ワールドサイレント サイレン界に噂があった。
空から響くメロディー。地響きのような音律。体中で感じるその命の流れ。
だが、それを本当に『聴いた』ものは一人もいない。
学者たちは言う。
異界にて引き起こされる大幅な環境変化による精神的ハイ状態から得る幻覚・幻聴症状である、と。ハイテンションエクスタシーの陳腐な表現であると有識者たちからは失笑され、学会への申告および研究等はこれまで正式に行われたことはない。
ジャーナリストや報道機関が調査に乗り出したことがあったが、やはり真実は闇の中だ。
関係者は、次々と失踪し、発見されても意識は朦朧とした中で彼らがいうことは決まって一つ。
『音楽が、聴こえる』
一部の若者たちの流行として処理されたが、いつの間にか定番化し、いつまでも噂として残っている。
どうすればその音を聞くことが出来るのか。ハウツー本はおろか、ドラッグや最新宗教へのとっかかりとして利用されることもしばしばあり、それを思うと、やはり定着するほどには話が広まっていたのだ。
と気がつくのは、いつだって、全部終わってからだとアゲハはため息をついた。
*
「それで、なんだって?」
「なによ、やっぱり人の話を全然聞いてないじゃない」
アゲハはボタボタとこぼれるハンバーガーのデミグラスソースを肘の先まで舐めとっていたら、横から呆れたようなヒリューのため息が台拭きと一緒に出てきた。
「聞いてる、聞いてる。結構昔からある都市伝説だろ?
あの、サークル状になって場を荒らすっていう、アレ」
アゲハが言っているのはサイレン界において当初からの解明されずじまいの磁場のことだ。サークル状の磁場が突如発生するというもので、サイレン界へとダイブする際に位置特定が困る程度で、事前に磁場のゆれを観測できていれば再生も簡単に出来るため、特に大きなバグとしては見られてこなかった。
だが、いまだその存在は灰色であり、満ち欠けと関係があるとかいつものように様々なネタを提供し続けている。
「そうよ。それが、最近うちの研究室の割り当て位置に被ったようなの」
「なんだって?」
雨宮が紅茶を飲みながら、まだ残っているアゲハのポテトをつまみんでつまらなそうな顔で小さな唇を尖らせた。
ヒリューがフォローに入る。
「タツオからの情報だと、不正侵入はまったく無いらしいんだ。ダイブの記録も完璧に登録ナンバーのみだし、サイレン界のログも異変は無い」
「サークル被害があったんだろ? やっぱり噂どおり未確認な発生事象だなんてバカなこという気かよ。あの世界でそんな不確定事項はおかしい。必ずなんらかの原因があるはずだ。
大体、サークルってこたあ、規模は軽く人が行えるものじゃないはずだろ?
サイレン界では今PSYの私用は基本禁じられているし、おかげでバーストなんぞ使おうものなら即刻ばれちまう。せいぜい私的使用が出来るのはフロンティア区画程度だろ。雨宮の研究室っていやぁ、名うての有名研究し……、
って、ことは、いや、しかし、おかしいな」
「だろう?」
ヒリューが相槌を打つと、ようやく疑問にぶち当たったアゲハの様子に少し機嫌を直したらしい雨宮が続きを引き受ける。
「そう、一番の不明な点は、公式に割り当てられているブロック内には進入が出来る出来ないどころの話じゃないのよ。不可能なの」
「それは実質的にはどういう意味なんだ?俺が関わった過去の事例でも公式ブロックの指定方法があったが、空間サーチについては専門外でサッパリだ。
外部からの設定だってことはわかるんだが」
「つまりさ」
アゲハが親指までを舐め取ってすでに乾いたペーパーのお絞りでつまむように指を拭きながらコーヒーを一口含んだ。
「存在しない区画を割り当てによって出現させるんだ。
公式ナンバーを当てることによってそこは物理指定をされる。
陸地の埋め立てみたいなものだな。
名を当てることによって、その場を出現させるってわけ。
それを行うと、こちら側との配置図やら物質差やらいろいろ問題が出るだろう? ありえないものを作り出すからな。
そのためでたらめに作れないよう、公式ナンバー以外では割り当ては認められていないんだ」
「だからこそダイブが不可能ってわけか」
「なるほど、潜り込むためのアドレスがないわけだもんな。公式ナンバーは特殊サイクルで回っているんだろ?
じゃあ、やっぱり今回のサークルによる実験荒らしはなんだというんだ……?」
「できないことはないけどな」
「「アゲハ」」
一斉に「口を慎め」という指摘にそれこそ閉口してしまった。
*
「それで、なんだって?」
カブトがくるりと椅子を回すと、アゲハが珍しく急須でお茶を入れているところだった。普段は自分ひとりかヒリューと二人で来ることが多いため自分の分しか用意しない男がだ。
その近くでは雨宮がそこら辺の雑誌を片付けて、ヒリューがお茶菓子を広げていた。
それにしても、3人とも来るのは構わないが、自分好みにしようという意図が感じられてカブトは自分の部屋なのになんとなく居心地が悪くなる。
やめろよ、なんか、母ちゃんが来たみたいじゃないか。
「そんなわけで、特捜本部が設置されました」
「ここに」
「私設のね」
「いや、俺、聞いてないし」
「頼むぜ、リーダー」
「俺がかよ!!」
簡単にしか条件も聞かされていないし、なにより勝手気ままなこいつらなんぞまとめられる気など微塵もない。
だが無情にもアゲハは着々と噂の解明のために動いているらしく、すでにカブトのデバイスには情報が入り込んできているし、現在も指を立てて状況を整理していた。
聞いていない。そんなことは聞いていない。
ていうか許可してない。
「カブト、まずは、場所の特定だ。
雨宮は内部にしか入ったことがないから、逆にいうと外部位置を把握できていない。雨宮の記憶から位置の特定をしてくれ」
「あのな! 俺は引き受けるなんて、言ってねえって!
