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    IN HOME「ちょっと、あれ取ってくれ」
    「あいよ」
    傭兵団の砦の中央の間にて。特に依頼がない今日は皆、思い思いに過ごしていた。そんな中アイクは剣の手入れをしていた。アイクは傍らで暇そうにうとうとしながら座っていたボーレにそう声を掛ける。ボーレは打ち粉を差し出す。そして卓にごろりと身を投げ出しぼんやりと剣を研くアイクを視界に入れていた。
    今日はいい陽気だ。午睡には最適な気温。
    いつしか卓に臥せって眠ってしまったボーレの横にはもう一つ寝息が。目を開けると同じく臥せって眠っているアイクがいた。しばらくして目が開けられる。
    「おはよう」
    「ん、」
    眠そうな声でボーレの挨拶に応えるアイク。そして二人は再びそのまま瞼を閉じた。二度寝である。
    「ちょっとー! お兄ちゃんたち、何だらだらしてるのっ。せっかくいい天気なんだから勿体ないじゃない」
    甲高い声でそう言い放ってくるのは妹のミストだった。
    「ボーレ暇そうだな」
    そう言い捨てるのは三兄弟の三男ヨファだった。
    「おまえらうっせぇよ」
    むくりと起き上がり不機嫌そうに応えるボーレ。
    「ボーレ、そんな青春でいいの? ねえー」
    そう言い、同意を求めるようにヨファへ顔を向けるミスト。
    「ねえー。最近、この辺も開けてきたし。ミスト、あの雑貨屋に行きたいって言ってたよな?」
    ミストへ同意し、ヨファも顔を向けて見合わせる。
    「うん! ちょっと行ってこようよ、ねえ」
    「わかった」
    ミストがヨファの腕を掴み、笑顔でそう持ち掛けるとヨファも笑みを浮かべて相槌を打った。
    その光景をぼんやりと見つめているボーレ。

    昔からこの傭兵団で家族同然に育ってきたが、最近、男女として交際を始めたヨファとミストだった。年の頃としては色恋沙汰に最も興味がある頃だ。恋愛感情を意識してからは距離が急速に縮まり、恋人同士がするといわれていることを一通り実行している一番楽しい時期なのであった。
    この幸福を回りに振り撒きたいのである。と、いえども副長は酸いも甘いも知った大人の女性で、三兄弟の長男はクリミア王宮へふたたび務め不在だ。キルロイは修行に旅立ったワユを穏やかに待っているようだ。ガトリーは一年中頭が春だ。シノンはそういうことを欝陶しいと思うたちだ。
    そこで目を付けられたのが、ボーレだった。と、いうか、ボーレは常日頃からこの二人から小馬鹿にされているふしがある。
    それでもボーレはそんな二人を見て、仲良くやっているな、とほほえましく見守っていた。そして傍らにいるのは幼い頃からともに過ごしてきた相棒。空気のように傍にいる。彼、アイクはこの団長だ。

    アイクは二度、戦乱の中、将として奮闘した。一時期は爵位まで受けていた。最後の戦いにおいては負の女神の加護を受け、正の女神を討伐した。大陸の命運を背負っていたのだ。
    それは過酷な道だった。
    幼い頃から鍛練を重ね、歩んできた道。
    そんな彼の傍にはいつもボーレがいた。ともに鍛練を積んできた。そして今は団長として傭兵団を運営する彼を副長とともに支えている。よく共に仕事へ行く姿が見られる。

    戦乱が収束した今、傭兵団に舞い込んでくるのは周辺の警護や便利屋じみた仕事が主だ。運営理念として安値で誠実な仕事を、ということから稼ぎはさほど多くなく、団員たちが細々となんとか暮らしていける程度だった。
    それでも大陸の救世主であるアイクに憧れを抱き、修行目的で入団を希望する者が絶えなかった。出来るだけ受け入れてきたが、仕事もそう多くはないため限度があった。剣技などを指導するだけでも一仕事だった。

    ある日、新人に斧の扱いを指導し終え、砦に戻ってきたボーレは疲れた顔でぼやいた。
    「はあ…だいぶ厳しくして骨のある奴らだけ残ったけどよ、まだあいつらは実戦に出せないな」
    「おつかれ。そうだな、この辺りの山賊は意外と手強い」
    砦の広間の卓にて依頼書に一通り目を通していたアイクがそう応える。
    「しっかし、それでも奴らに給金出してるもんな。いくら見習い期間とはいえ……」
    「すまんな。皆には苦労をかける。しかし将来的なことがあるからな。オスカーも宮廷に戻ったし、主戦力の者がいつ抜けるかもわからない」
    アイクは少し寂しげな表情でそう言った。ボーレはそれを受けて頷いた。
    「見込みのある奴は育てておかないとな」
    「ああ。人は財産だ、って言ってたな親父が」
    今は亡きこの傭兵団の祖である彼の父親の言葉。厳しく鍛練をさせられたが、それがあってここまできた、と言葉にせずとも二人は実感していた。
    「おれも団長には厳しく扱かれたっけ」
    郷愁を漂わせるようにボーレはそう呟いた。
    「今思うと、あれは金を払ったっていいくらいのものだな。鍛えてくれた上に、衣食住だ。ありがてえ」
    ボーレがそう言うとアイクはほのかに笑んだ。
    「ん……、金払うとか……。そうだ、おれら、あいつらから金貰ったって良くね?」
    見習いたちのことを指して言った。
    「いや、あいつらからはちょっとな」
    アイクはそう返す。
    「だよな」
    「……でも、いいこと言ったぞおまえ」
    アイクはぽん、とボーレの肩を叩く。
    「はあ?」
    ボーレは首を傾げる。
    「いっそ道場でも開くか。この間メリオルに行ってジョフレと話したとき、騎士団の育成が間に合わないって聞いたんだ」
    戦時中ともに戦ったクリミアの騎士団長の名が出た。ボーレは軽く頷いた。
    「どうだろう、武芸ならこちらで委託するってのは」
    「……それは金を取るんだろうな」
    「当たり前だ。稼業にするんだから」
    ボーレがそう聞くとアイクは口端を上げてそう返した。そんな彼に逞しさを感じたボーレだった。
    「じゃあ、早速メリオルに行って話をしてこよう」
    「おお、善は急げだな」
    どこか楽しげにそう話し合う二人だった。

    (あ、お兄ちゃん)
    そんな会話の途中にミストが通りすがる。
    何やら楽しげに談笑するボーレとアイクの姿を見た。
    (え、何? 何? メリオルへ行くの?)

    「ボーレ、おまえも一緒に来い」
    「おれもか?」
    アイクは軽く笑んでそう持ち掛けた。卓に肘を付き、顎を手に乗せて上目遣いで。それに気付いたボーレは軽く笑った。

    (仲いいなあ。ああ~、わたしもメリオルに行きたいな!)
    その様子を陰から見つめるミストがそう心の中で呟いた。

    「ああ、どうだ?」
    「いやあ、さすがにそれは。砦をティアマトさんにだけ任せていくのも大変だろ」
    ボーレは眉を下げながらそう返す。
    「ちょっと、ちょっと! ボーレ! せっかくだからたまには行ってくれば?」
    二人の間に割り込んでくるのは物陰に隠れていたミスト。
    「はあ?」
    ボーレは盛大に怪訝な顔をして感嘆を漏らした。
    「メリオルに行くんでしょ? なんかお兄ちゃん、珍しく自分から誘ってるんじゃない! せっかくだから一緒に行って二人でおいしいもの食べたり、新しい装備とか買ってくれば?」
    捲し立てるようにミストはそう言い放った。
    そんなミストの肩をぽんぽんと叩くのはアイク。
    「あのな、遊びに行くんじゃないぞ。これからの仕事に関わる話をしに行くんだ」
    アイクにそう言われてミストはきょとんとした。
    「まったく……おまえってやつは」
    ボーレが呆れたようにそう言い捨てる。
    「なによっ、ボーレのバカ!」
    「うっせえ! おまえってやつは本当、うるさいな」
    いがみ合いを始めるボーレとミストだった。
    「ミスト、おまえもメリオルに行きたいのか?」
    そんな中、アイクがそう話を切り出した。
    「そうか。ヨファと一緒についてくるといいぞ。たまにはいいだろう。俺たちが王宮で詰めている間、遊んでくるといい」
    ボーレとミストはそんな話を持ち掛けるアイクへ一斉に目線を集めた。
    「一緒にデート、してこい」
    少しいたずらに笑んでアイクはそう言ってやった。
    「やだ、お兄ちゃん」
    ミストは両頬を手で覆い、赤面した。
    (今、デートって言ったな……)
    ボーレはアイクの口からそんな単語が出たことに軽く驚いていた。
    「いってらっしゃい」
    砦の前で手を振るのは副長のティアマトだった。
    「いってきまーす!」
    振り返り元気に手を振り返すのはミスト。その横を歩くのは恋人のヨファだった。そしてヨファがそっと手を出すと二人は手を繋いで歩いていく。
    その前を欠伸をしながらボーレが歩いていた。そのさらに前に雲の流れを見ながら伸びをするアイクの姿があった。
    (あの二人を見てると平和っていいなと思う)
    (そうだね、何も考えてないね)
    そんな二人の姿を見ながらひそひそと話をするミストとヨファだった。

    結局四人でクリミア王都メリオルまで行くこととなった。
    道場設立の件はボーレが言い出したということにされて団員の皆が送り出したのだ。特にティアマトが後押しした。ヨファとミストは休暇、ということになっている。
    (たまにはあの子たちも羽を伸ばしてくるといいわ)
    とはティアマトの思惑だった。
    (特にアイクとボーレはね)
    団長として日々忙しく働くアイク、新たに副長となってともに働くボーレ。この二人は特によく働いていた。たまに時間があるときはよく二人でのんびりと昼寝などしている。
    (たまには場所を変えてのんびりしてくるのもいいものよ)

    一行はメリオルに到着した。経費節約のため乗り合い馬車には乗らず歩いてきたため、途中、宿泊しつつ辿り着いた。アイクは一時期爵位を持っていた関係でメリオルと傭兵団の砦をよく往復していた。なのでこの道のりは慣れたものだったが、他の三人は疲れを訴えていた。特にミストは疲れ果てていた。
    「おまえ、よく何度も行き来してたよな」
    戦時中の行軍で慣れていたとはいえ、平時はそうそう遠出をしないボーレはそう呟いた。
    「俺も馬に乗れればいいんだが、馬はな、金がかかるし。まあ、鍛練にもなってよかったぞ」
    清々しい口調でそう返すアイクだった。つくづく敵わないと思うボーレだった。思わずその引き締まっている脚を見る。そしてその太腿をぽんぽんと叩く。
    「なるほどな。固てえ」
    「おまえも上半身だけでなく下半身も鍛えるといい」
    アイクもボーレの隆々とした腕をぽんぽんと叩く。
    「あーっ、ボーレ、セクハラだね」
    ミストがその様子を見てぼそりとそう漏らした。
    「ぷっ」
    ヨファがその冗談に吹き出した。
    「はあ?」
    ボーレは訳が分からないと言わんばかりに怪訝な声を漏らした。
    「ボーレって昔からエッチだよね」
    そう言われてボーレは眉を歪めた。
    「何がだよ! こいつ、男だろ!」
    「バーカ、バーカ」
    ミストの悪ふざけにボーレは眉を上げた。
    「ミスト、俺は鍛練の成果を認められるのは悪くないと思うぞ」
    諌めるようにアイクがそうミストに言ってやった。
    「ったく、もう……」
    呆れたようにそう漏らしたボーレはアイクの顔を見遣って笑みを漏らした。そんなボーレの顔をヨファがにやにやとしながら覗き込んでいた。
    「ボーレ、アイクさんって大人だね」
    「うっせえ!」
    ヨファに拳骨を飛ばそうとするボーレだったが、ヨファはひらりとかわした。

    到着するとすでに日も暮れていたため、一行は宿を取り日を改めることにした。
    「俺たちは団の運営に関する出張ってことで経費で泊まるがおまえたちは個人的な旅行ってことだからな。自分達で金を出せ」
    さらりとアイクがそう告げた。
    「えっ!」
    ミストが驚き声を上げる。それを見てボーレが苦笑していた。そしてちらりとヨファへ目を遣る。
    「ミスト、ぼくが出すよ。手持ちがないわけじゃないから」
    ヨファは意を決したようにそう言った。
    「でも……そうね、わかった。私も出すわ。お給金から貯金していた分、持ってきたから……」
    「いや、女の子に出させるなんて」
    そんなやり取りがなされている中、アイクはさっと受付を行っていた。
    ヨファとミストの話し合いがついたころにはその姿は見えなくなった。ボーレもいつの間にかいない。
    「えっ、ちょっと待って、どうしよう」
    ミストが戸惑い、ヨファもきょろきょろと辺りを見渡した。ヨファも内心どうしようと惑ったが気を取り直す。
    「ミスト、とりあえずぼくらも受付を済ませよう」
    「うん」
    そして受付を行うが、すでにアイクが手配していたようだ。一泊分の代金も払ってあった。
    「お兄ちゃん……」
    ミストは兄のその心遣いに触れた。
    「残りはぼくが払うよ」
    「うん」
    ヨファは内心焦りを覚えてそう言った。男の沽券に関わるのだ。

    「……それにしても」
    部屋に入ったヨファとミストは荷を下ろして湯浴みの準備をしていた。
    「何も言わないで決まったけど、ぼくら同室なんだね」
    緊張した面持ちでヨファがそう呟く。
    「うん。お兄ちゃん、さっさと部屋に行っちゃうから」
    ミストはさらりと返した。
    「じゃあ湯浴み場へ行ってくるね」
    支度を済ませたミストはそう言って共同の湯浴み場へ行った。ヨファも追って向かう。

    「お、ヨファじゃねえか」
    湯浴み場は男女で分かれている。湯浴み場には先にボーレがいた。アイクは日課の自主鍛錬をしてから向かうとのことなのでまだいない。
    「背中流してやろうか?」
    「いいよ」
    ボーレが呑気にそう声を掛けるとヨファは首を横に振って照れ臭そうに断った。
    「まあまあ」
    それでもボーレはヨファをくるりと回し背を向けさせる。
    「おまえら明日どこ行って遊んでくるんだ?」
    何気なくそんなことを聞いてくるボーレ。
    「……別に」
    口を濁すヨファ。
    彼にとって明日のことより今夜のことの方が一大事なのだ。ミストと同室、しかも寝台は一つ。
    「なんだよ、ミストはあちこちに行きたがってるだろ。きっと振り回されるんだろう。がんばれよ~」
    少し楽しげにそう言い、ごしごしとヨファの背中を手布で擦るボーレ。ある意味無邪気なボーレの口ぶりにヨファは悶々とした。そして重い口を開いてみる。
    「ボーレ、アイクさんと一緒の部屋でいいの?」
    「はあ?」
    「いや、だからその……ぼくらと同じような部屋でしょ? ベッド一つしかないし……」
    俯いて口ごもるヨファ。
    「そうだな。それがどうした? あいつとはいつも結構一緒に寝てるから寝づらいってことはないな。いびきとかはそんなにかかないぞ」
    ボーレのその言葉にヨファははっとした。そういえば、ボーレとは同室で二段の寝台を使用しているのだが、ごく自然にボーレの寝台にアイクが挟まっていることがよくあることを思い出した。たまにボーレがいないと思ったらアイクの部屋の寝台にボーレが挟まっていたりする。
    「寝返りは結構激しいから朝起きたら潰されてたりするけどな!」
    そう言って笑うボーレの言葉にヨファは数度頷いた。
    「っていうか……なんで、一緒に寝てるのさ。そんな狭いところで」
    ボーレは隆々とした大柄な男だ。アイクも同様に大柄だ。二人が寝台を共にするときは一人用の寝台でまさに挟まるという表現がしっくりくるような様態になって眠っている。
    「……ん? なんとなく。昔からそうしてたし」
    基礎鍛錬を共に自室でやることが多かったため、そのまま疲れて寝台に潜り込んで眠ってしまうことがよくあったころから習慣となっていた。
    「嫌じゃないの?」
    「何がだ」
    「もういい」
    ヨファはいきり立って桶に湯を入れ頭から被るとボーレに顔も向けずに立ち去っていった。
    (う~ん、反抗期かな)
    そんなヨファの様子を見てボーレはそう心の中で呟いた。
    (あいつ、昔からおれに対しては特にそうだけどな……)
    そう思いつつもこうしてヨファに構い、兄貴ぶってみたかったボーレであった。
    部屋に戻るとあとは眠るだけとなった。
    「寝ようか」
    ヨファがそう言い出した。
    「うん」
    ミストが相槌を打つと、寝台に足を置き、掛け布を腰まで掛けた。
    この寝台は一人用より少し大きい。一人半分くらいの広さだ。そんな寝台が一つ置かれたのみの狭い部屋。アイクが宿代節約のためこのような部屋を取った。他意はなさそうなのだが。しかしこのような部屋割にしたということは気を利かせてはくれたのだろうかと思った。
    燭台の炎を消すとヨファも横になる。
    「……狭くない?」
    「ううん」
    そう聞くとミストからそんな返事が返ってくる。そしてしばらくの沈黙。ヨファは隣に感じる体温に胸の鼓動を高鳴らせていた。そっと手を動かしてみる。すると柔らかい手に触れた。思わず身を竦める。そのまま包み込むように握ってみた。握った手は微かに動く。
    ヨファは唾を飲み込む。
    そしてじわりと距離を詰めた。
    「……だめよ」
    掛け布を被ったままミストに覆い被さろうとしていたヨファはそう制される。唇に指が当てられた。
    「そういうことは結婚してからって決めてるの」
    その言葉にヨファは目を見開いた。
    「……ごめん」
    「ううん、わたしもちゃんと言わなかったから。でも、約束してくれるなら、ね?」
    可愛らしく首を傾げてそう投げ掛けてくるミスト。ヨファは思わず頷いてしまった。
    「わあ! 嬉しい! 約束だからっ」
    内緒話をするような小さな声で喜びを表わす恋人の可愛さ。これを壊してはならないと、ヨファは自制を決めた。
    「でもおやすみのキスは欲しいな」
    「わ、分かった……」

    やわらかくて、甘い、その味に酔いながらヨファはまた寝台へ潜り込んだ。規則正しい寝息が聞こえてくる。
    この寝息が聞こえてくるまでにミストは語った。
    「あのね、わたしは傭兵団が安定してほしいと思うの。もっともっと働くわ。それまで式とか挙げるの、大変でしょ? だからお兄ちゃんたち、応援しようね」
    と、いうことはそれまでおあずけなのだ。
    (いやいやいや……)
    ヨファは掛け布を被って悶々としていた。
    (ぼくはミストのことを大切にするんだ!)
    純粋な想いのたけを募らせてみる。しかし単純な欲求がそれを掻き消そうとする。どうやら今夜は眠れそうにない。
    溜息を吐きながら静かに寝台を下りて壁に耳を寄せて意識を集中してみた。この壁を隔てて彼の欲求を満たすための条件となる二人がいるわけだ。

    「ハラへったな」
    「そうだな」
    いきなり聞こえてきた会話がそれだった。
    「おい、何か食い物ねえか?」
    ボーレの声だ。
    (バカだ……。あれだけ食べたくせに……)
    ヨファは苦笑いした。夕食は定食屋の大盛り定食だった。ボーレとアイクは二人して追加注文をしていたくらいだ。
    「あったら俺が食ってるぞ」
    アイクがそう返していた。
    「そうだよな」
    あっさりと諦めをつけるボーレだった。
    「朝飯いっぱい食え」
    「だな。よし、寝るぞ! 寝るぞ!」
    気合いを込めて就寝宣言をするボーレだった。その間の抜けた様子にヨファは
    (だめだこりゃ……)
    と、なんとなく脱力した。そして、もそもそと寝台に戻った。

