【迎賓館にて】
豪奢な建物の中はそれに違わない豪奢な造りで天井や壁に始まり床や調度品に至るまで、一つ一つが絢爛豪華な代物ばかり。
王族や各国の重鎮達が訪れる『迎賓館』に相応しい。
ぴっしりとスーツ姿で正装をきめたDeuilの三人は素晴らしくこの場にマッチしているが、自分はと言えば…恐ろしい程にこの場に似つかわしくないような気がしてもえは身が強ばる。
事の発端は二週間前に遡る。
■ 二週間前 ■
夕方、日が落ちて間もなくの頃…神が城を訪ねてきた。
Deuilに話があった様子なのだが、意外なことに彼は自分にも話があるという。
一先ずDeuilの三人に口を挟ませないようにと神は二人で客間に移動することを提案した。
客間のソファーに腰かけた神は事のあらましを語る。
「……と、言う訳でだな…」
「………。」
「って…オイ、もえ。
聞いてるか?」
「お話の内容は理解、しました。
…しました、けれど……」
聞いた話を要約すると…
二週間後にポップンシティ迎賓館にてパーティが催される。
それはこの国…メルヘン王国の国王、王妃夫妻やホワイトランドの国王、王妃夫妻など近隣諸国のトップや重鎮を招いているそうだ。
そんな重要なパーティに本来この国の国王になるはずであった吸血鬼族の長であるユーリを参加させない訳にも行かず。
その話をしに出向いたのだが、当のユーリはDeuilとして参加することに加えもえを伴っての参加を絶対条件として神に打診したらしく、その話し合いの最中に呼ばれた…と云う訳である。
「わたしには…荷が重い役目です…」
「…俺はそー言うと思ってたけどなァ…。」
困った様子で神は頭を掻きむしる。
「…何とか頼めねぇか?
ユーリが来ねぇのは何かとマズイんだ。
メルヘン王と王妃だけじゃねぇし
一部メディアも来るからよ…。」
「…………。」
『メディア』
その一言にもえは言葉を詰めた。
「あ!すまん!
メディアつっても俺様が監視するから
心配は要らねぇよ!
ウチのミミ、ニャミ、ポエットも参加させるつもりだし、他に見知った顔も何人か居るはずだ。
とりあえず、アイツらと一緒なら幾分気も紛れんだろ?
だから頼むよ、もえ!
な、な???」
食い下がる神にもえは気まずい思いを抱く。
「…で、でも……ドレスとかないですし…
そもそも用意なんてできません。」
「ん?去年王妃から貰ったのがあるだろ?」
「ま、まさか!!
1度公の場で着たドレスで行くなんて…!
何年も経っているならまだしも
去年と同じドレスだなんて…とんでもない!
それこそユーリさんの顔に泥を塗る行為ですよ!」
「…そ、そういうもんか??」
「そういうものです。
…貴族の皆さんもいらっしゃるのでしょう?」
「ああ、まぁ…一部招待してるな。」
「…ならば尚更です。
わたしは庶民でもユーリさんは貴族なのですから…。
『Deuil』のリーダーであり『公爵』ともあろうお方が…仮にも『パートナー』として隣に立つ者に恥ずかしげも無く去年と同じドレスを着せて来るのか。と…他の貴族の方々に笑われてしまいます。」
「…そ、そうなんか…。
勉強不足で悪ぃな…」
「庶民の身では『公爵様』の隣に立つ者としてのドレスの用意なんて、簡単ではないのですよ?」
「す、すまん。
いや、しかしだな…!?」
「…解っています。
MZDさんにも、ユーリさんにも
お立場とお役目と云うものがありますものね。」
「…お、おう…。
相変わらず理解が早くて助かるぜ…。」
「…………。」
「ほ、褒めてんのっ!」
「……何も言ってないじゃないですか…。」
「今の表情!
