イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    それを恋と知る冷たく張りつめた空気が冬の訪れを予感させる。
    それを感じさせないかのように彼女は剣を握り、体の熱を上気させ、鍛錬に励んでいた。
    小さな傭兵団の長という立場から、一国の命運をかけた軍を率いる立場となった彼女は、より一層鍛錬に励み、将軍の名に負けぬよう努力を重ねていたのであった。
    「アイク、ご苦労さん」
    陣営に戻り、出迎えてきたのは団員の男であった。この男は元宮廷騎士であった物腰が柔らかい男。いつも穏やかな表情だ。三兄弟の長男でもあり、面倒見が良い。
    「ありがとう、オスカー」
    アイクはオスカーから飲料が入った陶器を受け取る。取っ手を持ち、受け取ったが、すぐに両手で包むように陶器を持つ。そのまま立ち上る湯気を顔に当てるように、陶器を顔に近づけた。
    桃色に染まる彼女の頬。
    それは湯気のためか、それとも。
    喉を通る液体は熱く甘い。乳に蜂蜜を混ぜたものだ。
    オスカーは、いつもそれを口にし見せる彼女の表情に郷愁を感じる。そのひとときが居城であった砦にいた頃の光景を蘇らせるからだ。
    成り行きで将軍位に就いた彼女。
    道中、彼女は父を失った。
    傭兵として出陣したのもついこの間の話。彼女の父は生き急ぐように傭兵としての立ち振る舞いなど彼女へ叩き込んだ。
    まだ未熟なまま彼女は父より長という立場を継いだ。
    それどころか、隣国デインに襲撃された祖国クリミアの姫を救出した縁から、祖国奪還の牽引を担うことになる。
    オスカーはそんな彼女へ痛々しさすら感じていた。
    陶器を包むように、優しく握るその手にある細かな傷が彼女へ課せられた使命の過酷さを物語る。
    (君は、とても優しい女の子……いや、女性だ)
    彼女は大人へなっていく。
    大きく印象的な蒼い瞳。それを隈取る長く密度の高い睫毛。それは幼少の頃より変わらない。
    しかし、今は背丈が平均的な男性ほど伸び、肩幅も女性にしては広く、鍛えられた筋を持つ。胸部を押さえつけ固定し、甲冑を身に付けると一見、性別を見誤る者もいるほどだ。

    オスカーの弟であり、彼女の鍛錬相手のボーレはよく「男らしい奴」と称している。初めて対面したときは男児だと思い、取っ組み合いの喧嘩をしたほどだ。
    オスカーはそんな彼女を一目で女児と判断した。
    いつも、控えめに人知れず彼を頼ってくることがある。淑やかとは言い難いが、快活とも言えない彼女。胸の内に秘めた本音を抑えているように思えた。
    口数は多くない。黙々と鍛錬をこなし、父の言いつけを守る。快活で甘え上手な妹の世話を率先して行う。
    「……強くなって、みんなを守れるといいな」
    少しはにかんで上目遣いでそう宣言してきたことがあった。それが彼女の信念の源。
    「アイクは偉いね。でも、みんなを心配させるようなことをしてはいけないよ。無茶をしてはいけない。駄目だと思ったら退くんだ。仲間がいる。任せるということも覚えるんだよ」
    オスカーは彼女の頭を撫で、そう諭していた。彼女は頬を紅潮させ、こくこくと頷く。それが在りし日の光景だった。

    もう頭を撫でることはない。彼女は大人だ。
    「手が冷えただろう? よく温めた方がいい。湯桶を持ってくるね」
    「いや、悪い」
    オスカーの申し出を首を振って断るアイク。
    彼女は「大胆」「無神経」「図々しい」とよく称される。それは長として益を得ようと行動したとき、そう見える。航海中に座礁した先で遠慮なく物資を要求した。借金を重ねる男の肩代わりをした際、容赦なく労働を課した。そんな行動だ。
    しかし、彼女個人への施しは受けることが少ない。
    意識的なのか無意識なのか分からない。あまり物を欲しがらず、何かを得ようともしない。望むものはそうないとでも言うようだ。
    ──自分の足で立てるから。
    それが彼女の言い分。
    だからこそ、先回りして必要なものをそっと手渡す。自然と立ち、走り回れるように。
    オスカーもまた自己主張をしない性質だ。いつも目を細めて彼女の行動を見守っていた。
    「アイク、汗はちゃんと拭いて着替えて体を冷やさないようにしなさい。あなた女の子なんだから、体を冷やしちゃ駄目よ」
    そう声をかけるのは副長のティアマトであった。彼女へはいつも母のように接する。傭兵団員皆の母のようでもある。
    「いい、今これで温まってる」
    面倒だからと、彼女は温かい陶器を握り抵抗する。
    「……アイク、風邪をひいたら皆に迷惑がかかる。君一人の体じゃないんだ」
    オスカーがじっとアイクの瞳を見つめ、そう諭すと、彼女は陶器を彼に渡し、さっと汗を拭い、着替えに手を伸ばした。それも彼が用意していたものだ。
    そんな光景を目にし、ティアマトは笑みを湛えつつも一息ついた。

    「いい子だ。これで大丈夫」

    昔はその先に続きがあった。
    オスカーがそう言って頭を撫でて微笑む。
    ティアマトはそれを思い返し、遠い昔に思いを馳せた。

    それは穏やかな恋だった。
    当人たちが自覚しているかわからない。
    戦場でも背を貸し合い、助け合い、連携を組んで力を発揮していた。誰と組むよりも息が合うのか、互いの動きがわかるのか、一人が攻撃を的確にいなし、もう一人は体制を難なく立て直す。その行動が約束されていたかのようにごく自然に行われる。何も語らずとも。その連携から敵襲の攻撃を受けることなくかわすことができた。
    (あの子たち、ちょっと似ているところがあるもの)
    ティアマトはそう思う。
    想いを内に秘め、滅私の行動を働く。そんな彼ら。
    (このままでも幸せだと思うけど)
    そう思い、アイクを見る。
    その瞳は幼い頃と変わらない。

    (この子も女の子になれたらいいじゃない)

    想い人の胸に抱かれる幸せ。
    それを知ってもいいと思った。
    「ねえ、おねえちゃん。おおきくなったらなにになりたい?」
    幼い頃、妹ミストが彼女へ投げ掛けた質問。
    「わたしね、およめさんになりたいの。まえからいいなあって、おもってたけどね」
    質問の答えを待たずにミストは己の願望を話す。
    「あのね、このあいだ、教会にいったとき、けっこんしきっていうのをみたから」
    砦からさほど離れていない集落へ訪れたときのことを指す。その道すがら、教会で婚礼の儀が行われていたのを目にした。
    「はなよめさん、白いきれいなドレスを着ていいなあっておもった」
    「そうか」
    アイクは興味がないとでも言いたげに適当な相槌を打った。
    「それでね、わたし、けっこんするのはオスカーがいい。まえはね、おとうさんがいいっておもったけど、それはだめだから」
    ミストのその言葉にアイクは反射的に目を見開いた。
    「ボーレはなんかいやだし、ヨファはちいさいし、シノンはこわいし……だからオスカーがいいの」
    団員の男の名前を正直な理由を付けて挙げるミスト。
    「オスカーならだっこしてくれていいこいいこってなでてくれる。おりょうりじょうずだし!」
    頬を桃色に染め、両手を広げて熱弁するミストだった。
    「……まあな」
    一呼吸おいて同意するアイク。
    そして次第に彼女の頬も紅潮していく。
    抱き抱えられたり、頭を撫でてもらう。密かに嬉しいと思っていた行為だった。寒い日に差し出される甘く温かい飲み物と彼の優しい笑みが嬉しかった。窘められれば素直に従う。無条件に。
    「おねえちゃん? どうしたの? なんでにらむの」
    頬を染めながらも眉を吊り上げてミストを凝視しているアイクだった。しかしミストの眉間辺りへ目線を向け、目を合わせてはいない。
    ミストにそれを指摘され、アイクは口を結んで首を横に振る。
    「おれは……グレイル傭兵団の団長になる。おやじにみとめられるように強くなる」
    「そっか。おねえちゃんはそうだよね。おとうさんからくんれんしてもらってるもんね。すっごくつよくなってボーレとかたおしてね」
    「そうだな。まずはボーレから」
    そんな会話をしていると背後からボーレがやってきた。
    「なんだ? おれがどうした?」
    「あのね、わたし、おおきくなったらおよめさんになりたいんだけど」
    ミストが話題の説明をする。
    「へえ。なんだ? おれ? おれ? 相手」
    ボーレが途中で口を挟むとミストが拳でボーレを叩き、首を激しく横に振る。
    「なんだよっ!ばかやろうっ!」
    「うわーん! だからボーレはいやなの!」
    ボーレが力を加減してミストへ叩き返すとミストが泣き出す。
    「いてっ! なにするんだ」
    「おれはおおきくなったら団長になってボーレをこらしめてやるんだ」
    「なんなんだよ!」
    アイクが手加減なしにボーレの頭を叩いた。
    「ミストはオスカーがいいって言ってるぞ」
    そしてアイクはミストの話を説明した。
    「はあ……兄貴か。くそ……そりゃあ、まあな」
    頭を擦りながらボーレは悔しいながらも納得していた。
    「兄貴は料理うまいし強いしいろんなこと知ってる。背も高い。そんな兄貴がおまえみたいなちんちくりん相手にしねえよ!」
    複雑な家庭環境であったボーレは、弟を含め、自分らの世話をするために除隊までしてきた兄へ信頼と尊敬の念を寄せていた。そのような思いがあるのと、自分より年下の女児への売り言葉に買い言葉でそう暴言を吐いた。
    「ひどーい! ばかーっ、ボーレのばかーっ!」
    ミストがわんわんと泣き出した。
    「どうしたんだい?」
    そんな折、現れたのは通りがかりのオスカーそのひとだった。
    「あのね、あのね、わたし、オスカーのおよめさんになりたいのにボーレがちんちくりんだからだめっていうの」
    泣きながらオスカーに訴えるミスト。
    オスカーは軽くアイクへ問うとどうしてこのような話になったのかを把握した。
    「だめ? だめ?」
    ミストがオスカーの服の裾を掴み、見上げながら訴える。
    「……大きくなったら、そのとき、大事な人が誰かというのを考えるんだ。ミストは今、いろんなことをみんなから学んで一生懸命大きくなるんだよ。それが一番大事だ。私は君が大きくなるまで団にいるつもりだから」
    静かに穏やかに、軽く頭を撫でてミストへそう諭すオスカーだった。
    「はーい」
    ミストは涙を拭きながらこくこくと頷いた。
    それをアイクがじっと見つめていた。

