煉獄の勇者地獄を見た。
煉獄の炎に焼かれ、果てていく。
そこにただ一人立っていたのは異界の勇者。
──ただ、戦うために存在していた
「パリスさん、あなたは任意行動で。なお、あなたの兵の指示はこちらで行います」
事務的な口調で軍師が男へ告げる。
(兵なんてもんじゃないけどな……)
男が従えていたのは無頼漢の衆にも等しかった。
男はヴァルム大陸の果ての島にて武者修行といえる鍛錬を行ってきた。そこへ大陸中、果ては隣の大陸イーリスからも強者たちが噂を聞き、集結した。
『蒼炎の勇者』
その末裔が男のことである。少なくとも男は自らそう名乗りを上げていた。
それは数ある伝承のうち、華々しい英雄譚として有名な伝承上の人物である。遙か昔、何処の大陸であるテリウスにて救国、救世の英雄として讃えられてきた人物だ。
始めはただの傭兵だった。しかし、亡国の姫と運命的な出会いを果たし、奇跡的な強さで幾多の戦場を駆け抜け、勝利を導き、ついには祖国奪還を果たす。
救国の英雄として讃えられた彼は、さらにその強さを以てかの大陸の危機すら救う。女神に与えられた力を以て、もう一人の女神の裁きからヒトの未来を勝ち取ったのだ。
蒼炎とは、女神の力であると、彼の瞳、戦闘衣などからの印象を称したものとも、その佇まいを称したものとも伝えられている。
天空を駆けるかの如く鮮やかな剣技を具え、その強さは文字通り一騎当千であったという。
──最強
ただその一言で称される勇者であった。
男はその勇者の末裔という。
男の瞳、髪の色は伝承の中の勇者像と似通っていた。書物に描かれた肖像画とも似通っていた。
そして戦闘力は確かに高く、決闘を申し込まれた相手にはほぼ間違いなく勝利していた。
敗北した相手は男の周りに住まい、男へ再戦を挑むため鍛練を重ねる。それが積み重なり、一つの集落を形成していった。一個中隊程度の規模にはなっていた。
そのような生活を送っていた男の元へ、ある軍隊が参着した。
イーリス大陸より参着した、邪竜ギムレー討伐の名目で進軍するイーリス王国軍だ。
男は辺境の島へ籠もり、鍛錬に明け暮れる日々であったため、世情には疎かった。軍隊と関わりになった経験も少ない。職業としては傭兵にあたるのだが、若い頃に日銭を稼ぐため、日雇いで村などの警護をした程度であった。
そんな男が軍隊と関わりを持つのはこれが初めてといっていい。
何故この軍隊が男の元へ参着したのか。それは、男の周りで形成される戦闘力の高い集団の力が目的であった。
「あなたはあの最強の、蒼炎の勇者の末裔……」
イーリス軍軍師は男へ敬意を払い、交渉を持ちかけてきた。
「そんなあなたの元へ集う者たちは歴戦の兵揃いでしょう。そこでお願いです。確かな報酬をお支払いいたしますので、あなたの名の下に、この兵たちの力をお貸しいただけますか?」
男はどこか釈然としないものを抱いていた。
しかし、世間知らずともいえる男は、交渉ごとが苦手であった。この集団の長という扱いなのだが、男自身には統率者という自覚はなかった。
「よくわからんが……、あいつらが納得すればそれでいい」
そう言い、仲間たちへ声を掛け意向を聞く。
仲間たちは口々に纏まらない意見を交わし合う。
軍属は面倒であるという意見。戦場で力を発揮できる機会であるという意見。金銭を稼げるのであれば願ってもない機会であるという意見。
「うむ……どうにも纏まらん」
男は決定しかねた。
「では、こういうのはどうでしょうか」
軍師から提案を持ち掛けられる。
「我々は道場破りです。あなた方に全力で挑みます。あなた方が敗北したら我々の元へ下る、ということで」
「む……」
軍師は瞳の奥を光らせ、挑発するかのように武器である魔道書へ手を掛ける。
男は自然と臨戦態勢へ入る。
それとともに野次にも近い集落の者たちの鬨の声が上がった。
そして試合のような戦闘が始まった。
それは互いに不殺という取り決めで行われた。
イーリス軍は複数人で単体の敵を個別撃破していくという戦法を得意とする。そしてそれを確実に行える布陣が敷かれていた。男は常に個の力のみを研鑽してきたため、統率のとれた軍隊との戦闘に圧倒されていった。
(蒼炎の勇者は、一騎当千だろう……! 一人で何百何千もの敵を相手に奮闘したんだろう……!)