調子良いヤツだとか思ってたろ!」
「………まぁ…否定はしませんよ。」
「ほれみろ!」
「……わかりました…承ります…」
もえは呆れたように溜息と共にそう零して諦め渋々承諾するしかなかった。
■ ■
結局ドレスやシューズ、その他小物の類はDeuilの三人が全て用立ててくれた。
話し合いの後承諾を取り付けたことを神が三人に報告し、それを受けたユーリはその日のうちに古くから利用しているというオートクチュールのデザイナーを城に呼びつけドレスのオーダーを依頼したが二週間でゼロから仕立てをするのは難しいとの事で既製品を手直しする方向で話は進み。
すっかり自分の好みを把握している三人によってあれよあれよという間に候補が絞られ、その翌々日には候補の品を持ってデザイナーは再度城を訪ねてきた。
身長に合わせて丈を変えたり装飾を追加したり。
何度も試着し、着心地や動きやすさのチェックも入念に重ねた。
デザイナーが立て続けに2、3日通いつめて完成した薔薇色のプリンセスラインドレスは彼女の白い肌がよく映えると共に、あちこちにふんだんにあしらわれた生成のレースが更に上品な彩りを添えていた。
それは文句のつけようもない程大変好みの…実に可愛らしいものとなり結果『素晴らしい』の一言である。
今日の兄二人の反応はいつにも増して甘い。
スマイルに関しては『ガラスケースに閉じ込めて外に出したくない。誰にも触れさせたくない。』などと不穏なことも口走っている始末である。
神が国王に馬車…もとい竜車の貸し出しを依頼し、ユーリ城までの迎えを出させた。
王家を顎で使う神も神だが
それを二つ返事で快諾したメルヘン国王、王妃夫妻の器の大きさに恐縮する。
神から待合室だと説明を受けた一室には見知った顔ぶれが揃い始めている。
どうやらこの部屋はメンバー用に手配した様だ。
豪華で美しいドレスやアクセサリーを身に纏い、豪奢な迎賓館に佇んでいるとまるで夢の中に放り出されているかのような錯覚に陥る。
レディ・メアリーの時とはまた違うが…あの時と似た心境もある。
このようなことはもう無いだろうと思っていたのに…。と無意識に表情も強ばり溜息が零れた。
そんなもえの様子を見てか、三人は顔を見合わせるばかりだ。
「「「…………。」」」
視線で無言の会話を交わした後、ユーリがもえの方へ踏み出した。
「…モエ。」
静かな呼び声にもえは顔を上げ、ユーリを見据える。
「はい、何でしょうか。」
彼女のその立ち姿は美しく、如何に神経を張っているのかがよく分かる。
「少し座ってはどうだ?
気疲れで倒れてしまうぞ。
その様に気を張らずとも良い。」
「…そうもいきません。
錚々たるゲストの皆さんが招待されているのですし、わたしは場違いもいい所なのですから…」
「そのような事はなかろう。
私がパートナーとしてモエを指名をしたのだから胸を張って隣にいてくれれば良い。」
「ユーリさんの評価は大変有難いですが…」
やはり暗い表情でもえは視線を落す。
不安はそうそう拭えないのだろう。
ユーリはならば。と告げてもえの左手を取った。
「……?」
ユーリは徐ろに胸ポケットから何かを取り出すと不敵な笑みを浮かべて『お守りだ。』と囁くように告げ、もえの薬指にそれを填めた。
「わ、綺麗…
ユーリさん、これは…?」
それはとてもシンプルなシルバーのリングだ。
緑、赤、白、青の小さな石達が1列に並んで輝き彩りを添えている。
「言っただろう?『お守り』だ。
そして私も持って居るのだが…
こちらはモエが填めてくれまいか。」
ユーリが手にしているリングは明らかに自分の指に填められたそれと対を成すデザインであり…そのリングの意味を察したもえが顔を赤く染めた。
そしてそれを見たユーリは大変満足そうに微笑む。
「解るだろう?