    「ははっ、そういえばおまえ、昔、兄貴と結婚するって言ってたな」
    駐留中、談笑をしている際、ボーレからそのような話題が出た。団員のワユが「運命の人」について熱弁していたことからそのような話題になった。
    「んもう~、それ言わないでよっ、恥ずかしいっ」
    頬を紅潮させてミストが抗議した。
    「でもわかる~。小さい頃、オスカーみたいなお兄さんがいたら好きになっちゃう! 初恋の人だね」
    ワユが目を輝かせてミストへそう言うと、ミストは恥ずかしそうながらも笑んで首を縦に振った。
    「兄貴なら仕方ないけどさ、それにしても真っ先におれは嫌だとかひどくねえか」
    ボーレが眉間に皺を寄せ、息を吐きながら言い放った。
    「だってボーレだもん」
    「なんだよそれ」
    そんなやりとりを見てワユは仲の良い二人だと思った。
    「でも、初恋って実らないって言うね。だからいいのかな。うーん、甘酸っぱい思い出。いいねえ!」
    両手を胸の前で組んでうっとりと語るワユ。
    「そりゃ、実らないよな」
    「えっ?」
    傍らで卓に肘を着き、ただ話を耳にしていたアイクが呟いた。ワユがそれに反応する。
    「ミストの奴、その前は親父と結婚するとか言ってた」
    「わーっ! やめて! お姉ちゃん!」
    顔を真っ赤にしてミストが両手を振り、話を遮ろうという仕草をする。
    「初耳だな」
    ボーレも反応する。
    「ふふっ、わかるなあ。グレイル団長、強くて優しい人だった。あまりじっくり話をする機会もなくて残念だったけど。うーん、手ほどきも受けてみたかった……!」
    ワユが剣を構える仕草をしてしみじみと語った。
    「そっか。ミスト、頑張ろうねっ。運命の人は結構近くにいるかもしれないよ!」
    そして話を締めにかかろうとする。
    「え? どういうこと?」
    そう話を振られてミストはきょろきょろと首を横に動かした。ボーレが半笑いでいた。
    「あとさあ、大将! 大将はどうなの?」
    話題の矛先が自分に向かい、アイクは「しまった」とでも言いたげな表情で、眉間に皺を寄せた。
    「ははっ! こいつが恋とか!」
    ボーレが一蹴してアイクの背をばしばしと叩いた。
    「……ボーレ、おまえが好きだ」
    アイクは目を見開いてボーレの目を凝視し、両肩を握り、そう告白した。
    「はあっ!?」
    その告白にボーレは顔を急に熱くした。
    「嘘だ」
    そして間髪入れずに撤回されてボーレはずるりと卓へ身を滑らせた。
    「大将~!」
    その様子が可笑しくて、ワユは笑いながら指を指す。
    「そういえば聞いたことないよね、お姉ちゃんのそういう話。うん、いつも強くなってグレイル傭兵団の団長になってみんなを守る、とかそういう感じ」
    ミストが昔を思い出し、言った。
    「そういうことだ」
    アイクは背を張り、一言それで締めた。
    「ひゅう~。男前だね! こっちが惚れちゃうよ!」
    囃すようにワユが合いの手を入れた。

    「初恋は実らない」
    そんな言葉が耳に残った。
    その夜、天幕で一人、床に就いたアイクは天井を見上げ、昼の会話と、昔の会話を思い返す。
    (恋って……何だ?)
    ミストが幼い頃、子供の戯れで身近な人物への好意をあらわにしていた。
    それを恋というのなら──
    目の裏に浮かぶのはあの温かな手。その手が小さな自分を撫でる。

    「私は君が大きくなるまで団にいるつもりだから」

    そんな言葉も思い出した。
    大きくなるまで──
    そのあとは?
    急に不安に襲われた。

    心地のよい温もり。それが手に入らない。
    それを思うと胸が締め付けられるような想いがした。
    そんな感情に気づくと彼女は首を緩く横に振る。

    まだ何も始まっていない。
    だから終わってもいない。

    失うことが怖いと思った。
    始まりがあれば終わりがある。
    しかし、始まらなければ終わらない。

    このまま箱に閉じこめて鎖でがんじがらめにして鍵をかけて深海へ沈めてしまおう。
    そして変わらずこの日々を過ごしていく。
    そのはずだった。
    誰にも言えない。

    いつもと変わらず仏頂面で、無愛想で、険しい顔で軍を率いる将軍。前線に立ち、自ら道を切り開いていく。
    今、進んだ道は大きな犠牲の元切り開かれたもの。
    いよいよデイン王都へ攻め入り、罠と疑わしき開かれた王城を陥落させようというところであった。

    そんな彼女の目に焼きついている水死体。それが怨霊のように彼女を襲う。侵略した敵地の領民の恨み言。それもまた。
    直接手を下したわけではない。
    しかし、そうなるよう、軍を動かした責任者は彼女である。

    ベグニオンからデインへ、そしてクリミアへ。それが進路だった。
    デイン国境入りを果たしたクリミア解放軍は、宗主国ベグニオンの後ろ盾を受け、順調に駒を進めた。
    そしてデイン王都ネヴァサへ到達するには、ダルレカを通過する必要があった。
    それを察していたデインは、ダルレカ領主へ命じ、足止めをするよう働いた。
    ダルレカ領主は高台にある水門を開放し、民の生活を犠牲にしてまでその命を遂行したのだった。
    しかし、歩みを止めることはできなかった。アイクは指揮を執り、軍を前に進める。責は負う。領主を討ち、目的が遂行されると、一般市民へは賠償を行った。
    それでも足りぬ償い──

    そうして彼女の心に掛かる暗雲。
    その進軍前にも彼女には重い事実が明かされていた。
    彼女の父が、彼女の母を手に掛けたという事実。
    ミストが持つ青銅のメダリオンに関わる事実を情報屋より明かされた。
    それもまた彼女の心を重く、押し潰していた。
    まだ、誰にも言えない。明かせなかった。
    動揺を抱えたまま、更なる重責を負い、彼女は溜息の回数を増やしていたのだ。気付く者はそう、いないが。

    「……おれ、団長になれるのかな……」

    昔、ぽつりと漏らしたその一言。
    誰に受け止めてもらうつもりでもなかった。
    父からの厳しい訓練。挫けそうになったことは幾度かあった。
    「おれ、男だった方がよかったかな……」
    両手で顔を覆い、臥せ、堪える。
    そうして期待していたのは温もり。

    ──つらい、つらい。もういやだ。

    奥歯を噛む。そんな言葉を漏らさぬように。

    「アイク、辛いことがあったら言うんだ。体調が悪ければ遠慮なく大事をとった方がいい」
    ふと、意識が遠のきかけたとき、降ってくる声。
    いつも先回りして差し伸べられる手。
    進軍前、見回りの際、ふと歩みが止まり、遠くの山を見ていたときのことだった。
    まだ春は先のこと。冷たい空気が視界を透明にしているかのようだった。山ははっきり見える。しかし彼女の脳裏にそれは映っていなかった。
    オスカーがアイクの肩に手を置くと、アイクはびくりと震え、振り返る。まるで怯えるかのように。
    「ない、何でもない。何もない。俺は普通だ」
    そして首を細かく横に振り、何事もないと主張した。
    「……そう」
    オスカーはそっと手を引き、穏やかな瞳で彼女の瞳を覗く。まるで見透かすような視線。
    「今日は大事な局面だ。特に用心して」
    その言葉にアイクはこくりと頷いた。

    叫びたかった。

    苦しい、辛い、悲しい。
    そんな泣き言。
    その胸で泣きたかった。わんわんと子供のように声を上げて。
    しかし、そうしたいという願望に気付いただけで顔面が熱くなる。それができない。我慢する。そうしてまた悲しくなる。
    父親が死んだときも泣かなかった。泣けなかった。
    あの時、無理にでも泣けばよかったと思った。あの時に泣かなかったらいつ泣くというのか。今更泣くことなどできない。泣き方を忘れてしまったのかと思う。
    ただ、心に穴が開いたようで、何も見えなかった。
    どうやって泣けばいいのかわからなくなるほどに。
    伸ばした手が空を切り、虚を感じる。何もない、白い世界。

    その時にも肩に手を置かれた。
    頭を撫でられるわけではない。
    胸を貸してくれるわけでもなかった。
    振り返り、目に映ったのはただじっと目線を送るその人。
    きっと、距離を作ってくれていたのだろう。
    どんな言葉も空虚に感じることを察して、言葉は掛けなかったのだろう。
    でも、

    その距離を飛び越えたい──

    いよいよ敵陣へ攻め入り、激戦を繰り広げた。
    デインの兵は、何か後ろ盾を信じているのか、覇気があった。
    クリミア軍は精鋭を集め、突入を試みたが、周到に仕組まれた遠距離魔法などの仕掛け、増援などにより苦戦を強いられた。
    「アイク、ここは優秀な軍師がいるようだ。君はあまり前に行かない方がいい。特に遠距離魔法で効率的に攻めてくる。将を集中的に狙ってくると思う」
    騎馬で先行して駆け、状況を見渡し、オスカーが報告してくる。
    「ああ、わかった」
    そう返事しながらもアイクは剣を振るい、目の前の敵を次々と倒しつつ、勢いよく前進していった。
    そんなアイクへこれ以上進言しても無駄と言わんばかりにオスカーは再び手綱を引く。
    「アイク! 聞いてるの!? 先に進みすぎちゃ駄目って」
    ティアマトが声を張り上げてアイクを窘めた。
    「……最近、あの子ちょっとおかしいのよね……」
    「え?」
    馬上で呟くティアマトにミストもまた馬上で訊き返した。
    「お姉ちゃんが突撃していくのっていつものような……」
    「そうだけど、忠告を耳から耳へ流すみたいな感じ。聞いてるのかしら……分からない」
    そうしてティアマトも手綱を引き、増援に対処しようと駆けていった。
    「お姉ちゃんが怪我したら私が治すっ」
    ミストも治癒の杖を抱え駆けていく。

