さな花が視界いっぱいに舞い、花弁の間をぬって痩身のアジア人が立っているのが見える。男は細い目をさらに細め、弓なりに口角を上げて舞台の道化がするような礼を見せた。芝居がかった仕草はまあまあ板についていたが、若くて英語も大して上手くない。見たところ、金を持っている様子もない。世慣れたように振る舞う姿が、なぜか癇に障った。

     「よう、ビューティフルドリーマー。どっから来た? 海の向こうに宝物はあったかよ?」

     もとの居場所から逃げ出して身一つでこの国にくれば、夢みたいな何かが手に入ると信じて渡米してくる奴はあとを絶たない。イキった夢追い人がなけなしの小銭を使い切って母国に逃げ帰る、ここはそういう街でもある。コイツもその手合いか。
     そう思っていると、アジア人はジョエルの皮肉に笑顔を返した。口角がさらに吊り上がり、薄い唇が裂けるように開く。どこか蛇を思わせる表情のまま、男はジョエルの眼前に両手を差し出した。
     歳のわりにはデカい手だ。それに手のひらが厚い。ほどよく筋肉のついた指がくるりと翻り、どこからかカードが現れた。なかなか美しい動きだ。……ふうん。ただのシロートじゃあないのか。

     ……と思ったところで、突然視界が闇に覆われた。目隠しだ。それと同時に後ろから羽交締めにされ、身体の自由を奪われる。何か叫ぼうとした口にも手早く猿ぐつわがかまされた。暴漢は4人……いや、きっと見張りか運転手がいる。なら最低でも5人か?
     『っちょ待っ、誰、何で、やめ!』
     さっきまで余裕の笑みを浮かべていたアジア人の、焦ったような声が聞こえる。日本語だ。「Who」と「Why」か。何が起きているのか分からないのは、ジョエルと同じらしい。コイツも被害者か。
     担ぎ上げられてクルマに押し込められ(日本車っぽい音だ)、港湾の倉庫のような場所で後ろ手に縛られたところで、目隠しと猿ぐつわが外れた。アジア人ともども、ロープで柱にくくりつけられているらしい。

     目の前には、監視役らしき体格の良い男が一人、椅子の背に顎を預けるようにして座っている。マスクをかぶっていて顔は分からない。小さな倉庫だ。アレコレ積み上げられてはいるが埃が溜まっていて、基本的に人の出入りはないってことも分かった。猿ぐつわを外されたってことは、大声出しても誰にも届かねえってことだ。……さあて、どうすっかなあ。

     「……ヘイボーイ。念の為聞いとくが、お前はこいつらの仲間か?」
     「……ノーだよ、マエストロ。全然知らない。俺もびっくりしてんのよ、ジーマ―で」

     発音にはクセがあるが、ブロークンな言葉遣いに慣れている。こっちに来て長いのか?

     「いやまいったねえ。ねえマエストロ、アメリカってこういうコト、よくあんの?」
     「ふん、ヴァージンボーイにゃ刺激が強かったか?」
     「そうねえ、子どもだからドキドキしちゃう」
     「チッ、うぜえな。……俺はジョエル。ジョエル・ギアだ。マエストロはやめろ、イライラする」
     「オーケー、Mr.ギア。じゃ君も俺のことボーイとか呼ばないでよ。俺にも名前くらいあるんだわ」
     「ジョエルでいい。日本人だな、おしっこちびってねえか?」
     「シュア、俺はゲンね。先週渡米してきたばっかの、マジシャンの卵ちゃんよ」

     細っこく、ジョエルよりも頭一つ長身の男は、短い眉をきゅうっと下げて笑った。さっきまでの気取った仕草は消え失せ、ヒョロヒョロと頼りない。……イマイチ掴めない男だ。

     「日本人の英語はヒデェもんだが、お前のはまあまあ聞けるな、品はねえけど」
     「あ、ドイヒー。俺ねえ、4年くらい日本で動画配信マジシャンやってたの。知らない? あさぎりゲンのマジックチャンネル。なかなか人気のエイジアンボーイだったのよ」
     「知らねえな。興味ねえし、そんなもん見てるほど暇じゃねえよ」
     「そっかあ。……うーん、なるほど……」
     「どういう納得だ?」
     「ああ、うん。……俺、ジョエルみたいな、腕とカネのある人に認知してもらいたいんだよね。貧乏人にリーチしても意味なかったなあって思って。俺ちょっとスジ悪かったなあ……難しいね~」
     『やっぱりベガスなのかな、でも丸腰で行ってもなあ……』

     ブツブツとした独り言は日本語で、ジョエルには分からない。ただ、ゲンと名乗ったこの日本人が、目の前にある身の危険よりもマジシャンとしてのキャリアのほうに集中しているのだけは分かった。危機感が無いのか?