そもそも、またオフィシャル絡みの仕事なわけえ? いい加減に割のいい仕事回してくれよ」
「残念だな。これが終わったら、俺のほうからいい情報を流そうと思ってたんだが」
「ヒリュー! マジで!? あ、タツオ絡みはいらないからな! そっちはお前に任しておく」
「安心しろ。前職の知人から回ってきたうまい話だ。
……俺は乗らないがな」
「そろそろ作業にかかってくれないかしら。今回の件に関しては、私、本当に怒っているの」
ぞっとするような美しい笑顔で雨宮が笑うと、部屋の温度が3度は下がったようだ。男たちはその笑顔に凍りつき、コクコクと頷いた。
「でもさー、俺様素朴な疑問だけど、雨宮ちゃんはなんで今回に限ってこんな都市伝説ごときにこだわるわけ? 研究室の面子なら再現なんて楽勝っしょ?
サークルは、磁場の発生のちに一定の距離間において破壊行動を行ったのちに消滅。復元自体は可能な程度の磁場だって報告だけどねえ」
「さすがに詳しいな」
カブトと並んで磁場の特定をしているヒリューが舌を巻いた。
「当然。俺様に見えない光はないっつーの」
アゲハは遠目に二人の作業画面を眺めているだけで自分ではまだ動いていない。事前調査だけでも久しぶりに調べ物をしたら面倒くさかったので、なんとなく動けない。
なんとなく、大人しく緑茶を飲んでいる雨宮をチラリとのぞき見た。転がっていたのだろう男性誌なんぞを広げてくつろいだ振りをしているのに気づいた。
これは、本気で怒っている……。
「あ、雨宮」
「あのね、みんな」
一声出すだけで、一斉に視線を浴びた雨宮はやはりかわいらしい表情で小首をかしげた。
「この実験のために私がどれだけの苦労をしたと思っているの?」
どうやら、不可解なことに、雨宮の担当区分のみ修復が不可能だったということが彼女の中の逆鱗に触れてしまったようだ。実際、彼女の仕事だけは1からやり直しということなので、苦労は倍だろう。
相当溜まっているものがあるようだ。
「はい、すんません」
「勘弁してください」
「あまみやさまー」
ばたんと本が閉じられると、すたすたとピックアップされている画像へと寄ってきた。アゲハも一応そちらへと向かうことにした。
「と、とりあえず、雨宮のほうが復元不能な被害をこうむったことはわかった。
で、とにかく場所を突き止めないと先に進めねえからな! な!?」
だが、実はアゲハとしては、バーストを使用しないであれだけの巨大なサークルを作成する過程に興味があった。彼の専門は対人性サイレンのネットワークシステムマネジメントなので、カブトのように場のことにはそれほど詳しくはない。
なにか違和感があるのだ。
サークルの存在価値が見えにくい。何事も、本当に意味がないなんてことはあり得ないはずだ、と思うと、それを暴きたくなる。知りたいなんて生易しいものではなくて、暴きたいのだ。
まだ、誰も暴いたことのない分野なんて、特に。ワクワクする。
「わかってるわよ。大体なんなの、このサークルとかいって、大きな音はしてうるさいし、無意味な記号の羅列なんて研究だけで十分なのよ!!
とにかく、このプログラムを仕組んだヤツを探し出してなんとしてでもとっちめてやるわよ」
グッと、握り拳を作った雨宮の発言に、ふと引っかかった。
「音?」
くるりと、カブトが振り返る。
「音なんかしていたのか?そんな報告は聞いていないぞ。
特定の拡張子も見えないし、どこでそんなものが広がるんだ?」
「でもすごい振動と音だったわよ。そのときは実験チームはみんな残っていたから、あの場所に居た人はみんな聞いているわ。
画像で見ると無音だからわからないんじゃないの?」
「わかるよ」
カチッと、アゲハの指が一つの画面を捉えた。
「雨宮はプラグインしてないんだろうけど、俺たちは背後に構成単位が見えるようにしてあってな、こういう風に見えてる」
そういって彼の指が画面をなぞっていくと、浮かび上がる記号が画面いっぱいに広がった。一部の記号の解読は解析知識のない雨宮にもわかるもので、人の言語なども判別がつくようになっている。
デバイスに後天性の画像解析機能を備え付けることによって無音の状態でいくつもの場面を分解していたようだ。
「う、わー。きもちわるい」
「失礼だな」
「まあ、そうだろうな。俺も慣れるまで相当かかったし」
「ヒリューは器用貧乏なんだろ。よくもこれをあんな短期間でマスターしたもんだよ」
「仕事上必要だったんだ。やるしかないだろ。あとお前はいつも一言余計だ」
カブトたちが解析画面を見ている間、何とはなしに見ていた画面にアゲハは違和感を一寸感じた。その場面をデバイスで高速検索させる。
「おい」
アゲハの目が一点を捉えた。
現在時刻のFF区画。アゲハのデバイスから解析された内容が、全員が見ているパネルに拡大される。
「超巨大なファイルの転送だ。……来るぞ!!」
*
それは、空を割って現れた。
巨大な円盤のような姿を持ち、空を覆うように暗闇を作り出した。真ん中に穴が開いているようだが、用途がわからない。
「なんだアレは!」
「こんなデカブツ!! 今まで目撃証言はなかったわけ?」
「ねえよ!! あったら知ってる!! っていうか、なんだあの巨大さ!!」
「ちょっと待て」
一人で納得したらしいアゲハが珍しく震える口調で唱えるように物体を認めた。
「あれは、プログラムだ。
だけど、PSYを使用していない」
それを聞いたカブトが反応する。
「なんだって!? そんなことあるわけがない!