それは男の信条といえた。
伝承の勇者の戦姿を準えて戦う。
その姿にこそ真の強さがあるのだと信じていた。
しかし、続々と仲間たちが脱落していく。特に指示を出すこともなく個の力を信じ、各個激破してくれるものと思い、己もただ力を奮っていた。
「王手、ですね」
軍師の切っ先が男へ向けられた。
完全なる敗北であった。
男を敗北させた軍師。その策自体が魔法のように思えた。そして、そんな自軍の軍師を信頼の瞳で熱く見つめるのはイーリス王国聖王代理、この軍の最高責任者である。
何物にも代え難い絆で結ばれている──
そう形容できるほどの眼差しであった。
かくして通称『強者の園』の者たちはイーリス軍属となった。
男は指揮権をイーリス軍に委ね、一兵士として迎え入れられた。そうして生活するうちに、この軍の軍師が及ぼす影響力を識ることとなる。
無条件降伏──
不思議とこのような単語が浮かんだ。
そして畏怖すら抱く。
表向きは朗らかで、親しみやすい、そのような人物像だ。自然と身の上話などしてしまうほど。ともすれば、隙すら見える。助言などしたくもなる。
そして、未来の世界を滅亡させ、現世へ降臨したという邪竜と戦う大義名分。
男は、伝承めいた事象へ立ち会えることへは魅力を感じていた。
(これで、本物の勇者になれる)
密かに抱くその思い。
それから男はそれを目の当たりにすることとなるのだ。
本物の勇者──蒼炎の勇者のみではなく、様々な大陸から伝えられてきた伝承の兵たちを──
『魔符』
それは伝承上の兵を現世へ召還する魔力を秘めた札。
召還された兵は『英霊』と称される。
無論、彼らはすでにこの世の者ではない。現界したその姿は実際そうであった姿ではなく、あくまでも伝承として伝えられる姿。概念の具象化ともいえた。
しかし彼ら本人は己を偶像とは思っていない。
軍師は彼らの尊厳を尊重し、丁重に意志の疎通を図った。そして、敵対する対象を明確にし、その力を借り受けるといい、彼らを戦場へ投入したのである。
いよいよ邪竜との最終決戦間近となり、総力戦が行われる。ギムレー軍は大量の兵力を擁していた。イーリス軍もこれまでの進軍により、兵力を増強してきたが、更なる増強が必要とされた。
(猫の手も借りたいってやつか……)
男は己の周りにいた無頼漢の兵すらも必要とされた理由を察した。イーリス軍は己の名声に引き寄せられたのでなく、大量の戦闘力が集結しているという風聞により参着したのであると、薄々は感じていた。
現に、男の個の能力はさほど重要視されず、放置にも等しい状態であった。
「自由に、力を発揮してください」
軍師にそう、にこやかに、爽やかに言い渡された。
「そう、蒼炎の勇者の末裔たるもの、個の力の威力はそれでこそ発揮されるものですよね」
「ああ……」
釈然としないものを感じたが、男としては好都合であった。何しろ、軍属で指示を受け体系立って動くことには慣れておらず、むしろ、規律を乱すであろうとも思っていた。
強者の園の者たちはそれなりに納得はしていたようだ。軍師の軍略に逐一感銘を見せ、自然と従い、軍に取り込まれていった。
(不思議だ……)
指揮系統などという単語に縁遠い者たちであった。男は現象として不思議であるとすら思った。
そして、山脈に分断された難所を攻略する。
どの道を行こうとも敵軍が待ち構えているであろう。分断して進むと兵力が割かれる。しかし、一方へ集中して進軍したところで、疲弊したところへもう一方の道へ控えていた兵に挟まれるであろう。
「心配いりません。我々は一丸となって前へ進めばいいのです」
軍師は確かにそう発言した。
これまで快勝続きで士気が高まっている軍はその言葉に後押されるように、何の疑問も抱くことなく一方の道のみを進んでいった。
自由行動を言い渡された男は、もう一方の道が気にかかり、単独でそちらを歩んだ。
(あれは……)
自軍の兵はそこへいないはずだった。
しかし、敵軍ではない一団がそこにいた。
それは男にとって夢の競演、光景。
伝承上の英傑たちが一同に会して集い、一軍を為している。
(魔符か……)
魔符によって召還された英霊たち。
──生きた人間はいなかった
そして、そこには彼の姿があった。
(蒼炎の勇者……!)