     「……お前、歳は?」
     「17、ハイスクールの2年」
     「おいおい、ガキじゃねえか」
     「君だって若いじゃん」
     「……アジア人に若く見られんのは、なかなか癪だな」
     「あ、そういうもんなの、メンゴ」

     君らって差別され慣れてないよねえ。と、流れるように続く言葉に、少なからず面食らう。ズケズケとタブーに踏み込む素振りを見せながら一歩手前ですいっと引く、ように見せて、細い糸をぷつりと切るように何かを刺していく。コイツ……何を考えてやがる?

     「ゲンつったな。お前、何を狙ってる」
     「ん? 俺が狙ってんのはマジシャンとしての成功だけよ。そんでガッポガッポ稼いで日本で冠番組なんか持っちゃう売れっ子芸能人。渡米してきたのは、その箔付け。……だったんだけと~」
     「だけど?」
     「なんかエージェントに詐欺られちゃったみたいでさあ~。収録の約束も嘘、住むところも無しよ。 仕方ないから路上マジックで日銭を稼いでたってワケ。いや~ニューヨーク、怖いね~!」
     ジョエルに声をかけてきたのも、路上マジックの一環だったってことか。そういえばサロンが面するストリートには路上パフォーマーも多い。あそこにいて、デモンストレーションを見ていたってことだろう。
     「はっ、ママに泣きついて迎えに来て貰えよ。ガキの特権だぜ」
     「やだなあ~男なら逆境に立ち向かってナンボじゃん? 俺はママじゃなくて幸運の女神と寝たいのよ?」
     「ん寝ッ!?」
     「……あらあ? ちょっと刺激、強かった~?」

     ニヤニヤと言い募る未成年に「どどど童貞ちゃうわ」と言いそうになるのを懸命にこらえる。女は集中を乱すから仕事の邪魔になるだけだ。別に別に、別に気にならない。気にしていない。そんなもの関係ない。
     にらみつけると、ゲンは満足そうに笑った。

     「腹立たしいクソガキだぜ。何が狙いだよ」
     「えへへメンゴ、これでもいろいろ、現況探ってんのよ?」
     そうだろうな、とジョエルは思う。目尻こそへにゃりと落として見せるが、細い目の奥が笑っていない。さっきからジョエル相手に軽口を叩いているように見えて、監視の男の観察もずっと止めていなかった。
     「何か分かったかよ」
     「……んー、メイビー……」

     ぽそりと呟き、男は一瞬だけ笑顔の質を変えた。目尻を落としたままですがめた眼から、鋭い三白眼が輝く。弓なりに笑顔のかたちを作っていた口角がもう少しだけ吊り上がり、わずかに開いて歯が見えた。犬歯が牙のように見えて、ジョエルはどこかぞくりとする。不気味と言うべきか不敵というべきか分からない、そんな笑顔は一瞬で消えて、男は……ゲンは、少し深く息を吐いて、吸った。
     軽く身を折って、情けない声を出す。日本語で叫んだ。

     『お、おしっこ!』

     監視役の男が無言で、びくりと跳ね上がる。きょろきょろと辺りを見回して、ゲンとジョエルに視線を戻した。
     『ば、バイヤー、おしっこもれちゃう!! た、助けて、リームー!!』
     スラングだろうか。ジョエルには分からない。
     「……ねえ、お兄さん! 俺トイレ行きたいよ! 逃げようったってムダなのくらい分かってるから、お願い今だけ、トイレトイレトイレ!! トイレ連れてって!!」
     ゲンはじたじたと足を振り回しながら、日本語と英語で「トイレ」「お願い」を連呼した。監視役の男はしばらく迷っていた様子だったが、黙ったままでゲンの縄を解いて顎をしゃくるようにして促し、部屋を出て行った。部屋から出される直前、ゲンは情けない笑顔のままでジョエルに視線を送った。……「どや」だな、あれは。

     ここで逃げ出そうとしても、まあ大した実りはないだろう。それで俺だけ逃げてもあのガキが気の毒だしな、と判断して待つことにする。しかし腕が痛えな、指が傷んでないのだけはラッキーだったが……なんて思っているうちに、二人はすぐ戻ってきた。……監視役の男が、マスクを脱いでいる。

