いつからだったの? 父の再婚で兄弟が出来た。
兄が実休、弟が光忠。一人っこだったので、兄や弟に憧れはあったが、途中から生えてくるものでもない。父が再婚して兄弟が出来るとも想像もしていなかったので、実際に事が実現した時には少し目まいがしたくらいだ。まさか兄弟の真ん中になるなんて。
とは言っても、実休はすでに家を出ていた。しかも長らく先方の実家の都合で寄宿舎のある学校に通っていたとのことで光忠もあまり兄という感じでもない。どことなく浮世離れした実休の姿に「兄」というのもなんとなく似合わなくて、光忠と同じく「実休」と呼んでみたものの、肯定も否定もないし、本人はポヤポヤしてるので、そのまま実休になった。どうせ盆暮れ正月にしか会わないので。
問題は光忠だった。多感な小学校高学年で出会い、すでに高校生。反抗期らしいものは兄弟相手にはないが、両親にはチクチク小舅のようなことを言ったりしているようだ。どちらかというともはや福島相手に口を聞いてくれない。それは反抗期か?
「寂しい。寂しすぎる。一緒に暮らしてるのに」
『一緒に暮らしてるだけいいじゃない。結局僕だけずっと寮からの大学も就職も地方行っちゃったから光忠と暮らしたことなんて幼稚園の頃くらいなんだけど』
「その記憶があるだけいいだろ! 一番可愛い頃じゃないか!」
『あんまり構いすぎて嫌われても知らないからね』
「うう、でも今しか構えない……いや、構ってもらってるのは俺のほう……?」
『まあ、光忠なら大丈夫だと思うけど。聞いてないね、福島。お〜い』
この頃になってようやく実休と実の兄弟のように気軽にやりとりが出来るようになった。直接はあまり話していないのだが、チャットツールでは案外ちゃんとしている。
そうして、福島もまた別離の時が近づいた。就職である。
内定は取った。が、まだ最大限の納得をしたわけではないので、完全に終わってもないし、インターンもしつつ、卒論やりつつ、忙しさに拍車がかかる。スケジュールを組むだけでコツがいるようになるとは思ってなかった。
さすがに就職して家出ないのもなあ〜、なんて思いながら、いやまだ実家から通えるし、少し金を貯めて六月くらいに引っ越すか? 引越しの閑散期っていつだっけ? なんてあれこれ考えながら自宅への帰宅を急いでいた。今日は光忠が食事当番の日だ。就活で忙しくなった福島も何度か変わってもらったりしたが、来年は光忠も受験だし、甘えられるのは今年まで。いや、兄のほうが甘えてどうする、と思いつつも、料理は嫌いでないとのことなので、家族の食事の多くを担うようになっていた。
そんな時だった。
*
目が覚めると、見知らぬ病室。嘘だろ、と思うと起きた福島に慌てて父親が駆け寄ってきた。
青信号に前方不注意のトラックが突っ込んできたという。幸いなことにぶつかった右の足の骨折だけで済んだというが、身体中が吹き飛んだ衝撃もあるとのことで、一旦入院して検査をするらしい。
何時かと慌てたが、まだ夕食時だった。ああ、飯、食い損ねたなあ。
父も仕事があるし、福島は成人している。ひとまず明日も仕事だろう父を帰らせた。随分と心配をかけたようだが、事情がわかればもう一緒にいても時間を奪うようでこちらも心苦しい。
画面がバッキバキになったスマホは大変文字が読みづらく、嘘みたいな事情で恐縮だが、ゼミに欠席の連絡をし、休学の手続きというか、こういう場合どうしたらいいのかを教務課に問い合わせた。あとは、なにをすればいいんだ。頭がパンクしそうである。あーあ、飯、食いたかったな。
あ、そういえば、本を貸してやるって話してたな。約束は破らないのが、お兄ちゃんとしても矜持だったのだが……。こんなことでそれも無くなるなんて……。悲しい。早く家に帰りたい。身体のあちこちが痛い。これ、ニュースになってんのかな。なってても嫌だな。こういうの、後遺症とか残ったらどうするんだ。俺の人生……。うわ、めちゃくちゃ泣きそう。
ボケ〜としていただけだが、頭から言葉や文字が離れない。なにも考えたくないのに、考えてしまう。それも良くないことばかり。まだなんにもなってないし、致命的な怪我でもないようなのだが、その瞬間の記憶がないので、突然違う世界線に来てしまったようだった。
静かな廊下にバタバタバタとなるべく静かにだけど出来るだけ早く走ってくる足音。なにか急患か? と思ったら、自分の部屋の扉が開いた。
「いたっ!」
「こら〜、光忠。病院で走らない」
「だって、心配でしょ!」
「二人とも、どうした?」
「はあ?」
光忠と実休だった。
光忠は幼少期の怪我で失明しているほうの目を隠す髪型を、普段絶対見えないように頭を振り乱すようなことすらしない。それがもうカンカンに怒っている。頭を振り乱して走ってくるくらいに。
「どうしたもこうしたもないよ! 事故に遭ったっていうから心配してたら、父さん帰らせて、心配くらいさせてあげなよ! たった一人の子どもなんだから!」
「光忠、落ち着いて」
たった一人の子ども。そうか。確かに。実子は実質、福島だけだ。
そうかもしれない。結局、家族だなんだと浮かれてたのは俺たちだけだったのかなあ、なんてヘラヘラとしていたら、光忠の顔がもっと怒りで染まっていく。
「そうやって、なんでもかんでも一人でやろうとして!