    ボーレとアイクはいつもよりは少し広い寝台で横になる。空腹だというわりにはすぐに眠気が訪れていた。
    「いつもよりちょっと寝やすいな」
    「ああ」
    ボーレがそう感想を漏らすとアイクが相槌を打つ。
    「大きめの寝台はいいな」
    「そうだな」
    天井を見ながらそれを実感しているボーレ。それでも二人は結局寝台の中央に寄って密着している。いつも狭い寝台で寝ている癖なのだ。
    「この部屋は一人だと高いが二人だと割安だ」
    「おお」
    アイクがそう説明するとボーレが感心したように相槌を打つ。
    「あいつらが夫婦かって聞かれたが面倒だからそうだって答えた。そしたら割り引いてくれたぞ。ここには今まで一人でしか来たことなかったからそういう割引があるなんて知らなかったな」
    「ははっ、そりゃよかったな。そんなんじゃねえのに。っていうかそうなるつもりなのかあいつら」
    ボーレがそう軽く笑い飛ばすとアイクもつられて軽く笑った。そしていつしか眠りに落ちていった。

    「おはよう」
    夜が明け、宿に併設されている定食屋にそれぞれが集合した。
    「おはよう!」
    アイクへそう元気に挨拶を返すのはミストだった。
    「よく眠れたか?」
    「うん! だから今日は元気だよ。さあ、今日は遊ぶんだから」
    にこにこと機嫌が良さそうに返すミスト。その横でぼーっとしているヨファの姿があった。
    「ふあぁ……ヨファ、おまえ、眠そうだな。眠れなかったのか?」
    眠そうにボーレがヨファに話しかけた。
    「……ちょっと」
    結局、気が昂ぶってよく眠れなかったヨファは朝から疲れを見せていた。
    「ボーレも眠そうだけど?」
    「ん、まあな。眠れはしたけど、何か重くて、って思ったらこいつのケツに潰されてたし」
    そう言ってアイクを指差して笑うボーレだった。ヨファはどんな寝相だったのだろうとよく働かない頭でぼんやり疑問に思った。そして、男同士だけど文字通り尻に敷かれていると思い、少し笑いが込み上げた。

    そして四人は朝食を注文する。それぞれ違うものを注文した。
    「うーん、豚肉のトマトスープか鶏肉のミルクスープで迷ったな。やっぱどっちもうまそうだ」
    卓に置かれた品を見てボーレがそう呟いた。ボーレは前者を選んだ。そう言いつつもパンをちぎり口に入れ、もりもりと平らげていく。
    「ほれ」
    同じようにもりもりと平らげていたアイクが自分の分のミルクスープを匙で掬い、それをボーレの顔に近付けた。ボーレはぱくりとその匙を銜える。
    「ん、うめえ。明日はこっちにしよう」
    「だな。おまえのもちょっとくれ」
    そう言い、その匙でボーレのスープを掬い、口にするアイクだった。
    「ん? なんだ、ミスト」
    その様子をミストがじっと見つめていた。
    「お兄ちゃん」
    「あ、行儀が悪いって? すまん」
    咎められるかと思い、アイクは先に謝った。
    「ううん、いいの。うん」
    少し笑みを浮かべてミストはそう納得していた。アイクとボーレは首を捻った。
    ヨファはちらりとミストを見た。ミストはそれに気付き、自分の惣菜に匙を入れて、それをヨファの方へ運ぼうとしたが
    「やだっ、恥ずかしいっ。あーんして、とか言えないっ」
    そう言ってそれを自分の口に入れた。ヨファは顎をがくりと落とした。
    「何やってんだおまえら」
    ボーレがその光景を見てそう言い放った。
    「肉の取り合いとかするなよ」
    アイクがそう言うとヨファは苦笑いをした。よりによってアイクにそんなことを言われたからだ。昔、ボーレとアイクは砦の食卓でさかんに食事の品の奪い合いをしていた。
    「ははは、そうだぞ。おれら、昔はよくやったけど今はもうさすがに大人だからな!」
    「な」
    そう言いボーレとアイクは顔を見合わせて笑っていた。ヨファはこれ以上何かを言う気にならなかった。
    城門が開かれる時間になると、アイクはボーレを伴ってクリミア王城へ向かった。
    「いつぶりだろう、相変わらず落ちつかねえ」
    王城の絢爛ぶりが落ち着かないといい、そわそわしながらそう呟くボーレ。先の戦乱の際、立ち入ったきりだった。城門へ立つと門番が逐一身分を聞いて検問していたが、アイクの顔を見ると速やかに中へ通した。
    「顔パスか。まあそうだろうな」
    クリミアの英雄、大陸の救世主として讃えられるアイクだからだととボーレはそう思った。
    「まあ、今でもたまに出入りはするからな」
    爵位を返上して王宮での仕事はなくなったもの、アイクは傭兵団として仕事を請けられないかとしばし出入りしていた。彼のように王宮へ気軽に出入りする傭兵などそうはいない。貴族社会は肌に合わないというわりに、したたかに利用はするあたり逞しいとボーレは思った。

    王城へ通され、ある一室で待機する。
    以前の戦乱の際、共に戦った王宮騎士団の長であるジョフレを待っていた。アイクは爵位を持っていたとき、王宮での生活や貴族社会についてなどの教えを受けていた。鍛練の相手でもあった。なので懇意だ。
    「やあ、アイク。久しぶり」
    しばし茶を飲みつつ待っているとジョフレが現れた。
    「ジョフレ、久し振りだな。元気か?」
    アイクは差し出された手を握り、挨拶を交わした。その横にいたボーレはその光景を見つめていた。
    「ああ。俺は元気だ。騎士団の皆もな。見習いたちも増えてとても活気に溢れている」
    溌剌とした笑みを浮かべてジョフレはそう返した。そのくだけた口調を聞いてボーレは違和感を覚えた。アイクが王宮へ出入りする前はこのような口調で接していなかったはずだ。爵位を返上した後の戦乱において、その際にも接触している場面を見ているが、これほど親しげだっただろうかと思った。そして傭兵団以外の人間とこうして親しげに話しているところを見ると、彼の違った一面を見たような気になる。
    「ああ、その件についてだ」
    ジョフレが着席するとアイクは早速用件を持ち掛けた。傭兵団が騎士団の武術の鍛錬を受託するという件だ。
    「それはいい話だ」
    ジョフレは納得したように頷き、そう感想を漏らした。
    「平時となった今、うちも見習いばかり増えてなかなか大きい仕事もないから、かつかつだ。戦乱が起きて欲しいわけではないが、傭兵とはそういうものなんだな」
    少し憂いを見せてアイクがそう漏らした。
    「そうだな。恒久的に平定が保たれていればいいが、先の戦疫のように突如攻め入られることがないともいえない。実際に起こってしまったが、内乱の可能性もなきにしもあらずだ。そのためにも騎士団の育成は欠かせない」
    熱を込めて語るジョフレ。その熱は理念に燃えるがゆえのものだろうか。その瞳は真っ直ぐとアイクへ向かっていた。ボーレは口を挟むでもなく二人の話しぶりを傍聴していた。
    「ああ。しかしクリミアはオスカーもここへ戻るほど人手不足なのだろう。完全な復興までまだかかるようだし、一部でもこちらで請けられることがあれば手助けをしたい。……正直、うちも食わせてもらいたいんだがな」
    そう言いアイクは肘を卓に乗せ手を組み、その上に顎を乗せ、ちらりと上目遣いでジョフレを見た。その唇が笑う。
    思わずボーレはそんな彼を凝視した。そして見覚えがある仕種だと思った。そして引き攣り笑いをする。
    (こいつ、こうやって人に頼み事すんのな……)
    それは親しい相手にする仕種だ。それが故だろうか、そうやって頼まれるとなんとなく断れないのだ。
    「俺の一存では決められないが前向きに検討したい」
    ジョフレはそんな彼の瞳を見つめながらそう言葉を吐いた。アイクはあと一押しと言わんばかりに無言で圧を掛けるようにじっと見つめる。
    その横でボーレは無意識にジョフレの様子をじっと伺っていた。
    「あら、ジョフレ。何か不都合でもありまして?」
    彼の背後から女性の声がする。ジョフレはびくりとして振り返るとそこにはクリミア女王エリンシアそのひとが立っていた。
    「えっ、エリンシアさま…っ!」
    このうろたえよう。条件反射のようだった。そんなジョフレの顔は赤かった。
    「アイク様、お久しぶりです。それは素晴らしい提案ですね。傭兵団の皆様ならきっと我がクリミア王宮騎士団を立派に育て上げて下さいます」
    淑やかな佇まいかつ、威厳を湛えてエリンシアは彼らの前へ寄り、そう言い放った。
    「私もグレイル傭兵団の皆様に育まれたものです。それもあってこうして上に立つことができました。王宮騎士団も外の空気に触れて、民の心を知ることができると思います」
    クリミア戦疫の際、グレイル傭兵団とともに祖国奪還の道を歩んだ経験からエリンシアはそう推した。
    「あんたがそう言って推してくれるなら心強いな」
    アイクは口角を上げてそう言った。アイクのその顔とエリンシアのその推しを見てボーレはごくりと唾を飲んだ。そして変な笑みを浮かべているジョフレを見て何故か溜息が漏れた。そんなジョフレと目が合うと自分も変な笑みが浮かぶ。
    エリンシアの推しがあるということで、この件は大方上手く事が運ぶだろう。あとで正式に話を進めるということだ。折角顔を合わせたということでそのまま歓談をすることとなった。

    ちょうど午後の紅茶の時間である。給仕が新たな茶を運んできた。その香りに誘われるように見覚えのある顔が現れる。
    「これはアイク殿、お久しゅう。ご機嫌いかがかですかな?」
    そう仰々しく述べつつ辞儀をするのはクリミアの腹心フェール伯ユリシーズだった。
    「ああ、悪くない」
    ユリシーズに掌の甲へ口付けられながらそう返すアイク。
    (どっちがお偉いさんなんだかわかんねえ……)
    そんな感想を抱くボーレ。
    「アイク殿が来臨されたと耳に挟み馳せ参じた次第で……。その雄々しき風采は相も変わらずといったところですな」
    ユリシーズは淀みなく美辞麗句を並べ立てる。それをアイクは無表情で受けていた。
    「わざわざすまんな」
    そしてさらりとそう返す。
    「おい……なんか褒められてるっぽいからちょっとは触れてやれよ……」
    その清々しいまでの流しぶりにボーレは思わずアイクへ耳打ちした。
    「ああ、これはいつもだから。挨拶の一部みたいだぞ」
    アイクはそう返した。毎度このような美辞麗句を並べられるところから始まるので、要点だけを押さえて呪文のように聞き流しているという。昔はこの男の話を聞くだけで眠くなったので本人としては大進歩と思っている。
    そうして思いがけずクリミアの重鎮が揃い、茶卓が社交所と化した。所謂「ティーサロン」である。
    (お、おれ……居づれえ……。っていうか何でおれ、こんなとこにいるんだ……)
    おおよそ場違いではないかと惑うボーレであった。

    「ときにアイク殿、例の件はやはり拝辞するということで変わりありませんかな?」
    茶を啜りつつユリシーズがそう持ち掛けた。
    「ああ、頼む」
    アイクがそう応えるとジョフレとエリンシアは軽く数度頷いた。ボーレは首を傾げた。
    「アイク様の胸中お察しします。やはりご自分の意思なくしては幸せな婚礼とはなりませんもの」
    エリンシアのその言葉にボーレは目を見開き、口を開き、吃驚した。
    「お、おい…なんだよそれ」
    ボーレは思わずそうアイクへ問いかける。
    それはアイクへの求婚の話だった。彼の名声と人脈を目的とした婚姻話が後を絶たない。主にクリミア国内の諸侯から話が舞い込んでくる。諸侯らの娘との縁談だ。ユリシーズのような美辞麗句を並べ立てる者も少なくない。時折、宗主国ベグニオンからも話があるという。そのような話はユリシーズを通して交渉がなされている。
    「砦に来られると面倒だからな。全部任せてたんだが」
    アイクは肩が凝ったとでも言いたげに肩を揉む仕草をしている。
    「あんたにとっても俺の処遇をおさえておくことが他諸侯を増長させるのを防ぐことになるからいいのだろう?」
    流し目でそうさらりと言い切る彼はしたたかさを湛える。これは駆け引きである。
    「アイク様…申し訳ありません、こんな。ユリシーズの腹案は存じておりますが、クリミアを思うがゆえのこと……」
    切々と申し訳無さそうに訴えるエリンシアであるが、国家のことが引き合いに出されるあたりこちらもしたたかだとボーレは思った。
    「しかし、いいかげん断り続けるのもなんだな。あんたらにも面倒をかける」
    「……それっておまえ」
    ボーレがちらりとアイクを見る。
    「ああ、どうにかせんとな」
    「おまえもついに身を固めるってことか」
    ボーレのその言葉にアイクは一瞬目を大きく見開いて数度瞬きをした。
    「はあ……。おまえが所帯持つのか。小さい頃から一緒に過ごしてきたけどな、ついに……」
    ボーレは感慨深げにそう吐き出す。
    「なんかよくわかんねえけど、好きでもねえ奴と一緒になるのはそりゃまあ、嫌だろう。そんで、女王様周りから離れた貴族んとこにおまえがいっちまったら、おまえの名の下に反乱とか起こしたり調子付く奴が出てくるかもって。と、なると身を固めるっていったら身近な奴とだよな。おまえ、誰と結婚するんだ? まさかティアマトさん…ワユ…? それとも傭兵団の新人で好きな女でもできたか?」
    そして思い当たる縁を挙げていく。
    「まあ、悪くないんじゃないか」
    そう言い切って溜息を吐き出すボーレ。
    「傭兵団との提携の件でも、忙しくなるだろうし、おまえの身が固まっているほうが何かとよさそうだ」
    そしてばんばんとアイクの両肩を叩く。
    「まあ、でも、いいんだぞ、おまえがそうしたいっていうなら婿にいっても。おえらいさんの娘と結婚して貴族になって傭兵団を出て行くっていうのでも。貴族になるのが嫌だっていっても、フェール伯や将軍、女王様がおまえの過ごしやすいようにうまくやってくれるだろ。傭兵団はおれに任せろ」
    そのままじっとアイクを見つめる瞳は心なしか潤んでいるようだった。
    「あの……」
    そんなボーレの肩を背後からぽんぽんとジョフレが叩く。
    「アイクはそんな意思は全くないって言ってるんだが」
    その言葉にボーレは固まった。そしてかっと顔を熱くした。
    「なっ……! なんだと……! いや、あの、その」
    言葉が次げないでいた。アイクは軽く笑った。
    「善き哉、善き哉」
    ユリシーズが髭を触り、頷いていた。
    「じゃ、じゃあどうすんだ、おまえ」
    言葉を詰まらせながらボーレがそう問うとアイクはじっと見上げつつ見詰め返す。
    「……なあ、前におまえにウルヴァンやっただろ。親父の斧」
    それは彼の父が生前愛用していた戦斧だった。女神との決戦の際、導きの塔へ入る前に渡した遺品。
    「おまえにやる、って言っただろ?」
    その言葉にボーレははっとした。そしてその重みを思い出した。
    「わ、わかったよっ! くそっ……」
    ぐっと拳を握り締め当時の決意も思い出す。いつか、そこへ帰ろう、と。
    「お、おまえと傭兵団はおれにまかせろ!」
    「……ああ、よろしく頼む。俺は貴族になったりしない。その斧にかけても」
    アイクは笑みを浮かべて手を差し出した。ボーレはその手を固く握った。そして周りからは拍手が起こる。侍女からも拍手を受けた。
    「ああ、アイク様、傭兵団は安泰ですね。これからもお二人で力を合わせて歩まれるのですね」
    にこやかにエリンシアがそう述べた。
    「まあ…おまえが団長ってのは変わんねえよ。ずっと、そうやっていくだろ」
    ボーレがぽんぽんとアイクの肩を叩く。
    「まあ、そうだな。そうしてみんな、一緒に飯を食ったり寝たり……これ以上何があるんだろうか」
    「それ以上のことはねえよ」
    アイクはそう自問すると、ボーレがそう答えた。
    「みんな元気で笑い合って。家族だな。それを守れるように頑張ろう」
    ボーレがそう言うとアイクは静かに頷く。
    「家族……、そうだな。みんな、少しずつ事情も変わってきて移りゆくが、変わらずあり続けたいものだな」
    「アイク様、家族というのは素敵なものですね」
    にこやかに笑みを浮かべ、エリンシアが綺麗に纏めた。
    「そうだな。こいつ、こう見えても複雑な家庭だったんだ。俺も母さんの記憶がほとんどないからな。だから余計にそう思うのかもな」
    ボーレへ目を遣りながらアイクがそう語る。
    「こう見えても、ってなんだよ。んまあ、そうだな」
    ボーレもそうしみじみと語った。
    「まあ、本当にお二人は素敵なパートナーですわ」
    エリンシアは両手を合わせ、微笑んだ。
    「そうか?」
    「何で疑問形なんだよ」
    アイクが首を傾げるとボーレが肘で突く。その様子に和やかな笑いが起きた。
    「では……訓練所設立は国家をあげて手配をいたしますわ」
    エリンシアがそう提案した。
    「ええっ!?」
    ボーレが驚きの声を上げる。
    「いや、そこまでは……」
    アイクは消極的な言葉を返す。
    「アイク殿、これはクリミア国家にとってもそれだけの価値がある話ですぞ」
    ユリシーズのその言葉にアイクとボーレは同時に目線を上に向け、怪訝な表情を浮かべた。
    「アイク様がそこにいらっしゃるというだけで、何物にも替え難いのです」
    エリンシアがそう言葉を挟んだ。
    「さよう。蒼炎の勇者を一目伺うことができる場所、これはクリミア国内へ及ぼす経済効果も大きく望めますな。定期便を走らせることもできましょう。諸々の経費と突き合わせても訓練所の設立を踏まえた将来的な展望を見るに安いものですぞ」
    エリンシアとユリシーズがそう返答した。
    「ああ、わかった。持ちつ持たれつってわけだ」
    アイクは口角を上げる。
    「俺が傭兵として積み上げた実績が担保となるわけだ。それがあんたらクリミア国家との交渉材料ってわけだな」
    脚を組み笑みを浮かべてさらりとそう明け透けに言い切るアイクを見てボーレはただ圧倒されて口を開けて固まった。ジョフレはそんな彼に肉食獣のような強さを感じ、息を飲んだ。
    「ええ、アイク様。これからも良いお付き合いをさせていただきたいものですわ」
    エリンシアも淑女たる清廉な笑みを湛え、そう返した。ボーレはその笑みを見て背にぞくりとしたものを走らせた。ジョフレは恍惚とした表情でその笑みを見つめた。
    (うわ、こいつ、女王様に踏まれたいとか思ってるだろ)
    そんなジョフレの表情を見てボーレはそんなことを思った。自分が就寝中尻に潰されていることを棚に上げて。
    「ではよろしく頼む。これで砦に土産が出来たな」
    「はあ…まさか女王様が直接関ってくるとは。みんなびっくりするぜ」
    ボーレは天井を見つめ、息を吐いた。