     「えへへ、ただいまあ」
     ゲンはそのままおとなしく、再び柱にくくられた。
     「……何があった?」
     黒髪、黒い目……アジア系だ。ゲンはいやに親しげに振る舞い、母語で何らかを語りかけている。日本人なんだろう。男はぶすりと押し黙ってはいるが、少なくとも人質を取って食おうって雰囲気ではなかった。
     「んー、別にな~んにも。ちょーっと世間話しただけよ~?」
     にっこり。軽薄な笑顔だと思っていたものが、底知れない罠に見えて来る。犯罪者が顔を隠すのは恐怖心からだ。つまり、この男は少なくともゲンに対しては警戒を解いたのだろう。……この笑顔にか? ジョエルのじっとりした睨みに、ゲンはへらっと笑うと、急に口調を変えた。

     「……ま、相手方の言語能力が此方側の恣意的な対策で理解が困難になる程度だったってのは今回僥倖って言っていいんじゃないかなって思う次第、って感じ?」

     いやにひどく格式張った言葉遣いは、意図的なものだ。監視の男は少しうつむいてゲンの言葉を聞き流しているが、理解できている様子はない。……つまり、だ。
     「あー、分かったぜ。あちらさんはちっとしか話せねえから、お前と俺がちーと崩れた会話してりゃ意味は通じねえってことか」
     「そゆこと♪ ジョエルちゃん察しジーマ―ちょっぱやでゴイスー助かる~♪」

     今度はネイティブでも一瞬考える程度に崩して来る。17のジャパニーズでここまで言葉を操れるものなのか。大したもんだぜ、とジョエルはゲンを見直しつつある。
     「で、何が分かったんだよ。何か聞き出したんだろ、なんだって路上のマジシャンと時計屋の職人なんか拐ったってんだよ、どう見てもカネになんかなんねえだろ」
     「うーん。それなんだけどねえ……」

     ゲンが言いかけたのと同時に、外からドカドカとした気配が押し寄せてきた。監視役の男がびくりとして、慌てて外していたマスクを着ける。それと前後して、荒っぽい足音とともに4人、マスクをかぶったままの大柄な男たちが入ってきた。やっぱ4人だったか。体格的に、ジョエルやゲンを担ぎ上げたのはこいつらだろう。監視役の日本人が運転手だったってことか。
     「シィット! やってやれっかよクソ!!」
     その中の一人が、手近な貨物をガンと蹴りながら毒づく。別の一人が「まあ落ち着けよ」となだめたが、そいつも大概気が立っているのが分かる。日本人はうつむいて、息をひそめるようにしていた。
     男たちはどっかりと座り、貨物を蹴った男がマスクをかぶったまま片手に持っていたラガーをあおった。IPAの瓶を持っていた男が日本人にアサヒの缶を渡したが、日本人は両手に持ったままうつむいている。
     「犯罪者集団にも序列があんだな」とジョエルがこっそり話しかけると
     「ねえ、んであの子はしたっぱちゃん」とゲンが意地悪そうに返した。
     それで二人で少し笑ってしまい、その気配で、ラガーの男がこちらに注意を向けてしまった。ゲンはそのままわざとらしそうに咳き込んだがジョエルはそんな器用なマネもできないから、むっつりと押し黙ることにする。

