願いが消えた日
バックアップなんて聞こえはいいけど安全地帯で機械相手じゃ、少しもスリルは味わえない。もっと心がひりつくような危険に身を晒したい。
そう思い、半ば強引に同行した今回の仕事。大きなトラブルもなく、ソーンも自身の役割を果たして、いざ回収地点へ集合と足を動かした時にそれは起きた。
「ぅ、わあっ」
物陰から最後の一撃とばかりに飛び出した残党のナイフによって、体の正面を左上から右下に切り裂かれたのだ。
熱い、冷たい、なにこれ。
残党は手負いだったようで、その一撃を最後に倒れ伏し動かなくなった。ソーンには幸いではあったが、初めて負う切り傷に軽くパニックを起こしているため気づくこともできない。
肌の上を温かい何かが伝ってゆく。黒い手袋で触れると濡れた感触。色はよく見えない。
熱い、痛い。
俺は、切られたんだ。
怪我をした。
血がいっぱい出てる。
危険な状況にいられる高揚など霧消していた。
むしろ、後悔が押し寄せてくる。
覚悟なんて、できていなかったのだ。
何も知らない素人だったのだ。
プロテクターのおかげで致命傷には至ってはいないが、白兵戦や伴う負傷に関しての経験などゼロに等しいソーンにその判断ができるはずもなく。
切られたショックで立っていられず、よろよろと、せめてもと物陰に移動してうずくまる。通信機を使うことも忘れ、何かに濡れる服を握りしめて身を縮こませる。
自身の体に遮られて見える景色は灰色の瓦礫ばかりだ。今回初めて来た場所で、作戦開始前にドローンで見た景色はあまりにもよそよそしかったことまで思い出す。
震える体をますます小さくしたソーンは突然現れた死の前触れのような状況で、やっと恐怖を覚える。
こんな、だれにもしられないところで
おれは
しんじゃうのかな
「やだ……」
知らず涙が滲む。
しらないところで
うごけなくなることが
こんなにも
おそろしいなんて
こんなにも
こどくだなんて
こわい
「ソーン!見つけた!」
よく知った声に名を呼ばれ、ソーンは一瞬痛みを忘れて弾かれたように顔を上げる。
黒い人影が駆け寄ってくる。集合場所はまだ先なのに。
全く逆方向で動いていたはずなのに。
人影はあっという間にスマイリーの姿になり、一番好きな青がソーンを捉えていた。
「スマ……ぃ」
青も、ふわふわした髭も滲む。
「傷、痛むだろうけど、深くはないから」
大丈夫、みんなで帰れるからな、もう心配いらない。
簡易的な手当てをする手際の良さ、掛けられる力強い声、頼もしい抱擁、安堵する内容。そのどれもに胸が詰まり、ソーンは涙をこぼす。
「怖かったな、迎えが遅くなって悪かった。怪我したから、動かずにいたんだな、偉いぞ」
迎えにきてくれた。
オウジサマかよと普段なら軽口も叩けたが、今は安堵で声も出せない。加えて、怖くなって動けなかったのに、どうして褒められるのか分からない。
だがスマイリーは軍経験者だ。ソーンの知らない戦場でのルールがあり、それに当てはめれば、動けなかったことは、悪いことではないのだろうと思うことにした。
思えたからこそ、言葉にした。
「怖かったよぉ…っ」
うん、よくがんばった
痛いのは嫌だよな
すぐみんなのところに着くから
そうしたら本当に怖くなくなるから
迷子の子供が保護者と再会できたように、抱え上げられたソーンはスマイリーにしがみつく。スマイリーも、言葉だけを聞いたらぐずる子供をあやすような言葉を、誠実な声で紡ぎ続ける。
二人分の装備が揺れてはぶつかり、がしゃがしゃと鳴る。
走ってる。
スマイリーが、
俺を抱えて。
「耳元で大きな音出すから、ちょっと塞いでろ」
「ん」
ピュイ、と鋭い口笛が空に響いて程なく、無骨な駆動音と強い旋風と共にヘリコプターが現れる。
「帰るぞ」
「うん」
目が覚めたのはもちろん病院だった。
「すまいり」
「…!、おはよう。痛みはどうだ?」
当たり前のようにベッドサイドにいてくれたことに、安堵する。ことあるごとに気遣い、時に言い合いにまで発展するほど身を案じてくれた男に、今、伝えなくてはならないことがある。
「しにたいからついてく、ってことは、もう、ぜったいに、しない」
「……そうか」
「しんぱいかけてごめん」
「もう、しないなら、いい」
声は震えていただろうか。
青は潤んではいなかっただろうか。
回復のための眠りについたソーンには、分からなかった。