これは互いに身に付けて初めて意味を成す『お守り』なのだよ。」
「お…お守り…って…」
「主に『虫除け』と『魔除け』の効果が期待出来るな。
特に『虫除け』としてはこれ程までに効果的且つ優秀な代物はあるまいよ。
どんな愚者にもこのリングの意味くらいは伝わるであろうからな。」
悪戯を企てた悪ガキの様に嬉々とした表情を見せるユーリにもえは開いた口が塞がらない。
「………。」
呆然とするもえを前に微笑んだユーリはもえに顔を近づけて囁く。
「真面目な話、私のリングには通知機能が備わっている。」
「…つ、通知?」
「そうだ。
モエのリングと半径15m離れると通知される仕組みだ。」
「半径、15m?…って…!!」
「パーティルームはおろかこの部屋を出るまでもないな。」
「お、お化粧直しの時、困るじゃないですか…!」
「無論、その際には近くまでお供する事になるか…或いは誰かに付き添いを頼むとする。」
「そ、そこまでなさらずとも…」
「各国の重鎮が集う場故、油断は出来ぬよ。
モエをこの場に連れ出したのは私の我儘だ。
しかし、モエには相当窮屈な思いを強いる事になってしまって大変申し訳ない。」
「そ、それは構わないのですけれど…
…ただ…それでわたしはお役に立てているのですか?
寧ろ余計な負担だけが増えている様に感じるのですが…。」
「負担など、とんでもない。
モエには感謝してもしきれぬよ。」
「…本当にそう、ですか…?」
「我が姫君は疑り深くて困るな。」
「疑っている訳ではありませんよ。
…でも…何故わざわざわたしを同行させたのですか?
メンバーのお二方だけで充分良かったはずでしょう?
こんな事までしてわたしを同伴させる意味が正直分かりません。」
折角彼女の愛らしい笑顔を引き立たせるために、そして堪能するために三人で選んだドレスだと言うのに、肝心の彼女は暗い表情ばかりで裏目に出てしまっている。
「…やれやれ分かった、降参だよ。
その『理由』を正直にお答えするとしよう。」
ユーリの言葉にもえは顔を上げた。
対して彼は真面目な顔をしてその目を伏せると至って真面目な声で重く口を開いた。
「…実は…」
「はい。」
「美しく着飾った姫君を皆にお披露目したくてな。」
「……………はい?」
「昨年のクリスマスはまだ恋人未満であっただろう?」
「え……ええ…そう、ですね……?」
「しかし今は晴れて恋人となったでは無いか!
王妃にも散々遠回しにせっつかれていた故
これは是非ご報告も兼ねてと思い…」
「…………。」
「何よりも私自身が最愛の姫君と僅かたりとも離れるなど…苦痛の極み!!
…と、まぁ…このような理由なのだが…?」
「おっ……
お戯れも大概になさいませっっっ!!!!」
珍しいもえの大声が部屋中に響き渡ると共に水を打ったような静けさと周囲の視線が集中した。
傍らで笑いを堪えていたスマイルと苦笑を浮かべて見守っていたアッシュももえのその声にピシッと姿勢を正す。
「… 戯れなど…。
滅相もございません、我が姫君。」
白々しい表情で優雅に一礼して見せるユーリを前に
もえは恥ずかしいやら悔しいやら…そして嬉しいやら…と、感情が忙しい。
「もぉ〜〜ー…!!!!
知らない〜〜〜っっっ!!!!!」
真っ赤になった顔を隠すようにしてもえは踵を返し扉へと駆け出した。
「あ…!!姫っ!?」
「ちょ、ドコいくの〜!?」
それを追いかけようとした二人の前にミミとニャミが立ちはだかり腕を広げる。
「「おっと!!ココはあたし達にお任せっ☆」」
見事なコンビネーションでウィンクをキメた二人はその身を翻しもえを追いかけて出ていった。
「………ユーリ…。
流石に揶揄い過ぎっスよ…」
「そうか?