     男はラガーの瓶を放り投げ、無遠慮にゲンに近付いた。一瞬「ん?」と考えるような素振りを見せてゲンの細っこい顎を持ち上げる。
     「……あー……ん? ど、っかで、見たよーなぁ……」
     『うわ息クッサ。……は、ハァイ?』
     ラガー男の「あー」に合わせて、日本語で何かを言ったようだった。が、そのままおずおずと笑うゲンは、ビビり散らかした貧乏日本人そのものだ。男はしばらく首をひねった後に、ゲンの顎を他の男達のほうにぐいっと見せ、「おい」と声をかけた。
     「おい、誰かこのガキ見覚えねえか?」
     「あ? しらねーよ。昔掘ったケツか?」
     仲間の中でバドワイザーを持った奴がゲンを見もせずに返し、ラガー男はそれを聞いて顔色を変えて掴みかかっていった。
     「テメーナメてんのか? 殺すぞ!」
     「あーあーあー悪かった悪かったって! ほら飲めよ、俺がおごるからよ」
     バドワイザー男がわずかにビビりながらラガー男をいなす。ラガー男はそれでゲンのこともジョエルのことも忘れたようにまた座り込み、不機嫌そうに酒を飲んだ。「クソ、ガセネタ掴まされやがって」だとか「違うって、タイミングだろ、今日なのは確かだったんだか」だとか、景気の悪そうな話をしている。
     日本人もジョエルやゲンに比べれば体格が良いが、他の男達がとにかくデカイ。だが、品も知性もカネもなさそうだ。
     ジョエルはこういう奴らが大嫌いだ。イライラしてくる。
     「クソが」
     小さく呟く。隣でゲンが「っふ」と、少し自嘲気味に笑った。
     男どもはひとしきり喚き立て、酒を飲み散らかして、ゲンとジョエルをじろじろと観察して、ついでにジョエルのポケットを漁った。引き抜いた財布をまるごと盗んで(クソ、俺のグッチ)監視役の日本人に「引き渡す意味もねえ、テメエが片付けろ」とだけ言い捨ててまた去っていった。
     後には日本人の監視役と、飲み散らかしたビール、それと、うんざりするような虚脱感だけが残った。

    ◇◇◇◇

     「はぁ」と吐き出した息が、虚空に溶けた。ゲンジツってきびしーのね、せつねえなあ~、と。
     浅霧幻は、自分の甘さと弱さを噛み締めている。

     幻が渡米したのは、マジック武者修行のためだった。キッズタレントは中学に入ると仕事が減る。身体の変化が激しすぎて、素材としての安定性を欠くためだ。だから、その間「何を仕込むか」でその後のキャリアが大きく変わる。子役時代に親が札束で作ってくれたブーストが効かなくなる前に、何か、新しい武器を身につける必要があった。

     既に出来上がった出世の王道には搾取構造が組み込まれている。そこに丸腰で加わっても消耗するばっかりで旨味は少ない。先行者利益は勝ちの絶対条件だ。新しい道、しかも黎明期のルートに乗っかって、そのルートの成熟と共に自動的に地位が上がるような場所を見つけたかった。それで幻が目をつけたのが、ネット配信だった。
     米国ではパフォーマーが配信を始めていた。でも、それが日本で報じられるときは必ず「米国で素人が自分の顔を撮って投稿するトンチキな遊びが流行っている」という論調で、たくさんの大人が「安心して小馬鹿にしていいよ、あんなもん」という意識を隠そうともしなかった。……だから、コレはいける、と思った。
     大人が新しい文化をこき下ろすのは、怖いときだ。ネット配信は遠からず、新しい王道になる。13歳の幻は、親からようやく所持を許されたスマホで、見様見真似の配信を始めた。

     ターゲットは北米だ。日本では子どもがネットで配信しても総叩きに遭うだけでお話にならない。北米向けにたどたどしい英語で一生懸命パフォーマンスを披露するエイジアンボーイ。そういう可愛いルートから攻めればいいだろう。
     配信は、カードさばきから始めた。顔は映さず、手元だけをアップにしてカーディストリーの練習風景を公開した。お世辞にも上手いとは言えなかったが「手が小さい、男の子? 女の子?」だとか「やあキューティ、顔を見せて欲しいなあ」「上手上手、頑張ってるねえ」なんて、微笑ましいコメントや気色悪いコメントが集まった。

     徐々に上手くなる手技にファンが増えてきたところで、顔を映しての配信をした。そうしたら小さな爆発が起きた。「GENってこんなに小さな子だったの!?」「アジア人は若く見えるもんだけど、それにしてもあどけない」「すばらしいエイジアンビューティーだね、もっと全身を見せてよ」と、総じて幻の容姿に驚き、称えるコメントが集中した。どこか中性的な雰囲気を残す細っこい日本人の少年が、自国に憧れるように海の向こうから配信をしている。それは北米の人間にとって気持ちのいいものだろう。幻の幼い目論見は当たり、オンリーワンのキャラクターとしての立ち位置はなかなか手堅いものになった。

     そのまま3年間、定期的な配信を続けたが、幻のマネをしてくる後追いの配信者は出て来なかった。それで、プランを見直すことにした。
     後追いが来ないってことは、まだ日本では配信ビジネスが重視されてないってこと。このまま日本で成功するのは難しいってことだ。……じゃあ、国外で地位を確固たるものにさせる箔を着ける必要がある。
     たとえば、America's Got Talentとかね。ラスベガスでゴールデンブザーもらってスターダムを駆け上がっちまえ。