サイレン界では単に人間の能力を解放できるという素地があるだけだ。
あんなプログラムはPSYがないと発動しない。そもそも自然界であんな不自然な見た目をしたものが発生するか! 人間が介入していれば、PSY反応は必ず確認されるはずだ!」
「でも無いんだ。どこにも感じられない。
いや、逆なんだ」
「元からプログラムによって存在が固体化されていないんだ。だからこそどこにでも出現できるし、居場所も特定されない。見たといっても、それが残らないから証拠にはならない。人の見たものはすべて幻覚で処理される。人の見るものに本当なんてないからだ。
やはり見たとしても、認識がされなかった、というのが正しいんじゃないか? それならあんなでかいものが今まで噂にもなったことがないことも理解できる。
それに、あのサイズ比ではPSYで作られているわけがない。人間の脳から作られる容量を超えているぞ。
……本当に俺たちは今、幻覚を見ているんだ。脳が受信するがままの映像を網膜に焼き付けている」
アゲハのつぶやきを拾ったカブトの手元がすごい速さで動いている。
「……本当だ……撮られているのにまったく痕跡がない…だと…!?」
瞳は上空の物体と画面とを繰り返す。
「そんなことはありえない。この世界で活動をするためにはPSYを消耗しないでいることなど不可能なんだぞ!! プログラムなんて所詮はシステムを動かすためのツールでしかないのに!
根本のPSYが存在していないなんてことは存在不可能だ!!」
赤く光る目線の内部にすごい情報が飛び交っているらしい。カブトのデバイスの数がわからないなどとかつて酒の肴として扱われたが、やはり嘘ではないようだ。
「なあ、なにか、聞こえないか?」
二人の会話はヒリューと雨宮には瞬時に理解が出来なかった。
しかし、二人が解析をしている間、飛行物体を凝視していたヒリューの耳には確かになにかが聞こえていた。
「「「え」」」
一斉にヒリューのほうへと視線が寄せられた。
*
―――こちら朧くんでーす。みんな聞こえてるー?
「てめえええええ!! 今すっごいいい場面だったんだよ!! わかんねーかよおおお!!」
「アゲハ、落ち着け」
「いえ、これは怒ってもいいかと思うわよ……」
バンダナごと額を押さえてため息を隠しきれ無かったカブトがバチンとスイッチを入れた。すると、4人の前に朧のグラフィックスが現れる。
『やあ、お揃いで面白いことやってるみたいじゃないか』
「別に楽しかねーやい」
すねるな、とカブトに頭を撫でられているアゲハを放って雨宮は朧へと畳み掛けた。
その指先は画面上で空に広がるブラックプログラムを指している。
「あれの正体を知っている? 朧くん」
『僕は興味がないから知らないよ』
「相変わらず使えねーやつだな……」
『まったく、ひどいいいようだね。僕の仕事は転送だもの。
だけど、なんだろう、アレ、似たような匂いがするよ』
「匂いはせんだろう、匂いは」
そう突っ込んだアゲハを残りは無視した。
「まさか、転送システムだっていうのか?」
『転送とは違うんだけど、でも根本的な構造は似ているよ。どちらかというと転送は処理程度にしか思っていないみたい。行き先もどこに飛ぶのかもわからないなあ。プログラムされていないんじゃない? 固定の行き先ってのを。
なんていうか、そうだなあ。
まるで、アンプみたいに能力を拡大するような、そのための補助機能なんだよ、あの転送部分』
現在その身体をベースにサイレン界と現実をつなぐ裏ゲートの人柱として組み込まれた朧は、転送装置のスペシャリストになっていた。
自らの意識によって転送ゲート「虹」を作り出す。サイレン界に来るのに、アゲハやカブトは正式なルートではなく、こちらの朧のゲートを多用することがほとんどだ。
遠くからとはいえ、内部の構成などまったくつかめなかったカブトががっくりと肩を落とした。
「お前、どこまで見えてるんだよ……」
『転送システムなら読めるよ。自分の身体と同じじゃないか』
そこへ割り込むようにしてアゲハが会話に食い込んだ。明らかにいいことを思いついた! という表情で。
「なあ朧、俺たちをあのプログラムの下に運ぶことは出来るか?」
『なんの問題もないね。近くに妨害システムもない、いっそ旧式なんじゃないのかな。距離は僕にはなんの意味もなさないから気にすることはない。周囲には特に大きなものはないみたいだし。
ああ、一つ、大きなサークルがあるね』
「「「サークルだって!!??」」」
まさかサークルが現れるところあのプログラムが現れる、ということなんだろうか。
ヒリューを除く3人が顔を見合わせる中、ヒリューだけがアゲハを見つめた。
「……なあ、俺たち、って誰のこと言ってるつもりだアゲハ」
「よし、じゃあ、俺たちをそこに転送してくれ。なにかあったら再転地はここだ」
『いいよ。君の頼みならいつでも引き受けよう』
「おい、たちってまさか、おい」
意図的に全員からシカトされて、いよいよヒリューが慌ててアゲハから離れようとすると、アゲハはすばやくその腕を掴んだ。
「ヒリュー、一緒に心中しようぜ☆」
「人を勝手に巻き込むんじゃない!!」
「二人とも! 私のために争わないで!!」
「ノリノリだな、お前ら。
アゲハ。行くんなら止めはしないけど、あまり近距離にはいないほうがいい。なにがしかのエネルギーが発生していることは確かだ。サークル上を中心に動いているようだが、大きな動きってほどじゃないようだ。
とりあえずお前らが行けばこちらにも情報が入る。朧と解析すれば多少ははかどるだろ」
「バカ! そこは嘘でも危険だらけだって止めるべきだろカブトおおお!!」
「残念だな、お前の味方はタツオだけなんだよ」
「じゃあ敵か! お前は敵なのか!!」
「よーし、おっけ! 朧、転送を頼む」
『了解』
そして朧がニコリと笑って右手を掲げると、二人のデバイスが出力を上げた。高音の金属音のような耳鳴りが一瞬したかと思うと、身体は宙を舞っていた。
*
かなり高い位置から放り出されたようだ。
すごいスピードで地面に叩きつけられそうになったところを、センスで体勢を立て直す隙にヒリューの翼がアゲハを拾っていた。
「あんの、ノーコン野郎……」
「まずは礼を言ってもらおうか、ちびっ子くん」
「相対的に比べるのがお前である限り、俺はちびじゃない」
「世間一般的な常識から俺はお前に礼を求めているんだ。今度は地面と抱き合いたいか」
―――って、おまえら、後ろ後ろ!!!
