【赤い記憶】
城の外で怒号が飛び交う。
不躾で不愉快な足音と共に。
妨げられた眠りに不機嫌を顕にした。
昼夜問わずに押しかける
気狂いの人間たちが出て来いと喚く。
連日の奇襲に辟易して
城には対人間用結界を張ってあるからだ。
何がそんなに奴らを駆り立てるのか…と呆れながら
バルコニーから飛び立ち
わざわざ奴らの目につく場所に出てやった。
そもそも…
こちらは何もしていないと言うのに
何故このような面倒な事に発展したのだろうか。
…などと悠長に考えながら。
『いたぞ!アイツが吸血鬼・ユーリだ!!』
『皆の者、一斉に放てっっっ!!』
掛け声と共に大量の矢が向かってくる。
表情一つ変えることなく下らないと吐き捨てた。
『……見くびられたものだ。
こんなもので
この私に傷一つでも付けられると思うたか…?』
背中の羽を大きく広げて小刻みに揺らせば空気が震えた。
それは超音波となって広がり
向かってくる無数の矢を粉々に砕く。
『怯むな!放ち続けろ!』
『…愚かな…。
何度やっても同じ事。』
やがてその矢が尽きたのか攻撃が止まった。
打つ手のなくなった人間達は恐れ戦き
蜘蛛の子を散らすようにして退却を始める。
『…浅はかな…』
彼は思う。
見せしめにしておくのも悪くない。
……と。
そして風を切る。
それは一瞬の出来事。
群れを成して逃げ出す愚かな人間達は
次々に真っ赤に染まり倒れて行った。
赤い月が丘を不気味に照らし出す。
月明かりのそれとは違う赤が丘を染めていた。
辺りはすっかり静寂に包まれ…
そこに佇む恐ろしい程に美しい吸血鬼は
赤く染まったその手の指先をぺろりと舐めた。
『………ああ、不味い。
やはり、人間の血なら雌に限る。』
夜風が銀糸の髪を揺らしていた…。
遠くから声がした。
柔らかく、愛らしい声だ。
自分の名を呼んでいるようだ。
「…さん…
ユーリさん。
起きて下さい、ユーリさん!」
その声にはっと意識が鮮明になる。
目を開いたそこに居たのは…
「………モエ…か…?」
「お目覚めですか?
…大丈夫ですか…?」
ベッドに起き上がり辺りを見渡した。
ここは自室の様だ。
些か混乱しているのか
状況を掴むまでに十秒ほどかかった。
「…ユーリさん…?」
どこか不安そうなその声にユーリはふと笑う。
「……いや…大丈夫だ。
起こしに来てくれたのか。」
「はい…。
朝食の時間です。お二人もお待ちですよ。」
「ああ、わかった。」
「…あの…お加減よろしくないのでは…?」
「何故そう思う?」
「魘されてらしたようでしたので…」
「……魘されていた…?」
「はい。少々。」
「そうか…。
確かに夢見は最悪だったな。」
そう言って自嘲する。
「…お疲れなのでは…?
お忙しいとは思うのですが
しっかりお休みになった方が…」
目の前の少女は相当心配を寄せてくれているのだろう。
不安そうにその瞳が揺れている。
「………これが同じ『人間』か……」
「え……?」
思わず口にしてしまってユーリは苦笑し
いや。と首を振る。
当然ながら今のこの手は血塗られてなどいないが…
夢…否、あれは過去か。
その中では確かに赤く染まっていた。
「……すまない。心配をかけてしまったな。」
「い、いえ…」
「………モエ。」
「はい?」
「………ありがとう。」
驚くほど自然にそんな言葉が口をついた。
そして彼女はみるみる顔を赤く染める。
「いっ……いいえ!わたしは…何もっ!!」
恥ずかしそうに…嬉しそうに俯いて彼女ははにかむ。
とても、とても愛らしい。
「モエ、一つ…頼みがあるのだが…」
「何でしょうか?」
「……少し、抱きしめさせてくれまいか?」
「…え…えぇぇぇっ!?」
「嫌か?」
「いっ………嫌ではない、です!
け、けどその…っ!!」
嫌ではない。その言葉だけで充分だった。
些か乱暴にその華奢な身体を引き寄せて
しっかりと腕の中に収めた。
「…っ…ゆ、ユーリさん…っ!?」
「……すまないが…少しこのままで。」
混乱する中でも彼女は大人しく抱き込まれていた。
どうやら彼女は何かを感じ取った様子で怖ず怖ずと自分の背中に腕を回してきた。
…全く、洞察力が鋭い娘だと感心する。
「……何も…お役に立てずに、すみません。」
「何を言う。
こうして…
充分力になってくれているではないか。
助かっているよ。
………ありがとう。」
何故彼女にはこんな言葉が言えてしまうのか。
何故『人間』と理解していながら…
心を溶かしてしまうのか。
その答えは……既に自分の中にある。