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    あなたを送り出した後に降ってわいたような百音の誕生日に会えるという機会に諸々の準備を終えて、会いに行ける前日の超過勤務もやっと終わり、菅波が帰宅した時には23時をまわるころだった。支度を済ませてあるキャリーケースを見るだけで口許がほころんでしまう。三木先生には感謝しないと。いや、まぁ、その前に三木先生の勤務は肩代わりしてたわけだけどもなどと思いながら、帰宅後のうがい手洗い着替えのルーティンを終え、デスクチェアに座り込む。

    先々月に2年半ぶりに会いに行ってから、先月・今月とまるで今までを取り戻すかのように会えることが信じられないようにも思う。一週間前から百音から朝晩に天気予報が送られてくるが、天気はもつという予報で、二人して胸をなでおろしている。

    もうすぐ『明日』か、と思って壁の時計を見遣りながら、ふと3年前の9月16日を思い出す。あの日は、色々と激動だった。思いがけず、コインランドリーで「結婚したいと思っている」という意思を(大層な感情の発露と共に)百音に告げつつ、大学病院に戻ることも告げた。百音が何かを言いかけたところで、亀島の実家が竜巻の被害にあったことを知り、取り乱す百音を落ち着かせ、島に戻る後押しをした。いつかそんなときが来るとは覚悟していたが、いざ送りだすと、やはり心が乱れる側面がある。本当にそれでよかったのか、という心情の吐露に、菜津が、二人だから言えることだ、と肯定されたことはしみじみと沁みた。

    そして、宮田との再会。あそこで自分から声をかけることができたことに、後から自分自身に驚いたものだ。宮田と向き合えるようになれていたのも、百音と過ごして学んだ日々があったからだろう、と思う。演奏のお願いを申し出た時、とても驚いた顔をしていたが、菅波の並みならぬ思いが伝わったのだろう。明後日の演奏を約してくれた時には、宮田の中にも一区切りついた、そんな空気があった。

    汐見湯を辞して、チェックイン済みのホテルに足を向けかけて、明日の百音の誕生日祝いに、何度か一緒に行って二人のお気に入りになっていたリストランテを予約していたことをふと思い出す。前日にコースの予約取り消しも非常識なことだ、と頭を巡らせ、安直な解決策だが、と父親に連絡を取って母親と二人で行くように段取りをし、店にもその旨を伝えた。

    気仙沼に向かった百音から、その日に入った連絡は『一ノ関に着きました。これからタクシーで島に向かいます』で途切れている。後は、こちらのことは気にせず、彼女が納得できるまで島と向き合ってもらうしかない、と祈るような気持ちである。その夜、これも東京で百音と過ごせる時には定宿になっているホテルで、ひとりでじっと考える時間が続いた。それは、思っていた甘やかなものとはかけ離れているものの、自分の思いのたけを告げ、それに百音が答えを考えようとしていたことで、これからを考えるにはある意味で、より、どうありたいかを考える大切な時間だった。

    翌日、少し大学病院に顔を出したところを、呼吸器内科で同期の平沢につかまった。話を聞きだすのが昔から上手い人柄で、気が付けば今の菅波の状況がつまびらかにされて、夜に呑みに行くぞ、と誘われた。菅波も誰かに話を聞いてもらいたい気持ちはあり、平沢の丁度良い距離感に救われるように、誘いを受ける。

    平沢の行きつけのバーで菅波がいきさつの話をすれば、平沢は菅波が恋人に向ける思慕の深さに感嘆するしかない。
    「それでも、そうやって彼女の背中を押したこと、後悔はないんだろ?」
    「ない」
    「きっぱり言う。だったら、それでいいんだろ」
    そう言った後、聞いた話を思い出して平沢が笑う。

    「にしても、プロポーズまで菅波らしいな」
    「そうか?」
    「『結婚してください』じゃなくて『結婚したいと思ってる』なんだろ。予約してたリストランテだって、いつものとこで。誕生日プレートは頼んでても、それ以上のサプライズは仕込まないで。話を聞く限り、彼女だってお前との将来を考えてるだろうに、プロポーズにおいて、何か答えを囲い込むようなことを一切してないじゃないか」
    「答えが一択しかないような申し出をするのは卑怯だと思って」
    「とはいえ、彼女と結婚できない将来はお前にはないんだろ」
    「まぁ、俺にとっては、ない」
    「なのに、そうやって彼女に選択の余地を残す努力をする。菅波らしいいじらしさだよ」
    「ほめられてる気はしないな」
    「特にほめてはいない」
    「あ、そう」

    明日も日勤だという平沢と適度に飲んで別れたところで、百音からメッセージが入った。明日の昼前には島をでて東京に戻るという。明日には菅波も登米に戻らねばならず、何とかすれ違いにななければよいが、と思っていたところに、菜津からも連絡が入り、宮田の再訪が明日の夕方になった旨を知る。そして、その再訪の時間に百音も間に合い、宮田の演奏を二人で聞くことができた。

    あたたかく柔らかなダニーボーイを励ましに、島に帰ることを選んだ百音の手を、それでも菅波が離すという選択肢はなく。沈思の上に導いていた言葉を百音に告げ。

    翌年早々の亀島訪問のどたばたも今となっては楽しい記憶だが、あの日、フライングでも思いを告げていてよかった、とその後の2年半を思えば、すべての物事があるべくして起きていた、と自分を納得させざるを得ない。二人の未来を何らかの形で約していない状態で、会えない2年半を乗り越えられたかどうか、心許ないものだ、と思う。

    そうして、明日。晴れて配偶者になった百音の誕生日を祝える。それは結婚して初めてのことだし、そもそも百音の誕生日に会えるのが5年ぶりである。結局、気障な支度はなにもできなかったけど、と思いつつ、とにかくよい時間を過ごせれば、と菅波はひとつ伸びをした。

    そして、当日。なんだかんだ早起きした菅波は、百音に連絡していた時間より10本早い新幹線で仙台に向かうのであった。
    ねじねじ Link Message Mute
    2022/09/16 19:11:38

    あなたを送り出した後に

    #sgmn

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