「「は?」」
カブトからの大声による忠告が脳に直に響いて、二人が幼馴染特有の微妙に合った間で振り向くと、すぐ背中にはあの物体が迫っていた。
反射的に声を出して一斉に駆け出すが、動いたことによって物体は追いかけてきた。
「うおおおおおおお!!」
「なんでほぼど真ん中に落とすんだよ朧おおおおお!!」
―――ごめーん
「「ごめんで済むか!!」」
安全なところで見ているせいか、カブトは息の合い方に笑いをこらえている。一方で手は彼らの視界から解析作業を続けていた。雨宮の視線が食い入るようにモニターを見ているのが、少し痛い。
遠くから見ていた映像では球体のように見えたのだが、それは単純にそれと垂直に向かい合ったときの見た目らしい。
画面上では比較的上からの視線だっため、球体のような気がしていたが、面白いように薄くほぼ平面に近いそれは、ブラックホールのような大穴を抱えてこちらへとスライドしてきた。
同時に中心部から異常な高音と赤外線レーザーが発せられていることをアゲハのデバイスは感知した。
「カブト! あいつが発している電波はなんだ!!」
「そんなもん出してるのか!? しかも得体が知れないとかなんだそれ!?」
―――電波だって? でも、お前のデバイスを確認しても認知出来ないんだけど……?
「なんだと!?」
―――こうなったら、もう当たってみるしかないわね。
「「無茶言うな雨宮!!!」」
地面のサークル部分はどうやら細い円によって何重にも描かれていた。浮き出た地面の上に足を引っ掛けそうになりながら懸命に二人は走り続ける。ライズが続く限り走らないといけないのだろうか。
しかも、相手はどうやらスピードは上げることが出来るのに二人をわざと逃げられるスピードで追いかけているようにしか見えなかった。
明らかに自分たちは釣られている。
「くそっ! やっぱり雨宮の言うとおりなのか……!?」
「得体の知れないものにぶつかれってか!?」
「赤外線なら死にゃしねえだろ!」
アゲハが右手から高スピンさせたメルゼスドアを出した。右目のデバイスを感覚器官にリンクさせる。カブトには見えていないようだが、やはり赤外線レーザーと思われるものが二人を追いかけるようにして放出されている。
その射出位置をめがけて、アゲハは円盤型のまま投げつけた。
「どうだっ!!」
ぱちんっ!!
「弾かれたっ!?」
「え? 今弾いたの?」
アゲハの視線にシンクロさせていたヒリューにも状況はつかめていないようだ。
しかし、事実、弾いたと思われる箇所からおかしな音がしているのと同時に、こちらを追いかけてくるのもやめてしまった。停止を確認して、少し離れたところで二人はようやく足を止めた。
メルゼーにレーザーが当たった瞬間、レーザーは弾き返され追いかけてくるブラックホール内に戻ったようだ。それからこの変化が起こった。もごもごとした音がなにやら聞こえてくるがそれは次第に身体に響く重低音が地響きのように広がり始めている始まりだったらしい。
そして足元にも変化が現れた。幾重にも重ねられた円のサークル模様が砂地獄のように中心に戻って消えていっている。もちろん、アゲハとヒリューの足もさらわれている。このままでは、地下へと引きずり込まれてしまう。
「おい、どうするんだよ! 気持ちわりい音してるし、足元崩壊だぜ!?」
「種を蒔いたのはお前だろうが!!」
――まったく、いつまでもケンカしてんじゃないの!
――そうだって! 早く戻って来い!!
「だって、まだなにもわかってないだろ!?」
多分、あのときの反射されたものに、さらに意味があったはずだ。
あの音は、本当はなんの音なんだ?
内部でしているということは、音の正体は、あの中だ。
おそらく本当の音はアイツの中にあるんだ!
「多分、問題なのは、サークルのほうじゃない。アイツの中に、なにかがあるんだ」
「じゃあ、方法は決まったな」
ヒリューが、腕時計を外して、ポケットへと突っ込んだ。アゲハはヒリューがなにをするのかがわからずに、キョトンとしている。 ヒリューは、その顔がたまらなく面白い。
たまには、奇想天外な行動を起こされる側にも、なってみやがれ!!
