子どもたち(全九編)
①北極星(無印/太一、光子郎)
「あっちが北か」
そういって、太一さんは単眼鏡から目を外して、僕らを見た。方向を確認して、ご飯も無事に食べ終えた僕たちは眠りにつく。
この世界に北極星なんてあるのかもわからないが、おそらくそれだというものを目指して歩いている。それでもまだ同じ景色を見ている、という感じではないので、きっとなにかを目指して間違えているというわけではないようだった。
彼の目指すところが、どこなのか。
僕にも、そして彼にもわからないこの世界で、太一さんの瞳だけが信じるべきものだった。
*
②子ども(02/太一、大輔、光子郎)
手、大きいですね、といわれた。
そんなこと、言われたことなど一度もなかったのだが。
「そうか?」
「でかいっすよ」
大輔はそういって、自分の手のひらと重ねてきた。そりゃあ、そうだろう、とは思ったけど、わざと大きく指を広げてやる。小さい手だ。ヒカリなら、もっと小さいだろう。なんだか最近ずいぶんと大きくなった、と3つしか違わないのに親のような気持ちでいたのに、こうして大輔と手を重ねてみても、ずいぶん子どもの手というのは小さいようだ。
否、自分が大きくなったのだろう。
「お前、身長いくつ?」
「ええ?」
身長を言うのを嫌がってぐずぐずとしていたが、押し切って無理やり言わせる。近くにいるのが、タケルと自分より長身の京がいるから気にしているのだろう。
「お前、俺が小五のときより、でかいんだぜ?」
「え!?そう、なの…!?」
愕然とした顔で大輔が目をパチクリとした。
===
「あまりに小さくて、ビックリしたよ」
そういうと、太一はごろりと勝手に我が物顔に知り尽くした光子郎の部屋のベッドで転がった。
「それ、僕に対しての嫌味ですか?」
「そういうわけじゃねーよ」
「小さいのは」
「ん?」
ようやくモニターから顔を上げて光子郎が太一を見た。
「今の大輔くんですか?それともあの時の太一さんですか?」
その答えは、見つけていない。
*
③足を出す(小学校卒業/太一、光子郎)
「どうかしましたか?」
太一が立ち止まって校門を見つめている。
卒業式の後、学年の打ち上げが終わって、夕方からはあのときの子どもたちみんなで集まろうと言っていたのだが、忘れ物を思い出した太一が学校に戻ると、まだ光子郎が残っていたので一緒に出てきたのだ。
光子郎は太一のイマイチ似合わないお仕着せのブレザー姿に違和感を感じながら、いつもみたいに一緒に出てきたのだが、やはり、言葉少ない太一に居た堪れなさを感じてしまう。一体どこにどうしてそんなことを思うのか、よくわかっていないけれど。
「あれからって思うと、あっという間だったな」
「だって、実質1年じゃないですか。春にはみんなに会ってるし」
「いや、そうだけど。そうじゃなくて」
「今までの5年間と比べて、あっという間だった」
そうかもしれない。
自分も、今まで短い生きてきた年数を合わせても、それでもテントモンたちと出会った後のほうが、あっという間だったという気はしている。
この人も同じだったのかなあ。
「前とは、やらなくちゃいけないことと、やりたいことが全然違うんだ。
こんなこと、考えるようになるなんて思ってもなかったな」
「そこに、デジモンたちがいるからですか?」
そう隣に戻って問いかけてみる。
結局光子郎の成長期はまだ後のようで、太一を見上げる身体感覚も感情も全然変わっていない。
いつものように、隣を見上げる。太一も慣れたように見下ろしてくる。その感覚は、妹がいるからなのか、見下ろされる視線にいやらしさがないことが光子郎が太一と好んでいる理由のひとつだった。
明日からは、学校ではこれは見れなくなる。もしかして、あんまり見れなくなる。きっと全然見れなくなる。
