Sleep tight 冬は布団が狭い。
寝具はベッドなため正確には布団ではないけれど、意味合いは変わらない。とにかく狭い。そして寝苦しい。
理由は明らかだ。ランサーが──同居している男のことだ──私の布団に侵入し、私を抱き枕代わりにして眠るせいだ。身長180を超えるガタイのいい成人男性が二人でひとつの寝具を使ってゆったり眠れるはずがない。
「今日から君とは寝ない」
だから私がこう宣言するのも仕方がない話と、事情を聞いた誰もが思うだろう。──いや、誰も、は言い過ぎか。まるで興味がない態度で「はいはいごちそうさま」と流す女性が思い浮かぶ。
ランサーは風呂上りで、首からかけたタオルで頭を雑に搔きながら、
「はあ?」
頓狂な声を上げた。話の前後が理解できないと、明確に言われずともわかる。
たしかに唐突だった。私はソファ横のラックからドライヤーを取り出しながら──おおよそ洗面所にある物だが、ここではリビングが定位置だ──宣告の理由を語り聞かせた。話の大半はドライヤーの轟音に上書きされたため声を張ったが、それなりに防音性の高いマンションだから隣近所に聞こえることはなかっただろう。窓は閉めてある。
私はソファの背後に立ち、ランサーは座った状態だ。だからランサーは背もたれに頬杖をついた体勢で振り返った。
ドライヤーのコンセントを抜くために背中を向ける。
「そもそもベッドは二つあるんだ。同じ場所で寝る必要もあるまい」
共寝しているベッドはダブルサイズで大きめだが、繰り返すが、我々の身長体重ではそれでも狭い。一人で使う分には余裕がある。
もう一つのベッドはシングルサイズで部屋も違う。ランサーの釣り道具などが押しこまれているせいで物置のような有様となっているものの、寝るだけならば支障はない。片づけは明日以降すればいい。
ドライヤーをもとの
位置に戻して振り返る。どうだ、と訊けば、
「別にそれで構わねえよ」
あっさりと了承された。
「ベッドを分けるだけだろ?」
「そうだ」
「金輪際セックスしねえってわけじゃ」
「なぜそうなる」
唐突に差し込まれた単語の意味がわからず、私はやや被せ気味に問い返した。
セックスはわかる。この歳でカマトトぶる気は毛頭ない。ランサーとは
そういう仲だ。同じ部屋で寝起きして、たまにセックスをする。
しかし、だ。私の話のどこを解釈すればセックスを心配する流れになる?
「寝ない、つーからよ。オレはてっきり」
「君の早とちりだ。言葉のままに捉えてくれ」
君とは寝ない。なるほど、言われてみれば
そう受け取れもする。わからなくはない。が、今は違うと、私はランサーの理解をきっちり訂正した。
「へいへい」
おざなりな返事をしながら手を伸ばす。テーブルの上からリモコンを取り上げてテレビをつけた。
「……では、私は奥の部屋で寝る」
「おー」
おやすみ、という挨拶が去り際の背中にふれた。
*
夏は広い。ベッドの話だ。クーラーをかけていても湿度が高いせいか、ランサーが抱きついてくることはない。
だから、布団が狭いのは“冬季限定”だ。こういう言い方をすると少なからず希少さを感じなくもないけれど、明け方に寝苦しさで目覚めて、身動きできないまま起床時間になるのを待つのはなかなかに
堪える。うっかり目を閉じようものなら寝坊するせいで、私は寝室の天井と小一時間見つめあう羽目になる。
シングルベッドでは久々に両手足を広げられた。仰向けになり、大の字で目を瞑る。少ししてからいつものように横向きで落ち着いた。
テレビの音はドアを閉めてしまえば遠い。うとうとしているうちにランサーも就寝したのだろう。静まり返った部屋では己の足がシーツを滑る音しかしない。
朝のアラームは
携帯端末にセットした。目覚ましは向こうの寝室だ。この状態が続くようなら時計を買ってくるべきか。
寝しなの思考はそこで終わる。
目を開けると、部屋には薄明かりが差していた。北側の部屋とはいえ、遮光性の低いカーテンはその隙間から外の光を漏らす。
アラームはまだ鳴っていない。
体感的に、設定した起床時間より少し早め、一時間ほどの早起きに違いない。時刻の確認もせず、なぜ断言できるのかといえば、腹に回った腕のせいだ。──無論、私の腕ではない。
「…………」
首を捻って背後を見やる。真後ろという死角なせいでわかりづらいが、辛うじて青い髪が視認できた。
早朝に覚醒を促し、人の体を背後から拘束するような犯人は一人しかいない。不法侵入した何者かがさらに私の布団に侵入して熟睡するような馬鹿なことをしているのでなければ、だが。ついでにそいつは誰かさんと同じ青い髪ということになる。
そんな可能性は、猿がシェイクスピアの作品を綴るよりもありえない。
「……、ランサー」
呼びかけてみる。返事を期待して、というよりは、起きているかの確認だ。
案の定というか、背中に張りついたランサーはぴくりとも動かなかった。これは熟睡しているな。
ダブルベッドで寝ているときと変わらない。それどころかシングルサイズに無理やり入り込んでいるせいか、足まで絡んでいた。身動きが取れない。
「…………」
私は辛うじて自由な手で布団を掴み、背中に重なった男の
側へと動かした。横幅が充分ではないせいでランサーの尻が出ているんじゃないかと考えてのことだ。起き上がることはできず、鏡があるわけでもないため確かめられないけれど、まあ、今ので大丈夫だろう。
トイレにでも行った流れで潜り込んで来たのか。入ってきたことには気づかなかった。だいぶ慣らされているな、と思う。
シングルベッドをつけた壁には汚れも穴もなく、きれいなものだ。じっと見つめていると瞼が落ちそうになる。二度寝は起きるときつらい。
わかってはいるけれど。
アラームをかけたから。今日は休日で、少々朝が遅くとも問題はないから。──どれもこれも言い訳に過ぎないことは承知の上で、私は全身から力を抜き、目を閉じた。
風呂場とキッチンの掃除をして、洗濯物を干して、買い物に行く予定でいたのだが。どれかは遂行できないかもしれないな。