男は実像として現れた伝承の中の勇者を一目でそれと思った。
見紛うことはない。
それは、思い描いたとおりの佇まいであった。
手にしたその剣は金色に輝く剛健な剣。
風にたなびく帯布と外套。
戦場に立つその姿は隙を窺わせない、幾多の戦場を切り抜けてきたと思わせる佇まい。
男はすぐにでも手合わせをしたいと思った。
剣を交え、語らいたいと思った。
探し求めてきた力を目の当たりにし、己に昇華できるだろうかと思った。
求道者の到達点ともいえる、その在り方。
(まずはお手並み拝見……)
飛び出してその戦席へ加わりたいと思ったが、男は堪え、英霊たちの戦いを目に焼き付けようと、静観することにした。
指揮をするのは蒼炎の勇者ではなく、白馬の騎士であった。それはユグドラル大陸伝承の英雄。ある領土の公子であったが、宗主国の命を受け、遠征先にてその命を遂行し、華々しい業績を達したという人物だ。
男はその伝承にはあまり詳しくなかったが、その騎士の姿を目にし、知り得ている範囲で思い出した。
(指揮者でありながら前線に立ち、破竹の勢いで進撃したという、あの……)
その騎士の戦場におけるあり方には興味を持ち、覚えていた。
そうして英霊の一団は先陣を切りつつ指揮を執る騎士の元、進撃していった。
英霊の数に対し、ギムレー兵の数は圧倒的に多かった。それでもさすがに伝承となるほどの強さを持った兵たちで、大多数は難なく切り崩していく。
(おお……流石。伝承に違わぬ強さ)
男は感銘を受け、戦場を見つめる。
その中でもひときわ快進撃をするのは男が祖と仰ぐ勇者。
不沈鑑という言葉がふさわしい。
魔符から編み出された存在だからであろうか、無尽蔵の体力を有していると見えるその勢い。
男は心を震わせた。
やはり、それは個の力における終着点だと確信していた。
男の視線は蒼炎の勇者の元へ偏り、その間に他の英霊たちが力尽き、消滅していたことに気付いていない。
戦闘力は卓越した英霊たちであったが、物量には敵わなかった。彼らは己が偶像であることにも気付かずに、志半ばで破れたと思い、果てていった。
残数が少なくなった英霊たちの一団へ、最後の砦を切り崩そうと敵兵が一局集中する。
(おお……これをどう切り抜けるのか……!?)
男はこの局面を残り少数の精鋭たちはどう切り抜けるのかと、興奮高まる中視線を送り続ける。特に、蒼炎の勇者はどのような力を発揮し、偉業を成し遂げるのであろうかと。
そこへ走る熱気、熱風。
見上げると高台から大砲を放つかのように手を掲げる軍師の姿があった。
(……!?)
