運命に愛された男「また別れたの?」
呆れ顔の幼馴染にこちらも負けじと眉根を寄せる。
「『また』とはなんだ」
「結婚秒読みって段階まではいくクセに、いざ!ってなるとフられる誰かさんの生態」
「フられたのではない。距離を置いただけだ」
ティーカップに言い訳を吹きこむ。対面から向けられる視線は瞼で遮った。
独身最後の今を楽しみたいの。そう言われてから連絡がなくなって二か月経つところだが、まだ別れてはいない。
はずだ、と心の内で付け加える。虚しい抵抗の自覚はある。
アーチャーと呼びかけられて顔を上げる。
「最初から気のあるフリをしないことも優しさよ」
追いかけるつもり、ないんでしょう?
半端な気持ちは相手を振り回すだけ残酷だ。
「まいったな……」
幼馴染からの手厳しい指摘を反芻し、息を吐く。
好意に好意を返してきたつもりだった。それがいけない、と彼女は言う。でもほかにどうすればいいかわからない。
駅までもう少しのところで雨が降ってきた。横断歩道は赤信号で進めない。
道路を渡りきったところでポケットティッシュを差し出された。早く終わらせたいのだろう、二つまとめて握られたそれを反射的に受け取って進む。
改札に足を向けながらティッシュ裏面を確かめる。
「結婚相談所……」
手のひら大の広告に踊るポップな字体を見留めて、アーチャーはその場で足を止めた。
*
初対面の異性を相手にたった数分で場を盛り上げられるのはいっそ才能ではないか。
「ありがとうございました」
互いにぎこちなさを残したまま頭を下げる。席の移動を促すアナウンスに押されて立ち、隣の席に移動した。
ずらりと並んだ冴えない男たちの中で一人、青い髪の男だけが楽しげに笑っている。
「疲れた……」
鏡の前でうなだれる。アーチャーの呟きは水とともに排水口に流れたが疲労感は濯げずに残された。
集団見合いがこれほど過酷とは思わなかった。持ち時間一人五分とはいえ二十も続けば飽きがくる。しかもまだ終わらない。
後半戦を考えると頭が痛い。トイレ休憩程度では休まらない。
水の流れる音に続いて個室が開く。
「よお、おつかれさん」
中から出てきた男は鏡越しにアーチャーと目を合わせるなり気さくに声をかけてきた。
アーチャーは、ああ、と返す。手洗いに隣に並んだ男をぼんやり眺めて思い出した。
百人組手のような見合いの中で終始楽しげにしていたのがこの男だ。
「好みの女はいなかったか?」
男は鏡を向いたまま話しかけてきた。遅れて赤い瞳が向けられる。
「ずいぶん疲れた顔してるからよ。初めてか?」
「ああ。軽い気持ちで参加したんだが、なかなかハードだ」
「まあこういうのは慣れだ。気楽に構えておいたほうがいいぜ」
そのほうが釣りやすい、と笑う。
尻ポケットにハンカチをねじ込む仕草は子供っぽく見えた。
「君はずいぶん慣れているな」
さっきの助言を鑑みれば、この男はたった五分で初対面の異性と笑い合えるほど場数を踏んでいるということだ。
見目のいい若い男。相談所に来なくとも引く手数多に思えるが。
「ランサーだ」
向き合って名乗る。
「慣れもあるが、コツもある。相手に合わせて適当なこと言っときゃあどうとでもなるからな」
「嘘をつくのか?」
「冗談の範疇だろ。面接じゃあねえんだ、馬鹿正直に話したところでおもしろくなけりゃ次はない」
五分で心を掴むゲームと思えばいい。
なるほどと感心し、男の口の上手さも実感した。
連れ立って会場に戻る。ホテルの宴会場は広く、四十人の参加者でも空間を持て余していた。
「アンタの目的は結婚か?」
青い尾を揺らしてくるりとランサーが振り返る。
「まあ、そうだな」
ここに来るものは、期待の大小はあれど皆そうだろう。
「君は違うのか?」
アーチャーは声を潜めて問い返した。
違うと言われても驚かない。必要に見えないからだ。
しかし予想に反して、
「まあな。オレもだ」
ランサーはあっさり肯定した。お互い頑張ろうぜとアーチャーの肩を軽く叩いて席に戻る。
「……そうなのか」
その背で揺れる青い尾を見送って、アーチャーはひとり置いていかれたような気にさせられた。
互いが“いい”と思わなければマッチングは成立しない。
起立した一組の男女に拍手を送りながら、彼はダメだったのかと、アーチャーはそっと青い男に目をやった。
ランサーに残念がった様子はない。通知でも受け取ったのか端末を出し、指を滑らせる。
顔を伏せたまま、アーチャーを見上げて目を細めた。
*
