トーキョー異邦人
東京近郊のこの町を選んだことに、特に強い理由はなかった。ただ、都心といえど純然たる安全とやらが確保されていない地域、時間帯で飲んだ時に小耳に挟んだ。その程度の動機だった。恋人を目の前で亡くした今のハンには、どうでもよかったのかもしれない。
小さな家々が身を寄せ合うように建つ町は、都心の新しくモダンな建物とは打って変わって年季が入っており、人々は和やかで気さく。故によそ者であるハンは目立った。黒目黒髪なのにと本人は不満そうだが、安穏に慣れすぎたこの国で、彼の持つ雰囲気は異質であったのだ。
「あんちゃん、見ない顔だね」
お世辞にも誠実とは言えないいでたちの男が不意に声をかけてきた。ハンにとっては馴染んだ物騒さに返って親近感が湧く。
「何か用かい、ミスター」
「ああ、あんたガイジンなのか。これ通じるか?」
男は独りごちた後、英語に切り替えた。流暢だ。
「わざわざ悪いね。ニホンゴまだ慣れてないから助かるよ」
「土地柄、話せる方が良くてな。で、ちっと用があんだけど、いいかい」
案内されたのは古くとも健やかな表通りではなくその一本奥の路地、そこからさらにいくつも扉を抜けた先だ。
「確かに新顔だなぁ」
横柄とも鷹揚とも取れるゆったりした口調の男が、奥に座したままにたりと笑った。
「俺、なんにもしてないけど」
「だからよ」
だから、頼みたいことがある。
愛嬌さえ湛えた丸い目がぎらりと光を強くする。ハンの身に馴染んだ、きな臭く、危険な光。
「報酬は?」
「ピンハネした金、ぜぇんぶだ」
うまくやりゃあ、なかなかに稼げる。どうだい。
金に困ってはいないが。
「いいだろう。乗った」
「頼んだぞ」
そんなにまでして身内の力量を図りたいのかと思うが、身内だからこそ厳しくなるのだろう。特に、僅かな気の緩み、思慮の甘さが命取りになる、こんな稼業では。
「楽しい滞在になりそうだ」
よろしく、トーキョー。
彼女のいない空を見上げる長身を、どこかの夕飯の匂い混じりの風が撫でていった。