男は本能的に危機を察し、安全地帯へ避難した。
そして目に映るのは──
地獄であった。
業火が戦場を包む。
一局集中した戦場へ魔道の炎が打ち込まれた。
最上級の炎魔法。大地を巨大な炎の半球が覆い、対象を閉じ込め、逃さず焼き付くす。
遠く離れ、戦局を窺っていただけの男すら、息苦しくなるほどの熱を感じた。
それはあまりにも威力が高く、範囲が広い。自軍へ被害が及ぶ可能性が高いため通常、用いられることの少ない魔道である。
自軍の人的被害がなければ有用
軍師はこの魔道をそう認識していた。
そして今回、そう判断したため使用した。
自軍の生きた人間に被害はない──
確かに。
山脈の向こうのイーリス軍は得意の戦法が通用し易い布陣を敷き、それが可能である物量の敵軍と対峙し、快勝していたのだ。
そして知らない。
山脈の向こうの地獄など。
断末魔が響く。
最後まで戦場に残った白馬の騎士は炎に焼かれ、断末魔を上げた。そして果てるその時に、彼は最期のそのときも炎に焼かれていたことを思い出したのだ。
彼は宗主国の主に裏切りを受けた。彼は利用され、翻弄され、かつての妻を奪われた上、その主に陥れられ、妻の目の前で炎に焼かれた。皮肉にもこの魔道がそれと同じものであると。
(……なんだ、これは)
頭の回転は良くない方と自認する男ですら、異様な状況であると判断した。
「油を搭載した船をヴァルム軍へぶつけたことはありますけどね。最小限の乗員による決行でしたけどそれでも乗員の救出などは手間でしたね」
ある時の会話を思い出す。これまで軍師が通ってきた道筋、戦略など、半ば雑談として語らったことがある。軍属の経験がない男は軍がどのように動いているのか興味を持ち、軍師へこれまでの経緯とともに聞いた。
「今となれば、もっと効率のいい策があることに気付いたのですが。それは……あなたは知らない方がいいでしょう」
男はその意味が今、理解できた。
──使い捨て
英霊たちもろとも一局集中した敵を焼き付くす。ただそれだけの策だった。
確かに自軍の「生きた人間」には被害は及んでいない。
熱気に包まれる中、男は背筋に凍るものを感じた。
そして目線は再び彼を捜す。
彼は立っていた。
炎の中、舞を踊るように剣を振るう。崩れゆく敵兵をただ沈める。終わらない。戦場に立つ者がいなくなるまでは。
その顔には何の感慨も見えなかった。瞳に光はなく、見据えるのは何処であるのかわからない。口元にすら表情は湛えず、彼が対峙しているのは「無」であるかのように思えた。
それは形容するならば、ただの戦闘兵器
彼が背負ったのは人々の希望ではなかったか。
大義を掲げ、誇りを胸に戦ったのではなかったのか。
人々が焦がれ、永遠に語り継ぐ至高の存在ではなかったか。
それはあまりにも無機質だった。
ただ、用意された役を果たすための道具。
その役とは──ただの殺人。
「……もういい、やめろ……」
男は腹の底から唸るように呟く。
「やめろ!!」
絶叫とともに駆け出し、男は炎の隙間を縫って敵兵を散らし、彼の元へ。
「あんただあんた!」
遂に辿り着く。
「蒼炎の勇者!」
彼が振り下ろした剣を男は己の金色の剣で受けた。凄まじい衝撃を腕に感じた。剣の塗装が粉となって散り、刀身が欠ける。
「俺は敵じゃない! あんたの子孫だ!」
自分でも何を口走っているのかと、男は思った。じりじりと焼けそうなほど熱い。いや、このままこの場所にいたら焼ける。そして死ぬだろう。
「あんたはそんな戦いをする男か!? もう敵は全滅に近い! 追ってまで倒さなくてもいいだろう!」
(……困りますね。このままでは「人間」に被害が及んでしまいます。この策が失敗に終わってしまう)
高台の軍師は男の様子を視認していた。
(もういいでしょう)
そして魔道の炎を止めた。
(……器に望まれた役目など、綺麗なものではないですよ)