「よしっ!! 行けアゲハ!!」
「はっ!? えっ!?」
ガシッと首根っこをつかまれたかと思うと、軽々と物体の中心部めがけてヒリューはアゲハを放り投げた。
「うおおおおおおお!!!」
―――ホームランだね、こりゃ。
―――まあ死なないでしょ、アゲハなら。
―――みんな他人事みたいに言うねえ。
「他人事だからだろ」
そしてヒリューは朧に接続をし、強制転移の準備に入った。カウントは30。おそらくアゲハの転移直後になるだろうと予測して。
一方、続々と感想を言っている仲間たちの声はしっかりとアゲハの耳には入っていた。放り投げられた体勢では突入時にバランスをとることが出来ないので、慌てて体勢を整えどこでも着地できるように反転バーストの用意をしておく。
しかし、それにしても仲間の扱いがどいつもこいつもぞんざいなんじゃねえの!? とアゲハは軽く泣きたくなった。自分だって手荒いのはすでに棚に上げている。
「お前らみんな豆腐に頭ぶつけてしまえええええ!!」
―――「合掌」―――
そしてアゲハは吸い込まれるように円盤の中心、ブラックホールの中に消えていった。
カブトのデバイスはアゲハの個体認知が出来なくなったことを告げた。あと5秒でヒリューが帰ってくる。アゲハのことなので、きっとタダでは帰ってこないことを期待して。
*
暗闇に突入したと思った瞬間、重力が変わった。
今まで空に突っ込んでいたのに、急に空が足場になる。ビタンと叩きつけるように足をつき、前のめりにつっぷしそうになるのを右手をついて身体を支えた。想像よりも浅い足場だったため勢いづいたせいで足が痺れて痛いが、他に異変は見当たらない。問題はない。
手をはたいて立ち上がる。
もう一つ、違和感が生じた。
今、確実に手を叩いた。
なのに、音が聞こえなかった。
音を周囲が吸収しているのか?と思い、改めて周囲を見回す。まるで障子の中のようにうすぼんやりとした明かりに照らされている。一面が光っていて、どこが上とも下ともわからない。すでに先ほど入ってきた穴はふさがれていて、外との境界は絶たれてしまった。とりあえず移動をしたほうが良さそうだ。
一歩踏み出して苦笑い。やはり、足音が聞こえなかった。
そこでようやくはたと気づく。
音が聞こえている。
なにかメロディのようなものが。
記憶を巻き戻し会話を逆流させる。
――円形の幾重にも重なったサークル
(大きな音はしてうるさいし、無意味な記号の羅列なんて研究だけで十分なのよ!!)
――巨大な中心部に穴の開いたプログラム
(なあ、なにか、聞こえないか?)
――反射されたレーザー
(まるで、アンプみたいに能力を拡大するような、そのための補助機能なんだよ、あの転送部分)
――反射後に聞こえた音と、止まってしまったプログラム
ここにあるものは一体なんなのか。
おそらく、「音」に関係することだけは確かだろう。
くぐもった音で確かに流れているメロディを追いかけるようにして、音源を捜す。明るい光が時々消えたり、光ったりしている。
確実に聴いたことがあるメロディは音に強弱があり、なんの曲なのかがときおり陥没するために聞き取りにくい。手探りで先へ先へと進むが、ついに、一歩、開けた。
ガッカリする。
そこにあったのは、空洞だけ。
音が反射してエコーがかかっており、そこでようやくアゲハの足音は響き始めた。途端、リズミカルな音が彼の足音に重なってくる。まるで追いかけっこのように、足音を追いかけているのがむしろ怖い。
思わず後ろを振り返った。
―――あなたの おとを きかせて ください
「なんだと?」
―――あなたの おとを きかせて ください
繰り返す機械音。切実な願いのようだが、平坦な機械の声に、その切実さは聞き取れない。だが、アゲハが声によって問い返した直後、機械音とほぼ同時に一斉に音楽が鳴り始めた。
ワルツ。タンゴ。ロック。フォーク。ポップ。レゲエ。交響曲。
彼の知るすべての音が一斉に洪水のように飛び出してくる。きっと一度自分が聴いたことのある音を記憶から引き出されているとのだろうが、それにしては鮮明だ。
脳ミソの使い方を間違えてんじゃねーのか! と皮肉の一つも言ってやろうと思っても、大量の音に自分の声すら聞こえない。
どうやら、この中で、音楽を『吸い取られて』いるらしい。
そこで、ようやく、ふと、アゲハは事実の不調和にたどり着いた。
サークルと、音のつながりなんて、噂では一度も出ていない。
サークルが自然発生するはずがない。
それは、当初のアゲハやカブトの主張のはずだ。なぜそれを忘れてしまったのだ。
サークル発生後に『磁場』を出し、『破壊』され、そして多くの場合はそのまま忘れられて消滅するか、その区画がすでに利用されているのであれば元あったものが「再現」されておしまいだ。
サークルは、ただの「サークル」状の、『ソフト』なのではないか?
サークルを解明するには磁場の特定が必要だというのは当たり前の話だ。それは間違っていない。だが、磁場は何のために発生する? サークル発生時に音がするのはなぜだ?
答えは、きっと、このブラックプログラムを呼ぶためだったのではないか。
磁場があれば、それを『読む』ことが出来る。
読まれるものがあるということは、読み込むものがあるということだ。サークルをソフトとするなら、ハードとなるのはサークル上に登場したこのブラックプログラムのはずだ。
朧が言っていた内部の転送システムというのは、あのアゲハたちを追い掛け回したレーザーによって破壊された破片を回収するものではないのか?