それを、どう彼に伝えればいいのかは、この一ヶ月くらいいろいろ考えていたのだが、結局なにも言わないまま今日ここまで来て、光子郎はこの思いを抱え込んだまま今隣にたっていることがどれほどに自分にとって重要なことだったのか、ようやく居た堪れなさの理由になんとなく思い至り最後の感覚をかみ締めていた。
「そうだよ」
ゆっくりと、含める言い方で、太一は最近見かけるようになった遠くまで見通す視線を、校舎を見ているようで、その言葉を奥へと伸ばした。
「それに」
気がつかなかった大きく広げていた太一の左腕が、光子郎の背中を強く叩いた。
「いった!!」
「お前がずっと助けてくれてたしな。もちろん、他のみんなもさ」
背中を叩いた手は、そのまま背中に残った。そして肩に昇って自分の小さな肩くらいなら簡単に掴める手は、グッと力を入れた。
この人は中学生になって、僕は最高学年になる。
式のときにはこぼれなかった涙が、突然溢れ出しそうになって、鼻をすすったら、目頭が痛くなった。
「そろそろ行こうか。みんな、待ってるな」
その声は、出会った頃のように、いや、その前からずっと優しい。
*
④となり(02/テイルモン、太一)
秋雨は寒い。急激に下がった気温にまだ寒さに慣れていない身体はぶるりと震えたのを見られたらしい。今日は休日だというのに社会科の課題で施設の見学だといってヒカリや大輔たちは一緒に出かけてしまっている。置いてけぼりというわけではないが、一人残っているのは昔のことのようで心細いのは嘘ではない。
「大丈夫か?」
あまり家にいることのない太一が珍しくリビングに残っていて、コーヒーカップをずずっと緑茶のように啜ってテイルモンへと声をかけた。
「大丈夫」
なんとなく気恥ずかしくて、ツンと出会った頃のようにすましていってしまう。だが、太一は「そう?」と素っ気無いような言葉に愛情のこもった言い方で返事をして、なんでもないようにソファに座り、テレビをつけた。自然なその仕草にテイルモンも愛着がある。その行動を見つめていると、太一がこちらに目を合わせてくる。
そして、ぽんぽん、と自分の隣を叩いた。
「え?」
「ほら、こっちこいよ。窓際、寒いから」
いつもテイルモンの特等席はヒカリの膝の上だ。ヒカリに抱きしめられるのが好きだし、ヒカリはテイルモンをそうやって抱きたがる。太一だって、コロモンが一緒のときにはそうやってよく抱きしめているが、もう中学2年の男子だからそんなことはしないだろう。
けれど、今の太一は少しだけ面白そうな目をして、テイルモンを見ていた。
むう、と少しだけ唸って太一の隣へと行く。
「俺の膝のがよかった?」
「遠慮する」
今度こそツンとしていってやると、前よりずっと低くなった太一の笑い声が二人だけの部屋に響いた。
*
⑤メールチェック(無印後/光子郎)
夜、眠れなくて、ずっとログインをしていた。せいぜい2時くらいまでは誰かとメッセでもチャットでも出来るが、なにぶん同じ日本人であればやはり自分と同じように翌日は学校なのだ。海外の友人たちでも構わないが、外国語を使うというのは思っている以上に頭がパンクをしそうになる。すぐに疲れてしまう。それは避けたい。
だって既に疲れているのだから。
最後は一人になって、ああ、この感じは久しぶりだ、と眠いのに落ちないまぶたに、自分の人といるのに混じれない様子を思い浮かべた。ひとり、クツクツと声を潜めて笑うものの、余計に苦味を感じただけだった。
仕方ないので、ブックマークに入っているサイトをもう一度片っ端から回ってみたり、整理を始めたり、作りかけのパソコンのプログラムを始めたり、無意味にコードを取り替えたりしてみたりしていた。
かつて、一人でもこうやって手当たり次第に機械をいじっていればあっという間に朝になり、むしろすっきりした気分で外に向かうことが出来た。