男の絶叫を耳に軍師は心中からそう投げ掛けた。
炎が消えたことに気付き、男は高台へ目を送る。すでにそこには軍師はいなかった。
敵兵は戦意消失して敗走を始める。しかし彼の足は止まらない。
「待て! もういいだろ!」
「……止まらない。止められない」
初めて声を聞いた。それは重く腹の底から絞り出されたかのような声。
「止めたいなら、止めてくれ」
無感情に、しかしどこか締念を含んだような。
「……くそ、あんた、何でそうなんだ!」
男は彼の歩みを止めようと彼の振るう剣を己の剣で受ける。
「止まったら、俺はいられなくなる」
「何でだ!」
その在り方は部品を無くした機器のようだった。否、実際にある部位が消失している。
「あんた……」
右腕が。その腕が。
「何で、腕を無くしてまで追尾を止めないんだ! 痛くないのか!?」
彼の激しい猛攻を受け、何度目かで剣を切り返した男はその刃が彼を貫いていたことに気付いた。
そしてようやく彼の歩みが止まった。
「……まだ生きてるとは、しぶといな」
「ああ」
致命傷であるはずだった。
しかし、彼はその痛みも訴えることなく男の声に応じ、意識を明らかにしていた。
男の刃を受け、地に転がった彼は廃棄物のようであった。子供が力の限り遊び、部品が欠けるほどの様態になり、最後には廃棄される玩具。そのような無機質さ。
「生き残ることに特化した技能を要求された」
それは軍師が召還の際、魔符に付与した能力だった。
概念の具象化という魔道の一種である魔符での英霊召還において、召還者の思念を以て働きかけることにより、能力が付与される。それは英雄の元々の在り方に則していれば成功し易い。
「あんた……気付いているのか?」
男は彼を抱き起こしながら問う。
「……ああ。俺は偶像だということは」
通常、魔符にて召還された英霊は己が偶像であることに気付かず、消滅する際にもそれと気付かない。
しかし彼は気付いてしまったのだ。
「どうして」
「……痛くない。痛くないから」
腕が落ち、胸を刃で貫かれても痛みを感じない。
そして、英霊たちはそれを疑問に思うという機能を奪われているはずだった。
「痛くないはずがない」
男は眉間に皺を寄せ、彼の痛ましさを己のものとして感じていた。
そして己の外套で彼を包み、搬送する。
「どうするんだ?」
そう首を傾げ訊いてきた彼は幼さを感じさせた。注視するとまだ青年と少年の境といった年の頃という風貌であることに気付く。
「手当だ。生き残ったのはあんたしかいない。せめてあんただけでも」
「……無駄なことじゃないか? 俺は戦いを終えた。だからもういられない」
──戦うことを止めれば存在できない
それが彼の在り方だった。
概念の具象化である彼は、その在り方に沿って行動する。それが現界する上での原則であった。
「あんたは……非道だ」
軍師の元へ彼の治療を申請しに行った男は開口一番そう言い捨てた。
「ああ、さすがは蒼炎の勇者。生存の願『太陽』を付与したのですが、やはりその在り方にふさわしいものでしたね」
あの惨状で生き残った彼へ軍師は敬意を表した。
「傭兵はかくあるもの。とにかく、戦場にて生き残ることが不可欠。伝承によると、この方は元は傭兵ですよね?」
猛犬のように唸りを上げそうな男をよそに、魔法陣を描く軍師。そしてその魔法陣へ彼を置くよう指示する。
「それにしても、己が偶像であると気付く例は稀ですね。それでも、この方にこれから先も戦うという意志があれば修復は可能ですが」
男は思考を停止させそうになった。軍師の言うことが理解できない。ただ、彼が痛ましいということだけは感じていた。
「部品……腕は拾ってこなかったのですね。困りました。それがなければ修復が困難なのですが」
英霊の素体は魔力の塊であるという。それが欠けると新たに膨大な魔力を注がなければ修復が困難であるという。