    アイクとボーレが登城している間、ヨファとミストはメリオル市街をそぞろ歩いていた。所謂デートである。
    「ねえ、ヨファ! こっちこっち」
    ミストがヨファの袖を引っ張って洋服屋へ連れ込む。これで五軒目だ。
    「ああ……あっちの店で見たあれより色がきれい! でもちょっと丈が短いかな」
    そう言ってスカートを選んでいる。
    (色とか違いがあんまりわかんないんだけど……。でも丈は短いほうがいいよ!)
    ヨファはミストの脚を見ながら心の中でそう返事をするが内心疲れていた。
    「そうだね、きれいな色だね。でもあんまり丈が短いと寒くない? よく似合うけど」
    しかし、にこりと笑顔を作りそう言ってやる。
    「ううん、大丈夫! ヨファが似合うって言ってくれるなら頑張って穿くんだから。おしゃれは我慢っていう言葉があるの」
    嬉しそうな顔で張り切って応えるミスト。その笑顔は可愛い。しかしそうなると責任重大だ、とヨファは思った。
    「あああ、あんまり無理しないで」
    「うーん、そうね。うん、見るだけ、見るだけ。お財布もあまり無理できないし」
    そう言い名残惜しそうに陳列棚にそれを戻すミスト。その残念そうな顔を見るとヨファはちくりと胸が痛んだ。昔から彼女は欲しい服を我慢して綻びを直しつつ少ない手持ちの服を着回している。
    「うちが貧乏傭兵団っていうのは昔から変わらないもの。今回だって宿代でいっぱいいっぱいだもんね。ヨファとメリオルへ来れただけで楽しかった!」
    そう笑顔で言い切られては何とかしてやりたくなるのが男の性と言わんばかりにヨファは奮起した。
    「いいよ! ぼくが買ってあげるから。それ」
    もとよりこのような出費は覚悟していた。男として恋人に欲しいものの一つでも買ってやらねばと思っていたのだ。
    (ぼくはボーレとは違うんだ! 女の子の気持ちを考えなきゃ!)
    そして自分が欲しいと思っていた篭手は諦めるのであった。
    「……え、本当? いいの?」
    瞳を若干潤ませてミストがそう聞いてくる。
    (きた、きた…!)
    予想通りの反応が返ってきてヨファは意気込んだ。
    「うん。遠慮しないで」
    ヨファはさらりとそう応える。
    「ありがとう……! でも、それなら……」
    そう言い、ミストはまたヨファの袖を引っ張り違う店へ連れていった。
    「これがいいな」
    そこは装飾品類の店だった。ミストが指差すのは二つの指輪。
    「ね! ヨファも一緒につけるの」
    可愛く片目をつむり、目線を送ってくるミスト。ヨファは恋人のその可愛らしさに目眩がしそうになった。
    「いいね、うん。いいね」
    そしてちらりと値札を見た。先程のスカートの倍額だった。思わず顔が引き攣りそうになったが、宿代含めてなんとか支払える額だと計算して堪えた。
    「ねえ、お願い」
    会計を済ませるとミストが指輪の入った箱を差し出す。ヨファは察してその箱を開けて指輪を取り出しミストの指に嵌めてやった。
    「わあ、薬指! ありがとう!」
    薬指に合う大きさのものを選んだのだが、なおのこと強調してミストがそう言った。そしてヨファもミストに指輪を嵌められる。
    ヨファは達成感を感じたが、自分の薬指に見えない鎖が繋がれたような感覚を覚えた。
    (……逃げられない、な)
    そしてごくりと喉を鳴らす。
    それから二人は手を繋ぎながら市街を歩き、喫茶で甘味を味わうなどした後、城門側まで向かった。そろそろアイクとボーレが下城するころである。物陰に隠れ待ち伏せをして後をつけようと構えていた。あの二人が何をどうするのか興味本位で観察してみようという話になったのだ。
    (まだかな)
    (もうそろそろじゃない?)
    小声で会話をする二人。そうこうしているとそれらしき人影が見えた。
    (来た来た!)
    人一人分の距離を開けつつ互いに違うところを見ながら歩いてくる姿があった。アイクが先頭だ。どこを見つめるともなく二人はぼんやりと歩いていた。
    (相変わらずだね、あの二人)
    (うん)
    そして二人はそのまま市街へ向かっていった。食事処を探すのかと思われた。二人はヨファとミストに気を遣って夕飯は別に食べてこいと言っていたのだ。
    「デートなんだろ?」とはアイクの談だった。
    (お兄ちゃんもついに私たちに気を遣うようになったのね……。大人になったんだわ。それにしてもお兄ちゃんたち、どこに行くんだろう。どこかいいお店知っているのかな)
    ミストは二人の姿を目で追っていた。
    それでも夕飯時にはちょっと早い。二人も少々散策をするようだ。ある店へ入ったのを確認する。
    「あー、やっぱりそこなんだ」
    武器を物色する二人の姿があった。そこは武器・防具の店だった。

    「うーん、いいな、これ」
    斧を手にし構え興味深そうに見つめるボーレ。その横で剣を手にし刃をじっと見つめるアイクの姿があった。
    「どうだ?」
    ボーレがそう聞いてくる。
    「いいんじゃないか?」
    アイクがそう応えるとボーレはそれをアイクへ渡す。
    「うん、おまえも似合うぜ」
    斧を持って構えてみたアイクへ向かってボーレがそう笑いながら言い放った。

    「なんか、お兄ちゃんたち……デートっぽくない?」
    その様子を見てミストは半笑いでヨファに同意を求めた。
    「そうだね、ボーレも女の人にあんな感じでいけばいいのにね。アイクさんとラブラブでどうするのさ」
    ヨファも同調してそう言った。
    その後も二人は延々と武器を物色していたので飽きてきたヨファとミストは表に出てボーレの悪口を言いながら待ち伏せていた。

    「ボーレ、ちょっとこっちこい」
    しばらく武器を物色していたが、アイクが突如ボーレの腕を引っ張る。
    「うおっ、なんだ」
    ボーレは声を上げてそのまま引きずられる。
    「これ、着けてみろ」
    そこは防具の売場だった。アイクに試着を勧められたのは革製の腰当てだ。戦闘の際、負担が掛かる腰を支えるための必需品である。特にボーレは重量のある斧を扱うため重要な品だ。また、彼は鎧を着用しないため、防護にも役立つ。
    「お、おう」
    店主に許可を得て試着をしてみた。
    「ぴったりだな」
    ボーレが着用したのを見てアイクは納得した様子だった。腰当てを巻いたその腰をぱんぱんと音を立てて叩いてやる。
    「よく一発で見つけたな、こんなぴったりのやつ」
    感心したようにボーレがそう呟く。
    「目をつけていた。前に来たときにな。まだ残っていてよかった。買って帰ろうと思ったが合わなかったら勿体ないし」
    腰に手を当ててアイクはそう言った。
    「あんた、そちらは相棒かい? すごい熱心に選んでたけどぴったり合ってよかったな」
    店主がアイクにそう声を掛けた。
    「ああ、そうだ。キリキリ働いてもらうから投資しないとな」
    そう含み笑いをしてアイクは応えた。
    「おいおい、容赦ねえな」
    少し引き攣り笑いをしてボーレがそう言う。
    「まあ兄ちゃん、これが相棒の愛ってもんよ。がっつり受けとってやろうってもんじゃねえか。こいつはよく鞣してあってしなやかに衝撃を受け止めるいい品だぜ!」
    豪気な笑いを浮かべて店主がそう言い放った。
    「なんだ、いいのか、買ってくれるのか」
    ボーレがそう訊くと
    「ああ。経費で落とすがな。おまえが今使っているやつは擦り切れてきたからみんな納得するだろ」
    アイクが口端を上げてそう答えた。
    その腰当てが気に入ったのか会計を済ませてからもボーレは着用したままだ。
    「今着けることはないんじゃないか?」
    「へへ、いいだろ。メシを食うときには外すさ」
    「おまえ、かなり食う気だな。よし、じゃああそこへ行くか」
    大飯を食らう気でいるらしい。アイクはそんなボーレの腹を撫でた。
    「……おまえさ」
    ボーレがぽつりと漏らす。アイクがちらと顔を上げる。
    「おれにこれ買うためにここ…メリオルまで連れてきたのか? 今回」
    そう指摘されてアイクは瞬きと息を止めた。そして小さく首を振る。そのままぷいと顔を背けて背を向けた。
    「ありがとな」
    ボーレはその背にそう呟いた。
    「行くぞ」
    返ってくるのはそんな無愛想な声。その耳が少し赤かった。
    ボーレの肩にぽん、と店主の手が置かれ、笑みが向けられた。そして笑い返す。それから彼の後を追った。自分も顔が赤く、緩んでいるだろうことに気付いたボーレは気を取り直してわざと眉を吊り上げてみた。

    「あ。出てきたよ」
    店から出てくるアイクの姿に気付いたヨファがミストの肩を叩く。ミストは息を飲んでその姿を目で追う。
    (なんか…お兄ちゃん、顔赤くして…怒ってる?)
    (うん、どうしたのかな)
    続いて少し遅れてボーレが出てきた。
    (なんか、ボーレも怒ってる?)
    (ケンカしたのかな)
    ひそひそと怪訝な表情で二人のそんな様子について語り合うヨファとミストだった。
    (まあ、それはしょっちゅうだよね)
    (ねえ、ボーレ…見慣れない腰当てしてるよ。どうしたのかな)
    (わかった! あれを買うとか買わないとかで揉めたんだよ)
    そんな憶測を交わすヨファとミストだった。
    (ひどい、ボーレったら! 自分のもの欲しいからごねたのね! お兄ちゃんだって欲しいものあるんじゃない?)
    (本当だね。ボーレは本当にしょうがないね)
    そろそろ辺りも暗くなり、夕飯時となった。
    アイクとボーレはようやく食事処へ向かうようだ。ヨファとミストはその後を追った。
    「どこ行くのかな」
    「……あの二人のことだからどうせ……」
    少し疲れ気味にミストが漏らし、二人が入っていった先は案の定だった。

    『特製定食爆盛り 完食した方は無料!』

    二人が入った店にあった貼り紙を見てミストは溜息をついた。
    「爆盛りだって」
    「うん」
    ヨファが貼り紙を見て呟くとミストはただ相槌を打った。
    「大盛りじゃないんだね。爆ってどんだけなんだろうね。って…これ、こっち見て」
    ヨファがその貼り紙の横にある貼り紙を指差した。

    『クリミアの英雄アイクも完食! 折り紙付きの味』

    それを目にしたミストは顔を引き攣らせた。
    「お兄ちゃん……何やってんの……」
    「アイクさん、ここの常連とかなのかな……」
    呆れながら二人は呟いた。
    「折り紙つき…って、お兄ちゃんあまり味にこだわらないんだけど…。いっぱい食べられればいいっていう」
    ミストがそう突っ込みを入れた。
    「ねえ、ミスト。ぼくらもごはん食べに行こうか」
    「うん。そうね。お兄ちゃんたち、ずっとあんな感じよね」
    そう言って二人は少し疲労感を覚えてその場を立ち去っていった。

    一方、その定食屋の中ではアイクとボーレが卓に着き顔を向き合わせていた。
    「俺はもう挑戦できないからおまえやってみろ」
    「殿堂入りかよおまえ」
    アイクが指差すのはヨファとミストが見ていた貼り紙と同内容のもの。
    「おおっ、いらっしゃいアイクさんよ」
    定食屋のおやじが話し掛けてきた。アイクは軽く会釈した。
    「あんたのおかげでウチも繁盛してる。ちょいちょい顔出してくれるから看板に偽りなしっていうことでな」
    おやじは貼り紙を指差す。
    「そうか、それはよかった。それなら宣伝費ってことで何か食わせてくれ」
    「おまえ、本当に図々しいな」
    アイクがおやじにそう言い放つとボーレがさらりと突っ込んだ。
    「いや、冗談だ。旨いものには見合った対価を支払う。ここのおやじはいい仕事をする」
    アイクは真顔でそう返した。
    「はっはっは、あんたのそういうところ好きだぜ。あの爆盛りを平らげてくれるくらいだ。その言葉に嘘はないってわかる」
    おやじは朗らかに笑い、そう言った。
    「ところでそちらは?」
    そしてボーレのことを指す。
    「同じ傭兵団の奴だ。今は副長として助けてもらっている」
    「ああ、なるほど」
    おやじにボーレのことを訊かれるとアイクは端的に説明した。ボーレはアイクのその説明に笑みを浮かべた。
    「今回も城へ仕事伺いに行ったのかい?」
    「ああ、クリミア王宮騎士団の育成を請けることになった。これはかなりでかい仕事だ。訓練所設立は国を挙げて面倒見てくれるとのことだ」
    アイクは僅かに口端を上げておやじの世間話に応えた。おやじはその表情を見て嬉しさを感じた。こうして彼と世間話をし、彼の成長ぶりを見守ってきたのだ。戦士としてだけではなく、経営者として頼もしさを具えていくアイクを見て息子の成長を見るようだと思った。
    「そりゃあ凄いな。じゃあ祝いだ。あんたらの分はごちそうするよ」
    そしておやじは緩く笑みを浮かべそう言った。
    「いいのか?」
    ばっと頭を上げてしっかりとおやじの目を見てアイクはそう聞いた。その様子を見てボーレは笑った。
    「やっぱおまえはこうでなきゃ」
    「何か言ったか?」
    「いや」

    そのころ。ヨファとミストは酒場を兼ねた小綺麗な食事処にいた。
    「わあ、きれい、おいしい!」
    少し値が張るが、盛り付けも美しく味も確かな品にミストは心を躍らせていた。
    (ぼく、これから本当に極貧生活だ……)
    ヨファは喜ぶミストの顔を見てよかったと思い、料理に舌鼓を打ちつつも懐具合を嘆いていた。
    (よし、もう、こうなったら)
    思い立ち、ヨファは店員に酒を注文した。
    「ちょっと飲もうよ」
    「えっ」
    そうしてミストに酒を勧める。
    甘い果実酒の入ったグラスが運ばれてくると、二人はカランとグラスを鳴らした。
    「えへへ、いいね」
    灯りも落とし気味で落ち着いた雰囲気が醸し出されている。そんな中響くグラスの音に二人は酔いしれた。大人になったような気がした。
    「ミスト、もっと飲みなよ」
    一杯目を飲み終えたところ、ヨファはミストにそう持ち掛けた。そして自分の分も注文する。ヨファはそうして杯を重ねていった。
    「ヨファ、大丈夫?」
    「ぼくは平気だよ」
    顔を赤くしてそう返すヨファ。脳裏には師匠シノンの言葉が浮かんでいた。

    「いいか、ヨファ。女を落とすには酒だ。酒を飲ませて酔い潰れさせる。飲みやすい甘い果実酒なんか勧めてやるといい。怪しまれないよう自分も飲め。そして警戒心がなくなった女を寝台へ介抱したら……あとはわかるな?」

    それを今、まさに実行中である。
    「はは、ミストこそちょっと顔が赤いよ」
    そう言い、ヨファはミストの頬に触れる。
    「やだ、酔っちゃったかな」
    ミストは小首を傾げ自分の頬に触れて熱を確かめる。
    「でもいいよ、ぼくがついてるからもっと飲んでも」
    そうしてグラスを傾ける若い恋人同士をちらりと見遣っていた店員は「古典的な手段だ」と思っていた。
    (しかも男の方が先に潰れるパターンだな、あれは)
    そして案の定、ヨファは前後不覚になってミストが抱えて宿に戻る羽目になった。
    (わたし、お父さんに似て結構お酒強いんだから)
    千鳥足になっているヨファを支えつつミストは心の中で語りかけた。酔いが冷めたらきっと自己嫌悪に陥るであろうヨファを思い、ただ黙っていた。
    (でもありがとう)
    今日一日自分を楽しませようと一生懸命だった恋人に感謝の気持ちを送る。
    (男のひとって…可愛い)
    宿へ帰ったらおやすみのキスをあげようと思った。
    すっかり月も浮かび、辺りは静かになったころ。酒場へ向かう人通りが見られる。歓楽街ではないこの辺りは軽い雰囲気の酒場が主だった。昼間は食事処や喫茶として営業しているところが多い。
    「はあ、食った食った」
    腰当てを外し膨らんだ腹を摩りながらボーレが通りを歩く。彼の顔を口端を上げて見やるアイク。
    「よかったな。タダだったし」
    「だな。しかしおまえも容赦ないな。結局爆盛り食ってんじゃねえか」
    軽く笑いながらボーレが返す。
    「おやじの心意気はしかと受け取ったぞ」
    アイクが腹を摩りながらそう言うとボーレはさらに笑った。
    「まったく、おまえは」
    ぽんぽんとアイクの肩を叩くボーレ。
    「そうだ、ここまで来たならあそこへ寄っていこうか」
    「ん? まだなんかあるのか?」
    思い立ち、アイクは提案した。そしてその先へ向かう。