天空から聴こえてくる音楽の噂は、コイツじゃないのか?
「暴王なめんじゃ、ねええええええ!!」
内側からバーストストリームを形成すると、彼の精神へと干渉していたプログラムの手が止まった。PSY反応を持たないために、すべてを破壊するような普段の使い方は出来なかったが、どうやら異物として認識されるらしく、接触負荷のような扱いらしい。
プログラムさえ動かないのならこちらのものだ。
ライズの出力を最大にし、デバイスを確認すると接続が切れている。仕方なしにトランスを発動させ走りながらストリームを張る。 3つの力を同時に使うのは、さすがに厳しい。
「カブト! 朧!! どっちでもいい、返事をしろ!!」
―――アゲハ!! 無事か!!
―――こっちではプログラムから大量の音楽が聴こえたよ
「やっぱりそうか。朧、すぐに俺を戻せ!」
―――そうしたいのは山々なんだけど、君の位置が特定出来ないんだよ
「なら、今全部のシステムをダウンさせる。それなら俺のPSY反応から位置を辿れるな?
カブト、一瞬でいい。探知しろ」
―――って、お前、なにする気なんだよ!
「見てろって。俺の脳内ソングを駄々漏れにさせた罪は重いぜ!」
一瞬、すべての機能が停止した。
カブトの検知は素早く、朧が間一髪のところで、アゲハに焦点に合わせた。
部屋へと戻ったアゲハが倒れこむところを、雨宮が抱きとめる。疲弊した様子に思わずトランスを重ね、状態を見た。雨宮の様子を伺っていたヒリューがアゲハを受け取った。
「メルゼズドアの最大容量を開放したのね。ショートしてるわ」
「相手のプログラムだけじゃなくて、自分まで一緒にショートしてるんじゃ世話ないわな」
そういうカブトの疲れた声と一緒に、ため息がこぼされた。
さあ、これで解析が出来るだろう。
*
「冗談のようだが、当たりみたいだな」
ヒリューがまとめたデータを壁面に映し出しながら、全員が頷いた。
「なんで、こんな単純なこと、今まで誰も気がつかなかったんだよ」
「簡単だ。たいした人間が被害者じゃないからだ。これが公人がなってみろ。一発で原因なんてわかってたと思うがな」
アゲハの皮肉に朧が笑う。
『それが公人のデータを勝手に流用してる側の言い草?』
「それを言うなよ」
一口、さめてしまったほうじ茶を飲み、雨宮がふうと息をついた。まさか、こんなことになるなんて思ってもいなかった。
自分の望みは、単にサークルを作成するシステム作成者を突き止めたかっただけなのに。いつの間にやら大事になってしまった。
「サークルの発生位置と、『音楽が聴こえる』という噂の区画の範囲がほぼ同一。
また、被害者たちは自分から首を突っ込んでいった報道機関などの明らかな部外者以外は、すべて音楽ジャンキー。
状況的には、ライブやあちらでの大音量による音楽の垂れ流しをしていた、という状況証拠があること。
また、数人の音楽関係者も含まれる」
「そして、サークルと音楽の噂の発生時期はサークルが先行し、音楽が後。
これも単純ね。サークルを読み込むことによって音楽が流れるのなら、そちらが先に発生しないといけないからなのね」
「そうだ。
そして、一人の奏者の死後、サークルの発生が始まった」
「それが、未完の奏者なんだな」
アゲハの意識が戻った頃には、すでにサークルは再生を始めており、アゲハによって強制的に全機能を停止させられたブラックプログラムは崩壊した。
プログラムは固定される力が弱く、一時的に出現しては、崩壊、という形を繰り返しているようだ。
意識の戻ったアゲハは、ヒリューに過去のデータを探させ、自らはカブトによって記憶を編集していた。
最初にあのシステムに入ったときの音楽は、アレだけは、アゲハが放ったものではない。自分では音を立てたくとも、出すことも出来なかったのだ。
つまり、アイツが放つ音楽が唯一の手がかりになる、と直感したのだ。
一方、朧は思い当たる節があり、久しぶりに人間の頃の姿に身を戻す。普段はずっとサイレン界にいるので、彼は実体を必要としない。だが、今回は、手間をかけてみようと思ったのだ。
雨宮がヒリューを手伝いながら、ずっと祭のピアノを流しており、その旋律を聴きながら、全員なんとなく神妙な面持ちで作業に没頭していた。
本人の姿を知っていると、少しこそばゆいのだが。
*
今回の件は、痛い目を見た。とアゲハは痛感している。
違うんだ。きっと根本が間違っていた。食い違い、思い違い、思い込み。事実の誤認のせいでえらい遠回りをしてしまった。
そもそもが、サークルを単品で考えていたことから大きく視点がずれていた。だが、最初のサークルの時点で音楽の噂と結びつけるにはあまりに遠すぎた。
だが、実際には両者はとても近い立場にあったことがわかる。
「あのサークルを基盤として、ブラックプログラムが構築。そして音楽を奏でていた。
ここまではわかったわ。でも、どういう仕組みでサークルが出現するのよ」
「あのプログラムだってサークルに反応していたわけじゃない。そもそもサークルの出現が謎だったんだもの」
「さっき、サークル単体では効果がない、だから『音楽』とのつながりが見えなかったって言ったよな。
サークルのあるところにこのプログラムが起動する。このプログラムがサークルからメロディを出し、そしてサークルを破壊していたんだろう。
俺とヒリューが追いかけられたように、レーザーを出して、サークルを破壊する。そして、サークルはまた正体不明のまま再生される。これの繰り返しだったんだ。
そこでもう一つ重要な点だ。