    そして不安は的中する。

    遠距離からの魔道の雷が轟く。それをアイクは敵を対処しながら避けていた。そして、いつの間にか見慣れた姿が傍にあることに気付いた。
    冷静に、いつものように連携を行えば、難なく対処できた局面である。
    しかし、彼女は彼の姿を目にしたその時、一瞬意識が遠のいた。その時、自分がどのように思いどのような行動をとったか覚えていないと後で言った。そこに記憶の空白ができた。
    「アイク!!」
    オスカーの声が響いた。珍しい、彼の焦燥した声。
    僅かな呼吸のずれが、魔道の雷を誘引したかのように、アイクはそれをその身に受けた。
    彼の声を聞き、アイクは立ち上がることも忘れた。
    オスカーは必死に襲いかかる敵勢を対処する。折り重なる人の山に埋もれそうな彼女の身を守る。
    「オスカー! ここは私が!」
    ティアマトが駆けてきた。彼へアイクを退避させるよう声を掛ける。ティアマトとともに他騎馬隊がなだれ込み、混戦となった。自軍が壁となり彼らの前へ迫る敵勢をせき止める。その間、ティアマトとともに騎馬で駆けてきたミストがアイクへ治癒の杖を振った。
    「お姉ちゃん!! よかった……!」
    幸い、致命傷には至らなかった。治癒の杖でたちどころに回復する程度の損傷だった。
    「……アイク、君は」
    アイクを抱き抱えていたオスカーが険しい声を出す。
    「すまん」
    簡潔に述べられた謝罪の言葉。相手はその意味もそのこころも察していた。

    彼は、ときに厳しかった。
    特に戦場に於いて、気の緩みや判断の誤りがあれば強く窘める。
    今、こうして彼女が損傷を得たのも彼は、彼女の気の緩みがあったのが原因だと気付いた。僅かな呼吸の乱れ、動き、表情などで察する。

    しかし彼は今このとき彼女を窘めなかった。
    目が合ったのだ。
    そして彼は知る。彼女が見せた表情、それが訴えるもの。

    「この馬鹿! ぼさっとしてんじゃんねえよ! 調子こいて進んでんじゃねえ。足手まといになるだろうが」
    荒い言葉とともにアイクへ蹴りを入れる男。
    「何するのシノン!」
    ミストが抗議する。
    「ちっ、やってらんねえ! せいぜいこの野郎にお守りされてぬくぬくしてりゃあいい。手柄はオレが上げてやる」
    シノンはアイクの襟首を掴み、睨み付け、そう言い放つ。
    そんなシノンの手をオスカーが無言で払い除けた。
    「はっ……オスカーてめえ、中途半端にこいつにかまってんじゃねえよ。二人固まってりゃあ余計に邪魔だ」
    シノンはオスカーの鎧を叩き、音を鳴らして場を離れていった。
    「……まあ、正論だな」
    アイクはシノンの言葉を受け止めて体勢を立て直す。
    「どうした?」
    再び戦渦へ向かおうというアイクがオスカーの目線に気付く。
    「ごめん、アイク」
    投げかけられたのはただその一言。

    ネヴァサ城攻略はクリミア軍の勝利に終わった。
    デイン軍が拠り所としていたのは古のゴルドア竜と呼ばれる、竜鱗族の者の存在であった。軍師として有能なだけでなく、戦闘能力も卓越していた。
    それを辛くも撃破し、勝利を収めたのであった。

    戦闘後、しばしの休息──

    「おつかれさま、オスカー」
    詰め所で休憩していたオスカーへ声を掛けるとともに茶を差し出したのは団員の男。
    「ありがとうキルロイ」
    「珍しく疲れた顔をしているね」
    キルロイは穏やかに気遣いの言葉を掛けた。
    「……またアイクが無茶をしていたからかな?」
    キルロイは自分で運んできた茶を口にしつつ会話を続けた。
    「それにしても顔に疲れが表れるのは君にしては珍しいね」
    「私も修練が足りないようだ」
    オスカーは息を吐きながら返した。
    「……中途半端、か」
    そしてそんな一言を呟く。
    「アイクとの連携は、かなり訓練してきたつもりだったし、実戦も積んできたと思った。私は彼女を……団長を守りきれなかった」
    オスカーは茶を口にし、喉へ流す。
    「少しくらいの失敗は仕方ないよ。でも、戦場では命取りになるね」
    キルロイが合いの手を入れるとオスカーは頷く。
    そして二人の間に一呼吸の間。流れる沈黙。
    「オスカー」
    それを破るのはキルロイ。
    「たぶん、シノンも分かってて言ってた。やってた」
    アイクが倒れ、シノンに罵倒されていた現場を彼も目にしていた。
    「その想いが本物、本当ならまっすぐ、わかるように彼女へ伝えた方がいい」
    真摯な瞳を向けてキルロイは訴える。
    「君もアイクも欲しいと思うことを我慢しちゃうんだ。僕はそれを見ているのが辛い」

    (恋は苦しい)

    苦しめるのは誰?

    「てめえ、ついてんのか? 本当に男か?」
    いつかそう、シノンに絡まれたことがある。
    「その何考えてるか分かんねえツラが気に食わねえ」
    傭兵団内で捻くれ者と称される男。酒が好きで、吐くほど飲む。実際に吐くこともある。人格的に問題のある男だった。しかし、悪人と称する者はいない。
    「オレはてめえみたいなのが嫌いなんだよ!」
    酔うと吐き出されるのは暴言が多い。
    「真面目腐って……」
    「正論だと思ってもっともらしいこと言いやがる」
    絡み酒だ。それはただ聞き流す。
    「気にしてるのは何だ? 体裁?」
    「馬鹿馬鹿しい。そんなもんクソの役にも立たねえ……」
    そしていつしか酔い潰れ、くずおれていく。

    そんな光景を思い出し、彼は思わずアイクの襟首を掴んだシノンの手を払い除けたことも思い出した。
    彼女へ手を出されたとき、心に掛かった雲。
    それを払うように手を払った。

    かつて、恋というものはどういうものか、ということを小さな頃のミストへ説明したことがある。

    「それは、その人のために何かしてあげたい、守りたいという気持ちなんだ」

    守るのなら、心の底から。
    生涯をかけて。
    そう決めていた。

    「口に出して言わないと、わからないよ。女神じゃないからね」
    キルロイが言った。
    「そうだね」
    オスカーはそう返した。

    (でも、女神なんだよね)
    口には出さなかったが、キルロイは心の中でそう言葉を続け、友を応援しようと祈りを捧げた。
    進軍の合間を縫って、今日も鍛錬が行われる。
    緊急時や治療を要する怪我を負っている時以外は欠かさず行われてきたことだ。
    アイクは軍を率いるようになってから、傭兵団以外の人間とも積極的に手合わせを行ってきた。クリミア解放軍は多国籍軍といってもおかしくはないほど、様々な人間が参加していた。その中でより腕の立つ者と鍛練を重ねていった。
    「アイク、もう君の実力は私を凌駕している」
    「何が言いたい」
    昔からともに行ってきた鍛錬。オスカーとアイクは日課として行っていた。アイクは騎乗せず戦闘するため、特に補助としてのオスカーとの連携は有益である。その上でのオスカーの言葉。
    アイクは無意識に眉を歪め、低い声で言葉を返した。
    「私ではもう君の器に足りないと思う」
    「あんたがそんなこと言うんだ」
    手を止め、アイクは下馬したオスカーを見上げ、呟くように言う。
    「……他の奴と組めとか言うのか?」
    その言葉にオスカーは首を横に振る。
    「私は最後まで君の傍で戦うつもりだ。だが、君がそれを不都合というのならそれを退けてもいい」
    アイクの瞳が見開かれた。
    「しかし」
    オスカーはその瞳を強く見つめる。
    「君が私を退けても私は君を護る」
    その視線を受けてアイクは息を飲んだ。そして眉を歪ませる。差し出される手。
    「急に……何だ」
    戸惑いつつもアイクはそっと手を伸ばす。その手には温もり。恋い焦がれた温もり。
    「この間は、君がどこか心在らずのような気がした。どれほど実力があってもほんの少しの油断で命を失うことがある」
    オスカーは握られた手に温もりを感じながら胸の内を語る。
    「君がどんな強者と連携しようとも、同じ」
    「だから私は、君を見失わないようにしたい」
    思わず籠もる力。温もりは熱へ変わる。
    「そ、そうか……」
    アイクは呼吸を浅くしてただ一言漏らした。胸の奥が揺さぶられているのが分かる。
    「俺はあんた以外と組むつもりはない」
    手を握ったままアイクは強く返答した。
    「……あんたはいつまで」
    そして思わず口をついて出るのはそんな疑問。
    「いや……」
    それを口にしてしまい、アイクは顔を熱くし、片手で口を覆った。

    「私は君が大きくなるまで団にいるつもりだから」

    ずっと心の奥に引っかかっていた言葉だ。
    そして彼は今、「最後まで」と言った。
    それはいつ、いつまでなのか。
    そんな想いに比例して籠もる力。握った彼の手の感触は堅いけれど温かい。男の手だ。彼女の手も女にしては節々がはっきりとしていて堅さもあるが、彼ほどではない。それが悔しくもあり、嬉しくもあり。

    オスカーは感じていた。
    彼女が発する合図を。
    今までこの合図を感じていながらも、曖昧な言葉でかわす。諭すように退ける。いや、退く。
    これが「中途半端」だというのか。シノンが投げた言葉が脳裏に響く。
    「責任」だと思っていた。
    そっと陰から見守り、支える。それが役目だと思っていた。決して自己主張をせず、控えめに。己の心より相手のこころ。それは察してきたつもりだった。
    しかし、着地点を掴み損なっているような彼女の様子を目にし、それは無責任ではないかと思った。彼女を翻弄しているかのようにも思えた。

    それは不本意だ。

    「アイク」
    そして踏み出すその一歩。
    「……!?」
    その腕が彼女を抱く。
    「これが嫌なら嫌と言うんだ」
    彼女は放心しつつもふるふると首を横に振る。
    それを確かめると彼は手を引き、人の気がない物陰へ彼女を誘導する。
    「……オスカー?」
    その顔が近付き、二つの陰が重なり、そして唇も重なる。
    「これが恋というものの行く先だよ。さらに先は、もっと責任重大だ」
    彼女の瞼が高速で瞬きする。呼吸は浅く早く。
    「男が女を好きになるということは……傷つけることもあるかもしれない。護りたいと思うとともに欲しいと思ってしまう」
    静かに語られるその情。彼は包み隠さず彼女へ伝えた。
    「いい。それでいい」
    彼女は彼の袖を掴む。
    「……俺もそれが欲しいと思った」
    繰り返し瞬きした瞼。その度、潤う瞳。その瞳を潤すのは胸の中から溢れるように零れる滴。
    乱暴に、それを振り払うように彼女は目を擦る。
    彼は彼女の手を解いてその身を胸に抱く。包む。そして頭を撫でる。
    ふわりと鼻腔に懐かしい匂い。彼女は瞳を閉じて額が触れ感じる彼の体の温かさを一心に感じた。髪を撫でられる感触が心地よい。丹念に触れる指先が見えずとも思い浮かぶ。
    いつしか彼の背に強く手を回し、しがみつくように抱擁していた。
    そっと顔を上げるともう一度唇を重ねる。
    誰に教えられたわけでもなかった。しかし、この行為が心地よい。それを知っていたかのように彼女は角度を変え、何度も彼の接吻を受ける。
    薄く唇を開けると控えめに、しかし食むように彼の唇が彼女の唇を愛撫した。優しく、羽根で触れるように。
    深い角度で首を傾け、奥深くまでそれを望むように彼女は彼に身を任せた。全身が火照る。