扉を開けるとカラン、とドアベルに迎えられる。開店前の店内には当然ながら誰もいない。湿った木のにおいがする。
アーチャーは床板を軋ませて店の奥へと向かい、ホールからは死角になる用具入れからモップとバケツを取り出した。
「──さて」
開店まであと三時間。バケツを下げて外へ出る。
ドアベルが控えめに一度鳴る。扉の札はCLOSEのままだが来訪者は気にせず中へ入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう、セイバー」
知った相手にアーチャーもいつもどおりの挨拶をする。
「今日は早いな」
「そうでしたか?」
自覚はなかったらしい。壁の時計を見る。いつもより三十分早い。
「早く起きたもので……、ゆっくり来たつもりでしたが」
「いや、いいんだ。ただ朝食は少し待ってくれ」
開店準備は整っているが、まだ大事なものが届いていない。
「もちろんです」
しゅんと垂れた金髪はアーチャーの言葉を受けて復活した。
計ったようにドアベルがまたカランカランと鳴り響く。
黄色いコンテナの山がドアを押し開けて入ってきた。
「にゃんとワンだふる! キャットのパン配達参上だワン!」
重なったコンテナの向こうから声がする。
「おはよう、タマモキャット」
「おはようございます」
「うむ、くるしゅうない」
アーチャーが受け取ったことで、ようやく配達人は顔を出した。
これで朝食を出す準備が整った。
「聞いたぞマスター。また取材を断ったそうだな」
配達を終えたキャットは立ち去らず、カウンターに肘をついた。
「頑固店主は流行らんぞ?」
アーチャーはスキレットを火にかけながら肩を下げる。
「流行らなくていい」
望んでいない。
え、とセイバーが声を上げた。
ベイクドビーンズにソーセージとハム、目玉焼きをワンプレートにのせたいつもの朝食に、ナプキンで包んだカトラリーを添える。それと、まだ焼きたてのパンを盛りつけた。
「どうしたセイバー」
「いえ、その……」
セイバーはカトラリーを両手に持ちつつ口籠り、黄身にナイフを入れる前に顔を上げた。
「混雑してほしくないからと、秘密にしていたせいで潰れてしまった店があると聞きました」
真剣なその目は心から憂慮しているとわかったが。
「それは、君の知っている店か?」
「いえ……。ただそういったことがあった、と」
「確かにありえなくはない話だ。だが、ここでその心配はしなくていい」
碧眼が何故と問う前に、
「なぜならここはマスターの道楽だからな!」
カウンターに懐いたキャットが些か誤解を招く返事をした。
「仕事はちゃんとやっている」
道楽とは聞き捨てならない。──当たらずとも、だが。
「食うに困らぬ雇われ店主よ、その身を偽らずともキャットにはまるっとお見通し」
「聞けばお主、今は独り身だそうな?」
「…………」
取材の話といい、どこで仕入れてくるのか。
アーチャーは黙殺することで聞き流そうとしたが、
「これを置けばご利益バッチリ、ひとり寝が寂しいマスターも一安心」
「寂しくなどない!」
つい反応してしまった。差し出されたチラシも見てしまう。
ソーセージを飲み込んだセイバーがフォークを置き、キャットからチラシを受け取る。
「食べ歩き?」
「セイバー、主題はそこじゃない」
着目すべきはその文字より上にある。
「マウント深山を食べ歩け! ついでに素敵な運命もゲットだわん! 第一回街コン、参加要項は裏面にあるのでよく読んでおくべし」
*
秋高馬肥。
「まるで祭りだな」
さほど広くもない商店街の両側には屋台が並び、焼きそばだろうソースの焦げるにおいや醤油の香ばしさが漂う。
親子連れや学生で賑わう様子はただの祭りにしか見えない。己は偶々通りがかっただけと、胸の番号札がなければ主張したいところだ。
「よお、また会ったな」
背中を叩き右肩に腕を乗せてきた男の振舞いは気の置けない友人のようだが、会うのは二度目だ。
「ランサー」
集合場所で札を渡されたときからその存在には気づいていた。目が合わなかったためてっきり忘れられたかと思ったが。
ランサーは、一人か?と尋ねてきた。それは男女どちらを想定した問いか。
「友人と来ている」
そういう君はと問い返す。返事を聞く前に、「アーチャー!」人混みの奥からセイバーが走り寄ってきた。
「鯛焼きをいただきました」
両手にひとつずつ。アーチャーに差し出しかけた左手が止まり、視線が横にずれた。
見知らぬ他人とは言い逃れできないほどランサーとの距離は近い。