     それで、配信チャンネルから声を掛けてきた米国人エージェントの誘いに乗って渡米してみたらコレだ。思ってたより自分は世間知らずで、世界はちゃんと容赦なくて、大人はしっかり汚かったらしい。……まあ、まだ負けてない。勝利の美酒はこの程度じゃ濁らないさと思って、路上マジックで日銭を稼ぐことにした。

     路上マジックの傍らで高級時計のサロンを眺めていたのは「いつか俺もこんなサロンで店員に傅かれるようにして時計を選んでやる」みたいな反骨精神からだった。けれど今日は、その一角、デモンストレーションデスクって書いてある公開スペースで、時計のメンテナンスをする職人の指先に、視線が吸い寄せられた。
     周囲の音も聞こえない様子で集中する小柄な職人は、極端な猫背で目つきが悪くて、手元以外の肉体を忘れているかのようだった。でも指先の動きがすばらしく美しくて、瞳はブランドを背負う自負と矜持に満ちて輝いていた。小さな部品が、職人の手の中で組み合わさっていく。可愛いうずまき状のばねを巻いたら、時計はひとつのいのちになって動き出した。

     ……何だよ、何だよこれ、カッコイイじゃん。

     焦っていたのだと思う。こういうプロの職人は、俺みたいな配信マジシャンをどう思っているのか。俺の技をどう見るのか聞いてみたくなった。それで「やるじゃねえか」の一言でももらえたら、どんなドン底からでも這い上がれそうな気がした。だから、職人に……ジョエルに「よう、夢見る少年」って揶揄されたのは、正直なところ少々堪えた。

     そうだ、俺はイキって渡米してきた、ただの野良だ。ジョエルのように正統な技能を学習する機会もなく、ただ本やネットで調べた技術を自分で磨いてきただけの。……この下っ端ちゃんと、大した違いはない。
     幻は、今この瞬間の現実に意識を戻す。……目の前の、なかなか堪える光景に。

     幻よりも10年前後は年長であろう男はマスクを脱ぎ捨て、アサヒを一口だけ飲んだあとに「……ふう」と、幻とは異なる雰囲気で泣きそうなため息をつき、その後はがっくりとうなだれている。
     夢を追うためにこの国に来た人間にとって、先輩ドリーマーがしょぼくれてる姿を見るのは、なかなかにつらいもんだね。やんなっちゃうね、の思いはそのまんま、ため息になって漏れた。
     「……はぁ。」
     ジョエルはぴくりと片眉を跳ね上げて逡巡した後、ぶっきらぼうに声をかけてきた。
     「……どうしたよ、悲しい現実だったか」
     言葉だけは荒っぽいが、声色の優しさに「ドンピシャそれだよ、マエストロ」と、言いたくなってギリギリ耐えた。
     「そうねえ……うん。あの層に顔知られても意味ねーわ。ぶっちゃけ、ちょっと泣ける」

     俺、こう見えてもこの歳でそこいらのガキと違う人生とか目指しちゃう男なんでね、リーチ先ミスったのはかなり悔しいのよ。
     この4年間の努力にムダがあったのが許せないのよ。
     あんなのがかろうじて顔知ってるかな、くらいじゃお話になんないじゃん。
     こっから、もっと効率良くやんなきゃいけないじゃん。時間、もったいないじゃん。

     いろんな思いが渦巻くけれど、自分の本音をペラペラ喋るのもなんだか悔しい。それで、情けねえなあ、という思いだけを吐き出すと、ジョエルは少し鼻白んだように息を漏らし、ぽそっと呟いた。
     「……プライドの高えガキだぜ」
     「えへ……メンゴ。こういうタチなんで」
     「ま、先輩ドリーマーのクソ惨めな姿なんか見たかねえわな、そこだけは同情するぜ」
     「えへへご名答。着の身着のままその日暮らしが立身出世のスタートラインだ、なんてイキッてるのよ、俺。……でもさあ、」
     あのひとと何も変わんないじゃん、そんなの。
     と、続けようとしたところで、ジョエルはふっと視線を左上に向け(記憶を遡る時の動作だ)、少し考えてから言った。

