ファンタジアまとめ「野ばら」
(クレス、ミント)
休憩をしていたら、道端に咲いていた花に目がいった。思わず花びらに伸ばそうとした僕の手をミントが止めた。
「そのお花、トゲ、ありますよ」
そのやんわりとした言い方に、ああそうか、とぼんやりと思う。昔もそうだった。母が好きで摘んで帰ろうとしたら、父に同じことを言われた。トゲでお前が怪我するよりも、お前が傷つかないように帰りなさい、と。
「そうだね。そうだった」
花に顔だけ近づけて、匂いをかいで。
懐かしいのは、こんなことをしたのは、あの日以来だということだ。
「鮮明すぎる夢」
(クレス)
またいつもの夢を見る。
幼馴染が死んでいる。
僕を守って、送り出してくれた親友が。
荒い息を整える間もなく自分の手のひらを見ると、見慣れた手。そこには赤いものはない。先ほどまで、ぬるぬるとした液体に両腕がまみれてあの温かさも感じていたというのに、今は宿屋で清潔な状態だ。知っている。夢でしかない。
そう信じていないと、やりきれない。まだ、チェスターが死ぬところを、僕は見ていない。
この戦いの発端が、どこから始まったのかもわからないが、きっと、そしてやっぱり彼は関係ないはずなのだ。苦しむのは僕だけで十分であるくらいに。痛めつけられるのは、僕だけでいいのに。
手のひらで顔を覆っても、親友の顔を思い出せなくて、また悲しい。
いつか、世界がこの戦いを終える日が来るときまで、どうか、僕以外の誰もが傷つくことなどなくなってしまえばいいのに。とすら思うのだが、彼が流せる血の量は決まっていて、それでは誰も救えないことに、クレスはまた絶望している。
「あまやかな香り」
(クレス、チェスター)
朝、朝食の匂いに目が覚めた。
今日の食事当番は誰だったっけ? と寝ぼけた頭を動かして、横を見ると幼馴染もようやく目を覚ましたところらしい。
「ミント?」
彼の低くかすれた声に、ああそうか、と相槌を打った。
この匂いは、彼女の、匂い。
「気まぐれを追う」
(チェスター、アーチェ)
また朝から大喧嘩をしてクレスにたしなめられた。
俺だってしたくてしてるんじゃねえのに。大体いつもアイツが一言多いのが悪いんだ。というと、クレスはすぐに「そうやって一言多く返しているんだから同じことだよ」といいやがった。アイツのいうことはやっぱり正論で、俺はクレスには言い返せない。
親友は微笑むと、あの優しい声でいう。
「探しておいでよ」
アイツの行動範囲は広いのに、簡単に言ってくれる。しかし断るわけにも行かず、さらにはアイツをほっぽっとくことも出来ず、俺はため息と一緒に腰に弓を引っ掛けるとすぐに扉を開けたのだ。
アイツを探すのには実はコツがあって、降ってくる雨を待つように真上をむいて歩くこと。
あの派手な髪の毛を見かけて、いつもよりかは静かに声をかけた。
「おい」
「なによ」
めちゃくちゃ不機嫌を丸出しにした返事に思わず「なんだよ」と言い返しそうになるのをノドで抑えて、結局また静かにいう。
「迎えにきたんだ」
すると、尻尾のように逆立った髪が、するすると下がってきて、身長差のある俺たちなのに、アイツの箒は同じ高さの目線で止まると、少しためらってやっぱり俺と同じようなトーンの声で「帰る」と言った。
会話はないけれど、朝のテンションと違う俺たちはなにもしゃべらずに街まで帰るのだ。
アーチェの気が変わらないうちに。
「わかっていたのに」
(オール)
ダオスを倒した。
その瞬間、クレスは剣を落とし、チェスターはひざを着いた。アーチェはほうきごと地面についてペタンと座り込み、そのそばにクラースは立っていたものの魔女の手を引こうという気にならなかった。すずはフラリと揺れたミントを支えようとしたが、案外ミントはしっかりしていて、すずの手を静かに握りなおしただけだった。
「う、」
痛みからではなく、弓使いの口から声がもれる。
全員、命からがらといった様相で、クレスなんて最も血も汗も流れている。
でも、ここで聞こえる声は普段決して大きな感情を吐露してこなかった彼のほうだった。
「ううう……、あ、あああ、ああああああああああ……!」
今までおおっぴらに泣くことのなかったチェスターの声が広いホールに響き渡る。
まるで獣のように、悲しい、苦しい声は、聴いている者の胸にも彼の弓矢と同じように突き刺さった。
クレスは落した剣もそのままに、親友の下へと急ぐ。両腕をついて、顔を伏せた親友を抱きかかえるように、その上からチェスターを隠す。
「チェスター……」
名前を呼ぶことしか出来ないクレスに、同じように人の言葉を忘れたようなチェスターの声が返事とも言えない呻き声を返す。
「もう、」
「う、うあああ……」
「……もう、僕たちには、なにもない」
「うう、ううううううう!!」
叫びとも悲鳴とも、怒りとも祈りとも、なんとでもとれる彼の声。