    「……嫌じゃない」
    ひとしきり抱擁が済むと彼女は耳まで顔を紅潮させ、口元へ手を遣り、ぼそりと呟いた。
    「よかった。私も、君とこうすることができて嬉しいよ」
    彼は少し笑みながら彼女の肩を軽く叩き、そう言ってやった。
    「なあ、これって」
    彼女は首を傾げ、見上げるように訊く。
    「恋人、同士がすることなんだろう?」
    そんな言葉を発すると彼女はすぐに目線を外すように頭を垂れる。
    「君がそう思ってくれれば」
    彼のその言葉に彼女は勢いよく頭を上げる。
    「そうか。よし、あんたは俺の恋人だ。そうだな?」
    「ああ。私は君の恋人だよ」
    確かな受け答え。
    彼女はその言葉を胸に刻み、何かを得たような顔になった。そして彼の首に手を回して抱きついた。
    「忘れるなよ」
    「忘れないよ」

    (……ぬるい奴らだな)
    舌打ちをしつつ物陰からその光景を眺め、胸の内で毒づいていた男が一人。
    (デキてやがるとは思ったが、今初めてみたいな顔してるな)
    シノンは出歯亀をしていた。オスカーとアイクの様子をそれとなく目で追い続け、何かからかう種でもないかと思っていた。
    (ヤるならそこで舌入れて乳揉んで手ぇ突っ込んで……)
    そしていかがわしい行為を想像する。
    「何してんすかシノンさん」
    「!?」
    夢中になっていたところに突如背後から声を掛けられ、シノンは吹き出した。
    「ガッ、ガトリーてめえ……いいところで邪魔しやがって」
    「何がっすか」
    状況が読めないガトリーは首を傾げて訊いた。
    「ちっ、終わったか……」
    立ち去る彼らの姿を確認するとシノンは惜しそうに呟いた。
    「せっかく、奴らの醜態を拝めるところだったところを……」
    「え?」
    「オスカーとアイク……デキてやがった。今、そこで乳繰り合ってるの見たぞ。本番おっぱじめりゃ面白かったんだが」
    その言葉にガトリーは言葉もなく驚愕した。
    「あいつらあんな真面目くさった顔してやることやりやがるな。まだ始まってないようだが」
    「へえええー……。あいつらが……」
    ガトリーが感心したように相槌を打った。
    「面白くねえか? 今度あいつらがどこかへ二人で消えたらおっぱじめねえか見てみようぜ」
    「ははっ、シノンさん……好きですねえ~」
    ガトリーも興味を示し、同調した。
    「しかしあれはなかなか進まないだろう」
    「それはちょっとつまらないっすね」
    「……よし、いいこと思いついた」
    「何すか?」
    「あのな……」

    そうして、この企みが騒動を引き起こしていくのであった。
    「お姉ちゃん、何かいいことでもあったの?」
    「……別に」
    不意に妹から訊かれる。彼女は決して表情には出さぬよう心掛けていたが指摘された。そしていつもの仏頂面で応える。

    一日の終わりにキスをした。
    秘密に、誰にも邪魔されないところで。
    この恋は誰にも告げなかった。
    「あ、あの……」
    抱擁が済むと彼女は思い詰めたような瞳で彼を見上げ、訴える。
    「ああ、分かっている。秘密だ」
    そして返ってくる彼の答え。それに安堵する。全身が熱くなる。
    頭を撫でられ、手櫛を入れられ、背を優しく撫でられる。言葉は要らなかった。
    しかし彼女は言葉で伝えた。
    「……今日のスープの味、良かった。塩気が効いていてうまかった」
    彼女はいつか彼と会話を交わした際、料理の感想を聞くのは嬉しいことだと聞いていた。それまで心の中で美味と述べても彼には届かなかったその言葉。
    「君は疲労気味だね。塩分を強めにしたんだ。それを美味いと感じるということはそうだ」
    彼の何もかもが先回りだった。それが嬉しくも敬愛の念を抱かせる。
    「あんたは……」
    彼女は言葉を詰まらせながら胸も詰まらせた。
    (やっぱりわかっている。俺の知らない俺のことも)
    向き合って手を繋ぎ合う。そうしながらそんな会話をしていた。

    「……はっ……そこで君の方が美味しいよ、とか言って食うんだろうが普通は」
    「シノンさん、それは……」
    オスカーとアイクの逢引を逐一観察しているシノンとガトリーであった。
    「そろそろちょっかいだしてやるか」
    立ち上がり、シノンは物音を立てないようにその場を遠ざかり、あるものの用意を始めた。

    「おい、アイク。いいか、ちょっと来い」
    逢引の後、自分の部屋へ戻ろうというとき、アイクはシノンに引き止められた。アイクは、自分とは犬猿の仲ともされているこのシノンがわざわざ自分を呼びつけたことを怪訝に思った。
    「何だ」
    訝しげにアイクがそう訊くとシノンは眉を上げる。
    「いつまでまだるっこしいことやってんだ。女ならさっさと決めろ。やりようが幾らでもあるだろう?」
    何のことだ、と言わんばかりにアイクは眉を顰めた。
    「……デキてんだろ? あいつと」
    シノンが耳元でそう囁くとアイクは反射的に鳩尾へ肘鉄を入れた。
    「ぐえっ!」
    「くそ……その反応は、まあ当たりだな。っていうかバレバレなんだよ」
    その指摘にアイクは全身を熱くした。そしてわなわなと震える。
    「なあに、大々的にバラすとかそういう野暮なことはしねえ。もっと面白いことがある」
    「何だ」
    アイクは腹の底から不機嫌そうな声を出す。
    「食っちまえ。奴を」
    シノンのその誘いに目を見開く。

    (あの野郎の醜態を拝んでみてえからな!)

    あの堅物な男が痴情の元に乱れる姿、欲望を目の当たりにした姿を見てみたかった。
    シノンは己の中に渦巻く様々な情を意識し、アイクへ下衆な誘いをした。
    (そうだ、あいつの糸目が開かれて鼻息が荒くなるところがな!)
    そんな想いを掲げ、目の前の女を凝視した。そして鼻の穴を広げる。
    「……、何だ」
    「ち、違げえ、奴だ、奴をだな」
    アイクから返る目線に少したじろぎ、シノンは弁明めいた口調で推す。
    「まあ、ここじゃ何だ。来いよ」
    言われるままにアイクはシノンの部屋へ入った。

    「……どこからどこまであんたは」
    「ああ、おやすみのキスとかずいぶんロマンチックじゃねえか」
    恋人との関係をどこまで把握しているのかアイクはシノンへ訊いた。シノンは逐一観察しており、その経過を述べた。
    「あんた、ずっと覗きをしてたのか……」
    「隙があるてめえらの責任だろ」
    シノンは鼻の穴を広げて見下ろしつつアイクへ返した。
    「まあ、オレは別にそれについてとやかく言うことはねえ。真面目くさったおまえらがデキてるってのはいい酒のつまみにならぁ」
    意地の悪い笑みを見せつつ不機嫌そうなアイクへそう言い捨てるシノン。
    「用はそれだけか? バラさないとか言ってるけどやっぱり皆にバラすとかいう脅しか?」
    睨みつつアイクは警戒心を剥き出しにして訊いた。
    「は……っ、こんな女のどこに惚れたんだか、あいつ。っていうか女って言うのもはばかれる」
    シノンはそう、眉間に皺を寄せて唸るように訊いてくるアイクを指した。
    そう指摘されてアイクは思わず顔を強ばらせて眉を下げた。シノンはそれを目にして僅かに顔の筋肉を動かした。
    「……でもてめえは女だ」
    その言葉にアイクは目を見開く。
    「どんな不細工な女だって乳と穴がありゃあ女だ」
    下衆な言葉。しかしそれが不思議と頼もしく聞こえた。
    「そしてあいつは男だ。わかるか?」
    少し首を傾け、腕を組みつつシノンはそう諭すように言う。
    「掴むんだよ。掴んじまえよ。野郎の竿握って離さないようにしてやれよ」
    その言葉の意味を理解できないほど子供ではなかった。アイクは頬から熱が上がるのを感じる。
    そしてある言葉が思い出される。

    「初恋は実らない」

    一度掴みはした。
    しかしそれが永遠である保証はない。
    一度掴み、得た。その味を知ってしまった。なおのこと離し難い。
    これまでの様々な想いが彼女の胸を去来する。そして自然と両腕で身を抱えていた。こうして抱き締められもした。
    だが、それ以上のことはない。
    責任、という名の下に彼は彼女と同衾することはなかった。
    ただ、温かい抱擁をし、言葉を交わすだけで満足していたはずだった。

    「男ってやつは、焦らしすぎるとすぐ他に目が行って飽きちまう」
    シノンのその言葉にアイクは首を横に振る。
    「あんたと違う」
    「バーカ」
    目を見開き睨み上げながらアイクがそう抗議するとシノンも目を見開いて反論する。
    「そうやって獲物逃がしちまうんだよ。気付いたときには遅せえんだよ」
    そう言われると、今の関係になるまで成り行きだったと思った。なかなか一歩が踏み出せないと思った。
    ずっと想いを抱えて、壊れるのが怖い、失うのが怖いと思い、それならば始まらないまま終わろうとしていた。

    (動け)

    そう言われたような気がした。
    そう思った。

    「どうすればいい」
    そうして口を開き、また歩む。
    「……話は単純だ。迫れ」
    「そうは言うが、どう……」
    惑うアイクへシノンはある包みを渡す。
    「何だ、これは……」
    「男っていうのは単純だ。見た目だ見た目。話があるとか言って密室に連れ込んでそいつを着けた姿でも見せてやれ」
    包みを開け、アイクが目にしたものは薄手の下着だった。それも娼婦が身に着けるような誘惑的な趣向のものだ。
    「あんた、これは……」
    アイクはシノンへ何故そのようなものを持っているのか訊く。
    「……変態」
    そして侮蔑の言葉を投げた。
    「うるせえ。オレ様くらいになれば女が護符代わりにとか言って渡してくるんだよ。どこで流行ってるか知らねえが、戦へ出る男へ身に付けているものを渡すという風習があるとかで。もっとも、商売女にそんなの渡されたって重いし要らねえし」
    これは出鱈目であった。実際は懇意にしている道具屋の女から調達したものだった。