    カランとベルを鳴らし潜った扉の向こうにいたのは知った顔。
    「あらいらっしゃい。久しぶりね」
    「ああ。カリル、久しぶりだな。今日はラルゴもいるのか?」
    「よお、いるぜ」
    アイクを迎えたのはこの店の女店主。そしてその夫だ。
    「ああ、そうか。ここがカリルの店、か」
    アイクに続いてこの店へ立ち入ったボーレは思い出したように呟いた。
    この店の店主カリルは先の戦乱でともに戦った魔道士だった。さらに前の戦──クリミア戦疫ではアイクが傭兵として雇用した者だった。夫ラルゴはそのときカリルの馴染みといって紹介された者だった。この二人はクリミア戦疫の際、将来店を構えると言っていたがそれが形となったものだった。
    二人がカウンターに着席すると卓に水が置かれた。
    「あら、今日はボーレと一緒なのね。あんたが誰か連れてっていうのは珍しいけど」
    水を置いてカリルがそう話し掛ける。
    「ちょっと近くまできたからな」
    グラスに口を付け、こくりと喉を鳴らし、アイクはそう返した。ボーレはきょろきょろと店内を見回している。
    「おまえ、一人で飲んだりするのか」
    それほど酒を嗜む趣味があったように思えなかったと言わんばかりにボーレはそうアイクへ投げ掛けた。
    「酒場にも仕事が転がってるかもしれんからな」
    そう返し、もう一口水を喉に流すアイク。
    「恐れ入りました」
    納得して小さく頭を下げるボーレだった。
    「ははは、それはよかった。持つべきものはいい団長よ」
    ラルゴが豪気に笑った。
    「ああ、そういえば、さっきジョフレがちょっと顔出してきてね、あんたたち、王宮から大きい仕事請けたっていうじゃない。おめでとう」
    カリルがそう声掛けするとアイクは会釈をして礼を言った。
    「ジョフレもここの常連だからな。たまに一緒になったな」
    そう言い、アイクは麦酒を注文しボーレへ注文するよう促す。
    「あ、おれも麦酒で。……て、いうかそんな話聞いたことねえぞ」
    手を上げて注文したボーレはそう言い口を尖らせた。
    「なんだ、おまえも一緒に飲みたかったのか? じゃあ今度三人で飲むか?」
    「おう、また連れてってくれや」
    小首を傾げてアイクがそう持ち掛けた。その返しにボーレは笑い返した。
    「まあ、それはいいわね。またいらっしゃい。ジョフレとアイクは武術の話とかで盛り上がってたさ」
    笑みを浮かべてカリルが言葉を挟んだ。
    「ああ、そうだ。おまえも加えたら斧の扱いについても語れるな。斧絡みっていうと…ケビンの奴がまたやらかしたっていうんで面白い話があるんだ、これが」
    その言葉を受けてアイクが楽しげに語った。
    斧の訓練で頭に斧が刺さりそうになったという逸話を持つ騎士団の者の顔を思い浮かべつつボーレは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。少し饒舌なアイクを見て新鮮味を感じている。
    (まあ、誰よりも自然な仲ね。改めてみると、やっぱり家族って感じかしら)
    カリルが二人の様子を見てそんなことを思った。そして、傍らで上機嫌に注文の品を用意する伴侶の姿を見やり笑みが零れた。久しぶりに見た顔に嬉しさを覚えているらしい。
    「はい、お待ち」
    カリルの声とともに卓へ酒が置かれる。
    「……乾杯!」
    二人は杯を持ち、音を鳴らして合わせた。取っ手をしっかり握り喉を鳴らして麦酒を喉へ流し込む。
    「ぷはあ」
    爽快な顔をして息を吐き声を漏らすボーレ。手で口を拭う仕草をする。アイクも目を瞑り息を吐きながら喉越しの余韻を味わっていた。
    「やっぱジョッキで飲むとうめえな」
    「そうだな。気分的にこの方が気楽だ」
    顔を綻ばせてそう語る二人。
    「そっか、貴族やってたころは葡萄酒をグラスで飲んでたって言ってたな」
    「ああ。正直、肉の方が旨いって思ってたから味もそんなに違いが分からんし。なんか作法とか面倒だし」
    思い出しながらアイクは苦笑いをした。
    「諸候と晩餐会なんかあってな、ああ……思い出したくないな。それで酒なんてそんなに旨いものじゃないって思ったが、砦に戻ったときにみやげとして持ち帰って皆で飲んだやつは旨かった」
    そう言い笑みを湛えるアイク。
    「はは、そういうこともあったな。何か高そうな酒なのにうちには欠けたカップとかしかなくて…それで一瓶空けたな。放っとくと全部シノンに飲まれそうだから皆で一斉に飲もうって言って飲んじまった」
    笑い声を上げ、ごくごくと麦酒を喉に流していくボーレ。
    「せっかくだからって、ミストたちにも飲ませたんだよな。ミストのやつ、結構強かったな」
    「そうそう、あいつグレイル団長に似たんだろうかって言って」
    そうして思い出話などに花を咲かせ杯を重ねる二人であった。
    「若いっていいよなあ。おれもあのくらいのときは……」
    そんな二人の様子を眺め、ラルゴが何かを思い出しながらそう漏らした。
    「何言ってんのさ。あたしたちだって負けてないよ。まだ青春じゃない」
    カリルがラルゴを小突いて返した。
    「こっち来てから…歩いたじゃない、あの道を」
    「ああそうだな、春は花が咲き、秋には紅葉…夜には川に映る月が見える。おれでもわかるぞ、いい場所だっていうのは。まあ、どれもこれも…おまえのほうがきれいだけどな」
    おくびもなく快活な表情で言い切るラルゴだった。
    「まあ、あんた! よくわかってるじゃない」
    ほのかに頬を朱に染め、腕を組みカリルがそう返す。
    「仲いいよな」
    「ああ」
    夫妻のやりとりを目にしたアイクとボーレはそう漏らして笑んだ。
    「あ、見られたわね。まだ飲むのかい?」
    「いや、そろそろ戻るか」
    「そうだな。結構飲んだ」
    二人はがたりと椅子を引き、立ち上がる。
    「今日はありがとうね。また、傭兵団の子たちを連れておいで」
    代金を受け取ると柔らかい笑みを浮かべてカリルが見送りの言葉を掛ける。二人は頷いた。そして会釈して扉へ向かう。すると
    「あ、ちょっと待っておくれ。いい道を教えてあげる」
    カリルが外へ出ようとしていた二人を引き止めた。
    吹き抜ける夜風が心地良かった。二人は月明かりのみが差す道をそぞろ歩く。
    「あー、いい風吹いてきた」
    撫でるように吹き付ける風を受けてボーレが呟いた。
    ここはカリルの店の裏側から続く狭い通りだった。裏通りとなっており、店の灯りもあまり届かない。今の時間は人通りもなく静かだ。小川が緩やかに流れ、水面に月を映し出していた。メリオル市街の昼の賑やかさとは打って変わったようだった。
    アイクはそう呟くボーレの前を歩き、時折空を眺めていた。
    「ん?」
    突如アイクが小川の方を向いて立ち止まった。それに合わせてボーレも歩みを止める。背後には葉の生い茂る一本の樹があった。
    「なんだ?」
    何気なくボーレが傍らで問う。
    「月が見える」
    水面を見つめながらアイクが伏し目がちに呟いた。ボーレはその横顔を目に入れると息を飲んだ。
    「つ、月は食えねえな」
    言葉に詰まりつつボーレはそう返した。彼の思い詰めたような顔を見て冗談も言いづらい。
    「今日は付き合ってくれてありがとう。これからもずっとおまえが傍にいるんだな」
    静かに紡がれる言葉。夜闇の静寂に響く。
    「お、おう……」
    急に改まった口調でそう言い放たれ、ボーレは惑って相槌を打った。
    「おまえにウルヴァンをやったあのとき、野営の火は燈していたのに月もなかったなと思って」
    それは正の女神との対峙のため導きの塔へ入る直前のことだった。大陸全土のベオクとラグズを石に変え、秩序を欲した女神の所業。昼も夜も失われた世界。
    「別に、月を取り戻そうと俺は戦ったわけじゃなかった。ただ、帰りたかった」
    淡々と当時の想いを述べていくアイク。ボーレは、彼は酔っているのだろうかと思ったが、それに耳を傾ける。
    「俺たちの家、砦へ帰ろうと。みんな無事で。俺たちだけでなく皆それぞれの家に帰れればって思った」
    ただ単純な想い。崇高な使命感というわけではなく。英雄、勇者、などと讃えられるに至った彼の功績はそうして形作られた。
    「親父は家に帰れなかった。墓すら行きずりの地に立てて」
    クリミア戦疫の際、デインの追っ手から逃れるためガリアへ亡命中に彼の父は逝った。ボーレは彼から託され、現在自分が得物としている斧が墓標となっていたことを思い出す。
    「だから……今、おまえがこうして傍にいて、よかった。死なないでいてくれた」
    蒼の瞳がじっと見つめる。瞬きをして睫毛が揺れる。
    「そう簡単に死んでたまるか」
    ボーレは見つめ返しそう言葉も返した。
    「だよな。おまえはそういうやつだ。昔からずっとそうやって一緒にいた。俺はおまえより強い、と思って鍛練してやってきたがおまえがいなくなったらそう思うこともできないし」
    アイクはそう言い口角を上げた。
    「バカ。おまえには負けねえよ」
    ボーレは手の甲でアイクの肩を小さく叩いた。
    「その意気だ」
    「なんだよ、偉そうな」
    軽口に対し切り返し、ボーレはアイクに笑いかける。
    「親父の斧を使うんだから当然だ。俺は強い奴が好きだ」
    そしてアイクはそう返す。ボーレは彼のぶっきらぼうな言い草に彼の照れを感じた。これは彼の愛情表現なのだと。
    「なんだもう……おまえ、酔ってんのか」
    じわりと嬉しさを感じつつもボーレはそう漏らした。
    「そうかもな。ああ、結構飲んだ。おまえと飲む酒は旨かった」
    そうしてアイクは空を見上げ、しみじみと語る。月明かりに照らされる彼。ボーレはそんな彼が亡き彼の父へ近づいているとその横顔を見て思った。そして郷愁を擽られる。
    「おまえ、グレイル団長と飲みたかったんじゃないか」
    ぼそりとボーレがそう呟く。アイクはくるりと首を傾ける。
    「……わかるか?」
    静かに響くその声。彼もまた郷愁を漂わせ。
    「漆黒の騎士は倒したが、親父を超えられたのかわからない。あいつを倒したときだって嬉しいのか悲しいのかわからなかった。もう越える壁もないんだって」
    アイクのその言葉にボーレは胸の奥からこみ上げるものを感じた。
    「団長と酒を酌み交わして……どうだ? って訊けたら、いいな。よかっただろうな」
    「ああ。いつか俺は親父と酒を酌み交わすようになるんだ、と思っていた。でもそれはかなわない。当たり前だと思っていたことって、当たり前でなくなるんだな」
    そして二人は顔を見合わせて息を吐いた。
    「まあ、でも、おまえはよくやっている。おれが認めてやるよ。なあ、アイク団長」
    「……ボーレ。おまえが言ってくれるか」
    アイクは笑みを漏らした。
    「おれも酔ってるからな、ははっ」
    ボーレも照れ隠しにそう言い、アイクを小突いた。
    「じゃあ、酔っ払いついでにこんなのはどうだ」
    ボーレはすう、と息を吸い月に向かって声を出す。
    「グレイル団長ー! 見てますかー! こいつ、アイクはちゃんと団長やってますよー! おれがいてやってるから大丈夫ですよー!」
    その声にアイクは大きく目を見開いた。
    「親父ーっ! 見てるかー! 俺はグレイル傭兵団の団長、しっかりやってるぞー! みんなちゃんと食えるように頑張るからなー! こいつもいるし、みんないる、大丈夫だー!」
    アイクもボーレに倣って月へ叫んだ。
    ひとしきり叫んで二人は笑い合った。
    「なんか、すっきりしたな」
    「ああ、たまにはこういうのもいいな」
    そして二人は静かな道を歩いていく。
    「な。デートってやつっぽくないか?」
    その途中、ふとアイクは片目を瞑りボーレへ目線を送って冗談を言った。
    「ああ、それっぽい、それっぽい。あの夫婦の定番デートコースなんだろうな。ヨファたちに教えてやろう」
    「道、暗いから気をつけろよ」
    そんな言葉を交わしつつ二人は宿へ戻っていく。

    ──月が若者たちの道を照らし、微笑んだ。
    ヨファを寝台へ寝かせ、介抱していたミストは物音に気付いた。
    (お兄ちゃんたち、戻ってきたのかしら)
    それに気付くもしばし静かであったため、再び恋人の顔を見遣り、昨日の夜のことを思い出していた。そしていつもとは違う顔を見せ、男として迫ってきたヨファの顔を思い出した。
    (やだ……もう)
    そして顔を赤らめる。
    あの場では回避したが、男性の要求はいつか受け入れなければならないものかと思っていた。それを思うと吐息が漏れる。
    (キスまでなんだからっ……まだ)
    手で頬に触れながら顔の熱を感じていると壁の向こう側から物音と声が聞こえる。
    ミストは思わずそっと壁に寄り耳を澄ませてみた。

    「はあ…っ、はあ…」
    「い、痛てえ…、ちょっ」
    「まだまだ。どうだ?」
    「バカっ……やめっ…」
    「のっ、乗るな! ったく……くそ……」
    「これくらいで音を上げるのか?」

    そしてきしきしと響く寝台の音。
    ミストは思わず目を見開き、固まってしまった。
    (えっ? えっ?)
    昨日のヨファが迫ってきたときの体の重みと、寝台の軋む音、体温、それを思い出す。そしてそれを受け入れていたらそうなったであろう光景を思い浮かべ、この声と物音と重ねる。
    (何やってるのーー! お兄ちゃんたち!!)
    その行為を連想してしまい、頭から離れなくなり、兄たちが同性であることが頭から抜けて心の中で叫んでしまうミストであった。そしてそんなことを連想してしまった自分に恥ずかしくなったミストは勢いよく寝台に潜り込み耳を塞ぎ、無理矢理に眠りへ入ろうとする。
    (バカバカっ、お兄ちゃんたちのエッチ!!)
    自覚はないが、ミストも酒が回って酔っていたのだ。寝台に入ると途端に眠気が押し寄せてきてそのまま眠りに入っていった。

    そして朝を迎える。
    何か夢を見ていた気がする。次第に印象が薄くなり、意識がはっきりしてきた頃にはどんな夢だったか思い出せなくなっていた。そして瞼に光を感じ目覚めた。
    それでも頭にもやがかかったような感じだ。アイクはゆっくりと上体を起こし、再び閉じていた瞼をゆっくり開ける。
    少し肌寒いと思ったが、掛け布を下ろし、目線も下ろすと肌着も身につけておらず、自分が全裸であることに気付いた。
    アイクはぼんやりと首を傾げる。
    そしてふと振り返れば同様に全裸のボーレが大の字になって気持ち良さそうに眠っている姿があった。アイクは軽く驚き目を見開いた。
    (あ、そうか……)
    昨夜自分達がした行為を思い出した。ふつふつと思い出される。そして息を吐いた。
    (酔ってたんだな、俺)
    その吐息が漏れたとともにボーレの目が開く。
    「……アッーー!」
    素っ頓狂な声が上がった。ボーレも己の様態に驚いたようだ。
    「お、おれたち……」
    「ああ……」
    二人は顔を見合わせて昨夜のことを思い出していた。

    「だから~、言ってんだろ、おれの方が強いって」
    「いや、俺はボーレに強い」
    酔いが回ったまま二人は宿へ戻り、寝台の上でくつろぎながら他愛もない話をしていた。まるで子供の頃に戻ったかのように。
    「見ろ! 鍛え上げられた大胸筋! 武器なしならおれはおまえに勝つ!」
    突如ボーレが上着を脱ぎ、上半身裸になって宣言した。自負するとおり隆々とした胸板や二の腕が逞しい。
    「おまえは足腰がなってない、体術でも負けん」
    アイクもつられて上着を脱ぎ捨てる。そしておまけに下衣も脱ぎ捨てる。足腰が鍛えられているのを見せたいようだ。引き締まり良質の筋肉がついた腿だ。
    「うっせえ! 昔からおれはおまえより大きくなってきた。今でもおれのほうが背が高い」
    そう言いボーレもつられて下衣を脱ぎだし、寝台の上に仁王立ちし、アイクを見下ろす。
    「やるか?」
    アイクも立ち上がり腕を組み、ボーレを睨みつけるとボーレがそう挑戦的に誘い掛けた。
    「ああ」
    そして頭上で両手を握り合い、力押しを始めた。力が篭り、足元が揺れる。きしきしと寝台が軋む音もする。両者とも譲らず、拮抗が続く。ここで力を緩めたほうが負けだ、と言わんばかりに。
    「うわあっ」
    しかしアイクがふっと力を抜くとボーレは均衡を崩しよろめいた。その隙を突き、アイクはボーレを一気に寝台へ沈める。
    「くそっ! そうはいくか!」
    歴戦の兵であるボーレはさすがに立て直しが早く、アイクに完全に馬乗りになられるのを避けた。そうしてしばし揉み合うも決着がつかない。
    「はあ…っ、はあ…」
    ボーレの息が上がってきた。アイクも眉を歪め歯を食いしばり形容のしがたい形相になっている。
    「い、痛てえ…、ちょっ」
    ボーレの手が緩んだ隙にアイクはボーレの手を捻る。
    「まだまだ。どうだ?」
    「バカっ……やめっ…」
    ボーレがそう言うが早くアイクは一気に攻め上げる。
    「のっ、乗るな! ったく……くそ……」
    「これくらいで音を上げるのか?」
    アイクは手を捻ったままボーレに跨り、自分が優勢であると示した。
    「なんの!」
    ボーレがもう片方の手を闇雲に動かす。
    「って、ははははは!!」
    アイクの下穿きは下衣も穿かずに暴れていたため緩んでいた。そのせいで、ボーレの手が引っかかってそれが解けてしまった。全裸になってしまったアイクを見てボーレは爆笑した。
    アイクは一瞬動きを止めたが、すぐに反撃をした。
    「埒が明かんな」
    いつもの無愛想な顔でそう漏らすアイク。目の前には全裸のボーレ。ボーレはそのアイクの表情と言い草にさらに可笑しさを感じ、笑いが止まらなくなった。
    「ははははっ、おまえ、絶対おかしい、変だって、笑えよ」
    「俺はおまえより変じゃない」
    「うっせえ、まだやるか? よし、最後はこれだ」
    そう言いボーレは自分の下肢を指差す。
    「おれの方がでかい」
    アイクはそう言われてじっとボーレの下肢を凝視し、自分のものと比べた。
    「よくわからん」
    実際、それははっきりと差が分からなかった。そしてアイクは部屋を見渡し、卓にあった紙と筆を持ち出してきた。自分のものの長さを記し、ボーレのものに合わせて比較しだした。
    「俺の方がでかいぞ」
    「おまえインチキしてんじゃねえぞ! 貸せ!」
    ボーレもその紙を奪い、アイクに背を向け自分のものの長さを記しだした。
    「……ほら、見ろ!!」
    そして振り返るとごろりと寝台に横たわって寝息を立てるアイクの姿があった。
    「ちょ……っ」

    そうしていつしか二人は眠っていたようだ。ちなみに、習慣で二人は中央で寄り添って眠っていた。
    「……こんなの誰にも言えねえ……」
    自分たちのあまりにも馬鹿馬鹿しい醜態を思い出し、ボーレは自己嫌悪に陥った。卓に置かれている紙を見て乾いた笑いしか出なかった。しかも男二人全裸で寄り添って眠っていたのだ。
    「俺、いつの間に寝たんだ」
    「おまえな……」
    どの時点で眠りに入ったかはっきりと思い出せないアイクだった。
    そしてボーレはわりと日が高くなっていることに気付いた。
    「まずい、まずい。だいぶ寝てたっぽい、おれら。はあ……酒には気をつけよう。シノンのこと笑えねえ……」
    息を吐き、傭兵団一酒癖の悪い男のことを思い出しつつボーレが呟く。
    「そうだな。朝飯を食いそびれる」
    まったく気にしていないような口調でアイクがそう言い、散らばった衣服をボーレへ手渡し、自身も着替えを手にし着衣する。
    「そうだ、そうだ。それはまずい。ハラへったな」
    ボーレはそんな彼に呆れたりするも彼らしいと思いながら着衣し、そう返した。
    定食屋へ向かった二人は集合が少し遅いとミストになじられた。
    「寝坊したの? ちょっと待ったんだから」
    「すまん、すまん」
    アイクは軽く謝った。
    「おう、おはよう。眠れたか?」
    ミストの横で所在なげにしていたヨファにボーレが声を掛けた。
    「うん……、眠れたっていうか、寝ちゃったっていうか………」
    「よかったな、すっきりしただろ」
    睡眠を取れたという割には表情が晴れやかではないヨファだった。
    「ボーレはまたアイクさんの尻に敷かれていたの?」
    「まあな」
    ボーレは昨夜のことを思い出しそう返した。確かに文字通り尻には敷かれたと、苦い顔をした。
    (相変わらずだなあ……。はあ、ぼく、酔い潰れなければ男になれたかもなのに……。ボーレの先を進めたかもなのに……)
    昨夜の自分の不甲斐なさに落ち込んでいるヨファだった。しかし、介抱してくれたミストの優しさに触れて彼女への愛情は深まっている。左手薬指の指輪を触って撫でた。
    そしてミストはちらちらと兄たちを見遣る。
    (うん、普通よね……。でもやっぱりくっついて寝てるんだ……)
    昨夜の物音と会話を思い出し、二人が同性愛者なのかと疑いを持ってしまったミストだった。酔った勢いで突飛な思考に陥ったと思ったのだが、これまでの二人の様子と、二人に浮いた話がないことから、想像すると止まらなくなってしまったのだった。

    そして定食屋にて注文の品が運ばれてくると四人の朝食の時間だ。
    アイクとボーレは昨日とは逆の品をそれぞれ食べていた。黙々と食べている。
    ヨファとミストは二人が昨日のようなやり取りをしていないのに気付き、目を合わせた。そして今度は自分たちの番だと言わんばかりに甘い雰囲気を作り、ミストが匙をヨファへ向けた。
    「はい、あーんして」
    「はーい」
    ヨファは差し出された匙を口に含む。
    「おいしい?」
    「おいしいよ」
    見つめ合い、二人の世界を作っていた。多少芝居掛かっている。まるで見せ付けるかのように。
    「そういや、おまえら昨日、何してたんだ?」
    そんな二人の世界など全く気にも留めずボーレがそう聞いてきた。それによって空気が壊され、二人は途端に照れに襲われた。その隙にアイクが勝手にボーレの品へ匙を入れ口にしていた。
    「おめえ、何おれの肉食ってんだよ!」
    「いいだろ、減るもんだけど」
    「減ってんじゃねえか! 良くねえ!」
    そんな様子を見てヨファとミストは顔を見合わせて呆れた笑いを浮かべた。
    「あ、ああ、あの。ぼくら、昨日はミストの洋服見に行ったりお茶をしにいったりしたよ」
    ヨファが口を挟んでみる。
    「お、そうか。デートってやつだな」
    感心したようにボーレが数度頷き返した。その隙にアイクがそっと自分の皿の中から大きめの肉をボーレの皿に入れる。
    「あ、何か肉増えてる。ラッキー」
    それに気付いたボーレは上機嫌になって肉を口にした。
    「ねえねえ、あとね、これ買ってもらったの。見て、お兄ちゃん」
    ミストが左手を上げアイクへ薬指の指輪を見せる。
    「ん?」
    アイクは咀嚼しながら目線を向けた。
    「きれいでしょ、この指輪。ヨファとおそろいなんだよ」
    「……ん、」
    口の中の物を飲み込んでからアイクは相槌を打った。その様子を見てボーレがすっと卓のグラスを滑らせ寄せる。アイクはそのグラスの水を手にし喉へ流した。
    「よかったな。大事にしてやれよ」
    笑みを浮かべてそう言ってやったアイクだった。
    「うん。これ、ずっと付けてるから。約束の印なの」
    両手を胸元へ寄せ、ミストは熱っぽい目線をヨファへ向けそう言った。
    「ね!」
    後押しするように追加で言い放つ。
    「わたし、ヨファにお嫁さんにしてもらうんだから」
    にっこりと笑顔で宣言するミスト。ヨファは一瞬口を開けて固まった。ボーレはその表情を一瞬伺ってしまった。
    「そうか。大事にしてもらえよ」
    アイクは特に動じることもなくそう言ってやった。
    「おまえら、そっか。うん、いいんじゃねえか。もうそれなりに働いて稼いでいる。さくっと結婚しちまえば?」
    ボーレはヨファをちらりと見やりながら言ってやった。
    「え、いや、あの」
    言葉に詰まりヨファは挙動がおかしくなった。
    「ま、まだ……。ね」
    ヨファはミストへ目線を送り、傭兵団の運営が安定してからという約束だということを訴えた。
    「うん、そうね。もうちょっと準備がいるわ」
    「まあ、そうだよな。おまえら若いし。もうちょっと先でもな。もっと働いて遊んでおけ」
    ミストがヨファの目線の意味を受け取りそう言うとボーレは納得したように返した。
    「……これから忙しくなるぞ。おまえたちにも働きを期待している」
    アイクが口角を上げてそう伝えた。