ただ、わかっていたのに、誰も止められなかったこの戦い。
無駄だというのは、わかっていたから。
「誰も帰ってこない」
「そして、誰も、幸せにはならない」
「復讐には、復讐じゃ、なにも、終わらない」
知っていたのに。
現実は、到底無理な話なのだ。
ただ、それでも、為さなければ、ならなかったことが、クレスにはわかっていた。
「チョコレート」
(チェスター、アーチェ、すず)
「甘いです」
「そりゃチョコだからな」
これは内緒、といってチェスターと一緒に買い物に出るといつも言われて適当な菓子類をつまみ食いして帰る。実は同じことをあちこちみんなしているけれど、すずは一応「内緒」といわれている以上誰にも言ってない。
「あー、久しぶりに食べるといいんだけど、ちょっとこれはしんどいな」
「あまり甘いものはお好きでないのですか?」
「うん、まあな。嫌いじゃないけど」
でも、今日はそういう気分だったんだ。
と言外にこぼしているので、今日のチェスターはそんな気分なんだろうと察した。同時に上からやってくる陰に「あ、」という間もなく高い声が落された。
「ずっる~い!! なあにアンタチョコなんて食べてんのよーー!! 私のときには無駄な買い物するなーとか言ってくるくせに!!」
「げ、うっるせーのに見つかっちまったなあ」
「うるさいって、なによ!?」
アーチェはジリジリとチェスターに詰め寄っていく。すずはそれを面白いものでも見るようにニコニコしていた。
「あー、じゃあ、口止め料。もういらね。飽きたからやる」
「え?」
ひとかけらのチョコを口にいれ、残りを無理やり手に握らせ、そしてすばやくすずの手を引いてチェスターは駆け出した。歩幅は違うが、忍者であるすずにとってチェスターの走りですら遅いくらいだ。
「これで同罪だぜ!!」
「むかつく~!! もう返してあげないんだから!!」
しっかりとアーチェはチョコにがぶついて文句を言っているが、顔はすでに笑っていた。
「これも、内緒、ですか?」
適当なところで立ち止まり微笑むように問いかけると
「そう、これも内緒」
弓を操る人差し指が一本、内緒を意味していた。
「雨音に隠れる」
(クレス、チェスター)
「チェスター」
後ろから聞こえる声は変わらない親友の声。振り返ることもしないで右手を下に下げたことで聞いていることの返事にした。
「もうそろそろ、宿に戻れよ」
クレスはそういうだけですぐに戻っていく。きっと帰ったらチェスターが一緒でないことをアーチェに文句をつけられるだろう。チェスターは小さく雨音と同じくらいの声を出した。
「クレス。ありがとう」
なんとでも取れる言葉。
いつかきちんと言わなければと思っていたことの積み重ねで言えなかったのが、今一瞬で出てきてしまったようなタイミングだった。やりたいようにやらせてくれる親友にも、きっと雨の日にこうして一人勝手に雫に打たれているのを察していながらも本人が呼びに来ない仲間にも、なんといえばいいのかわからないまま、雨の日をうまくやり過ごせないでいた。
「うん」
届いていないだろう、と思っていたのに、意外にも返事が帰ってきて、チェスターは小さく笑った。
雨に濡れて、長い銀髪はしっとりと水を含んで重くなった。あの日のように降り注ぐ雨は、思い出も降っては流す。忙しなさにかまけて思い出をおざなりにするくらいなら、たまには、思い出してもいいだろうよ。そう言い訳をして。
放っておいてくれる親友に感謝して、チェスターは目元を拭い去ってクレスの後を追いかけ始めた。
「大人になるということ」
(クレス、クラース、チェスター)
大人になったらさー、とぼんやりした会話をしている親友コンビの話し声がベッドに突っ伏した頭に入ってきた。
宿の二人部屋に男三人押し込まれて、一番大きなベッドをクラースは最高齢を利用して奪い取る。弓使いと剣士はたまに文句を言うけれど年上を敬う精神を持っているおかげでクラースの体調は保たれているといっていい。それでもまだまだ若いつもりなんだがなぁ、と言うと十代の中じゃそりゃ年寄りだろと弓使いか魔女にやりこめられてしまうのだ。
「きっとなんでもできるんだろうなあって、思ってたよ。というかぶっちゃけ今でも思いたい」
弓をはじきながらのチェスターのどうでもよさげな言い方にクレスは適当に同調する。
「ああ、わかる。父さんの若いころの話なんて、今思い出すと年齢同じくらいだもんな」
それを聞いていて眩暈がした。
「大人になったからといって、なんでもできるわけでもあるまいよ」
「旦那、起きてたの」
「じゃあ、大人になるって、クラースさんはどう思ってるんです?」
ふん、と小さく鼻を鳴らして体を起こした。子どもたちを見て、自分ひとりが年上だというのを嫌に感じてうんざりして。
「出来ることと、出来ないことをはっきりとわけられるようになることだ」