「使いものにならんと思って、捨てた。あんたに焼かれたから」
魔法陣に横たわりながらぼそりと彼が呟いた。
彼は魔道の炎で焼け爛れ、機能しなくなった腕を自ら切り落としたという。
男はその事実を聞き、戦慄を覚えた。
「そうですか。それは光栄です」
軍師は己の魔力が英霊を編む魔力に勝ったことに満足し、笑みを浮かべた。
「……あんたら、頭がおかしい」
その遣り取りを耳にし、男は異常性を感じていた。説明がままならないが、人間としてどこか間違えていると思った。
「そうですよ。英雄なんて、頭のおかしい人間がなるものですから」
男は言葉を失う。
「ああ……そうだろうな。大体、ただ殺した数の多い人間をそう呼ぶこと自体が」
天を仰ぎ見ながら幼い風貌の青年はそう呟いた。
「それでも生きたいと願うのはあんたの願のせいか?」
「いいえ、それがあなたの、いえ、人としての在り方です」
軍師はそれが彼の「戦う」という意思表示であることを受け、術を開始する。
<──停止、解>
彼の体が粒子となり分解され、魔力の塊として一つの珠となった。
「このままでは完全修復して復帰させたら現界するのに支障があります。現世の人間へ回路を繋げばとりあえずは魔力供給が為されてその姿を留めることができますが」
軍師の目線がちらりと男を向く。
「よく……わからんが、回復させることができるっていうんだな?」
「はい。あなたの同意があれば」
「……わかった。まだ聞きたいことが山とある。いろいろ問い正してやる」
男の同意を聞き、軍師は術を行使した。
<──修復、再起>
そうして彼は男へ魔力の糸を繋げられ、再び現界することとなった。
「アイク、あんたはそんなんじゃないはずだ」
それが彼へ対する男の問いの第一声であった。
馬鹿なことを言った。男はそう思った。
その在り方など、当事者でなければ解らないというのに。
伝承とは、脚色が含まれていたり、大部分が脚色であったりする。それは人々の理想。耳触りのいい言葉で綴られた物語なのだ。
英霊は伝承を元に性格付けられている。
英霊として現界し、実体化したとしてもそれは偶像に過ぎないのだ。
だが、己が偶像であることに気付いてしまった彼は己が魔力の塊であることを自覚し、その能力を行使することができた。
その身を媒介とし、異界の門を内に開き、当時の彼の経験を己の中に落とし込むことがそのひとつだ。
神竜が異世界に生きていた軍属の者らの子──『時の子』をこの世界へ転移させたのと原理は同じであるらしい。
「回路があんたとつながっている。見えるはずだ」
彼は己の内に落とし込まれた情報を、魔力の糸伝いに男へ見せる。男の脳裏に映像として映し出されるそれは生々しい彼の歴史だった。
伝承として知り得ていた彼の道筋と大きく違うところはなかった。しかし、皮肉な事実が明らかになる。
「なんというか……すまない」
それを把握した男は詫びを入れた。
「いや、知らない方が幸せという言葉があるだろう」
幼くすら見えるその貌に似つかわしくないほどの枯れた言葉であった。彼は男の数倍速で生き抜いたような佇まいだった。
「それにしても……あんた、思ったより小さいな。いや、肖像画に描かれているようななりで間違いないんだが、俺が思うに、あんたが旅立つ頃にはそれより成長しているかと」
男がそう指摘すると彼は口端を結び頬を膨らませて、子供のような表情を見せた。
「ああ……その頃にはあんたくらいの大きさにはなっていた」
伝承の始まりとなる、傭兵として駆け出しの時期は体躯が小さく、それを気にしていたという。有名な英雄譚の一つであるクリミア奪還、その達成時にはそれなりに成長していたが、男の目の前にある今の風貌とさして変わらず。伝承ではこのころの印象を多く語られ、肖像画にもこのころの印象が多く描かれている。