あの『音楽』。俺はあの中でプログラムに精神干渉を受けて俺の記憶の中の音楽を吸い取られた。
今まで不明だった『音楽』研究者たちが必ず意識を手放してしまったのは、音楽好きたちが被害者だったからだ。俺は「普通」には音楽は聴くが、研究者ではない。聴いていた桁が違うだろう。そして精神崩壊を起こし、彼らを感染状態にさせた。
全員がきっとわけがわからないままに幻覚を見たと錯覚をするからこのブラックプログラムの存在は認められなかった、というわけだ」
ふうん、と生返事をしているのはヒリューである。朧が持ってきたものをじっくりと見ていたが、それをアゲハに奪われた。
「そして、サークルの正体はこれ」
そしてアゲハが取り出したのは、朧が知人から借り受けてきた黒い円盤。
「レコードだよ」
「アイツも一緒に自転をしていたからなにか意味があると思った。回転数は調べればすぐにわかる。
現在では使用なんてされているわけがないからすぐには思いつかなかったけどな。
カブト! あのブラックプログラムが俺たちを追いかけているときに自転してただろ? それの一分間の回転数を計ってみろ。
答えはそれだ」
「なんだって? それってーと、つまり……」
雨宮とヒリューがカブトの手元を覗き込む。朧はアゲハの言葉の意味だけでわかったようだった。少し微笑んでいた。
「78」
そう答えたカブトは、ごくりとのどを鳴らした。
「おい、こんな記憶媒体、今あるわけがないだろう?」
「でも、それがベースだと思うけどな。PSYであるわけがなかったんだ」
「なぜなら、元が人でないからさ。仕組まれたプログラムの大本の形を模した、さながらつくも神みたいなもんさ。実は、微妙に姿かたちは違ったけれど、どちらもあの世界で残された音楽の残骸だったんだろう。
大本はどちらもレコード。わかりやすいのがサークルだったってことだな。
ブラックプログラムの形を思い出してくれ。全体が黒い部分に中心部にはブラックホール。その中に音を詰め込んで、読み込みをする。
俺とヒリューを追いかけたレーザーみたいなものは、針の代わりだ。レコードは針によって溝を読み込む形を取っていたけれど、今ではデジタルで読込が出来る。俺たちを追いかけたのは単純で、あのサークルが円形だったから俺たちは自然とコースを回るようにあの中を走っていた。どうやらシステム孤立だったせいもあるけれど、サークル上に異物があっても、線の中に同化してみていたんだと思う。俺たちを追いかけたのには、他意はなかったんだよ」
「アイツは、音楽を奏でようとしていたんだ」
「人の記憶の中に音楽が流れているのをアイツは知ってる。それはプログラムが認識をしていたから確実だな。
今までずっと都市伝説だったのは、最近ではサークルは作成されてもすぐに消去か再作成で元あったものを再生してしまう。サイレン界は人間の手によってだいぶ整理されてしまっているからな。
よってそもそもがブラックプログラムのシステム再構築にまでいたらなかった。
過去、この事例を研究しようとした輩はいなかったから、っていうのは被害者っていうか目撃者にジャンキーが多かったからだ。だからこそトリップに引用されていたんだけれど。
逆にいえば、そういうやつらは音楽を友にしていることが多かった。元々音楽のイベントなんかで薬が使われることが多かったのも事実だし」
「そういう意味で、プログラムが音楽を求めていたところに、その人間の持つPSYとサークル発生のためのシステムが作動する。そこで連動し音楽を再生しようとレコード型の再生機兼スピーカーであるアイツが動き出す。取り込まれた人間から音楽を取り出すが、ことごとく好みが合わない。
新たな音楽を見つけるまで、再びシステムが解体する。
これの繰り返しだ」
「でもそれで、どうして私の研究室が狙われたわけ? いまいち理解出来ないわね」
「わかった」
「あい、ヒリューくん!」
びしっとアゲハがヒリューを指した。
ニヤニヤとしているアゲハと苦笑しているヒリューを見て、雨宮が首をかしげた。
「雨宮、お前、気づいてないだろ……」
「え、だから、なにを」
「作業中、お前プレーヤー回してるよな。つまり、実験対象だった植物たちの前で」
「ああ!?」
「おそらく、ビンゴだ。
雨宮は自分の研究対象『だけ』が再生できなかったといっていたよな。
そういうことなんだよ。聞いていたのはまた祭先生の音楽だろ? 植物たちは、しっかりと聴いていたんだよ。
それで、たまたまなんだろうが、内側からサークル発生のPSYに取り込まれてしまった。
ところが、対象は植物だ。人間に匹敵するPSYを持つという仮定をしたとしても、やはり人間には劣った。
正確にいうと、発声器官がないからダメだったんだと俺は思う」
「あともう一点。雨宮以外のスタッフの対象はおそらく該当しない。つまり、再生が不可能だった。よって、サークルは完璧に作成されなかった。一部が欠損した状態で作成されてしまったんだ。
あとは最初に話していたように、結局は場所の問題だな。さすがにサイレン界の内部ではなく、仮定ブロックではシステムは構築するだけの余地がなかったとみえる」
*
「それで、あのサークルも、プログラムも消滅させることは出来るの?」
雨宮の素朴な疑問にアゲハは笑った。
「終わらせるだけだよ」
「終わらせる?」
「これが、多分、当たりだと思うんだ」
アゲハが取り出したのは、先ほど朧が用意したというレコード。のジャケットと同じ柄のコンパクトディスクケースだ。
「それは?」