しかし揶揄ったつもりは毛頭無いのだが。」
「…ユーリにとっちゃ全部本音だもんネ。」
「ああ。そうだな。」
「……はぁぁぁ……」
「…ヒヒヒ…アッ君苦労するネ。」
「ほぼアンタらのせいでしょーが!」
「…ヒヒヒ…」
此度、神が催したパーティは近隣各国のトップや重鎮を招いているにも関わらず、不思議なほど穏やかでアットホームな空気が満ちている。
正に『無礼講』と云う言葉を体現していた。
しかしそんな会場の空気にもやはり張り詰めさせていたままのもえがやようやっと僅かに気を抜けたのは、メルヘン王国王妃のお陰であった。
王妃はミミやニャミ、ポエットを伴ってDeuilともえの所へ出向くと口元に扇子を添えユーリに向かって笑みを浮かべ…
『それではユーリ様。
暫しの間愛しの姫君をお借りしますわね。
代わりに…と言っては何ですが、あちらで王が独り寂しくしておりますゆえ、話し相手をして差上げてくださいな♡ふふふっ。』
…と、悪戯な笑みで楽しそうに告げ
連れ立って料理を楽しみに向かったのだった。
その後ユーリは王妃に言われた様に王の元へ出向いたが、その際アッシュとスマイルも各々どこかの誰かに声をかけられていた様だ。
ユーリは暫しメルヘン国王との雑談を楽しんだが王が別の相手との雑談に入ったタイミングでその場を離れ、アッシュとスマイルの元へと合流した。
ユーリは勿論だが他の二人も各々雑談の最中ももえの方をチラリと見遣りながら彼女を見失わない様に気を張っていた。
『…どんな手を使ったか知らんが
日本の薄汚いマスコミが紛れ込んでやがる。
ターゲットはお前らDeuilとお姫さんだろうな。…さしずめ熱愛報道関連で直撃インタビューが狙いってトコか…。
摘み出す事も考えたんだが
問題起こしてもねぇのにそれも出来んだろ?
だから泳がすが特にお姫さんの方は気を付けろ。』
王妃がもえ達と連れ立った直後、見計らったかのようにやってきた神が手短に、小声でそう警告して行った。
賑やかだが穏やかな雰囲気の会場を鋭い視線で見渡す三人には異様な緊迫感がある。
何も無ければそれに越したことはない。
しかし…何か事が起こり彼女が傷付き悲しむ事だけは是が非でも避けねばならない。
その思いは三者共通である。
彼女たちは今、会場の隅に集まり楽しそうに談笑している。
もえの傍には未だ王妃とミミ、ニャミ、ポエットがいる為か、周囲はやや距離を置いている様子だ。
特に王妃と言う存在の影響力は大きく周囲は気軽に近寄ることも話しかける事も躊躇われている様子が見て取れたが、それを逆手に取ってタッグを組んだ王妃とミミ、ニャミの三人には脱帽だ。
何の話をしているのかは分からないが
もえはほんのりと頬を赤く染めてはにかむように微笑んでいた。
「…良かった。
ちゃんと楽しめてるみたいですね。」
奇しくも同じ事を考えていたらしいアッシュが零したその言葉に、隣のスマイルが穏やかに笑って『ダネ。』と相槌を打つ。
見たかった笑顔がようやっとお目見えした事にアッシュとスマイルは素直に喜んでいる様子だ。…勿論ユーリも、であるが。
少しばかり安堵してユーリは手にしていたシャンパングラスを傾けた…その刹那。
「ユーリさん、少しお話よろしいでしょうか?」
背後から声がかかりユーリが振り返ると、そこには神が警告してきた人物の姿があった。
パーティホールを横切る様にしてつかつかと足早に歩を進め、ユーリは真っ直ぐに目的地を目指す。
目的地とは勿論、愛しい姫君の元である。
どうやら王妃は挨拶回りに戻ったようで、もえはミミ、ニャミ、ポエットと共に雑談をしていた。
「すまない、モエ!」
「え…?」
ユーリの声が聞こえたと思いきや、彼の右手がすぐ横の壁に当てられもえは壁際に追いやられた。
これはいわゆる…
【壁ドン】と云うやつである。
「え…えっ??……えぇぇぇぇ…!?
どっ…どう…なさったんですか…??」
奇しくもリアルに体験する事となった鉄板トキメキシチュエーションに顔を赤く染めたもえは混乱しつつもユーリを見上げた。
必然的に上目遣いになるもえを目にしてユーリは彼女の耳元に顔を寄せる。
…それは吐息がかかる程の至近距離。
一連の様子を目の当たりにした周囲…特に女性陣も驚き思わず顔を赤らめて固まっている。
…『この後に起こるであろう事』…に大いなる期待を含めた眼差しを携えて目を離せずいる。
もえはユーリの大胆な行動に一体何事かとやや取り乱しかけていた。
「…厄介な相手に追われている。
申し訳無いのだが…暫し合わせてくれまいか…」
耳元にそう囁かれて彼の背後をチラリと見れば兄二人と見知らぬ男性がこちらに向かって来ていた。
もえは辛うじて落ち着きを取り戻し、小さく頷いていつもの調子で微笑む。
「えと……どうなさいましたか、ユーリさん?