今、男と対峙している彼の英霊としての中身は、英雄譚となる事象を全て通過した、という状態だ。
彼はクリミア奪還後、テリウス大陸人類の存亡をかけた戦いを経る。女神にも挑んだというその果てしなく規模の大きな話もまた、伝承として人気のあるものだ。
しかし、彼に関する記録はそこで終わる。
そして有名な一節がある。
『その後、彼の姿を見た者はいない』
彼のその後については諸説あるが、そのどれもが推測や創作でしかなかった。
「伝承って、結構あやふやなものなんだな。しかし今のあんたを見て、俺ほどの大きさでごついなりっていうのは想像がつかない」
青年と壮年の半ばほどである男は長身で、骨太な骨格に隆々とした筋肉を乗せた体躯であった。
「親父もそうだった。大きかった。だから俺もそれを目指した。そうなりたかった」
彼の瞳に炎が宿った。色という色が初めて宿った気がする、と男は思った。
「あ……あんたの親父さん……」
「ああ……」
彼は己の中に記憶として落とし込まれた父との思い出を浮かべ、郷愁を含んだ顔になった。
その広い背中、比類無き強さ、圧倒的な存在。
彼の剣の師でもあり、道標だった。
しかし、彼の父は志半ばで討たれ、絶命した。
男の中にも、彼が父と過ごした日々が再生された。そして、どれほど彼が父へ憧れ、絶対的なものだと思っていたか察した。
それほどまでに敬愛していた父──
それが、惨劇を招いた。
彼は幼い頃、とある集落にて暮らしていた。
彼の父は妻、彼の母が受けた使命を遂行するため亡命中の身であった。
邪神が封じられていると伝えられた『青銅のメダリオン』。それを正しい所有者の元へ返還することが使命だった。
それを解放せんとするデイン国王アシュナードの手を免れるための亡命だ。
しかし、あるとき遂に捜査の手が彼らの住まう集落に伸び、襲撃された。
そのとき、彼の父は誤ってメダリオンに触れてしまう。
それは常人が触れると精神を狂わされ、暴走するというものであった。
彼の父は追跡兵のみならず、匿われていた集落の住人すらも惨殺した。
彼はそれを目の当たりにした。
そんな父を止めようと決死の覚悟で懐へ飛び込んだ母が父の剣に貫かれて逝った、その場面も目の当たりにした。
その記憶はある時期まで封印されたが、今こうして現界している彼には生々しい記憶として蘇っている。
「そんな事情なんて知らなかったな……」
「そりゃ、そうだ。言わなかったから」
男の中にも映し出されたその光景。彼はそれを語らなかった。ごく身内にのみ語られた出来事であった。
「仕方ない、な」
そう言い、見せる瞳は深海のような底のない深さを感じさせた。
「あんたは……そうやって、割り切って、腕まで落とすんだな」
男は、今は修復され戻っている彼の右腕を掴む。
「俺はただの傭兵だ。その仕事は人を殺すこと」
開かれたその瞳、蒼がただただ冷たかった。
彼の腕を掴む男の手が緩む。
「沢山殺して、生き残ればなれるんだ、英雄と呼ばれる者に」
その瞳に囚われる、囚われそうになる。獲物を喰らう蛇のようだった。
「……あんた、楽しかったか? それ」
男はごくりと唾を飲み、一息吐き出すとそんな問いを投げた。
「たまに、な」
彼の口端が少し上がる。
「狂ってるな」
「ああ」
男は少し失望していた。
焦がれ憧れた、伝承上の英雄。蒼炎の勇者。
不屈の精神を持ち、強大な敵に挑む、個の力を極めた者。
清廉潔白で輝ける魂を持っている。そのはずだった。
「……蒼炎、って何を指すか知ってるか?」
彼は訊く。男はその答えを知らない。伝承に伝えられているものは諸説あるが、そのどれもが正解といえない気がした。
「負の女神から託された力」
彼は己の右手を掲げ、見つめる。
そこまで言うと男も察した。それは『負の気』と呼ばれた力。妬み、恨み、苦しみ、憎悪……この世に渦巻く負の感情。