    「あら~、あなた恋人がいるのね。ふふ、じゃあいいもの選んであげる」
    「それはそうと、アイクさん最近色っぽくなったわね。恋をしているのかしら。わかったわ。このララベルさんが一肌脱いじゃう」

    とはその女の言葉だった。
    (ち……あの女……)
    その女には自分の恋人への贈り物と言って見繕わせた。そして最後に付け足された言葉にシノンは苦虫を噛み潰したような顔になる。
    (オレがこいつとデキてるとか思ってんじゃねえだろうな……)
    そんなことを思うと全身が熱くなった。そして勢いよく首を横に振る。
    「どうした?」
    下着を握りしめたままアイクは、挙動のおかしいシノンへ訪ねた。
    「な、なんでもねえよ!」
    「それよりわかったな、そいつで迫れ」
    「……そうか」
    握りしめていた下着を広げ、目の前にかざしてみるアイク。
    「試着してみろよ。オレ様が品評してやる」
    「ふざけるな」
    「……ケッ、予行練習くらいしておけよ。男の目で効き目あるのか見てやろうってのに。そんなに自信ないのかてめえ」
    シノンがそう挑発するとアイクは口を結びつつも勢いよく上衣を脱ぎ捨てた。
    「ほ、ホントにやるか……」
    そのアイクの勢いにたじろいでシノンはそう漏らした。
    「やらないで後悔するよりやって後悔する方がいいと思った。あんたも倒せないようではこの先は乗り切れん」
    するりと衣擦れの音がする。

    「ば、バーカ……オレ様は……」
    胸に巻いた晒布が落ちるそのときは手で目を覆っていたシノンであった。
    はらりと落ちる晒布。その代わりに彼女の肌を包むのは薄布で仕立てられた下着。躰の凹凸を隠さず、透けるような薄さで誘惑的だ。
    「どうだ」
    アイクは真剣な面持ちでシノンへ向き、その格好への感想を求める。
    「は……っ、そんな睨むような顔で訊かれてもな」
    シノンは顔を引き攣らせ、目を細くして応える。細めながらも目線は胸元へ吸い寄せられる。
    「どうすればいい」
    「どうもこうもねえ……」
    まさしく目のやり場に困るという状況。
    薄桃色の下着を身に付けた彼女からは甘い香りが漂うかのようだった。鍛えられ、多少筋張っているが、その曲線は紛うことなく女のものだった。
    「……乳を寄せて見せて上目遣いで迫りでもしてみろ」
    目を逸らしながら適当に身振りを交えて指南してやるシノンだった。肩紐を下げる仕種と身を捩る仕草など。
    そうしてぎくしゃくとしていると扉を叩く音がする。
    「シノン、ティアマトさんが用があるって呼んでるよ」
    「キルロイか」
    それに反応してアイクが扉を開けた。
    「おいっ!」
    シノンは慌てて引き止めようとするも遅し。
    「あ……」
    彼女のしどけない下着姿を見たキルロイは言葉を失って固まった。
    「ち、違う! 違う! これは」
    慌てて弁明しながら部屋の奥から出てきたシノンを見てキルロイは眉を下げる。そんな二人の間でアイクは首を傾げていた。

    「……そういうことなんだ」
    事情を聞いたキルロイは納得した。
    「はーーっ……」
    それを確かめるとシノンは安堵して長く息を吐いた。
    「おまえも知ってたのかよ」
    「うん……と、いうか、それとなく」
    オスカーとアイクの仲については察していたとキルロイは言った。それはシノンが後押ししたことから進展したことも察していたが口を噤んだ。
    「なあ、どうだ?」
    そんなやりとりをしている二人の間に入り、アイクはキルロイに下着姿を見せ、感想を求める。
    「え、あ、あ……、うん、その」
    それを目にしたキルロイは顔を赤くして挙動が不自然になった。
    「はっ、効果あるんじゃねえの。坊主も人の子、男、ってわけだな」
    己の挙動を棚に上げてシノンはキルロイの挙動に対し皮肉を吐いた。
    「本当か、なあ、どうしたらいい。シノンはこうって教えてくれた」
    アイクはさらにその姿でシノンの仕草を真似し迫ると、キルロイの両腕を掴み揺すり縋るように訊く。キルロイの目線が彼女の揺れる乳房とともに揺れる。
    その様子を見てシノンは笑いを堪えながら腹を抱えた。
    「ああああ、アイク、落ち着いて!」
    キルロイは動揺する自分を落ち着かせるかのように強い口調で彼女にそう言った。
    「大丈夫、大丈夫。オスカーはきちんと君のことを見ている。考えている」
    眉を上げアイクの両肩を叩き、強い口調で諭す。
    「……わかるのか?」
    「うん。彼も悩みながら前に進んでいるんだ。君のことは大切に思っているのは確かだよ」
    そう諭されてアイクは胸に手を当て、神妙な面持ちになった。
    「そうか」
    そう一言漏らし、言葉を飲み見せる表情。瞼を伏せ、揺れる睫毛。彼女のそんな顔にふと見とれるのは二人を傍観する男。
    (ち……)
    そんな自分に気付き、シノンは首を横に振る。
    「……風邪をひくよ」
    すっかり落ち着いたキルロイは、寝台に放られているアイクの上着を手に取り、彼女へ掛けてやった。そして合わせを閉じてやる。
    「すまん」
    「……アイク、君は女の子なんだ。わかるよ。うん。僕も男だ」
    キルロイがそう言うとアイクの口元が微かに笑う。ほのかに染まる頬。
    「わかった。手間をかけさせたな。俺はもう戻る。シノン、これはもらっていくからな」
    「あ、ああ……好きにしろ」
    そう言ってアイクは衣服をまとめ、手を振って退室していった。

    扉が閉まるのを確認するとシノンは脱力して座り込んだ。
    「……君は」
    「言うな」
    そんなシノンへ声を掛けるキルロイ。すぐにその言葉の先を遮られる。
    「違う、違うからな」
    ぶるぶると首を横に振り、何かを否定するシノン。
    「そう、背中を押してあげたんだよね」
    シノンの想いをはかりながらも、キルロイはそれを直接指摘しなかった。ただ、あの二人が恋人になるため背を押したのは事実であると言い。
    「バカじゃねえ……オレ」
    「ううん」
    キルロイはシノンへ背を向けていた。背に語られるそんな言葉。
    「はっ……乳は育ってる、確かに。あの堅物が見てどう思うか知らんがな」
    「どうだろうね。わからない」
    シノンの軽口めいた言葉にキルロイは含みを持たせて返す。
    「君が勧めるように肉欲に訴えてそれに身を任せることが正解とも不正解とも」
    真摯な口調でそんなことを口にするキルロイ。シノンは思わず吹き出した。
    「て、てめえがそんなこと言うのな……」
    「ヒトの気持ちは、理屈だけじゃ割り切れないものだから……。僕にアイクを止める権利はない」
    「だからか。てっきりあんな格好はやめろとか言い出すかと思った」
    聖職者であるキルロイが淫らな格好をする彼女を咎めなかったことに対してシノンはそれで納得した。
    「そして、そんなアイクを受け止めてどんな答えを出すのかはオスカーの責任だから」
    キルロイのその言葉にシノンは息を飲んだ。
    「……まあ、見てみてえもんだ」
    立ち上がりシノンは一言呟いた。
    「僕も」
    振り返り、笑みながらそれに応えるキルロイ。
    「てめえもか」
    シノンはそれを受けて口元に笑みを浮かべた。
    「……ティアマトさん、待ってるよ」
    「はっ!!」
    元々、副長に呼ばれたことを伝えにきたキルロイはそう指摘する。シノンは待たされて眉が釣り上がっているであろう副長の顔を思い浮かべ、慌てて部屋を出た。

    自室に戻ったアイクは下衣を脱ぎ、上着を寝台に放り、下着姿となった己の姿を見つめてみた。
    頼りなく肩に掛かる細い紐。その紐から繋がる薄布。見下ろすと胸の谷間が薄布に収まっているのが見える。乳頭の膨らみが薄布を押し上げ主張している。
    (これは、娼婦が……)
    シノンから聞いた出所を思い出し、反芻する。
    そして横たわり、紐を手に取り肩からずらし、少し身を捩り乳房を意識しながら上目遣いで天井を見つめた。
    (……何やってんだ、俺)
    我に返り、羞恥を感じたアイクは両手で顔を覆いつつ両脚を縮め、屈折した。そして俯せになる。薄布は臀部の曲線も浮き上がらせ、艶めかしさを醸し出していた。
    次第と冷静になってくる思考。
    (馬鹿じゃないか……馬鹿……)
    敷布に爪を立て、震える。

    ──浅ましい

    そう思った。
    優しい言葉と抱擁。それ以上何を求めるというのか。

    激情に身を任せたい。
    欲に駆られた相手の姿を見てみたい。
    そうしたら本音が見えるだろうか。まだ立ち入っていない領域へ行けるだろうか。壁が見える。まだ越えていない気がする。

    ──その先を見られるのだろうか?