     「……まあ、あの先輩ドリーマーとお前で、カッコ良さの定義は違うぜ。……そこだけは安心しろよ」
     
     「……え?」
     思わず聞き返すと、ジョエルは少し恥ずかしそうに黙った。
     これは、ジョエルの言葉ではない。まだ知り合って数時間しか経っていないけれど、ジョエルがそういうことを言う男ではないのは分かっている。これはきっとジョエルがつい最近、誰かから聞いた言葉だ。それを今、幻のために思い出して言ってくれたってことで、これは、つまり。
     「ジョエル、もしかして俺のこと慰めてくれてんの?」
     「チッ、るせえよ」
     言うんじゃなかったぜ、なんてブツブツ呟くのは照れ隠しだ。この不器用な男が、会って数時間も経たない幻を慰めるために、誰かから聞いた未消化の言葉をかけてくれた。……これは、嬉しい。
     「ヤダ優しい、俺、張り切れちゃうかも」

     迷いと、身体の震えが止まる。
     ふわり、と。
     何かを飛び越える感覚があった。

     「エヘヘ、俺さ、まだジョエルに言ってなかった肩書きがあんだ。……メンタリストなのよ、実は」
     「そうかよ」
     「あら、胡散臭いとか思わないの?」
     「俺はもともと自分の腕しか信じてねえ」
     「ん、それカッコ良いね。もらい」
     「好きにしろよ。あの監視役のマスク引っ剥がしてんだから腕は確かなんだろ」
     「嬉しーんだ」
     そういうことなら、ちょっと本気出しちゃってみようかな、と思う。

     それで、少しだけ、揺さぶりをかけてみることにした。

     「ねえ、ジョエル。俺や彼みたいな夢追い人って、君らから見てどうなの?」
     と聞いてみる。ジョエルはヘッ、と鼻先だけで笑って、
     「一山いくらの塵芥」
     と答えた。はいはい、そうでしょうね。
     「容赦ねーの、アメリカンドリームはどうしたのさ」
     「ハッ、あんなもん強者の物語だよ、英語も喋れねーくせにノコノコ手ぶらで来て何が出来んだ。店員かワーカーかナニーなら母国でやれ。ネオナチの手下なんかプアオブプアじゃねえか。何がしたいんだよアイツ」
     「グサグサ来るね〜アメリカのマッチョイズム」
     「ふん、コロンブスから500年経ってんだ。ドリームは食い尽くされてる。この国には最初っから現実しかねえ。ありもしねえドリーム見せて養分が来んのを待ってんだよ」
     「……ねえ、ジョエルってもしかしてコマンチの血、混じってる?」
     「無能の定義を教えてやるよ、他人のルーツをやたら気にする奴のことだ」

     ジョエルは幻の揺さぶりに動じず、センシティブな話にはしっかりと距離を置いてきた。さすがプロの大人は手強いな、とゲンは内心で舌を巻く。じゃあ、とプロじゃないほうの大人に目をやると、しっかりと動揺して目を白黒させていた。……狙い通りだ。
     「……訳せ」
     男は日本語で、ボソリと言った。
     「えっ、……あ」
     しまった、を表情に出す。
     「これでもこっちに来て10年以上経ってんだ。何も分からないと思うな」
     「あ、あの」
     男はズカズカと寄って、ジョエルの前に座り込んだ。
     「特にコイツ、訛ってて聞き取りづらいんだよ。でも俺のことコケにしてるのくらいは分かるんだよ、ナメんな。……訳せ、正確に」
     「あ、あ……」
     「訳せつってんだよ!!!」
     殴りつけるような恫喝。くだらねー、と思いながら、全身でびくりとしてやった。望み通りの反応を得て気分の良さそうな男に、幻はたどたどしくジョエルの言葉を訳して伝える。男は顔を赤くしたり青くしたりしながら、ジョエルを煮え立つような目で見ている。
     「……って、感じ?」
     「よく分かった。既得権益にまみれたクソブルジョワどもめ」