彼はそれを背負い、肯定し戦った。それを否定し排除しようとする正の女神に談判した。
彼は、誰よりも人間であろうとした。
「親父の仇を討つまで、俺は確かにそれに生かされていた」
復讐心を糧に、鍛練を重ねた。
将として対面した苦難もそれを糧に乗り越えた。
侵略者として敵地を歩み、非難され、生活を踏みにじられた一般民から石を投げられたこともあった。
その手が何千もの命を左右した。
だけど彼は押し潰されずに生き抜いた。
「ああ……あんたは……」
男は感嘆を漏らす。言葉にならない。
「悪い。うまく言えない。俺は詩人でもないし、頭もあまり良くない方だ」
朴訥とした口調。男は言葉を探す。
「あ、そうだな……強い。あんたは強い」
そして単純な言葉で形容した。
「俺の思っていたのとちょっと違った。でも、やっぱりあんたは強かった」
男の言葉に彼は微かに笑みを見せた。その表情は柔らかく、若草のような爽やかさだった。
男もそれを受けてにい、と歯茎を見せて笑った。
「どうしてあんたが伝説になったかわかった気がする」
「そうか。あんたのような奴が生まれるならそれも悪くないな」
少年のようないたずらな笑みを湛え、彼は男へ向く。
「俺の子孫、だろ? あんた」
「へ?」
彼の唐突な切り返しに男はたじろいだ。
「さっきも見せたが、クリミアの内紛時に俺の名を騙り徴兵していた例があってな……。まったく、これだから英雄扱いされると困る」
男は吹き出す。
「お、俺は……っ、蒼炎の勇者の子孫だ……一応……」
「それを本人の目の前で言うか」
男は耳まで顔を赤くしていた。彼はそれを子供のように笑う。
「信じてるんだけど……な、正直わからん……」
「ん?」
彼が首を傾げ男へ目線を送ると、男は語った。
男は幼い頃に両親を失った。老いた祖父に育てられた。
祖父は英雄譚を好み、寝物語として男に毎夜語っていた。男もその英雄譚を心ときめかせ聞いていた。
そして祖父はこの家は蒼炎の勇者の末裔の一族である、と言い出した。その伝承は男が最も好んだものだった。
「爺ちゃん、ちょっとボケてたんだよな」
しみじみと思い出を語る男。
「それで、あんたはどうしたんだ」
「証拠は何もないし、でも完全に可能性がないというわけでもないし」
腕を組み、男は悩ましげな表情で言った。
「とりあえず、蒼炎の勇者って強いだろ。だから俺が強くなれば証明できると思った」
男は拳を握り、力説した。
「あんた……」
「何だ?」
彼は男へ目線を送り、言葉を溜める。
「馬鹿だな」
そして男を単純明快に形容する。
「あ、ああ……」
男はそれを否定することもなかった。自覚はあった。
「大体、俺の子孫とか……俺は子供を作った覚えもない」
彼のその言葉に男は吹き出す。
「あ、あんた……、恋人とか妻とか……」
「ないぞ」
首を数度横に振る彼。
「しかし、わからない。俺もあんたのように」
「え?」
「その後、彼の姿を見たものはいない、って有名な一節なんだろ? 俺の記憶もそれ以降ないんだ。だからその後の俺がどうしたのか今の俺にはわからない」
その一節の後の彼の記憶、その情報は今、英霊として現界している彼の中に落とし込まれることはなかった。
「まあ、この俺は伝承を元に作られた俺だから、それ以降は未知の領域なんだろう」
「……これから、どうする?」
彼が訊く。二人は顔を見合わせる。
「もっとあんたのことを知りたい」
「ああ、いいだろう。これが一番の方法か」
そして彼は剣を構えた。
「……覚悟しろ、パリス」
ニッ、と口元が笑う。
男はこれから綴られていく彼の新たな物語に立ち会えることを嬉しく思った。
そして、彼はどのような死地に於いても、その尊厳は失われることはないのだと確信した。
煉獄に立ち、なお戦い続ける。
しかし、彼は人であった──
─了─