    こうして一行はメリオルでの用事を済ませ、砦へ帰宅する。
    「うーん……どうなんだろう……」
    砦へ戻る道すがらアイクとボーレの後ろを歩くミストは隣のヨファにそう漏らす。
    「あやしい」
    「えっ? 何?」
    「あのね、昨日……」
    ミストは昨夜の兄たちの様子をヨファに告げた。
    「えーっ! 昨日、ラブラブとか言ったけどそれ、シャレにならない」
    ヨファは驚いた様子を見せるも半笑いだ。
    「そういえば、二人とも、女の人と付き合うとか聞いたことないし……」
    「うん、そういえば」
    「ボーレはエッチだけど、お兄ちゃん、そういうの、興味あるのかな……」
    「きっとボーレのせいだよ」
    二人は兄たちの背中を見つめながら話を膨らませていった。
    「昨日、お店で武器を見てるときなんか、本当にデートみたいだったなあ」
    「そうね、でも、出てくるとき、なんかケンカしてたっぽいけど……」
    「あれ? 腰当てを買うか買わないかで揉めたっぽいあれ」
    ヨファがそう訊くとミストが頷いた。そしてヨファは前を歩くボーレがそれを身に着けているのを見て指差す。
    「結局買ったんだよね。お兄ちゃん優しいなあ。……でもなんだかんだいって仲いいよね、あの二人」
    ミストがしみじみとそう語る。
    「うん。あれが男と女だったら完全に恋人だよね。いつも一緒に寝てるし。さっき、ぼくら…「あ~ん」ってやって恥ずかしくなっちゃったけど、あの二人、無意識でやってるし。夫婦なの? って、訊きたくなるよ」
    ヨファもいろいろと思い出しつつ語る。
    「もし、二人がそういうつもりなら……しょうがないね。応援しようか……」
    そして二人同時に溜息をつく。それに気付き二人は顔を見合わせて笑った。
    「うん、わたしたちも……ね。進んだと思う。もっと、ヨファのこと好きになっちゃったんだから」
    そう言いミストはヨファの二の腕に触り、ちらりと上目遣いで見つめる。
    「う、うん! ぼくも! だから、絶対、いつか」
    どぎまぎしてヨファは耳を赤くしつつそう返した。

    そんなやり取りをしている二人をアイクとボーレは同時に振り返り見つめ、笑みを浮かべた。
    「ただいまっ」
    砦の扉を開け、元気に帰宅を告げたのはミストだった。
    ティアマトらが出迎えるとアイクとボーレはは出された茶を啜り、とりあえず寛いだ。ヨファとミストは席を外した。
    「それで、どうだったの?」
    ティアマトはアイクからメリオルへ行った成果を聞き出した。
    「ああ、交渉はうまくいった。これから何かと忙しくなると思う。皆には働いてもらうぞ」
    淡々とだが晴れやかな表情でアイクは答えた。
    「まあ、それは頼もしいわ。ええ、私たちもしっかりと働くわね」
    ティアマトの視界にはアイクの横で欠伸をし、まどろんでいるボーレの姿があった。よく見ると見慣れない腰当てを着けているのに気付いた。
    「あとで皆を集めていろいろと発表がある。とりあえずちょっと休ませてくれ。荷解きもするからな」
    「わかったわ」
    アイクはそう言うとボーレの肩を軽く叩き、合図をして自分の部屋まで引っ張っていった。その様子を見てティアマトは笑みを浮かべた。

    「ねえ、ティアマトさん」
    自室で軽く荷解きをしてきたミストが箱を差し出し席に着いた。
    「まあ、ありがとう」
    それはメリオル土産の菓子だった。
    「あとでみんなで食べようね」
    「ええ。アイクが何か発表があるからあとで皆に集まるようにって言ってたわ。そのときに出すわね」
    微笑みつつティアマトがそう提案した。
    「え、お兄ちゃん、何を発表するの?」
    「わからないわ。でも王宮での交渉がうまくいったと言っていたからその件かしら。私たちももっと働かなきゃならなくなるほど忙しくなるかもって」
    ミストが首を捻ると、ティアマトはそう応えた。
    「そっか。そういえば詳しいこと聞いてなかった。それよりも……気になったことがあって」
    ミストは道中の会話を思い返していた。それとなく話は纏まったと聞いていたが、詳細を聞かなかった。それよりも気になっていた案件があったからだ。
    「えっ?」
    ティアマトはミストのその言葉に引っ掛かりを感じた。
    「え、あ、えーと……うん。いっか、ティアマトさんにはむしろ相談しなきゃ」
    ミストは一人問答をした。
    「何?」
    「あのね、お兄ちゃん…っていうか、お兄ちゃんたちのことなんだけど」
    ティアマトは相槌を入れて話を受ける。
    「お兄ちゃんとボーレ、どういうつもりでいつも一緒にいるのかわからなくなっちゃった。ただ仲がいいだけなのかって思ったんだけど、もしかしてそれ以上かもしれないの」
    溜息をつきながらミストは語った。
    「それ以上……って?」
    ティアマトは首を傾げながら訊き返した。
    「あのね、二人は恋人同士なのかもしれないの」
    ミストがそう言うとティアマトは目を見開いて驚愕の表情だ。
    「どうして? 何? どういうこと?」
    「……ちょっと詳しくは言えないんだけど、一緒に旅行に行って、隣の部屋に泊まったらね……。聞こえて……そういうこと」
    ミストがそれだけを説明するとティアマトは察したのか数度頷いた。
    「二人とも、女の人と付き合うとか、付き合ったことがあるとか聞いたことなかったんだけど、そういうことだったのね。ちょっと、びっくりしちゃったけど……、この世の中にはいろんな人がいるって、戦争でいろんな人を見てきてわかった。ラグズの人を差別しちゃいけないし、同性同士で恋をする人だって……。うん、ラグズの人は優しかった。お兄ちゃんたちも優しいし、自分たちの常識に囚われてはいけないよね」
    ミストは自分に言い聞かせるようにそう言った。
    「そ、そうね」
    ティアマトは半信半疑といった表情で歯切れ悪く返した。
    「うん。それならね、男の人同士で結婚してもいいと思うの」
    ティアマトの反応を見て、手と手を合わせ、思案したような顔でミストが言う。
    「あの二人、夫婦みたいだから……。ねえ、それとなく勧めてみようかな」
    「まあ……大人なんだから、そういうことは本人が決めることよ」
    ティアマトは顔が引き攣りそうになりながらも母のような口調で返す。
    「うーん、そうだよね。秘密にしたいのかもしれないし。どっちかが女の人だったら間違いなく勧めちゃうのに。あー、結婚かあ……」
    「結婚がどうかしたの?」
    ミストが漏らした言葉を受けてティアマトが問う。
    「わたし、傭兵団の運営が安定したらお嫁さんになりたいと思うの」
    ミストのそれは固い決意を秘めた口調だ。
    「あら、ミスト、あなた結婚したい人がいるの?」
    おおよそ見当がつきつつもティアマトはそう聞いた。するとミストは左手薬指の指輪を見せた。
    「ヨファに買ってもらったの。約束したんだから」
    「あら」
    思わず笑みを零すティアマト。
    「……馬鹿にしてない? おままごとだと思ってない?」
    ミストが頬を赤くして聞くとティアマトは首を横に振った。
    「あなたたちも立派に傭兵団の一員として働いている。もう大人よ。本気でそう決めたなら私は何も言わないわ。あなたたち二人、真剣に愛し合っているならね」
    穏やかな口調で諭すようにティアマトが言うとミストはさらに頬を紅潮させ、耳まで朱に染めた。
    「あ、あい、愛し合ってるって、うん……」
    乙女の恥じらいを見せ口ごもるミスト。
    「二人、想いが通じ合っているということは素敵なことよ」
    ティアマトはそう言い、少し憂いを見せる。ミストはそれが何故なのかうっすらと察したが触れないことにした。今は亡き自分の父親への叶わぬ恋慕だということには。
    「うん、わたし、頑張る」
    思わずそんな返事をしてしまうミストだった。
    「ああ、でもお兄ちゃん……どうなんだろう、本当に。別にボーレでもいいと思うけどっ」
    ミストは顔を赤くしたまま言い捨てるように言い切った。

    砦へ戻る際の道中──
    歩き疲れて歩みが遅くなったミストを気遣い、ヨファが声を掛けた。
    「ミスト、大丈夫? ……荷物はぼくが持つよ」
    「ごめん、心配かけて。わたし、足出まといね」
    立ち止まり息を吐くミスト。
    「ううん、アイクさんたち、歩くの速いから……ちょっと大変だよね」
    「うん。でも、ついていきたいって言ったのはわたしたちだからちゃんとついていかなきゃ」
    ミストは再び歩き出す。そんなミストに手を差し出し荷物を受け取ろうとするヨファ。
    「ごめん、ありがとう」
    ミストはそれに甘えることにした。
    先頭はアイクが歩く。本気で歩いていくとミストの倍の速度で進んでいってしまうのだが、時折立ち止まり振り返り様子を見てくる。ボーレはあまり振り返る余裕もなく急ぎ足気味で歩いているようだ。彼の一歩後ろくらいを歩んでいる。
    「まあ、ボーレもなんとかついていってるくらいだから焦らなくていいと思うよ」
    「うん……。お兄ちゃん、いつもこんな風に往復してたのね」
    「そりゃあ、肉もたくさん食べたくなるよね」
    ヨファがそう言ってやるとミストは笑みを零した。
    そうして予定地点まで向かおうと励まし合いつつ進んでいたのだが、あるときミストは転倒した。そこは人通りがあまりなく、道ともいえない箇所だった。近道だといい通過していたのだ。依頼を受けるうち発見した経路でもある。岩や石が転がり、足場が悪く賊との揉み合いになった際、難所ともなった。アイクはそこを熟知し、王都への経路として利用していた。
    「いっ……、どうしようっ、ごめんなさい、これじゃあもう……」
    ミストは足をくじいた。ヨファの肩に掴まりながら片方の足で立ち、くじいた足を上げてその足で履いていた靴を掲げる。
    「これじゃ歩けないな」
    その靴を見たアイクが呟いた。ミストのその靴は底が抜けてしまっていた。
    「ミスト、いくらうちが貧乏傭兵団でも靴はけちるな。歩けなければ傭兵として役立たずだぞ」
    眉を上げてアイクが少し厳し目の口調で言った。
    「はい、ごめんなさい……。少しでも節約しようと思ってたの。取れた留め具は自分で直したんだけど、まさか底が抜けると思わなかった……」
    消沈した様子でミストは返した。
    「だから歩きにくかったんじゃないか?」
    「言われてみれば……」
    歩みに違和感を覚え、前より疲労を感じるのが早くなったと思っていたが、旅の途中からそう感じたため言い出せないでいた。
    「装備品は命綱だ。そういうものの心配はするな。経費にしてやるから。こいつのこれだって経費で買ってやったからな」
    そう言いアイクは傍らのボーレの腰を腰当てごと叩いた。ミストとヨファははっとした。その腰当てを買うのに二人が揉めて喧嘩していたと思い込んでいたが、そのようなことはなかったのではないかと気付いたからだ。
    「わかった。次で新しいやつを買ってやる。とりあえず……乗れ」
    アイクは次の休憩地点である砦へ最も近い街で靴を買うと提案し、背負っていた荷物を前へ回しミストへ背中を貸そうとする。
    「えっ、お兄ちゃん……」
    ミストは躊躇した。
    「これ以上こうしていても仕方ないだろう。俺は平気だ。ラグネルより少し重いくらいだろ、おまえ」
    「えーっ、ひどいっ、わたしそんな、重くないよっ」
    そう言われて少し憤慨しミストはさっと兄の背に乗る。
    「ウルヴァンよりも重いんじゃねえか?」
    そう言い、ボーレがアイクの背に乗ったミストをひょいと担いだ。
    「何すんの! ボーレ、バカっ! わたしそんなに重くないっ! エッチ!」
    文句を並べじたばたと暴れるミスト。
    「副団長は団長を助けてやらなきゃなあ。持ち切れない荷物くらいおれが担いでやるぜ。アイクは買出しの荷物も大量に持ってるからな」
    「わたし、荷物扱いなの!?」
    ボーレはミストの底が抜けた靴を奪い、ヨファへ投げ渡した。そして口端を上げ、ヨファへ目線を送る。ヨファは思わずこくりと頷く。兄の精悍な眼差しに息を飲んだ。その眼差しを受けて、いつも小馬鹿にしている相手だが大人の男だと認識させられる。
    「ヨファ、しんがりを頼む。ここは賊が出るかもしれない。警戒していて欲しい。俺は先頭で警戒する」
    アイクはボーレへ向けて少し頷き目線を送り、ヨファへ声掛けをすると再び先頭へ立つ。剣柄へ手を遣りつつ警戒するそぶりを見せる。
    「ま、まかせて!」
    ヨファは意気込んでしんがりを務めるのであった。
    アイクとボーレはそんな彼へ背を見せて笑みを浮かべ歩んでいった。

    「まあ、そんなことがあったのね」
    ミストからその一部始終を聞いたティアマトはそう漏らした。
    「ボーレったらわたしのこと荷物扱いとかひどいんだからっ。……でもお兄ちゃんの荷物にはなっちゃったかな」
    少し眉を歪めてミストが呟く。
    「うん、ボーレがお兄ちゃんの荷物持ってくれるんだ。わたしの荷物はヨファが持ってくれたように」
    ミストがそう言うとティアマトは微笑んだ。そしてアイクとボーレの心遣いをその話と先程の様子から見出していた。

