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    Hey brother!「おい、尻軽」
    「なんだ、ヤリチン」
     売り言葉に買い言葉を返しただけだが、相手は苦々しい顔をした。ワイシャツの白い背中を丸めてアーチャーのデスクに尻を乗せる。
     男一人分の体重を受けたスチールデスクは軋みを上げた。パソコンやら書類やらを加えても耐荷重の範囲には収まるものの、抗議だろうか。アーチャーは宥めるように手のひらを滑らせた。
     指の背でコツリと叩く。
    「ランサー、ここは禁煙だ」
    「かてぇこと言うなよ」
    「…………」
     睨みつける。
    「へいへい」
     ランサーはわざとらしく負けた態度を取って、胸ポケットに煙草を戻した。
     館内は禁煙だ。個室であっても喫煙は許されていない。感知器に引っかかろうものなら警報機が鳴り響く。
     屋外に設けられた喫煙所まで雨の日でも足を向けるランサーがそれを知らないはずもなく、よって、煙草をくわえて見せたポーズは、ただの嫌がらせだ。
    「まるで母親の気を引く子供だな」
    「誰がガキだって?」
    「反論したければ、いい加減、そのおしゃぶりを手放すことだ」
     ニコチンが体内から減ることで支障をきたすならば、まず医者にかかるべきだ。
     くわえて非経済的だ。世の潮流として喫煙者の肩身がスリムになることはあれど、繁栄はもはや望めまい。
     アーチャーの至極もっともな──アーチャーにとってはこれ以上ないほどに建設的な──指摘は、鼻で笑われた。
     飲みかけのカップがさらわれる。
    「セックスしたあとの一服がうまいんじゃねえか」
    「だからやめられない、と。人間が年中発情期でよかったな。いつでも味わえる」
    「テメェは嫌味を言わねえと死ぬ病気か?」
    「むしろ発作だな。君がいなくなれば治まる」
    「じゃあ居座ってやる。ありがたく思いな」
     口の減らない。とは、互いに思っているに違いない。
     アーチャーはひとつ息を吐いた。背もたれに沈み、肘掛けに腕を乗せる。
     端的に問う。
    「用件は」
     わざわざ嫌がらせをしに訪れたわけではあるまい。
     業務時間内だと文句をつけるつもりはない。成果を上げてくるならばどんな態度を取るも自由だ。これはランサーに限ったことではなく、アーチャーのプロジェクトメンバー全員に当てはまる。
     ランサーはカップを手にしたまま、「用件ね」答えを探すように宙を見た。三歩で忘れる鳥ではあるまいに、数秒のをあけなければ思い出せないのか。──などと言ってはいつまでも本題に入らないため、アーチャーは意識して口を閉じた。この男とのやりとりはつい面白がって不要な前置きを重ねてしまう。
    「テメェ、またオレのやった女を食っただろう」
     ややあって出てきた用件は、仕事とは関係のない、まったくのプライベートな話だった。
    「……〝君の女〟だったか?」
     デスクに片肘をつき、こめかみにふれる。視界の端でパソコンのモニターが暗くなった。
     スチールデスクと並行して組んだ足が軽く蹴られた。
    「オレと〝やった〟女だ。ハイエナみたいな真似してんじゃねえよ」
    「死肉をあさる趣味はない。それと、誰のことを指しているかは知らないが」
    「とぼけんな」
    「──知らないが、最近の話ならば、そうだな。誘ってきた女性とセックスした覚えはある」
     バーで隣り合っただけの関係だ。一夜限りで後腐れないワンナイトラブ。それをハイエナ呼ばわりとは心外だ。
    「そうは言うがな、これで何度目だ? こう何度も続いちゃあ、わざわざ狙ってやってるとしか思えねえだろうよ」
    「私が、君が抱いた女性をわざわざ探し出してセックスしている、とでも?」
    「そうだ」
    「被害妄想も甚だしいな。ああ、それともそういう趣味か?」
     間男に寝取られた女を抱く。何が良くてそういった行為に走るのかは理解できないが、その手の嗜好があるとは聞いたことがあった。しかし、
    「ねえよ」
     ランサーは短く否定した。
     さっきよりも強めに蹴られる。
    「ランサー」
    「やりてえならオレにしておけ」
    「……、は」
     一瞬、理解が遅れた。
     何を言われたのか。
    「……ずいぶんと、殊勝なことを」
    「たわけ、勘違いするな。ひとのケツを追いかけて女を慰み者にするんじゃねえと言っている」
     した覚えはないのだが。言ったところでこの男は納得しないだろう。
     カップが元の位置に戻された。中身はない。飲み干された紅茶が惜しい、と感じるくらいには喉が渇く。
     ランサーとは、そういう関係にある。アーチャーがトップで、ランサーがボトムだ。都合のいいセックスパートナー。
     互いのあいだに情はない。
     アーチャーは椅子から腰を上げた。デスクに座ったままのランサーを見下ろす。
     書類の山を避けて腕をつく。顔を寄せる。
    「──仮に、君の主張が正しいとすれば、君が女遊びをやめれば済む話じゃないか?」
     赤い瞳を覗く。
     突きつけられた文句は悋気の類から出たものではないだろう。愛のない関係には発生しえない感情だ。
     だからこれは、獲物を横取りされて怒る本能に近い、とアーチャーは考えた。「食い散らすような真似をするな」と言った。ハイエナとの表現がまさにそうだ。
     ランサーが口角を吊り上げる。
    「馬鹿言え、オレのも使ってやらねえとかわいそうだろ」
     行為の最中は揺れるだけの役しか果たさない。たしかにそれは可愛かわいそうだ。
     シャツの胸ぐらを掴まれた。唇の薄い皮膚を吐息が焼く。
    「したいのなら、素直に」
     言ったらどうだと囁く声は、凶暴な獣のくちに飲みこまれた。
    うえ Link Message Mute
    2018/06/21 19:23:45

    Hey brother!

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