     吐き捨てるような言葉に、少なからずカチンと来た。

     既得権益ってのは努力もせずに搾取構造の上に生まれただけの人間が持つもんだ。アンタが這いつくばってるあのネオナチ崩れが欲しくて欲しくて泣いちゃってるだけのもんだろうよ。ジョエルは違う。俺も。……そんな苛立ちを、ジョエルが先に表出させた。
     「……ケッ、何がブルジョワだクズめ。ダラダラ生きて詰んでるだけじゃねえか」
     ぽそりと呟く。多分、聞こえるように。ジョエルの英語に、男が顔色を変えて襟を掴み上げた。
     「ナメんな少しは分かるつってんだろうが!!!」
     首が締まる。繋がれた手元が引かれてジョエルが唸るのが聞こえた。……ダメだ、このひとの手は守んなきゃダメだ。
     「おかしいだろそれ! アンタから見たら俺もブルジョワかよ!?」
     自分のものとは思えない泣き声が出た。しくった、焦りが出てしまった。もっと鋭く刺すつもりだったのに!
     それでも男はジョエルの襟を絞める手を緩めて注意を幻に向けた。
     「チッ、ガキに何が分かる」
     うるせえ、俺は海外にかぶれたまま歳だけ取ったアンタみたいには絶対ならないよ。そっちこそ、ありもしないプレッシャーから逃げてるうちに何も分かんなくなっちまっただけのくせに。

     苛立ちが、スイッチを入れた。初手こそしくったけれど、ようは結果を出しゃいいんだ。
     ゲンは本心を隠して泣き顔を作る。聞けよ、ってつもりで、夢破れた若者の嘆きの、最大公約数を並べたてた。

     「分かんない分かんない! 分かんないよ、俺はただ夢があって、そんでアメリカに来れば絶対何か……少なくとも日本でダラダラしてるよりは得るモンがあると思って、そんで親とも縁切ってこっち来ただけだもん! 来たそうそうこんな目に遭ってさ、それでも日本人に会えたのは嬉しかったのにさ! なんでだよ、アンタなんなんだよ!」
     男が、殴られたような声を出した。

     嘘嘘嘘嘘。ぜーんぶ嘘!

     俺はただの夢なんかにすがらない。ふんわりとした「アメリカで得られる何か」になんて興味もない。親との縁も切ってない。アンタと会えて嬉しくもない。何もかも嘘だ、ざまあみろ!

     ゲンの嘘に、男はそれはそれは動揺した。目が泳いで子供のような顔になる。誰にも縋らずに泣くこともできないインナーチャイルドが出てきた。
     「なあアンタいくつだよ、教えてよ、金もないし仕事も見つからない、もうすぐ住んでるとこも追い出されそうでさ、助けてやろうかって言ってくるの、悪い友達ばっかだよ! 俺どうすりゃいいんだよ!」
     顔を伏せて、うっ、うっ、とわざとらしく嗚咽を漏らした。男は呆然と立ち尽くし、ああとかぐうとか言っている。ジョエルが顔を覗き込んできたのが分かった。

     「俺っ、俺には、俺なりの、夢ってのがあってさあ。……こんな、こんなんじゃ……」
     泣け。泣けよ。泣けないか。泣けないなら俺が代わりに泣いてやるよ。
     男の武器は涙だよ。見てろ、これが、俺の。

     「カッコ悪いのはやだよ、俺……」

     俺の、強さだ。

    ◇◇◇◇

     ジョエルは、男と少年が日本語で何かを言い合うのを聞いていた。

     思わず呟いた罵倒がしっかりと聞き取られていたのはジョエルのミステイクだ。が、どうやらゲンがそれに乗り、メンタリストとしての仕事をしているらしかった。
     嗚咽を漏らすゲンの顔は、これ以上ないほどの嗜虐の悦びに満ちていた。コイツ、とんでもねえ嘘吐きだ。チラチラと見せていた凶悪そうな笑顔の根っこにあんのが、コレか。コイツ人のこと騙すのが楽しくて楽しくて仕方ねえんだ。
     ぞっとする。敵に回しちゃいけない道化だ。下手に取り込むと食われる。
     ジョエルは、すっかり食われた様子の、もう1人の日本人を見た。男は血の気の引いた顔で唸っている。ああとかぐうとか言いながら、身の内の何かと戦っているらしかった。

     ほどなくして男は、ジョエルとゲンの背後に回った。硬質な金属音がしてヒヤリとするが、すぐにぶちぶちとロープを切断する感覚が来て、両手が自由になった。
     「えっ……え?」
     ゲンが、それはそれはわざとらしくキョトンとする。男は一言「……こっちだ」とだけ言い、2人を連れ出した。
     小ぢんまりとした倉庫のガレージに日本車がある。促されるまま乗り込むと、男は躊躇いもなくクルマを発進させた。飲酒運転じゃねえか。
     「ちくしょう、……ちくしょう……」
     運転しながら、男は泣いているらしかった。
     どういう悔恨か、それとも後悔か。ジョエルには分からない。そして知る気もない。