お疲れになりました?」
「ああ。少しばかり酔ってしまった様でな。」
「…あらまぁ…お酒には酔わないはずでは?」
「何事にも例外はあるものさ。」
「珍しい事もありますのね。ふふっ。」
ユーリは壁についた手を降ろし彼女の首筋に顔を埋めてそのまますっぽりともえを抱き竦めた。
相も変わらず小さく華奢で愛らしい彼女は、容易に腕に収まってしまう。
「…ああ、とても落ち着く…。」
城へやってきた頃は見るからに窶れていたが、今は見た目にも随分ふっくらとした上血色も良くなったものだ…と感慨深い。
「…ゆ…ユーリさん…?
さ、流石に…皆さんがご覧になって…」
「構わぬ。」
ユーリは徐に左手でもえの左手を取る。
「この様に目に見える形を取っているではないか。
…何か問題かな?」
「た、確かにそうでしょうけれども…そ、その…」
素でしどろもどろになるもえをユーリは畳みかけに入る。
「…それともお嫌だったかな?
愛しい我が姫君よ。」
ユーリのその表情は作ったものと呼ぶには余りに優しく、切なく。
もえは胸が詰まるような思いに駆られた。
「…嫌、だなんて…
そんなことは全くありません。」
彼女のその表情はまだ互いが一方通行であった頃の様に、どこか寂しげで酷く儚い表情だった。
不意打ちのように庇護欲を掻き立てられたユーリは改めて彼女を抱き竦めると小さく告げた。
「…そうか…………良かった…。」
思わず零れ落ちた本心が小さく響いて消えると共に、ユーリの背にはもえの華奢な腕が回されていた。
その手は一度軽く握られたが直ぐにまた広がり背に添えられる。
恐らく強く握ればジャケットに皺を作ってしまうと言うことに配慮したのだろう。
そんな所も実に彼女らしく愛おしい。
きっと朝露に濡れる薔薇の花の様に瞳を潤ませ頬を赤らめ…
さぞかし愛らしい表情が拝めるだろう。
…そんなことを考えながら腕の中の彼女の顔を覗き込んだユーリは思わず息を呑む。
何故ならそれはユーリが想像すらしていない表情だったからだ。
「…モエ……何故、泣いている…?」
「………え……?」
どうやら彼女は自覚が無いらしい。
しかしその涙は止めどなく溢れてはその頬を濡らしていく。
「…え……あ、ほんと…なんで…」
やや混乱した様子の彼女の顔を己の胸に押し付けてユーリはもえの身体を抱え上げ、ミミとニャミには神への伝言を託すと待合室へと引っ込んだ。
Deuilともえを乗せた竜車は星空を優雅に駆け、城へと向かう。
ユーリは隣で自分にもたれかかって寝息を立てるもえの肩を抱き寄せて未だうっすらと残る涙を拭った。
「…ずーっと無理してたのカモネ…」
「ですね…。
ただでさえ毎日気を張ってますし。」
ユーリとの関係を公にしてからの彼女は城の外で心休まる場面が極端に少なかった様子を目の当たりにしてきた。
それを知りつつ今日彼女を同伴させた事はユーリの我儘に他ならない。
否…正しくは『Deuilの我儘』と云うべきか。
『Deuilリーダーの恋人』と云う立ち位置は彼女にとって過酷を極めている。
今日のパーティに関してはもえがこの様な事態になった事で執拗な日本のマスコミを巻くことは出来たが、今後の事となると問題は山積みだ。
だからと言って彼女を城に閉じ込める訳にも行かない。
そもそも彼女はそんな事に甘んじるような性格では無い故、強い反発を受けると共に大きく揉めて…また『城を出ていく』等と言い出し兼ねない。
だが事実としてこのままでは彼女の心身を追い詰めるだけだろう。
「…お前たちはどうするのが得策だと思う?」
「「………。」」
珍しく頭を抱えるユーリにかけられる言葉など、アッシュやスマイルに持ち合わせているはずもなく…重い沈黙が立ちこめていた。
その夜、遅くに神が城へやって来たが…
その際ユーリは竜車の中でアッシュとスマイルに投げかけた質問を神にも投げかけた。