    彼女は己の手を見る。
    先日、私兵である暗殺者と結んだ契約を思い出しつつ。

    己もまた、この領域を相手に明け渡していない──

    青銅のメダリオンに関わる秘密。これを受けたのは情報屋と自称していた暗殺者より。
    父が犯した過ちを継承せぬよう、彼女もまた父と同じ契約を結んだ。
    「もし、誤ってメダリオンに触れ、暴走した場合はその命を殺めることで制御する」
    そんな契約を。それは誰にも話していない。
    そしてそのメダリオンはデイン王国国王アシュナードの手に渡っていると思われる。アシュナードは戦闘狂と称され、狂王とも称されていた。狂王の手に渡れば最終局面で持ち出される可能性が高い。
    そして狂王と対峙するのは、対抗手段として神剣ラグネルを持つ彼女になるであろう。
    最終局面へと近付いていくとともに、メダリオンと接触する可能性、ひいては彼女が死亡する可能性が高まっていくのである。

    (始まる前に終わるのか)

    本当は、瀬の縁に立っていた。
    見下ろせば死の海。

    「……っ、うっ……」
    声を殺して嗚咽する。
    温もりを知れば知るほどそれを離し難くなり、さらに欲するようになる。
    (怖い、嫌だ、欲しい、抱いて)
    ──言えない。

    恋なんて知らなければよかった
    幾度と抱擁を続け夜を重ねてきたが、秘めた想いは胸に隠したままその夜はやってきた。

    いよいよクリミア解放軍は祖国奪還を目前にしていた。
    デイン軍が占拠する王都メリオルにて最終決戦が繰り広げられようとしている。

    どれだけの血を流すのか、どれだけの犠牲の上に勝利を掴めるのか。彼女は駐留中の砦にて夜風に当たりつつ物思いに耽っていた。

    ──その犠牲、の中に己が含まれることになるのか

    メダリオンに接触して契約通り暗殺者に始末されるという未来。アシュナードと対峙して破れるという未来。それへ至るまでに力尽き倒れるという未来。それが彼女の犠牲。
    今、ここに立っていることが奇跡であるようにも思えた。
    かつてデインの四駿として神騎将とまで謳われた父が道中没した。傭兵として駆け出しで未熟な自分が生き残り、一国の命運を左右する采配を担っている。
    増して、女であるこの身で。

    戦場に立つのは嫌いではなかった。
    持てる力を発揮し、戦果を上げる。それは達成感をもたらす。
    そもそも、嫌だからといい拒否しては生きられなかった。傭兵業が生業である。生きる糧なのだ。
    この決戦も、生業としての業務。便宜上爵位を受けはしたが、そのこころは変わらない。依頼主の意向を叶える。それが仕事だった。父の教えだった。

    人の命は簡単に奪える。急所を突けばたちどころに。
    それは己の命もまた。

    その怖さを知らなければまた、それ自体が恐怖である。それを知っているからこそ、今日ここまで立っていられたといってもいい。
    ときに、それを越えて立ち向かう。前へ。

    しかし、あの温もりを知ってしまってから、己を失うことへの恐怖が重くなった。
    温もりを与えてくれる恋人。そのひとはどう想うのだろうか。
    そのひとを失うのも怖い。
    もっと怖いのが己が失われてもそのひとの動揺を想い描けないこと。己の存在の有無がそのひとにとって何も及ぼさないこと。
    そのひとは大地のような揺るがなさ、安定感がある。大いなる信頼を感じるとともに、それ以上のことがわからない。望めるのかわからない。それが逆に不安にさせた。
    (……オスカー、あんたは)

    彼女はそのようなことを思う自分へ嫌悪を感じた。身勝手だと思った。利己的であると。
    (恋ってなんなんだ。こんなに身勝手になれるものなのか。でもあんたは変わらない)
    ただひたすら相手の情を求める。彼女はそんな己に対し、言わずとも察し与えてくれる相手を比べ、自己嫌悪に陥る。
    (あんたも俺を……)

    ただひたすら求める

    その姿を見たい。
    明日はこうして立っていられない未来かもしれない。
    その前に──

    冷静な思考とそれに反する興奮半分。
    彼女はその扉を叩く。
    「アイクか、おいで」
    彼は彼女を迎え入れる。いつものように。
    「いよいよだね」
    明日の決戦のことを指し、オスカーは静かに声を響かせた。
    「ああ。俺は必ず勝つ。勝って砦へ戻る。また元のように貧乏傭兵団として暮らすんだ」
    アイクはそんな未来を口にした。

    ──望ましい未来を。明るい未来を。

    眉を上げ、凛々しい双眸。
    ここまで勝利し続け、常勝将軍とも謳われるその風貌。
    市井出身であるがために蔑まれることもあったが、運気を味方に付けたような快進ぶりに戦女神と称する者もいた。
    「勝利は目前」
    「明るい未来しか見えない」
    王都へ近付く度、そのような声が上がる。
    それは期待という名の鎖。

    「慢心は破滅の元だ」
    オスカーの細い目が開かれる。その眼光は鋭く。
    「……ああ、少し調子に乗り過ぎと思うか」
    アイクの頬の筋肉がぴくりと動く。
    「でも、俺は前へ進むことしかできないから」
    肩に力が入る。呼吸が浅くなる。
    「君が、というより周りが」
    オスカーは静かに語る。アイクの目が見開かれる。
    「この細腕に、一国の命運を抱えさせるなんて。皆、勝利を信じて疑わない。それは君の大いなる力でもあるが」
    そんな言葉とともにオスカーはアイクの両手を握る。
    「は……っ、あんたはこの勢いを疑うのか。俺は奴を倒す。それが仕事だからな」
    アイクはオスカーの手をきつく握り返す。その手が微かに震えていた。どく、どく、と鼓動が脳に響く。
    「……アイク」
    彼は何も言わずとも察する。その手の震えが何を意味するのかも。
    「私は騎士だ。今でもそうなんだ。王宮へ仕えていた頃は国家の礎になるとすればそれは至高のことと思った」
    「私が君の立場なら胸を張って礎になろうと赴いていくだろう。他の騎士でも同じことを言うはずだ」
    手を繋いだまま滔々と語る。
    「守りたいものが『国家』ならね。土になることも怖くない」
    彼女は『傭兵』であった。『騎士』とは理念を違えて戦場に立つ。その違いを改めて説かれる。除隊はしているが芯まで騎士である彼の言葉が耳に響く。

    「ただ、死ぬのは誰だって怖いよ」

    核心を突かれた。
    分かっている。分かられている。
    「君は爵位だって嬉しくないだろう。名誉も名声も欲しがってはいないだろう。報酬を期待しているところはあるかもしれない。傭兵だから」
    握り合う手を見つめながら彼女は彼の言葉を噛みしめる。
    「それよりも君は今、……責任、この名の下に戦う。期待に応えようとする」
    そして彼は彼女の身を抱く。
    「私は今、君を守りたい。だから死ぬのは怖い」
    彼女の鼻腔にふわりと懐かしい香り。それは昔から傍にあった温もり。それに包まれて溶けてしまうような感覚を覚えた。
    「あんたは、いつもそうだな」
    恋人の体温を感じながら彼女はぽつぽつと想いを漏らしていく。
    「除隊してきたのもボーレやヨファ、弟たちの生活のため。あのまま宮廷にいれば出世も望めたかもしれないのにな」
    「あんた自身が何かしたいなんて聞いたことなかった」
    「もっとわがままになったって良くないか?」
    彼女がそう言うと彼が少し笑う。
    「君が言うか」
    そう返されて彼女は頬を熱くする。
    「俺は、もうなってる」
    そしてそっと彼から身を離す。
    「あんたのせいだ」
    頬を紅潮させながらその手を合わせに掛ける。
    「俺は、あんたが」
    上衣がぱさりと落ちる。
    「欲しい」
    するりと下衣も脱ぎ捨て、彼の前にあらわになったのは娼婦のような姿。
    「あんたも俺を欲しいと思うか? 俺はあんたのその想いが欲しい」
    そのまま彼女は寝台に腰掛けていた彼を押し倒し、唇を奪う。肩から落ちる肩紐をそのままに、柔肌を見せつけるようにして。
    「死にたくないと思うのもあんたが欲しいと思うのも俺のわがままだ」

    「あんたのせいだ」

    彼に馬乗りになったまま彼女は両手首を掴み、今にも泣き出しそうな顔で訴えた。
    「嫌だ、死にたくない……! 俺は、俺は……っ。まだあんたの本当の気持ちも知らない。なのに、なのに」
    「……ごめん」
    「馬鹿……っ! 謝るな、謝るなよ!」
    彼が謝罪の言葉を発すると彼女は涙声になり、両手で顔を覆った。
    「くそ……、何なんだよ! こんな、こんな風になるなんて。何で今頃」
    押し寄せる感情の波。父親が没しても流れなかった涙が溢れそうになる。
    「親父が死んでも泣けなかったのに今さら」
    「自分が死にたくないからって泣けてくるなんて、こんな馬鹿」
    そして遮られる言葉。
    唇に触れる柔らかい感触。それ与えるのもまた唇だった。
    キスをする。幾度も。いつものように。
    それだけで躰が熱くなる。いつも以上に。

    欲しい、もっと欲しい。

    そしていつもと違うキス。
    薄く開いた唇へ割り入ってくる舌。
    「あ……ふっ……」
    彼女は思わず言葉にならない声を漏らす。
    彼の舌が彼女の口腔を撫でる。塗れた粘膜が絡み合う。
    「う……っ、馬鹿だな。馬鹿、俺……」
    目尻を擦り、彼女はそう漏らす。彼は首を横に振る。
    「こんな格好までして。似合わないだろ? 別に何とも思わないだろ?」
    「……女の子、いや、女性にここまでさせる私が悪かった」
    彼のその言葉に彼女は顔を熱くする。
    「ああ、私も男だよ。ここまでされて嬉しくないはずはない」
    両手を握り、そう告げるオスカー。その顔はほのかに赤かった。
    「本当か?」
    アイクは眉を下げ、首を傾げ訊く。
    「……言葉で幾ら言っても伝わらないかな」
    そう言い、オスカーはアイクを抱き寄せ、彼女の脚に己の下肢を押し付けた。
    「ごめん。わかるかい?」
    オスカーに男として女に対して興奮していることを示され、アイクは嬉しさと羞恥で顔を熱くした。
    「わかる」
    そしてこくこくと首を縦に振る。
    「これを我慢するのはかなり大変だよ。でも大丈夫。君はもう明日に備えて眠った方がいい。ここでいいよ。私が傍にいるから」
    そうしてそっと寝台に倒される。そのまま掛け布を掛けられ、ともに横たわった。
    「大丈夫。明日は来る。明後日も来る。私は君を信じている。君も私を信じて欲しい」
    「ああ」

    その言葉が聞けた。
    己を欲していることが分かった。
    それだけで安堵した。

    明日も、明後日も来る。
    未来は明るい──
    少し先の未来を信じて前に進んだ。
    ただ明日を目指して。
    明日には何事もなかったかのようにすべてが終わっていると。

    この日はよく晴れ渡っていた。
    一年に渡る戦禍の終結を迎える場にそぐわぬほどの空だった。そんな空にクリミア解放軍総指令官の最後の演説が響いた。
    それを皮切りに最後の戦いが火蓋を切って落とされた。

    総指令官自ら先陣を切って進む。
    進軍は速攻を強いられていた。
    宣戦布告の際、デイン国王アシュナードが黒竜により飛来し、挑戦的な科白を吐いて待ち受けると宣言し、陣へ戻っていった。
    アシュナード一人で一騎当千の戦闘力を誇る。その力を以て陣へ攻め入られれば被害は甚大になる。それを阻止すべく、アイクは先陣を切って進んだのだった。同じく一騎当千の戦闘力を以て。
    神剣を携えた彼女は圧倒的な強さを誇る。狂王と称され強者との勝負を望むアシュナードへ対抗しうるは彼女をおいて他にない。
    アシュナードが痺れを切らして戦陣へ切り込んでくる前に彼女はその元へ急いだ。