     ほどなくクルマは、見慣れた街頭に着いた。こんなに近かったのか、と思う。男は市警察の前で2人を下ろすと、そう遠くない場所にあるランドマークの名前を告げた。
     「……バックストリートの2件目、地下だ。今夜、ドラッグパーティーがある。……で、多分、もう一度、誘拐計画を立てる。今度こそ、ターゲットを、間違わないように」
     それを、これからチクれってことか。誘拐されてたことも。
     『……なん、で?』
     ゲンが虚脱したように問いかける。男は絞り出すように、日本語で何かを言った。
     『……俺だって、好きでこんな風になったわけじゃ、ねえよ』
     ジョエルには聞き取れなかった。

     そのまま去っていったクルマを見送ると、ゲンはくるりと身を返し、うーんっと背伸びをした。
     「や〜、おっつ〜〜〜!」
     手、大丈夫だった? 俺も指は商売道具だけどさ、ジョエルのほうがもっとずっと大切じゃん? 鬱血の影響とかない? 時計ってすごく繊細じゃん、職人の腕がこんなので鈍るなんてちょっと俺許せないんだけど!
     先ほどまでの、切々と訴えるような声色は何だったのかってくらい、ゲンはペラペラと饒舌に喋くってくる。何なんだコイツ。
     「お前、どこまで読んでた」
     「ん〜? 何のこと〜?」
     にっこり、人懐っこそうな笑顔。これも嘘か。それとも素なのか。
     「食えねえ男だぜ」
     「褒め言葉として受け取っておくよ。それよりも俺らがダレと勘違いされて誘拐されたのかが知りたいんだよね〜。ジョエル心当たりある?」
     「……ねえなあ」
     正確には、ある。ジョエルが今朝、時計を引き渡した紳士じゃないだろうか。確か日本人だった。
     ただ、何となく悔しくて嘘をついた。
     ゲンはそんなジョエルを横目で見ながら、
     「ふぅ〜ん?」
     とだけ言った。

     「まあいい。俺は帰るぜ。通報すんなら好きにしろよ」
     「いやぁ〜? いいよぉ、多分あの人、今頃大使館に出頭してるっしょ?」
     「ドラッグパーティーのか?」
     「んーん、オーバーステイよ。こっちに来て10年以上って言ってたじゃん?ならビザもパスポートも切れてる。あの人不法滞在者だよ。多分、日本に帰ってやり直すつもりじゃない?」
     「なんだそれ。そんなもんでリセットできる事なんて、そう多くねえだろうが」
     「まあリスタートしようって心意気は悪くないんじゃない? ワンチャンで世界のリセットボタンが押されちゃう可能性だって、微粒子レベルでは存在するかもしんないし?」
     「ふん、世界がリセットされたって技術は消えねえよ。俺は石器時代でも時計作ってやるぜ」
     「いいじゃん、面白いね~それ。もらい」
     「好きにしろ、くだらねえ」
     聞いただけで盗める技術になんて大した価値はない。……ゲンの技術は、ジョエルには盗めないように。

     「おい、ドリーマー」
     去ろうとするゲンに声をかけると、へにゃりとした笑顔を返された。
     「何よマエストロ」

     なかなかカッコ良かったんじゃねえの?
     と、言ってやろうかと思ったのだけれど。
     「いや、何でもねえよ」
     ガラにもねえな、と止めることにした。
     背を向けて人差し指と中指をクロスさせる。グッドラック、神のご加護あれ、だ。

     久々に骨のある男に会えた。良い時間だったぜ。と、ジョエルは帰ることにして、何もかも入れたグッチが盗まれてるのを思い出し、結局、警察に駆け込む羽目になった。

     その後、ドラッグパーティーを隠れ蓑にした要人誘拐組織が一斉摘発されたニュースと、AGTファイナリストの日本人がエキゾチックとノスタルジーを融合させたショーでゴールデンブザーを獲得したニュースは、同じ日に報じられた。
    酔(@Sui_Asgn) Link Message Mute
    2022/06/09 22:26:07

    #2. ゴールデンタイムラバー

    dcst石化前オールキャラ長編

    千空、杠、ニッキー、陽、司、ゲン、ジョエル、南、瀧水。
    幼い夢を現実に、愛を力に変えるのはそれぞれが持つ自らへの矜持だった。
    千空の一言が蝶の羽ばたきとなって皆を祝福し、福音はやがて千空自身を救う。

    伊坂◯太郎風を目指した群像劇(全4回の2話目)です。捏造設定盛り盛り。

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