ところがどうだ。誰かといられないことに悩んで、淋しいと感じるようになって、没頭しようとしても、出来ないままだ。多分、人間らしくなっているのだ。そう思っても、以前なら一人でもきっと生きていくことが出来た。辛くても、平気だった。平気ではないけれど、確かに平気だった。
今はそれが出来ないのだ。ツライものは、ツラクなってしまった。痛みを知るとはこういうことだったのか、と感動もした。いつかロボットの子どもが「ほしい」と願った、恐怖も痛みも確かに人間にしかないのだろう。
人間になるとは、どんなに生きづらいということか。キーボードを叩く手を止め、手元を照らすスタンドを消した。横になっておくだけでもいい。仮眠を取ろう。疲れた顔は、両親が心配するから。
と、思って横になっても結局事態は変わらず、ちょっと日が差しただけで起き上がってしまった。始発が動き始めたくらいの時間だ。人気のない駅でも見に行こうか。だが、そこへ、一通、珍しい人からのメールが、あった。
時刻は、5時21分。
ただ、『早く、寝ろよ!!』と。
そんなもの、携帯のほうで送ればいいじゃないか、と今度こそ、笑えてきて、あくびのせいか、涙が出て来た。
きっと、昨日も、そして、今朝も、彼は自分のログインを見たのだ。なにも言わずに、これだけを、送ってきたのかと思うと、嬉しくなった。
誰かの記憶に残ることが、人間としての、一つの証だろう。
メモリーに埋もれて構わない。取り替えられたっていいだろう。
きっと今日、太一さんは朝練なんだ。そのために始発近くの電車に乗っていったんだ。珍しいといわれることを覚悟で、メールを送ろう。
一言でやっぱり感情が変わるなんていうのも、きっと人間だけだろう。
ああ、人間で、よかった。
*
⑥僕たちの進化(無印後再会/光子郎、テントモン)
「たとえばですね」
いつものように、光子郎はモニターを見ながらテントモンに話しかける。最初はそれをいろいろ注意していたテントモンだったが、もはや慣れとは恐ろしいもので、すっかり日常のものとなってしまった。何年という月日が経ちすぎていることが敗因なのだろうか、と時々虫の頭脳で考える。
「たとえば、なんでっしゃろ?」
「僕が敬語を使わなかったら、どう思います?」
「今だって必ず敬語じゃないで」
「全部ですよ」
「どうやろな。聞いたことないさかい、どう思うかわかへんな~」
「おかしいですかね」
「なあ、光子郎はん」
そしてようやくパートナーを見る。複眼の、どこを見ているのかよくわからないけれど、きっと自分だけをいくつも映しているだろう瞳を見詰め返す。それも、あまり多くの人に出来ることではない。
「本当に見てもらいたいのは、なんでっか?」
この相棒は、いつも鋭い。自分のことに関しては。
「形から入るっていう手の話です」
「それでいいんでっか?」
「わからない」
「なら、いいんでないでっか?」
「やらなくても?」
「そう」
「そうかあ」
少しスペースを空けて、テントモンの入る分だけで彼をパソコンとの間に入れた。
「僕は、前よりも、前に進んでる?」
「当然や!」
「君と一緒に、進化できてる?」
「当ったり前やろ!」
そして、本当に、自然に、笑ったのだった。
*
⑦大丈夫(無印/太一、アグモン)
あわただしい食事が終わると、とりあえず当番制で見張りをすることに決めた。ありえないことにじゃんけんにストレート負けで俺とアグモンコンビだ。
あまりに静かな海を眺めながら、適当に用意した薪を少しずつくべていく。
さっきまで、ガヤガヤとうるさくて、人がいたのに、今はとても静かで海と同化してしまいそうだった。明かりは俺の目の前の燃えてる炎だけ。そして隣のアグモンのオレンジがまぶしい。
静けさに当てられて、俺まで黙り込んでしまって、いろんなことを考える。家はどうなってるんのかなあ。あのキャンプ場はどうなったんだろう。父さんと母さんは心配してないだろうか。ヒカリの風邪は、どうしただろう。俺がいないことでアイツが無駄な心配をしなければいい。