    「おつかれ」
    アイクの部屋の寝台へ横になったボーレへ掛けられる声。ボーレはミストを担いで歩いてきたので疲労していた。横になると同時に体を丸めて休息の姿勢になった。
    「ん」
    アイクの労いの言葉にボーレはそれだけを返した。それを耳にしながらアイクは外された腰当てを棚に置いた。古いものを引き降ろしてから。この部屋にはそれとなくボーレの私物が混ざっている。腰当てもその一部だった。
    「……あの道、別に賊なんか出ないだろ?」
    眠そうにしつつもぼそりとボーレが呟いた。
    「ああ」
    端的にアイクが返す。
    「やっぱりな。まあ、ヨファにミストを担いでいけっていうのはちょっと酷だし」
    ヨファがまだ未成熟な体で、体力的にも出来上がっていないことを指しボーレは言う。
    「あと数年経てばおまえみたいに出来上がるのか、あいつも」
    アイクは相方の体をじっと見て応える。
    「さあな……、おれが一番おやじに似てるっていうから。あいつ、母親似なんじゃねえか?」
    「そうか」
    納得したような口調でアイクは相槌を打った。
    「……あいつにも、男の面子ってもんがあるだろう。ありがとな、おまえがああ言ってやったからそれを潰さずに済んだ。男って結構、そういうの気にするんだよな。おまえも分かるか」
    ぼそりと弟のことを指し礼を述べたボーレだった。
    「あいつらも仲が良くて何よりだ。今度、ヨファにも経費で篭手を買ってやらないとな」
    ミストのために自分の欲しいものを我慢していたヨファの心は知らなかったが、ボーレの古い腰当てやミストの使い込まれた靴同様に痛んでいたそれを思い出しアイクはそう言った。
    「……おまえ」
    「なんだ?」
    背を向けたままボーレがアイクへ呼び掛ける。
    「いい団長だな」
    そう言い切りそのまま寝息を立てた。
    そのころ。
    ヨファは一人道中のことを思い返しながら砦の裏手の小川のほとりで佇んでいた。ふと左手薬指の指輪を見る。
    (ぼくの手持ちじゃこれが精一杯だけど、婚約指輪にしてはおもちゃみたいなものだよな……)
    ミストとの仲は深まったと思ったが、不甲斐ない点が多かったと自省していた。そして先刻、恋人を抱えていった兄の背中を思い出していた。
    (ボーレが一番父さんに似てるっていうからな。ぼく、母親似かな。あんなにでかくなれるのかな)
    自分の体格に引け目を感じていた。思わず二の腕まで袖をめくり、力瘤を作ってみる。
    (それなりにできるんだけどな。斧振り回せるわけじゃないけど。ぼくだってあの戦乱を生き抜いてきたんだ)
    そうして弓を射る仕種をしてみる。しかし、大事な局面で怖気付いたことがあるのを唐突に思い出した。
    (ぼく、いつもそうだ……)
    ある仕事で、処刑される寸手であった女王の側近を救出するという作戦の際、側近に掛けられた縄を射るという大役を担っていたが、直前で怖気付き、師匠にその役目を渡したのだ。
    「よう、ヨファ」
    その師匠の声がした。ヨファはびくりとして振り返った。
    「し、シノンさんっ」
    「どうだった?」
    シノンはヨファの横へ腰を下ろし、問い掛けた。
    「……どう、って」
    口ごもり端的に返すヨファ。
    「オレが散々極意を教えただろうが。女を落とす手順な」
    口元に笑みを浮かべながら目線を送るシノン。ヨファはおずおずと左手を見せた。シノンは薬指に光る指輪に気付く。
    「おお、何だこれは」
    「……とりあえず、約束はってこと」
    ヨファは頬を紅潮させ応える。
    「おまえ、ミストとヤったのか?」
    シノンのその言葉にヨファは表情を固くし、焦りを含み激しく首を横に振った。
    「……ったく、このバカ」
    シノンはヨファの頭を小突く。
    「てめえ、ハメられたんだよ。まったく、ハメもしないのにハメられてどうするんだ」
    下卑た言い回しでシノンはヨファを責めた。その手は片方が緩く握られ、片方は人差し指をそこへ出し入れする動作。ヨファはその意味に気付くと苦虫を噛み潰したような顔になりつつ赤面した。
    「女ってやつは手強いぜ。ガトリーがよく泣きを見てる。あいつは特に頭が緩いけどな。おまえ、いつヤラせてもらえるんだよ」
    シノンは見下ろすような目線を投げる。
    「け、結婚してからって……」
    じっと見上げるような目線でヨファは返す。
    「……っ、かあああっ! 馬鹿だ。超が付くほどの馬鹿だてめえは」
    ぐりぐりとヨファの頭を揉み、シノンは痰を吐くように言い捨てた。
    「愛だとか恋だとか言ってんのか? 女なんて一度捕まったら骨の髄まで食い尽くされるぜ? そうなる前にいただいておさらばよ」
    シノンのその言い草にヨファは頭に血が上ってきた。
    「シノンさん、ぼく、真剣なんだ。そんな、責任のないこと出来ない」
    真摯な瞳で訴えた。
    「はんっ、なんだ? おまえ、ミストのこと愛してるとかそんな歯の浮くようなこと平気で言えるクチか」
    「うん。ぼくはっ、ミストのこと大好きだよ。大切にするんだ」
    ヨファはすっと立ち上がり、宣言した。シノンは眉を歪め、息を吐いた。
    「はあ……。もう喰らい尽くされたか、すでに。まあ、せいぜい結婚でもなんでもしてからヤラせてくださいって縋り付くこった」
    遠い目をしてぼそりと吐き捨てるシノン。
    「シノンさん、何でそんなことばかり言うの」
    半ば呆れ気味で返すヨファ。
    「うっせえ、愛だとか恋だとか食えるかそんなもん。面倒臭せえったらないな」
    そうは言っているが、そこまで情のない人間ではないとヨファはシノンのことを思っていた。自分のことを気にかけて弓の指南をしてくれたくらいだ。ただ、それを皆の前で言わない。照れがあるのだと思っていた。
    「……んまあ、ヨファ、おまえ、枯れてるわけじゃないだろう? 結婚する覚悟までしてるんだ、いずれはヤるだろ。っていうか、宿に泊まったときどうだったんだ? まさか今さら男三人、女一人で部屋分けたりしてないよな?」
    ちらりと目線を投げ、シノンは問う。
    「うん、ぼくとミスト、アイクさんとボーレで分かれたよ。アイクさん、一応気を使ってくれたみたい」
    「そうか。じゃあそこまできたらいくらでもチャンスはあったじゃねえか」
    そう言われてヨファは苦い顔をした。
    「……ん?」
    その表情に気付き、シノンは眉をぴくりと動かしヨファへ目線を送る。その目線を受けてヨファは口を開く。
    「……実は、そこでぼく、迫ったんだけど、結婚してからって言われて……」
    ヨファのその返しにシノンは目を見開き数度細かく頷いた。
    「あの、次の日の夜……シノンさんに教えてもらった通り、ミストに果実酒を勧めたんだけど……」
    引き続き頷きながらヨファの話を耳に入れるシノン。
    「ミスト……お酒強かった……」
    ここでがくりと項垂れるヨファだった。
    「はっ……はっはっは! よくやった!」
    シノンは声を上げて笑い、ヨファの頭をかなぐり撫でた。
    「悪りぃ、もっといい方法教えりゃよかったな! そういやそうだ。前に酒盛りしたときミストのやつ、結構飲んでて平気だったな。団長に似たんじゃねえかとか言って」
    思い出し、笑いながらシノンは言った。
    「ははっ、じゃあせいぜいミストと結婚するまで堪えろ。オカズが欲しかったら言えよ」
    「う、うん……」
    耳まで顔を赤くしてヨファは応えた。
    「しかし、おまえ、ボーレと同室だよな。オレは一人部屋だからまあいいが、おまえそういうときどうしてるんだ?」
    「……ボーレがいないときに……」
    ヨファのその応えにシノンは反応する。
    「はっ?」
    「ボーレ、わりとアイクさんの部屋で寝てたりする。アイクさんがボーレの寝台で寝てたりもするし。すごい狭そうなのに……」
    ヨファは大柄な二人が一人用の狭い寝台で挟まるようにして眠っているところを思い返していた。
    「昔からだけど何やってんだろうな、あいつら……。野郎二人で狭そうに」
    シノンは半笑いで言葉を吐いた。
    「まあ、普通に眠ってるんだけど」
    ヨファのその言葉を聞いて鼻で笑うシノン。
    「そうそう、泊まったとき隣の部屋だったんだけど、なんとなく聞き耳立ててみた。そしたら……ハラへったとかそういう会話してた。なんか脱力しちゃう」
    さらにそんな話を聞いてシノンは笑みを浮かべた。
    「まあ、そんなんだよなあいつら」
    「うん」
    ヨファは微妙な笑みを浮かべて相槌を打つ。
    「あ……ボーレね、一人のとき、布団の中で、もそもそやってるっぽい」
    「ぶはっ! あいつバカだな! おまえにバレてやんの!」
    微妙な笑みを浮かべたままヨファがそう報告すると、シノンは噴き出し笑った。
    「オカズは何だろうな」
    「ガトリーさんが持ってたのと同じの見つけたよ。……もらったんじゃない?」
    シノンの問いにそう答えるヨファだった。
    「はっ……! なるほどな! それ、オレがやったやつかもしれねえ! 次はアイクのとこいくのか? ヨファ、次はおまえんとこでもいいぞ。おさがりだな」
    シノンは笑い、ヨファの肩を叩いた。
    「はーっ、そんなんだったらあいつら、まだ童貞だよな? 娼館に行ったっていう話も聞いたことねえし」
    「……ぼく、今回でボーレの先越せると思ったけど、まだだったな」
    ヨファがそう呟く。
    「ミストが……傭兵団の運営が安定してからじゃないと結婚しないって言うんだ。とりあえず、しばらくは成り行きかな。でももしかしてボーレはある意味先に行ったかも」
    溜息を吐くヨファ。
    「何だそりゃ」
    シノンはヨファの言葉に疑問を投げる。
    「……ミストから聞いたんだけどね……、僕が寝てしまっている間、聞いたって言うんだ」
    「は?」
    シノンは訊き返す。
    「これ……、言っていいのかなあ。ボーレとアイクさんがギシギシやってたって。なんか、上に乗るとか言ってたり痛がってる声とかしたとか……。あの二人、武器屋へ行った様子とか見てたんだけど、デートみたいだったし。そういえば自然に「あ~ん」ってやってたし。恋人同士じゃないかってミストが言うんだ」
    ヨファのその答えにシノンは盛大に吹き出した。
    「ちょ……、おまっ……、あいつら……デキてるのか……! お互いに相手いないからついにホモになったとか……」
    シノンは腹筋を痛め、空気だけを漏らし、口を開けたまま笑い固まった。
    「苦っ、しいっ……、ひぃ、ひぃ……!」
    硬くなった腹筋を両手で押さえ、シノンは笑いで呼吸が苦しくなっていた。
    「シノンさん笑いすぎ……っ、くくっ……」
    ヨファもつられて腹筋を押えて笑い出した。
    そのころ。
    ヨファは一人道中のことを思い返しながら砦の裏手の小川のほとりで佇んでいた。ふと左手薬指の指輪を見る。
    (ぼくの手持ちじゃこれが精一杯だけど、婚約指輪にしてはおもちゃみたいなものだよな……)
    ミストとの仲は深まったと思ったが、不甲斐ない点が多かったと自省していた。そして先刻、恋人を抱えていった兄の背中を思い出していた。
    (ボーレが一番父さんに似てるっていうからな。ぼく、母親似かな。あんなにでかくなれるのかな)
    自分の体格に引け目を感じていた。思わず二の腕まで袖をめくり、力瘤を作ってみる。
    (それなりにできるんだけどな。斧振り回せるわけじゃないけど。ぼくだってあの戦乱を生き抜いてきたんだ)
    そうして弓を射る仕種をしてみる。しかし、大事な局面で怖気付いたことがあるのを唐突に思い出した。
    (ぼく、いつもそうだ……)
    ある仕事で、処刑される寸手であった女王の側近を救出するという作戦の際、側近に掛けられた縄を射るという大役を担っていたが、直前で怖気付き、師匠にその役目を渡したのだ。
    「よう、ヨファ」
    その師匠の声がした。ヨファはびくりとして振り返った。
    「し、シノンさんっ」
    「どうだった?」
    シノンはヨファの横へ腰を下ろし、問い掛けた。
    「……どう、って」
    口ごもり端的に返すヨファ。
    「オレが散々極意を教えただろうが。女を落とす手順な」
    口元に笑みを浮かべながら目線を送るシノン。ヨファはおずおずと左手を見せた。シノンは薬指に光る指輪に気付く。
    「おお、何だこれは」
    「……とりあえず、約束はってこと」
    ヨファは頬を紅潮させ応える。
    「おまえ、ミストとヤったのか?」
    シノンのその言葉にヨファは表情を固くし、焦りを含み激しく首を横に振った。
    「……ったく、このバカ」
    シノンはヨファの頭を小突く。
    「てめえ、ハメられたんだよ。まったく、ハメもしないのにハメられてどうするんだ」
    下卑た言い回しでシノンはヨファを責めた。その手は片方が緩く握られ、片方は人差し指をそこへ出し入れする動作。ヨファはその意味に気付くと苦虫を噛み潰したような顔になりつつ赤面した。
    「女ってやつは手強いぜ。ガトリーがよく泣きを見てる。あいつは特に頭が緩いけどな。おまえ、いつヤラせてもらえるんだよ」
    シノンは見下ろすような目線を投げる。
    「け、結婚してからって……」
    じっと見上げるような目線でヨファは返す。
    「……っ、かあああっ! 馬鹿だ。超が付くほどの馬鹿だてめえは」
    ぐりぐりとヨファの頭を揉み、シノンは痰を吐くように言い捨てた。
    「愛だとか恋だとか言ってんのか? 女なんて一度捕まったら骨の髄まで食い尽くされるぜ? そうなる前にいただいておさらばよ」
    シノンのその言い草にヨファは頭に血が上ってきた。
    「シノンさん、ぼく、真剣なんだ。そんな、責任のないこと出来ない」
    真摯な瞳で訴えた。
    「はんっ、なんだ? おまえ、ミストのこと愛してるとかそんな歯の浮くようなこと平気で言えるクチか」
    「うん。ぼくはっ、ミストのこと大好きだよ。大切にするんだ」
    ヨファはすっと立ち上がり、宣言した。シノンは眉を歪め、息を吐いた。
    「はあ……。もう喰らい尽くされたか、すでに。まあ、せいぜい結婚でもなんでもしてからヤラせてくださいって縋り付くこった」
    遠い目をしてぼそりと吐き捨てるシノン。
    「シノンさん、何でそんなことばかり言うの」
    半ば呆れ気味で返すヨファ。
    「うっせえ、愛だとか恋だとか食えるかそんなもん。面倒臭せえったらないな」
    そうは言っているが、そこまで情のない人間ではないとヨファはシノンのことを思っていた。自分のことを気にかけて弓の指南をしてくれたくらいだ。ただ、それを皆の前で言わない。照れがあるのだと思っていた。
    「……んまあ、ヨファ、おまえ、枯れてるわけじゃないだろう? 結婚する覚悟までしてるんだ、いずれはヤるだろ。っていうか、宿に泊まったときどうだったんだ? まさか今さら男三人、女一人で部屋分けたりしてないよな?」
    ちらりと目線を投げ、シノンは問う。
    「うん、ぼくとミスト、アイクさんとボーレで分かれたよ。アイクさん、一応気を使ってくれたみたい」
    「そうか。じゃあそこまできたらいくらでもチャンスはあったじゃねえか」
    そう言われてヨファは苦い顔をした。
    「……ん?」
    その表情に気付き、シノンは眉をぴくりと動かしヨファへ目線を送る。その目線を受けてヨファは口を開く。
    「……実は、そこでぼく、迫ったんだけど、結婚してからって言われて……」
    ヨファのその返しにシノンは目を見開き数度細かく頷いた。
    「あの、次の日の夜……シノンさんに教えてもらった通り、ミストに果実酒を勧めたんだけど……」
    引き続き頷きながらヨファの話を耳に入れるシノン。
    「ミスト……お酒強かった……」
    ここでがくりと項垂れるヨファだった。
    「はっ……はっはっは! よくやった!」
    シノンは声を上げて笑い、ヨファの頭をかなぐり撫でた。
    「悪りぃ、もっといい方法教えりゃよかったな! そういやそうだ。前に酒盛りしたときミストのやつ、結構飲んでて平気だったな。団長に似たんじゃねえかとか言って」
    思い出し、笑いながらシノンは言った。
    「ははっ、じゃあせいぜいミストと結婚するまで堪えろ。オカズが欲しかったら言えよ」
    「う、うん……」
    耳まで顔を赤くしてヨファは応えた。
    「しかし、おまえ、ボーレと同室だよな。オレは一人部屋だからまあいいが、おまえそういうときどうしてるんだ?」
    「……ボーレがいないときに……」
    ヨファのその応えにシノンは反応する。
    「はっ?」
    「ボーレ、わりとアイクさんの部屋で寝てたりする。アイクさんがボーレの寝台で寝てたりもするし。すごい狭そうなのに……」
    ヨファは大柄な二人が一人用の狭い寝台で挟まるようにして眠っているところを思い返していた。
    「昔からだけど何やってんだろうな、あいつら……。野郎二人で狭そうに」
    シノンは半笑いで言葉を吐いた。
    「まあ、普通に眠ってるんだけど」
    ヨファのその言葉を聞いて鼻で笑うシノン。
    「そうそう、泊まったとき隣の部屋だったんだけど、なんとなく聞き耳立ててみた。そしたら……ハラへったとかそういう会話してた。なんか脱力しちゃう」
    さらにそんな話を聞いてシノンは笑みを浮かべた。
    「まあ、そんなんだよなあいつら」
    「うん」
    ヨファは微妙な笑みを浮かべて相槌を打つ。
    「あ……ボーレね、一人のとき、布団の中で、もそもそやってるっぽい」
    「ぶはっ! あいつバカだな! おまえにバレてやんの!」
    微妙な笑みを浮かべたままヨファがそう報告すると、シノンは噴き出し笑った。
    「オカズは何だろうな」
    「ガトリーさんが持ってたのと同じの見つけたよ。……もらったんじゃない?」
    シノンの問いにそう答えるヨファだった。
    「はっ……! なるほどな! それ、オレがやったやつかもしれねえ! 次はアイクのとこいくのか? ヨファ、次はおまえんとこでもいいぞ。おさがりだな」
    シノンは笑い、ヨファの肩を叩いた。
    「はーっ、そんなんだったらあいつら、まだ童貞だよな? 娼館に行ったっていう話も聞いたことねえし」
    「……ぼく、今回でボーレの先越せると思ったけど、まだだったな」
    ヨファがそう呟く。
    「ミストが……傭兵団の運営が安定してからじゃないと結婚しないって言うんだ。とりあえず、しばらくは成り行きかな。でももしかしてボーレはある意味先に行ったかも」
    溜息を吐くヨファ。
    「何だそりゃ」
    シノンはヨファの言葉に疑問を投げる。
    「……ミストから聞いたんだけどね……、僕が寝てしまっている間、聞いたって言うんだ」
    「は?」
    シノンは訊き返す。
    「これ……、言っていいのかなあ。ボーレとアイクさんがギシギシやってたって。なんか、上に乗るとか言ってたり痛がってる声とかしたとか……。あの二人、武器屋へ行った様子とか見てたんだけど、デートみたいだったし。そういえば自然に「あ~ん」ってやってたし。恋人同士じゃないかってミストが言うんだ」
    ヨファのその答えにシノンは盛大に吹き出した。
    「ちょ……、おまっ……、あいつら……デキてるのか……! お互いに相手いないからついにホモになったとか……」
    シノンは腹筋を痛め、空気だけを漏らし、口を開けたまま笑い固まった。
    「苦っ、しいっ……、ひぃ、ひぃ……!」
    硬くなった腹筋を両手で押さえ、シノンは笑いで呼吸が苦しくなっていた。
    「シノンさん笑いすぎ……っ、くくっ……」
    ヨファもつられて腹筋を押えて笑い出した。
    季節が移り変わろうという頃、傭兵団訓練所が完成した。工事はクリミアの公的事業として行われたが、団員も建設に関わり、完成に至ると皆、感無量であった。

    団長であるアイクも当然、建設に関わった。土を掘り土台を造り、材木や石を運び、組み上げ、職人とともに働いた。傭兵団としての依頼がないときは朝から夕方までそうして働いた。
    アイク同様に他の団員もそうして働いた。皆、生き生きと作業していたが、シノンだけは文句をつけながら作業していた。しかし、職人気質のためその実、作業に没頭しており、細工事に関して職人へ口を出すほどだった。
    力作業が得意ではない者たちは炊き出しなどを行っていた。

    「ああ、ついに完成したな」
    職人たちが帰宅の途についた頃、夕日に包まれながらボーレが呟いた。
    「そうだな」
    アイクは作業用の斧を手にしつつそう返した。日に焼けた二の腕が逞しい。
    「しっかし、おまえ、斧が似合うな」
    「おまえもな。お互いこっちが本職みたいになったな」
    アイクが軽くボーレの二の腕を叩いてそう言うとボーレは笑った。
    「風呂も広くなったよな。今日もだいぶ汗かいたし、広い風呂で汗を流せるなんていいな。あれなら男二人入っても大丈夫だな」
    ボーレのその言葉にアイクはほのかに笑んだ。
    「……じゃあ早速、今日、風呂に入ろうか。一緒に」
    アイクのその言葉にボーレも緩く笑む。
    「ははっ、そうだな」
    訓練所建設に伴って、砦も若干改修工事がなされた。宿舎が増設され、浴場が拡張されるなど、居住空間としての快適さが増した。
    「あれなら今の俺らが入っても余裕だ。懐かしいな。昔は一緒に入ってただろ?」
    「ああ。そういえば、導きの塔へ入る前の夜もそんなこと言ってたっけ。また水鉄砲でもするかって」
    そう持ち掛けるアイクにボーレは思い出し応えた。
    「風呂場でヤるなよ、あとがつっかえる」
    突如、そんな声が投げ掛けられる。通りすがりにシノンが捨て台詞を吐いていった。
    「やっだぁ~、シノンったら下品!」
    またしても突如声が投げ掛けられる。
    「なんだ、ミスト。おまえいつからそこに」
    アイクが振り返りその姿を視認する。
    「ったく、なんだよもう……、ミスト、おれらはホモじゃねえって言ってるだろ。シノンは水鉄砲で遊ぶなって言ってんじゃねえか? そうやって言う方がエロいんじゃねえか。ヨファが泣くぜ?」
    少し顔が火照るのを感じつつボーレはそう漏らした。
    「何赤くなってんのボーレ」
    そんなボーレに反論するように言い捨てるミスト。
    「まったく、これから嫁にいこうってんだからちょっとはおしとやかになれよ」
    「やだっ、もう」
    すると、ボーレがそう切り返し、ミストは両手を頬に当て、照れを見せた。
    「あ、そうそう、一応二人にも聞いちゃう。わたし、いろんな髪型試してたんだけど見てた?」
    ミストはこれから行われる自身の結婚式に向けて、式当日に施す髪型を思案していたのだ。訓練所建設の間、毎日髪形を変え、試していた。
    訓練所設立に際して、これで傭兵団の運営も安定するであろうということから、ヨファとミストは正式に結婚することを取り決めたのだった。それをアイクが世間話としてエリンシアに話したところ、結婚式の支度も任せてほしいという提案がなされた。
    妹のように接していたミストの結婚式とあって、エリンシアは個人的にでも支援したいと言ったのだった。そうして話が膨らみ、訓練所の施工式も兼ねて、盛大に執り行われることとなった。
    「ん? 変えてたのか? まあ、それでいいんじゃないか」
    アイクは今気付いた、と言わんばかりにそう答えた。
    「んー、うなじが見えてればいいんじゃねえ?」
    ボーレは首を捻りながら答えた。
    「ああ、もう、男の人ってわかんないんだからっ。っていうかお兄ちゃんたちは特にダメね」
    二人の答えに満足がいかないミストは不満を漏らした。
    「そしてボーレ、なにその答え」
    「うっせえな」
    「まあいいわ。そしたら、男の人ってどんなのが好きなの?」
    ミストは質問を変えて兄たちに訊く。すると、しばらくの沈黙の後、アイクが口を開いた。
    「ミスト、男はおっぱいが好きなんだそうだ。こいつが言ってた。裸の女を見れる本でいつも胸ばっかり見てるっていうからな」
    「……ちょっ! おまっ、答えの意味が違う、っていうか何暴露してんだよ!」
    アイクがボーレを指差しそう言ってやるとボーレは焦りを見せた。
    「ああっ、もう、ボーレのエッチ!! ふけつ!」
    そう罵られて溜息を吐くしかないボーレだった。
    「まあ、ミスト。怒ってやるな。減るもんじゃないだろ」
    「そういう問題?」
    兄に優しく諭されるミストだが、兄の見当違いさにその口を尖らせている。
    「ヨファがそう言っても怒ってやるなよ。おまえのことを好きなんだから」
    「ヨファはそんなこと言わないもん、そんな本見ないもん!」
    ミストはそんな兄の助言に反論する。
    「ああ、そうかもな」
    ボーレがミストに同調した。
    「わかってるじゃない、ボーレ! ヨファのほうが真面目だって」
    ミストがそう言うとボーレは鼻息を出して笑った。
    「……あいつ、ふともも派だからな。おまえのその太い脚大好きだろ」
    「バカーッ!」
    ボーレの顔面がミストの平手で打たれた。
    その様子を見てアイクが噴き出し笑った。
    「お兄ちゃんっ」
    「くっ……すまん」
    「そりゃねえぜ」
    頬を摩りながらボーレはアイクへ目で訴えた。
    「あのな、おまえ、ヨファが好きな髪形にしたらよくないか? 聞いてみろ」
    アイクは結われた髪を指し、ミストへ言ってやった。
    「お兄ちゃん、いいこと言う」
    ボーレも首を数度縦に振った。
    「あとは……ドレスの調整とかあるって」
    ミストは頬を朱に染めて嬉しそうに言った。
    「エリンシア様がすっごい綺麗なドレスを職人さんに仕立てさせてくれているって」
    その瞳はきらきらと星のように輝いていた。兄たちはその顔を見て口角を上げて笑みを湛えた。
    「エリンシアもわざわざよくやってくれた。俺にも嬉しそうに話してきたが、まあよくわからん。コルセットだなんだって凄い締め付けて着なきゃならないとか、飯が食えないだろう」
    「……またまた、そんなこと言って、お兄ちゃん!」
    アイクは思い返しぼそりと呟いた。ミストはその言葉に呆れを見せた。ボーレはその光景に可笑しさを感じ、笑みを浮かべていた。
    「……おまえ、似合うから。大丈夫。皆が可笑しいって言ってもおれは笑わないぞ。自信持って着れ」
    そして優しげな目でミストを見つめそう言い放つ。
    「ボーレ……、なによっ、なんで可笑しいって笑われる前提なのっ……。もうすでに笑ってんじゃない」
    ミストは瞳に涙を溜めてそう返した。
    「ミスト、おまえは幸せになるぞ。親父も母さんも見てる」
    アイクがそう言うとミストはその胸で泣いた。