    見慣れた背中、頼もしい背中。
    彼女はオスカーの騎馬に騎乗し、ともに駆けていった。ある程度の敵は彼の槍が蹴散らし進む。戦闘は最低限に留め、なるべく前へと急いだ。後の道は後続の兵が応対していた。彼らの道は閉ざされることなく続く。
    「さすがにこれは私だけの手に負えない。頼む」
    「わかった」
    彼らの前に立ち塞がるは猛る赤竜。ラグズの中でも最強を誇る竜鱗族の化身した姿。デインの手により自我を破壊され戦闘兵器と化している。
    オスカーは手綱を引き、騎馬の足を止め、アイクを地へ降ろす。勢いよくアイクは地へ降りるとその足で赤竜と対峙する。
    砂煙が舞う。それとともに走る衝撃波が赤竜へ打ち込まれる。これが神剣の威力である。刃を当てずとも敵を退ける力。
    しかし、さすがにこれだけで倒せる相手ではない。彼女は赤竜が放つ熱閃光や尻尾などによる攻撃をかわし、機会を伺う。その動きは舞を踊るかのように軽やかであった。
    傍にいる、というだけで──
    ともにここまで進んだ相手が傍にいる。一人ではない。
    そしてその相手がどのような手に出るかも分かる。
    「アイク!」
    「わかってる!」
    赤竜が均衡を失い暴れ出した。オスカーが矢を放ったのだ。その矢が赤竜を目を貫き、均衡を崩した。
    隙を見て、アイクは再び騎乗した。そして再び前へ進む。暴れ狂う赤竜は後続の兵が始末する。

    「しっかしえらい勢いだ。兄貴とアイクが組んだら敵知らずっていうか攻撃が当たらないっていうか」
    獣殺しと呼ばれる斧を手に、赤竜と対峙したボーレが二人の後ろ姿を目にし、呟いた。
    「うん、いつも一緒だもん。お姉ちゃんとオスカー。息がぴったりなの」
    馬上から治癒の杖を振り、ボーレの傷を癒しながらミストが応えた。
    「だから大丈夫だよ! 絶対に勝つんだから」
    そう言いながら騎馬を走らせ、治療の対象を探し駆けていくミスト。
    「おいっ、あまり無茶するな! 敵の真ん中に行くなよ!」
    そう叫びながらボーレは二人の道を開き続けるため、再び戦渦へ駆けていった。

    「……遅い。我はもう待てぬ」
    陣の奥にて鎮座していたアシュナードが混沌とした戦場を見下ろしながらそう呟いた。
    戦場から発せられる瘴気を感じているかのようだった。気が昂り、戦場へと誘われる。
    「あの、ガウェインの娘……神剣を携えておるな。女だてらにそこらの雑魚とは比べものにならぬほど強腕であるな。……面白い」

    そうして飛来する黒竜。
    「……! 早い!」
    未だ混沌とした戦線の中、さらに混戦を極めさせるかのように狂王が舞い降りる。
    「雑魚が……!」
    アシュナードの持つ巨大な宝剣の一振りで兵十数人の首が飛ぶ。飛び散る鮮血を目にし、狂王の目が爛々と輝いた。
    「なんてことだ……味方もろとも……」
    狂王は敵味方の区別なく、破壊衝動に身を任せ、道を遮るものを力づくで退けた。
    「皆、退け! 離れろ!」
    アイクがそう号令を出した。それとともに神剣を振りかざし、衝撃波で地を砕き、狂王へその存在を知らしめた。
    「俺は……っ、ここだ!」
    「……小娘が粋がりおって。しかし、少しは楽しませてくれようか」
    そうしてアシュナードは一騎打ちへ応じるかと思われた。しかし。
    「足りぬ! 足りぬのだ!」
    血を欲するとでも言わんばかりに、隊列を組み弓を放とうとしていたクリミアの弓隊へ突入し、一瞬にして薙いだ。放たれる弓をもろともせず。黒竜の鱗とアシュナードの鎧は並の攻撃をたやすく弾く。
    「させるか!」
    アイクは追ってアシュナードへ太刀を浴びせようとする。
    「……っ!」
    デインの弓隊が放った矢が彼女の身を抉った。矢の嵐が彼女を襲う。

    ──まさに狂宴だった

    デイン弓隊は将であるアシュナードが陣の中にいるにも関わらず、雨を降らせるかのように矢を放った。
    「いい、実に好いぞ! 矢を降らせ! 血を降らせ!」
    この混沌を悦び、アシュナードは兵を鼓舞した。
    王の性格上、例え王自身が陣の中だとしても攻撃の手を緩めるより、一人でも敵を討ち取るよう攻撃の手を緩めぬことが望ましいものとされた。
    「……そうはさせん」
    アイクは弓隊を無視し、アシュナードの首だけを目指し追う。そうできるのは、信じているから。
    その槍が彼女を邪魔するものを退ける。
    オスカーが速攻で弓隊へ切り込み、攻撃の間を与える間もなく攪乱していた。それとともに、アシュナードを遠巻きにしていた兵が続き、弓隊殲滅へと動いた。
    「へへっ、こうだろう、兄貴!」
    ここまで追いついてきたボーレが斧を振るいつつオスカーへ目配せしていた。
    「ああ、アイクの邪魔はさせない」
    「お姉ちゃん……!」
    ミストが治癒の杖を振る。遠隔で効力の及ぶ術だ。
    矢で負った傷はたちどころに塞がり、アイクはアシュナードと対峙する。

    それはまさしく死闘と形容し得るもの。
    一度、アイクが決定打を浴びせ、決着が付いたかと思われた。しかし、アシュナードは懐に忍ばせていたメダリオンを用い、さらなる戦闘力を手にした。
    彼女の父が狂わされたそれ。
    もとより狂っている者には精神に影響を及ぼさないとでも言わんばかりに、アシュナードは変わらず戦闘体勢に入った。これまでの疲弊、負傷などなかったかのように熾烈な攻撃を繰り出してきた。
    アイクは疲弊していた。負傷は治癒の術で癒えるものの、体力は回復しない。ここまでこうして戦い抜いてきたことが奇跡のようであった。

    「死ぬのは誰だって怖いよ」

    昨夜、彼女の胸の内を代弁したかのような想い人の言葉。
    逆に、その恐怖を実感しているからこそ生きているのだと思った。
    痛み、疲れ、畏れ、それらが生きている証。
    明日が欲しい、その温もりが、心が欲しい。その渇望もまた。
    どくどくと全身に血が巡り、流れるのがわかる。

    (俺はまだ……、まだ……)

    もがき、走り、手を伸ばす。
    目の前の景色が灰色に見えても彼女は剣を振るった。
    振るい続けた。
    そうして見える道。

    すでにアシュナードの周りは殲滅が完了して収束していた。あとは将を射止めるのみという状況だ。城外での戦闘も収束しつつある。
    実力者のみが彼女の傍で攪乱を行っていた。
    「私たちのことは気にしてはいけない。私たちはあくまでも攪乱しかできないから」
    少しでも彼女の負担を減らすべく行われている作戦。当然のようにオスカーは名乗りを上げてその作戦を実行している。
    アシュナードは標的があれば、将であろうがなかろうがその剣を振るった。その勢いは失われず。
    アイクはただ隙ができるのを待った。
    そして狂王の剣が振るわれる。その切っ先は──
    「兄貴ーーっ!」
    ボーレの声が響く。
    馬ごと砕くような剛剣。それが空中高くより振り降ろされる。

    最大の隙が訪れた。

    それは最愛の人もろとも──

    降下する黒竜。一刻と標的へ近付き降りてくる。
    彼女は己の恐ろしいまでの冷静さを感じた。
    (まだだ、まだ)
    剣が振り降ろされ、地へ最も近付いた瞬間、それを狙う。
    全ての音が遮断され、視界は黒く。そのなかで蠢く光。点。ただそれが動く様を目で追う。否、感覚として捉える。
    そうして神剣に込められる力。
    その跳躍。

    宝剣が騎馬を食らう。地を砕き埋もれた。宝剣の斬撃を受けた騎馬は骨ごと砕かれ絶命した。
    そして神剣が食らったのは敵将の首──

    黒竜から頭部のない狂王が蹴り降ろされる。
    「おまえの主はもういない!」
    その声とともに彼女は神剣を黒竜の頚椎に刺した。そのまま飛び降り、離れる。
    それとともに魔道の雷が轟いた。神剣が避雷針となったかのように雷は導かれ。そうして黒竜も動かなくなった。

    「……やった」
    それはボーレの開口一番。
    その場にいた者はしばし呆然としていた。あまりにも凄まじい戦いであった。それが終結したのである。
    狂王の返り血を浴びた少女。彼女こそが今ここで英雄となったのだ。
    「アイク……おまえ、すげえ……」
    半ば現実感を伴わないままボーレはぽんとアイクの肩を叩き労った。
    アイクはそれに応えず視線を遠くに、雲の上を行くように歩んでいく。その先には──
    「あんた……」
    地に横たわる恋人の姿があった。
    「これでよかったんだろ? 俺はあんたごとアシュナードを斬った。そうしないとあんたは怒るだろう?」
    肩を振るわせ彼女は言葉を漏らす。
    「……お姉ちゃん……」
    その背を目にし、ミストは眉を下げた。
    「兄貴……」
    ボーレもその光景を見つめ、神妙な表情になった。

    「アイク、君はよくやった。それでいいんだ」

    横たわっていたオスカーがその手を伸ばしアイクを抱き締める。
    「オスカー……!」
    喉の奥から込み上げるものを感じつつアイクは感嘆の声を漏らし、抱きしめ返した。

    「……あーあ、兄貴の馬、おじゃんだな。ひでえ」
    「うん。かわいそう……」
    ボーレとミストは改めて戦場を見渡し、被害を確認した。オスカーの騎馬もその被害の一部であった。
    「みんな無事かい?」
    息せき駆けてきたキルロイがそう声を掛けてきた。
    「ああ、うちの団の連中はみんな生きてる。兄貴が足やられて動かなくなっちまってるが」
    「うん、とりあえず応急処置はしてあるよ。キルロイ、後でもうちょっとちゃんと診てあげてね」
    「おまえのじゃ頼りないからな~」
    「うるさいっ、ボーレのバカ!」
    治療の杖でボーレの頭を叩くミスト。その様子を見てキルロイはくすりと笑った。
    「そうか、オスカーは頑張ったね。あの狂王の攻撃を受けたなんて……」
    状況を説明されたキルロイはそんな感想を漏らした。
    オスカーはアシュナードの注意を決死の覚悟で引きつけていた。騎馬を犠牲にして自らは脱した。避けきれなかった衝撃を受けて脚を負傷してしまったのだが。
    「アイクも……辛かっただろうね」
    「……信じらんねえって思った。兄貴ごと斬るのかよって」
    ボーレのその言葉にキルロイが首を横に振った。
    「ううん、信じてたからこそだと思う」
    「そして、彼は……騎士なんだ」