家帰ったら困るのはアンタでしょ! 誰が手伝うと思ってんの!」
「え、誰……? じ、自分で出来ることは自分でやるよ……迷惑はかけないからさ」
「んも〜! そうじゃない!
迷惑かけろって言ってるんだ! 家族でしょ、僕たち!」
「え」
「え?」
家族。
父と二人はそれはそれで居心地が良かった。男同士でなにも気にすることもなく。
母に育てられた光忠はそれはそれは気が利いて、申し訳ないくらいだった。弟にいろいろしてもらうことが照れ臭くて申し訳なかった。自分のほうが年上なのに。
家を出たら、一人で大丈夫だって、光忠や実休に見せたかった。寂しいけれど、一人でやっていけるんだよ、俺だって、なんて。
本当は、寂しいと言えたらよかった。
そんなことを言えない実休を思えば、そんなこと言えなかった。
情けない兄ちゃんだな、だから兄と呼んでくれないのかな、なんて実休相手にこぼして笑われた。僕だって呼ばれてないよ、なんて笑えない返事だった。
「福島。無理しなくていいんだ。
家族なんだから。そんなに慌てて家を出なくても、後のこと考えて一人で行き詰まらなくても、まずは、身体と、心を大事にしよう」
「しばらく実休さんが使ってたベッド開けるから、そこで寝て。僕がいれば貴方の着替えとか、準備とか、いろいろ手伝えるし」
気付いたら、ぼたぼたと垂れる涙に、あれ、なんて言って、あはは、参ったなって拭こうとした腕は二人に掴まれる。
「……格好つかないな、こんなんじゃ」
「外面いいのは知ってるよ。家でくらい、格好悪くっていいじゃない」
「お前に格好いいところ見せたいのにな、なあ実休」
「僕は別に。二人が健康ならそれでいいよ」
光忠が、もう背もほとんど同じくらいに伸び切った感のある弟が、出会った頃の照れ隠しのように身体にまとわりつくように抱きついて、実休が優しく二人の弟の頭を撫でた。
昔から頭を触られるのが、嫌いだった福島は、それでも、今はそれを振り払えなかった。
のどの奥が、引き攣るようで、なんかよくわかんないけど、身体が痛いのと同じくらい、ホッとしていてどちらかというと安堵の涙なのだった。
家族と、言ってよかったのか。
俺の、家族。子どもの頃、ずっとずっと欲しかった兄弟。
お兄ちゃんと、弟。その両方を手に入れて、夢みたいだとずっと思っていた。今でもそう思っている。
「夢みたいだ」
「なにが」
「家族って言っていいんだって」
「嘘でしょ? あんなに僕にお兄ちゃんお兄ちゃんってうるさいのに?」
「言ってくれたことないし」
「せがまれて言うようなことでもなくない?」
「お、これが噂の反抗期か〜」
ようやく涙が止まったら、今度は大きな音が鳴った。腹の虫だ。
「やべ。そうだ。昼飯も食ってないんだった」
「だからなんでそうやってすぐにお昼抜くの。前にも言ったけど、残りの三人分お弁当作ってるんだから貴方の分が増えたくらい大丈夫だから。大学復帰したら強制で作るよ」
「今日の光忠こわいよ〜」
「今のは福島が悪くない?」
そして、二人が持ってきた荷物を実休がよいしょ、といって広げた。
「お腹、やっぱり空いてたね」
「今日の夕飯。慌ててたから形、崩れちゃったけど」
福島の好きなハンバーグだった。
そういえば、福島の家族の味はこれだった。
給食や、外食でしか食べないハンバーグが家庭の食卓に乗るようになったのは、光忠たちと一緒になってからだ。この味を食べるとホッとする。嬉しい。安心する。家庭が、安心するような場所になったのは、こうして再婚してからだ。
四人で暮らし始めて、時々フラッと帰ってくる実休を混ぜて五人で摂る食事。
これが、今の福島にとっての家族だった。
「これが、一番好き」
「僕も」
兄二人の、いやに幼い褒め言葉に、いまさら髪型を整えながら、光忠は笑った。
「お粗末さまです」