それは重要ではない
子供の頃よく遊んだ友だちがいた。両親の仕事の都合で彼は引っ越してしまい、連絡手段も持たなかった幼い僕たちはそれきり会えていない。
今では僕も立派な社会人だ。彼は、がくしゃさんになりたいと言っていた。夢は叶えられただろうか。彼ならきっとなっている。専門はなんだろうなと思う自分がずいぶんとにやにやしていたと気づいたが、昨今のマスク着用のおかげで隠しおおせた。
「スマント…?」
近くへの出張帰り、不意に呼び止められた。聞いたことがない声だ。けれど、言いようもなく懐かしいこの感じは。
「ああ!君だスマント!やっと会えた!」
涼やかな目元、朗らかな雰囲気。おいおいずいぶん色男になったものだなと笑うと、君こそ貫禄がついた!と髭を手振りで表しておどけてみせる。
帰社する? 忙しないな君は。ではせめてカフェで一杯奢ろうと肩を組まれた瞬間、僕は背を強張らせた。
「どうした?」
「いや、なんでもない。汗をかいているから君が不快にならないかと」
「なんだそんなこと!鍛えているようだね」
うまく誤魔化せたと思う。
あれは、人の手のひらの感触にしては、ずいぶんと異質な…
気のせいだ。それこそ汗に濡れた生地で変なシワができていたんだ。
社に戻って終わらせておきたい仕事があるからと別れたスマントの背を見送った男は、大げさなほど手を振ったそのままの顔で、
「ちょっとやりすぎたか」
と、呟いた。
ここにいれば会えると思ってなどと、ロマンチックな映画でしか聞けないようなセリフを聞いたスマントは、幼い頃の親愛ゆえに嬉しく感じる。
「よかったらウチでお茶でもどうかな。ゆっくり近況とか、なんでもいい、君と話したい」
「僕もだ。嬉しいよ、遠慮なく押しかけても?」
「はは!照れ屋の君がずいぶん立派になった! …?どうした?」
「照れ屋に見えていたのかと」
「はにかみやでもいいがね」
「よせよ」
言葉こそつっけんどんだが声は笑っている。
ああ。
どうして招き入れてしまったのだろう。
「スマント」
「……」
来るな、とは言えなかった。
そんな手酷い拒絶など。
「"彼"のことになると、君はずいぶん優しいね。甘いとさえ言える」
「どこにやった」
「ここ。僕と彼は混じり合って、境目は僕たちにも分からないし、決められない」
「どうして」
「人間世界でいうところの大きな列車事故さ」
興味があっていわゆる地上に出てきたすぐそばでそれは起きていた。ずいぶんと強い血のにおいが辺り一面からしていた。そのただなかに子どもはいた。流れ出た血を少々拝借して情報を検索。夢の実現に向かう途中のその小さい生き物を、僕は憐れと思った。
「それが始まり」
「死んでは、いない?」
「この通り。彼と僕は全て混じり合い、一つになった。ただ、時々こうやって全身を循環させないと、凝ってしまうんだ」
「じゅん、かん」
「君たちだって同じ姿勢でいると中身が停滞するだろう」
似たようなものだよと言いながら、首から下が、ああ、意志のあるパンの生地のようにぐねりぐねりと自らを練っている。
「もしよかったら新鮮な水をもう少し、あ」
スマントは、意識を手放した。