    そして、当日はいい式になるだろうと兄たちは思った。
    その日はよく晴れていた。
    式場となる訓練所には溢れるばかりの来賓が訪れた。そこは円形に壁で取り囲む闘技場のような形状だ。式典にあたっては奥側に祭壇が設置された。

    花婿と花嫁はそれぞれ別の控室で支度をしていた。

    「はあ……やっぱり落ち着かねえ。すごい大ごとになったし」
    盛装姿で若干身奇麗に整えたボーレは落ち着かない様子を見せていた。
    「ははっ、似合わないねボーレ、それ」
    「うるせぇ」
    慣れないためか盛装姿に違和感のあるボーレを花婿のヨファが茶化した。隆々とした体つきのためそれが顕著だ。
    「ボーレは皮とか毛皮とかで作った服のほうがいいよね」
    「おれはマタギかよ」
    腕を組んで胸を張り不機嫌そうな表情を浮かべるそれは自身が言った通りの様態だった。
    「だいたい、スカーフとか似合わな過ぎるよ」
    「まあまあ、ヨファ。勘弁してやってくれ。せっかくボーレも慣れない姿になっておまえを送り出そうとしてるじゃないか。気持ち良く送り出されてやれ」
    傍らにいた二人の兄オスカーが諭すように言った。ちなみに、ボーレの盛装とヨファの婚礼衣装の着付けはオスカーが行った。宮廷騎士であるため慣れているのである。
    「わかってるな、兄貴」
    「主役は花嫁と花婿だからね。ボーレが衣装似合わなくても問題はないよ」
    「そりゃないぜ~、兄貴~」
    オスカーの言い草に脱力するボーレだった。
    「ははっ、そうだね!」
    その言い草に可笑しさを感じて笑うヨファ。
    「それにしてもだいぶかかるね、ミスト」
    ヨファは花嫁の準備時間のことが気にかかった。
    「凄いぜ、さっきちらっと見てきたけどミスト、豪華なことになってたぞ。あれは時間かかるな」
    ボーレが思い出し語る。
    「本当? すごいなあ……どうなってるんだろう」
    ヨファが呟く。
    「皆総出でミストのことを送り出そうとしている。きっと凄く綺麗にされて現れるよ」
    オスカーが穏やかに笑みを浮かべる。
    「すごいよな、女王様自ら着付けしに来てるし。あと、ティアマトさんが化粧してやって……あとは……」
    花嫁を飾り立てる面々の名を述べるボーレ。
    「シノンだ」
    ボーレのその言葉にヨファは頷く。
    「シノンがミストの髪結ってる。凄い集中してやってた。凝り性だからな。はあ……シノンがなあ、って思ったけど……」
    ボーレがそう漏らすとその目線を受けてオスカーが数度軽く頷いた。
    「いろいろあったけど、シノンも……彼なりにこの傭兵団には愛着を持っているからね。ミストは私たちみんなの妹だよ。だからね」
    「なのかな」
    しみじみとオスカーとボーレがやり取りする。
    「ねえねえ、何のこと?」
    そしてヨファが割り込もうとする。
    「おまえの師匠は良い兄でもあるということだよ」
    オスカーがそう返す。
    「うん。シノンさん、いい人なんだから」
    満面の笑みを湛えてヨファは言い切った。それを受けて兄二人は口端を上げて数度頷いた。
    「そういえば……」
    ふとボーレが思い出したように呟く。
    「どうした?」
    「あのさ、バージンロードってどうするんだろうな。何か、誰かとは一緒に歩くみたいだけど。アイクが一緒に歩こうか、って言ってたけどさ、やっぱ、兄じゃなくて父親っぽい人間がいいってことになって」
    ボーレは花嫁が祭壇までの清き道を花婿の前まで供に歩く相手のことが気になっていた。詳細は聞かされていない。
    「さあ……それはわからないけど、アイクがエリンシア様方と相談して手配したとのことだろう? きっとアイクとミストに縁のある方だろう。心配するな」
    オスカーがそう諭した。

    一方、花嫁の控室──
    「ミストちゃん、堪えてください。これが体の線を綺麗に整えるものです」
    「うっ……これ、本当に嵌まるの……? 苦しい……」
    エリンシアがミストへ着付けを行う。
    「お姫様って……大変、っ」
    ドレスを着用する以前の段階だった。
    「わたし、庶民で、よかった……っ」
    コルセットを着用するのに悪戦苦闘していた。
    「ミスト、がんばって」
    ティアマトがそう声掛けしていた。
    「わたし、太ってるんですか?」
    何とか留め具が全部掛かろうというところでミストはそう漏らした。
    「いいえ、そんなことはありません。ミストちゃんは、引き締まっていて細いです。このコルセットはおろしたてなので固いのかもしれないですね」
    「よか、った……」
    そうしてコルセットを着用するとドレスはすんなりと着用することができた。
    「わあ、ぴったり! よかった……! すっごい綺麗! さすが、仕立ててもらっただけある……! ありがとうございます! エリンシア様っ、本当に…っ」
    ミストが鏡を見ると目を輝かせて感想を漏らした。
    それは上質の絹で仕立てられ、気品漂う光沢を放っていた。首元から胸元までは花を模した図柄で織り込まれたレースがあしらわれている。腰元から裾にかけて波状に布がたくし上げられ、華やかさが醸し出されている。
    「素晴らしいです、ミストちゃん。よくお似合いです」
    至極満足気な表情でエリンシアも褒め讃えた。
    「いいぞ、ミスト」
    ミストがドレスを着用し終わったと聞いて入室してきたアイクがそう言ってやった。口角を上げて笑みを向けていた。ミストはその笑みを見て顔を綻ばせた。そして少し歩いてみる。
    「いやっ、これは……」
    長い裾を踏みそうになり顔を引き攣らせた。さらに履き慣れない靴で不安定な動きになった。エリンシアが歩き方などを教える。
    「がんばれミスト、鍛練だ……!」
    「何の鍛練なのっ、お兄ちゃんっ」
    ミストは少しよろめきながらもエリンシアの教えを受けて歩く。
    「ミストちゃん、私はドレスを身に纏っていても万が一の襲撃に備え、機敏に動けるよう訓練いたしました。さすがにこれで前線へ出るのは無理ですが、自分の身を守るほどには剣も扱い、動くことができます」
    「だ、そうだ。ミスト。エリンシア……あんた、すごいな」
    エリンシアのその言葉にアイクは感心した。
    (エリンシア様っていろいろとすごい……。そしてこの女王様をバックに付けちゃうお兄ちゃん……)
    ミストが女王の佇まいと兄の人脈に感嘆していた。

    そしてティアマトがミストへ化粧を施すと、控室にシノンが呼ばれた。
    ミストの着飾った姿を見て彼はいよいよ彼女が遠くへ行ってしまう気がした。実際は傭兵団内から一歩も出ないのだが。
    「ねえねえ、シノンっ、どう?」
    ミストが明るく問いかけてくる。
    「けっ……よくそんな細いドレス入ったもんだな」
    やはり彼は悪態をつく。そして品定めするように彼女を見つめた。
    「まあ女ってやつは化けるもんだ。オレがもっと化かしてやらあ」
    そう言い、櫛などを手にし椅子に腰掛けている彼女の背後に回る。その場にいた皆が顔を見合わせて笑みを浮かべた。
    「なあ、準備できたか?」
    そこへボーレが入室してきた。
    「見ろ、今、シノンが髪結ってるぞ」
    アイクが受け応えた。
    「うわあ、すげえ……よくやったな、ミスト」
    ミストの前に回り込んで婚礼姿の彼女を見たボーレは感嘆の声を上げた。アイクはそんな様子を見て笑みを浮かべた。髪を結われているのでじっと静止しているミストは表情を作るのみで応えた。
    (シノン、がんばってるな)
    ボーレは小声でアイクへ話し掛ける。
    (ああ、結局ヨファがいいって言ってた髪形にしてるそうだ。ミストが自分でやってたのより格段に凝ってる。俺でもわかるぞ)
    アイクも小声で返す。
    (そっか、シノン、やるときはやるよな)
    そうして二人が会話しているとシノンがきっ、と目線を向けてくる。
    「てめえら何話してんだ。気が散る!」
    そう言い放ったその顔はほのかに赤かった。

    そうして支度が整い、いよいよ式が始まろうとしていた。
    ついに花嫁はその一歩を踏み出す。
    履き慣れない靴でミストは歩みを始めた。祭壇までの清き道を花婿の前まで歩む供は父親の役目であるという。だが、彼女は父親を亡くしていた。
    (でも誰かしら来ると聞いているけど……)
    彼女自身にもその相手の詳細は聞かされていなかった。
    そして扉の前に立ち、影が差す。
    「えっ……!」
    ミストはその正体を目にして驚愕の声を漏らした。

    花嫁の登場まで会場は騒がしさを見せていた。そんな喧騒をよそに傭兵団の参謀は受付で一人考えに耽っていた。
    (さすがです、アイク。この祝儀による収入はあなたの誉と比例する。ミストの婚礼ということだが、実際はアイクの縁による来賓だ)
    受け取った祝儀の勘定をしていた。帳簿に仮記録しつつ笑みを浮かべた。
    (諸候がアイクを己の娘と婚姻させて縁者にしたいという事情がこれでよくわかる。影響力がかなり大きい。これがアイクの婚礼ということであればもっと盛大なものになっただろう。それでもグレイル傭兵団直営の訓練所設立ということで、英雄アイク見たさの観光客など見越して、実際、メリオルからここまでの定期便が走ることになった。そしてその経路沿いに様々な施設の建設予定が持ち上がっている)
    彼は訓練所設立により、アイクが余所へ行ってしまうということはないことに安堵を覚えていた。
    (それに加えて別収入を得られた。当面の運営は安定する)
    彼は個人的に、ある情報を収益に換えていた。

    それはまだ訓練所の建設に取り掛かった頃。
    彼は風の精霊がざわめくのを感じていた。異質な者を察知したようだ。部外者が潜入しているという恐れを抱いた。傭兵団の人間、とりわけ主要な者たちは皆、手練であり、下手な密偵の類ならすぐに察知する。しかし、これは見えざるものというほど気配は闇に溶け、紛れていた。同じく見えざるものでなければ察知できないほどに。
    それが度々感じられた。
    その頃、同時に視察として訪れたクリミアの文官と顔を合わせる機会があった。ひそかに彼個人へある話が持ち掛けられた。
    「参謀殿、同じ風使いとして探っていただきたいものがある」
    何か精霊がざわつくような事態があればそれの正体を探って欲しいとのことだった。
    そしてその正体を掴んだ。
    それは主にアイクの周辺を嗅ぎ回っているようだった。その姿を視認して見覚えのある者だとすぐに察した。目的は分からないが、正体は判明した。あとは目的を探るだけなのだが、口を割らせない限り分かり得ない。
    仮にアイクへ何らかの不利益をもたらすのが目的なのであればこれで撃退しても良いとの考えのもとに、精霊の導くまま魔道を死角から発動してみた。怯んだ隙に接近して何らかの話をしてみようと思った。
    「あなたの目的は何ですか?」
    「アイクへ何の用ですか?」
    「誰にどれだけ金を積まれたのですか?」
    そう問うてみたが答えることなく消えていった。
    彼はその成果を文官へ告げた。
    「捕らえて問い詰めることはできませんでしたが」
    「宜しいですぞ。その姿を視認したという証人さえいればいい」
    文官は髭を触りつつ笑みを浮かべた。そして彼へ報酬を渡した。

    そんな回想をしていた彼はこれがどんな意味のある依頼だったのだろうかと思った。そしてまた風がざわつくのを感じた。
    (そろそろだ、もう良いだろう)
    祝儀が入った袋を抱え、受付の卓を閉じると彼は式場へ向かっていった。

    いよいよ花嫁の入場が始まる。
    騒がしかった会場が静まりかえる。祭壇までの道半ばで待つヨファは固唾を飲んだ。そして荘厳な音楽とともに扉が開かれた。父親役と腕を組み、花嫁が入場する。ヨファは真っ先に父親役に注目した。
    (あ、あの人は……!)
    それは先のクリミア解放戦争の際、アイクが私兵として雇用していた情報屋だった。ミストがよく食事を共にしないかと誘っていたが、料金が発生するといい断られていた男だった。かつて父グレイルと契約を交わしていたこともあり、縁が深い者だった。
    (……フォルカのおっさんかよ……!!)
    同じく父親役に注目していたボーレが心の中で叫んでいた。
    「ミストちゃん、アイク様、よかったです……、これで祭壇までの道は確かなものになりました」
    「エ、エリンシア様……あいつは……」
    満足気なエリンシアに対してジョフレが顔を引き攣らせていた。あの男はとある任務の際に面識はあり知っていた。それは金次第の沙汰でどのような依頼も請けるという闇の仕事人──暗殺者なのだ。
    「幾ら、金を積めばいかような依頼を請けるといって……火消しですか……。アイクたちと何の関係が」
    ジョフレがそう漏らすとエリンシアが口元だけを上げて薄く笑みを浮かべる。その笑みを見てジョフレはぴくりと震えた。隣のユリシーズへ目を遣るとにやにやと笑みを浮かべていた。
    (おまえか! おまえが手配したのか!)
    心の中で突っ込みを入れるジョフレだった。
    「金では買えぬものもあるのですよ。値段などつけられますまい」
    いやに含みのある言葉を放ったユリシーズだった。
    「ええ、ユリシーズ。今、このときこの時間は何物にも換えがたいです。あの方はその価値を知っていらっしゃる」
    エリンシアは微笑みそう返した。ジョフレは懐疑的な想いを顔に出さぬよう抑えた。
    (ジョフレ、おまえの言いたいことはわかる)
    ユリシーズが心の中で応えた。

    (金では買えない「想い」を盾にすることはできるのだが)

    ユリシーズはアイクから相談を受けていた。
    アイクは父親役をフォルカに依頼しようと思ったのだが、その性格をよく分かっており、普通に依頼したのであれば法外な値を掛け、断られるだろうと予測した。そこで、先にユリシーズへ相談したのだった。フォルカはよくユリシーズから依頼を受けるなど、縁があるようだった。アイクはその縁も加味して、策士であるユリシーズならいい考えがあるのではと思ったのだ。

    ユリシーズはアイクから話を受けたあと、すぐにフォルカを呼び付けて「依頼」の話をせず、世間話と称して傭兵団の近況、ミストの結婚の件について話した。

    仕事の話もなしに呼び付けられ、そのような世間話を持ち掛けられるのみであったため、フォルカは訝しげに思った。何か企みでもあるのだろうかと思ったが特に言及せず引き下がった。ユリシーズは上得意であるためこれが後に繋がるかもしれないと思い、独自に先回りしてアイクらの身辺を調べることにした。
    ──しばらく姿も見ていなかった
    ふとそう思った。そしてふつふつと想いが涌いてくる。
    彼は以前、アイクの父から彼の成長を見届け、重大な秘密を告げるという任務を請けていた。それは既に為されたことなのだが、情が移ったのかそれとなく彼の行く末は気になっていた。そして彼の妹ミストのことも気になっていた。幾度も食事を共にしないかと誘われた。その度、退けていたのだが、心の隅に引っ掛かるようにはなっていた。彼女からはまるで父親に接するかのように話し掛けられた。
    仕事に私情を挟まないのが信条であったが、ミストが結婚するという話を耳にして心がざわついたのは事実だった。上得意からその話が出たことから、彼らの動向を押さえるのが今後の仕事に生かせるかもしれないという考えに至り行動を起こした。否、それをかさに己の秘めた想いを昇華させようとしていた。

    (相手はあの小僧か)
    フォルカは傭兵団の居住地近辺に潜伏し、婿になろうというミストの幼馴染を追った。
    (射手だな。未熟だが素質は悪くない。体躯は小柄。世渡りは器用なほう。精神力はここ一番で弱い。性格は……)
    フォルカはそんな品定めをしている自分に気付き愕然とした。まるで娘を嫁に出す父親の心境だ。そんな恋人とともにいるミストは大人の女へと変貌を遂げていた。その姿が見て取れた。
    アイクの様子も探った。以前に増して風格を増し、傭兵団団長としての貫禄が備わってきている。ますます父親へ近づいていると思った。在りし日のグレイルを思い出し、郷愁すら感じる。
    (あれは「男」の眼だ)
    成熟した男になったのだと感じた。出会ったばかりのまだ成人もしていないくらいの頃、青臭い子供だと思っていたのに。
    フォルカはそれに気付き、深い溜息を漏らした。そして彼らの変化が己に感情の動きをもたらしたことに気付き、また愕然とした。そしてミストが人の妻になるのだと思うと寂寥の感を抱いた。

    そんな隙をついてきたかのように魔道の風がフォルカを襲った。
    その風の発生源はアイクに付き従っている参謀だった。この参謀はアイクへ忠義を尽くす者だ。此処へ潜伏していた理由など問われたが、答えずに逃走した。姿を見られたのは最大の不覚だと思った。
    (精霊使いは厄介だ)
    卓越した使い手には気配を消していても気が淀んでいれば精霊の導きにより察知されることがある。そして上得意の文官のことを思い出した。あの者も熟練した精霊使いなのだ。

    それから再びユリシーズに呼びつけられた。
    今度は「依頼」が舞い込んでくる。それはミストの結婚式の際、祭壇までの清き道にて花婿の前までの供をすることだった。それを告げられて当然の如く即座に断りを入れた。
    共に食事をするのに代金を要求し、覆面をするなど、人前に出ることを好まない性格というのもあるが、闇に生きる者として有り得ない仕事内容であった。
    「我らが女王陛下の御所望でな」
    含み笑いをしながらユリシーズが言い放つ。その含み笑いに厭なものを感じた。この男の仕事には外れがなく、そういった面の信頼は置いていたが、それだけに食えない輩であるともいえる。腹の底で如何様な企みを持っているか警戒心を抱くこともまま多い。
    「おまえはアイク殿の父上との密約により、彼を見守るようにと請けていたのだろう? アイク殿を見守ること、それすなわち妹殿も見守るということ」
    「それはすでに終了した契約だ」
    フォルカはユリシーズの腹の底を探りつつ不機嫌そうな声で応えた。
    「どのように心を殺しても情というものは涌き出てくるもの」
    ユリシーズの含みのある言葉をフォルカは表情を変えず聞き流す。
    「今、こうして依頼を持ち掛ける以前におまえが砦へ行き、アイク殿や周辺を探ったのは何故か?」
    その言葉をフォルカは耳に留めた。
    「鎌を掛ける気か。生憎だがそのようなことはしていない」
    表情は変えないよう努めて返した。
    「……証人がいるのだが。同じ風の精霊使いで」
    ユリシーズのその言葉にフォルカは風の魔道を放った参謀の姿を思い出した。
    「……あんたの仕事は外れはないが、それだけにあんたという奴は腹の底が読めない奴だ」
    フォルカは片手を上げて息を吐くように言い捨てた。
    「フォルカよ、おまえ、ミスト殿への情は恋慕たるものか?」
    「何を言うか。違う。俺にそんな趣味はない。親子ほども歳が離れているのだ。言うならば親のような……」
    そこまで言いフォルカは言葉を止めた。そこでユリシーズのしたり顔を見た。
    「ここか。ここで鎌を掛けてきたか」
    目元の筋肉をひくつかせてフォルカは息を吐いた。完敗である。そうまで転がされては感服するほかなかった。
    「金では買えぬものを一生に一度は手にしてみるのも如何か」
    「あんた、それは無報酬という意味か」
    「報酬ならある」
    ユリシーズは口元に笑みを湛えて言い放つ。