この解答には二人とも詰まったようだ。
「はじめて知ったこと」
(クレス、チェスター/注クレミン)
「なんかさ、最近すごい疲れるんだよね」
「そりゃ先頭きって戦ってりゃ疲れるわな」
「そうじゃなくて。なんていうのかな、体は丈夫だからいいんだけど、こう、ドキドキしてるっていうか、なんか気になるっていうか」
「ふうん。ミントか。ようやくそこまで自意識に昇ってくるようになったんだな。成長したじゃん」
「え!? なんでわかったの!? え? ていうかミントと一体なんの関係が?」
「お前バカだな」
「ひどい! なんだよチェスター! どういうこと!!」
「それが恋だ、クレス」
チェスターは小豆があれば赤飯を炊くのに、と茫然自失してしまったクレスを見て思う。それにしても、ずいぶん長いことそれに気がつかなかったものだと改めて呆れてしまった。
「君しかいない」
(クレス、チェスター)
すばやく、勢いよく、矢が飛んでいく。今日もチェスターの深夜の特訓は続いている。クレスは半分以上呆れながらもそれを放っておく。確かに彼には強くなってもらいたいからだ。
「くっそ!! あのバッカ女め!!」
まったく、たいした反骨精神だ。
「そうだね、僕もチェスターには早く強くなってもらいたいよ」
「お前までそんなことを言うのかよ!!」
半分以上本気で絶望しかけた声をあげるのでクレスは苦笑した。
「だってさ」
立ち上がって、もう帰るそぶりをすると、チェスターは同じようにジェスチャーのみでまだ残るという。
「お前以外で、一体誰が僕の背中を守るのさ」
ボトっというなにかいろいろなものが落ちる音を聞きながら、クレスは自分もチェスターに置いていかれることを恐れていることを理解する。共に歩んできた二人だから、どちらが強いとか弱いとかじゃなくて、違うことを考えることに不安を見ていた。
もういいや。お前が早く強くなればいいんだ。
「もうありえない」
(クレス、チェスター)
チェスターが、アミィに向かって語りかけているのに気がついてしまった。
なんでもないようなときに、チェスターは祈るようにアミィの名をつぶやいている。クレスはぎこちない動作でバクバクと高鳴る心臓を押さえている。わかっていたのに、わかっていたけど、チェスターが妹を思う気持ちを考えると、体が痛かった。
「チェスター、食事の準備が出来たよ」
なんてことない振りしながらチェスターに話しかける。
「ああ、わかった。今行く」
そういって立ち上がるチェスターを入り口で戸に寄りかかりながら眺めた。弓を置いて、ブーツを直して、こちらへと向かってくる。
「行くか」
「あのさ、チェスター」
あ? とまぬけな顔。
「コレ、お前が持っててくれないか」
差し出したのは、アミィのマスコットだった。
「なんで」
「僕は、これのおかげで、チェスターのこともアミィちゃんのことも忘れないで過去から帰ってきた。これがあるから、僕は強くなろうと思った。僕は、本当に、これに、守られてたと思う」
「……そうか」
「だから、チェスター。お前がこれをもっててくれないか。あの子の、代わりに」
「いらねえ」
そういう言葉は冷たいが、響きに嫌味はない。基本的にクレスに対してはチェスターは素直だ。
「クレス、それはアミィがお前にあげたものだ。お前が持ってないと意味ないだろ」
「う、うん。そうだけど」
でも、アミィのことを考えているチェスターをほうっておけないのだ。
「お前がアミィのことを忘れなければいい。俺の役目はアミィを守ることだった。
だったら、それをもつお前を、俺は守る」
そしていつもしているように、拳の甲を出す。カツンと二人の甲がぶつかって、それを合図に二人は食堂へと歩き出す。大丈夫。二人が一緒なら、きっと彼女を幸せに出来た。
「さよならを、笑顔で」
(オール+モリスン)
この日が来ることはわかっていた。
当然である。みんな生きている時代、生まれた時代が違うのだから。全てが終わったら元の時代に戻ることを前提としていたのだ。
チェスターは朝早くからいつものように弓を鳴らし、クレスは軽い格好で散歩をしていた。いつも寝起きの悪いアーチェにしてもさっさと支度をしていたし、ミントは腕を振るおうとモリスン邸のキッチンで忙しなく動いていた。モリスンはそれを遠く書斎から音を聞きながら自分の部屋の本を最後まで漁るクラースに語る。
「この年になっても、別れはつらいものだな」
「ああ」
若者たちといるよりも、年の近い男二人、一緒にいると普段の態度も忘れて寡黙になる。
「年甲斐もなく、な」
「仕方のないことだ。一体どれくらい一緒にいた?」
振り返ったクラースは必要な部分に指を挟んだままモリスンを見ると、年下の友人たちと話しているときのような品のない笑いを浮かべた。
「約150年だな」
最年長の独りよがりを聞いて、モリスンは年甲斐もなく大爆笑してしまった。