「78規格のレコードは再生時間が非常に短い。
この作曲者はそれが気に食わなかったらしいんだ。残している楽譜を見るとどれもこれも大作ばかり。なのに、どれもが未完のままだ。正確に言うと、実際には演奏できるのに大作がすぎて演奏はさせてもらえなかったらしい。
ところが、数年前、この作曲家の作品を元に、トリビュートが作成された。中には、終わりの示されなかった作品についに終止線がつけられた。
つまり、永遠に未完とされたそれが、ついに完成したんだ」
カブトはジャケットのケースを見つめた。
内部干渉される直前、内部で聴いたアゲハの記憶を再生し、この曲を検索していたのだ。探し出すのに苦労した。
『未完の奏者』の異名を持つ作曲家。
彼の音楽は時代にフィットし、人々に受け入れられた。
だが、彼が本当に弾きたいものはついに奏でられることはなかったという。国葬状態で死を悼まれた彼の死後、サークルが発生し、音楽の噂がサイレン界に流れた。
それは、サイレン界がここまで進化するずっと前から。カブトには考えも及ばないような時代から、この音楽たちそのものが「終止線」を求めたのだろう。彼の潜在意識が、作り出した音楽に本当に宿ったとしかいいようのない出来事である。
PSYは有機体が持つもの。
それを、『音楽』という『有機体』が手に入れた、ということを立証するのは難しいだろう。
だが、サイレン界が不特定な環境下だということを、すでに人類は解き明かした。
しかし、まさかそちらこちらに記憶された感覚やら人間の中の音楽記憶を掘り出す行為によってプログラムシステムを自己生成するとは思わなかった。そこまでいくとロボットの生殖行為だってあながち夢想じゃない。
それでも、これが、真実なのだ。
アゲハは、それを朧へと手渡す。
「転送できるか?」
『言っただろう? 僕に出来ないことはないと』
「もうあんなノーコンじゃあ、すまないぜ?」
アゲハがからかうと、朧は少し笑って、ウインクをした。大丈夫といいたかったらしい。
朧は、両手で大事そうにディスクを持ち、目の前に再生機があるようにそっと置いた。
まるで呪文でも唱えるように口を動かす。
アゲハが持ってきたデータから再構築したレコード形ブラックプログラムを可視状態にし、カブトは睨むように見つめている。朧の転送が終わった直後、一瞬でダークホールが夜空のように広がった。
まるで、スピーカーのように。
どこから聴こえてくるのか、わからない音が、響き渡る。
「これが、探していた、音楽……」
「参ったね、まったく。ずいぶんとロマンチックなオチじゃないか」
「バーカ。そうでなけりゃあ、プログラムが自動生成までしてやる理由になるかよ」
「どんな理由なんだよ、それ」
呆れたヒリューの言い方に、アゲハはニヤリと笑う。
「愛の力が、偉大ってことさ」
美しいピアノソロから始まったそれは次第に楽器が増えていき、今は長い愛の掛け合いらしい。それでも美しい旋律のおかげで喜劇のようにならずに済んでいる。
「これは、もう一つ、奥があるな」
そういってカブトが周波数を変えた。外部音声は相変わらずの楽器である。
だが、内部スピーカーからは、ただただ訴えるように、求めるように、でもその答えをいうよりも、ずっとずっと、ただ伝えるためだけに、声が響く。
夜空のような空から降ってくる音楽は、ただひたすらに、唄っていた。
―――君を愛しているんだ
―――この曲が終わらないのは、愛に終わりがないからさ
―――伝えたいのは、一つだけ、君を愛しているよ
言葉でなくとも、切なくそれは響き続ける。
「一体、誰に伝えたかったのかしらね」
―――さあ? ただ、この人は、一生独身だったそうだから、あまり縁はなかったんじゃないかな
「本人のPSYではなく、音楽のデータが終わりを求めてプログラムを自動生成するほど、この想いが強すぎたんだ」
「一途ととるか、ストーカーととるかは、聴き人次第ってことか」
雨宮は、とても羨ましいと思ったけど、デリカシーのないこの連中の前では、口が裂けてもいうもんか、と誓った。
*
それで今回の件、納得していただけたのかな? とアゲハが茶化してきた。
朧は再び虹の作成のため、自分専用の空間としてアゲハが用意した『家』へと帰っていった。彼の家は、電磁波が通らず、音もなく、彼は一人だ。それが心地良いらしい。だが、意外と頻繁にあちこちで目撃証言が出るくらいには自発的に外に出ているようではあるが。元々寂しがりやなのだからよく理解できる。
「でも、誰がやったのでもないんだもの。なんだが、気が抜けちゃった。どうせ仕事は1からやり直しなんだし」
「まあまあ、雨宮ちゃん。同じことを初めてやるよりも要領よく出来るんだからよしとしなって」
「そうだな」
カブトとヒリューがそういいながら、足元の破片を足で集めていた。
愛を唄った曲は、何百年という長い年月を経て完結した。
その途端に、崩壊をはじめ、システムプログラムは風に吹かれた途端になにもなかったかのように消えていった。
それは音楽のように。
足元に残されたサークルだけが、完璧な形で残されている。
本物の音楽データから飛ばしたおかげで、ついに作成された完全なる音楽。足元にあるそれらを男たちは足蹴にしているけれど、それもまた照れ隠しなんだろうか。
「ああいうのって、やっぱりいいの?」
そうアゲハが笑うから、
「そうね」
笑い返す。
「でも、言ってくれるなら、生きてるうちがいいんだけど」
キレイに笑えた自信があった。
見ていた男たちは、ちょっと苦く笑い返したけれど。