    いつまでも堅く抱擁する二人。
    その無事を確かめあうように。
    「よかった、あんた……」
    「ああ、君こそ……」
    それは恋人同士の抱擁にしか見えなかった。

    「お姉ちゃんたち……何か……」
    二人の様子を見ていたミストは次第に頬が熱くなるのを感じていた。
    「いつまでやってんだあいつら」
    その光景に皮肉を投げるのはシノンだった。
    「ったく、デキてるのは結構だが部屋ん中で乳繰り合えよ」
    「え!?」
    シノンのその言葉に盛大に反応するミスト。
    「あー、あいつらな、デキてる。わかんねえのか?」
    耳を掘りながらシノンはそう言い捨てた。
    「えーーー!?」
    ミストに加えてボーレも同時にそう声を上げた。
    「バラしちゃったねシノン」
    眉を下げつつキルロイがそう言う。
    「言っちまっていいだろ。何でコソコソしてんだよ」
    掘った耳垢を落とすように指を動かしながらシノンがそう応えた。
    「そうだよね」
    キルロイは笑みを見せて相槌を打った。

    「確かに。私たちは……愛し合っている」
    クリミア王城内の一室に搬送され、療養するオスカーはそう宣言した。
    団員たちが部屋に集まり、彼を見舞っていた。そして追求される二人の仲について。
    「あ、愛……」
    思わぬ言葉を聞き、アイクは目を見開きながら口を動かした。
    「いや~~! もう、憧れちゃう! これこそ運命の人!」
    その言葉にいたく感動したワユが感極まって手を組みながらそんな言葉を発した。
    「アイク、あなたは?」
    ティアマトが優しく訊く。
    「お、俺は……」
    アイクは顔に熱が集まるのを感じながらその人の手を握っていた。

    ──これは、愛なんだ

    もう、恋じゃない。
    それを恋と知り、そしてさらに知る。
    それが愛ということに。

    「ずっと、あんたを信じてる」
    生きててよかった。

    掴みとった未来は春の木漏れ日のように温かい。
    それがいつまでも続くよう祈った。

    ─了─
    はらずみ Link Message Mute
    2018/10/08 18:56:07

    それを恋と知る

    ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

    蒼炎の軌跡/オスカー×アイク/先天性/シリアス/アイクの初恋。穏やかな恋から悩ましい恋へ。両想いであるのにもどかしく進行しない中、想いが通じるようになるまで。
    2011/12/27 完結

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
    • ブルー・バード 1・軌跡編 #ファイアーエムブレム  #アイク  #小説

      ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/オルティナの生まれ変わりがアイクという捏造設定で正・負の女神との関係を絡め展開する話。暁エンディング後の顛末も含めて様々なキャラと関わってまとめています。

      【1.軌跡編】蒼炎が舞台。アイクが負の気を己の力としながらも苦痛に耐えクリミア奪還をなし得ていく過程。
      メイン:アイク・フォルカ・ライ
      2012/1/14 完結
      はらずみ
    • ブルー・バード 3・昇華編ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/オルティナの生まれ変わりがアイクという捏造設定で正・負の女神との関係を絡め展開する話。暁エンディング後の顛末も含めて様々なキャラと関わってまとめています。

      【3・昇華編】暁ラスト~エンディング後の話。女神との対話、融合を果たしたアイクが歩んでいく結末。アイク死亡展開要注意(鬱展開ではありません)
      メイン:アイク・ユンヌ・ライ
      2013/5/24 完結
      はらずみ
    • 雪解けファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/メダリオン・負の気・アイクの過去などについての模造設定を元に構成。それぞれ単独でも読めますが設定は共通しているので連読推奨。

      【雪解け】ライ×アイク/「足跡」の続き。23章以降の話です。ライとアイクの支援会話もベースになっています。フォルカも登場します。ラスト近くにティバーンも登場。
      2009/3/20 完結
      はらずみ
    • ブルー・バード 2・邂逅編ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/オルティナの生まれ変わりがアイクという捏造設定で正・負の女神との関係を絡め展開する話。暁エンディング後の顛末も含めて様々なキャラと関わってまとめています。

      【2・邂逅編】セフェランとアイクの関わり。女神とアイクの出生の関わりについて。
      メイン:アイク・セフェラン、エルラン×オルティナ・グレイル×エルナ
      2012/8/3 完結
      はらずみ
    • 光芒ファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/セネリオ×アイク/二人の出会いから、セネリオのアイクへの狂信的な想いまで。微妙にシノアイ臭あり。
      あらかた原作本編に沿っていますが、セネリオの捏造過去あり注意。
      2010/4/9 完結
      はらずみ
    • あのころファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/ボーレ×アイク/先天性/コメディ/蒼炎~暁と続くボレアイのラブコメ。

      【あのころ】性交渉ではない性描写有。二人の幼少時の話。どぎまぎするボーレと無頓着なアイク。
      2009/10/17 完結
      はらずみ
    • Like or Love?ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク 他アイク総受/後天性/コメディ/男として親愛の情を抱いていたはずのアイクが…! 悶々とするライ。周囲の人間が繰り広げるアイクを巡るドタバタも。
      2011/4/25 完結
      はらずみ
    • 孤空の英雄ファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      暁の女神/シリアス/サザ×アイク・ユンヌ×アイク/性描写未満のBL表現有。サザの過去に起因するコンプレックスとアイクへの憧憬を絡めた話。サザの捏造過去あり注意。
      ミカヤが絡み、ユンヌ×アイク要素あり。
      2011/6/13 完結
      はらずみ
    • そのままでいいファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/暁でアイクがワユを血まみれにするというイベントが元ネタ。表情を消して剣を振るうアイクの姿をワユの視点から展開。蒼炎時の回想にてその理由を。
      メイン:アイク・キルロイ・ワユ・ライ
      2008/7/14 元稿完結
      はらずみ
    • 見えない翼 #ファイアーエムブレム  #アイク  #小説  #腐向け

      ファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/ティバーン×アイク/ティバーンとアイクの出会い、アイクの記憶に関わること、共闘するまでの過程。
      ティバーンの捏造過去あり注意。
      2009/10/2 完結
      はらずみ
    • 追憶の美酒ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/グレイルに似てくるアイクへ苛立つシノン。そしてアイクを認めるまでの話。グレイルを慕う理由をシノンの過去(捏造)を交えて描いています。
      メイン:アイク・シノン
      2011/9/14 元稿完結
      はらずみ
    • 愛憎(あいにく)ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【愛憎(あいにく)】シノン→アイク/無防備なアイクに対して突っかかるシノン。喧嘩が絶えない二人の微妙な関係。
      2008/10/5 完結
      はらずみ
    • 花の香ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【花の香】ライ×アイク、他アイク総受気味/デルブレー奪還あたりの話。救出されたジョフレがアイクと対面したときに抱いた想い、それを端から見ていたシノンの思惑…など、あるものを発端に展開。他、傭兵団メンバーも登場。
      2009/1/22 完結
      はらずみ
    • 父娘ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【父娘】フォルカとアイク/グレイルから請けたもう一つの依頼を遂行するフォルカ。父と娘の関係性を過去を絡めて展開。
      2009/12/9 完結
      はらずみ
    • ここからファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【ここから】ライ×アイク/無理をするアイクを介抱するライ、そして……。ラブコメ調。シリーズ共通の捏造設定が発生しています。
      2008/9/15 完結
      はらずみ
    • そのままでいいファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/キルロイ×アイク・ライ×アイク/暁のアイクがワユを血まみれにするというイベントが元ネタ。表情を消して剣を振るうアイクの姿をワユの視点から展開。蒼炎時の回想にてその理由を。
      2008/7/14 完結
      はらずみ
    • 煉獄の勇者ファイアーエムブレム/アイク/小説

      覚醒/シリアス/魔符で召還されたアイクの姿を見て、伝承の『蒼炎の勇者』との相違を認識し、想いを馳せるパリスの話。魔符・英霊設定、パリスの過去は捏造。マイユニの描写がシニカルなので注意。
      メイン:アイク(魔符)とパリス
      2012/8/16 完結
      はらずみ
    • その足で立つファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/コメディ/シノン×アイク+ジョフレ×アイク/アイクと出会い鍛錬など重ねるうちに惹かれていくジョフレ、アイク幼少時のエピソード含みアイクを気にかけるシノンの話。
      2010/6/1 完結
      はらずみ
    • 薄氷ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/フォルカ×アイク/先天性/シリアス/ショートショート/
      2010.2.23 First up 人様の作の視点変えバージョンを修正・掲載
      はらずみ
    • GO HOMEファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/コメディ/アイクとボーレを中心に繰り広げる傭兵団コメディ。連作ですが単独でも読めます。

      【GO HOME】ボーレとアイクの幼少時の話と暁終章の話。傭兵団の中で家族のように育つ二人。
      メイン:アイク・ボーレ
      2009/10/17 元稿完結
      はらずみ
    • 騎士と姫君ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【騎士と姫君】シノン→アイク・ジョフレ→アイク/ともに鍛錬するジョフレとアイク、それを端から見ているシノンの思惑、そしてアイクの過去。
      2009/4/13 完結
      はらずみ
    • 孤空の英雄ファイアーエムブレム/アイク/小説

      暁の女神/シリアス/サザの過去(捏造)に起因するコンプレックスとアイクへの憧憬を絡めた話。アイクとユンヌの関係性捏造あり。
      メイン:アイクとユンヌ、サザ×ミカヤ
      2011/6/13 元稿完結
      はらずみ
    • IN HOMEファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/コメディ/アイクとボーレを中心に繰り広げる傭兵団コメディ。連作ですが単独でも読めます。

      【IN HOME】暁ED後の話。ボーレと旅立たないアイクの平和な日常。ヨファとミストの結婚式が行われるまでのドタバタ。傭兵団の人間模様。
      メイン:アイクとボーレ、ヨファ×ミスト
      はらずみ
    • flatファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/ライ×アイク/種族差、性差、思い悩み心通わせていく二人。甘酸っぱいテイスト。
      2011/5/2 完結
      はらずみ
    CONNECT この作品とコネクトしている作品