    「ミスト殿の晴れ姿、そしておまえを目にしたときの驚きの顔、目に浮かぶようだ。アイク殿もさぞ喜ばれるであろう」
    「あんた、よく来たな」
    控え室に父親役として現れた男の姿を見てアイクはそう言った。
    「これは仕事だ。理由などない」
    フォルカは表情を固く保ったまま低い声で返した。
    「あんた、こんな仕事もするのか」
    思わず口許と目許を緩め笑みを作り言い放つアイク。
    「ユリシーズは何て言ってあんたを言いくるめたんだ。それともどれだけ積まれたのか」
    アイクはこの男が普通であればこのような依頼を請けることなどないと分かっていた。その上でそう言った。
    「百万だ」
    「そうか。それなら仕方ないな」
    有り得ない額面を答えとして返したフォルカへ向けてアイクは可笑しさを感じ、笑みを零した。フォルカはその笑い顔に郷愁を覚える。
    「あんた、その恰好、悪くないな。王族の服だそうだ。柄にもないけど」
    アイクは盛装を纏うフォルカに向かって言い放つ。それは黒を基調とし、金糸で装飾が施されている裾長の上衣だった。そこから覗ける白いシャツとスカーフが眩しい。それはエリンシアによると叔父から借り受けたものだという。エリンシア自身の結婚式にも叔父に着用してもらおうという予定のものだった。
    「おまえもな」
    口許に僅かな笑みを湛え、フォルカは返した。
    アイクも盛装を纏い、身奇麗にしていた。糊のきいたシャツの上には肩幅を強調するような長裾の上衣。鮮やかかつ深みのある蒼色だった。将軍位であった頃に着用していたもののような勇ましいいでたちだ。それはかつて神騎将と謳われた父の姿を想起させる。大きく成長した彼の体躯と相俟ってそれが顕著であった。
    彼はこの男へ父親の代役を頼んだことを正解だと思った。父親が妹の晴れ姿を見たらどう反応するのだろうか、今となっては知る由もないが、妹の花嫁姿を見て僅かに細められた男の目はそれと近いのだろうと彼は思った。妹も瞳に涙を溜めて喜びを見せた。何度も食事に誘っても応じてくれなかったこの男が、自分の一世一代の晴れ舞台に駆けつけてくれたという事実に喜んだ。
    僅かに瞳を伏せ、睫毛を揺らす彼。普段無愛想と言われる彼の感情の色を漂わせた顔に男の目線が投げられる。
    男は彼の姿を見て、やはりかつての依頼主の息子なのだと確信する。

    そして、出発の合図が響くと花嫁が父親役と腕を組み、その一歩を踏み出す。
    荘厳な音楽とともに扉が開かれた。

    扉が開かれ、隣を歩むこの男の姿に驚愕する者の姿が見受けられる。それでも歩みは止まらずそのままに。
    道半ばで待つ花婿も驚愕の表情を浮かべた者のひとりだが、花嫁が到達すると表情を引き締め、確かに父親役から彼女の身を引き受け、腕を組み歩んでいった。
    祭壇まで静かに歩みゆく。
    「何かハラ痛くなってきた」
    そんな二人を見つめていたボーレが緊張感のないことを言い出すが、緊張している様子だった。
    「厠へ行ってくるか?」
    「バカ、まさか」
    小声で傍らのアイクが返すとボーレは少し緊張を解いて返した。
    そして神父キルロイが待つ祭壇の元まで歩み着いた。
    キルロイが聖書を手にし、誓いの言葉を読み上げる。二人はそれに答え、儀礼を通過していった。
    指輪交換が済むと、最後は誓いのキスである。
    ふわりとベールが持ち上げられ、花嫁は目を瞑り花婿の口づけを待つ。そして唇と唇が重ね合わせられた。
    その瞬間、荘厳な音楽が華やかで軽やかなものへ変わり、客席から紙吹雪などが舞い散り歓声が沸き起こった。
    「うわ、すっげえ」
    ボーレが思わず頭上を見上げると鳥翼族の者が空中から紙吹雪を撒いている様子が見受けられる。
    そして二人の道の周りに祝福する人々が集まり、人だかりとなった。
    「そろそろかなっ」
    ミストはそんな祝福の様子を嬉しそうに眺め、そう言い出した。花束を投げようというのである。それを受け取った者が次に花嫁になれるという言い伝えがある。誰が受け取るのか楽しみだった。
    アイクはボーレに肘を突かれてミストに注目した。そして頷いた。投げやすいように少し重りが入っているそれは綺麗な放物線を描き飛んでいく。
    「はははっ! ガトリー、必死だな! っていうか花束受けて結婚できるっていうのは女だろ」
    人だかりの中、花束を受けようとガトリーが狙っていた。その背中を眺め、シノンは笑いながら言い捨てた。
    「えーーーっ!」
    「アイクっ!?」
    ガトリーが花束へ手を伸ばそうとすると空高く、といった形容が見事に似合うほど、高く跳躍したアイクの姿があった。アイクはまるで奥義を放つかのように天空で花束を掴み、華麗に着地したのである。
    一瞬、会場が静まり返り、時が止まった。
    「お、お兄ちゃん……結婚したいの……?」
    「何言ってんだおまえ。落とすなよ。しっかり持っておけ。大事なものだろう」
    真顔でアイクはそう言い放った。花束に纏わる言い伝えを知らないようだ。
    「その言葉お兄ちゃんに返すよっ! バカーっ!」
    ミストが切り返すと、会場はどっと沸いた。
    「さすが蒼炎の勇者! 花束の掴み方からして違う!」
    そんな彼を賛辞する言葉がどこからともなく聞こえてきた。半ば冗談めいているが。
    「そうか、これはおまえに返してはならんのか」
    「うん。誰かにあげてよ」
    「わかった」
    そしてアイクの花束を受けたのは
    「え、おれ?」
    ボーレだった。
    「何でだ!」
    「そこにいたから」
    アイクは深く考えず一番近場にいた者へ渡した。そしてシノンがまたしても腹筋を痛めるほど笑ったという。

    ミストらはアイクの縁者に囲まれ、祝辞を受けていた。
    クリミア騎士団一同やエリンシアら、獣牙の戦士、友、王。鳥翼の王、配下など。デイン王族など。クリミアの宗主国ベグニオンの重鎮、皇帝自らも。
    「しかし、おまえ、半端ねえな」
    アイクの人脈の多さにただ感嘆を漏らすボーレだった。
    「ありがとう、お兄ちゃん。みんなお兄ちゃんのおかげで集まってくれた」
    ミストがそう言った。
    「いや、確かに俺に顔を合わせてくるが、皆、おまえのために来てくれたんだ」
    「そうそう、おまえがいつも笑ってたからな。みんな、そんな顔を見に来たんだ」
    アイクがそう言ってやると、ボーレも同調していた。
    「……うん、ありがとう。……それにしても」
    ミストは笑顔で応えるとボーレを指差す。
    「ボーレ、それ、いつまで持ってるの」
    ボーレが待つ花束の事を指す。
    「あ、ああ。その辺に捨てるわけにもいかねえだろう。せっかくもらったんだし」
    花束を胸の辺りで持ち、何か言いたそうなアイクに気付く。
    「……なんだ?」
    「綺麗だぞ」
    飾り立てのない言葉が向かってきた。真っ直ぐ瞳も向いてくる。
    ボーレは思わず噴き出した。
    「なっ、なんだよっ、照れるじゃねえか……!」
    「お兄ちゃん……!」
    ミストは思わず、その言葉は自分に言って欲しかったと言いそうになった。
    「そう言えって、ティアマトが。花と着飾った女にはそれを言うのが礼儀だとか。まあ、いまいちよくわからんが」
    その言葉に二人はただ笑いを浮かべた。
    「あ、ミストもな。そのドレス」
    「もうっ、お兄ちゃん……!」
    「あのな、それ、おれには言わなくてもいいから」
    そして、周りには人だかりができていた。彼らのその様子を見ていた者たちは大いに盛り上がっていた。そして誰かを担ぎ上げたくて仕方ないといった様子だ。それでも花嫁と花婿は安全のため、手出しされない。
    「って、おい……! なんだっ! なんだこれ!」
    そこで花束を持っていたボーレが目をつけられた。たちまちのうちに種族問わず様々な者たちがボーレを担ぎ、胴上げを始めた。何度も空中高く舞った。
    「ウルキっ、おまえか! おいっ! かんべんしてくれー!」
    どうやら友人である鳥翼族に目をつけられたようだ。普段は寡黙なその男も、この祝いの空気に酔いしれて友人であるボーレを担いだ。
    そして文字通り空中高く舞ったボーレの叫びが響いた。

    その声とともにそっと消えゆこうという影がひとつ。
    「如何かな、金に換えられぬものの価値は」
    その影に語りかけるは道化文官とも称される男。
    「二度とこのような依頼を請けることはない」
    影は振り返らずそう返す。
    「さよう。ミスト殿にとって一生に一度の相手となろう。そう願っての式だ。アイク殿も喜んでおったぞ」
    道化が含みを持った言葉を投げる。
    「おまえが今、どのような心でいるかは背中を見れば分かる。どうだ? 酒場へ行くのなら我輩も付き合おうぞ」
    「……あんたの勘定なら」

    式場に机など運び込まれ、立食の場に転換した。ここで客人ともども歓談など愉しむ。
    「お兄ちゃんたちどこにいったのかな」
    ミストはいつの間にか姿を消した兄たちを目線で探した。
    「厠じゃない? いっぱい食べようという魂胆だよ」
    ヨファがそう返す。
    「まったくもう。食べ物のことになったら本当に……」
    少し口を尖らせ、そう言ったミストが会場にいる者と歓談しているといつの間にか横に見慣れた姿があった。皿に山盛りの肉を取り平らげようとしている。
    「……お兄ちゃん!?」
    「ん?」
    ミストの横には肉を口にしようとしているアイクの姿があった。それも、盛装ではなく普段着になって。
    「もう普段の服に戻ったの!?」
    「ああ」
    ミストの荒い語気を含んだ問いに応えながらアイクは皿を注視していた。
    「さあ、食うぞ」
    「よし!」
    ボーレも同様に戻ってきて張り切って皿に肉を盛っていた。
    「もう~っ、お祝いっていうか、普通にごはん食べたいだけなのね」
    「仕方ないよ、ミスト。これがボーレたちなんだ。いっぱい肉食べてもらって傭兵団を支えてもらおうね。ぼくも頑張るから」
    ヨファがそう言うとミストは笑みを浮かべた。
    「もう、貴族みたいなかしこまった服はたくさんだ。せっかくこんなに料理が並んでいるのに堅苦しくて食いにくい」
    清々しい口調でアイクは言い捨てた。
    「おれもマタギの格好の方がいいや」
    ボーレも同様に言い捨てた。
    「ふふ、アイク様方らしいです。幸せそうな顔が一番ですわ」
    そんな様子を見ていたエリンシアが穏やかに語った。それはかつて、望まぬ爵位を課して依頼に応えてくれた、そんな恩を思い出してのことでもあった。
    「そうですね、これからもこうやってそんな顔を見せてくれるのが……」

    そうして彼らの家は暖かい場所としていつまでもあり続けた。
    いつか帰る場所。
    そしていつもそこにある場所──

    ─了─
    はらずみ Link Message Mute
    2018/08/30 22:46:32

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    ファイアーエムブレム/アイク/小説

    蒼炎の軌跡・暁の女神/コメディ/アイクとボーレを中心に繰り広げる傭兵団コメディ。連作ですが単独でも読めます。

    【IN HOME】暁ED後の話。ボーレと旅立たないアイクの平和な日常。ヨファとミストの結婚式が行われるまでのドタバタ。傭兵団の人間模様。
    メイン:アイクとボーレ、ヨファ×ミスト

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    • ブルー・バード 1・軌跡編 #ファイアーエムブレム  #アイク  #小説

      ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/オルティナの生まれ変わりがアイクという捏造設定で正・負の女神との関係を絡め展開する話。暁エンディング後の顛末も含めて様々なキャラと関わってまとめています。

      【1.軌跡編】蒼炎が舞台。アイクが負の気を己の力としながらも苦痛に耐えクリミア奪還をなし得ていく過程。
      メイン:アイク・フォルカ・ライ
      2012/1/14 完結
      はらずみ
    • ブルー・バード 3・昇華編ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/オルティナの生まれ変わりがアイクという捏造設定で正・負の女神との関係を絡め展開する話。暁エンディング後の顛末も含めて様々なキャラと関わってまとめています。

      【3・昇華編】暁ラスト~エンディング後の話。女神との対話、融合を果たしたアイクが歩んでいく結末。アイク死亡展開要注意(鬱展開ではありません)
      メイン:アイク・ユンヌ・ライ
      2013/5/24 完結
      はらずみ
    • 雪解けファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/メダリオン・負の気・アイクの過去などについての模造設定を元に構成。それぞれ単独でも読めますが設定は共通しているので連読推奨。

      【雪解け】ライ×アイク/「足跡」の続き。23章以降の話です。ライとアイクの支援会話もベースになっています。フォルカも登場します。ラスト近くにティバーンも登場。
      2009/3/20 完結
      はらずみ
    • ブルー・バード 2・邂逅編ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/オルティナの生まれ変わりがアイクという捏造設定で正・負の女神との関係を絡め展開する話。暁エンディング後の顛末も含めて様々なキャラと関わってまとめています。

      【2・邂逅編】セフェランとアイクの関わり。女神とアイクの出生の関わりについて。
      メイン:アイク・セフェラン、エルラン×オルティナ・グレイル×エルナ
      2012/8/3 完結
      はらずみ
    • 光芒ファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/セネリオ×アイク/二人の出会いから、セネリオのアイクへの狂信的な想いまで。微妙にシノアイ臭あり。
      あらかた原作本編に沿っていますが、セネリオの捏造過去あり注意。
      2010/4/9 完結
      はらずみ
    • あのころファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/ボーレ×アイク/先天性/コメディ/蒼炎~暁と続くボレアイのラブコメ。

      【あのころ】性交渉ではない性描写有。二人の幼少時の話。どぎまぎするボーレと無頓着なアイク。
      2009/10/17 完結
      はらずみ
    • Like or Love?ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク 他アイク総受/後天性/コメディ/男として親愛の情を抱いていたはずのアイクが…! 悶々とするライ。周囲の人間が繰り広げるアイクを巡るドタバタも。
      2011/4/25 完結
      はらずみ
    • 孤空の英雄ファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      暁の女神/シリアス/サザ×アイク・ユンヌ×アイク/性描写未満のBL表現有。サザの過去に起因するコンプレックスとアイクへの憧憬を絡めた話。サザの捏造過去あり注意。
      ミカヤが絡み、ユンヌ×アイク要素あり。
      2011/6/13 完結
      はらずみ
    • そのままでいいファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/暁でアイクがワユを血まみれにするというイベントが元ネタ。表情を消して剣を振るうアイクの姿をワユの視点から展開。蒼炎時の回想にてその理由を。
      メイン:アイク・キルロイ・ワユ・ライ
      2008/7/14 元稿完結
      はらずみ
    • 見えない翼 #ファイアーエムブレム  #アイク  #小説  #腐向け

      ファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/ティバーン×アイク/ティバーンとアイクの出会い、アイクの記憶に関わること、共闘するまでの過程。
      ティバーンの捏造過去あり注意。
      2009/10/2 完結
      はらずみ
    • 追憶の美酒ファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/シリアス/グレイルに似てくるアイクへ苛立つシノン。そしてアイクを認めるまでの話。グレイルを慕う理由をシノンの過去(捏造)を交えて描いています。
      メイン:アイク・シノン
      2011/9/14 元稿完結
      はらずみ
    • それを恋と知るファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/オスカー×アイク/先天性/シリアス/アイクの初恋。穏やかな恋から悩ましい恋へ。両想いであるのにもどかしく進行しない中、想いが通じるようになるまで。
      2011/12/27 完結
      はらずみ
    • 愛憎(あいにく)ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【愛憎(あいにく)】シノン→アイク/無防備なアイクに対して突っかかるシノン。喧嘩が絶えない二人の微妙な関係。
      2008/10/5 完結
      はらずみ
    • 花の香ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【花の香】ライ×アイク、他アイク総受気味/デルブレー奪還あたりの話。救出されたジョフレがアイクと対面したときに抱いた想い、それを端から見ていたシノンの思惑…など、あるものを発端に展開。他、傭兵団メンバーも登場。
      2009/1/22 完結
      はらずみ
    • 父娘ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【父娘】フォルカとアイク/グレイルから請けたもう一つの依頼を遂行するフォルカ。父と娘の関係性を過去を絡めて展開。
      2009/12/9 完結
      はらずみ
    • ここからファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【ここから】ライ×アイク/無理をするアイクを介抱するライ、そして……。ラブコメ調。シリーズ共通の捏造設定が発生しています。
      2008/9/15 完結
      はらずみ
    • そのままでいいファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/キルロイ×アイク・ライ×アイク/暁のアイクがワユを血まみれにするというイベントが元ネタ。表情を消して剣を振るうアイクの姿をワユの視点から展開。蒼炎時の回想にてその理由を。
      2008/7/14 完結
      はらずみ
    • 煉獄の勇者ファイアーエムブレム/アイク/小説

      覚醒/シリアス/魔符で召還されたアイクの姿を見て、伝承の『蒼炎の勇者』との相違を認識し、想いを馳せるパリスの話。魔符・英霊設定、パリスの過去は捏造。マイユニの描写がシニカルなので注意。
      メイン:アイク(魔符)とパリス
      2012/8/16 完結
      はらずみ
    • その足で立つファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/コメディ/シノン×アイク+ジョフレ×アイク/アイクと出会い鍛錬など重ねるうちに惹かれていくジョフレ、アイク幼少時のエピソード含みアイクを気にかけるシノンの話。
      2010/6/1 完結
      はらずみ
    • 薄氷ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/フォルカ×アイク/先天性/シリアス/ショートショート/
      2010.2.23 First up 人様の作の視点変えバージョンを修正・掲載
      はらずみ
    • GO HOMEファイアーエムブレム/アイク/小説

      蒼炎の軌跡・暁の女神/コメディ/アイクとボーレを中心に繰り広げる傭兵団コメディ。連作ですが単独でも読めます。

      【GO HOME】ボーレとアイクの幼少時の話と暁終章の話。傭兵団の中で家族のように育つ二人。
      メイン:アイク・ボーレ
      2009/10/17 元稿完結
      はらずみ
    • 騎士と姫君ファイアーエムブレム/アイク/女体化/小説

      蒼炎の軌跡/ライ×アイク/先天性/コメディ/ライアイベースのシリーズもの。設定は共通のもの。上から順に読むのを推奨。

      【騎士と姫君】シノン→アイク・ジョフレ→アイク/ともに鍛錬するジョフレとアイク、それを端から見ているシノンの思惑、そしてアイクの過去。
      2009/4/13 完結
      はらずみ
    • 孤空の英雄ファイアーエムブレム/アイク/小説

      暁の女神/シリアス/サザの過去(捏造)に起因するコンプレックスとアイクへの憧憬を絡めた話。アイクとユンヌの関係性捏造あり。
      メイン:アイクとユンヌ、サザ×ミカヤ
      2011/6/13 元稿完結
      はらずみ
    • flatファイアーエムブレム/アイク/男×男/小説

      蒼炎の軌跡/シリアス/ライ×アイク/種族差、性差、思い悩み心通わせていく二人。甘酸っぱいテイスト。
      2011/5/2 完結
      はらずみ
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