「太一? こわいの?」
「アグモン?」
突然の問いかけにはてなマークを浮かべると、アグモンはいいにくそうに、うーんといって、だって、といい始めた。
「ここ、しわ」
そして眉間を大きすぎるつめで押さえた。それを見て、少し笑った。一緒にアグモンもほっとしたみたいに笑う。
「大丈夫だよ、タイチ」
「んー? なにが?」
「タイチはボクが守るからね」
それを聞いてジインと来る。俺はきっといつも守りたいと思っていたからなのかもしれない。
「俺もな。二人で一緒なんだから」
結局照れ隠しで。一人に任せられない。俺も、一緒に、せめて横に立たせてほしい。
*
⑧夏の日(02後/八神兄妹)
また夏風邪を引いた。あの頃から、毎年夏風を引く。そのたびにお兄ちゃんは少し神経質になる。ちょっと過剰な感じもするけど、大切にされるのは嬉しいから別に気にしない。
いつもは家には誰もいないのに。お兄ちゃんはサッカーの練習すらサボって、リビングで宿題をしている。私が部屋から出てくるとすぐに反応して「どうした」なんていってくる。そんなに心配しなくなっていいのに、トイレに行くだけなのに、顔色をうかがっている。
トイレから出てきたら、二つコップが並んでいて、かたっぽには氷がなくて、かたっぽには氷があった。氷のほうは自分で飲むらしくノートの隣に置くと、突っ立っている私の手に氷なしのを持たせて飲めよという。
「なにこれ」
「はちみつレモン」
「こおりほしい」
「ダメだ」
よくみると、お兄ちゃんのは水だった。私のだけ作ってくれたのだ。
「もう寝ろ」と手を振るので、うん、といって、大人しく部屋に戻った。一気に飲んで布団に入る。目を閉じたらドアを開ける音がして、少し熱い手のひらが私のおでこに乗った。そしてすぐに出て行った。
溶けそうなのは、夏のせいだったのだろうか。
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⑨すぐそこまで(02後/太一、光子郎)
雑煮を食って、年賀状を見て、適当に時間を潰して街へ出た。
すっかり人がいなくなって、誰もいない道路を歩く。
たまにはなにか買って帰ろうか。元旦から開いている店を探すのも最近では苦にならなくなったなあ、なんて初日から初売りしているスーパーを横目で見ながら思った。
「太一さん」
呼ばれて振り返れば、見慣れた茶髪。
「よう、あけましておめでとさん」
片手を挙げて挨拶すれば軽いですね、と笑われた。
「今年もよろしくな、光子郎」
「はい。今年もよろしくお願いします」
そして頭を下げられて、慌てて同じように頭を下げた。やっぱり笑う声が聞こえて、そういえば、クリスマスにみんなで会ったときにも、彼はそうして笑っていたことを思い出す。
いつからそうやって人といるときに笑うような彼になったんだろうか。知らないうちに、そうやって、少しずつみな変わっていくことが、こうして、一歩を進んだことになる。
「太一さん、どこかへお出かけなんですか」
「いや、暇つぶしの散歩だよ」
「じゃあ、もう少し歩きましょうか」
「ああ」
そして彼が持っていたビニールの袋を見て、今度は太一が笑ってしまった。
「おま、それ、初売りの?」
「ええ。栗キントキが足り無そうだったので」
そうして、いつもと変わらない表情で微笑む。
こうした仲になるまでに長い時間が自分たちの間には流れているけれど、こういう普段と違う日に会って垣間見るのも面白い。
普段は暇なんてないのに、暇を持て余す自分と、いつもは買わないものを買いに行く相手。
きっと今年もみんなでバカをやるだろうし、今年もみんなで楽しく過ごすのだ。変わらずに。すこしずつ、気付かないうちに変わっているけれど、今は、そこまで、あとすこし同じ道を歩こうか。