「彼はランサーだ」
アーチャーの紹介を皮切りに、はじめましてとセイバーが答える。
「女友達ってやつか」
「……まあ、そうだな」
「なんだ、カノジョ候補だったか?」
「アーチャーとはよき友人です」
セイバーは改めて鯛焼きを差し出した。
互いの関係はセイバーの言うとおりで間違いはない。
誤解されたいわけでも、予定があるわけでもない。ただ“友”の言葉には慣れなかった。感覚的に“同志”が近い。
受け取った鯛焼きを胴から二つに割り、頭をランサーに渡す。
赤い瞳が見返した。
「いいのか?」
「しっぽのほうがよかったか?」
そこにこだわったわけじゃねえよとランサーは口を尖らせる。
三人連れ立って歩く。しかし顔見知りだからといって行動をともにする義務はない。
「いいのか?」
「何がだ?」
質問に質問を返されたアーチャーは眉を顰めた。
「彼女たちだ。連絡先の交換は済んだのか?」
今しがた話して分かれた女性達は街コンの参加者だ。喋って終わりでは参加した意義が薄い。
もしや己に気を使っているのではと訝る。会って二度目の男相手に気兼ねする理由はないはずだが。
「そういうおまえさんも人のこと言えねえだろ」
ランサーは肩をすくめ、プラスチックのカップを口に寄せた。泡の消えたビールを煽る。
「女連れで街コンに参加するか?」
「セイバーは」
「友人な」
被せた言葉には揶揄する響きが滲んでいた。
「アッチが食い気なのは見りゃわかる。だがそれにつきあうテメェはどうだ」
誰に声をかけるでもなく、札をつけたグループが近くに来ても一言二言交わして見送るだけ。
ビール片手に談笑するランサーのほうがまだ積極的だと、言われてしまえばそのとおりだ。
それとも、とランサーが肩を寄せ、アルコールに濡れた口唇を吊り上げた。
赤い瞳が悪戯な光を帯びて細められる。
「オレを口説いてんのか?」
「は?」
「そのつもりならそう言えよ。きちんと口説かれてやるからよ」
アーチャーの肩を掴む手に、ぐっと力が込められた。
酔っ払いめとその体を押し返す。
*
ビール一杯で酔うかよと笑った顔が瞼裏に焼きついた。数日経っても忘れられない。
「そんなに嫌なら断ったら?」
かけられた声に顔を上げる。
何をだと尋ねれば、対面に座った幼馴染は眉間に皺を寄せた。
「ぼうっとして、熱でもあるんじゃないでしょうね?」
「至って健康だ」
体の調子は悪くない。
「ならいいけど。この手の話は義理で受けるとろくなことにならないわよ」
アーチャーより年下の幼馴染は老成したため息をティーカップに吐き出した。
その内容から脈絡を察して理解する。
「見合いのことか」
「なんだと思ったわけ?」
さっきからその話をしていたでしょうと据わった碧眼に睨まれる。
「知り合いに年頃の娘がいるからって、馬じゃないんだから」
「悪い話ではないし、店長の申し出は好意からだ」
「わかってるわよ」
むくれた横顔にアーチャーは小さく笑い、ポットからティーコジーを外して向かいのカップに傾けた。
「お見合いが嫌ってわけじゃないなら、何を考えていたのかしらね」
湯気の立つカップに指を引っ掛けて悪戯な目を寄越す。
「……さて、なんだったか。忘れたな」
アーチャーは白々しくとぼけた。気もそぞろに男のことを考えていた、などと白状するのは憚られる。
「言いたくないならいいのよ、別に。ただ、また死にに行くつもりなら、今度は足を折ってでも止めるから」
物騒な宣言だ。が、冗談でないことはよくわかった。この聡明な幼馴染は自身が最善と信じた行動なら躊躇いなく実行する。
「心配せずとも、当面はおとなしくしているさ」
「当面は、ね。正直だこと」
「約束したからな」
カップの飴色に視線を落とす。自嘲を浮かべた男が水面からアーチャーを見返した。
──愛する一人も幸せにできない男が万人を救うなぞできやしない。
自己満足ならひとりで死ねと殴られた。思い出して頬を掻く。
恋人と呼べる相手ができても別れを告げられる己は確かにわかっていなかった。泣き顔を探すばかりでは自己満足と言われても仕方がない。
生かすことは殺すことより難しい。
理想を追ったところで所詮それは辿り着けない蜃気楼でしかなく、実現するための魔法はない。
「こちらでお待ちください」
ウエイターに促されて部屋に入る。
案内された先は眺めのいい個室だった。指定の時間より早く来たため相手はまだ来る気配がない。
アーチャーは窓の前に立ち、眼下を見下ろした。