神妙な面持ちでかなり参っているらしいユーリを前に神は珍しく弱気な事もあるもんだ。と思ったが、ここしばらくの様子を見て察するに無理からぬ事だろうか…と思い直して『ミミとニャミ、それからポエットから少しばかり話を聞いたんだが…』と
4人が会場を出た後の話を静かに語り出した。
控室に移動した後、暫くしてミミ、ニャミ、ポエットがやって来た。
彼女らは神に言われてユーリを呼びに来たと言う。
しかしユーリはもえを置いて行くのを酷く躊躇い渋ったがそこは神も理解が深い。
レディ達が『あたし達がついているから行って!』と促し、更にもえにも『大丈夫だから行ってください。』と背中を押され渋々とパーティ会場へ戻った訳だ。
神が語ったのは、その間の話だと言う。
「結論から言うとだな。
あいつらの話から推測するに…今日の件は悪い意味での涙じゃねぇって事だ。」
「悪い意味ではない…?」
「ああ。
…確かに日々不安がある事は本人も言っていて間違いないらしいが…今日のはちと違う様だ。」
出された紅茶を一口含んで神はユーリを見据えたがユーリは黙して神の言葉を待った。
「ようやっと実感して来たらしい。」
「「「…実感…?」」」
「ああ。要約するとそんなニュアンスだったな。
上手く言葉に出来なくてもどかしそうだった…とも聞いている。」
「イヤイヤ、待ってヨ。
実感て何のコト?」
「今、【幸せ】があるって【実感】だ。」
「「「…………。」」」
神のその一言に三人は思わず言葉を詰めた。
正直、『思いもよらない』言葉だったからだ。
「大勢の前でユーリが大胆な事をしでかした事には正直肝が冷えたとも言っていたらしいが…それでもあの時、確かに胸の中にあったのは『幸せだと云う実感』だった様だ。
だから、今日のあれは悪い意味の涙じゃねぇってよ。」
ちったァ安心したろ?と神はまた紅茶を啜る。
何食わぬ顔をしているが神とてもえに心配を寄せていたのだろう。
…そんな風にユーリは思う。
神が帰って行ったあと、ユーリはもえの部屋に出向いた。
暗く静かな部屋にうっすらと月明かりが差し込んでいる。
静かにベッドへと歩を進めたユーリはすやすやと寝息を立てるもえの頬や髪を愛おしげに指先でそっとなぞる。
思い出した様にもえの左手の薬指からリングを外して胸ポケットにしまった刹那…瞼がぴくりと動いて徐に押し上げられる。
「…起こしてしまったか…すまない。
気分はどうかな、姫君?」
「…大丈夫、みたいです…」
そう言って微笑んだ彼女は些か疲れた様子が滲み出ている。
ユーリはもえの手に自分の手を重ね合わせて指を絡める。
「モエ。」
「はい…なんでしょう?」
「今日はありがとう。
無理を言って付き合わせてしまったな。」
「………本当ですよ…。
もう、大変だったんですからね。」
「…であろうな。すまない。」
「………冗談です。
ちゃんと楽しめましたよ。
お食事も美味しかったです。」
「そうか…。」
穏やかに笑みを浮かべて組むように絡めた手を握り締める。
「………ユーリさん。」
「何だ?」
「…あの……もう一度、ぎゅってしてくれませんか…?
……会場で、してくれたみたいに……」
彼女が掠れそうな声で零す。
朝露に濡れる薔薇の花の様に瞳を潤ませ
頬を赤らめ…愛らしくも美しい。
思わず彼女に覆い被さるようにして抱きしめれば彼女が息を呑む。
「……モエ…無理ばかりさせてすまない…」
耳元に囁くその声は酷く切なく…もえは先程のようにその背中に腕を回しシャツをキュッと握り締めた。
「……ユーリさん…離さないで…
このまま…あと、少しだけ…」
甘えるようなその声は僅かに震えている。
彼女が自らこのような言葉を口にするなど…滅多にない。
「…姫君の仰せのままに。」
ユーリはそう囁いてしっかりと抱きしめる。
窓から差し込む月明かりがまるで舞台のスポットライトの様に二人を柔らかく包み込んでいた。